2013年11月02日

本物の悟りの見分け方と「さとり世代」

今、「さとり世代」という言葉が流行っているんですって?
(あたしは新聞を読まないので流行にちょっとうといのよ…
ナゼ読まないのか、新聞くらい読め!と言われるそこのアナタ、
あたしには、新聞の順番が回ってこないんですのよ。
一日前の新聞なんかむなしくて…読めるか!ボケッ!←あーぁ怒っちゃった…)

その流行している「さとり世代」は、「ゆとり世代」の次世代を
表す言葉で、まああれだ、あたしたちの時代の「新人類」と
同系列の言葉だな。
だから、もちろん、本当に悟った人たちの世代っていうわけじゃなくて
なんか無欲で達観してる、みたいな、いまどきの若者の事を指して云っているんだって。

これが本当に、全人類悟り そんな時代がやって来た だったらいいのにな、とは思っちゃったよ。


本当の悟りとは、何か。

「いまここ」にいること?
知らずに一瞬、「その状態」になって、あとから思いだして「あぁあれか」と思うこと?

いや違う。
それらは、違う。
いまここで全力投球する事はあっても、いまここを感じられる事はあっても、
それは、それだけでは、悟りではない。

あとから、あぁあれか なんて、ならない。
一瞬でも悟ったら、そのあと、それが悟りとわからなくても、
そのあと忘れることなんて、ぜっっったいに無いのだ。
(どういう状況で悟ったか は、すぐ忘れるけど、状態の事を、あれか
なんてあとから思いだすことなんて無い。)
字面だけで、真意がぜんぜん伝わっていない。


「悟り」というのは、頭でわかる事とは、違う。
「悟り」というのは、たとえば、
「熱い」「冷たい」「痛い」「大きい」「くさい」「うるさい」
そういった、感覚と、同じ。
(悟りがくさくてうるさい、という事では、ないよ!)

五感で感じる事と同じなんだけど、五感では感じられない。
だから、たぶん第六感 と、昔の人は言ったのだと思う。

感じる、感じる。
悟りの温度が、悟りの手触りが、悟りのすがたが、悟りのにおいが、
悟りの音が、
感じられたら、それが、悟り。
でも悟りには温度も手触りもすがたもにおいも音も、ないのだ!(なんやね〜ん)

自転車に乗れるようになる事、泳げるようになる事、旅行で観光地を、目で見ること。
それと悟りは、似ている。
とても、似ている。

百聞は一見にしかず でしょ。
いちど見たら、忘れられない。
いちど見たら、ぜんぶ理解してしまう。

それが悟り。
悟りの見分け方は、感じたかどうか って事。
気がする ではない。
「気がする」は頭でわかる事。
悟りは、体感をともなう。
そして一度自転車に乗れるようになったら、二度と乗れなくならないのと同じように、
一度悟ったら、もとの状態には、ぜったいに戻らない。

それが悟り。

真意が、みんなに伝わるといいな〜。



posted by 辰多みか at 00:50 | 悟り | 更新情報をチェックする
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