2013年02月18日

DQNネームを笑えないC バカヨケ


これはね、バカヨケはね、

ポカヨケともいうんだけど、


英語では fool proof だよ。

foolは文字通り、バカ で、

proofは ウオータープルーフ(防水) て言われるように、

「通さない」みたいな感じなのかな?

だから、バカを通さない。バカに起因するミスをその先に行かせない装置・対策、という事。



それにしても、はじめて「バカヨケ」って上司から言われた時は、

目が点になったわ。「バカ穴」とかいう用語にも。

大真面目な用語なんだけどねー。


そして、その何十年後かに、fool proofという用語を知り、

はじめて、バカヨケが、英語を日本語訳した用語だという事に気がついた時は、

軽く衝撃が走ったわ。


posted by 辰多みか at 00:02 | DQNネームを笑えない | 更新情報をチェックする

DQNネームを笑えないB 水素・酸素・構成刃先


DQNネームを笑えないシリーズを書こうかなと思ったから、

いままで書いたぶんをちょっとまとめておこう。

シリーズの@は、この世界にある4つの力のことだったね。


それは、「重力」「電磁気力」「弱い力」「強い力」です。

もう、一目見て、「んっ?」て思うよね。(うしろふたつ)



ちなみに、いまさらな感じだけど、

「DQNネーム」の説明をすると、

読み方は、ドキュンネームで、

具体的に何を表すかというと、ここ数年来流行っている、

ちょっとやりすぎじゃないの?と感じる子供の名前の事。

有名な具体例をあげると、

光宙 と書いて ぴかちゅう
美星 と書いて びゅあっぷる

などです。

美星さんのご両親さんは、星は英語で あっぷる と読むと信じていたそうです。


なんか、やりきれないー。

今書きながらも、この子たちの将来を思うと人ごとながらつらいー。


ちなみのちなみにだけど、ドキュンというのは、

昔「突撃ドキュン」というテレビ番組があって、それはいろんなテーマを

とりあつかう情報番組だったんだけど、

特に好評だったのが、当時、不良やヤンキー と呼ばれてた人たちの日常を、

ドキュメンタリーで追った内容で、それで、ドキュンが、不良やヤンキーの代名詞になったんだよ。

40代以上の人たちは、みんな知ってるよね。


それで、シリーズの前段階、(シリーズ0)で、

今まであたしが、感じた、つけまちがい、誤訳だと思った「名前」は。


それは、

酸素

水素

です。

このふたつは、付け間違いと思います。逆だと思います。


工学系では、

構成刃先

です。

これは、誤訳とまではいかないけど、

もうちょっと英語の意味を汲み取ってほしかった、おしい! と感じる名前です。

構成刃先の本来の名前は、

「Built Up Edge」だから、


層が積み重なってできるさきっぽ という感じなの。
posted by 辰多みか at 00:01 | DQNネームを笑えない | 更新情報をチェックする

DQNネームを笑えないA 有理数


有理数って罪な名前。

大きな、誤訳。

本当に、日本語に訳して名前を付ける時は、しっかりしてくれないと後が困るよね。

「有理数」もそのうちのひとつだよ。

有理数は、rational number というんだよ。

比によって表す数 みたいな感じ。

だから、本当は、「有比数」にしたら、あとあと皆は困らなかったんだ。

有理数は、全部 分数で表せるんだからね。

もう、最初が肝心だから、もっとちゃんとしてほしいよね。 
posted by 辰多みか at 00:00 | DQNネームを笑えない | 更新情報をチェックする

2013年02月17日

世界は見ようによっては円なんだけど、ある一点だけは繋がってないんだ。


その繋がっていない点は、無限、のところなんだよ。

無限小と無限大が両端にある直線が、ぐる〜と回ってきて円になるんだけど、

無限のところは、つながって無いんだ〜


見た目は繋がってるんだけど。

だからもしかしたら、円じゃなくて、コイルなのかもしれないんだ。


奥行き方向に、離れていて、永遠にらせんを描くコイルなのかもしれないんだ。

この場合の奥行きは、何次元なんだろう。

少なくとも、三次元の三本目の軸ではないわ。
posted by 辰多みか at 00:01 | 四次元・多次元 | 更新情報をチェックする

シュレディンガーの猫


前も書いたけど。

シュレディンガーの猫は、


生きてる場合 1 

死んでる場合 0.99999…


だと思うよ。


もっと言うと、


1=0.99999…+0

だと思うよ。


+0というのがくせもので、

単純に + という意味ではなくて、0.99999…を包んでいる、という意味だけど。



さてさて、箱の中の猫は、どうなっているでしょう?


