2013年04月30日

在る。ただ在る。


この間、4月27日の夜。

寝ようとふとんに入った。


あたしの心の中には、

表の顔と、

裏の顔と、

裏の顔とは、下心とか、そういうもの。


そして、その下には、

見ないようにふたをしていた、自分の本心があって、

さらにその下に、本当の自分が居る。


そう思って、順々に、心の階段をおりていった。



裏の顔の下に来たとき、


見たくない本心のフタはいつもは開かないけど、

その時は、ちょろっと、開いた。


あたしが言った。

表の顔のあたしが。

フタの中に向かって。


「あたしはそんなこと思わない。」

「あたしはそんなことやらない。」

「そういうことをやる人は軽蔑する。」

「それは悪い事だ。」



フタの中からは、声は聞こえなかった。


いつもはね、たぶん、なにかキッカケがあって、

突然フタが開くのだと思う。

フタで押し込められていた"あたし"が、

泣き叫びながら、フタを思いっきり飛ばす勢いで

開けて飛び出してきてたのだと思う。


でも、どうして"あたし"はそんな事をするのか、

表の顔のあたしも、フタの中のあたしも、

全然理解できてなかったんだ。


フタの中は、あいかわらず、静かだった。

たしかに、その中には、あたしが居るんだけど。


「悪い事だ。」

もう一度、表の顔のあたしが言った。


そういえば、"あたし"は、そのフタがある事さえ、

見ようとしなかった。

フタも、その中のあたしも、無いものとして、生活してきた。

無い物、というか、亡き者。



それが、ここ最近、フタがあってその中にあたしが居る、と、

実感するようになった。

ここ最近、というのは、2回、「できたよ!」って思った時。


「自分を愛するという事」は、このフタの中の自分を認める事だと、ネットで読んだ。

この自分にOKをあげることだと。

そして、それは正しいという事でも悪いという事でもないという事だと。

でも、できない。思い込めない。あたしにはできない。

そんな自分にOKをあげるなんて。

マルをあげるなんて。

どうすればそれができるの? そんなふうにあたしは悩んできた。


「悪い事だ。」

表の顔のあたしは言い続ける。


その時、突然、どこかで声がした。

フタの中からか、

表のあたしか、

わからないけど。



「ある。ある。」

「有る。」

「在る。」



フタの中のあたしは、


在る、ただ、在る。


それだけだった。

それがいかに悪かろうと、

どう考えても悪い、とあたしは一生判断し続ける感情なんだろうけど、


たしかに、「ある。」



そうだ、これは、神様の言ってた事と同じだ。





そう思った。

そう思ったら、眠ってしまった。


次の日、目覚めて、



「在る。ただ在る。」

そう思った。



認める、というのは、それでよし、ということではない。

日本語が難しいけど、

それで良し だと、意味が違う。

それで悪し でいいんだ、という事。


いいんだ、でも、意味が違う。

だから言葉で表せない。


良いとか悪いとか、判断なしで、「ある」と認めるんだ。


今まで、「無き物」「亡き者」として、見ないふりをしていたものを、

ただ、見る、だけでいいんだ。

"見ないふり"も、言葉が違うな。

見ないふり、ではなくて、自分自身は、「無い」と信じてるから、

そもそも「ある」とさえ思ってないんだ。


それはね、本当に苦痛を伴うよ。

人生に苦行があるのならば、これこそが、真の苦行だ。

だって、自分の中にあってはならないと信じていたものが、存在しているのを見る。

苦行と称して、いくら滝に打たれようと、断食しようと、

この「見ること」以上に、苦しい事は、たぶん無い。

死ぬことさえ、これよりは、苦しくないはずだ。


posted by 辰多みか at 23:00 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年04月27日

ちかくにマスターがいたわ


あたしは、

掃除機をかけている時とか、

車を運転してる時とか、

あたまの中が、ぐるぐるぐるぐる、この日記にかいてあるような事で

うずまいている。

ここに書けるのは、その1/10くらい。

全然時間がない。


あと、あたしの仕事は、頭を使う仕事なので、

仕事をはじめようとすると、頭に、まさに、文字通り血がのぼって、

思考も活性化されるので、ちょっとこのぐるぐるの方に気を取られると、

仕事そっちのけで、考えぬいてしまう。それか、自動書記みたいに書き出す。

今がそう。


どうにかしたいんだけど、ほんと。


で、ぐるぐるぐるぐる考えて、それが本当に本当か、インターネットで検索する。

で、いつも、本当だ、と結論がでるんだけど、それ以上に収穫があったりする。

「悟り」の瞬間は、えもいわれぬ幸福感があるとか、

(あたしは無かったよ) いろいろ。


で、まさに悟りのマスターとよべる(あたしが勝手に)ような人たちがいっぱいいて、

その人たちのブログをお気に入りにいれてたまに見たりしてるんだけど、

そのうちのおひとりが、実は、同郷ということが、ゆうべ判明した。

わー、これを探していたんだよ〜。


今まで見ていた人たちは、


イギリスのひと。

奈良のひと。

沖縄のひと。

大阪のひと。

住所不明(関東っぽい)のひと。


とかいたんだけど、これは本当に近くだ!

嬉しい! 道場もある! なんとかセミナーとかと違って、安いぞ!


