2013年02月16日

青くなりたくない薔薇


薔薇は、青くなりたくないんだよ。


品種改良して、

青いバラを作り出すのが、

世界中の園芸家の夢なんだけど、


薔薇は、青くなりたくないの。


バラだけじゃなくて、

バラ科の植物は、みんな、


青くなりたくないの。



「あたしはすっぱいのがいいの。すっぱくてしみるくらいがいいの。にがくてぬるぬるしてるのは嫌なの。」

薔薇ってそういう思いで生まれてきたの。

「アルカリ性は嫌なのよ。」

きっとそう思ってるの。


posted by 辰多みか at 00:03 | 酸化・酸性と酸素・水素 | 更新情報をチェックする

朝起きてふとんの中で思ったことB鏡・共鳴・自由度


余談ばかりで、ちっとも書きたい事が書けない。


@Aは、はっきり言って、余談だ。あたしは毎朝起きたら、

「朝が来てありがとう」と思うって事と「光になれますように」って祈る、ということが@とAだった。

それで、とうとう、今朝、ふとんの中で思った事。


思うのは一瞬だったけど、書くのに、まあ時間がかかる事。


昨日の、神様は、円(球)で、自由がひとつ足りないな、と思ってたら、

なんで球かっていうと、それは、「見られてる」から、「球」なの。

それをふとんの中で思ったんだ〜。

量子論だね。


誰に見られてるか知らないけど、


あたしたち人間が、神様を知ろうと思って「見る」から、

(この場合の見るとは、頭の中で考えるという事だよ)

あたしたち人間に見られてるのかもしれないんだけど、



まあよくわかんないんだけど、とにかく見られてるから「球」なの。


神様の外側に何かあって、「それ」から見られてると仮定したら、、なんかちょっと怖いね。



見られてない時は、なにかっていうと、「波」なの。


「波」なんだけど、その中心には「重力」みたいな(あえて今は重力と特定しないよ)

力が存在してて、その力は、単に、「存在してる」だけなの。

そこにあるよ〜、というだけ。あと、力には大きさがあるんだよ。

でもその大きさは、形の大きさとしては、見えない。

見えない、けど、大きさを見ようと思えば、それは見えるようになる。

でも大きさ以外の他の情報が見えなくなる。

そういう感じ。

「力」がある場所と、他の場所との違いは、ただそういうことだけ。



「力」を見る目で見ると、「力」の存在だけが見えて、

まわりは、みんな波なの。

「見る目」というか、「力が見えるメガネ」かな。


で、力のまわりを見ようと思って、まわりのことに意識を向けると、


まわりが急に、「球体」になるの。

「力」の存在は見えなくなっちゃうの。

力の大きさは、この時、球体の大きさとして、目に見えるの。


うん、まわりが見えるメガネに掛け替えると、


まわりが球に見えて、「力」は見えないの。


ただ、どっちに焦点を合わせるか、だけなの。



あたしは、以前「この三次元世界に在って、二次元なるもの」を、探した事がある。

それは案外簡単に見つかった。

夜、犬の散歩に行った時。


自分の影が、地面をすべっていった。

あたしの歩くとおりに。


「あ、これが三次元中に存在する二次元だ」とすぐに理解した。

だって、影は、厚さが無い。

よ〜く、よく見て。よく考えて。ほら、厚さが無い。

でも「何か」が存在している。実際には、「存在してない」が存在してるのかもしれない。

この場合「存在してない」のは、「光」だ。

「存在してる」とすれば、それは、その名前は、「影」だ。


立体に光を当てて、影を作っても、

それは、どうやっても二次元になる。

三次元の影って、作れない、この三次元の世界では。


影の形はさまざまに変わるけど、

立体の形は変わらない。ただ位置する角度が変わるだけ。

だけど、影だけ見たら、元が同じものだなんて、想像できない。



二次元の世界で、影を作ったら、どうなるんだろう。


想像するのは難しくない。三次元の影は二次元になるのだから、

二次元の影は一次元になるのだ。ひとつ、次元が減るのだ。

二次元は平面だから、横から光を当てれば、それは一直線の、ただのいっぽんの黒い線だ。

それが二次元の影。


一次元の影は?