あたしたちが箱をあけてみるまでは、猫の生死は、わからない。

だから、別に、生死は、「どうでもいい」と、あたしたちは思ってるんだ。

だって、気になるんだったら、もともと箱を閉めなければ良い。

箱を閉めちゃった時点で、もう、猫が死のうが生き延びようが、どうでも良い。


それが、観察者としてのあたしたち。

だから、箱を開けた時点で、生死がはっきりわかれば、なんの問題もない。それで良い。


猫は、そういう扱いを受けている。

そういうことだ。


それが猫にとっての「確率」だ。

生い立ちとか性格とか、まず、何故ターゲットにされてしまったのかとか、

あとは観察者側の道徳的な考えに由来する、

「酷い扱いを受ける確率」が、高いのか低いのか。

そういうこと。



じゃあ、箱に入っている猫にしてみたらどうだろう。

猫は、たぶんもちろん、箱に入っているのは嫌だ。

箱の中でリラックスできるだろうか?


あ、猫だから、リラックスするかもしれない…。

どうしよう。


あ、まあ、いいや。

嫌ということにしておく。


猫は、たぶん、リラックスできない。

自分の命の危機を感じてるはずだ。

だから、意識をとぎすませる。

外にも意識を向けるが、自分自身を感じる意識は、よりはっきりしてるはずだ。


自分がどうなってるか、どうなるのか、常に意識する。


すると、猫は、自分自身に見られているので、

猫の状態は、生か死か、どちらかの形しか取れない。

ある時装置が発動して死ぬまでは、生きてる。


それがシュレディンガーの猫だよ。

それは、箱に入ってる猫だけじゃなくて、

箱に入ってない、あたしたちだって、同じ状態なんだよ。



本当に、自分自身に向けてる意識を、取り払える事ができたら、

そこにはきっと、生も死もない。

たぶん、どちらでもかまわない。


だって、この世界は、みんな同じ、みんなひとつ。

あたしが死のうと生きようと、

世界は、世界の全体量は、

なにひとつ、変わらない。


そこには喜びしかない。愛しかない。

生死もない。

そう思うの。

posted by 辰多みか at 00:00 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

2013年02月16日

青くなりたくない薔薇


薔薇は、青くなりたくないんだよ。


品種改良して、

青いバラを作り出すのが、

世界中の園芸家の夢なんだけど、


薔薇は、青くなりたくないの。


バラだけじゃなくて、

バラ科の植物は、みんな、


青くなりたくないの。



「あたしはすっぱいのがいいの。すっぱくてしみるくらいがいいの。にがくてぬるぬるしてるのは嫌なの。」

薔薇ってそういう思いで生まれてきたの。

「アルカリ性は嫌なのよ。」

きっとそう思ってるの。
posted by 辰多みか at 00:03 | 酸化・酸性と酸素・水素 | 更新情報をチェックする

朝起きてふとんの中で思ったことB鏡・共鳴・自由度


余談ばかりで、ちっとも書きたい事が書けない。


@Aは、はっきり言って、余談だ。あたしは毎朝起きたら、

「朝が来てありがとう」と思うって事と「光になれますように」って祈る、ということが@とAだった。

それで、とうとう、今朝、ふとんの中で思った事。


思うのは一瞬だったけど、書くのに、まあ時間がかかる事。


昨日の、神様は、円(球)で、自由がひとつ足りないな、と思ってたら、

なんで球かっていうと、それは、「見られてる」から、「球」なの。

それをふとんの中で思ったんだ〜。

量子論だね。


誰に見られてるか知らないけど、


あたしたち人間が、神様を知ろうと思って「見る」から、

(この場合の見るとは、頭の中で考えるという事だよ)

あたしたち人間に見られてるのかもしれないんだけど、



まあよくわかんないんだけど、とにかく見られてるから「球」なの。


神様の外側に何かあって、「それ」から見られてると仮定したら、、なんかちょっと怖いね。



見られてない時は、なにかっていうと、「波」なの。


「波」なんだけど、その中心には「重力」みたいな(あえて今は重力と特定しないよ)