と興奮してしまった。

やー、この春なにか、あたしに新たな動きが起きそうだわ。
posted by 辰多みか at 23:01 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

雅子さまとあたし


天皇御一家の事を書くなんて、と思われるかもしれない。

けど。

あたし。


雅子さまが目を覚まされたら、ちょっぴり世界が変わるかも、と思ってる。

いえ、変わった方がいいとか、そういう責任が雅子さまにあるとかいう事じゃない。


雅子さまを見てると、

まさに、目覚める直前の頃のあたしを見ているようだ。


たとえていうなら、さなぎの状態。

(目覚めた時が蝶として)


もう機は熟していると思うんだ。

雅子さまを皇太子妃としてじゃなく、ひとりの人間として、応援したい。

なぜ雅子さま限定の話かというと、テレビや週刊誌で、よく見る人だから。

なんだそりゃ〜な理由だけど、ただそれだけだ。

そうでなければ、きっとなかった、縁。


明日、皇居の近くまで行く用事があるんだ。

オランダに行かれるから行き違いになるかもしれないけど、

今ここから、明日そこから祈るよ。


雅子さま、もうひとふんばりだよ。

きっと目覚めた(悟った)瞬間は、





心の底から大笑いができるよ。
posted by 辰多みか at 23:00 | 自分 | 更新情報をチェックする

見極めは矛盾してるかしてないか


「愛」の反対は「恐れ」で


真理による行動が愛で、そうでないものが恐れ。


どちらかを見極めるには、


まあ、見極めなくても、恐れからくる行動だなって、その事象からもう

ぷんぷん臭って来る事の方が多いけど。



行動・言動に矛盾や嘘が入ってるものが、「恐れ」だよ。


なぜ「恐れ」に矛盾が入っている(ように見える)かというと、

実は、「真理」の方こそが、"一見"矛盾しているように見えるからだよ。


「真理」は、(真理は、イコール神様だよね。真理=神様)

下が上で、中が外なの。

ひとりが全員で、

白が黒で、

光が闇なんだよ。

だから、それに照らし合わせると、「恐れ」の方が、矛盾しているように見えるんだよね。

うまくできてるよね。

↑このへんは、いくら言葉で、文字で説明しても、伝わらない。

いちど「悟り」(気づき)をしてもらわないと、絶対に共有できない感覚だから。

だってお釈迦様やキリスト様が、2000年以上も前から言ってるのに、

いまだにみんなわからないでしょう…。




たとえば、ある人の場合。

「病気になって困っている」はずなのに、

やたらと病気アピールしてきて、出血したのに、ニコニコ笑ってみせてくる時。

お医者さんから、「それはただの老化」と言われて、まわりのみんなは、大病じゃなくて

よかったね、と言いたいのに、本人は全然喜んでない場合。むしろ病気と言われなくて

ショックがかくしきれない場合。


その時の、「ある人の心の中」を、

あたしはこう感じるんだ。

まず、なぜ"そう"感じるかというと、あたし自身、同じ経験があるからだ。


どう感じるかというと、

まず、その「ある人」が常に思っている事は、どんな人に対しても

年下であれば、

「こどもだから、年が若いから、『できないにきまっている』」

まあ、自分より年が下ということは、経験年数が少ないから、できない と

思っちゃうのは、ある程度わかることだけどね、言われてるこっちは理解はしたくないよね。

しかも、この「ある人」は、常にこれを言葉にも出しているんだよ。

「ある人」だとわかりづらいから、仮にAさんとしよう。


そして、その『できないにきまっている』が、Aさんの、すべての

行動の動機のベース(基礎)なんだ。

まあ、すべてというと語弊があるかな。1か100かじゃないよ!といわれそうで。



その動機は、相手に対する「愛」じゃないんだ。

『できないにきまっている』というのは、相手を信頼していないって宣言してると同じ事だよ。

そして、その心の中は、じわじわ外ににじみでてくるから、まわりの人もなんとなくわかっちゃう。


Aさんが勝手にきめつけた、『できない』相手を、フォローするつもりで、

Aさんはなんでも先まわりしてやってしまう。

そしてそれは「いい事」だと思っている。

やっていいことと思うばかりか、感謝されて当然とまで思っている。

そして、フォローした分、フォローし返してもらって当然と思っている。


だって相手は、『できない』んだもの。

あたしは、これをやられた。(あたし以外のみんなもやられてるんだけどね。受け取り側の

許容量の違いだ。あたしは許容量が少ないよ。)


一番にあたしの自我が心の中で叫んだことは、

「親切のふりを押しつけるな! あたしをバカにするな!」だった。

それは、いまでも変わらない。

でもね、あたしは変わろうと思ったんだ。それはね、とても長くなるから、

あとで数カ月かけて書くよ。だから別の話ね。


Aさんも、

当然人間だから、万能じゃないんだ。「できない事」もあるのだ。

そんな事、どう考えてもあたりまえなんだけれど。

「これはできない」と、口に出して言う事もあるのだが、

それは自分をカモフラージュするため、あえてそう言う。


Aさんは、本当に「できない自分」に理由をつけるため、

病気になっていった。

病気というか、調子が悪い。

病院に行って、いくら検査しても、「命がどうとかいう病気ではない。

老化の一種」といわれる。

そして、先生から心配ないと言われても、全然嬉しそうじゃない。

また、病気をさがす。

「目」だったり「足先」だったり、

なぜあたしが、「おかしい」とか、矛盾に感じるのか、それは、

言いだすタイミングが常に変だからだ。

一週間に一回会う、いつもの主治医ではなくて、はじめて会った当直医に、

「3カ月前から気になっていた」自分の別症状を話す。

おいおい、そういうことは、主治医に話せよ。

まるで自分の思い通りの事を言ってくれる先生に出会うまで、

永遠にさすらうかのようだ。

(だって、この時で、5人目の先生だよ。

そしてこの先生も"思い通りの事"は言ってくれなかった。)



なんどもなんども、自分の症状・薬について、書いてまとめたいから

あたしに、一緒に薬手帳を見てほしいと言う。

それは、このあいだやったばかりだから。

あたしに病気をみせるためにやっているとしか思えない。

本当に治る気があるの?