とても簡単だろう。一本の線の前か後から光を当てれば、それは、ただの点。0次元。



だから、四次元の影は、ひとつ次元が減って、三次元になるのだ。

四次元の世界に浮かんだ(?)、黒い立体が、影だ。

たとえば四次元の球体に光を当てて球体を動かせば、

その影は、黒い球の形をしていて、もとの球体の動きに合わせて、

大きくなったり小さくなったりするんだ。


あたしたちは、三次元に住んでいるから、四次元の球体の事が想像できない。

四次元の立方体の事は、なんとか、正確な形ではないにしろ、想像はできる。

四次元球体は、無理だ。あたしは無理だ。

できそうと思ったら、やってみて。きっと無理だよ。


四次元の球体の影の事だったら、さっき書いたみたいに、想像できる。


だから、ひとつ次元を落として考える、とか、なんとか工夫して、

高次元の事を考える事はできる。



あたしが今朝、ふとんの中で考えた事は、

「神様は見られてるから球で見られてない時は波だ」という事は、

もしかしたら三次元の事じゃないかもしれない。

実際は四次元以上で起こってる事象で、

あたしは、次元を落として、三次元的に考えてるのかもしれないんだ。



「三次元中に存在する二次元」て、影の他にもうひとつあって、

それは、鏡に映ったモノだよ。

鏡を横からみてごらん。

映った像には、厚さが無いよ。

でも、「何か」が存在している。

鏡は、影とは全く逆で、

「存在してる」のは、「光」だ。

(だってまっくらやみだといくら鏡があっても何も映らないよ)



人の心の中には、

他人と共感する、共鳴する部分があって、

それは人によって、違って、

(人は共鳴する部分を「全部」持っているんだけど、意識した共鳴装置しか発動しないの。)


ひとりの人の思いが、別の人に響きあう、

それは、「嫌な思い」の方が、響きやすいんだけど、


「嫌な思い」を反射して「嫌な思い」で世界を作る。


(ああ、これはとても誤解をよぶ書き方だ。「嫌な思い」には「正誤が無い」事を但し書きしておかないと!

もちろん「良い思い」にも「正誤が無い」。「嫌」だから悪くて「良い」から正しいというわけでは、決して無い)


ある人には「嫌な思い」だけど、またある人には、まったく影響しない場合もある。

そうやって響き合って、世界を、人は「自分だけの、自分の目に見える世界」を作っていくんだけど、


響くということは、影響 しているんでしょう?

影についていえば、先に言ったとおり、光が当たって影ができる。三次元の姿を映しているのに、その影は二次元だ。

では、音が響くとは、どういう事だろう。

音は波だけど。

音は反射すると、次元がひとつ減るのだろうか?


人が響きあうというのは、次元がひとつ減るのだろうか?


あたしは、減る と思ってる。


自分の目に見える世界は三次元なので、

響き合ってる「世界」は、三次元なので、


「自分」は「四次元」に居るの。


それがあたしの結論なの。

これは「神様を見た」時から思ってる事なの。
(今朝ふとんの中で思ったことじゃなくて)


だから、波が球になるということは、

次元がひとつ減って、n-1次元になるって事で、


それは、「見られている」という事のせいでひとつ減る。

「見られている」というのは、影ができるか鏡に映す事。

n-1は自由度とも思うから、「見られている」事で自由がひとつなくなるという事だよね。

だって、じっと見られてたら、本当に「自由」じゃないよ。ほっとけ!って叫びたくなるよ。

ああ、n-1が自由度がひとつ減るというのは、「不偏標準偏差」から持ってきたあたしの考えだよ。

不偏標準偏差=エクセル関数の、STDEV



球を求める微分式を見ればわかるけど、n-1 が出てくるんだ。

あたしは計算しない数学者を自負してるから(計算しない、じゃなくて、記号が意味わかんなくて、

できない。高校の時のも、全部忘れてる)

