2014年02月12日

二度登る馬鹿


ここらへんだけの言い伝えなのか。

富士山に、

一度も登らない馬鹿。
二度登る馬鹿。

あたしは、二度、登ってしまった!
二度、山頂制覇してしまった。

だから、三回目登って、バカ返上しようと思っていたのに。
結婚して、子供が生まれて、富士山どころじゃなくて、
毎日ばたばたして・・・
そしたら、登頂したら命がヤバイようなオバサン年齢になってしまったわ。
体力維持もしてないし。




それでもまだあきらめてない(笑)。
死ぬかもしれないけど(笑)。



posted by 辰多みか at 23:41 | 地球・自然・環境 | 更新情報をチェックする

カワイくない時代がやって来た

ああ

最近のファッション雑誌ったら!!

かわいくないかわいくないかわいくない!

なんだ?
去年の11月くらいからか?

ファッション誌の傾向が、90年代風味になっている。
ぜんっぜんっ
カワイくないっ

あたしはリアル90年代をリアルで体験して、
バブルがはじけた後の、殺風景なファッションに落胆した。
ディスコ(死語)に、ジーパン(死語)で行けちゃうとか。
まあそればっかじゃなくて、全般に。
やだな〜。
可愛くないよ。
雑誌見てる娘もがっかりしてるよ。
相変わらず、赤い口紅ばかりプッシュしてるし。
(あたしは赤い口紅は大好きなんだけど)
カワイイよ、もどって来い〜。
posted by 辰多みか at 16:27 | 日記 | 更新情報をチェックする

ろびこ先生

美内すずえ先生は、スピリチュアルを感じさせながらも、
悟りは感じない。

漫画の神様・手塚治虫先生は、漫画の小さい世界では神様だったけど、
本人自身は、悟りを得てない。

あたしは昔はたくさん漫画を読んでたけど、
最近は、さすがにオバサンなので、昔ほどは読まない。
それでも同年代からすれば読んでる方だとは思う・・・

そんな、狭い選択肢の中で、
すこ〜し、悟りを感じる先生がいるの。

「ろびこ」先生というの。
http://robiconet.com/blog/
ブログも面白いよ。

普通(?)の胸キュン少女漫画なんだけど、
目線がなんだか達観しているの。
こういうのって、描いてる本人がそこまで到達してないと、描けない。

あと「聖☆おにいさん」の中村光先生は、悟りは感じないなー。
どうなんだろう。面白いけど。
もろブッダとイエスだけど。
posted by 辰多みか at 16:26 | 悟り | 更新情報をチェックする

手塚治虫のブッダ2 

ああ、もう話題にしなくてもいいのかもしれないけど・・・
なんとなく思いついたので・・・
(これ大コケしてる?)

あたしは、この2作目は見てないし、映画館では見る気がしないし、
いつかどこかでレンタルして見るだろうから、
感想はその時に書こう。
思いついたのは、エンディング曲アーティスト。


一作目が、X-JAPAN
二作目が、浜崎あゆみ
だから・・・
三作目(最終話)のエンディングは、

エアバンド・ゴールデンボンバーとエア作曲家・佐村河内守で、
本当に曲を作り本当に演奏して(笑)
タイトルは「涅槃へ〜〜偽りを脱ぎ捨てて〜〜」でどうかしら。

いや、これってバカにしてるんじゃなくて、真面目な提案よ(笑)。
佐村河内さんが心底、懺悔できたら、いいね。
posted by 辰多みか at 16:25 | 日記 | 更新情報をチェックする

あなたの世界の終わり

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あなたの世界の終わり
―「目覚め」とその“あと"のプロセス―
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アクアさん以外にも一瞥後の苦しみをしてる方はいらっしゃるかと、
ふと、そうだ、「一瞥後の苦しみ」で検索してみればいいんだ〜と
思いついてぐぐってみた。
(今まで、一瞥では検索したこと無かったな)

そうしたら、なんと、「本」があるらしい!!
それ専用の本があるらしい。
「それ専用」(笑)

おぅ、もう用意されてた。それ専。

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A%E2%80%95%E3%80%8C%E7%9B%AE%E8%A6%9A%E3%82%81%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E2%80%9C%E3%81%82%E3%81%A8-%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%BB%E3%82%B9%E2%80%95-%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3/dp/4864510385/ref=cm_rdp_product
↑アマゾンのリンク。長いな。

ふーん。
レビューが魅力的。
これ買ってみる。

読んでからまた感想を書こう。
posted by 辰多みか at 00:01 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2014年02月11日

回る回る二つの独楽…!