こうすればいいよ、とアドバイスしても、それから逃げようという姿勢しか見えない。



いろんな事をまのあたりにして、常にあたしが感じるのは、

あたしが中学生の頃、部活が嫌で不登校になった時の事だ。


あたしは友達にさそわれて、一番苦手な運動部に入ってしまったのだ。

なんとなく中学生になったら体が大きくなって、運動もできるように

なるかもしれないと錯覚してしまったのだ。

あと、違う小学校から来てはじめて友達になった子に気を使ってたのがすごく大きいんだ。

そう、あたしは、いい人と思われたかったんだ。断って嫌われたくなかったんだ。


だけど、運動部はきつかった。

だんだん足が遠のいてしまった。

部活をやらず、隠れるように帰って一週間ほどたったころ、

先生と部員全員に呼び出された。あたりまえだ。


あたしは、なんとか部活をやらない理由をひねりだした。

冷や汗がだらだら出て、自分は悪くないけど、やりたい気持ちがあるけど

体の調子が悪い、と言ってしまった。

あたしはその時、せきばらいをしていたみたいだ。

全然意識してなかったけど。


先輩のひとりが言った。

「ただやりたくないだけなのに、わざとせきばらいをしないで」

あたしは思いがけない事を言われて、ショックだった。

まわりのみんなは、お見通しだったのにね。


ついでにいうと、あたしは小学校のころから何年も、耳鼻科の病院に通っていて、

その理由は、鼻のつまりとせきばらいだったんだ。

原因はわからず、精神的なものかもしれないと。

ただ本当に鼻とのどに違和感があるんだよ。それは誓って本当だ。

今も治ってないし、今思うと、チックかな、と思うけど。


あたしは、がんばって毎日部活に行きます、とみんなの前で誓った。

けれど、その次の日、やっぱり行けなかった。

そしてその次の日の朝、体の調子が悪くなりますようにと祈った。

ちょっと頭が痛い気がした。熱を測ってみた。いつもより念入りに。

そうしたら、37度を超えていた。


あたしは、ものすごくほっとした。


堂々と、学校を休んだ。



次の日も、37度を超えていた。

風邪をひいていたわけではない。


そんなこんなで、一週間休んだ。

でも、逃げ切れなかった。


本当に体の調子が悪いのだから、あたしは悪くない。

そう思って学校に行ったのだけど、先生は見逃さなかった。

問い詰められて、あたしは部活をやめた。

先生と部員たちは、あたしを軽蔑した目で見ていた。友達も。


でも、二度と関わらないから、とあたしは、自分を正当化して、守った。

けど、あたしは、自分は悪くないと正当化するために、病気を使った、と、気付いていた。

それがあたしのその後の行動・思考のベースになった。

みんなには、とても迷惑をかけたけど、


あたしは、その経験は宝だと思っている。

本当に悪かったしつらかったけど。



Aさんを見ていると、それを思い出す。

病気が治ると、『できない自分』を正当化する理由がなくなってしまう。

病気があってこそはじめて正当化できるんだ。

つまり、『自分は悪くない』んだ。

だから、絶対に病気を手放さない。


病気を治したいといいながら、主治医の指示にも従わない。

だって従ったら治っちゃうもん。

正確には、治る病気ではないので(老化だから)、不快な症状が緩和

されるという意味。


この間、Aさんから「主治医の指示には、体が悪いからできないと言いたいから、

あなたから先生に言って」という趣旨の事をとても遠まわしに言われ、

あたしは、ものすごく理不尽に思いながらも、その願いをかなえてやった。

ちゃんと、言うセリフも確認してから。


だってあたしは、Aさんの言う事は絶対聞かないといけない、年下の若輩者 だからだ。


あたしは先生にこう言った。事前にAさんに確認とってあったセリフだ。

「先生に、なるべく歩くようにとアドバイスいただきましたが、本人は、頭がふらふらするので

できないと言うんです。もし他にできる事がありましたら…」

先生はあたしが言い終わらずに、

「できるよ!」と一蹴した。

「Aさん、できるよ! 問題ないよ。やらないとだめだよ」


Aさんが先生を見つめているその目は、だんだんと、涙目になっていった。

赤らんだ目で口をぽかんとあけたまま、固まって動けなくなっていた。



あたしは、はやく気づかないかな〜と、いつも思って見ているんだ。


だって、はやく真理にきがつかないと、また生まれ変わってしまうよ。

この苦行の世に。

まあ、本人がそうしたいんなら、そうすればいいんだけどね。

一度、Aさんと、真剣に話しあった時に「あなたはまだ眠っている」とつい言ってしまった。

そんなこと言ったって、人というのは、目覚めた時に、はじめて

「あ、自分は眠ってた」と気がつくわけで、

寝てる人にそんなこと言っても、理解できないよね〜。

と、自分でもわかっていながら、つい言ってしまった。



それで、あたしはそんなAさんを苦々しく思ってたわけだけど、

(『できないにきまってる』と常にあたしを否定しにかかってると感じてたから)

Aさんは、自分を正当化するために、一生、病気が治らないんだ。とあたしは気がついた。

それだったら、あたしの復讐は、もう済んでいる。

だって、Aさんは、一生しあわせになれない。

これが前回書いた呪いの正体で、

呪いとは、自分が自分にかけているんだよ。のろってしばる。まさに呪縛だ。

他人が他人にかけるんじゃない。自分が自分にかけるの。



自分が病気を招いているということに気がつかなければ、Aさんは一生幸せにならない。

Aさんが幸せになるためにやらなければいけないことは、

「自分は病気でできないから、それを認めて」、と、まわりに訴えることではなく、


「病気ではなくても『できない自分』がいるんだ」、と、自分で自分を認める事であって、

さらに、『できないにきまってる』からだめ と、押し込んだ、自分自身に、

いいよ、と言ってあげる事なんだ。

(本当は、「いいよ」というのは、語弊なんだけど、

そのものズバリの言葉が無いからこう書くしかない。)



