2012年12月30日

古代日本文字の「ナ」

古代の日本語(倭語?)に超興味があった時期があって、

ネットでいろいろ見たんだけど、その時あたしの目を奪ったのは、

「な」の文字。


「な」は、「ナ」と書く。あたりまえじゃん、といわれそうだけど、

あたりまえだけどあたりまえじゃない。

なぜなら、この古代文字「ナ」は、ひらがなカタカナが出来る、ずっと以前から

日本にあったといわれる文字だからだ。

ひらがな以前に日本に文字は無かった、という一般常識だけど、

実は、違うらしいのだ。



そして、その「ナ」の形が表すものは、「魚」。

古代日本文字には、なん種類かあるんだけど、

だいたいどれにも共通してるのが、「ナ」は「さかな」だということだ。



その、ほかの種類の「ナ」の文字には、そのまんま魚の形の文字があり、

(目もしっぽもついてるよ)

今見てる「ナ」という文字も、左ななめ下に頭を向けた魚の形だよ。



さてここで、なっぱ、さかな、まないた、うお、に登場してもらいましょう。


古代の日本文字のうつりかわりを見てけばわかるけど、

ナ には、もともと魚という意味があったみたいなんだけど、途中から、

食べ物全部を「ナ」と呼ぶようになってしまった。


なっぱ とか、青菜 とか、「ナ」というものは、現代では、葉物野菜を指すよね。

それは、その時、食べ物全体を「ナ」と呼ぶようになってしまった名残なの。たぶん。


肴 というのは、つまりは、酒の肴(さけのさかな)、白い白馬みたいだけど、

酒を飲む時に食べる「ナ」をわざわざ「サケのナ」として区別したのが、

肴 という意味だよ。肴は、なっぱでは役目不足だから(実際お酒を飲めばわかるよね)

やっぱりたんぱく質が好まれる。肉とか魚とか。古代の日本では、ダントツに魚の方が

手に入りやすかったでしょう。だから、酒の肴、転じて、「さかな」=「魚」になったんだよ。


で、まないたは、「ナ」を切る板なんだけど、

「ナ」に食べ物全部っていう意味づけがされてしまったので、

「魚」を乗せる板を、本当という意味の「真」(ま)をつけて、

本当のナ、従来の意味のナ、つまり「真ナ」で、まな としたの。

だから、まないた の「まな」は魚の事なんだよ。



「魚」は「うお」とも読むよね。

「ナ」と「うお」の違いはなんだろう。


江戸時代かそこらの学者の人が(誰だか忘れてしまった)

調べてまとめた文書が残ってるんだって。



その人によると、

「ナ」は、水からあがった(泳いでいない)状態、食材の状態、

さらに食料として調理された状態、つまり、生きていない(死んでる)魚 という意味で、


「うお」は、水の中でいきいき泳いでいる魚 という意味 だそうだよ。




また数字に行っちゃうけど、


「ナ」は「0.9999…」で、

「うお」は「1」だな と感じる。




日本語深いな〜

もっと古代文字知りたい。


posted by 辰多みか at 00:01 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

これから探求するキーワードの覚書き。


あたしの感覚と似た感覚を持ってる理論

ことわっておくけど先にこれらの理論を読んで、感覚があたしに降ってきたのではない。

「神との対話」の本を読むのと同じように、自分の感覚の確認作業だよ。(偉そう?)

答え合わせみたいなもの。

今時間がないから、時間ができたときに、じっくり探求する。そのための覚書き。


p進タイヒミュラー理論

p進数

望月新一さん

テイト・シャファレビッチ群

楕円曲線

---以上、覚書き。


あたしの感覚とは、

1は、絶対に0.9999999999999999… と同じものではない、という感覚。

アキレスは、絶対に、カメに追いつかない、という感覚。


もし、1と0.9999999999999…が同じものだったら、アキレスはカメに追いつく。

けれども、そうではない。1と0.999999…はイコールでむすべない。


なにかの理論で(なんだったか忘れたけど)、アキレスはカメに追いつけるよと、論破したかの

ように言うのは、それは、1=0.9999999…という考えのもとで言ってるだけであって、

もともと、追いつく設定になってるから、というだけである。




現実世界ではカメに追いつき、抜くことができるけど、その理由は、アキレスとカメは、完全に別人だからである。

(カメが人ではないというつっこみはおいといて)


それと、進む方向が、トラックの線でも、暗黙の了解でもなんでもいいけど、ふたりの間で決めてあり、

到達地点の判定基準線も、進む方向に直角、とちゃんと決めてあるからである。

(だって、追いつきそうになった瞬間、その判定基準線が移動したら、判断できないでしょ。

たとえば、ゴールテープを持つ人たちがカメびいきで、追いつきそうになったら片っぽの人は

カメの隣に居て、もういっぽうの人は、テープの先が常にアキレスの前に行くように、

円運動させたら、判断できないでしょう。アキレス側の人はすごい勢いでぐるぐる回らなければならないけど。

あ、アキレスも回るか。コントみたいだ。)




現実世界のアキレスとカメの間にあるのは、各々を輪郭づくる、ゼロで、

それが、別人 という意味で、


ゼロは、切れ目 という意味。

連続していないという意味。

ドーナツの穴も、同じ意味。

そしてゼロは膜みたいなものだけど膜が「有る」のではなくて、そこには何も「無い」。



別人というのは、アキレスとカメが、個々に、完全な「1」を持っているということ。


それは、0.999999…の状態では、皮膚が無い人間のようであり、

皮をむいたリンゴのようであり、あ、ちょっと違うな。




0.9999…は、確かにモノ(数)の本質だけど、もしもそれだけでヒト(=1)を表せるとしたら、

ちょっと怖いこというけど、



切られて、命がなくなっちゃったヒトと、

生きてるヒトを、同じものだと言ってると同じことだ。




ゼロの膜がない、0.999999…は、生きていられない。

ゼロの膜があって、はじめて、「1」という形を取れる。


そう思うんだ。





数の世界で、実数というのは、ただの「見た目」で、幻で、

(それは ゼロも 1も 2も みんな同じ、「見た目」、ただの区切り線というか点。

原点にゼロという数を当てるという約束だけで、本当の何も無いという意味のゼロではない)


ほんとうは、数とは、ゼロの膜を持った、「1」が、くっつきあってできている、

みたいな、世界なのだと思う。


接着されてないから、数をそのまま(1のまま)、バラバラにする事も可能だよ。

一カ所を押すとぴょこっと飛び出る。そう、ちょうど、ピアノの鍵盤みたいに。

あたしは、その「数」の手触りは、四角いグミだな。まわりに薄氷みたいな砂糖がついてるやつ。

ゼリー菓子はなんとなく違うな。(まわりの砂糖がグラニュー糖だから)

うん、そうそう、「さくらんぼもち」がぴったりだね。(駄菓子屋に売ってる、あの、つまようじで食べるやつ)




その感覚を探求したいの、

暇になったら。





ああ、もしかして、シュレディンガーの猫 って


生きてる猫 「1」

死んでる猫 「0.9999999999999999…」


ということなの?

だから 1=0.9999999999…なの?



生きてるから「1」⇔命が「無い」から「ゼロ」ではなくて、

(生きてる猫「1」 死んでる猫「0」ではなくて)、


「無い」のは、自分を自分として確立する、自分で自覚する、自分で認識する、ための、

「意識」が無い っていうことなの?

存在意志 っていうか。



だって肉体としての体は、生きてても死んでも有るよね。
posted by 辰多みか at 00:00 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする
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