2013年05月17日

虹は6色


虹はね、

たぶん6色だわ。

7色じゃないわ。

マゼンタ・赤・イエロー・緑・シアン・青(ちょっと紫っぽい)

こうだわ。きっと。


赤・緑・青 で 白 ができて

マゼンタ・イエロー・シアンで 黒 ができるよ。



「真理」が「白」であり「黒」なのは、

120゚の三つ巴の位相が、

ちょっと(60゚)右にずれる、または左にずれる、だけなんだね。

あと、光源が、前になるか後ろになるか、ていうだけの話。

やっぱり神様(真理)って、デフォルトで


「振るえる仕様」なのかも。


posted by 辰多みか at 23:02 | 光子・陽子・電子・素粒子・量子 | 更新情報をチェックする

観念する


観念する

観念する

悟る



わぁ。


観念する

観念する

悟る



わぁぁ。


すごい言葉だ!!

昔の人は知ってたんだね!!


もういっちょいくと、

必死になる

観念する

観念する

悟る


これだ!!




必死になる=もうね、死ぬほどつらいの。

観念する=あきらめるの。絶望するの。死ぬのもあきらめるんだよ(ココ重要!!)。

観念する=念を観るの。本当の自分の内側を見るの。
 かぶっている仮面と、なぜその仮面をかぶったかを観るんだよ。

悟る=自分の内側の、仮面の下が神様で、そしてそこは、広大な外側だという事を知るんだよ。




観念おし!(笑) わぁぁぁ。

そういうことかー。

悟れなかった人が、別の意味に受け取っちゃったんだねー。



「必死に観念すれば悟れます」これだねー。

でも、悟った事のない人には、絶対に絶対に伝わらない言葉なんだよなー。
posted by 辰多みか at 23:00 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

2013年05月16日

どうしても仕事をしたくないみたいだわ。


あたしの仕事は、頭を使うから、

仕事をしている間は、それ以外に頭を使えない。

音楽を聴くこともできない。

ただの雑音になっちゃうから。

まさか、数学が大嫌いだったあたしが、

毎日毎日三角関数を使うようになるとは思わなかったわ。

まあ、仕事のおかげで、数の世界の美しさを知ったし、

いいこともいっぱいあったけど、

とりあえず、あたしが直面している問題は、


仕事をしたくない!!

仕事がはかどらない!!


あー、文字でも、なんか表現したら、

ちょっとすっとしたわ。


これ、思い切り声に出して言ったら、

精神面で効果あるかな?


いろいろ、いろいろ、自我とか、

責任転嫁とか、

被害者面とか、


「仕事をしたくない」という結論に達するまで、

あたしは、長い旅をしてきたわけだけど、


やっぱり、どうごまかそうとしても、

やりたくないみたいだ、ね。


他にやりたい事があるみたいだ。


差し迫っては、

この日記を書きたい事。

心の内面についていつも考えていたいこと。


「悟った」時に見た景色を、表現したいこと。

日記もそうだけど、

芸術で。

絵で。

漫画で。

アニメで。

映画で。

その思いから逃れられない。

あとね、数学者になりたいの。

数の美しい世界を、芸術で表現したいよ。




仕事はね、

きついよ〜。

だいたいフルでやってた時は、毎日残業があたりまえだったし。

女だったから、なんか法律上で問題があったみたいで、

それを回避するために、あたしは、デザイナーという扱いだったし。

あ、これ言っちゃまずいことだったか?

あ、でも今も同じ立場だし。


きついんだ、きつい。


朝起きてから、すぐさま家事だ。

まあ、主婦が2人いるからいちおう分担になってるけど、

あんまり精神面では助かってない。

家事をすばやくこなしたら、すぐさま仕事だ。

だって、時間をいっぱいかけないとできないことだから。


それで乗ってきた所で、もう中断なの。

昼ごは〜ん

の、したく。

うちは自営業だから、昼どきでもなんでも、

常に大人が4人いるよ。

昼は適当〜とか、できない。

作って食べて片づけて洗濯物入れ。

でまた、すぐさま仕事。

仕事は、「潜る」。頭の中に「潜る事」

一度潜るとなかなか出てこないから、はかどるけど、

潜るのが、大変〜。

なかなかもぐれない。もう年だからか。ほんとたいへん。

で、中断されると、また潜るのが大変だから、ほんと、くだらない用で

呼んでほしくないわ。


夕方、

ゆうごはんのしたく。

その前に畑に行ったり、

つくって食べて片づけて犬の散歩に行って、

一階を片づけたら今度は二階を片づけて

お風呂入って、


やっとすわるのが9時すぎだよ。

家族の用で、夜買いものに行くこともある。

もうそこで、あたしはなんにもしたくな〜い。

日記も書きたくな〜い。

ネットを見るのも。


でも、自分の時間だからな〜と思って、

できなかった仕事をもうちょっとやろうかと思って、

パソコンつけると、

ネット見ちゃったり。


もうね、

疲れたんだよ。


去年帯状疱疹になった日の、

その日、一日だけ書いた日記があって、

それを見ると、

「今日ゆっくり座ったの、1時間半くらい」と書いてあるよ。



だから、もう疲れたんだ。


いつこの日記をつけてるかというと、朝と、

仕事やってて、急に集中の糸がとぎれる、その瞬間だよ。

だから、仕事はず〜っとやってるけど、

はかどらないの。


もうね、やりたくないの。

もういいよね?

いいって言ってほしいよ。



ほんとはね、

今すぐ自分でやめればいいんだよ。

でも、それができないから、

まわりのせいにしてるんだ。

それがあたしの「自我」なの。
posted by 辰多みか at 23:02 | 自分 | 更新情報をチェックする

この世はスパイラル


「答え」は平面にあるようにみえるけど、

実は、立体(三次元)の中に存在してる。

なぜかというと、このあたしたち(の体)がいる世界が三次元だから。


でも、その「答え」には、実は奥行きがあって、

三次元に対する奥行きは何か、というと、四次元なの。


あ、何度もいうけど、四次元は、時間軸じゃないからね。

この場合、ただの、空間の四次元だからね。

SFじゃないからね、時間軸関係ないからね。



「あの人が嫌い」という思いには、

実は自分が気付けない奥行きがあって、

その、真意、「答え」は、360度まわって存在してるの。

そして実は、一周だけじゃなくて二周も三周もして、存在してるんだよ。



その、奥行きに気付く事が、「自我を見る」という事なんだよな。


今、わかりやすく、360度ねじれて、と、二次元的に言ったけど、

実際は、四次元だから、

360度がもうあと2回かそこら、各軸単位で回転するんだけど、

三次元のあたしたちの頭ではとうてい理解できないから、二次元的に、

360度、ということにしておくね。

イメージして♪



それで、ねじれを横から見ると、コイル状になってるの。

端と端は、永遠に、無限大につづくんだよ。


コイルというか、

スパイラルになってるというか

バネみたいの。





コイルの間隔というか、見た目の形は、

あたしの想像でいくと、


「自然対数の底」じゃないかな。


ふないっぱつにはついっぱつにはつ だよ。

e=2.718281828…

バネというか、ネジ山とすると、ネジピッチは1で、

角度がつく元は、うーん、根拠は、自然対数の底なの。


それでコイル(またはネジ)は、回転するたびに、

虚数空間と実空間(そんな言葉あるか?)をいったりきたり

うーん、横切ったり??


うーん??


そう、地球が回るたび、昼と夜になったり、みたいな。



そうなるんだ。iの2乗=-1 だよ。

オイラーの公式・オイラーの等式を、この世に、心の世界に、

神さまの世界に、あてはめて考えたいの。あたし。





あと、それと同時に、

この世は、ただの透明な丸い玉だよ〜。

で、その玉が存在してる次元が、四次元以上だから、

あたしたちには、その形がとうてい想像できない!

