2013年12月03日

見ると世界は形作られる

あたしたちの視線の先。
世界。
見ている先は、見たまんま。

あたしたちのうしろ、見えてないところ。
見ていない時、どうなってると思う?

じつはね。


見ていない時は、形がないんだ。


見られていない 対象物 は 形 が ない。

形が ない。
可能性 だけで 存在している。

可能性が高いところは、濃くて

可能性が低いところは、薄い。

た ぶ ん。

見てないから(笑)わからないけどね。


可能性の高い低いは、
可能性の 波 で表される。
雲みたいに。
ぼんやり。
さあ、本当はどんな形なのか、
見たことないから、わかんない。(笑)

フェルミオンがいっぱい集まってるところと、
あんまり集まっていないところ。

こうなるだろう っていう 可能性だけで 存在している。
事象の存在確率だけで。

あたしたちが、視線を、そこに移すと、
視界の中は、いつも見なれている、世界になる。
でも見てないところは、形がない。

見る側が、どの可能性を選ぶかによって、
見える世界は変わる。

これは、空想の世界ではなくて、
最新科学だからね。

シュレディンガーさんも、あたしたちも、
見たことないから、半信半疑になっちゃうけどね。

本当のことだよ。


posted by 辰多みか at 20:28 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

お釈迦さまとキリストさま

あたしは、たまにお釈迦さまとか、キリストさまとか、
さも知ってるかのように、書いているけど、
実は、あんまり、知らない。

聖書も全部は読んだことないし、
お経に何が書いてあるか、詳しくは知らない。
コーランなんて、実物を手にとって見たこともない。

「宗教なんて、会話に出したりブログに書いたりしてはいけない、タブー。」
(政治と同じくね。)

なんて考えてた能天気で心配症でへんな所にこだわる、一主婦だった。

ちなみに「聖☆おにいさん」を読んだから、ブッダとイエスに興味が出た、のではない(笑)。

あの時、
5年くらい前、
絶望の果てに、
悟りの世界を見ちゃった。
宗教は、いっさい関係なく、ね。
その時、心の中から沸いてきた言葉が、
「隣人を愛しなさい。」
イエス・キリストの言葉。
どこかで聞いて、記憶に残ってたから。
この言葉が出てきた。
そして、その言葉の、真の意味を、一瞬で理解した。

「ああ、そうかぁ。」

それはとても暖かくて、かけひきなしの、無償の愛の事。

(↑こうやって文字に書くと、あたしは真理を確かに書いているのに、真理は文字では伝わらない事が、あたしにはわかる。
もどかしい。
伝わらない。
真理に焦点を合わせて感じ取るには、心の目を、3D立体写真を見る時のように、
いつも見ている視点ではなく視点をずらす必要がある。それができないと、見えない、感じ取れない。
それとおなじたぐい。あたしは真理を書いているけれど、きっと、悟った人以外には、伝わっていない。
それでも何度も書く。)

その、キリストの言葉を一瞬で理解した時、
聖書も見ていないのに、聖書が真理に対して本当の事を書いてあるのだと、一瞬で理解した。
キリストが、正真正銘の「ホンモノ」である事を、悟った時に、理解したので、
彼が話す言葉、した行動は、すべてホンモノであるのは、間違いないのだ。
ホンモノというのは、あたしは、悟った人としてホンモノという意味で書いているよ。
(けれど、とある宗教団体のように、キリストの言葉の中から、
都合のよい言葉だけを抜き出して、都合良く解釈する、という行為は、
ホンモノではない。レベルの全く違う話。)

キリストとお釈迦さまについては、
悟ったあと、調べずにいられない衝動にかられて、とりあえず、wikipediaで調べた。
なんだか、「キリスト」とか「釈迦」とかの検索ワードを打つ自分自身に、
こそばゆいような、あたしらしくないような、ヘンな感覚を覚えた。
でも、調べる手を止められない。
調べれば調べるほど、キリストと釈迦は、悟った人として、正真正銘の「ホンモノ」だったからだ。
そして、それに付随する宗教活動が、キリストと釈迦が、本当に、
後世に伝えたかった真理と、かけ離れている事が、わかったのだ。
読んでいないけれど、コーランも、聖書と同類のものなので、
真理が書いてあるだろうとは、容易に想像できる。
そして、日本の神道(やおよろずの神)も、あたしたちひとりひとりが
神性を持つ存在である、という真理に基づいたものであるので、ホンモノである事がわかる。

お経については、ときどき検索してみたり、本を読んでみていたりするけれど、
本当に、すごい。
真理を書いてあるばかりでなく、
「物理学」
「数学」
の書になっている。
お釈迦さまって、物理学者だったんじゃないかなって思うよ。
もしも、インドではなくて、古代ギリシャに生まれたら、
ピタゴラスと共に切磋琢磨して、ものすごい宇宙の真理を、発見・確立してたかもよ。
そしてお経は、物理学だけではなく「死をむかえるまでにやっておくこと・心構え」
の、ハウトゥーにもなっている。

悟ってわかるのは、
キリストやお釈迦さまを拝めば、幸せになれる、という事ではないということ。
繰り返し言うけど、
崇拝すれば、幸せのおこぼれをもらえる、という事では、断じて、ない。
悟ってない人はみんな、その点を誤解している。
「お参りすれば、願いがかなうと思っている」のだ。
「お祈りすれば、幸せになれると思っている」のだ。
「キリストや釈迦を信じれば、天国・極楽に行けると思っている」のだ。

そうじゃないから。

悟った人として、キリストとお釈迦さまは、先輩。
あたしたちは、それに続く、後輩。
同じ、人間。
機会があれば、先輩たちと、同じ悟りの世界を体感する事ができる。
誰にでも、できる。
誰にでも、できるんだからね。
そして、人類がみな、悟りの世界を体感・腑に落ちる事ができたら、
その時、世界は、真に平和になるの。





posted by 辰多みか at 11:01 | 悟り | 更新情報をチェックする
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