だって、人間は理由があって、過去に自分自身を押しこんだ経験を持つんだけど、

その「自分自身」は確かに存在してるわけで、いつもいつも

「ここにいるんだよ、認めて。」と、


泣きながら叫んでいるんだから。

posted by 辰多みか at 23:00 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

呪い・呪縛の正体


怖いタイトルだね。

でも正体がわかっちゃえば、怖くないよ。

正体がわからないうちは、本当に、本当の意味で怖いけどね。


あたしは、とうとう、「呪い」の正体がわかってしまった。

数年前に「悟り」があったのも、正体の本質まで、

自分を掘り下げて行った時なんだよ。

でもその時は、「悟り」体験が先に来てしまって、

呪いの正体が何か、自覚するまで至らなかったな。


「悟り」体験というのは、


自分の中に神様がいる。

みんなの中にも神様がいる。

世界中(宇宙中)、全部神様だ。やおよろずの神はこのことだ。

実はぜんぶひとつの神様なんだけど。

そして、世界を動かすのは、「愛」でしかできないということ。


というのを、体感する事なの。自分の中から勝手に湧き上がってくるの。

文字で書くと、あたしの体験した事以外の意味合いにも受け取られそうで、

まどろっこしく感じる。

どうすれば真実が伝わるのだろう。


そう、呪いの正体とは、


相手を嫌悪する事。

相手が加害者だと(無意識で)きめつける事。



なのだけれど、そう、そんな事、いまさら書かなくても、悪い事だって知ってるよって感じるだろうけど。


実は、この思いには、180度+180度で、さらに、高さ方向があって、

まるでらせん階段かバネみたいに、最初から自分たちが認識してるモノとは違うのだ。


同じに見えるけど、実はひねくれて360度まわってるんだ。

そういうカラクリがあるの。


「自分は悪くない」と思いたい、自己防衛システムが、カラクリになってるの。

相手がすべて悪くて、自分は悪くないと思いこむ事。

それが呪いの正体なんだよ。




だから、相手を嫌いつづけると、

なんと、自分が幸せになれない。


だって相手のせいで不幸せなんだから、

自分が幸せになっちゃったら、相手が悪くなくなっちゃう。


それにあたしは気付いた。

これは、もっともっと掘り下げて書きたいの。

まだまだ続きがあるから。


でも、自分を見つめるのって、勇気がいるんだよ。

「それをしたら、あたしが無くなっちゃう。」って言うの。

あたしの中であたしが、「あたしがいなくなっちゃう。」って言うの。

だから、見つめられないんだよ、みんな。



このテーマも、書こうと思いだして、3日もほっておいてる。


というか、まだ、全然核心を書いてないのよ。

書きたいのに書けない。


もう、数か月かけるつもりで書くわ。
posted by 辰多みか at 23:00 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

いつも見る夢


あたしには、

いつも見る夢がある。


夢の中に出てくる建物の事なんだけれど、


それが、いつも同じなの。

おなじ、というか、細かくは、違うんだけど、

あたしは、それらが全部同じものをイメージしてると思って見てるみたいなの。



それは、ホテル。

学校のように、横に長い建物なんだけど、

建物の左右の端には、エレベーターがあるんだ。

そのエレベーターは、何十階も、上に行くんだよ。

建物自体は、3〜4階なのにね。(毎回高さは違う)


エレベーターは、だいたい、48階とかまで有るかな。

あたしは、一度も最上階までのぼったことは無いよ。

ほとんどは、エレベーターに乗り込んで、降りる夢で、

そのエレベーターの中の、階を表す光る丸いボタンや、

電光掲示板を見て、48階まであるんだ…と思うという夢。


左右のエレベーターの間の建物は、客室なんだけど、

2階と3階は、お風呂なんだよ。

どちらかの階が、男湯で、

どちらかが、女湯。


そして、一階か、一階からつながる外に、

広大なトイレがあり、


広大なっていうのは、全体の大きさが大きいということで、

個室ひとつひとつは、ふつうの大きさ。

そして、なんで広大かというと、トイレ(便器)が、ものすごくたくさんあるの!


トイレの個室の横に個室があり、(普通のことだと思うかもしれないけど、

となりの個室に行くには、その横の個室の壁のドアからしか行けないんだ。

つまり、ひとりで、何個もトイレを使えるけど、他の人は使えない、というか

行けない。)薄暗くてジメジメしていて、とても用を足したいと思える雰囲気ではない。


便器が汚いなどは無いけど、ほんとうに、使うのをためらう雰囲気。

お墓ではないけど、お墓にも似た雰囲気。

ボロボロの木造の時もあったよ。

その時、あたしは夢の中で、「ここは(京都の)鴨川だ」と思っていた。

鴨川の河川敷に降りたことないのにね。それに今の鴨川とは違うし。



今朝見た夢も、そんなイメージの建物だったよ。

今日は夢の中で、その建物の案内図を見たんだ。

左右に高いエレベーターがあり、

客室は、ひとつだけのものが、そのエレベーターと同じだけ、上に積み重なっていて、

エレベーターの間の建造物は、今日は、渡り廊下だったな。


エレベーターが高すぎて、避雷針が、それより低い所に設置してあるんだよ。

それを見て、あたしと主人は、ぞっとした。意味ないじゃん、て。

文字通り、エレベーターの最上階は、雲の上なんだ。


あたしは主人といっしょにそのホテルに宿泊していて、

エレベーターじゃなくて、階段をどんどん降りているんだ。


ひとつ降りたところの、踊り場で、

そこに置いてある掃除道具で、床掃除をして。


きれいになったら、また下に降りて。また踊り場を掃除。


みたいなことを延々とする。


早く降りたいのに、掃除しないといられなくて、

無心で掃除してしまう。


そんな夢。(あ、いつもは掃除なんかしないよ。いつも見る夢というのは、

建造物の事だから)