平面上にその玉のことをスケッチしようと思ったら、

ただの円でしか描けないんだけど、

実物は、とうてい想像できない! 三次元の物質であるあたしたちの目からは、見る事もできない!

で、玉の体積は、「1」なんだよ〜。



それでね、この玉の輪郭はゼロなんだよ〜。

というか、輪郭がゼロじゃないと、「玉」っていえないの。

ゼロというのは、「輪郭が無い」という意味じゃないよ。

輪郭がゼロだから、「玉が無い」という意味でもないよ。


他とつながっていない、というのが、「輪郭がゼロ」という意味だよ。

ドーナツの穴と同じ意味だよ。


あたしの言う事、伝わってるかなー。




ちなみに、「輪郭」が、本当に無くなっちゃう場合、

「つながりが無い」がなくなっちゃう場合、

体積は、0.9999999999…になって、


死んじゃうの。

遺体だけ残るの。

遺体が0.99999…なの。

「1」は、生きてるの。


まあ、神様の輪郭は無くならないんだけどね。神様だけはね、たぶん。

人間の場合が、こうなの。

で、死んだら魂は「つながりがある」世界へ行くんだよ。

まあ、行く、というより、そこが、そこで、そのままつながってるというか…

どこか別の場所に行くわけじゃない。



そして、また、それらと同時に、

この世は、円錐を頂点でふたつくっつけた形なんだよ〜。

円錐のすそのは、それぞれ永遠に、無限大に続くんだ。

これは数の世界の形なんだけどね。



3つは、みんな違う形にみえるかもしれないけど、

三次元のあたしたちが想像できない、多次元のことだから、

いろんな形をとるのであって、本当は、みんな、おなじものを言ってるんだよ〜。

うん、たぶんね。


そう、地球の地図を表そうとしたとき、

平面に書くと、

地球儀以外は、正確に表せなくなるということと、同じなんだ。

メルカトル図法とかモルワイデ図法とか、あったじゃん。

あれみたいな感じと思って。

イメージして。

この世を。
posted by 辰多みか at 23:01 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

世界平和の祈り


あたしは、

人類が全員悟ったら、

世界から争いはいっさい無くなると思うよ。


で、今、


キリスト教で祈るみたいに、

顔の前で手を組んで


「世界が平和になりますように。皆が悟りますように」と

祈ったんだけど、


コレ、自分の中からの導きで、今までもたまにやってたんだけど、



祈りながら、



あれ〜? 神様は、


平和も望んでないわ〜



と、

思っちゃった。

というか、

もともと知ってたっけって、

再確認。



神様は、

なんにも望んでない!


戦争も望んでないけど、

なんと平和も望んでない!


ありゃりゃ〜


そうか、それでこそ、神様か。



神様は、

「どうでもいいよ♪」と

言ってるだけだわ〜。


そう、文字どおり

「どう在っても良いよ」と

言ってるよ〜。
posted by 辰多みか at 23:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月15日

あたしはあたしの完全な味方だった。


今日あった事。


あたしは、同居嫁だから、

舅・姑には、絶対服従だと思っていた。

意識的にも無意識にも、

「嫌われたら終わり」と思っていた。

よくよく意識的に考えると、絶対そんなことないんだけどさー。

なんだろ、意識的な無意識っていうか、

「絶対そんなことないんだけどさー」といいながら実はそれはごまかしみたいな?

自分が存在できなくなるかもという意味不明な恐怖というか。

それにうすうす気づきながらホントには気付いてなくて、

気付いたと思ってたことさえも、存在の恐怖に対処するごまかし術みたいな?

うーん、そんな感じで思ってたということを、思ってた。



ちなみに、旦那様には、何でも話した経緯があるから、

(神様の話とか気の話とかいろいろ。まあ話半分という感じで聞いてるみたい。)

この、上記二名のように「嫌われたら終わり」とは今は思ってない。


というか、もう、この地点を超えている。

なんかあたし的には絶対的な安心感がある。

それでも「嫌われたら終わり」は本当なんだろうけど。

あたしは良くなる方にしか行かないから、絶対大丈夫的な、何かがある。



それで、とても無理して、良い嫁を演じてきた。

まあ、世の中の嫁たちが通る道だね、

わざと悪い嫁を演じて、逆説的に良い嫁になるよう、

ねじれた演技もしてきた。(なんて複雑なの)

それでね、それにあたしは気付かなかったわけよ。


全然無理してなーい、あたし自然体、みたいに思い込む演技をしてたわけよ。

無意識に。

なんて複雑なの。


んで、苦しくなって、ちょっと自分を見てみた。

それはリーマンショック前の頃。


あまりにも、思ってもみない答えが、自分の中〜の、もうもう届かないような

はるかな中から、突然湧き上がってきて、

びっくりしすぎて悟っちゃった。


それがどういう内容だったかというと、恥ずかしくて、とてもここには書けないの。

だけど、何年かかってもいいから、書こうって、、、決めたよ。

決めて、この日記をつけはじめたよ。

ヌードになるより恥ずかしいから、

書けるかな〜。

難しいー。



あ、自分は神様だった、ていう答えじゃないよ。

そこに至る直前の、直視してしまったありのままの自分のこと。

そりゃ、恥ずかしすぎて、隠したくもなるわなってレベルの自分。

「悪くない」と思ってた事が「悪い」で、

「悪い」と思ってた事が「悪くない」だったの。

それで、究極には、どちらでもありどちらでもなかったの。

そこに気付けたんだよな。




まあ、それはおいおい書くの。


それで、今日あった事なの。



あたしは、今、心のままに、


心って、自分を偽る自我じゃなくて、もっと奥の、


人によっては、インナーチャイルドと呼び、

またある人によっては、真我と呼び?、

もう、なんて定義していいのか、あたしははっきり区別がつかないんだけど、


心の奥底に、フタをして仕舞ってしまった自分の、心のままに、

目の前に起こる事象を見ているの。



言葉が降りてくることもある。

それを、アサーティブに伝えなきゃと思う。

だって、今まで、一言も言ってこなかったから。

それで自分がとても狭くなってしまっていたから。

まあ、せまくなってたのは、

実は、、、


自分が自分にかけた呪いのせいだったんだけどね(笑)!

被害者に立候補するという呪い(笑) ←もう、気付いちゃったから笑っちゃおうね


でもね。姑は、

仮面をかぶるかぶる(笑)


前から、変な違和感があって、

なんだろう〜いいことされてるはずなのにとても嫌な気持ち、

というのがあって、

いくらあたしの「自我」が発動するとしても、しすぎだぞ、というのが

いつも、今も、常にあって、

それはね、

姑の、

「含み」「嫌味」でしか言葉を言えないという、それによって起こる事象のせい、という。

そう、偶然ではなくて、ぶっちゃけ、


「わざとやってる」

あたしが嫌な気持ちになるよう〜に、

そ〜っと、

わからないように、

わざとやってる。


だから、あたしがいくら悟って、自我をいくら鎮めようとしても、

おいつかないんじゃ〜


だってわざとやってるもの。


あたしは自分を偽る、ということと、わざと(それもそうとわからないように)が、

とても嫌いだ。


ある時(といってもここ一カ月くらい)

旦那とあたしと姑で、深い心の中まで開くような話をしていた。

姑は、とてもよい、ものわかりのよい人を演じようとしていたが

(あたしは、神さまをみたから…うーんこの表現だと

イカれちゃってるヒトにしか見えないから、

真理をしっちゃったから…うーん、心の仕組みを知っちゃったから!

