2013年06月26日

両極を見る目


「なっとくする無限の話」という本を今年の2月に読んだのね。

そこに書いてあって、あたしが目を見張った、「数の世界の形」。


それは、あたしが「この世の形」と思っていたものにそっくりで、

そして、その元ネタ(?)は、特殊相対性理論における、

「光円錐」なのだろうけれど。

その空間は、ミンコフスキー空間というんだ。



その本の中では、この円錐を、両極が見える特別な目を持った宇宙人が見ると…

という、とても素敵なお話が展開するの。たとえなんだけど、わくわくするよ。

その、特別な目 とは、顔の右にひとつ、顔の左にひとつ、の、180度離れた目 なんだよ。


そういう"視点"で、光円錐を見てください、と、本では言っているの。

光円錐は、一枚の、まっすぐな板で、すっぱり、切られているんだけど。

その視点で見ると、すっぱり切られた"面"は、上下が逆になって、中外が逆になって、

そして、ひとつの円になるんだよ。

もともと、ふたつの光円錐を切った、ふたつの切り口面なのに、だよ。


うーん、言葉だけで、伝わるかな!?



180度離れた特別な 目 で見ると、


ふたつなのに、ひとつ。

上なのに、下。

外なのに、中。

無限なのに、有限(にみえる)。

放物線なのに、円。



これって、やっぱり心の世界だよね〜。

悟った時に感じた、「アレ」だよね〜。

両極って、180度離れた目で見ると、

いっぺんに、ひとつに、見えるんだよね〜。



やっぱ、数で、神様のシルエットを、

なぞる事ができると思うの。


posted by 辰多みか at 23:03 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

二種類の人間


人には、二種類の人間がいます。


@真に悟った人間と

A悟ってない人間 あるいは 悟ったと口だけでいう人間 あるいは 悟ったと勘違いしている人間



どちらが偉いとか、悟ってるから偉い、とかいう話ではないよ。

あたしは悟ったけど、だからといってAがどうとか、いう話ではないよ。

それを本当に誤解しないでほしい。

"そこ"をとやかくいう人は、A だということを自ら示しているのと同じことなんだけどね。

卑下して見ているのではないよ。


ただ、ほんとうに、話が通じないな、と思うだけだ。

"自分も悟った"とまくしたてて話してくる、

その行為が、自動的に、Aだと証明しているのに、と、思うだけだ。



あー、上の書き方、通じないな。


「あたしも悟ったんだけどね」そしてそれに続く、悟りを全く感じない内容。

話す時の、"焦りと必死な感じ"。

うんこれ↑が、Aを証明してるんだよ、と思うよ。


ネットの上で覚者と自称してる人の中には、幸いなことに居ないよ。

現実世界にいる。たくさんいると思う。

posted by 辰多みか at 23:02 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

神経質の全治


あたしは、子どもの頃から、母に「神経質だね」と言われ続けた。

子どもながら自分でも自覚してたし、

大人になってからわかったのは、あたしはASD(自閉症スペクトラム)ではないかということ。


森田療法では、悟れば神経質が全治したことになるみたい。

ということは、あたしは、神経質を克服した事になるのね。

定義ではね。

悟ったからね。



そうだね。

神経質の症状はいまだに出るけど、

なぜ出るか、客観視 できるようになったね。

それが神経質の全治というのかな。

「あたしはぜったい大丈夫」と感じる。

それが以前との違いかな。
posted by 辰多みか at 23:01 | 自分 | 更新情報をチェックする

メモ 森田正馬サン

森田正馬 さん
神経質の「全治」には「悟り」が関係あるみたい。
森田療法
生活の発見会


森田さんも悟ったんだね。わかるよ。

そして、他人を悟らせることがどんなに難しいか、

森田さんの言葉からわかるよ。

「あるがまま」が、なんて、誤解を招く言葉か。

あたしも思っているよ。


あたしが感じる神経質の「全治」は、

悟った末に導かれるもの。

「悟り」は、すべてを含むとてつもない大きな事で、

「全治」は「悟り」によっておこる、末端の、小さな出来事 だね。

posted by 辰多みか at 23:00 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする
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