一階まで降りて行ったら、その建物は、実は巨大客船だったんだよ。

船着き場についていて、勝手に上陸できるようになっていたけど、

みんな、自由に出入りしていいのかしら、

と思ったら、夢が終わった。



その高いエレベーターがある建物って、

なにを象徴してるのかね。


posted by 辰多みか at 23:00 | 自分 | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

神様の名前・かみさまは体感できる


かみさま は。


名前を付けたとたん、


真のかみさま ではなくなってしまうのだ。



なんでかというと、

その名前に、縛られてしまうから。


あたしの理屈でいうと、名前が付いた事で、神様の自由度がひとつ減ってしまうから。


(だってかみさまなんだから、どんな名前だっていいじゃん!!

どんな名前もつけられなきゃ、神さまじゃ、ないでしょ)

だから、じつは、「かみさま」という"名前"も、ほんとうはダメなんだ〜〜!



具体的にいうと、


かみさまは、水 みたいな状態だとする。あくまで、たとえね。

かみさまは、H2O(エッチツーオー) だとする。


すると、かみさまに、「水」って名前をつけた場合、

かみさまを体感(いわゆる「悟り」)できた人は、わかるけど、

まだ体感できてない人は、「水」以外は、かみさまじゃないって思っちゃう。

「お湯」はかみさまじゃない、と思うし、

「水蒸気」もかみさまじゃない、と思っちゃう。

「氷」も。



かみさまを体感できた人は、かみさまは「水」って名前だけど、

実体は、「エッチツーオー」なんだな、と、わかるよ。

だから「お湯」も「水蒸気」も「氷」も、神様。



今度はたとえば、かみさまは、「つめたい水」という名前だとする。

この場合、神様を体感した人は、実際に、かみさまはつめたい水の状態だけである、と感じたということ。

神様って、目に見えるんじゃなくて、体感(感じる)ものだから、

感覚の方がより近い感じもする。



この場合は、さっきとは違って、「つめたい水」が神様なんだから、

「お湯」と「氷」は神様じゃないよ。

まぎらわしいけど、あくまで、たとえね。


つめたい水に手を入れて、どこまでつめたいと思うかは、人それぞれだよね。

同じ水をさわっていても、つめたいと思うか、ぬるいと思うか、

生まれ育った環境でも違うよね。


だから、かみさまを体感してない人には、どれが「つめたい水」の温度か、わからない。

一度でもかみさまを体感(悟り)していれば、「つめたい水」の温度は、体が覚えているんだよ。

それで、悟った人は、神様が、どんな名前でよばれてても、

全部同じことをいってるんだな、とわかるけれど、そうでない人は、

わからない、という状況がでてきてしまうの。


わからない人たちが無理して理解しようとした「つめたい水」がひとり歩きしてしまうの。

みんながみんなの解釈をしてしまうんだよ。

真理(ほんとうの温度)は、ひとつなのにね。

それは、キリスト教とイスラム教のかみさまが、実はおなじものなんだ、とわかるようになるか、

一生わからないでいて、お互いの神さまは別物で自分の方が優れていると主張して、

宗教対立するかどちらか、という事と同じこと。



たしか聖書だったか、かみさまには名前がなかったんじゃないかな??



かみさまは、なまえがないのが本当だけど、あえて名乗ろうとすれば、


「在る」


「私は、『在る』」


だったでしょ。


あたしは、それが、本当に正解だと思うんだ〜。「在る」という意味も含めて。
posted by 辰多みか at 23:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

「あなたはそのままで十分素晴らしい」と呼びかける事の弊害


スピリチュアルブログとかで、かな?

「あなたはそのままで十分素晴らしい」という呼びかけがある。

これは、本当に、真理なんだけど、

本当に真理で、なにひとつ間違ってないんだけど、

人によっては、違った意味にとってしまう、ある意味とても怖い言葉。



そう、聞く側の、心の気づき度の深さ(レベル)的に、

腑に落とせるレベルの人と、そうでない人がいる。

「そうでない人」は、腑に落とすのではなく、頭で納得してしまう。

(納得しようと無理する)


腑に落とせるレベルとは、前記事の、3.に気づいている人で、

「そうでない人」は、3.に気づいていない人だ。


そういう初心者レベル(言い方が悪いかな)の人がこれを聞いた場合、

人によっては、モラルハラスメントに走ってしまう場合があるよ!

「あなたはそのままで十分素晴らしい」から、

相手を恨みに思ってるままでも充分素晴らしいから、


恨みのある相手を相手取って、正当防衛をしてしまうのだ。

それがモラルハラスメントだ。


それも本人は、「恨み」とは思っていない。

「相手」からやられた言われたすべてを我慢した、かわいそうな自分と思ってる。


その心理状態を、先の、3. だって気がつけばいいんだけど、

なかなか、なかなか、なかなか〜〜気がつかない!!