演じてるのがよ〜く、見える)

最後の最後に、全部をひっくりかえすような、ものすごい嫌味を言った。

それもとびきりの笑顔で。これを嫌味ととる人は罪悪感でなにも言えなく

なるような、無意識の計算までして。

というか、いつも、そういう発言ばかりだから、あたしはもう嫌なのだった。


一瞬間があって、あたしはいつもどおり、絶句した。

その時旦那が鉄砲みたいに口を開いた。


「それは嫌味だよ!」

あたしもすかさず鉄砲みたいになった「そう、嫌味だよ、いつもそうだよ。

いまのいままで、いいよ、いいよ、と言っていたのはなんだったの!」


姑はこうなった、

「あ、あは、あははー嫌味…あ、これは嫌味だねー…あはは…」

観念して笑いに変えるしかなかった。


そう、あたしはわかっているのだ。姑は、いいよ、と言いたい、見栄を張りたいだけなのだ。


というような事を、わざといろいろやられるので、

あたしは、自分の受け取り側をいくら変えようと思ったって、

事実せまいのだ。

だって、わざとこっちへはみだしてくるから。

物事の受け取り方を、自分の問題と思って解決しようと、わかっていても、


悟って、わかっちゃっても、


こっちへわざとはみだしてくる人に対しては、

「もうしわけないですけど、せまいです」

て言ってもいいのだ。

言ってもいいのだ、って簡単に言うけど、

そこに至るまでには、あたしもものすごい決意があったんだ。

簡単じゃなかったよ。

そのときに、その人自体、その人全体を否定してはいけないよ。

罪を憎んで人を憎まずなの。


今、このへんの段階なの。

あたしは、姑も今がんじがらめで動けない、と見えるから、

つっつけば悟るんじゃないかと思っちゃって、

つっついてるの。だからいろんな話をするんだよ。

無駄だとうすうすわかってはいるけど…

だって、このままだと、また生まれ変わって一からやりなおしじゃんねー。


あ、どこまで書いたっけ…


それで、今日あった事の話だね。



また今日も、姑は仮面をかぶり「含み」で会話をしていた。

それをぼーっと見ながら、食事のしたくをしつつ、

あたしは軽い瞑想状態になってた。


すると、


「嫌われたっていいじゃん」と心の中から声がした。

これはね、最近読んだブログのどこかに書いてあった事だよ。


どこか…わからない。

心屋さんだったか…


悟り系を最近一気に読んだから。


「このひとひとりに嫌われたって、あたし死ぬわけじゃないし」

「(ていうかもうすでに、嫌われてるよねーこの扱いは。だから心配することない)」


なんか…目から鱗っていうか。

なんで気付かなかった?と自問しちゃうというか。



そうしたら、「自分」が「自分」にぴったり、はまったんだよ。

ぶれてたのは、意識できるあたしの方で、

ぶれない芯は、あたしが奥に仕舞ってきた「あたし」

押し殺してしまった「あたし」。


横に、ジッ ジッ みたいに、ぶれてた「あたし」が、芯の「半透明のあたし」に、

カチッと。


人って、ぶれてると、自信がなくておどおどしてると、

他の人から、そこを重点的に、つっこまれる!

そういう仕組みになってる。


どうぞ、ここ、痛いので、

もっと痛く突いてください、と、


自分だけが気付かず、他人に見せびらかしているんだよ。

こわー。


たけど、それがぶれない瞬間を、今日、見たの。


「あたし」は「あたし」の、絶対的な味方だったんだよ。

押し殺していたあたしが、表面上のあたしの、味方だったんだよ。


ものすごい安心感だ。


インナーチャイルドによりそうってこういうことかな、と思った。


インナーチャイルドが、あたしの横にきて、

あたしの耳元で、「あたしはこれをやりたい」ってささやいたのを

数ヶ月前に聞いたばかりだというのに。


実は、あたしの方からよりそって「あげる」んじゃなくて、

気が付いてあげさえすれば、最初から、

自分は自分の味方だったと。

「あたし」の方が、よりそってもらってたんだと。

気付いた。


芯のあたしは、ずっと待っていたんだと。


だけど、「あたし」が、

着地点をなかなかつかまえられずに、

ぶれぶれにぶれていたんだと。


今日、そんなことがありましたよ、と。


長かったー。書くの。



で、これって、常に意識してないと、またぶれちゃうのね、きっと。

それが日々修行なの。
posted by 辰多みか at 23:04 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

アダムとイブが隠したのは本当は顔じゃないの?


アダムとイブが、善悪を知る(知恵の)実・リンゴ?を食べて、

自分たちが裸でいるのに気が付いて、

恥ずかしくなって、お互いに違う部分を隠したという言い伝え。


一見、そうだな〜、と納得するけれど、

善悪を知る、のが「自我の芽生え」だとすると、

隠すのは、局部ではなくて、


顔じゃないの?

とあたしは思ったよ。今日。


むしろ局部は積極的に、出す(笑)。



あ、手で顔をおおい隠す、というのは、違うよ。

どっちかというと、仮面を付けるというのが、近い。


局部を隠したとばかり思ってたから、

いまいち、この例え話が、あたしは何十年間も腑に落ちなかったのかもしれない。



この話が、男と女、ひとりずつしかいないという前提だから、

誤解されるんだ。たぶん。


これが、男と男 とか 女と女 であっても、

リンゴを食べれば、(実はリンゴと決まってるワケじゃないんだって)

恥ずかしくなって、隠してしまうんだよ。

自分を。

本当の自分を。

本当の自分を、恥じて。



だから、自分の、本当のありのままの、顔を隠して、

いい顔をしてみたり=見栄を張ってみたり、

被害者面をしてみたり、

病人をよそおってみたり、

してるんじゃないの? あたしたちは。


アダムとイブが、自我に目覚めてから。

何年も何年も。何万年も。



辛いな〜。

これじゃ、自我に気付くのが、なかなかできなかったはずだわ。

だって、人間、何万年たっても、進化してないじゃん!


そうだ、本当の自分を恥じるのは、大罪だ。

だって、それは、神を否定するということ。

自分=神だもんね。

神への冒涜だよ。


いやん、こんな罪。

あ、リンゴを食べちゃだめっていう約束を破ったから、こうなったのか。


アダムなんか、のどに詰まってるんだから、

がんばれば吐きだせるかもしれないじゃんね。がんばれ。

あ、でも、もう食べちゃった事自体が、ダメポイントなんだから、

吐きだす、吐きださないは関係ないか…

白雪姫じゃないんだし…


白雪姫はオールオーケーなのに、

なんでアダムはだめなんだよ…

解せない。
posted by 辰多みか at 23:03 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

ただ風がふいているだけ。ただ雨が降っているだけ。


どこかで聞いた歌の歌詞みたいだ。



自分が「自我」を映して見ているモノは、幻で、

事象は、確かにあるモノ。


それは

風がふく

音がする


そんなレベルって、前に書いた。



そう、


ただ風がふいているだけ

ただ音がしているだけ

ただ雨が降っているだけ

その雨粒で、水の上に波紋が拡がっているだけ

ただ川が流れて

海に流れ込んで

波がよせてはかえしているだけ


事象は、

ただそれだけなんだ。


たとえその事象が、「自我」の目には、「戦争」と映っている事であっても。

子どもの誕生と映っている事であっても。
posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

"気"が抜ける体験をした


最近、といっても、最初は、4月28日。日曜日。

あたしは家族3人で、ニコニコ超会議に向かっていた。

まあ、あたしが行きたかったワケじゃないけど…

とにかく車で向かっていた。


途中、第二東名で、(あたしは助手席で富士山とかを見てた)

うなじの下、というか、背中、肩甲骨の間というか、

キューーッッっと、

痛くなって、


うわ、あたし死ぬ? と、

超焦ったけど、

みんなを心配させたらいけないと思って、

平気をよそおって、痛みがどこに行くか、感じていた。


なんか、息を大きく吸ったら、何か(血管)が破裂するんじゃないかと思って、

おそるおそる息をしてみたりなんかして、

じぃっ…としていたら、痛みは薄くなって、無くなってしまった。


よかった〜、という思いと、またなったらどうする?という思い。

でも、そのあと平気そうだったので、少し忘れてしまった。

そして、2回目が、パソコンでメールを見てる時、


一回目から、2週間以上は経っていたかな。

あ、5月11日だ。


また、突然、キューーッッとなった。


やばいやばい、と思って、静かにして…

そして、「神様、まだ早いです!!」と祈った!