これは前記事で書いた「ガラスの仮面」の中のとあるセリフです・・・


(今回ガラスの仮面は関係ない)


(あ、ちなみに独楽って、コマって読むからね)


前〜に、

心の底から「どうでもいい」って思ったら、
あたしがあたしに重なった、話を書いた
「あたし」と「あたし」 イコール、
「あたし」と「アタイ」

そう、「あたし」と「アタイ」は、回る回るふたつのコマで、
ふだんは、接触したら、反発しあっている。

「あたし」は、一番表にある、意識できるあたしの心で、
「アタイ」は、無意識下の、あたしの心。

「あたし」は世界の中心に位置できる価値のある存在なので、
一番低い所で、安定して回っているのだ。
(ベーゴマやベイブレードのバトルフィールド(床)を思い出してください)

その周りを、「アタイ」が回る。
「あたし」とひとつになりたいのに、接触すると、はじかれる。
あー、ていうか「あたし」と同じように、世界の中心に位置できる価値のある存在 に、なりたいんだ。
一番低い所で、回りたい。

だから、片思いみたいに、近づいてははじかれ近づいてははじかれするのだ。
ジッ ジッ と、音を立ててはじかれながら、半透明の「アタイ」が、「あたし」とひとつになれる機会を待ち望んでいる。

「あたし」が、目の前の状況に、心底「どうでもいい」と思った時、
「アタイ」は「あたし」に、ぴったり重なる。
それはもう、小気味いいくらい。
「カチッ」と。
音を立てて。

「あたし」は自分のデフォルトである「アタイ」以外になりたくて
常に、どこかにいる「幻の私」を追い求める。
それを、心底「どうでもいい」と思うと、「アタイ」が、重なる。
心底、どうでもいいと、思った時だけ。

その時、あたしははじめて、2本の足で立っている自分を感じた。

ぶれない、

「私」が、

二本の足で、立っている。

なんて素敵なの。



な〜んだ、今まで、片足だったんだ。

だって「あたし」は半身だし、「アタイ」も半身。
足が一本ずつしか、無い。

コマだからね。

独楽だから。


なんだそうだったんだー。




で、すぐに。

またぶれちゃう。

「どうでもいい」が維持できなくなると、

また「アタイ」は「あたし」からはじかれる。

つま弾きにされちゃう。
悲しいね。
寂しいね。
「アタイ」の泣き叫ぶ声が聞こえる。




・・・

だから

常に、

「どうでもいい」と

思えればいい。

それがきっと「サレンダー」

腰のひけてない、

怖くない、

サレンダー。





んでもやっぱなかなかできないから苦しいわ。





※リンク先を読んでみて気が付いたんだけど、
リンク先の元記事では、「アタイ」が芯で、「あたし」がぶれている。
そう、コマの場合は、どちらも衝撃ではじかれて、一番低い所の
取りあいになるから、どちらも、ぶれるんだね。
まあ、あたしが書いた事は、比喩で、イメージだから。
感じて。
感じ取って。
posted by 辰多みか at 23:51 | インナーチャイルド | 更新情報をチェックする

美内すずえ先生とスピリチュアル

「ガラスの仮面」が好き。
美内すずえ先生の。
もはや説明もいらないだろうけど、
少女マンガ界の傑作。

美内先生は、
「神」がお好きみたい。
今、ほとんど最終章あたりで、「紅天女」という劇をやる寸前なんだけど、
この、紅天女は、とってもスピリチュアルなの。
だって神だもん。
しかも、先生は「アマテラス」という漫画も書いている。
こちらは、今、連載途中で止まっている。
こちらの方は、バリバリスピリチュアル。

あたしは、美内先生に、今のところ、悟りを感じない。
マンガ自体は、30年以上の長期連載中なので、
あたしはその間に、悟りの世界を見たため、それ以降は、
あたしの悟りセンサーに照らし合わせつつ読んでいるんだけど、
どうも、今いち、感じない。

神を演じるには、主人公のマヤは、悟らなければ
いけないんだろうけど、どうも今の所、マヤは悟れるのか、
先生が悟りの描写ができるのか、予想ができかねるのだ。
マヤが悟る必要性が、無いみたいだし〜?
(必要性といえば、紅天女をやるためだけ)
どちらかといえば、ライバルの亜弓さんの方が悟りに近いかもしれなくて、
もし亜弓さんが悟れば、間違いなく、この紅天女勝負は、亜弓さんの勝ちだ。

