2013年09月30日

静寂

覚醒した時の体験をね、
少し、物語(神話)っぽく書いたのが「天照らす」なんだ。
3日くらいで全部書いたけど、書き始めた時は、
あんなに長くなるとは思ってなかった(笑)。
5年前(?)の覚醒時には、古事記っぽいとは全然感じなかったし。

それを書いてる時に、ふと、気がついた・・・というか
以前からきづいてたけど、やっぱそうか・・・と思った事。

それは、あたしは「静寂」を体験してないかも、という事。

人によってね、ゼロポイント とか
まったくの無 とか
よびかたはいろいろ聞くけれど、
なんか、それ、体験してない気がする。
だって、ゴーンゴーンという振動はずっと続いてたわけだし。
(あたしはその振動は、「自分は消えたけど事象は存在する」っていう意味で書いたよ)
回転してない中心(回転数ゼロ)は、神との交信点、という事はわかるんだけど。
そこに、一瞬でもすくっと立った事ない気がする。
時間が無だった という体験をしてない、というほうがわかりやすいかな。

だから、すぐに、また自我に巻き込まれちゃったのかなー。
一度覚醒して、自我に引き戻されると、なんていうか、前よりもっと苦しい気がする。
ゴールが見えているだけに、そこにたどり着けないのが、ものすごくもどかしい。

だから、「静寂」を体験したくて、精神世界ブログを渡り歩いていたんだ。
覚者のアドバイスがほしかったんだ。
なんとなく方法は、「瞑想」って事はわかった。
それで、やってみようかな・・・ぐらいの所まで来て、
ちょろっとやってみたりして、行きつ戻りつしてるのが、現状なんだ。
なんか完全に「静寂」に行くのに、尻込みしてる気もするし。
あ、やっぱり、そうなるのが怖いのかもしれない。
まだ逃げてるなー。


posted by 辰多みか at 11:35 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年09月29日

命が芽生える時

昨日、名古屋の地下鉄で、
座ってるたくさんの人たちを見て、
ぼーっと考えていたんだ。

基本、人を見る(観察)のは好きだよ。
この間、「全員があたし」体験をして、ますます好きになったよ。
(じろじろ見たら失礼だけどね)

人は、うん、生物は、
「いつ」、いのちが 「めばえる」のかなーって。
受精した時?
それとも、その前?卵と精子の時?
それはなさそうだよねー・・
おなかから出てきた時?
うんそれは違うな。

いつなんだろう。
不思議だよね。
あたしは、その答えはわかんないんだけど、
ひとつだけ、ハッキリ、目撃した事がある。

赤ちゃんに、「視線をコントロールする力が生まれた時」のこと。
あたしはまがりなりにも女で、"母"の役目を経験して、
それだからこそわかる、あの瞬間。

赤ちゃんは、うまれたばかりの時は、視線が定まらない。
どこかを見つめてわらったり、また、見つめなかったり。
目に入る情報と、自分のご機嫌は、直結していない。
まだ、視神経が脳に繋がっていない(信号的な意味で)のかもしれないね。

1か月くらいは、視線は定まらないよ。
見つめれば見つめかえされるけど、あとは、あばばって感じで、
好き勝手にご機嫌になったり不機嫌になったりする。

それが、突然、ある時。
離れて座っているこちらを、じーーーーっ と、見てくるようになる。
あたしはその時、ドキーンッ!!てなったよ。
自分のこどもなのに。
たとえれば、幽霊に見つめられているような。
今まで、そこに誰もいなかったのに、
突然、目の奥から誰かが見つめてくるような。
こんなこと言ったら変だけど・・・
怖かったの。正直。

その時、本当の意味で、あかちゃんは目が見えるようになったのかもしれない。
生後1カ月か2カ月くらいかな。
それまでは、あの世とこの世の中間の中途半端な所にいて、
その、視線をコントロールできるようになった時に、はじめてこの世に出てきたような。
そんな感じがした。

posted by 辰多みか at 15:28 | 不思議な話・過去・前世 | 更新情報をチェックする

ナゴレプ エキサイティング毒蛇

昨日の、名古屋レプタイルズワールドで、
そういえば一番面白かったのは、
「エキサイティングな毒蛇が多数登場する・・・」と、
会場ナレーションのおねえさんが、何度も案内してた、
中井さんという方(男性)の、毒へび解説コーナーだったわ。

もちろん生の毒蛇は登場しなかったけど、
剥製で多数登場したり、
なんといっても話が面白かったわ。
やっぱり、ああいう、ヘビ研究家(?)のような方々は、
「かまれてあたりまえ」なんだねー。
うんうん。
3、4回は血清に助けられてるんですって。若いのに。
だから、絶対家で飼っちゃダメだよ、と、うまくまとめてらしたわ。
毒蛇に会いたかったら、現地へ行け、と。

あと、メリ夫をはじめて生で見たよ。
メリ夫は、ゆるキャラブームになる前のかなり先からテレビに出てた
(と思う)から、結構、ガワに年季がはいってたわ(笑)。

ムツゴロウさんも来たらしいけど、
あたしたちはその前に帰っちゃった。

ハ虫類かー。
うちの庭には、20センチ長くらいの巨大カエル(ひきがえる?)が
住みついてるから、まあ、それを見てればいいかな。
カナヘビもいるし。
posted by 辰多みか at 15:27 | 地球・自然・環境 | 更新情報をチェックする

2013年09月28日

ナゴヤレプタイルズワールド

今日は名古屋まで、なんでか知らんけど爬虫類を
見に行きました。
はちゅうるいだよ・・・

あたしは、変な汗がいっぱい出たー。
一度、ヘビチャンのしっぽが、ヌルンッ(いやぬるっとは
してなかったけど、イメージ)と、腕に急に当たって来た
時は、飛びあがりそうになったわ。

意を決すれば触る事はできるんだけど、不意に、当たってくるなー!
くびに巻くなんて、とてもとても・・・

もうきんるいが可愛かったな。
猛禽類。
フクロウの事ね。

砂漠の小動物も可愛かったわ。
恒温動物を見ると、ほっとするんだけど、
いざ変温の方に目をやると、やっぱ変な汗でるー。

爬虫類とか、カメとか(亀は爬虫類なんですってよ)、
両生類とか、クモとか(キャー)、親指くらい太いムカデとか(ギャー)
みんな、おそうざいのパックに入っていて、お持ち帰りできる
ようになっていたわ。
それにしてもすごい人で、移動も大変なくらいだったよ。
みんな爬虫類が好きなんだねー。
あたしは、大きいイグアナ、ごんちゃんが超気に入ったよ。
非売品だったー。
みんなはあのおそうざいを買って帰るのかな。

posted by 辰多みか at 23:59 | 地球・自然・環境 | 更新情報をチェックする

2013年09月27日

甘みと酸味のバランスが…

昨日テレビでね、イチゴの初出荷のニュースをやっていたの。
そこでインタビューに答えていた生産農家の方が、
「この品種は甘みと酸味のバランスが良くておいしいです」
と、言っていたの。

あたしは、ははーん、と思ったよ。
その品種は、あたしもたまに買って食べるけど、
あたしにとったら、「すっぱい」。
好きな人もいるかもしれないけど、
あたしが好きな「章姫」に比べたら、すっぱい。
まあ、それでも耐えられるすっぱさだけどね。

みかんでもそうだけど、
販売してる方が、「甘みと酸味のバランスがいいよ。」
と言ったら、それは、「酸味が有る」で、間違いない!
当然、なにも酸味が無ければ味気ないから、酸味は有って良い
のだけれど、わざわざ「酸味」と言ってくるものは、
気にする人には気になる程度の酸味が、有るということ。

食べてみて、あたしは、「すっぱいっ」という顔をしちゃうんだけど、
「ああー、私はこのくらい酸味があった方が味が濃くて好きだよ。」
と、いう人もいる。
「おいしい」と言わずに、「好きだよ」と、言う。
ものはいいようだね。