そうしたらやっぱり治ったので、また放っておいてしまった。


そして次の日、朝起きて、もう、キューーッッ


ほんとうにヤバいと思って、主人に、

「背中がつってるみたいだけど、もしあたしがこのあとどこかで

倒れてたら、救急車を呼んで」と言ってしまった。


それで、背中がつるくらいで病院行ったら笑われるとか、

俺もよくつるとか、そんな話をしてるうちに、

ちょっとよくなったので、そのあと娘と

「聖☆おにいさん」を見にいってしまった。

でも、ずっと、背中がつっていて、違和感があったよ。

次の日、筋肉痛だった。


そして、昨日。5月14日の夜。


じゅうたんにべた座りしてテレビを見ていたら、キューーッッ


わぁ…と焦って、痛みがどこに行くか、消えるのか、観察していた。


最初は、うなじの下の、背中の真ん中からはじまって、

左右の肩甲骨へ向かって横にのびていって、

このへんで、息をするのが怖くなって、

どうする?どうする?と思っていたら、


なんと、


右は肩甲骨で止まって、


左は、脇を越えて、左胸まで来た。


それで、


あたしは、左胸が乳腺症という病気で、

いつもしこりみたいになってて痛いんだけれど、

そのしこってる部分まで痛みがきたら、

しこりの頂点から(乳頭じゃないよ)


シュゥゥゥッ… みたいな感じで、

痛みが抜けていった!!


それで、びっくりして、



「うわぁ、びっくりした〜。痛みが胸からシューッて抜けていったよ〜」と

声に出して言ってしまい、

主人に、

「脳に傷でもあるんじゃないの」と言われてしまった。

いわく、脳に傷がある人は、妄想とか幻覚とかあるそうだ(笑)


そうかもねぇ〜脳はバカだからね〜とあたしは言ったけど。

あわてて左胸をさわってみたら、前の日までしこっていたところが

すっかり柔らかくなっていた。


抜けたから柔らかくなったのか?

柔らかくなったから抜けたのか?


直前に触ってないから、なんとも判断しようがないんだけど。

とても不思議な体験だった。


しこるのは生理現象で、毎月一回一週間くらいなるから、また来月同じようにしこって

痛くなるんだけどね。



でも、また背中がキューーッてなったら嫌だな。

posted by 辰多みか at 23:00 | 気の交流 | 更新情報をチェックする

2013年05月14日

至高と完全な無は体験してないんだよなー


あたしは、あの、浜名湖の横の道を車で通ってる時、

突然悟って、

(浜名湖に行ったから悟ったんじゃない。車の中で

ずっと自分の苦しみについて考えていて、

悟った時に、たまたま浜名湖だっただけ)



心が、痛くて、

悟ったら、

びっくりして、


「あぁ↓」って言って。

痛くなくなって。



びっくりしすぎて、それだけだったな。



そのあと何年も、その感覚を思い出したいな〜と、ぼんやり思うだけだったけど、

去年、本格的に思い出そうと、この日記を書き始めた。


そうしたら、やっぱり、書くっていいね。


徐々に思いだしてきたよ。


そして、いろんな人の経験談も、検索しはじめた。

そうしたら、「とてつもない至高感」とか「幸福感」とか、体験してるじゃないの、みんな。

あたしが一瞬で終わってしまった悟り状態が、一週間も続いたとか。


うーん、いいなぁ。



あと、「完全な無」とか「絶対的な無」とか「完全なる静寂」とか「漆黒の闇」とか、

そういうのを体験してる人もいるのよ。



あたしは、ソレ無かったなー。



統計学で神を見た時に、


本当のゼロと、見た目のゼロと、無限小をゼロと勘違いするゼロがある事を、体験したけど、



その事なのかなー??

ちなみに、みんなが「完全な無」と思ってるのが何かはあたしは感じ取れないけど、

「本当のゼロ」は、「自我が有る」という事だと、あたしは感じるんだよ。



で、「無から有が生まれる」、「空(くう)」とみんなが思ってるのは、

あたしは、「無限小」のことだと思うよ。



そのふたつを体験したいの。

至高と完全な無

憧れるー。


でも、「体験したい」て念じてると、絶対体験できないからねー(笑)


うまく忘れよう…(←コレもダメ・笑)

posted by 辰多みか at 23:02 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

善悪を知る(知りえないのが本当だけど)実を食べたばかりに


人は、


ありのままでいいといわれて、

本当に、その言葉どおり、


ありのままでいる人って、

悟った人以外いないと思うよ。


悟った人だって、あたしみたいにレベルが低かったら、

ありのままでなんかいられないから。


そうとう、難しいと思うよ。


ありのまま、というのは、生まれおちたそのままという意味。

外見が裸という意味じゃないけど、まあ、裸、という意味。


文字で表すのって難しいね。



人間は、裸の心で生まれて、

成長して、いろんな人間関係を経ていくうちに、

モノの善悪を知る。

その善悪ったって、その時代や国でも変わるものなんだけど、

まあ、モラルとか、法律とかかなー。


嫌な事をすると、人に嫌われるとか、そんな事だね。



それで、その裸の心は、これではいけないと、「自我」をまとうようになる。


その「これではいけない」も、人によって、全然違うのだ。


つまり、人類共通の善悪って、本当は無いんだ。




本当は、裸の心が、自我で、

その中に、本当の自分=神様=愛 がいるわけなんだけど、

今日の話は、神様のところまでは行かない。


「自我」は「自我」の都合の良いように、自分の見た目も、自分が「心」と思ってる、

精神の浅い部分までも、支配するのだ。



みんな、そんな状態の自分を「ありのまま」と錯覚してる。

「自我」ががんばってる表面を見て、「ありのまま」と思ってる。


そうじゃないんだよ!!



だから、「あなたはその、ありのままのあなたでいい」と言われて、

ねじれにねじれた自分の姿を見て、「いい」と思い込むのかもしれないけど、


本当に「いい」と言われているのは、

生まれたままの、裸の心の自分だ。



アダムとイブが

知恵の実、

善悪を知る実を食べて、

裸でいるのに気付いて恥ずかしくなってはっぱで隠した、といういいつたえは、

「自我」の芽生えのことをいってるんだよ、たぶん。


ほんとうは、裸のままで、なにも問題ないのに…

人と違うところを隠そう隠そうとする。

自分が善悪と信じてしまったモノ。



不完全な自分を、悪と感じる事。


それこそが、人類の罪じゃないかと思うの。



そして、人生経験を経て、

「自我」で自分自身をごまかして、守ってきて、

苦しくなって、

もう、ごまかしきれなくなった時、


人は、本当の、「ありのままの自分」を見なくちゃいけないようになるんだと思うの。



「見る」時、

苦しくて、痛くて、怖くて、爆発したり、灼熱だったり極寒だったり、

死ぬほうが楽、と感じちゃうかもしれない。


「見よう」とするだけで、そういう反応が起こるから、

人は、それ以上見ないように、もっともっとごまかすかもしれない。


でも、苦しみから本当に解放されるには、

「ありのままの自分」を見なくちゃいけないのだ。

「不完全な自分」を見なくちゃいけないのだ。


だって、居ないことにされている、「不完全」な自分は、

自分の中で、泣いているよ。

「見て! 見て! 認めて! 気が付いて!」って聞こえない声で叫んでいる。



その自分を見た時、

見れた時、

「悟り」が来るの。

あたし、来ちゃったから。



だから、ありのままの自分でいい、と、真に気づいている人は、

悟ってる人だと思うの。
posted by 辰多みか at 23:01 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