でも、どうもいまいち、感じ取れない。
美内先生自身は、本当に、何年も前からスピリチュアル好きらしいのだけど。
ただの、先人の知識のコピーなのだろうか。
だから、連載が進まないのだろうか。

うーん。
どうでもいいけど、はやく先生自身が、おお〜きい悟りを開いて、
せめてあたしが死ぬまでに、最終回を描いてほしいわ!
なんだかんだ言っても、めちゃくちゃ面白くて、大好きなので!






恐ろしい子・・・!





白目




posted by 辰多みか at 23:40 | 悟り | 更新情報をチェックする

本当に欲しかったもの

ほんの

ささいなこと。


さっきお風呂に入って、

ちょっとぬるかったので、熱くするボタンを押した。


(うちはオール電化なので)
お湯が熱くなると、ピー音が4回鳴る。
うるさいんだけど、これだけ消音設定ができないので、
しかたなく鳴らしている。

お湯が熱くなってピーピー鳴った。
お風呂場だけじゃなくて、居間でも鳴る設定なの。

すると、ドカドカ足音がして、
居間にいた旦那サマが扉の向こうから声を掛けてくる。
いつもは居間にいないんだけど、今夜はたまたま居間で仕事をしていたんだ。
(自営業なので家中どこででも仕事ができる)
「なんか音、鳴らした〜?」


 なんか、音、鳴らしたぁ?

↑これをどう聞くであろうか?
どう解釈するであろうか?

どう解釈して、どう答える?
熱くしたから音が鳴ったんだよ。と、あたしは答える?
そこに何を含む?
ボタンを押すと勝手に鳴る仕組みなの!と、怒る?
怒るのは「鳴ったら悪いの?私は悪くないけど!」と言いたいから。
その下には「私を悪者にしないで。されると悲しい。」という思いが下敷きになってる。
自分で自分の事を「すぐに悪く思われる私」と思っているからだ。

いつものあたしは、そう解釈しがちだけど、今日は違った。

彼が言った真の意味は、こうだ。
「だいじょうぶか?呼び出しボタンを押したか?」である。
ちなみに呼び出しボタンは音色が同じで、ピーの長さが倍。
はっきり言って、紛らわしい。
あたしは…「熱くしたから音が鳴ったんだよ。」と、冷静に、答えていた。
そこに、怒りは、無かった。
彼は、「あっそう。」と行って、さっさと居間に戻って行った。
彼はな〜んにも怒ってないし、無事を確認したら、すぐ次、だ。

あたしはお湯に浸かってぼーっとしてたけど、
「あっ、見に来てくれてありがとうと言えばよかったわ」と、思った。
「ありがとねッ」とか「ごめんねっ」って。
ドカドカいう足音を思い出して、愛を感じた。
あたしのために、動いてくれた。
あたしが、動かす。周りを。
あたしのために、周りの人に、時間を使ってもらう。
あたしの事が憎い相手でさえも、その人の人生の貴重な時間を、あたしに思い巡らすために使ってくれる。
しかも憎しみの呪縛という、憎しみを持つ本人自身を縛り上げる罠に、みずからかかってくれさえして。
これは、愛 だ と思った。

そうだ、赤ちゃんの時。

こうだった。

あたしの世界は、

こうだった。


あたしが動けば、

世界が動く。

世界が答えてれる。

それはまぎれもなく、愛で、

相手の憎しみでさえ、愛で、

あたしが赤ちゃんの時、欲しかったのは、これだった。


泣けば、

来る。


泣けば、

来る。


ただそれだけのこと。


「泣く」のに、なんにも意味はない。
「来る」のにも、なんにも意味はない。
良い・悪いが、ない。

ただ愛だけがある。

愛してるっていう形の愛と、
欲しいっていう形の愛と、
嫌いっていう形の愛と、
アナタは迷惑っていう形の愛と、
どうでもいいよ(なげやり)っていう形の愛と、
どうでもいいよ(赦し)っていう形の愛。