力が存在してて、その力は、単に、「存在してる」だけなの。

そこにあるよ〜、というだけ。あと、力には大きさがあるんだよ。

でもその大きさは、形の大きさとしては、見えない。

見えない、けど、大きさを見ようと思えば、それは見えるようになる。

でも大きさ以外の他の情報が見えなくなる。

そういう感じ。

「力」がある場所と、他の場所との違いは、ただそういうことだけ。



「力」を見る目で見ると、「力」の存在だけが見えて、

まわりは、みんな波なの。

「見る目」というか、「力が見えるメガネ」かな。


で、力のまわりを見ようと思って、まわりのことに意識を向けると、


まわりが急に、「球体」になるの。

「力」の存在は見えなくなっちゃうの。

力の大きさは、この時、球体の大きさとして、目に見えるの。


うん、まわりが見えるメガネに掛け替えると、


まわりが球に見えて、「力」は見えないの。


ただ、どっちに焦点を合わせるか、だけなの。



あたしは、以前「この三次元世界に在って、二次元なるもの」を、探した事がある。

それは案外簡単に見つかった。

夜、犬の散歩に行った時。


自分の影が、地面をすべっていった。

あたしの歩くとおりに。


「あ、これが三次元中に存在する二次元だ」とすぐに理解した。

だって、影は、厚さが無い。

よ〜く、よく見て。よく考えて。ほら、厚さが無い。

でも「何か」が存在している。実際には、「存在してない」が存在してるのかもしれない。

この場合「存在してない」のは、「光」だ。

「存在してる」とすれば、それは、その名前は、「影」だ。


立体に光を当てて、影を作っても、

それは、どうやっても二次元になる。

三次元の影って、作れない、この三次元の世界では。


影の形はさまざまに変わるけど、

立体の形は変わらない。ただ位置する角度が変わるだけ。

だけど、影だけ見たら、元が同じものだなんて、想像できない。



二次元の世界で、影を作ったら、どうなるんだろう。


想像するのは難しくない。三次元の影は二次元になるのだから、

二次元の影は一次元になるのだ。ひとつ、次元が減るのだ。

二次元は平面だから、横から光を当てれば、それは一直線の、ただのいっぽんの黒い線だ。

それが二次元の影。


一次元の影は?

とても簡単だろう。一本の線の前か後から光を当てれば、それは、ただの点。0次元。



だから、四次元の影は、ひとつ次元が減って、三次元になるのだ。

四次元の世界に浮かんだ(?)、黒い立体が、影だ。

たとえば四次元の球体に光を当てて球体を動かせば、

その影は、黒い球の形をしていて、もとの球体の動きに合わせて、

大きくなったり小さくなったりするんだ。


あたしたちは、三次元に住んでいるから、四次元の球体の事が想像できない。

四次元の立方体の事は、なんとか、正確な形ではないにしろ、想像はできる。

四次元球体は、無理だ。あたしは無理だ。

できそうと思ったら、やってみて。きっと無理だよ。


四次元の球体の影の事だったら、さっき書いたみたいに、想像できる。


だから、ひとつ次元を落として考える、とか、なんとか工夫して、

高次元の事を考える事はできる。



あたしが今朝、ふとんの中で考えた事は、

「神様は見られてるから球で見られてない時は波だ」という事は、

もしかしたら三次元の事じゃないかもしれない。

実際は四次元以上で起こってる事象で、

あたしは、次元を落として、三次元的に考えてるのかもしれないんだ。



「三次元中に存在する二次元」て、影の他にもうひとつあって、

それは、鏡に映ったモノだよ。

鏡を横からみてごらん。

映った像には、厚さが無いよ。

でも、「何か」が存在している。

鏡は、影とは全く逆で、

「存在してる」のは、「光」だ。

(だってまっくらやみだといくら鏡があっても何も映らないよ)



人の心の中には、

他人と共感する、共鳴する部分があって、

それは人によって、違って、

(人は共鳴する部分を「全部」持っているんだけど、意識した共鳴装置しか発動しないの。)


ひとりの人の思いが、別の人に響きあう、

それは、「嫌な思い」の方が、響きやすいんだけど、


「嫌な思い」を反射して「嫌な思い」で世界を作る。


(ああ、これはとても誤解をよぶ書き方だ。「嫌な思い」には「正誤が無い」事を但し書きしておかないと!

もちろん「良い思い」にも「正誤が無い」。「嫌」だから悪くて「良い」から正しいというわけでは、決して無い)


ある人には「嫌な思い」だけど、またある人には、まったく影響しない場合もある。

そうやって響き合って、世界を、人は「自分だけの、自分の目に見える世界」を作っていくんだけど、


響くということは、影響 しているんでしょう?

影についていえば、先に言ったとおり、光が当たって影ができる。三次元の姿を映しているのに、その影は二次元だ。

では、音が響くとは、どういう事だろう。

音は波だけど。

音は反射すると、次元がひとつ減るのだろうか?


人が響きあうというのは、次元がひとつ減るのだろうか?


あたしは、減る と思ってる。


自分の目に見える世界は三次元なので、

響き合ってる「世界」は、三次元なので、


「自分」は「四次元」に居るの。


それがあたしの結論なの。

これは「神様を見た」時から思ってる事なの。
(今朝ふとんの中で思ったことじゃなくて)


だから、波が球になるということは、

次元がひとつ減って、n-1次元になるって事で、


それは、「見られている」という事のせいでひとつ減る。

「見られている」というのは、影ができるか鏡に映す事。

n-1は自由度とも思うから、「見られている」事で自由がひとつなくなるという事だよね。

だって、じっと見られてたら、本当に「自由」じゃないよ。ほっとけ!って叫びたくなるよ。

ああ、n-1が自由度がひとつ減るというのは、「不偏標準偏差」から持ってきたあたしの考えだよ。

不偏標準偏差=エクセル関数の、STDEV



球を求める微分式を見ればわかるけど、n-1 が出てくるんだ。

あたしは計算しない数学者を自負してるから(計算しない、じゃなくて、記号が意味わかんなくて、

できない。高校の時のも、全部忘れてる)