なんにせよ嗜好の問題だけどね。
ちなみにその品種は・・・




・・・




・・・紅ほ●ぺです(言っちゃった!)
でも、もしかしたら熟度が足りない状態で収穫してるのかもね。
完熟の完熟だったら、色も綺麗だし、いいかもよ。紅ほ●ぺ(←さりげなくフォロー)

posted by 辰多みか at 14:47 | おいしい科学 | 更新情報をチェックする

2013年09月26日

「神の数式」の答え。

この間のNHKの「神の数式」第一回・第二回。
なんか知らないけど、面白かったな〜。
むかーし昔、NHK特集を見て、ワクワクしたのってこんな感じだったなーと
思い出したな。
まあ最近(去年)も、ダイオウイカを見てワクワクしたばっかだけど。
昔のは、「コスモス」とか面白かったな。カール・セーガン。
あらっ、コスモスは朝日テレビだわ。

「神の数式」が、今後、どう発展していくかは、あたしはわからない。
あたしが"感じる"のは、神は、ひとつの数式では表せない ということ。
そのたくさんの数式を、代入して代入して・・・式を整えていけば、
ナニか、出るのかもしれないけど…

今の物理学体系のままでは、「神」を表す事はできない。
なぜかというと、今の物理学体系は、全て「近似」で成り立っているから。

しつこいくらい書くけど、
本当の何もない 「ゼロ」と、
極限の、ほとんどゼロだけど「無」ではないゼロを、
いっしょくたにしてる時点で、ダメだ。

無限大と無限小とゼロの所に、生命の秘密があるんだから、と、あたしは思う。

数式がどうなるのかは、あたしはわかんないけど、
「答え」だったら・・・想像つくよ♪

イコールの、右側 だったら、わかるよ。


その「答え」はね、


「1」だよ♪
(断言したー笑)


むしろ 1 にならなければ、神とは言えない。(キッパリ)
ワンネスを経験した人は、わかるよね。



1 かー、どうやって導きだそうかな。

この世は2乗ででできている(→『世界は2乗でできている〜
自然にひそむ平方数の不思議』小島寛之サン 未読です)
のだったら、

(-1)^2 =1 で、
オイラーの等式の2乗 とか、どうかしら。
みんな考えつきそうだな。

※→第1回の感想♪
※→第2回の感想♪
posted by 辰多みか at 16:00 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

尤度

いぬど でも いぬたび でも 無いですよ・・・
そもそも いぬ じゃないし…
ゆうど と読むの。
もっともらしさ の事。

やっぱり統計学は面白いなぁ。
この秋・この冬は、がっつり学問の季節にしたいな。
やりたいことがいっぱいでどうしよう。

小島寛之サン他の、
『21世紀の新しい数学』
『世界は2乗でできている〜自然にひそむ平方数の不思議』

まずはこの二冊を買ってみたいわ。
posted by 辰多みか at 11:34 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

相手がダメな人でも、こちらが不機嫌になる必要はない

相手がダメ、の前に…
まず、あたし。
あたしは、学校の成績は良かった。
けど、どうも人間関係がうまくないみたいだった。
自分では気付けないんだけどね。

だから、妹たちに、しょっちゅう言われた。
「おねえは頭はいいけど、人間的にバカだね。」
きっつーい姉妹だわ(笑)。
まあ、あたしも妹をいじめてたので、
言われてもしょうがないんだけどね。

それと同じ事を、旦那に言われた。
もちろん妹に言われてた事は、旦那は知らない。

たー、やっぱりあたしはバカだー。

まぎれもない事実みたいだ。
だから、バカで、しょうがない。
治しようがないんだから、しょうがない。
まあ、しらずしらず迷惑かけてる各方面には、
今ここで、謝っておくわ・・・
ごめんごめんッ。(←こら)

で、相手である響子さん。
いろいろ彼女については逸話があるが、
到達した結論は、
「響子さんはダメな人」だった。
これは各方面での一致した意見。
(あたしひとりの意見ではない)

で、響子さんといっしょにいて、
あたしの罪悪感と引き換えに、響子さんの、
決して表に出さない希望がかなえられた時、
あたしはものすごく、不機嫌な気持ちを感じる。

いやらしい、ずるい、こすいやり方で、希望をかなえるのが、
響子さんの常習的なやり方。
ホントに、ダメだ。だめなヤツ。

で、この間、ぼーっと考えていたのだけど、
「響子さんはダメな人」と「あたしは不機嫌」って、
本当は、なにも、関係ない。

それは以前から知識として、世渡り論として、知ってた事だけど、
腑に落ちてなかった、というか、理解したくなかった事で、
あたしとしては、ぜんぜんできてなかった事だった。
まあ、今もあんまり(ほぼ?)できてないけど。

それが、本当に、「関係ない」って、一瞬思えた瞬間だった。
「関係ない」とは、あたしには関係ないもんね〜、みたいな
無責任という意味ではなくて、
そのふたつの事柄には、影響しあう媒体がそもそも存在しないって事だ
うん、つながってないということ。
それをさも影響するかのように、勘違いしちゃってるのが、
あたしたち人間だっていう事。

それは何度も何度も、気が付いている事なんだけれど・・・
すぐに、忘れて、思考の奴隷になってしまう。

だから、なにか問題が起こったら、
「響子さんはダメな人だな。」
「あたしは自分の罪悪感で不機嫌になってるな。」
と、両方認めて、それで、終わり で、いいんだ。
不機嫌を感じていても、次の瞬間には、機嫌良く対応できるよ。
うん、もっと、このへんをトレーニングしたいわ。
posted by 辰多みか at 11:33 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

2013年09月25日

無限はどこにあるのか

身近ではね。

たぶんね。

合わせ鏡 の間にあると思うよ。
そう、あの、自分と自分の後ろ姿が、永遠に続くかのような、
あの合わせ鏡の、鏡像。
posted by 辰多みか at 23:56 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

エノコログサ

うちのワンコが散歩の途中で、夢中になって食べる草。
エノコログサ。

匂いだけでわかるのかな?
人間には、かすかな草の香りしかしないけど。
他の草は、絶対食べない。
ちゃーんと、エノコログサだけ食べてる。
これをいっぱい食べると、吐く時があるから、
吐くために、胃をすっきりさせるために、食べてるみたいだね。

自然はうまくできてるよねー。
この時期、エノコログサは、穂が出て、
別名 ネコジャラシ とも呼ばれるよ。
猫も夢中になって、葉を食べるらしい。

えのころ というのは、狗児 つまり いぬのこども・子犬
という意味で、穂を、犬のしっぽ に見立てているらしい。
さらに、犬が大好物だなんて、なんてわかりやすい植物なの。

あたしは、子供の頃、このエノコロ草の先端のはっぱをひっぱって、
すーっと抜けてくる、そうめんみたいな長い茎の先を、
ちょっとかじりながら、学校から帰ってきたな。
木枯し紋次郎みたいに。

5ミリくらいまでは、食べられるよ。食べるというより
汁を味わう、という感じだけど。
少しすっぱくて味があって、おいしいんだよ。
どんな成分があるのか知らないから、せいぜい1、2本だね。
サルビアの花の蜜とかも、吸いながら帰ったわ。
posted by 辰多みか at 23:46 | 地球・自然・環境 | 更新情報をチェックする

蚊にいっぱい刺されると

あたしの住んでる家は、とっても田舎にある。
丘陵地帯の原っぱで、森があって川があって海があって湖がある。
(でちょろっと富士山も見える)

だから当然、虫が多いよ。
もう、ちょっとのことくらいじゃ驚かなくなったよ。
家の中でムカデを発見する、事以外は。

蚊なんて、毎日畑で、10カ所は刺されるよ。
むしよけスプレーすればいいじゃん、と思っちゃうかもしれないけど、
むしよけしても、蚊の絶対数が多くて必ず刺されるから、
諦めたよ。
ただし、家の中の蚊は、徹底的にやっつける(安眠のために)。

蚊にさされまくって、かれこれ十年近くなんだけど、
(この田舎にやってきたのが10年ほど前)
大発見した事が、あるのよ。

蚊 に、 大量に 刺されると、 腫れなくなる。
毎日、蚊にさされると、 腫れなくなる。

どういう免疫システムが働いてるのか、
あたしはちょっとわからないんだけど、
アレルギーの逆療法的な、そんな感じなんだろうか。

蚊に刺された直後は、やっぱり、かゆいよ、そりゃ。
でも、かゆくてもかかずに、「かゆい。かゆい。」と、
かゆみを味わってみる。ここでちょっとMだな(笑)。

で、当然ぷくっと腫れるんだけど、30分くらいすると、かゆみも
腫れも、サーッ となくなる。
さされた跡は、1〜2mmの、赤いポッツンになるだけ。
顔やまぶたも刺されるけど、お岩さんになったりしないよ。