父と子と聖霊


きのうは、父は神様で子は人間で聖霊は悟った人かな〜と思ったけど、



父は神様で、

子は肉体で、

聖霊は自我かなぁ〜
posted by 辰多みか at 23:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月13日

メモ アカシアとカーネーション


これから調べること。

アカシアは 空(くう)。

…マメ科の木じゃないよ、この場合はね…


カーネーションは 肉。


…昨日は母の日だったけど、赤い花じゃないよ、この場合は…

カーンも 肉。

カーニバルとカーネーションは、語源が同じだよ。

(カニバリズムは語源がほんのすこし違うみたいだ)



「父と子と聖霊」の、

父が、神様で、

子が、人間で、

聖霊が、悟った人(キリストとかブッダとか、あともろもろ)

と仮定すると、


カーネーションは子だけど、

アカシアはどっちだろう。

あともうひとつにあたるモノ(できれば花の名前で)は、あるのだろうか。


リインカネーションは、転生輪廻だよ。

アケイシャも、どっちも、ユーミンの歌にあるわ。

ユーミンはすごいな。悟ってるね。たぶん前世でね。


あ、もうひとつは、コスモスだ!!

コスモス=神?


カオスも神だと思うけど。花の名前じゃないな。

あれ違うな。

コスモスは神ではないね。


神の法則の結果がコスモスだから、コスモスは、個々の人(精神)になるね。


あ、じゃあ、

アカシアが神で

カーネーションが個々の肉体で

コスモスが個々の精神か?


そうなの?
posted by 辰多みか at 23:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

すべては幻だけれど事象は存在する。


事象。

ものごと。

起きるものは、起きる。


それについて、自分がどう感じるか、というトコロが、「幻」。

だから、自分が「嫌」と感じてる事について、

「幻だから、」

と考える所までは、良い。

だって、自分にとっては嫌かもしれないけど、

よその人では、そんなこと気にも留めない人とか確かにいるからね。

だから、感じてしまうのは、あくまで「自分の問題」だ。



で、次に続くところが肝心。


「…我慢する。」

それは、ダメ。



「…なかったことにする。」

それもダメ。




なんでダメかというと、「自分」はそれで心の安定を得られるのかもしれないけど、

ずっとそうし続けていると、ついには苦しくなって、動けなくなってしまうから。


あたしがそうだったから。


「苦しい」というのは、神様が「ソレ間違ってるよ」と教えてくれているの。



すべては幻なんだけど、

事象は確かに存在する。


たとえば、

「音がする」


「風がふく」


そんなレベル。




あたしはこの家に嫁に来て


嫁だから言われたことには、従わなくてはと、


ものすご〜く、無理してきた。


「言われたこと」を窮屈だ、せまい、不自由だ、と感じてきた。

その感情は、「幻」なんだけど(去年ハッキリ気がついたよ)、

事象は、確かに、有る。


「言われる」という事


「音がする」という事。

それは、幻ではない。


だから、「少し音を立てる頻度が多いよ」と言うことにした。


言わずに我慢して、我慢の当然のご褒美として相手を呪うことができて、

(そして、気がつかないうちにそれは相手を呪う事じゃなくて

自分自身だけを呪うことになる)、心の安定を「相手から」もらってる

状態が、それまでのあたしだった。



でも、そうじゃないんだ。

表の顔の「あたし」は、

あたしが意識できる「あたし」は、

相手を呪おうなんて、思ってもみなくて、

気付いた時、どひゃーっ!!ってなった…



一番最初の、どひゃーの時、あまりにびっくりして、悟っちゃった。



だからね、

「音をたてないで、とはいわないけど、もう少し回数を減らして」と

いおうと思ったんだ。



もうちょっとわかりやすくいうと、


等間隔のイスがあって(コンサート会場とかの)

うんと太った人が隣にいて、

その人は座ってるんだけど、おしりのお肉があたしのほうまではみだしてきてるんだ。

そこで、「申し訳ないけど、せまいです。」と、あたしは言ってもいいと思うの。


だって、その人が太ってるのは、その人に超責任がある事で、

その人はそのことを自覚しなくちゃいけないと思うよ。

なんなら、2人分のチケットを買わなきゃいけないと思うよ。


それが存在する「事象」で、

感情は、幻だけど、

事象は、たしかに有る。



だから、この世は、

事象が事象をよぶ流動的な、うん、たぶん永遠に動いている、

そう、無常な「確かに在る」世界で、

それについてどう感じるかは、個人個人によって違うから、

一人ひとりの目に映るのは、感情を映しだした幻なんだ。

たぶん「自分にとって不都合」な事は、たとえ目に映ってても、脳の認識まで行かないよ(笑)



あたしは、「愛が足りない」と感じるのも、

「愛の風」がふいて、(愛のエネルギーが循環して)

それを受け止める面積の違いが、あたしたちの愛の容量の認識の差なんだと思うよ。


「愛の海」でもいいか。


愛にどっぷりつかってるけど、

海に沈んでる容器の大きさが違うんだな〜。


すべては愛なんだけど、

当る面積や体積が違うんだよな〜。たぶん。


それで、愛の風がふかないと、この世の事象は起こらないんだよ。たぶん。

愛の波 でもいいか。

愛の波動 でもいいか。

まあ、たとえだから。


みんな、いろんな「たとえ」で言ってるから、ややこしいよね〜。
posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

うしろから光をあてた映像が白い丸い表面虹色のものといったら


虹そのものじゃんか。

うしろというのが、自分の見た目方向からじゃなくて、自分の背中側からという

違いはあるけれど。

虹は、七色のアーチの下の部分(アーチを円とすると、

円の中の部分)は、光の乱反射で、白く見えるんだよ。




ということは、「自分」はひとつぶの雨粒だわ。

当然「虹」は、神様なのだ。

光は愛だな。
posted by 辰多みか at 23:00 | 光子・陽子・電子・素粒子・量子 | 更新情報をチェックする

2013年05月10日

「認める」だぁ、「許す」だぁ、「手放す」だぁ、具体的にどうするかわかりやすく説明しろよ!!


と、あたしは、悟ってから、何年も何年も、

できなくてできなくて、

悩んできた。



悟っちゃっても、いきなり賢者になるわけじゃない。



安心して(笑)←ぃゃ安心できないだろ…
(↑過去のあたしに言ってるんだよ)



悟ったら、わかったのは、自分がこの宇宙で、転生を繰り返してきた結果今いるレベル(高さ)。

あと、どのくらい、自分の心に穴があいているか(ものすごい大きな穴だったよ)。

で、穴が大きすぎて、宇宙から入ってくる愛が、漏れに漏れてるので、愛が全然足りない(ように見える)。



それがわかった!!