自分では微分しないで、ただ式を見ただけなんだけど、そうみたいなんだ。

そのへんが、カギだと思うんだ。



ブッダって、

哲学者であり、数学者であり、物理学者だったんだろうと、あたしは思うんだけど、

いつも、瞑想しながら、


こんなこと、あたしみたいなこと、考えてたんだろうな〜。

あたしは、そんな、ブッダの考えを書きのこしたものとか(平たく言うとお経だ)

過去の偉大なる数学者の書きのこしたものとか読んで、こういう思いに至れるんだけど、

ブッダと同じくらい昔の人で、まあ、ユークリッドとかもそうだし、ピタゴラスとかね、

過去に前例がないことを考えられて、すごいなって思うよ。


ほら、ものすごく長くなって、時間がかかったよ。

まだ、あたしが、朝ふとんで思った事の、半分しか書いてないよ・・・

ここまで書くのに、4時間くらいかかってるのに・・・

ふとんの中では、ほんの、数分の事だったのに。


誰か、あたしの頭の中を、映しだす装置を開発してくれたらいいなぁ。

そうしたらこんな苦労しなくてすむよ。


posted by 辰多みか at 00:02 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

朝起きてふとんの中で思ったことAうつ病


@が長くなっちゃって、全然自分の書きたかった所まで行かなかったので、分けてAを書くよ。

こうして、@を読み返してみると、「怪しさ」がはんぱないわ。

世間の人たちが宗教を一歩引いた目で見るのは、こんな怪しさを感じてるからなんだろう、

と、自分の事なのに、引いて思ってしまった。

やっぱり、体験してもらわないと、絶対、「外側」「見た目」だけでは、内容は伝わらないな。

なにを体験するかというと、「悟り体験」なんだけど。

そればっかりは、皆が体験する事ではないのでしょうがないか・・・


だから、まあ、とにかく、あたしはあたしの書きたい事を書く。

あたしが朝起きてすることは、胸が重くないかの確認と、

「光になれますように」の祈り、までで、@が

書く事いっぱいになってしまった。



ああ、胸が重いか重くないかの確認ていうのは、

それはね、


胸が重いのが毎日続くと、「うつ病」になっちゃうからね。

(うつの一歩手前までを体験済み)

だから、続かないように、日中に、「重い原因」を取り去る努力をするんだ。

そのための「確認」。だいたい一週間以上重いのが続くと、危険ゾーンだよ。

寝てる間は、取り去れないから、起きてる日中に、一生懸命、どうにかする。

たとえば、話し合い。具体的な修正案を出す。愚痴をこぼす。など。

アサーティブネスを勉強・実践するのが、一番てっとりばやくていいかもしれない。



ああ、それから、自分がうつ病じゃないかとか心配してる人がいるかもしれないけど、

うつ病は、かかったら、すぐ、わかるから。

朝、目が覚めて胸が重い、んじゃなくて!

朝、胸がはりさけそうにドキドキして目が覚める、時が、うつ病。


目が覚める順番が逆なの。


目が覚めて胸が重く感じるんじゃなくて、

胸が重いから目が覚めるの。


その時がうつ病になった時。

そして本当にうつ病になってしまったら、「自分はうつ病かも…」なんて絶対に思わない。

うつ病を認めない。

人から指摘されるのだけど、絶対認めない。

その時が、真に発症した時。



あれ、また余談で長くなっちゃったよ・・・


Bに続く。
posted by 辰多みか at 00:01 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

朝起きてふとんの中で思ったこと@祈り


あたしはいつも朝目が覚めると、まず、

胸のあたりが重くないかどうか、確認する。

あ、寝た体勢のままね。


これを確認するようになったのは、そう、つい最近だよな。

去年の10月頃からかな?