ここに引っ越してきた当時、蚊にさされまくりながらパンイチの裸で畑を
歩いているおじいさんに、かゆくないのか、聞いてみたら、
ちょっとかゆいけど、腫れないから気にしない、と言っていて、
鉄人だ、と、尊敬の目で見ていたら、
自分が鉄人になっちゃった。あはは。

だから、アレルギー療法で、アレルゲンをわざと大量に体に取り入れるって
いうのは、的を得た方法なんじゃないかと思う。
まあ、命にかかわる場合は経過観察を充分にして、注意しながら
行わなきゃいけないとは思うけれど。
そんなこんなで、また今日も今から蚊にさされに行ってきます。
posted by 辰多みか at 16:32 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

えらぼう

神様は、
怒ったりしない。

神様が言う言葉は、「いいよ」しか言わない。

「神の怒りに触れた」っていうのは、
人間が自分を正当化するための、勘違いの、言い訳。


神さまは、 「いいよ」 しか言わない。
「あるよ」 しか 言わない。
「あって、いいよ」 しか 言わない。

有 か 無 だったら、
有 が 「神様」

無 は、 さあなんだろう。
「あなたと私は別人」 って事かな。
(あたしはそう感じるよ。)


宗教間対立でね、
あの宗教徒は許せない、だからやっつける。
あの宗教から弾圧を受けたから、うちの宗教徒は全員助ける、そのためにあの宗教をぶっつぶす。
と、いきまいて、争う。
宗教は、「神」と「愛」を説いているはずなのに。
なぜ、信仰している宗教が説いている事が、理解できないのだろう。
それはなぜかというと、そういう行動をとる人たちは、本当には神を目撃していないからだ。


神様は、「あって、いいよ」と言う。
それはね、

平和でも
戦争でも

どっちでもいいよ って言ってるのだ。
本当に神様を「目撃」すると、神様はずっ〜とそうつぶやいてた っていうのが
一瞬で理解できるよ。


戦っちゃダメとか、平和に暮らしちゃダメとかも、言わない。

言わない、というか、むしろ、
「戦っちゃダメでも、いいよ」
「平和に暮らしちゃダメでも、いいよ」
と、神様は言うのだ。


全面肯定なのだ。
神様って、完全肯定 って事なのだ。


戦争でも、
「やっていいよ〜」と、ニコニコ言っているのだ。
だからといって、宗教間対立が、それを理由に起こっている、というワケではない。
逆なの。

「戦争はやってはいけない」と、固く信じているから、やるのだ。対立したい人たちは。
神様から、許可を得られていないと、思い込んでいるから、やるのだ。

実は「戦争でも平和でも、好きにやっていいよ」と、神様は言ってるわけ。
どんなあたしたちでも、否定しない。それが神様。

「やってはいけない」と思い込んでいるから、やる。
それを選ぶ権利がない と思ってるから、やる。

そうではないのだ。
神様は、いけない とは絶対言わないのだ。

ただ、神様の仕事?は、もうひとつあって、それは、この世の仕組みを作ること。
作る、というか、作り上げた という事。

戦争の方向に力を向けると、跳ね返って自分たちの方に戻って来る。
戦争の方向、というのは、平和(愛)と逆方向の事で、
愛を与える方向に対して、愛を奪う方向のこと。
愛を奪う方向(つまり愛を自分たちへ近づける方向)へ力を向けると、
跳ね返って、愛は向こうへ行っちゃう、という事。
その跳ね返りの仕組みを作ったのが、神様。

だから、人間は、平和でも戦争でも、どっちを選んでもいいんだけれど、
自然の摂理に従うと、戦争を選ぶと、人間的には、良くない結果になる。
神様的には、どうでもいい〜♪。
神様は怒らないけど、摂理は、仕組みは・・・人間から見ると、怒ったように見えるかもしれないね。

仕組みは、人間の力では、くつがえせない。
本当に神様を目撃する(悟る)と、その事が理解できるようになる。

私たちは、どちらを選ぶ事も、許されている。
ないと思うからほしくなっちゃう、
できないと思うからやりたくなっちゃうのが人情。

どちらも選べるんだから、
選ぼう。
私たちは、すべて持っているんだから、選ぼう。
無いものなんか無い、すべて有る んだから、
与える方を、選ぼう。

神様は、そんな私たちを、ニコニコしながら、見ている。
「いいよ」とだけ言って、見ている。
posted by 辰多みか at 15:05 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

「神」という便利な名前

人はみな、"悟り"の体験をした時、
この体験が、"神"だと、納得するだろう。

けれども、「"それ"は、"神"で間違いない」、と確信できるのに、
「"神"と呼びたくない」、と思うのもまた、事実。

その理由は、悟った人が感じる「神」と、
悟っていない人々が語る「神」とでは、
あまりにも、イメージが、かけ離れすぎているからだ。

どちらも、全く同じものなのに。

神社にある「こまいぬ」は、もともとライオンがモデルだったはずだけど、
伝承されるうちに、あんな風になってしまった。

「見た事がない人たち」の間で、伝えていく。
すると、あんなふうに、なってしまう。

「神」も同じ。
「見た事がない人たち」の間で、伝えていく。
それが宗教。
実は、「神」は伝えるものでも信じるものでもない。
伝えていくのは、「神を体感するためのノウハウ」で、
信じてもらうのは、「神は体感できるから諦めないで!」っていう事だけだ。


だから、本当に「神」を見てしまうと、
"それ"が本当にまぎれもなく「神」なんだけれど、「神」と呼びたくない。
"それ"が"神"を表す、一番便利で、最適な名前なんだけど、
呼びたくない。
覚者で、あえて呼ばないようにしている人もいるし、
控え目に言う人もいる。

逆に、おおっぴらに言う人は、少し用心した方がいいかも、とさえ思う。
「神」という名前だけで、人は容易に集まるのだから。


あっ、あたしはブログでおおっぴらに言っちゃってる(笑)!


あたしがおおっぴらに言う目的は、
世界の人が全て悟る=世界平和 なんだからねッ(←ツンデレ?)
posted by 辰多みか at 15:48 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年09月22日

NHKスペシャル「神の数式」第二夜


見た見た〜♪

昨日のは、知らない事や人とかいっぱいでてきて、
あたし大丈夫?と思ったけど、
今日のは80%くらいは知ってたわ。よかった〜(笑)。
だいたい超弦理論の話だったわ。
でも昨日と同じく、今まで数式自体は、すべてスルーしてきてたので、
今日初めて、まじまじ見たよ。

この世は、4次元 て、番組内で言ってて、
それは、番組の間違いではなくて、「正解」なんだけど、
視聴者は、あれ?って思わなかったかなぁ。

「4次元時空」 って言ってほしかったんだけどな。
(番組の中では、ただ単に、「四次元」 とだけ言ってたよ。
昨日も、「重さ」と言ってたり、いろいろあいまいだった。)
「???」てなった視聴者も多かっただろうな。

あたしたちが今、現在、住んでいる(目に見えている) 次元は、
NHKが言ってたとおり、4次元 なんだよ。

でもそれは、ユークリッドが言ってた、3次元に同じ性質の軸を
一本足した、「4次元空間 よじげんくうかん」ではなくて、
アインシュタインが言ってた、3次元に時間軸を足したというか掛けた、「4次元時空 よじげんじくう」。
ユークリッドの4次元空間は、数学者が大好きなタイプの次元なの。
あたしたちは、ユークリッドの次元の空間には、住めないの。
死んだら、きっと住めるよ。
死ななくても、生きてるうちだったら、悟った時とか。
瞑想に深く入った時とか。


昨日に続いて、今日も面白かったけど、
ひとつ、どうしても腑に落ちない点があった。

番組中に、何回も出てきたけど、
1/0=∞ と言ってたよ。
いちを ゼロで割ると、無限大 と 言ってたよ。NHK。

ダメだろ〜!!
それダメだろ〜〜!!