あたしは、今、赤ちゃんから、やりなおしているんだ。
愛でできた世界を経験しなおすために。
いま起きた、ほんの ささいな事を、
これから積み重ね、積み重ね、

赤ちゃんのあたしが、欲しかったものを、大人のあたしと一緒に、集めていく。




今、ここまで来た。
待たせたね、あたし。




posted by 辰多みか at 23:39 | インナーチャイルド | 更新情報をチェックする

禅病@

禅病の症状。
・頭痛
・喘息のように咳き込む
・胸痛
・心痛
・額に冷や汗をかく
・冷えのぼせ
・神経過敏
・幻覚
(↑ネットで拾ってきました…)

白隠サンが、罹った、病気(?)
悟りを開いた後に、かかった、びょうき。


これってさー。
「自律神経失調症」だよね。
まさに身近に居るから、わかるわ!
病気というより、症状なの。
神経症状。

「神経症」、「自律神経失調症」
常に交感神経が優位になってしまい、
体が、どんな刺激に対しても、「戦闘態勢」で、
一言で言うと、「気が抜けない」状態になってるという事。

頭痛って書いてあるけど、つらい箇所は、首 だと思うよ!
うなじから、天頂にかけて。と、
首の左右の筋肉。
ここがものすごく、つらいらしい。
ふらふらタイプのめまいがして、
耳がボワーンとした感じ、またはキーンとなる。
口が勝手に突き出る。
そして、過呼吸になる。
気持ちが悪くて、冷や汗が出て、ふとんをかぶっていても
胸と背中が寒い。足に異常が無いのにしびれる。
のどになにか詰まっているような感じで、
まわりから見えるその立ち姿は、肩がギューッと上がってしまっているいかり肩。
身近にいるから、わかるよ。



なぜ、悟っても、白隠サンがこうなったかというと、、

やっぱり、一瞥後、苦しいからだ。

あたしは、こんな風にはなった事ないけど、
白隠サンは、一瞥した事で、ちょっと優越感を持ったんじゃないかと思う。
そして、「悟った。人より上に行った自分」を無理に保とうとしてたんじゃないかと思う。無意識に。
そう、無意識に。
無意識にそうするから、苦しい。
無意識に、というか、無意識「が」そうするから苦しい。
自分が、自分を、捕えられない。
そうだよ。
戦闘態勢なのは、「無意識の自分」
無視すると、吠える。
「いい人」だと思われたい。
無意識が醸し出す願い。

「神経症」が、禅病だったら、
禅病って、このパターン以外にももっと他のパターンがあるな。
たとえば、あたしの、「無気力」。

白隠サンのその後をもうちょっと調べてみるー。
Aに続くかも。

posted by 辰多みか at 11:26 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

フォトグラフィック・メモリー

テストの点数だけは良かった。
学生時代。

とっておきの秘策があったから。
とっておきっていうか・・・それしかなかったというか。

あたしは記憶形態が、特殊みたいだった。
大人になってから、同じような記憶方法ができる人を見つけた。
その方法には名前が付いていて、「フォトグラフィック・メモリー」というらしい。

名前どおり、
写真のように、記憶する。
テストの最中に、頭の中で、教科書を開くために。
それでも記憶は完璧ではなく、開いたページが空白の時がままあるので、
あたしは文字に色が付いて見えるから、それも併用して、体の感覚で覚えこむ。
目視と体感。
英単語の「意味」は、感覚でしか覚えない。
感覚には、色だけでなく、高い所、中くらいの所、とか、右とか左とかある。
ぎざぎざだとかすべすべとかもある。
だから、自分ではわかってても、人には説明できない。
あたしの説明を聞くと、みんな混乱する。

その、フォトグラフィック・メモリーができる人で、一番有名なのは、「裸の大将」だと思う。
んー、山下清画伯。
あたしはそこまですごくない。
完璧な記憶の保存可能期間も短いので、テスト前日しか教科書を見ない。

そんな便利そうな能力?なのに、副作用があった。
それは、記憶の上塗りができないという事。
強烈に記憶するので、修正が効かない。
だから、覚えるぞ、という時は、スイッチを切り替えるように、慎重にはじめた。
一度間違えると、取り返しがつかないから。
これはフォトグラフィックメモリーじゃなくて感覚記憶の方かもしれない。
上塗りができないので、苦手な記憶があった。
それは、「社会科」
社会の内容って、「これ」は、「誰のもの」で、「こういう名前になった。」が主。
さらにそれに、「○○○年に」が付く。
これが致命的に、覚えられない。
「これ」に対して、ひとつの名前しか覚えられない。
たとえば、日本。
倭は卑弥呼の国で、
のちに伊代の国で、
のちに大和になって?
ほらもう覚えられない。
もとはひとつのものだから。
最初のひとつしか、覚えられない。
だから、ふだんの生活でも、布団とか箸とか、パンツとかが、
誰の所有かが、まっっっったく、わからない。