そうだ、帯状疱疹になった頃からか。


胸の奥、場所的には、みぞおちの上でのどぼとけよりは下の部分、

そこに、重くて黒いものが詰まってないか、確認する。

だいたい、朝起きた時は、夢の続きを見ている。

あたしは、低血圧のせいでパッと起きられないので、

起き上がる時間の20分以上前から、めざまし時計を鳴らしている。

スヌーズにして、4回以上は、鳴らす。

それで、時間を確認しつつ、最終的に、起きる。

その間、ずっと夢の続きを見ている。


夢は、日常生活の延長の内容ばかりだけど、

その内容に、「不安」がはいってると、胸が重くなる。

それを確認するんだ。


最近は、重くないよ。

10月の、帯状疱疹になった頃は、重い時があったなぁ。

家族のプチ介護がはじまった頃だけど、

その時の重さは、介護が原因ではない。

その前からだった。


で、今は、胸が重くない事を確認したら、

「羽毛布団はいいよなー」と暖かさを満喫しつつ、

なんか、「朝日が出ててありがとう」、と思う。

いいこちゃんな考えではなくて、漠然と、ありがとうと思う。

そう思えばいいことがあるとかいう、引き換え条件みたいなありがとうじゃなくて、

ただ漠然とそう思う。雨の日でも思う。だから、「朝が来てありがとう」だな。


そして、「光になれますように」って祈る。

前に、鳩山(元)首相の奥さまが、ファーストレディになってテレビにひっぱりだこだった頃、

「おひさまをパクパク食べるの」と言って、テレビや世間を騒がせていた。

みんな、笑いのネタにしていたけど、あたしは、「あー、わかる」と思ってた。


あたしも言葉に出せば、笑われると思ってたので、言わなかったけど、

そうなんだよ、おひさまってパクパク食べられるんだよね。

もっというと、別に食べなくても、夜寝るだけで、宇宙パワーは体に充電される。

宇宙パワーとおひさまってだいたい同じ物。

でも笑われるのがいやで言わないあたしと比べたら、堂々と言っちゃう奥さまは、

魂的に、ずっと高い所にいるんだろうな。


光になれますようにって毎日祈ってるけど、

日常生活の小さな小さな事さえも、感謝を持って出来ないから、

やっぱり光になれない。

ぷりぷり怒っちゃう。

もっというと、怒りたくて生活してるみたい。

それじゃあ光になれないわ。


毎日そんな葛藤。

あぁそう、怒ったらダメだってわけではなくて、別に怒ってもいいんだけど、

「あたしは自分の中にある、"コレ"が反応して怒ってる」って

冷静に観察できればいいんだよね。

それは光に近づく考え。


「あの人のせい、あの事のせいで怒ってる」っていう思いの中にいたままでは、

光になれないんだよね。



その、光に近づく考えで、自分を冷静に見てると、


すとーん、と言葉が降りてくる事がある。

それをその時、素直に口に出せれば、あたしは、たぶん、光にもっと近づくんじゃないかなと思ってる。

その言葉って、すごくアサーティブな言葉なんだよ。

自分でもちょっと感動する事がある。

でも、なかなか勇気がでなくて、言えたり言えなかったり。


だから、毎日祈る。

自分が光になって、世界中のみんなも同じ、アサーティブな、光になったら、

世界は平和になると思ってる。

真面目に、思ってる。

「祈る」と文字では書くけど、

やっている事は、「決意表明」のほうが近いかな。


それがあたしの毎日の朝。

あと、日が暮れると、「今日も一日すごせてありがとう」と思う。


うーん、あたしは誰にありがとうと言ってるのだろう?


世界か?


長くなったのでAに続く。
posted by 辰多みか at 00:00 | 気の交流 | 更新情報をチェックする

2013年02月15日

円や球は自由がなくてかわいそうだ。


円や球は、

完璧な形だけど、


いろんな形になれるっていう、自由が無い。

だから、n-1 なんだよね。

「だから」って、

専門書を確認してないから、適当だけど。

自由度がマイナスいちなの。これはあたしの思ってることなの。



「神様」の形があるとすれば、あたしは疑いも無く、円や球や、はたまたその上の次元の、

高次元に存在する球の仲間 だと思うけど(もはや高次元の球は人間には想像ができない)、



そうだとすると、

自由が無いよな〜、神様。


自由になりたかったのかな〜、神様。


どうなんでしょう?


自由になりたかったから、ふたつに分裂したの? 神様。



うーん、でも、そうじゃないよなー。


神様は完璧だから、自由も求めない!きっと。

n-1の形で、充分自由と思ってる、きっと!(たぶん?)


ていうか、神様は、自分ひとりで完璧で、他には何も無いから、

ただ在るだけで、それは、何も無い事と、同じ。


なんだけど、ゼロを超えて、-1になるわけじゃなくて、あくまでも、神様が居る所は、

プラスの領域。 ゼロが原点じゃなくて、1が原点。んー、1/2が原点でもいいか?

x=0 y=0の座標線に触れるのは、円(球?)の境界線(円をかたちづくるモノ)のみで、円の本体は、ゼロよりあっちへは行かない。

それが神様だー。


で、神様は、かつて完璧でひとつ、ワンネス(スピリチュアル風にいうと)だったのに、

なんで分裂して人間(精神?)がたくさんできたかっていうとー、、


いうとー・・・



1+1-1+1-1+・・・=1 で、

1+1-1+1-1+1-・・・=0 で、

1+1-1+1-1+・・・=1/2に感じるよ〜?あれ?