そのゼロは、極限のゼロだろぉ!
(ゼロに限りなく近いけれど、ゼロではない、「勘違いのゼロ」)
物理学とか言ってるけど、数学から持ってきちゃったよ。

まあ、答えが無限大でも・・・あたしは別にいいんだけれど。
むしろ無限大でも解無しでも、どっちでもいいんだけれど。
そういう、ワケわからん答えが出るって所が、素敵♪
そうこなくっちゃ。ブラックホール。
ワケわからん答え、そこが、生命の秘密だってば!
気が付いて!気が付いて!
物理学者たち、悟って〜〜!

無限大を記述できなければ、いのちを記述する事はできないってば!
あたしたちの目を通して見ている、その「人」は、誰?
番組でいう「神の数式」は、まだ発見途上だと思う。
今まで見た事も(凝視と言う意味で)なかった数式を目の前にして
何をいう、とか言われちゃいそうと思うけど、あたしは、まだまだ足りない、と思うよ。

ホーキング博士が、ビッグバンは虚数時間ではじまった
と言うかと思ったけど、言わなかったな。
あたしは、過去にNHKスペシャルでやったと言われる、
「リーマン予想」の回を見てないから(やってたのを知らなかった)
次は、その辺を、バージョンアップしてやってほしいなぁ。
量子力学とか虚数とかも、やってほしいな。

追記
※→第1回♪
※→数式の「答え」を書いてみた♪
posted by 辰多みか at 23:52 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

NHKスペシャル「神の数式」


見た〜♪

こんな番組やるのなんて知らなくて、
今日の昼に、NHKの番組コマーシャルで初めて知って、
ワクワクして、見たよ〜。
「ダイオウイカ」以来の、ワクワク。
書いて溜めてた前記事の「天照らす」シリーズを、
番組始まる前に一気にupして、
テレビにかぶりついて見たよ。
(「天照らす」、結構あたしとしては力を入れて書いたのに…
扱いが雑になってしまったわ。)

「神の数式」! ナイス! 今のあたしにどんぴしゃ(笑)!

数式自体がわからなくても、物理学者たちが、何がしたいのかは、わかった。
わかりやすかったよ。あたし全然わかってなかった!と、思ったよ(笑)。

「強い核力」と言っちゃうんだ。あたしは核力はちょっと違うと思うな。
「強い力」で良かったのに。
視聴者が、「えー」と思えば、ネットで検索して、
物理学に興味を持つ人が増えたかもしれないのに。

知らない事が、いっぱいあった(笑)。
事っていうか、人。知らない人、いっぱいいた。
オッペンハイマーさんて、知らない…イケメンだったわ。
素粒子の数式は、スルーしてたから、はじめてまじまじ見たわ(笑)。
やっぱり数学を一から丁寧にやり直さないと、と、改めて思ったわ。

ヒッグス粒子の数式は、「汚い」んだね。
トイレとまで言ってた。
あたしは、この現実の世界は、美しくない と思ってるから、
これで、いいんだと思うよ。
美しいはずだ、という思いを、捨てないと。
美しいのは、数の世界の中だけで、この苦しみの現実の世は、きっと、美しくない。

自発的対称性の破れは知ってたよ。
もしかしたら、「神様」が「完璧な美」でいられなかったのは、
「自発的対称性の破れ」のせいで、それは必然的な自然現象だったかもしれないね。
で、ヒッグス粒子は、「自分」の、認めたくないけれど確かに在る「陰の部分」
「本性の部分」、「自我の部分」、「エゴの部分」なのかもしれない。

番組では、この数式で神・世界を記述できるかも、と言ってた。
あたしは、できない〜〜
できないと、思う〜〜。

ぜ っ た い に で き な い (←何)

なぜかというと、「無限大」を回避しているから、
生命の秘密が、記述できない。

無限大と無限小とゼロのところに、生命の秘密がある。
イコール、神様の 秘密。
あたしたちの「死体」だったら、この数式で記述できるかもしれない。
ただの「物質」だったら、記述できるかもしれない。

あたしは前々から、神様は数式で表せる、て書いてるけど、
「ひとつの数式」で、とは思ってない。
ひとつの数式で表せるのは、神様の、ほんの一部。
座標の上で、数式の答えを光らせてやれば、
そこに、一部分だけ、神様のシルエットが浮かび上がるのよ。
いっぺんに全体像を見る事は、できないの。

番組を見て、やっぱりそう思いました。
明日も楽しみ〜♪

追記
※→第2回も見た♪
※→数式の「答え」を書いてみた♪
posted by 辰多みか at 00:24 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

2013年09月21日

天照らすF

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」 「D」 「E」のつづきです…



これが「神様」という事か。
あたしは、光の下で、納得しました。
腑に落ちた、という方が、より近い。

すとーん、と、理解が、腑に落ちてきました。
みぞおちの少し上あたり、「腑」は、案外、硬いものでした。

「あたし自身が、神様だったわ。」


我に返ると、「あたし」は、球体ではなくて元のあたしに戻っていました。
けれども、ついさっきまでの元ではなくて、
「性悪な本性のあたし」が、あたしに寄り添って立っているのが見えました。
人 という字みたいに、ふたりで寄り添って、立っていました。
もともと、寄り添わないと、あたしたちは立てないように、できていたのです。
だって半身だから、足が、一本ずつしか無いしね。
それは生まれ出た時のままの、元(もと)。
その 元 に、戻っていました。 
あたしたちはもともと「そのままでいい」のです。

ドーンドーンという振動は、終わる事がない という事も理解していました。
それが「愛の波」だという事も。

「愛」の反対になる言葉は「憎しみ」では無い。
「愛」の反対は、「気にも留めない」「目に入らない」「無関心」なのです。
「憎しみ」は、愛の別表現なのです。波の方向 が、「愛」と逆なだけ。
「無関心」は、波が、立たない。振動を相手に与えない。

「愛」でしか、人を動かす事はできない。
振動は、どれも、同じ。
受け取る人が「愛の波」と感じれば、人は心の鍵を開く。
「憎しみの波」と感じれば、人は用心して、鍵を二重三重にかける。

「北風と太陽」の太陽は、「愛」だ、と思いました。
本当の愛。心を開かせる愛。
ただそのままでいい と言っている 愛。
「コートを脱いでも脱がなくても、いいよ。」と、ニコニコ暖かさを送っている、愛。

見回すと、鏡の向こうにうかぶ部屋は、
すべて、あたしの部屋のように、内部に、天上につながる奈落 がある物 だという事が、一目で理解できました。
その部屋の中で、一喜一憂する、人間たち。
それらがみんな、ひとりひとり「神様」なんだ、と理解しました。
人だけでなく、自然も、物も。
これがやおよろずの神。

すべての部屋が、ゼロの通路で、つながっている。
そこに住む人たちは、気付かない人がほとんどだけど。
皆が気付けば、世界はたちまち平和になるだろう。
振動は、「本当の愛の波」になるだろう。
太陽のように、「そのままでいいよ」と、お互い、
平和に暮らすだろう。


・・・「天照らす」終わり・・・

あたしが、一度目、神様を見たのは、そこまで でした。
神様は、自分自身でもあり、太陽のようでもありました。
すべての「やおよろずの神」が、本当は大きなひとつの源から
ゼロの通路を通って、やって来ているのを知るのは、これから数年後でした。
それは、体感ではなくて、
数の世界で、
知ったことでした。

神様は数式で表せる。
数の世界の秩序。
それが、ワンネスです。

posted by 辰多みか at 20:56 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすE

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」 「D」のつづきです…




回転体の中心に現れた、本当のゼロは、
奈落の底への 入口でした。
あたしたちは、その中へ、吸い込まれていきました。
球体自体が、あたしたちなので、
あたしたち球体 の外側が、内側の、本当の真ん中に
吸い込まれていく ようにも見えました。

地下の暗い、光の無い、奥の奥の、奥へ。


吸い込まれて、出た先は、





でした。


光のあふれる、

まぶしい、

外でした。


ものすごく狭い所に行ったと思ったのに、
出た先は、広大な、外でした。



あたしたち球体は、
ぐるんと、
ひっくり返ったのです。

真っ暗闇の奈落の底は、光の天上 でした。

B3Fだと思っていたら、屋上 でした。





あんなに頑丈に、戸を閉めたのに、
あたし自体の中身と外身がひっくり返って、
外に出てしまいました。
戸のロックは、まったく意味がありませんでした。



あたしは、
「それ」を、
見てしまいました。

言葉で表現できない「それ」を、
見てしまいました。

見た、というより、体感した、という方が、
正解に近い。


「在る。在る。」とだけ言う
「それ」の事を、

太古の人は、
「神」と呼んだのです。



つづく・・・→F
posted by 辰多みか at 20:54 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすD

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」のつづきです…


B2F(地下二階)。

B2Fの床で、粉々に砕けた、「あたし」と「性悪なあたし」。
あたしの世界のすべて。
いえ、あたしが世界のすべてで、そのすべてが砕け散った。

あたしは、あたしもろとも粉々に砕けたけれど、
意識はあった。
いえ、
むしろ、
「意識」が、「あたし」でした。

「意識」が、ずっと見ていました。

「それ」を。


ここから先で、

意識が見た物の事は、

文字で書き表せません。

文字で書いたら、口に出して話したら、

すべて「嘘」になってしまう。

どんな事を書いても、片手落ちです。



なぜなら、「それ」は、「すべて」であり
「すべて」であるが故に、矛盾するふたつの事が同時に成立するからです。
どんな事を書いても正解であり、不正解です。

対極するふたつの事を同時に書き表せなければ、「それ」を表現できたと言えないからです。
文字におけるその術は、この世には、ない。
数学においてならば、ミンコフスキー空間で、草食動物のような
特殊な目を使えば、「それ」を見る事はできる。

そもそも「意識が見ている」のか、「見えるものが、意識」なのか。
どちらも正解でどちらも不正解。


「いい人のあたし」で、「性悪なあたし」。
「私」で、「私以外のすべて」。
「白」で、「黒」。
「上」で、「下」。
「中」で、「外」。

それらが同時に存在する。
全く、相反せずに。

それがB2Fの光景。
見る事はできるのに、文字で表現する事ができないのです。


世界のすべてが砕け散ったのに、
ドーンドーンという振動と音は、
治まりませんでした。

「治まらない」という自然の約束だから、
「治まらない」。永遠に。

砕け散った世界のすべてと思っていたのは、
鏡の殻の中の、あたしの部屋だけでした。

他の部屋は、相変わらず、空間に浮かんでいました。
よく見ると、たくさんある部屋の空間の中で、生まれたり消えたりする部屋もありました。
泡がぶくぶく泡だって、そしてはじけて消えるように。

その時突然、
砕け散ったあたしのすべてが、
陰と陽がくっつくみたいに、
ひとつにまとまって、そして回転しはじめました。

「あたし」が、「たてまえと下心」だけしかないと認識していた頃は、
うまく回転しなかったのに、
「たてまえと下心」の下層に、「本性と本当の自分」がいると気付いたら、
バランスが完璧になって、回転できるようになりました。
半身を取り戻したあたしは、球体になって、
回転しました。
回転の原動力は、ドーンドーンという、あの振動。
あれほど亡き者として見ないふりをしていた「性悪な本性」は、
あたしの、味方 でした。
絶対的な味方 でした。
あたしたちはふたりで手を取り合って、回転しました。

すると、球体の中心に、回転しない、本当のゼロ が生まれました。
バランスを欠いていた頃は、ぶれにぶれていたために、絶対に生じなかった、 ゼロ。

その、ゼロの中心は、
「どこか」に、つながっていたのです。

B3F。
本当の 奈落の底 へ



つづく・・・→E
posted by 辰多みか at 20:51 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすC

・・・これは「天照らす@」 A」 「B」のつづきです・・・


ぜんぶ、人のせいにしていた。
都合が悪くなると、体調のせいにしていた。
性悪な本性は、
「あたしは悪くない。悪いのはすべて周りだ。」と言って、
針や熱湯などの「武器」を抱えたまま、
ギラギラした目で周りを見回していました。

針や熱湯は、そもそもあたしの性悪な本性の方から
先に投げた物でした。

けれども、
投げながら、泣きながら、「本性」が本当に思っていた事が、
「あたし」の胸の中に、流れて響いてきました。

「あたしを愛してほしい。あたしを見てほしい。
嫌だよって言いたい。押しつけないでって、言いたい。
やりたくない…
やりたい…
やめてほしい…
やってほしい…
本当はそう思っていると、言いたい、言いたい、言いたい!」

本性が投げた物たちは、鏡にぶつかって、自然の摂理に従って跳ね返って、
そのまま、元のあたしの所へ、返ってきていた だけでした。

「本性」と対面する前の「たてまえ・表の顔のあたし」は、
そんな声を感じた事があったけれど、
常に、こう返答していました。
「言いたいなんて、ダメだよ!言ったらダメなんだよ!
言ったら、愛してもらえなくなる。見てもらえなくなる。
嫌だなんて言っちゃダメだ!
もっといい人にならなきゃ、
みんなはあたしの事を認めてくれない!
過去のあたしは捨てるんだ。
もっと努力して、みんなに認められるようないい人になるんだ!」と、
呪文のようにぶつぶつと口の中で繰り返していただけでした。

そうして、「性悪」な本性を、自分の殻の中のさらに殻の中に
押し込めて閉じ込めて、そして、わざと忘れてしまっていました。

その本性と、
あたしはついに対面しました。
今まで、一瞬見えたりとか、居る雰囲気とか、なんとなく感じて、
そのたびに心がザワザワしていたけど、
今回は、お互い、真向から、
正面を向いて、
目をそむける事なく、
向き合いました。

お互いに、声は出ませんでした。
「性悪な本性」の本当に思っていた事が聞こえた今、感じるのは、
「性悪な本性」は、「あたし」を守りたかっただけだという事。
「たてまえ・表の顔」も、「あたし」を守りたかっただけだという事。
お互いに、いえ、「あたし」のすべてが「あたし」を守りたかっただけだという事。


その時、
どこからともなく、
鳴り響く鐘の音のように、「声」が降り注いできました。


「ある」

「在る」

「わたしは 存在する」

「I am.  I am.」


祝福の鐘の音なのか
葬送の鐘の音なのか


次の瞬間、床が、崩れ落ちました。
B1Fの 床が。
壁もろとも。
あたしと性悪なあたしをまきこんで。
奈落の底まで落ちていくと思ったけれど、
B2Fの床に 打ちつけられて止まりました。

地上一階とB1Fのすべてが、
B2Fの床の上で、
こなごなに砕けました。

あたしも
性悪なあたしも

区別がつかないほど




・・・つづく→D
posted by 辰多みか at 16:06 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

天照らすB

…これは「天照らす@」 A」のつづきです…


外には誰も いない。
地下には無かったと思っていた部屋が ある。

有ると信じていた事が無くて、
無いと思い込みたかった事が、有る。
これほどの絶望はありませんでした。


あたしは、扉を開け、
暗い、恐ろしい、地下を、見てみました。
目を開けるのもやっとのはずだけど、
絶望しているからか、目を開けて、じっと見つめました。
階段は、螺旋階段でした。

地下室は、B1 B2 B3 と、地下3階まであるようでした。
怖くて、最初の一歩がなかなか出ませんでした。
ひきかえそうか、と思いました、
そういえば、過去、何度かこの階段を降りようと思った事がある。
階段があるのさえ気付いていないと思っていたけれど、
無意識に、カーペットをめくっていた事が、何度も、ある。
でも、その度に怖くて、すぐにやめてしまった。
死んだ方がまし とさえ思った。
病気だから降りられない と思っていた時もあった。
神様どうかあたしを病気にしてください、と、神に祈った時も あった。
そうしてすぐ、地下へ続く扉の事は、記憶から消してしまっていました。

けれども、
絶望したら、
一歩が踏み出せて、
あたしは、階段を、猛スピードで、駆け下りてしまった。
自分でも止められない。
怖いはずなのに。

地下室は、
汚くて、臭くて、あまりにツーンとした刺激臭だから、
涙が、
あふれてあふれて、
そして、うわぁーーーッと叫びながら、駆け下りていきました。

そこ、B1F(地下一階)は、
地上一階の「たてまえと本音」の部屋ではなく、
「本性」の部屋でした。
見たくなかった。
死ぬまで、見たくなかった。
死んでも、見たくなかった。
認めたくなかった。
「本性」をどうしてもどうしても、認めたくなかった。
・・・絶望したことで、「本性=封印していた自分」が存在
していた事と、その存在を「どうしても認めたくなかった」事に、気づいた。

