2013年10月22日

交流電流の下の波を消しちゃうということ=ポジティブに生きる

電気の話なので、易しいことばで書くね。
(あたし自身が、よくわかってないからね)
だから、高圧電流(笑)みたいに多少用語が間違ってても、
そこはスルーして、イメージだけ、読みとってね。

普通の家のコンセントまで来てる"電気"って、
交流電流 なんだよね。
交流 って、 AC て書くの。
ちなみに、乾電池は、直流 で、DC だよ。
覚え方は、直で、ダイレクト。 だから、DC なの。
(だから用語は、ダイレクトの直流 だけ覚えればいいよ)

乾電池はね、プラスって書いてある突起の所からは、
プラスの電気しか出ないの。
マイナスは、マイナスなの。
だから常に一方通行のダイレクトな流れで、直流・DCなんだ。

ところが、コンセントに流れている"電気"は、
一定間隔で、プラスとマイナスが、入れ替わっているんだよ〜〜。
(だからプラグにはプラスマイナスが無くて、
さかさまに差し込んでも、さしつかえないのだ!)

だから「交流」というんだけど、ふつうは、家電製品は、
プラスマイナスが入れ換わるような状態では、ちゃんと動かないの。
もしもそれが許される仕様なら、CDやカセットテープは瞬間瞬間に
進んで戻って進んで戻ってで、動けないの。

それでもね、電化製品は、交流のコンセントに差し込んでも動くように作ってあるんだよ。
(もともと交流で動くものもあるよ)

どうやって電化製品が動くようにするかというと、
電化製品の中で、交流を直流みたいに、変換しているの。
うん、変換する、というか、錯覚させてる、というか。

製品の内部でそうしてないモノ(ラジカセとか)は、プラグコードの
途中に、ACアダプタが付いているよ(四角くて熱くて邪魔なやつ。笑)。

製品の内部やACアダプタで、交流を直流ぽくするモノを、整流器とか
整流回路とかいうの。

その仕組みは、「負の波」をいろいろ工夫して消してしまう、という事なんだ。
ACアダプタがどうして熱くなるかっていうと、負の波の分を熱にして逃がしてる
からだとあたしは思うんだ…(ホント電気の事は知らなくてこれ以上はわからなくてゴメン)

そもそもどうやって電力会社は電気を作り出しているかというと、
とあるモノを、ぐるぐる回している だけなの。
ぐるぐる回すだけで、電気が出来るんだよ。

モチロン人間の力で回してもいいんだけど(笑)、それじゃ追いつかないから、
ダムとか火力とか原子力とか、そういうのを使って、
ぐるぐる回している。
タービンを。
(電気を作り出すには、タービンを安定した速度・力で回し続ける事ができさえすればいいんだ。)

そのタービンの回転の仕組みで作り出される電気は、連続する回転運動だから、
絵に書くと、波の形になるの。
回転自体は、なわとびを回してるみたいな、イメージ。
電気の形は、おまつりの夜店で売ってる、レインボースプリングを
横に引き伸ばしたみたいな、イメージ。(さあ、イメージして♥)
ほら、波でしょう〜。

仮に上がプラス(正)で下がマイナス(負)とする。
実用するには、プラスかマイナスか、どっちか一方しかいらないの。
プラスマイナスが交互だと、押して戻して、結局進まないからね。
だから、たとえば下の波(負)だけ消してしまうんだ。
それが整流器の役目で、これがないと電化製品は動かないんだよ。

あたしは人の心も、プラスマイナスが有って、有るからこそ、
超絶にバランスが取れている、と思っている。
この日記には、悟りとか、そういう系ばっかり書いてるけど、
電気の事を思慮する時も、いつも心との相似点ばかり探している。
電気と人の心って、なりたちがとても良く似ていると思う。

だから、カテゴリーも、そんなのばっかなんだ(笑)。

スピ系ブログで、ポジティブなキラキラした事ばかり書いてる人たちも、
マイナスに傾く日があるのが、たぶん、当たり前で、
なぜキラキラしてるかというと、マイナスを受け入れて、さらに、
書かない、言わない、ようにしてるから、だと思うんだ。
それを確かめるために、あたしは覚者さんたちに、会いたかったんだ。
(目で見て確かめるため)
心の整流器を、常に、作動させてるから、キラキラしてるんじゃないかと思うの。
あたしも、そうなりたいと、思っているんだよ。


posted by 辰多みか at 17:11 | 電圧・電流・抵抗・愛 | 更新情報をチェックする

のらねこの視界

あたしは猫が好き(今飼ってはいない)で、
こどもの頃から、猫がいれば、じっと観察(&ねこかわいがり)
ばかりしていたので、猫の気持ちがわかる!と自負している。
(犬もわかるよ…)

猫に限らずどの動物でもそうだけど、あかちゃんの頃から
飼っていれば、飼い主には警戒心を示さないのが普通。

ところが、もともとのら猫で、成猫になってから飼った場合、
猫は、飼い主に対しても、一歩引いた感じ、というか、
常に危険回避できるように、神経をとがらせているというか、
少し、ピリピリした感じを受ける。
心底リラックスしてない、というか。

その、ふたつの立場の猫たちは、それぞれ、見えている世界が違うように思う。
・怖い事もあるけれど、かわいがってもらえる楽しい世界。
・かわいがってはもらえるけれど、怖い事があるかもしれない世界。
どっちも同じ世界なのに、違うものを、見ている。

それは、あたしたち人間にもあてはまって、
一度怖い思いをした人間は、その怖い事から回避できるように、
神経をとがらせて生きるようになるのだ。
あたしが感じるのは、ほぼ全員の人間が、のらねこの視界で生きていると思うのだ。
個人個人で違っている所は、その程度の差のみで、
基本的に、怖がって生きているのだ。
それは、生き物としての、本能に由来するものだと思うけど…

猫を見ていると、第三者的にそうやって気が付けるのだけど、
自分自身がそのような状態に陥ってるのって、なかなか気付かない。
自分の事に気づけるようになるのが、一番いいんだけれど、
たまには街に出て、人間ウォッチングすると、いろいろ気が付く事が出来て、いいよ。
posted by 辰多みか at 10:56 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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