だからじゃないかな??


「・・・」のところは、無限に繰り返すという意味ね。



1+(1-1)+(1-1)+・・・=1

(1+1)-(1+1)-(1+1)-・・・=0

だからじゃないかな?


たぶん、量子論で、宇宙がゼロから生まれたっていうのも、

ここから来てる?



でもあたしは、あくまでも、ゼロからは生まれないと思うー。


ほぼ、ゼロの、もう、ゼロって言っちゃってもいいってくらい、ほとんどゼロの、

「有」から生まれたんだと、思うよ。


「有」はゼロじゃない。



結局、神様は、自由がなくて、かわいそうなのかな??

どうなんでしょう?

ただ、1、0、1、0、1・・・(んー、それって1/2じゃん?)

ていう、ふるえる仕様だってことなの?

波だな。

どうなんでしょう。
posted by 辰多みか at 00:01 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

四次元を見る鏡をとうとう手に入れた!!


きのう、本屋さんにいったら、

本屋さんの一角が、なぜか、パワーストーンコーナーになってた。

本屋なのになぜ・・・? まあそこはどうでもいい。

そこであたしはついに出会ってしまった。

探し求めていた四次元を見る鏡と。



なんて石か、覚えてきたつもりなのにうちに帰ってきたら、すっかり忘れてたよ〜〜

黒くて、

シルバーっぽい輝きの、

直径25mmの、


重たい、まんまるい、石。



となりには、同じ大きさの水晶玉もあったけど、

水晶玉は1890円、

この石は、840円。


とうとう手に入れたよ〜〜

思いは叶うんだ〜〜

でも、なんて名前かわからない〜〜



名前を確認しに、また本屋に行ってこないと・・・

でもこれで四次元が見えるね〜〜。



12/27に書いた日記の、


この世界の形は、

円っていうのは、



実際目に見えている、数の世界は放物線で、

それは、無限小に無限に近付くけどゼロではない所から無限大に発散する、放物線で、

でも、実際は、その放物線を違う角度から見ると円なんだよ。

それがこの数の世界が円てことだよ。


あたしが手にした四次元の鏡に、

直線を映すとどうなるかっていうと、


あたしたちが今すんでる世界にある直線は、両端は、「無限」に続いているけど、

この鏡に映すと、


なんと球面をひとまわりして、つながっちゃうよ。


うわぉ


ワンダフル。


なんか、そういうこと。
posted by 辰多みか at 00:00 | 四次元・多次元 | 更新情報をチェックする

2013年02月12日

放物線は円だったよ


いつのことだったか、

そうたしか、統計学をやってて、幾何学に入り込んだ時。


放物線って、



円を別角度から見てるな〜


と思ったんだ。


なんでそう思ったのか、

なにかヒントがあったのか、

全然思いだせないんだけど、


放物線って、


円じゃん。


と思ったんだよな〜〜


果ては無限大なんだけど、


その無限大は、つぼまってるんだ。

そう思ったんだ。


おととい、本を借りてきたんだ。


「なっとくする無限の話」という本。


図書館に、おつかいで行って、

ついでに数学コーナーで目に付いたものを借りてきたの。

あと二冊、「素数夜曲」と「コンパスと定規の数学」も借りてきたよ。

「コンパスと定規の数学」は、表紙の絵が、フリーメイソンみたいだったから、

借りてきたんだよ。

下の定規は、直定規だけど・・・

素数夜曲は、まだ開いてもいない・・・

でも読むのが楽しみ。




その、無限大の話を読んでいたら、


放物線は、円錐を切った断面だと書かれていたよ。

そうそう、これ!

円錐の断面だよ〜〜。

あたしが思ったのは。



本には、もっと詳しく書いてあって、

頂点をつなげたふたつの円錐の事が書いてあって、

うわぁすごいって思った。

あたしが感じたのは間違いじゃなかったという確認ができた上に、さらにその上を行く、素敵な考え。


あと、パスカルの定理が、景色に見えるという考え。



そう、あたしも、景色が見えたんだ、前。

そう、こんな感じだったかも。

水平線に続いてるまっすぐな道なの。

パスカルの定理って。


だから、数学が好きになったというか、興味が沸いたんだよな〜あの時。



四次元を見ようと思って、

つるつるのパチンコ玉を買いに、

石屋さんに行ったのも、この頃だったな〜。


つるつるのパチンコ玉(鋼球)に、四次元を映そうと思ったの。

大真面目だよ。
posted by 辰多みか at 00:00 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