B1Fの部屋の壁いっぱいに、
映画のように、
過去の映像が映し出されて流れていました。
それはただの映像ではなくて、
痛みや冷たさや苦しさの、
感触も感覚もある、
まるで立体のような、いや立体、いや実体の
とてもリアルな映像でした。
その主人公は、「あたし」。

その光景は、
まるで、
走馬灯のようでした。
そう、人間が死ぬ時に見るという、走馬灯。
あるいは、
死んでから閻魔様の元で、否応なく見せつけられるという、人生のフィルム。

そう、あたしは死んでから見るはずの、自分の今までの人生を
すべて記録したフィルムを、生きながらにして、全部、見てしまった。


恥ずかしかった。
悶絶するくらいだった。
目をそむけたいのに、見えない力に固定されて、
映像から目が離せない。


映像に映し出されていた あたし。

認めたくなかった。

本当に認めたくなかった。

死んでも認めたくなかったけれど、

その本性は、



性悪 でした。




表に向ける顔は、いい人ぶっていたけど、
そのいい人を支える根底、本性は、
「性悪」 でした。

あたしは、その、今まで目をそむけていた「性悪」な自分、
亡き者にしていた「性悪」な自分、
なにか出来事が起こるたび、自分から切り離して捨ててきた
「性悪」な自分と、
対面しました。

切り離して捨てたつもりだったけど、
「ここ」に、居たのか。
何年も、この汚いおぞましい地下に
閉じ込められていたのか。
誰でもない、この「あたし」によって。
あたしがあたしの半身を。
嗚呼。


・・・つづく→C
posted by 辰多みか at 21:58 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすA

…これは「天照らす@」のつづきです…




ひとつ、というのか、あたしの部屋を覆っている、殻のような空間の内部が、
一面、鏡でした。


そして、鏡の殻の向こうには、同じような戸がある部屋が、
いくつも、うっすら透けて見えて、
しゃぼんだまみたいに、空間にぎっしり浮かんでいて、
隣の部屋は、あたしの部屋の壁に、
鏡でできた空間の壁に、
ドーンドーンと、ぶつかっていました。
すべての部屋が、近づいたり離れたり、ドーンドーンと、ぶつかっているだけでした。
その音と振動は、はじまる事も終わることもなく永遠に、ただ、ぶつかって音を出す だけでした。

そこには、ヒトが、生物が、誰もいませんでした。


あたしは怖くなって、すぐに戸を閉めました。
おかしい、おかしい、おかしい・・その時からずっと、
あたしの頭の中に、疑問が湧くようになりました。

戸の外に誰かいると思っていたのは、妄想だったのか?
あたしは、この世界にたったひとりで、
はるか以前からひとりで、そしてこののちも、ずっとひとり。

ひとりだから寂しいとか孤独だとかという意味ではなくて、
ひとりで完璧で、ひとりで幸福で、ひとりで「この世界」のすべて。
あたしはたったひとりだけれど、「この世界」=あたしの世界 には
「あたしの世界に存在する、あたし以外の、他の人たち」もちゃんといる。
「あたし」が笑顔になれば、「他の人たち」も笑顔になる。
「あたし」が不機嫌になれば、「他の人たち」も不機嫌になる。
ただ、映っているだけ。
あたしが、伝染 しているだけ。
ドーンとぶつかる振動は、あたしが笑顔になれば、心地いいものになり、
あたしが不機嫌になれば、恐ろしいほどの衝撃・気持ちが悪い揺れ に感じる。

そうなの?
あたしが世界なの?

あたしはそんな疑問を胸に、部屋の中を見回してみました。
部屋の中には、あたしがしてきた事・感じてきた事の各シーンの写真が
壁一面に貼られていました。
全部、「いい事」のシーン。
見た目が「いい事」
かっこうが「いい事」
倫理的に「いい事」
正義感という意味の「いい事」

なぜ、こんな「いい事」がいっぱいの部屋なのに、暗いの?
あたしはこの「いい事」を積み重ねてきたのに、なぜこんなに息苦しいの?
その「いい事の写真」は「たてまえ・表の顔」を映した写真ばかり。

部屋の片隅には、「本音・下心の写真」を入れてある箱があるんだけれど、
その箱からは「暗い闇」は感じられませんでした。


「暗い闇」は、なんと、地下から立ち昇ってきていました。
あたしは何年もこの部屋に籠城していたのに、地下室があるのに気が付かなかった。
いえ、たまに、とてもツーンとくる匂いがして涙が出たりしてたので、
この下になにか有るな、とはうすうす感づいていたけど、
汚そうで臭そうで怖そうで、見る気に、まったくなれませんでした。
息苦しいのは、もしかしたら地下から何か出ているせいかもしれない。
そう気が付きはじめました・・・

あたしは、
「鏡」が外にある「あの戸」が開いてしまうと困るので、
戸のロックをしっかり確認して、バリケードも頑丈にして、

そして、

床に敷いてあるカーペットに、おそるおそる、手をのばしました。
衝撃の事実を知る時間が近づいている事に、震えあがるほどの恐怖が襲ってきました。
何度も、めくるのをやめようかと思ったけれど、その時、そのタイミングが、
どこか彼方からやってきました。
それは自分のコントロールを超えていました。

コントロールできない、見えない力で腕を動かされて、
とうとう、カーペットを、自分の手でめくりました。
そこには、地下に繋がる階段の扉がありました。


あたしは、
絶望 しました。



・・・つづく→B
posted by 辰多みか at 00:43 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月19日

天照らす@

☆☆☆☆

アマテラスは、
弟のスサノオに怒って、
天の岩戸に隠れてしまいました。

世界は真っ暗になりました。

やおよろずの神々は、どうにかしなければと、知恵を出し合い、
「世界が真っ暗闇になってしまった時」に、皆がするであろう事と
全く逆の事を、しました。
アマテラスは、「全く逆の事をしている皆」の事を
不思議に思って、ちょっぴり、岩戸を開けてしまいました。

すると、目の前に、「鏡」が差し出されました。
アマテラスは、その鏡に映っているのが自分だとは気付かず、
自分以外にどんなすごい神様がいるのか、と思い、
もっと良く見ようと、岩戸をもう少し開けてしまいました。

その時、そのチャンスを待っていた、力自慢の神様が、
思いっきり岩戸を開け、さらに遠くまで投げ飛ばしてしまいました。

戸に隠れる事ができなくなったアマテラスは、
皆に歓迎されながら、世界に出てきて、また明るく世界を照らすのでした。


☆☆☆☆

あたしは、
妹びいきする母・働かない父・学級委員や無理難題を押しつけるクラスメイトたちに怒って、
心の殻の中の部屋に閉じこもってしまいました。

その頃から、あたしは、「ネクラ」と呼ばれるようになりました。
誰にも、心を開きませんでした。

何年も、そのままでした。
それでも何回か、暗い状態から、ぱっと目の前が開く時がありました。
それなりに楽しい事もありました。けれど、戸は開けてすぐ閉めました。
環境が変わり、新しい家族になり、
ますます、
あたしは戸をしっかり閉めるようになりました。
その間15年くらい、二重ロックのうえに、家具でバリケードまで作っていました。
家族は時たま、戸についている通風孔をわざとふさいだり、
熱湯や針や悪臭や催涙ガスを、そこから投げ込んできたり、
室温をものすごく暑くしたり寒くしたりしたので、
あたしも同じように、
熱湯や針や催涙ガスや爆弾を、
外にむかって投げたりしていました。
部屋には、ドーン、ドーンと、なにかがぶつかる音が、常に聞こえ、
そして振動していました。
振動が大きくなると、通風孔から、いろんなものがボトボト落ちてきて、
あたしはそれでヤケドをしたり、血が出たり、さんざんな目に会っていました。

戸の中は狭いので、だんだん息苦しくなってきました。
通風孔をふさがれなくても、息苦しくなってきました。
いえ、ただ狭くて息苦しいだけなのに、また家族がわざとふさいでいる、と、思ったりもしました。
ドーンドーンという振動は、収まる時がありませんでした。

戸を開ける気なんて、これっぽっちも起きませんでした。
もっともっとバリケードを築いて、どんな力持ちでも、開けられないようにしました。

投げつけられたら、投げ返しました。
血を流しながら、投げ返しました。
けれども、ちっともすっきりしません。
どんどん息苦しくなって、てめぇこのやろう!通風孔をふさぐな!と、
とうとう戸を開けて、文句を言ったら、

そこには誰もいませんでした。


誰も通風孔をふさいでいませんでした。
誰も針や熱湯や催涙ガスを投げ込んでいませんでした。


そこには、

「鏡」が、

ひとつあるだけでした。


・・・つづく→A
posted by 辰多みか at 14:24 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月18日

無限大と三人の学者たち 物理・数学・哲学

無限大は、∞ 
どこまでも果てしなく続く。ところで果ては、あるの?