自分では微分しないで、ただ式を見ただけなんだけど、そうみたいなんだ。

そのへんが、カギだと思うんだ。



ブッダって、

哲学者であり、数学者であり、物理学者だったんだろうと、あたしは思うんだけど、

いつも、瞑想しながら、


こんなこと、あたしみたいなこと、考えてたんだろうな〜。

あたしは、そんな、ブッダの考えを書きのこしたものとか(平たく言うとお経だ)

過去の偉大なる数学者の書きのこしたものとか読んで、こういう思いに至れるんだけど、

ブッダと同じくらい昔の人で、まあ、ユークリッドとかもそうだし、ピタゴラスとかね、

過去に前例がないことを考えられて、すごいなって思うよ。


ほら、ものすごく長くなって、時間がかかったよ。

まだ、あたしが、朝ふとんで思った事の、半分しか書いてないよ・・・

ここまで書くのに、4時間くらいかかってるのに・・・

ふとんの中では、ほんの、数分の事だったのに。


誰か、あたしの頭の中を、映しだす装置を開発してくれたらいいなぁ。

そうしたらこんな苦労しなくてすむよ。


posted by 辰多みか at 00:02 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

朝起きてふとんの中で思ったことAうつ病


@が長くなっちゃって、全然自分の書きたかった所まで行かなかったので、分けてAを書くよ。

こうして、@を読み返してみると、「怪しさ」がはんぱないわ。

世間の人たちが宗教を一歩引いた目で見るのは、こんな怪しさを感じてるからなんだろう、

と、自分の事なのに、引いて思ってしまった。

やっぱり、体験してもらわないと、絶対、「外側」「見た目」だけでは、内容は伝わらないな。

なにを体験するかというと、「悟り体験」なんだけど。

そればっかりは、皆が体験する事ではないのでしょうがないか・・・


だから、まあ、とにかく、あたしはあたしの書きたい事を書く。

あたしが朝起きてすることは、胸が重くないかの確認と、

「光になれますように」の祈り、までで、@が

書く事いっぱいになってしまった。



ああ、胸が重いか重くないかの確認ていうのは、

それはね、


胸が重いのが毎日続くと、「うつ病」になっちゃうからね。

(うつの一歩手前までを体験済み)

だから、続かないように、日中に、「重い原因」を取り去る努力をするんだ。

そのための「確認」。だいたい一週間以上重いのが続くと、危険ゾーンだよ。

寝てる間は、取り去れないから、起きてる日中に、一生懸命、どうにかする。

たとえば、話し合い。具体的な修正案を出す。愚痴をこぼす。など。

アサーティブネスを勉強・実践するのが、一番てっとりばやくていいかもしれない。



ああ、それから、自分がうつ病じゃないかとか心配してる人がいるかもしれないけど、

うつ病は、かかったら、すぐ、わかるから。

朝、目が覚めて胸が重い、んじゃなくて!

朝、胸がはりさけそうにドキドキして目が覚める、時が、うつ病。


目が覚める順番が逆なの。


目が覚めて胸が重く感じるんじゃなくて、

胸が重いから目が覚めるの。


その時がうつ病になった時。

そして本当にうつ病になってしまったら、「自分はうつ病かも…」なんて絶対に思わない。

うつ病を認めない。

人から指摘されるのだけど、絶対認めない。

その時が、真に発症した時。



あれ、また余談で長くなっちゃったよ・・・


Bに続く。
posted by 辰多みか at 00:01 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

朝起きてふとんの中で思ったこと@祈り


あたしはいつも朝目が覚めると、まず、

胸のあたりが重くないかどうか、確認する。

あ、寝た体勢のままね。


これを確認するようになったのは、そう、つい最近だよな。

去年の10月頃からかな?