2013年02月07日

神様の名前


神様は、


「神様」と呼ぶのが一番しっくりくるから、あたしは、そう呼んでいるのであって、


べつに、名前など、本当はどうでもいい。




あの宗教のあの神様 とか、神様といったらこれであろう、とか、

そんなふうに限定するものではなくて、


本当に、心の中に居る、「アレ」

みんなが感じる、同じ、「アレ」

の事であって、そもそも名前なんか無い。


一度、そう、たった一度、その「アレ」を経験してしまうと、

世の中の宗教の事が、いっぺんで、わかるようになる。



キリスト教も仏教もイスラム教も、そうそう日本の神道も、

みんな同じ「アレ」の事を言ってるって事が、いっぺんで、わかる。



聖書もお教も、勉強する必要なんてないんだ。

そこに真理が書いてあるかもなんて期待して、人生の時間をたくさん、

それに費やそうなんて、しなくていいんだ。


いっぺん「アレ」を経験しちゃうと、


聖書やお教の、どのページでも、パッと開いた部分が、わかるようになるよ。

「あぁ〜、なるほど」みたいな。



聖書やお教は、「悟る」という目的のためには何の役にも立たない、ってあたしは思ってるけど、

そうそう、見方を変えれば、役には立つかな。



それはね、「勉強しても何の役にも立たない」と、心の底から絶望できるって事と、

悟ったあとに、自分の体験が、本当に「悟り」体験だったのかを、確認できる事。


確認しなくても、「悟れば」おのずとわかるのだけど。

キリストやブッダと同じ境地に立てたことが、目で見て確認できること。

それが聖書やお教の役目かな。


心の底から絶望できるってところが、いいよね。

悟りへの近道は、絶望することだからね。

それは、読む事だけではなくて、体を使った苦行でも、同じだよ。

だよって、あたしは苦行はしてないけど、ブッダがそう言ってるから。

苦行や修行をいくらしたところで、「悟りたい」って思いながらやってたら、

絶対、ぜったい、ぜ〜ったい、悟れないよ。

だから、そこで絶望するわけなの。もういい、って思っちゃえばいいの。

絶望したフリしてもだめだよ。もう、本当に、心の底から絶望する。



そうすれば、悟りは、自分の中からやって来るの。

あたしもそうだったから。

posted by 辰多みか at 00:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年02月05日

白だと思ってたら黄色だったでござるの巻


昨日、新しいパンツ(下着)をおろしたんだ〜。


薄い黄色の。レモン色みたいな。



それで、トイレに行って、

なにげなく座ってたら。



壁に付いてる、トイレットペーパーホルダーが、


なんか黄色い、ほんのり?


いや、本当に黄色い!

白だと思ってたのに!



あたしの目に入るのは、座ってる自分の膝にある、自分の黄色いパンツと、


そのパンツと同じ色味の、ペーパーホルダー。



いやー何回も見比べちゃったよ。



今まで、他のパンツだった時は、

(白とかピンクとかベージュとか、紫や青もあるよ)

まったく気がつかなくて、白だと思ってたけど、

ペーパーホルダーは黄色だった!

いや実際には、白からほんのり、プラスチックが退色してなる、あの黄色、なんだけど。


同じ色味が隣にあると、気がつくものなんだね〜。



気付くというのが、どういうカラクリか、ちょっとわかった気がしたわ。
posted by 辰多みか at 00:02 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

とにかくなんか書く。とにかくなんか書くんだ。


今だに、やる気がでない。

まだ、あたしのまわりが悪くて、あたしは悪くなくて、

まわりからの抑圧が酷すぎて、自分のやりたい事ができないって思ってるから、

やらなきゃいけないことが、できない。

たとえば、部屋の整理。

草取り。

医療費の集計。

オランジェットを作る事。

フルーツケーキを作る事。




やらなきゃいけないって所が、もう、抑圧。

だって、お菓子を作るのはあたしの趣味なのに、

このふたつに限っては、義務と思ってる。

だからできない。もう3年も。

他のお菓子は難なく作れるのに。



本当は、まわりは悪くないんだよ、本当は。

あたしの心の受け取り方なんだよ。


だけど、だけど、あたしの気がまだ済まない。

全然気が済まない。


恨み事を吐いてみても、まだ済まない。

もう、どこかで発散しないと、たぶんいけない。

その方法とは、体を使って、力を使って。

(まわりに力ずくでわからせるということではない)