無限小は、1を無限大で割ったもの。 1/∞
どこまでも果てしなく、ゼロに近づく。ゼロになる事は、あるの?


「数式の中に無限大・無限小が出てきたら、どうする?」

物理学者に聞くよ。
「どうする?」→物理学者「どうって・・・どうしようもない!物理では扱えない!
物理学者は無限大の扱い方を知らない。お手上げだ。
そうだ数学者だったら無限大の扱い方を知っている。
数学者に聞いてくれ。」

数学者に聞くよ。
「どうする?」→数学者「簡単じゃないか。極限を使えばいい。
1/n の n値のlimが無限大に近づけば、1/n の極限はゼロに収束する。」

哲学者に聞くよ。
「どうする?」→哲学者「ゼロになるわけがないじゃないか。愚か者。」



あたしは、哲学者よりの考えだ。
あたしはこう思う。
無限大と無限小のところに、生命の秘密がある。
「極限」の考えを捨てなければ、「いのち」を解き明かす事はできない。
ゼロで1(数)を割ると、新しい命が、大いなるひとつの命から、分離して誕生する。
posted by 辰多みか at 16:19 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

2013年09月16日

しめすへん

しめすへん(ネ)は、
「示」
で、
その形は、
神にささげる供物を乗せている台。
神に関係する漢字に、しめすへんを使うらしい。

上の横棒は、いけにえ で、
右と左に斜めに下がる線はしたたる血という説もあるんですって…

神 という漢字は、
しめすへんに、いなずまを意味する申をつくりとしたもの。
神そのものである稲妻。

あたしは今日みたいな台風の日に、
「いけにえ」と「神様」と「統計と確率」の関係に、
いつも思いをめぐらすよ。

いけにえというか、人柱(ひとばしら)というか。
昔の人がなんでそんな事、しようと思ったのか。
とても良くわかる。
posted by 辰多みか at 23:23 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

50年カレンダー

この間ね、本屋さんで、無料(フリー)の大学案内をもらって帰ったの。
ぶあつくて赤いやつ。FROMPAGEのやつ。
中身は、各大学の資料請求で、特に今必要なものではなかったけれど、
巻頭付録がよかった。
「50年カレンダー」というのが、付いてた。
だからさっそくトイレに、座ったら良く見えるように、貼ったよ。

2013年から、50年後までの、カレンダー。
本当は「100年カレンダー」といって、販売されてるらしい。
(自分の生まれ年始まりを選べて、700円くらい)
この付録は、100年カレンダーの付録版で、50年分だよ。

これをじっと見てるとね。
いろいろ 考える。
もちろん、楽しい予定とかさ。
いろいろ 考える。

口に出しては言わないけれど、
うちにはワンコが居るから、
この、一枚の紙上の、どこかはわかんないけど、
でも 確実に
一点、
ワンコとさよならする日が、あるはず。
だって犬だもん。

父・母・義父・義母。さらにあたしにはまだ祖母がひとり健在で、
口に出しては言わないけれど、
この紙上に、どこか、点を、
打つことになると思うの。点の数は、5 とは言わないけど、
あと50年だからね。

そう思いながら、カレンダーを見る。
神様が、ダーツでポンと。
これが統計・確率ということ。
その答えは、神様しか知らない。

トイレに入るたび、いろいろ考える。
ネガティブになる必要はないけれど、
こういう心持ちも、持ってて悪くはないと思うよ。
後悔をしないために。
posted by 辰多みか at 17:03 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

充実した週末♪

13日(金)は、可睡斎に「阿雲の呼吸」講演会を見に行ってきました。
阿部さん・黒斎さんのかけあいが面白かった。
そもそも「悟りを公言している悟った人」をリアルで見たのが初めてで感無量。
(リアルで見る、のがここ最近の目標だったからね♪)
あたしが口に出して、しゃべりたいなーとつねづね思っていた内容が、
他の方の口から、しかも面白可笑しく聞けるなんて。
阿部さんは「きみまろ」みたいでした(いい意味で!笑)
黒斎さんはブログをちょろしか見た事なかったけどイケメンでした。
あと、あと、行きたいな、と思ってる近くのお寺の向禅師を生で見れてこちらも感無量でした。
悟った人を、いっぺんで3人も見たよ。
主人と一緒に行ったんだけど(主人は悟ってない)、帰りに「おまえと同じひとたちだ」と言われました。
主人はこんなあたしの事を理解してくれるそうです。嬉しいな。
面白すぎて大笑いしたけど、
実は一番面白かったのは、可睡斎の斎主老師だったかもしれない(笑)。
あんなふうになりたいものだわ。

昨日は、お手伝いにたずさわってきた映画が、シネコン初上映ということで行ってきました。
満員で入れなかった人もいると聞きびっくり。先に見ちゃって申し訳ない・・・
(ここで映画名を書きたい所だけど、ぐぐった関係者にあたしが誰だか
わかってしまうので書けない・・・あたしも映ってるよ。)
監督おめでとう♪良かった。このまま長く上映されてほしいわ。

今日は、ですます調で書いたなー。
なんかやりきった感を感じる週末だったなー。
posted by 辰多みか at 15:43 | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

すこしずつ・・・できてる?

心の中で進行形の気づきって、
まだこの先、気付きが進むかな〜と思って、
なかなか文字にできないね。
なんか、書くのも嫌だし(それが本音か)。

響子さんに対して、あたしから依存しないぞって決めた、けど、
決めるとかいうこと自体、「違う」んだよな〜。

あたしは、響子さんが、含みのある会話をするのが、嫌だ。
あたしのためではなく、自己の保身のため、
上目づかいで、こちらの表情を読みながら、じりじり会話を
変えていく話術が嫌だ。
平静を装っているが、ドキドキがmaxみたいなしゃべり方が嫌だ。
(その証拠に響子さんは人のいない所でわからないように
溜めた息を吐いている←見ちゃった)
一対一では、顔色を見ながらの話術になるが、
人数が増えるとガラリと人が変わって、普段しない
攻撃的な言い方になるのも嫌だ。(これが本心・本性だと思う)

さっきも、そんなような事があって、
あたしは一瞬ムッとなって、反射的に、あたしの方が上っぽく
言葉を返したけど、よく考えたらそうじゃないんだよな〜。

あえて自分が言いたくない事を、言うんだよな、こういう時は。
それが、「人生の流れにおける正解」なんだよね。
あたしはまだこれができない、したくない、すると負けみたいに感じる、から、できなくて、いつまでも現実逃避をしているんだ。
「嫌です。」は言えるようになってきて、その部分は、
ちょっと癒されてきたから、次のステップだね。(最終ステップ?)
まず、「ありがとう。」それをやってくれて、「ありがとう。」
嫌な事だけど、あたしのためじゃなくて実は響子さんの
ためかもしれないけど、あたしにとって、やってほしくなかった事かもしれないけど、
「(やってくれて)ありがとう。」
嫌味なありがとうじゃなくて、心からありがとうと言うの。
まあー、嫌だけど、がんばってありがとうと言うの。
笑顔でね。
「おかまいなく」って感じでね。
「ごくろうさまっ(ハート)」って、感じでね。
もう、あんたのせい って、思い込まないんだ。
で、それができなくても、それも気にしないんだ。
posted by 辰多みか at 15:44 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

