2013年01月04日

ブッダの言いたかった事


あたしは仏教を勉強してこなかったんで、

wikiやら検索やらで知った事。



ブッダ(釈迦)の言いたかった事は、

今、自分が生きているこの世界は、他のものの命を奪わないと、

自分が生きていけない世界だから、

はやく、悟りを開いて、

この殺生の世界へ二度と生まれ変わらないようにしなさいよ、てことだ。



大前提として、

「自分」は死んでも、何度もまた、この殺生の世界に生まれ変わるものであり

(前世、うまれかわりがあたりまえ)

この世界は、上の方から見下ろしてみて、レベル的にはあまり良くない世界ってこと。

そして悟りを開けば、この世にはもう生まれ変わらない。

(実際、悟りをちょっと開いただけではだめで、生きてるうちに魂のレベル上げを

しないといけないんだけど)




それであたしは、仏教は、宗教じゃなくて、哲学だと思う。


ブッダの言う事は、確かにとても大事だけど、

「ブッダ」そのもの(仏像)、またその言った言葉自体(経典)を、

あがめたてまつっても、それには何の意味もない。



自分が「悟」らなければ、何の意味もない。




ブッダは、たとえば、(ほんとうにたとえば)

「自転車に乗れるようになる方法」と「自転車に乗れたら、そのあとの気分や生活や自分はどう変わるか」

を、みんなに話して聞かせただけだ。


いくらhow to本を読んだところで、自転車に乗れるようになるわけではないし、

自転車に乗った気分を味わえるものではない。


本当に、乗らなくちゃ。



「旅行本」をいくら読んでも、そこに「行った」事には、

みじんも及ばない事と同じ。



それが悟るという事。


posted by 辰多みか at 00:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

イエスの言いたかった事


あたしは、キリスト教も勉強してこなかったんで、

さらにあまりwikiも検索もせず、

ただ、どこかで聞いて耳に残っていたフレーズが、ある日突然、

腑に落ちた日の事。



それは、

「隣人を愛しなさい」「愛こそがすべて」



何度も書いてるけど、

あたしはある日突然悟った。


それはレベル的には悟りとは言わず、気づきというのかもしれないけど、

「そういう」状態の中で、一瞬だけ、目を開けた事があるんだ。

まあ、その時、あたしは、車の後部座席で、湖面を見てたから

物質としての目はずっと開いてたわけなんだけど。



意識の中で目を覚ました。



いろいろな思いがやってきた。


自分の外側はみんな鏡 だとか

人はみんなそれぞれ神様 だとか

内面はそのまま意識の外面につながっている とか

人にも物にも、すべて神様が宿っている とか




そして、「隣人を愛しなさい」の意味が、腑に落ちたの。


隣人、つまり、敵に愛さえ送れば、自分は恐ろしい事から逃れられる、というような、

そんな感じでとらえていたけれど、そうではなかった。


これは、こうやって字面で見れば「そうではなかった、って、あたりまえじゃん」て

みんなわかっている事だろうけど、

本当の意味で愛を送っている人、実際の行動でできている人は

まったくといっていいほどいない(と思う。ていうか身近にあまりいない。)。



敵が「私」に向けてくる脅威をなくす目的に使う「愛」は、もちろん本当の愛ではなくて、

ただ愛に似た形をとっただけの、詐欺的な「愛」だ。「愛」とも呼べない。

だからそれは敵には伝わらず、伝わるのは、「相手を恐れている気持ち」と

「愛に似せた卑怯な手を使ってなんとかその場をおさめようとする気持ち」


その場面が、この世界に、なんと多いことか。


ほんの、小さな事だよ。

敵とは、「私」を殺すような、重大な事をしてくる人の事(だけ)ではない。

すぐそこにたくさんある、ほんのささいなこと。


そうして、その敵を変える事は、絶対にできない。

愛 でしか できない。



矛盾みたいに見えるけど。




相手を変える事は、愛でしかできないけど、

そもそも「愛」は、相手を変える事も望んでいない。


相手を変えようと思った瞬間、「愛」は「愛」でなくなる。




それが愛だ。



イエスが言ってるのはこのことなんだ。

それを、湾曲して自分の都合の良いように思い込んでいる人のなんと多いこと。

それは聖書を勉強しているという人たち(集団)でもそうだ。

(だってもらった冊子に湾曲した事が書いてあるんだもの)


そう思った。

みんなが本当の「愛」を持てば、この世界は本当に平和になるのに。


でもあたしも、本当の愛を持ち続けるのはむずかしい。


そう思った。



そのあと、なにかに取りつかれたように、

ネットで、「北風と太陽」を検索した。

あたしの心の旅がはじまったのは、その時からだ。

「北風と太陽」の、太陽は、愛 だ。



それがその時きづいたこと。

あたしが悟りと思ってること。
posted by 辰多みか at 00:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

降りてきた言葉


「変化には痛みを伴う」



おーー、そうだよ。言葉が降りてきた。

そうだ、これは真理だ。




あたしは、この正月、ついたちそうそう、

「実家で飼ってる猫が飼い主にお土産で捕ってきたモグラが死ぬのをたまたまスマホで撮った動画」

を、実家で見た。


動画の中で、実家のみんなは猫のお土産にわーわー言っていて、そのうちモグラの背中が

腰から頭の方へ何回か波打ったかと思うと、ぴたりと止まって動かなくなった。

またみんなはわーわー言っていた。そういう映像。

実家のにゃんこの愛溢れるお土産だけど、やはりなにか考えさせられるものがあった。

(ちなみに一週間に一回は鳥を捕ってくるらしい)
posted by 辰多みか at 00:00 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする
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