ちょっとお恥ずかしい話だけど、まあ布団はいいけど、
箸とかパンツとか靴下を、、家族間(男性陣)で所有が変わったりするからだ。(ちょっとぼかして書いてみた)
一度所有が変わると、、、もう覚えられない。
だから、もうあきらめちゃう。
洗濯物たたむ時、毎回訊く。
便利そうなのに、不都合の方が多いらしい。
買い物のメモは、上塗り記憶の部類なので、覚えられないし。
だから、昔の勘違い記憶が、鮮明に残っていて、上塗りができないのだ。
昔っていうか、つい最近でも。
感覚を伴って、強烈に残る。
そのへんがクリアできないと、ちょっときついな。


posted by 辰多みか at 11:25 | 自分 | 更新情報をチェックする

2014年02月10日

モーグルと馬の背とサレンダー

ソチ五輪のモーグル。
きのうがっつり見た。
上田愛子選手は残念だったけど、まあしかたがない。
すがすがしかったし。

いつもモーグルとかスキージャンプを見て思うのは、
「サレンダー」

ゆだねる と いうこと

1mmも疑問を持たない。
ほんのわずかでも 心に迷いがあると、腰が後ろにひける。
スキーの後ろに重心が乗ってしまうと、制御が効かなくなる。
だから、いくら怖くても、絶対に疑問を持ってはいけないのだ。
ジャンプとモーグルは、(他の、スノーボード等の競技でも)
「信じる事」を試される。
自転車に乗る事も、同じだな。

あたしは学生時代、常に体育が5のうち「2」で、
一番良くても、「3」で、
大人になったら、ぜ〜ったい、スポーツなんかやるもんか、と思っていた。
けれど入った会社は、スポーツマンばっかで、みんなスポーツ
大好きで輝いていて、「遊びに行く」のはスポーツがらみか、飲み会。
だから必然的に、あたしもやるようになった。
春はバレー、ボーリング、夏は海、テニス、富士登山、冬はスキー。
まあなんてあたしらしくない。(海は好きだったけど)
球技がまるでダメで、スキーなんてコントロールもできないと思っていた。
案の定、上手じゃなかった。
けど、なんか、冬は毎週、スキーに行った年もあった。
すごく下手なんだけど、
コツを覚えると、滑れる。
バカみたいに、リフトで上に登り、滑り降りてくる。
上に登り滑り降り。
上に登り滑り降り。
バカか。
いや〜ホント、バカだったわ。スキーバカ。
ちょうど、「私をスキーに連れてって」の数年前で、
うまく滑れるようになった頃、その映画が流行って、スキーブームに
なったので、鼻高々で行ったわ。
行きまくった。
連れてってくれる会社の人たちは、みんなスキーが上手で、
女子が少ない会社だから、スキー女子をとても可愛がってくれて、
スキー女子連は、複数のグループに顔を出して、そりゃもう、連れまわして(笑)もらったわ。
だから毎週行ってたんだけど。

スパルタのグループもあった(笑)。
つがいけに行ったら、馬の背に連れて行かれた。
まあ、わかってて行ったんだけど。
馬の背。
今のあたしだったら、たぶん、滑れん。
ものすごい狭い。
ものすごい斜面。
止まったら、二度と進めなくなりそうな場所。
そこを滑った。
な〜んにも考えなかった。
考えたら、滑れなくなる。下に降りられない。
誰にも助けてもらえない。
だから、なんにも考えない。
「怖い」って、考えない。
考えた時点で、負け。
「思考」がそのまま「体勢」に現れるのが面白かった。
だから常に突っ込んでいった。

そうだ、一度、「ハタ」と、なぜか立ち止まった事があった。
あたしの真後ろに、知らないおにいちゃんが滑ってきていて、
あたしが急に止まったもんだから、よけて転んで、大迷惑をかけてしまった。
その時、あ、うしろの事もちゃんと考えないと、と、学習したんだよな。
馬の背で。
遅すぎるだろ(笑)。
もっと初級コースで学習しないと(笑)。