なかなか気がつかないのにも、ちゃんとした理由(カラクリ)があって、

その理由とは、生存の危機を回避するため だ。

つまり、死なないため だ。

何が「死なないため」かというと、生命体としての自分ではなく、

積み重ねてきた自分の過去の経験・記憶 だ。

よくきく言葉でいうと、「インナーチャイルド」。

ほかの言葉では、「エゴちゃん」

「自我」「マインドステージ」などかな? 詳しく覚えてないから、

記憶ちがいになりそう・・・それはまずいから、間違っていたらあとで

直しておこう・・・




その初心者レベルの人は、実は、あたし でした。

これから、数日(数か月?)かけて、その記録をつづっていこうと思う。


この日記の一番最初に書いたけれど、一度「悟り」があったんだけど、

そのあとすぐ、その感覚を忘れてしまった。

その感覚をもう一度思い出すために、あたしは、この日記を書き始めた。

それでね、最近いろいろな事があって、ようやく思いだしてきた。

「悟り」の段階のレベルまで思いだしてきた。

そう、3. を思い出した。


だから、ようやく、この日記の、目的が果たせる時がきたんだよ。
posted by 辰多みか at 23:01 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

ないものねだり

人って、自分に無いものがほしいよね。

自分が持ってないから、欲しいんだよね。

モノじゃなくて、心の話なんだけど。


自分が持ってない?

自分に、無い?



いいえ。

いいえ。



本当は、有るんだよ。

だれでもみんな、同じものを同じだけ持っているんだよ。

ただ、持ってないと思いこんでるだけだ。

そう思いこむのには、自分にとっては(←ここが大事!) 正当な理由があるんだけど、


ないよ〜無いよ〜と、自分が言うから、

「無いと思われてる感情」は、「有るよ!在るよ!なんで気付かないの!」と怒るわけ。

それが心のカラクリなんだよなぁ。



これが起こるのは、


1.表の顔(いちばん表面・他人が物質の目で目視できる部分)

2.裏の顔(その下・自分で自覚してる部分・いわゆる、タテマエを言う時の心理状態・本音の部分)

3.その下の、自分が気付かない部分

4.その下に、本当の自分

5.その下に、神様。


の、3.あたりで起こってることだと思うんだよなぁ〜。


この、3.あたりに気がついた時に、あたしは「悟り」があったんだよなぁ。

で、一気に、5.まで行った。



ついでにいうと、1.〜3.までは、人間関係で、傷ついたりするけど、

4.と5.は、傷つかない。

全体が、球体だとすると、

1.〜3.までの層の部分は、ボコボコにへこんでみえていたり(本当はへこんでいない)するんだけど、

4.はつるつるの完全な球体。

そして、5.神様は… 

自分の中では一番下(奥)の層にあるように見えるんだけど、

本当は、ぐる〜んと、一番外になるんだよ〜。

一番中なのに実は出口、みたいな。

クラインのつぼ みたいなんだ〜。

ブラックホールにも似てるかも。


(だから、やっぱり心は、三次元で表せない。

四次元的な、なりたちなんだよ、きっと。)



あ、注意してもらいたいのは、「ほしい」という感情は、

「自分にとって正当な理由」の働きによって

「ほしいと思っていない」という感情に、みせかけられているんだよ。


まず、そこに気がつくのが先決だ。


そしてそれ「ほしい」という感情は、自分が一番見たくない感情なんだよ。

その見たくない感情を見つめるのが、「苦行」なんじゃないかと思うんだ。
posted by 辰多みか at 23:00 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

2割と残り8割の法則のつづきのつづき


パレートの法則 2対8、8対2

80対20 でもいいし 8割対2割 でもいいけど。

2対6対2 でもいいけど。




人の心の中で。

真の自分(芯の自分) があるとして、

それが、自分の中を占める比率は、80%で。

その80%は、なんと、他の人と、まったく同じ成分でできていて、

あとの残り表層20%は、自分の色 の部分。

自分の色とは、表の顔・裏の顔・自分できづかない自分の三層の事。



でね、80%の、他の人とまったく同じ成分のところは、



愛 で




できているんだよ。

と、あたしは、感じる。

posted by 辰多みか at 23:04 | 日本ミツバチから学んだこと | 更新情報をチェックする

パレートの法則とベッセル点


もうすでに日本ミツバチから遠く離れちゃったけど。


パレートの法則って、


ベッセル点のことなんじゃないかな〜って思うんだ。

違うかな〜。

そしたら、まあ、20%でもいいんだけど、22%くらいだね。

ベッセル点だとしたら、重力が関わってくるな〜。

ちなみに、エアリー点ではないと思うな〜。

エアリー点だったら、21%くらいだね。


まあなんにせよ、究極にバランスを取ってるというわけだ。
posted by 辰多みか at 23:03 | 日本ミツバチから学んだこと | 更新情報をチェックする

2割と残り8割の法則のつづき


これはもう、完全に日本ミツバチから離れるけど。

2対6対2の法則。

どこかできいたお話。


とある人のまわりに、10人の人間がいた場合、

10人のうちひとりかふたりは、必ずその、とある人の事を嫌いで。

その人を大好きと思ってるのも、ひとりかふたりで、

あとの残った6〜8人は、その人の事は特にどうでもよい。


なんだって。


比率の話だから、人数が多くなれば、当然、嫌い・好きの人数も変わるよ。

100人いたら、20人はあなたの事を嫌いで、20人はあなたの事を好き。



だからキリストの弟子13人の中に、裏切り者がいたのは、当然の事だったんだよね。

だから、自分もしかしたら嫌われてるかもってふと不安になっても大丈夫。


「嫌われてるのが当然」で、それは、なんと、自分のせいではなくて、

そういう法則だからなんだよ。あ、パレートの法則というんだよ。


そう思うと、ちょっと心が軽くなるよね?
posted by 辰多みか at 23:02 | 日本ミツバチから学んだこと | 更新情報をチェックする

2割と残り8割の法


これはね、ハチを見て学んだのではなくて、なにかで読んだ事。

蜂だったか、蟻(アリ)だったか、どっちだったかな?