あと、愛でしか物事(人も)を動かせないということ。

あなたも私もみんな神様で、そこらじゅうみんな神様ということ。

この世は自分が見ている幻想で、それは自分の心(自我)をうつした鏡だということ。

「北風と太陽」の 太陽は、愛 だということ。



そこまでは、あの時、一瞬でわかった。

そのあと偶然、統計学を勉強して、神様は、真にたったひとつ、だということがわかった。



んで、あたしの場合は、「自我」がすぐ生き返っちゃって、

「悟り状態」があっと言う間に解除されちゃったんで、

そのあとの人間改造というか、「悟りの醍醐味」みたいなところまで行かずに、

現実世界(実は幻想世界)に戻ってきてしまったのだと思う。



それは、レベル(高さ)が、圧倒的に低かったからなんだよなー。

世界が12までのレベルがあるとすると、

あたしはたぶん、


3


だと思うよ。

謙遜じゃなくて。



(ちなみにひとりさんは、8 くらいと思うよ。あたしの感覚では)



悟りは、ゴールじゃなかった。


そこからまた、あたしの心の旅がはじまった。


まあ、それ以前とは、まるっきり違う旅だったけど。


2回、「できた!」から、また、「できる」気がする。

なにができたかというと「悟り」じゃなくて、

「自我」を見ること。

苦しくて見続けられないんだけど、もうちょっと見つめられたら、

また「悟り」があるような気がする。


何回悟ったって、いいじゃんね。

白隠さんは何百回も悟ったというし…



楽しみだー。
posted by 辰多みか at 23:00 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

2013年05月09日

死ぬという事の本当の意味


あたしは、小学校1年から2年まで、何カ月も「死」について

考えてたと言う変わった子どもだったが(死にたいワケじゃ

なかった。純粋な疑問として。)、

その時考えてた疑問に、大人になってからようやく

答えを見つけられたと思う。

そう、あの悟った瞬間。



人は、死なない。


魂は、死なない。


死にたくても。



ほんとうに死ぬのは、「自分」と自分自身が認識してる、

うすっぺらい表面の部分だ。


そして、その部分は、「死なない魂」が転生しても、

付いてこない。

つまり、消えてなくなる。


むーん、言い方が難しいけど、「消えてなくなる」のではなくて、

そもそも、もともと無い。

光があたって、できた影というか。

ひびや穴をプリズムにしてできる七色のスペクトラムというか。

それが、自分自身が「自分」と思い込んでいるモノ。


あたしは、どこかの宗教?グループに所属してるわけじゃないし、

言葉をちゃんと勉強してないから、言い間違ってるかもしれないので…

それをとある団体内では「自我」と呼ぶのだろうか。「エゴ」とか。



まあ、転生しても、ひびや穴の痕跡と、修復した(努力した)跡は付いて来るので、

まるっきり「死ぬ」ワケじゃないけど…。

ひびって言うと、ガラスみたいに堅そうに思えるけど、修復できるってことは、

たぶん材質?は、柔らかいよね。ジェルやビニールみたいに。

しゃぼんだまか?



それでなにが言いたいかというと、



「死ぬ」のは、



生きててもできるんだよ、て事だよ。

それでその時、「悟り」が来るの。



むーん、全然これじゃ伝わらない。誤解されるー。


まず、言葉をちゃんとしよう!

まず、何を「死」とするかだね。


病気や事故で、息が止まって、心臓が止まる。

それが、あたしたちがふだん認識してる「死」だね。

肉体の死だね。

うん、これはこれで正解なの。

それで、こう思ってれば、ある意味、「楽」なの。

なんで「楽」かというと、人はとても辛い時、「死」に逃げる事ができるからなんだよ。

だから自殺者がいっぱいいるんだよなー。


でもね、でもね、「死」んでからわかることなんだけど、

「肉体の死」はゴールじゃないんだよー。

あたし、肉体的に死んでないけど、わかるんだよー。

「なんだ、おまえ死んでもないのにわかるのか!」って怒られそうだけど、

悟ったから、わかるんだよー。



だって、悟るためには、一回死ななきゃならないんだもの。


つまり、"あたし"は、その時、一回死んだの。肉体は生きながら。浜名湖を横目で見ながら。



あたしはねー、いつもは"私"って自分の事書くけど、

日記に書く時は、"あたし"なの。

これは、「区別」してるからなんだよ。


表の顔の「私」と、

本心を書く、日記の「あたし」。


それで、悟る直前、「あたし」は死んだ。

「あたし」=「自我」だな。「エゴ」とか。

1.表の顔→2.裏の顔→3.自分で気付かない本心→4.…


の、3.の部分が、「自我」だな。



どうやったら、「死んだ」かというと、「自我」に気づいたら、

「自我」が死んじゃったの…

だから、「私」が「あたし」に気が付いたら、「あたし」が死んじゃったの…

ま、すぐ生き返ったけどね(おいおい。 実はコレは喜ばしくないコト)


ここで誤解されないように書いておくけど、

たとえば、なにか「あたし」が原因でまわりのみんなから「あたし」を非難されて

全否定されて、頭がまっしろになってしまって、「あたし死んだ…」では、無いよ!!

その状態は、実は、「あたしもう死ぬ」と思ってるかもしれないが、

今、あたしが書いてる「死」とは真逆で、自我が思い切り「生きてる」

状態なんだ。

「自我」が死なないためには、自我はあえて「肉体の死」を選ぶことだってあるんだ。

それが自殺なの。

それほど「自我」は死にたくないの。

「肉体の死」を選んだり、「病気」を選ぶこともあるよ。

「幸せにならない事」を選ぶ事もあるの。


自我っていうのは、わかりやすくいうと「私は悪くない」なの。

もっというと、「私は悪くない、と思いたいから、他に原因をなすりつけるように

自分自身に指令を出している、悪の根源で、悪そのもの」なの。

まあ、「悪」ってきっぱり言ったら、かわいそうなんだけどー。

それでその善悪って、決めるモノサシがこの世に無いし…



「自我」は「私は悪くない」から、「相手や世間が悪い」から、それを証明するために、

自分の肉体の命を道具として使うの。(全部のケースがそうだとは…まああえて

言わないよ)

「自我」は、「相手や世間が悪い」と思い込む事で、自分を守っているんだ。

究極は、殺人を犯した人とか、モラハラの人、DVに走る人の心理がソレだよ。


「病気」を選ぶ自我は、「私の体が悪い」、「私は運が悪い」と思い込むことで、

「私は悪くない・私に責任は無い」と思いたいの。そのために必死(いっしょうけんめい)なの。

本当はやりたくない事があるのに、人から悪く思われたくなくて(嫌われたくなくて)

やりたくないと言えずに、体のせいにするのが、「病気」を選ぶ「自我」なの。


うぉ〜、ここで脱線するけど、

「必死」って、すごい言葉だ〜。


あたしは、

悟る直前、

自分で巧妙に隠してた「自我」に、自分自身で気がついて、

そしてそこに意識を向けて、うん、光を当てて?

真っ暗闇の中に隠れてた自我を照らしてみたら、

消えてしまったの。

文字で書くと、すっきりさっぱりした印象だけど、

本当は、ものすごい衝撃だったんだからね。

す〜っと消えたワケじゃないよ。

爆発するみたいな衝撃だったんだからね。

そう、虫歯治療で、神経が出ちゃってて、

それに、ふれる…ふれた!!

ぎゃー!!