だから、今もスキーを見るたびに、
あれが「サレンダー」の状態だったんだなーと思う。
すべてを信頼して、ゆだねる。

それが日常生活の「心」でもできるといいんだね。



あ、もうたぶん年齢的にスキーはやらないと思うけどね。



posted by 辰多みか at 16:23 | 悟り | 更新情報をチェックする

命のない食べ物

NHKの朝ドラ「ごちそうさん」をチラ見する。
(がっつり見ではないということ)

この間「物を食べるのは命を奪うことだから、食べる事に拒否反応が出た」というのをやってた。
命を奪う戦争を体験したその人は食べ物を拒絶するので、栄養失調で死ぬ寸前になってしまった。
助かったのは、「牛乳」のおかげ。
「乳」は、命を奪った事による食物ではないから。

「どうぞお飲み」って、母が"出す"やつだね。
たしかに命は奪ってないわ。

それを見て、うちの旦那サマはちょっと考えて、
「ハチミツって、、命は無いよね〜?」と、少しドヤ顔で言ってきた。
たしかにそうだ。
ドヤ顔になるのもわかるわ(笑)。

「種は・・・だめだよね〜?油は?」
と言ってくるので、
「油は種をしぼるからダメでしょ。」と、あたしもドヤ顔で言った。
そうだな〜、他に何があるかな?
「果物」は、植物自身が「どうぞお食べ」って、差し出す物だけど、
種を残せば、命が無い食べ物 でいいのかな?

乳・ハチミツ・海水(塩)・果物 で、
もしかしたら人は生きていけるのかも。
ちょっと味気ないけどね〜。
posted by 辰多みか at 16:21 | 日本ミツバチから学んだこと | 更新情報をチェックする

エア作曲家

きのう友達からメールが来た。
「佐村河内さんは、ゴールデンボンバーに入ってエア作曲家になればいいね!(・∀・)」

おぅ・・・
さすがあたしの友(笑)。
笑いにかけては、あたしも負けてらんねーぜ。
posted by 辰多みか at 16:20 | 日記 | 更新情報をチェックする

ヘボ ※閲覧注意※昆虫※



こんちゅうカテゴリー



うぇってなる人は注意




きのう、手作り五平餅を頂いた。
晩御飯にみんなで食べたの。

たまに、塗ってある味噌にヘボが入ってるのがあるのよ。
そのおうちのオリジナルなのかな。
(と思ってぐぐったら地域食だった!)

ヘボって 蜂のこと クロスズメバチ。

蜂の子

は ち の こ

つまりあれだ、うじむし 的な。あれ。

それが、すりつぶされて入ってる。
なめらかにすりつぶされてじゃなく、じゃっかんつぶつぶしてる。
しろいの。つぶつぶ。




・・・・・


・・・・・





うまいっ



おいしいです。
普通に。

うぇっとか、あたしはならない。大丈夫。
昆虫味はよくわからず、旨味的なものしか感じない。味噌が強いし。

もともとウチ(旦那サマの家系)は、猟師・漁師的に生き抜いてきて、
いろ〜んなモノを、嫁であるアタクシも頂いたので、耐性ができてるって事はある。
一度「フグ鍋」を食べた時は、いろんな意味で生きた心地がしなかったけど(笑)。
これがココに嫁に来る事への、適合テストかと思ったわ。
踏み絵的な。
だからまああたしは「食べ物」として、昆虫を出されても、食べられる部類の人。

ヘボって、生でも食べられるそうだ。
でも一度も生のをもらった事がない。
たぶん、高級食材。
いつでも食べられるわけではない、きっと。
あたしは、別に食べなくてもいいんだったら、食べないな〜。
そんな機会があったら、話のネタに、いっぴきくらいは食べてもいいかもしれないとは思う。