まあ、どちらも生態が似た昆虫だから、同じなのかもと思いつつ…


働きバチには、働くハチと、働かないハチがいるんだって。

その割合の比は、働かない2:働く6:よく働く2 だそうです。

だから、ある研究者は、その、2割の働かないハチ(あ、やっぱりアリだったかも)

を、巣から、出してしまったのだ。

当然、巣には、働きものしか残ってないよね。

ところが…残ったハチの中から、やっぱり働かないハチが2割出現したという。

これは、フラクタルで…たぶん、、最後の一匹がいなくなるまで(?)

ずっと続く…延々と続く。


素数の現れ方の、逆を見ているような気もするわ。

自然対数の底がここに出ているんだわ?。


その2対8は、必然性があって、そういう結果が生まれる。

ハチの世界では、「2割が働かなくても良い社会」の法則があるということ。

これは人間だって同じだよね。

ひとりぐらしをしていれば、当然家事は全部自分でやるけど、

ふたりで暮らせば、どちらか一人がやればいいし(世論的にいい悪いは別にして)、

家族がとても増えれば(ある一定以上のn値があれば)、

家事をやる人の必要人数は、たぶん一定の計算式であらわせる人数になるよね。
posted by 辰多みか at 23:01 | 日本ミツバチから学んだこと | 更新情報をチェックする

蜂が気になる人と気にならない人


まだ結婚する前、

学生時代の友達と、よく旅行に行っていた。

4人グループで。

ある時、ラベンダー畑を見に行こう、ということになった。

北海道は遠いから、近場で、長野県。


ラベンダーは、それはそれはきれいだったよ。

いくらかお金を出すと、花の摘み放題ができたから、みんなでやってみた。



すがすがしい青空に、すがすがしい香りの紫のラベンダー。

花には、ミツバチがたくさん来ていて、メルヘンの世界。


花摘みには、蜂が邪魔だったけど、

最初、蜂を見て、うわっと言ってた(あたしを含め)仲間たちも、

しばらく見てるうちに、蜂がなんにもしないのを確認してからは、

何も気にせずに、花を摘みだした。

逆に、蜂を手で払ったりするほうが危なそうなので、

蜂さんちょっとごめんね〜、とか、どくまで待ってるね〜みたいな感じで、

みんなで花摘みをしていた。

けれども。


ひとりだけ、どうしても、蜂がダメな子がいた。

みんなが「だいじょうぶだよ〜」と言って、どんどん花を摘んでいっても、

その子は、動けないのだ。


花の間の通路で、「こわい〜こわい〜」と言ったまま、足がすくんでしまってるのだ。

飛んでくる蜂にも、過剰に反応して、右へ左へよけまくり。

そのうち、冷や汗で顔がテカテカしだした。

血の気がひいて、テカった青い顔。

さすがにそれを見て、みんなやばいと思いだして、

花摘みをやめて、「降りよう」と言って、花の山を降りた。


途中で、ソフトクリームの屋台があって。

「食べようか?」とみんな色めきたったけど、その子は、

「怖すぎて、胃が痛い…」と言うので、食べなかった。


こわがりすぎだよ〜、と思う3人と、とても耐えられない1人。

この違いはなんなのだろう。

その子には、運悪く(だと思うけど)怖い思いをさせちゃったけど、

どちらの思いにも、正解は無い。


人の心というのは、

そういうことだと思うんだ。

この場合は、目に見えた事だけど、

だいたいの事は、目に見えない。


だから、自分で、自分の心の、形がはっきり見えてくるまで、

よ〜く見る(観察)する事は、とても大事だと思うよ。

posted by 辰多みか at 23:00 | 日本ミツバチから学んだこと | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

またできた


できたよ。また。

二度目の できたよ だよ。


こう来ると、真っ暗いトンネルに、一筋光が見えた気がする。
posted by 辰多みか at 23:01 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

気にしなければ目に入らない。4千匹の蜂に囲まれてても。


蜂を飼ってるんだけど。

まあ、どうして飼ってるとかはいいとして。

分蜂(ぶんぽう・女王蜂の巣分かれ)がはじまったんだよ。

一回目は、見られなくて、残念だな〜と思ってたら。

次の日、蜂は二回目の分蜂をした。


あたしは、庭を歩いていて、

その渦中にいたんだけど、


全く、気がつかなかった。


蜂がぶんぶんあたしのまわりをとびまわっているのにね。


前提として(あたしの蜂に対する許容スペック)、

毎日、蜂は、ぶんぶん飛んでるんだよ。花を求めて。

ただ、おとなしい日本ミツバチだから、あたしと蜂の距離がいかに近かろうが、

蜂は絶対に刺してこない。

蜂は飛びながら、あたしをよけてくれる。

だから、あたしがぶんぶん飛んでる蜂の中につっこんでいったとしても、

あっちがよけてくれるから、当たらない。

だから、あたしのまわりにどんだけ飛んでても、

怖がる必要もないし、よけなくたっていい。


その分蜂の時も、蜂はあたしをよけて、ぶんぶん飛んでた。

四千匹くらい。

いつもは、まあ、いても100匹くらいじゃないかな?