みたいな感覚。




そして、消えた、というのも語弊があって、

近い言葉でいうと、すべて幻だった…というのが近いか…

自我は確かにあるし、無くなることも消えることもないんだけど、

その自我が反射してた映像は、まぼろしだった、と気がついたというか…

まあそんな感じだ。


まあ、それは一瞬消えただけで、またすぐ知らないうちに、復活してたんですが!(笑)

(↑それにも気がつけれないという巧妙さ)



よっぽど、「自我」って、「死にたくない」んだよなー。

だって、「あたし自身」なんだから、そこが消えちゃったら、

"あたし"が無くなってしまう。


前に、よく夫婦で自己主張大会をやっていた。(夫婦喧嘩とはあえて言わない・笑)

その時、まだあたしは悟る前だったんで、ワガママ全開だった。


そこで、夫に、「その性格を変えろよ!」とよく言われていた。

あたしは今でこそ、この性格を変えよう、と心から思えるけど、

その時「変われ」と言われた"あたし"は、うめくように言った。


「そんなことをしたら、あたしがあたしで無くなってしまう」


また、あたしが悟ったあと、身内で、自我をあたしにまわりくどく、

そうと気付かれないように押しつけてくる相手に、

あたしは、心の話をした。

そうしたら「そんなことをしたら自分がいなくなってしまう…」と青ざめた顔で言われた。



つまり、それが自我で、「自我」は

死なないように、一生懸命なんだ。

自我は巧妙に隠れてるから、なかなか探し出すことができないよ。


(自分の悪い所は、言われなくても自分が一番よくわかっている、

私は自我を認識している、とみんな思っている

かもしれないけど、そうではない。それは、ねじれにねじれて、

大どんでんがえしみたいな形で存在してるの。

本当に、本当の、真の意味で、"言われなくても自分が一番

よくわかっている"状態になったならば、きっとその時、人は皆、

悟りの境地に入る。)




具体的に、悟った時、なにを考えてて、どういう考えに至ったか、

ということも思いだしてきたんだけど、

それを文字にして残すのに、とても抵抗がある(笑)←笑いでごまかすほど抵抗がある。

とても恥ずかしい。そう、あたし自身を恥じてしまう。だから書けないんだ、なかなか。

それ書いて、意味あるのかなーとか思う。

人類が全員悟れば、地球は平和になるって、わかってるんだけど、

そのためにあたしは、この日記を書いてるんだけど。

神社に行って、祈るのは、この一点だけなんだけど。


あたしが貧乏くじ?をひく必要があるのかー、とか思っちゃう。

自分で好きで書いてるのに、へんなの。


だから、何カ月もかけて、書くよ、って


最初に宣言したんだよなー。

書く覚悟ができたら、書く。



あたしのために。

世界のために。

うん。


あ、でも、これ読む人は、悟った後の人ばかりだろうし、

やっぱり恥をさらしてまで書くのは意味無いのか。

これ読んでも、聖書と同じで、悟れるワケがないし。


とか思うー。




そう、

「必死」になれば、

「悟れる」!


必ず死ぬ状態にまでなって、"神"経にふれる「ギャーッッ!!」で、悟る。



必死→悟り

これこそ、真理だ(笑)!

posted by 辰多みか at 23:00 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

2013年05月08日

かみさまを見るのって、ライヴに行くのと似てる


最近、某王国の人たちがたびたび来るんだ〜。

堂々とかみさまの話ができるから、ある意味、まあ、ちょっと嬉しい?けど…

勧誘はされてないけど、勧誘だったらお断りだよ。



以前にあたしは、神様を信じてると口走ってしまったため、

そこに興味があって、同じ人がたびたび来ると思うんだ。

今まで、同じ人は2回以上来なかったからね。(今日で4回目だ)



"真理"を知りたくないですか? と聞かれたので。

すぐさま「…もう知ってるので…」と、また口走ってしまい…。

今日のあたしは、いつもになく、熱く語ってしまった。


「諦める事かな。絶望するというか。泣いて泣いて。もう死んじゃうくらいの。

死んじゃう手前くらいの。そしたら"真理"が向こうから、自分の中の下から上へ、

ガ〜ッと来るんだよ。」

「神様に本当に会いたいのだったら、聖書の中をいくら探しても絶対に会えないよ」

「神様を見るということは、たとえば自転車に乗れるようになるということと同じで、

聖書やお経には、自転車に乗れるようになるためのハウツーと、乗れたあと

どんな気分になるか、という事しか書いてないよ」

「神様を見たあとに、聖書を読んでみて、そこではじめて書いてある事に納得できるんだよ」

「神様に会うために、聖書はなんの役にも立たないけど、

ひとつだけ、たったひとつだけ、役に立つ事があるよ。それは、聖書を読んでも神様に

会えない、と、心の底から絶望できる事だよ。あと、神様を見た後の確認作業用。」

「こんなの何の役にも立たない!と、聖書を破り捨てて、さらに足で踏んづけたら、

その時、神様に会えると思う。まあそれは、悟る という事だけど…」


と、あたしは語ってしまい、その方たちは、面白そうに聞いていたけど、

本当のところはどうなんだろうか。



そのあと、ひとりでぼんやり考えていたら、神様を見る、ということは、

歌手のライヴに行くことと同じ(似てる)かもと思った。


好きな歌手がいたとして〜

まあ、嵐とか、誰でもいいよ。それがイコール神で。

それで、歌手の写真集や週刊誌の記事が、聖書とする。


写真集や記事を見てれば、顔や身長・体重、テレビを見れば声もわかるし、

好きな歌手のこと、ちょっと知った気になれるよね。


でも、それで、その歌手に会ったことになるのか。

ならないよね。

いろんな事、よく知ってるつもり、なのにね。


それで、ライヴに行ったとする。

実際、自分の目で見てみて、

どう感じるかな?


あたしは、あゆ(浜崎あゆみ)のライヴに行った時、

感じた事は、

「本物だ〜!」

「立体だ!」

「ちっちゃい!」


だった。

特に、「ちっちゃい!(小さい)」は衝撃的だった。

だって、テレビで見てて、背が小さいなんて感じなかったし。


それで、ライヴ中、目が合う気がする♪


それが、神様に会う(見る)って事なんだよな〜。

聖書をくまなく探しても、どこにも神様はいないんだよ。

しかも、神様は、チケットを買って会場に行けば会える、というワケでは決してない!

そこが、神様と人間の違いで、だから神様といわれるゆえんなの!


神様は、どこかよそからやってくるのではないの!




ということを、わかりやすい例えとして

話せばよかったと思った。


あと、聖書やお経には、過去と未来しか書いてなくて、

「今」が書いてないんだな、と思ったよ。

「今」というのは、まさに今、神様を見てる状態ね。
posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

「悟り」「気づいた事」の確認作業

あたしは、たった一度だけ、悟って、

その時から、心に湧いて出てくる、さまざまな思いを、

確認したくて、ネットをあさる。

具体的に言うと、ネット検索する。

あるいは、本屋さんで、自己啓発とかスピリチュアルコーナーをさまよう。


(そうそう、悟ったのはたった一回で、その時かみさまを見た(感じた)んだけど、

その一年後くらいに、統計学を勉強して、その時ももう一度、かみさまを、見た。

でも、その時は、悟りの体験はしてないんだよ)


悟ってなければ、絶対に、手にしないであろう、さまざまな本を、

手にとってみたりする。

買うのは、あんまり無いけど。

その中でも、衝動買いしたのは、「ひとりさん・斎藤一人さん」の本だな。

題名に惹かれたのであって、成功者になりたいわけじゃないが…


ちなみに、あたしが日記に書いてる、さまざまな心の話は、

ネットや本の写しではないよ。

勝手に湧いてくる思いを、ネットや本で確認して、他の人も感じてる、と

確認とれたものを主に書いているの。

(うん、それ以前に、ネットで読んで自分の中に吸収された叡智も、

勝手に湧いてくるのだとも思うけれど。)


ただ、ひとつだけ、確認がとれないのが、

0.9999999999999999…=死んでる人・遺体・ナ
1=生きてる人・生物・ウオ・イヲ

という事なんだ。

これだけ、どこを探しても、同じ事を思っている人がいない。

もしかして見当違いなのかな?