そうだ、帯状疱疹になった頃からか。


胸の奥、場所的には、みぞおちの上でのどぼとけよりは下の部分、

そこに、重くて黒いものが詰まってないか、確認する。

だいたい、朝起きた時は、夢の続きを見ている。

あたしは、低血圧のせいでパッと起きられないので、

起き上がる時間の20分以上前から、めざまし時計を鳴らしている。

スヌーズにして、4回以上は、鳴らす。

それで、時間を確認しつつ、最終的に、起きる。

その間、ずっと夢の続きを見ている。


夢は、日常生活の延長の内容ばかりだけど、

その内容に、「不安」がはいってると、胸が重くなる。

それを確認するんだ。


最近は、重くないよ。

10月の、帯状疱疹になった頃は、重い時があったなぁ。

家族のプチ介護がはじまった頃だけど、

その時の重さは、介護が原因ではない。

その前からだった。


で、今は、胸が重くない事を確認したら、

「羽毛布団はいいよなー」と暖かさを満喫しつつ、

なんか、「朝日が出ててありがとう」、と思う。

いいこちゃんな考えではなくて、漠然と、ありがとうと思う。

そう思えばいいことがあるとかいう、引き換え条件みたいなありがとうじゃなくて、

ただ漠然とそう思う。雨の日でも思う。だから、「朝が来てありがとう」だな。


そして、「光になれますように」って祈る。

前に、鳩山(元)首相の奥さまが、ファーストレディになってテレビにひっぱりだこだった頃、

「おひさまをパクパク食べるの」と言って、テレビや世間を騒がせていた。

みんな、笑いのネタにしていたけど、あたしは、「あー、わかる」と思ってた。


あたしも言葉に出せば、笑われると思ってたので、言わなかったけど、

そうなんだよ、おひさまってパクパク食べられるんだよね。

もっというと、別に食べなくても、夜寝るだけで、宇宙パワーは体に充電される。

宇宙パワーとおひさまってだいたい同じ物。

でも笑われるのがいやで言わないあたしと比べたら、堂々と言っちゃう奥さまは、

魂的に、ずっと高い所にいるんだろうな。


光になれますようにって毎日祈ってるけど、

日常生活の小さな小さな事さえも、感謝を持って出来ないから、

やっぱり光になれない。

ぷりぷり怒っちゃう。

もっというと、怒りたくて生活してるみたい。

それじゃあ光になれないわ。


毎日そんな葛藤。

あぁそう、怒ったらダメだってわけではなくて、別に怒ってもいいんだけど、

「あたしは自分の中にある、"コレ"が反応して怒ってる」って

冷静に観察できればいいんだよね。

それは光に近づく考え。


「あの人のせい、あの事のせいで怒ってる」っていう思いの中にいたままでは、

光になれないんだよね。



その、光に近づく考えで、自分を冷静に見てると、


すとーん、と言葉が降りてくる事がある。

それをその時、素直に口に出せれば、あたしは、たぶん、光にもっと近づくんじゃないかなと思ってる。

その言葉って、すごくアサーティブな言葉なんだよ。

自分でもちょっと感動する事がある。

でも、なかなか勇気がでなくて、言えたり言えなかったり。


だから、毎日祈る。

自分が光になって、世界中のみんなも同じ、アサーティブな、光になったら、

世界は平和になると思ってる。

真面目に、思ってる。

「祈る」と文字では書くけど、

やっている事は、「決意表明」のほうが近いかな。


それがあたしの毎日の朝。

あと、日が暮れると、「今日も一日すごせてありがとう」と思う。


うーん、あたしは誰にありがとうと言ってるのだろう?


世界か?


長くなったのでAに続く。
posted by 辰多みか at 00:00 | 気の交流 | 更新情報をチェックする
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