2013年09月11日

目のツボ・攅竹 さんちく

目が疲れやすいんだよね。もうずっと前から。
結婚して、子どもがまだ小さい頃は、外出すると、
すぐに目から疲れてしまって、目→首筋→肩 と、
ゴリゴリになって、そして頭全体が痛くなって
動けなくなってしまっていたので、頭痛薬(バファリン等の痛みどめ)が欠かせなかった。

今はね、頭痛薬はいっさい飲んでいないよ。
相変わらず目は疲れるけど、
疲れを取る方法をあみだしたから♪

その方法とは、攅竹 を押さえるだけ なのだ〜。

目が疲れてくると、さっき書いたみたいに肩から上がガッチガチになっちゃう。
そんな時は、寝そべる場所があると最高なんだけど、寝転べるのだったら、
おなかを下にして、胸の下に枕やクッションをはさんでうつぶせに
なって、ひじを床に着く。(痛いからひじの下は何か敷いてね)

それで、両手の親指の上に、攅竹 を乗せる。

攅竹というのは、まゆげの鼻側のふちにあるツボだよ。
まゆげの内側のふちの部分を指でさぐると、
頭蓋骨の目の穴のふちの部分に相当するんだけど、
そのツボがある所は、骨がくぼんでいるからすぐわかるよ。

攅竹には、三叉神経が通っているのだ。
三叉神経(滑車上神経)が、そこでキュッとせばまって集まっている。
だから、ツボを押す、というより、あたしは、
神経を直に触っているんじゃないかと思うんだよ。

攅竹(さんちく)という名前の意味は、いろいろあるみたい
なんだけど、あたしの(独自に感じる)名前の由来は、
神経を、竹の細い枝でできたほうきのように
感じるから、ではないかと思うの。

実際、この攅竹を押してみると、ほそ〜い、パパパッとか
シパパパッみたいな微かな線の感覚を、頭全体に感じるのよ。
髪の毛ひっぱってる?みたいな。
首の後ろがツツツって感じたり、
みみたぶまでサーッと繋がっている感覚も有るよ。
その感覚が、あたかも、竹のほうき みたいなの。
ほうきを束ねる場所が、攅竹にあたる。

それを感じるためには、ちょっとコツが要るんだ。
ただ押すだけでは、感じられないんだ。
攅竹をさわるとすぐ、ほそい筋を指で感じるんだけど、
ソレではないのだ。
そのほそい筋は、筋肉についてる腱だからそれではないのだ。
もっと奥を、触るの。

うつぶせになって、親指に攅竹を乗せたら、
あとは、頭の重みだけで、ツボを押していく。
2、3分、動かずにじっとしているのよ。
これに何の意味が〜と、途中不安になるかもしれないけど、
ガマンしてじっとしてるのよ。

すると、突然、シパパパッと、細い、ほそ〜い、電気信号みたいなのが走る。
(あまりに疲れ目だと、ほそい線を感じないから、3分くらいやっても
痛いだけだったら、一度やめてね。)
それが感じられるようになったら、ゆっくりやさしく、指をくりくり回してみる。
すると、頭全体とか、うなじの後ろまでとか、みみたぶまでとか、
パパパッの線が、つながるのよ。うんちょっとしびれる感じ。

そうなったらしめたものなの。
両目にシパパパッを、しばらく感じたら、多少疲れが残ってても、
もうマッサージしなくても大丈夫。
このまま普通に行動していると、30分くらいたつと、目の疲れがすっかり
なくなってるのに気付くよ。

すごい効果なのだ。
あたしはいつもこれで疲れ目と頭痛と肩コリを治す。(肩コリの治し方は
他にもあるよ)
ただ、本当にあまりにも疲れ目だと、シパパパッは起きないの。
そんな時は、攅竹のまわりに、水が溜まっているように感じるよ。
うん、細胞に水がしみ出てむくんでいる、というような感覚。
もみ続けると、鼻のつまりが取れる瞬間みたいなのを感じるんだけど、
たぶん水分で神経が圧迫されてるから、
こうなるとあまり効果は期待できないの。
だから少し目が疲れたな、と思ったら、すぐにやるといいよ。
寝ころべない場所だったら、机にひじをつくとかでもできるしね。

posted by 辰多みか at 14:42 | 整体であること | 更新情報をチェックする

2013年09月10日

ヨーピッチロール

三軸といえば

XYZ軸

さあ、左手を、フレミングの左手の法則にして〜
YO YO
はい右手もフレミングの右手の法則※にして〜ラップのリズムにのって〜
YO YO

(はい、"フレミング"は今は実は関係無いんだよ〜 電・磁・力 関係無し〜)

左手を見て〜

親指が X
人差し指が Y
中指が Z
(オヤユビガエクス・・・←カタコトで言ってみてね笑 電・磁・力とかぞえ順が逆だよ〜)

はい、Xがピッチ
Yがヨー
Zがロール

Yが自分が立ってる頭方向で、
Zは、顔が向いてる方向(目線方向)だよ〜
Xは、右腕を水平に上げてみてね〜

はい、マットを敷きますよー

前回りであっちまで行ってみてね、それが X軸の「ピッチ」
じゃああっちまで行けたら、その場で両手を上に上げてバレリーナみたいにくるくる回ってみてね、
それが Y軸の「ヨー」
じゃあいったん止まって、今度は横方向に側転してみてね、それが Z軸の「ロール」


覚えましたか?
(さっき考案しましたYO)

※フレミングには右手の法則もあるのよ。発電側が右手だよ〜(電気を作る方)。
左手はモーター(電気を喰う方)だよ〜。

posted by 辰多みか at 16:53 | 機械工学・道具 | 更新情報をチェックする

三軸修正法

この間の、「十字式」と同じく、
メモ用ノートに、メモしてあったの。
しかも、十字式と同じ行に。

ぐぐってみたよ。
ナゼ自分がこれをメモしたかも、忘れちゃってたから。
そしたら、うん、あたしと同じ方向性の事だわ。
メモしたのわかるわ。
手段・呼び名が違うというだけで、中身は、同じ事を言っている。
真理、およびそれに伴う身体についての事を。

興味がある人は是非ぐぐってみてください。
なかでも「Q点」は、とても腑に落ちる。

昔ね、(今もかな?)本屋さんに行くと、
トイレに行きたくなって、しかたがなかったの。
(汚い話、小じゃなくて大の方ね)
自分だけかな〜と思ってて、恥ずかしくて、誰にも言えなかったんだけど、
ある日、テレビを見ていたら、ウッチャンナンチャンのどちらかが、
あたしと全く同じ事を言っていた!

自分だけじゃなかったんだ〜と、安心したと同時に嬉しかった。
そののち、ネットやテレビで、そういう風になる人が
結構たくさんいる、という事も知った。

理由は、わからない みたいなんだ。
いろいろ仮説はあるけれど。

インクの匂いが原因とか、
上を向く姿勢でとか、
いろいろな仮説を読んでみたけど、体験者としては、
それらの仮説には納得できなかった。

そうそう「青木まりこ現象」というんですってよ、世間では。

三軸修正法の関連の方のブログを見てみたら、
さっき言った、「Q点」というのが書いてあった。
(Q点というのは、その方独自の呼び名だよ)

その「Q点」を、日常生活の、どこに、感じ取れるかというと、
本の背表紙の、「題名」と「作者名」の、あいだ。

ずらっと並んでいる本の、その、あいだ(スキマ)を、三秒、じっと見ていると、
スッと落ち着いてくるんですって。
鼻のつまりがとれるような、深呼吸したくなるような。

本の背表紙だけではなくて、日常の、ぽっかりあいたスキマでも
その「Q点」を感じる事ができるらしいけど。
(Q点は、Quiet Point ということだそう)

ソレだ!!と、思ったのよ。
あたしは。
「青木まりこ現象」は、ソレだ!と思ったのよ。

落ち着く 事、
ほっとする事。
つまりは、交感神経より副交感神経が、優位になる事。

「Q点」とは、「空(くう)」を感じる事 だと思うのだけど、
軽い瞑想状態になり、「くう」を感じる。
思考が落ち着き、静かになって、副交感神経優位になる。
だから、便意を催す、だと思うんだ。
わかるよ。
すごく腑に落ちるよ。
だって、経験者だもの(笑)
posted by 辰多みか at 11:37 | 脳と腸 | 更新情報をチェックする
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