でも、まったく、あたしはその四千匹を、ふだんと同じに感じてしまった。

まったく、気にならなかった。


だってよけてくれるしね。



なんで気がついたかというと、

となりの森から、ものすごい大きな蜂の羽音が聞こえたから。


蜂は、うちの庭からとなりの森まで、

一面、黒い雲みたいになってたわけだけど、


森の方からの羽音で気がついたんだ。

そう、ふだんはそこから羽音はしないからね(花が無いから)


それで我に返ってまわりを見てみたら、


あたしのまわり蜂だらけだった。


あたしは、蜂の黒い雲の中にいた。


でも、全然気にならなかったし、

気がついた後も、怖くもなんともない。


ただ、分蜂のかたまりをつかまえて新しい木箱に入れなければならないので、

その点だけでは、焦った。

ただそれだけ。


いくら四千匹の蜂の大群だとしても、

気にしてなければ、目にも入らないし、気にならない。

一般の人は、それはそれは怖いだろうね。

あたしも蜂を飼う前のあたしだったら、パニックだったろうと思うよ。

この時期、ミツバチの大群に関する通報がたくさんあるというのも、わかるよ。




そう思った春の日だった。

ああ、日本ミツバチだったら怖がらなくてもいいけど、

スズメバチは別だからね。

そんなにたくさんのスズメバチが、もし自分のまわりを飛んでたら、

いちもくさんに逃げなきゃいけない。

そういうこと。

posted by 辰多みか at 23:00 | 日本ミツバチから学んだこと | 更新情報をチェックする

2013年04月16日

できた


できたよ。

怒りが一瞬で沸いたけど

それを乗り越えられたんだ。


怒りを鎮めたわけじゃない。

我慢したわけじゃない。

自分を偽ったりもしないし。

相手を責めたわけでもない。


5分くらいかかったけど、

自分が今怒ってることを、最大限まで、心の中で怒って。

あたしの中の何が反応して怒ってるのか。

相手があたしに何をしたか。

相手はどんな気持ちであたしに言ったか。

人にはたぶん顔が3層くらいあって、

あたしは、一番上(表面)を見せようとカモフラージュしてる二番目の相手の顔に怒ったけど、

本当はその下に三番目の顔があって、

そこは、あたしの反応と同じなんだって思った。

へんな言い方だけど、もちつもたれつだと思ったこと。

そこまで思った。

そしたら、なんか

怒りが、もういいよ。みたいに、なった。


そしたら、

「できた!」って、思った。

すっきりしたよ。

それまでは、もう今からカラオケに、マジで行ってやる、とまで思ってたのに。

ああ、できたよ。

posted by 辰多みか at 00:00 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

37を好きな人がいる


娘のクラス。

自己紹介で、「好きな数字は37です」といった生徒がいたんだって。


ああ、まあなんとなくわかるよ。素数だし。なんか特別な素数なんでしょう。


その生徒が言うには、37は111を割りきれるんだって。


222〜999までも割り切れるんだって。


ああ、それはあたりまえだろ。111を割り切れるんなら。



あたしは、特に37は好きじゃないな〜。

なんでだろう。


特別視するより、あたしは、

なんか図形で考えたい気がする。

テトリスみたいなブロックで。

あと、37進数とか。





特別な素数なのかな〜。

あたしは、なんかあんまり好きな感じじゃないな。

特別とも思わないな〜。


この黄色い感じと、きみどりな感じが落ち着かない。

37って、「菜の花」を見てる感じがする。


111は、まっしろだよ。

222はピンクだ。

posted by 辰多みか at 00:03 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

また世界平和をいのってきた


昨日、京都(大阪も)行ってきたんだ〜


新選組ゆかりの地を巡る旅。

(念のため言っておくけどあたしは腐女子ではない。乙女ゲーとか全く興味ない)


そこで、壬生寺で、いのった。

「世界平和」を。

それって、イコール、自分を愛するってことだけど。

世界中のみんなが、自分を愛すれば、世界はOKってことなんだけど。

まあ、今生で、そこまで目覚めないことを選んで生まれて来てる人も

いると思うんで、どうなのかな〜とは思うんだけど、

やっぱり祈る機会があれば祈っておこうかと思って。

新選組ぜんぜん関係なくて新選組の人たちには悪い?んだけど。


まあ、やっぱりいのれる時には祈っておくわ。
posted by 辰多みか at 00:02 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

この世の形


前も書いたかしら?


書いた覚えがないから、もしかしたら書いたかもしれないけどまた書いちゃう。


この世はね、

うーん、この世界というか、数の世界。


頂点がくっついた円錐型で、

頂点の所は、見かけ上のゼロで、

円錐のすそのは、無限に続いているの。上と下に。


そうそう、豊橋市のマークみたいなんだよ〜。



「ある事象」は、


円錐と交差する、平面で、


交差する角度は、任意に決める事ができて、

その平面が円錐を切る切り口は、円だったり、

楕円だったり、放物線だったりするんだよ。


これは、本に書いてあった事だなぁ。

でもあたしも本を読む前からちょっと感じてた事なんだよ。

posted by 辰多みか at 00:01 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

反対言葉は反対にならない。


昔から不思議だなと思ってたこと。

反対言葉をとなえても、全然反対にならない。


たとえば、こう。


あたしはあなたが嫌い。


反対言葉は、


あなたはあたしが好き。


どうだ?

「あたしの気持ち」は反対になってるかな?
なってないね〜。
なってないねというか、どうなのか、さっぱりわからない。


たとえば、こう。


このアイスクリームは冷たいです。


反対言葉は、


あのホット脱脂乳は温かいです。


やっぱり反対にならない。

どうなってるかっていうと、鏡にうつしたむこうがわっていうか、

対極してる何か というか、

なんかそんな感じ。


それがね、それが、この世のすべて(?)だと、

うーん、なんていうか…この世の理(ことわり)だと、

あたしは思うんだ。


そうだね、かみさまがふたつにわかれたのも、

こんな感じなんじゃないかなと思うんだ。


posted by 辰多みか at 00:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする
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