2013年02月17日

世界は見ようによっては円なんだけど、ある一点だけは繋がってないんだ。


その繋がっていない点は、無限、のところなんだよ。

無限小と無限大が両端にある直線が、ぐる〜と回ってきて円になるんだけど、

無限のところは、つながって無いんだ〜


見た目は繋がってるんだけど。

だからもしかしたら、円じゃなくて、コイルなのかもしれないんだ。


奥行き方向に、離れていて、永遠にらせんを描くコイルなのかもしれないんだ。

この場合の奥行きは、何次元なんだろう。

少なくとも、三次元の三本目の軸ではないわ。


posted by 辰多みか at 00:01 | 四次元・多次元 | 更新情報をチェックする

シュレディンガーの猫


前も書いたけど。

シュレディンガーの猫は、


生きてる場合 1 

死んでる場合 0.99999…


だと思うよ。


もっと言うと、


1=0.99999…+0

だと思うよ。


+0というのがくせもので、

単純に + という意味ではなくて、0.99999…を包んでいる、という意味だけど。



さてさて、箱の中の猫は、どうなっているでしょう?


あたしたちが箱をあけてみるまでは、猫の生死は、わからない。

だから、別に、生死は、「どうでもいい」と、あたしたちは思ってるんだ。

だって、気になるんだったら、もともと箱を閉めなければ良い。

箱を閉めちゃった時点で、もう、猫が死のうが生き延びようが、どうでも良い。


それが、観察者としてのあたしたち。

だから、箱を開けた時点で、生死がはっきりわかれば、なんの問題もない。それで良い。


猫は、そういう扱いを受けている。

そういうことだ。


それが猫にとっての「確率」だ。

生い立ちとか性格とか、まず、何故ターゲットにされてしまったのかとか、

あとは観察者側の道徳的な考えに由来する、

「酷い扱いを受ける確率」が、高いのか低いのか。

そういうこと。



じゃあ、箱に入っている猫にしてみたらどうだろう。

猫は、たぶんもちろん、箱に入っているのは嫌だ。

箱の中でリラックスできるだろうか?


あ、猫だから、リラックスするかもしれない…。

どうしよう。


あ、まあ、いいや。

嫌ということにしておく。


猫は、たぶん、リラックスできない。

自分の命の危機を感じてるはずだ。

だから、意識をとぎすませる。

外にも意識を向けるが、自分自身を感じる意識は、よりはっきりしてるはずだ。


自分がどうなってるか、どうなるのか、常に意識する。


すると、猫は、自分自身に見られているので、

猫の状態は、生か死か、どちらかの形しか取れない。

ある時装置が発動して死ぬまでは、生きてる。


それがシュレディンガーの猫だよ。

それは、箱に入ってる猫だけじゃなくて、

箱に入ってない、あたしたちだって、同じ状態なんだよ。



本当に、自分自身に向けてる意識を、取り払える事ができたら、

そこにはきっと、生も死もない。

たぶん、どちらでもかまわない。


だって、この世界は、みんな同じ、みんなひとつ。

あたしが死のうと生きようと、

世界は、世界の全体量は、

なにひとつ、変わらない。


そこには喜びしかない。愛しかない。

生死もない。

そう思うの。

posted by 辰多みか at 00:00 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする
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