で、今日、ひとりさんの「変な人が書いた成功法則」を読んで思ったのは、

ひとりさんは、もう、今生で既に「豊かな心」の人に生まれてきてるんだなという事だ。

(これは古本屋で買ったの。2003年発行だから10年以上前の本なの)

だから、ひとりさんの言ってる事は、本当に本当に、真理だけど、

あたしみたいに、今生でまだ貧しい心で生まれて、今、レベルアップする時、という魂には、

実は、実践面で、あまり参考にならない。

参考になる人は、他に居る。

あたしは、まだまだ、かみさまが出してくる問題が、山積みになってる状態なんだ。



そうそう、ひとりさんの、どこに共感したかというと、「神様」の部分。

あと、「変な人」の部分。

今日読んだ本の中で、びっくりしたのは、

この世に数は、「1」しかない、と書かれてた事だ。

そのとおりなんだ。あたしもそう感じてるんだ。

あたしの感じてるのは、なんていうか、この世界が、この宇宙が、「1」。

素数もあるじゃん、と反論あるだろうけど、

素数は、「1」の中に、あるのだ。

で、「1」が「1」であるために、「1」のまわりは、「ゼロ」で覆われてるんだ。

 


今日も、さっき、問題が出されたよ。

あたしは、その問題の答えを、頭の中で反芻して、言うべき時に、言えるように準備してるんだ。

これがクリアできないと、また、同じ問題が出される。

あたしは、問題が出される事自体が嫌で、いろいろ理由を付けて、

避けて通ってきたけれど、もう、避けない。立ち向かう。


その"いろいろ理由"というのが、「あたしは悪くない、そう言うあなたが悪い、だからあたしはできない」

だから。

それでは、いけないから。


「だからあたしはできない」に逃げてたあたしを、救ってあげたいから。

相手は、勝手に悪く思われて、迷惑だから。



愛をこめて、その答えを、口にするよ。

愛がなければ、モノは動かない。


透明人間とか幽霊みたいだね。

触ろうと思っても、手が透けて触れない〜みたいな。


愛であれば、触ることができる。

愛であれば、動かすことができる。


でも、それは、相手をやっつけるということではないんだよ。

自分の弱さをやっつける、ということでもないんだよ。

posted by 辰多みか at 23:00 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年05月07日

かけ算は1からはじまって〜、たし算はゼロからはじまる


あたしが前にね、書いた、この宇宙のかたち。

原点は、ゼロじゃなくて、1 のような気がする、と書いた日記。

そう、それは、かけ算(わり算も含む)のことなんだ〜。

たし算は、ゼロからはじまっても問題ないけど、

かけ算は、1からはじまらないと、問題有り、なんだ〜。


たし算の、はじまりゼロは、ホンモノのゼロではなくて、

実は、見た目のゼロなんだけどね。

そこは、1でも2でも良くて、ただ、定規の目盛を、ゼロに合わせてる

というだけなんだよ。

ああ〜あたし、説明がヘタだ〜。


ちなみに、ひき算というのは、たし算と進む方向が逆だよ、という意味しかないよ。



ゼロには、3種類あるんだよ。


ほんものの、ゼロ。

見た目の、ゼロ。

ほぼゼロ。


この、あたしたちが生活している世界で使っているゼロは、

"見た目のゼロ"と、"ほぼゼロ"しか、使ってないよ。


足し算引き算で使う、見た目のゼロと、

実用数学用の、ほぼゼロ。

ほぼゼロは、微分積分に必要。

この世は、数式では、近似値でしか表せないの。

ほぼゼロは、逆数にすると、無限大になっちゃうの。

「空 くう」は、ほぼゼロだよ。


ああ、精神世界では、あたしと他人の間は、

ほんとうのゼロ、なんだけどね。

posted by 辰多みか at 23:00 | ゼロの正体 | 更新情報をチェックする

2013年05月04日

五大


前に、五行思想の事を書いたよね。

木・火・土・金・水

これって、あたしは、しっくりこなかったんだけど、


五大 の方だったら、しっくりくる♪


地(ち)・水(すい)・火(か)・風(ふう)・空(くう)


空は、虚空・あかしあ・あけいしあ・あーかーしゃ。

ほぼゼロだけど、ゼロじゃないんだよ〜。

空というのは、無限小であって、1/無限小にすると、

無限大になるんだよ〜。

と考えてるのは、あたしの考えなんだけどね。

0.0000000000000000000000…1 で 1を割ると、

大変に大きい数字になっちゃうんだよ〜。
posted by 辰多みか at 23:00 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

2013年05月03日

なんどもなんども同じ事を書くよ。


さっきの野菜と果物の違いは、前に書いたっけ?

思いついたら、前に書いてた事だって、また書くよ!!

特に、悟り関係は、しつこいくらいに、書くよ!!

それが、あたしが、生きてる目標のひとつだから。


お釈迦様やキリスト様でもできなかったんだから、

あたしが、いっぱつで書ききれるワケがないからね。


「野菜と果物」の話は、ネットで、昔見たんだけど、

検索してみたら、元ネタが、南雲先生の本に載ってるみたい。
posted by 辰多みか at 23:01 | 日記 | 更新情報をチェックする

野菜と果物の違い


くだもの(果実)は、



「さあどうぞ、食べてください!」

て、言ってるの。




野菜(葉物野菜)は、

「食べないで!」

て。

言ってるの。




「食べて」と言ってるのが果物。
「食べないで」と言ってるのが野菜。
posted by 辰多みか at 23:00 | おいしい科学 | 更新情報をチェックする

2013年05月02日

メモ 交流分析のゲーム


これから調べる事。
エリック・バーン
交流分析 TA
ゲーム
P A C
特に、 義足のゲーム
posted by 辰多みか at 23:00 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

透明な球体は神様で、ひびが入ってるのが人間。


さっきの日記の、


ありのままの自分は、神様なの。

つまり、自分=神様なの。


神様は、透明でつるつるの球体なの。

それが本当に、本当の事なんだけど、


人間は人間でいる以上、いつでもつるつるではいられないの。

球体の一番上から、表の顔の層、裏の顔の層…と、層になってると仮定したらば、

表面にぼこぼこに穴があいているように見えるのが、人間なの。

"見える"という所がキモで、本当は、穴なんてあいてないんだけど、

生きてく上の錯覚で、穴に見えるの。

それは、球体の中心を守るための、特別な仕様なんだよ。


本当は、中心なんて守らなくても傷つかないのにね。

みんな、それを忘れて生まれてきちゃうんだよな〜。

本当は、傷ひとつないつるつるなのに…


だから、自分が神様だって忘れてる間は、

人間の球体は、ボコボコに穴があいてるか、

ひびがいっぱい入っているの。


そこに光が当たるとね、


プリズム効果で、いろんな色が出てくるんだよ。

虹色の。





ひとりひとり、違う色、違う模様なの。


あの色は嫌い、あの模様は許せない、

みんな他人の球体を見て、そう思うんだよ。


それがあたしたち人間なんだよな。
posted by 辰多みか at 23:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

ありのままの自分を知る。


ありのまま。

そのまんま。

そんな自分を鏡に映してみたら、どんな自分が映ってると思う?


笑ってるかな?

怒ってるかな?


いいえ。


そこに映っているのは、

ただの、大きな、白い、


白い、というか、色の無い、透明な、


つるつるの球体なんだよ。




だって、自分は、すべて「在る」んだから。
posted by 辰多みか at 23:01 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

本当に探しているのは青い鳥なんかじゃない。


綺麗な青い鳥じゃなくて。

汚くて、本当に見たくもないもの。


それをあたしたちは、

一生をかけて探しているんだ。


いや、正確にいうと、

あたしたちは、それを見ないように生きている。

だけど、本当の自分の人生を生きるためには、

それを見なきゃいけない。


自分の人生とは、汚い、見たくないものを、

探していた人生だってことに、気がつく事。
posted by 辰多みか at 23:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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