その具体案がまだみつからない。




とりあえず、家でできるのは、


とにかく、何か書くんだ。

そう、これこれ。

今やってる事。


あと、今までの、自分が不満に思ってた事を書き出す。

これまでも、ちょっとやってたけど。


本当は、不満を書くのが、いやでいやで、

目にしたくなくて、

今も書きたくないんだけど、


一歩進むために、やっぱり書く。

これまでちょっと書いてきた事で、自分の心がすっきりわかった、って事もあったし。



だから、とにかく、書くんだ〜〜




本当の、あたしのやりたい事は、


絵を描きたいんだ〜〜



この世界の真実を、

この世界の法則を、

数式の向こうに(あたしから)見える世界を、



描くんだ、描くんだ。



タイトルは

たぶん、数式だ。


波動関数か、

オイラーのいろんな式か、

ABC予想か、


それをね、


みんなが見えるように、描くんだよ。




そのために、



やらなくちゃ。



なにをかっていうと、


やらなきゃいけないことを。



だから、やる気を出せ〜〜あたし。



あ、その前に、映画製作支援だ。

事務局の手伝い。それはやる気まんまんだよ。

もうね、毎晩、映画の夢を見るくらい。

オーディションの人たちの熱意とか監督の世界観とか、

大勢の「気」がいっぺんに体に入ってきて、

12月は興奮してて、1月は、興奮が度を超えて、新年早々くたくただった〜。

でもがんばる。


でも、映画に関してのことは、がんばってやってるけど、あたしの「やる気」には直結してない。

映画はやる気まんまんだけど、あたしの「本当のやる気」には、全然影響してない。

だってクランクアップすぎたら、終わる事だから。


ああそう、その前も、秋は選挙で市内を走り回ったりしたけど、

やっぱりそれは、あたしの「本当のやる気」には全然直結してない。

精一杯お手伝いさせてもらって、いつも良い経験なんだけど。


やっぱり自分が、自分で、ずっとやる!って思った事でなきゃ。

頼まれたことは、短期間ですぐ終わる。



とりあえず、書いて描いて、



歌をうたいたいな〜。

体は、自力整体やるけど、


もっとへとへとになった方がいいな〜。

へとへとは命を削るって思ってるけど、


「心」のためにへとへとになるんだよ。


あたしの心のために必要なんだよ。




まわりは悪くないって、本当に心の底から思えるようになる日と、

やる気が、体から出てくる日と、

どちらが先にくるかしら。
posted by 辰多みか at 00:01 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

そうなんですって言うだけだ。


自分の個性・好きなもの・嫌いなこと・自分の見た目・自分の思ってること


全部、「そうなんです」って、言えばいいんだ。

言えばいいっていうか、本当に文字どおり「そうなんです」って事だ。


そこに良い悪いは無くて、

自分を飾る事も、偽る事もなくて、

「そうなんです」って言いさえすれば幸せになれる、というような、魔法の言葉ではなくて、

たとえば、法に触れてる大悪人でも、自分の事を全部わかっていて「そうなんです」ならば、

自分の事をわかってなくて、周りから言われる自分の事を「違う違う」って否定しながら生きてる人と比べたら、

ひとつ、レベルが上にいるんだ。



「違う違う」て人は、それこそ自分の人生を、周りの意見の否定のみに使っちゃう。

それだけで、ひとつの人生が終わっちゃう。

否定するためには、病気にだってなる。



テレビで、毒舌家と言われて、輝いてる人は、

「そうなんです」の人だ。

自分を肯定してるんだ。

(毒舌がいい悪いという話ではない。)



自分を肯定してるから、その行動・言葉には、愛があるんだ。


だから、愛のある毒舌だから、聞いてても、気持ちいいんだ。


有吉さんとか、ビートたけしとか、ダウンタウンの松本さんとか、

きみまろさんとかマツコデラックスとか、気持ちいいよね。





あたしもそうなりたいよ。


ずっとずっとそう思ってるの。
posted by 辰多みか at 00:00 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年02月04日

今すぐしあわせになること


斎藤ひとりさんという人の本を読んだよ。

スリムドッカーン の まるかんの社長さんだ。

「変な人の書いた世の中のしくみ」ていう本。



なぜこれを手にしたかというと、自己啓発コーナー(スピリチュアルとか)に在って、

「変な人」が書いてるんだ〜と思ったから。


あたしも変な人だから。





で、ざっと斜め読みしたんだけど、

これには「本当」が書いてあると思った。

それで買って帰ってしっかり読んだ。

3日で読み終わった。



この人は、「悟っている」と思った。





悟りには、多分、段階があって、

さとりっていうか、悟り後の、自分のレベル?



そう、そのレベル的には、最高が12とすると、

このひとりさんは、たぶん、9あたり? かと思った。


それか、最高が9とすると、

7くらいか? と思った。


人生のどこかで悟りがあったかどうか、書いてないのでわからないけど、

たぶん、過去生で、ある一定以上レベルにはなってたんだな、と思う。



あたしは、きづいた時、相当下にいたからなー。

ていうか、今も下だけど。



レベル上げをがんばらないとなー。


というか、がんばっちゃいけないんだよな。


肩の力を抜いてー


ほわっと


そうだよなーと思える。



ただ、そう思うだけでいいんだよなー。



今すぐしあわせと思えばいいんだよなー。



今すぐそう思えないってことは、


まだまだ恨みたい、怒りたい、不満を持ちたいって望んでるってことだよね。
posted by 辰多みか at 00:00 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする
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