2013年05月14日

至高と完全な無は体験してないんだよなー


あたしは、あの、浜名湖の横の道を車で通ってる時、

突然悟って、

(浜名湖に行ったから悟ったんじゃない。車の中で

ずっと自分の苦しみについて考えていて、

悟った時に、たまたま浜名湖だっただけ)



心が、痛くて、

悟ったら、

びっくりして、


「あぁ↓」って言って。

痛くなくなって。



びっくりしすぎて、それだけだったな。



そのあと何年も、その感覚を思い出したいな〜と、ぼんやり思うだけだったけど、

去年、本格的に思い出そうと、この日記を書き始めた。


そうしたら、やっぱり、書くっていいね。


徐々に思いだしてきたよ。


そして、いろんな人の経験談も、検索しはじめた。

そうしたら、「とてつもない至高感」とか「幸福感」とか、体験してるじゃないの、みんな。

あたしが一瞬で終わってしまった悟り状態が、一週間も続いたとか。


うーん、いいなぁ。



あと、「完全な無」とか「絶対的な無」とか「完全なる静寂」とか「漆黒の闇」とか、

そういうのを体験してる人もいるのよ。



あたしは、ソレ無かったなー。



統計学で神を見た時に、


本当のゼロと、見た目のゼロと、無限小をゼロと勘違いするゼロがある事を、体験したけど、



その事なのかなー??

ちなみに、みんなが「完全な無」と思ってるのが何かはあたしは感じ取れないけど、

「本当のゼロ」は、「自我が有る」という事だと、あたしは感じるんだよ。



で、「無から有が生まれる」、「空(くう)」とみんなが思ってるのは、

あたしは、「無限小」のことだと思うよ。



そのふたつを体験したいの。

至高と完全な無

憧れるー。


でも、「体験したい」て念じてると、絶対体験できないからねー(笑)


うまく忘れよう…(←コレもダメ・笑)



posted by 辰多みか at 23:02 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

善悪を知る(知りえないのが本当だけど)実を食べたばかりに


人は、


ありのままでいいといわれて、

本当に、その言葉どおり、


ありのままでいる人って、

悟った人以外いないと思うよ。


悟った人だって、あたしみたいにレベルが低かったら、

ありのままでなんかいられないから。


そうとう、難しいと思うよ。


ありのまま、というのは、生まれおちたそのままという意味。

外見が裸という意味じゃないけど、まあ、裸、という意味。


文字で表すのって難しいね。



人間は、裸の心で生まれて、

成長して、いろんな人間関係を経ていくうちに、

モノの善悪を知る。

その善悪ったって、その時代や国でも変わるものなんだけど、

まあ、モラルとか、法律とかかなー。


嫌な事をすると、人に嫌われるとか、そんな事だね。



それで、その裸の心は、これではいけないと、「自我」をまとうようになる。


その「これではいけない」も、人によって、全然違うのだ。


つまり、人類共通の善悪って、本当は無いんだ。




本当は、裸の心が、自我で、

その中に、本当の自分=神様=愛 がいるわけなんだけど、

今日の話は、神様のところまでは行かない。


「自我」は「自我」の都合の良いように、自分の見た目も、自分が「心」と思ってる、

精神の浅い部分までも、支配するのだ。



みんな、そんな状態の自分を「ありのまま」と錯覚してる。

「自我」ががんばってる表面を見て、「ありのまま」と思ってる。


そうじゃないんだよ!!



だから、「あなたはその、ありのままのあなたでいい」と言われて、

ねじれにねじれた自分の姿を見て、「いい」と思い込むのかもしれないけど、


本当に「いい」と言われているのは、

生まれたままの、裸の心の自分だ。



アダムとイブが

知恵の実、

善悪を知る実を食べて、

裸でいるのに気付いて恥ずかしくなってはっぱで隠した、といういいつたえは、

「自我」の芽生えのことをいってるんだよ、たぶん。


ほんとうは、裸のままで、なにも問題ないのに…

人と違うところを隠そう隠そうとする。

自分が善悪と信じてしまったモノ。



不完全な自分を、悪と感じる事。


それこそが、人類の罪じゃないかと思うの。



そして、人生経験を経て、

「自我」で自分自身をごまかして、守ってきて、

苦しくなって、

もう、ごまかしきれなくなった時、


人は、本当の、「ありのままの自分」を見なくちゃいけないようになるんだと思うの。



「見る」時、

苦しくて、痛くて、怖くて、爆発したり、灼熱だったり極寒だったり、

死ぬほうが楽、と感じちゃうかもしれない。


「見よう」とするだけで、そういう反応が起こるから、

人は、それ以上見ないように、もっともっとごまかすかもしれない。


でも、苦しみから本当に解放されるには、

「ありのままの自分」を見なくちゃいけないのだ。

「不完全な自分」を見なくちゃいけないのだ。


だって、居ないことにされている、「不完全」な自分は、

自分の中で、泣いているよ。

「見て! 見て! 認めて! 気が付いて!」って聞こえない声で叫んでいる。



その自分を見た時、

見れた時、

「悟り」が来るの。

あたし、来ちゃったから。



だから、ありのままの自分でいい、と、真に気づいている人は、

悟ってる人だと思うの。
posted by 辰多みか at 23:01 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

父と子と聖霊


きのうは、父は神様で子は人間で聖霊は悟った人かな〜と思ったけど、



父は神様で、

子は肉体で、

聖霊は自我かなぁ〜
posted by 辰多みか at 23:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする
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