※ここから閲覧注意ですよ※



昔。
息子が赤ちゃんの頃。
隣の家の3才の女の子がよく遊びに来た。
息子は赤ちゃんだから、あたしと、遊びに。
正直、めんどうだったけど、
優しい近所のおばさんを演出したく、遊んでやった(笑)。
全力で、遊んだ。
どうせなら楽しまなきゃーって感じで。
なんでその子はウチに来てたのかって言うと、小さい子が好きなのと、
たぶん、お母さんが赤ちゃんにかかりきりなので、なにやら思う事があるんだろう。
(息子とおない年の赤ちゃんがいた)
いちおう、両家でおおざっぱな決め事をして、
おやつはどれくらいとか、何時から何時まで居ていいとか、ぼんやり決まっていた。
ある日、寒かったので、
「ココアでも飲む?」と聞いてみた。
もちろん子供は、好きだよね〜。
飲むと答えたので、二杯作って、ふたりで飲んだの。
いつも、ココアを作る時、なかなか、粉が溶けないの。
今回も溶けにくいな〜と思って、つぶが残ってるけどまあいいや、と飲んだ。
そしてその子はしばらく遊んで帰って行った。
カップを片づける時、
あたしは全部飲んであったけど、その子は、底につぶを残してあった。
ふっ と、見たら、
・・・
そのつぶが、動いている・・・!
ココアの茶色いつぶだと思ってたけど、
しろい、もぞもぞ した つぶつぶ。 
うわあぁ〜、カブトムシの幼虫型をした、2ミリくらいの小さい虫が、いっぱい。
うおぉぉぉぉぉ
あたし全部飲んじゃったわ!
あの子は、たぶん、あんまり飲んでない???(だったらいいけど!)
いーやーーーーと軽くパニックだった。
しばらくドキドキしてたけど、
体もなんともないので、
まあいいか(笑)と思って、バックレることにした。
ばっくれるって死語か(笑)。しらばっくれる。
誰にも言ってない。
アタシだけのひ・み・つ。
公開懺悔か。
ごめんネ、今元気に社会人になってるアナタ。

という事で、ココアに入ってる白い虫を飲んじゃっても、大丈夫です(笑)。
もちろんがぶ飲みする必要ないし、きっと栄養的に、今の現代社会では不必要。
ソイツの名前は、「タバコシバンムシ」というんだって。
漢字で書くと、「煙草死番虫」という恐ろしげな名前だけど、食べても恐ろしくないから。
あと、ココアとか小麦粉は、冷蔵庫で保存した方が、安全だよ(経験則)。
それ以降、ココアは、完全密封して冷蔵庫保存に徹してます。
posted by 辰多みか at 11:23 | ※閲覧注意※昆虫 | 更新情報をチェックする

2014年02月09日

みかんネットのうちゅう

あたしの宇宙観。
宇宙っていうか、なんていうんだ、世界。
この世。
そして「数」の形。
p進数のカタチ。
自分の内側のすべて。

「22を超えてゆけ」の辻麻里子さんが感じてるこの世の形は、
クリスタルの3Dモデルになってるけど、
あたしが感じるのは、それと同じようだけどちょっと違う。
感じてるというか、んー、数学の世界を渡り歩いて、偉人たちの
知識をパズルみたいに繋ぎ合わせて、自分の感覚に摺り合せた、カタチ。

それはどんな形かというと、

みかんネットを、りんごみたいに まるめたやつなの。
(りんごの軸の部分は、ないやつ)
伝わるかなー、伝われ!

トーラスっていうの。
それ。

あー、みかんは箱で買うから、みかんネットが無いわ!
(ここらは全国的にも有名なみかん産地だから)
再現したいのにー。

ネットをどこかで見つけたら、やってみよう。
たしか昔使ってた生ゴ○用のがどこかにあったはずだわ。
posted by 辰多みか at 17:00 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

響子さんに「幸せ」を願ってあげられるかの図

前描いた記事の、グラフ図。
描いたので。
貼ってみる。
ヒストグラムの形だけど、ブラックホールにも似てると思う。

hi1.jpg


posted by 辰多みか at 16:57 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

静寂 ゼロポイント

あたしは経験していない。
「静寂」
「ゼロポイント」
「時間の概念がギューっと凝縮して、無くなる一点」
ひとりひとり表現する言葉は違うけど、そう、覚者が言う、「場所」

場所でもない。
どこにも、遠くでもなく。
すぐ、いま、ここに。
あるらしい。

"それ"が有る、と、文字ではじめて目にしたのは、
数年前見ていた、とあるブログです。
リンクを貼っちゃおう。
http://blogs.yahoo.co.jp/okaerinasai_umarerumaeni
「あの時の呪縛ーリサものがたりー」
ものすごく記事数が多くて、それがどこのページだったか探しきれなかった。
読んでいた当時、こういう経験をして、しかも目覚めた人って、あたしは見つけられなかった。
いたのかもしれないし、確実にいたと思うけどね。
Lisaさんの体験(フィクション形式になってる)した「静寂」、これが
あたしが行きつきたい先だと、当時、思った。
一瞥しても、苦しかったから。
しかも一瞥時、至福も体験していない。
至高・至福感は感じなかった。
ただ、あたしは、死んだ。
"それ"を受け入れたらあたしがいなくなってしまう、と叫ぶ、
自我の断末魔を、聞いた。(これは比喩ね)
受け入れどころか、あたしの自我は、抵抗できない何かの力で、
ずばぁーっと切り裂かれて(これも比喩ね)、中身が、ぐりんっと出た。
それは何にも傷付かない、つるつるの透明な、「  」←(名前が無い)。
切り裂かれたと思ったけど、自我にはどこにも切り口が見当たらず、
だから、心は4次元で、外身と中身がカンタンに入れ替われる仕組みに
なってるんだな、と理解した。
4次元だと、外身と中身は、切らなくても入れ替われるの。
まあ、とにかく、一瞥した時「至福」も「時間が無い」も「静寂」も感じなかった。
だから苦しいのかな〜と思って、
瞑想なり、変性意識状態へ導く呼吸なり、天野聖子さんの自問自答なりして、
「静寂」を体験すれば「いい」のか、と思った。
本を買ってきたりして、そうしようと、、頭では思うのだけど・・・
体が、拒絶する。
押し込められた声にならない声が、拒絶する。
「先にあたしの願いを叶えろ」と。
時に強迫、時に哀願してくる。
ドスの効いた声で、また、声も出さず、おびえるような上目づかいで。
--あたしの願い--
「あたしをさげすむ外部のやつは許さない。」
「"あたし"を守れ。守るのはあたしの表面であるおまえだ。」
「内面のあたしは、おまえを守るので精いっぱいだ。だからおまえも、そうしろ。」
その「願い」が叶うまで、
"あたし"は"あたし"を許さない。
愛に溢れる事を、許さない。
さげすむ外部のやつを愛で赦す事を、許さない。
だから、瞑想に、変性意識に、抵抗する。
周りに責任転嫁している間は、
自分で自分に責任を持ちたくないという事。
責任を放棄するかわりに、
自分の幸せを、手の中にとどめておくことが出来ない。
そういう"法則"になっている。
そんなのわかってる。

だからあたしは、
「いや」と言う事にしたの。
今まで、「嫌と言う人」に、見られたくなかったから。
嫌なとき不機嫌になったりして、嫌なの、周りにバレバレだったのにね。
バレてないと思っていたの。
そんなんじゃねーよッ(怒)って。
↑バレバレじゃん(笑)。
だから逆をするの。
「いや」って言うにはね、
「ありがとう」って、言わなきゃいけない。
んー、「いけない」も違ってて、
言葉でうまく、表せない。
そのへんが微妙。
「嫌」と言う事と、「ありがとう」は、セット。
「迷惑をかける事」と、「ありがとう」は、セット。
「生きている事は全て迷惑をかけている事」と、「ありがとう」は、セット。
表と裏で、セットなの。
それで一枚のカード。
だって、生きているという事は、二元の世界に居る、という事だからさ。
あたしたちはもともと非二元なんだけど、
肉体がある間は、二元なんだからさ。
ぐらぐらゲームをするの。
いかにゼロポイントを取れるか、という。
生きるという事はそういうことなんじゃないかなーと思うよ。
だから、まず先にあたしは、
自分で自分の機嫌を取る。(これって斎藤ひとりさんみたいだ。笑)
もちろん周りに感謝する。
あたしは今これやってる最中。
あたしは面白い。苦しい時ももちろんあるけど。
周りは迷惑みたい。あたりまえだ、迷惑かけるんだから。
だけど、そんな迷惑かけても、殺される事はない。
ていうか今これ書いてるんだから、今時点では殺されてない。
(やってやると相手は憎々しく思ってるかもしれないが 笑)
一回出ていけと言われて、一回私が出ていけばいいの!?と言われた。
いやそれどっちもアナタの妄想世界のハナシだし。
それはアナタの、学び。
アナタはそう言ったけど、あたしが「生きてる」のを赦してくれてる。
今あたしは大丈夫で、ぬくぬく暮らしている。
あたしは「大丈夫」の証拠集めをする。
証拠をいっぱい集めても、集めなくても、おんなじなんだけど、
"あたし"が気が済むまで、終わらない。
もうすぐ気が済むんだよね。
だって、周りは、みんなすごく優しいし愛が見えるもん(出ていけと言われても)。
そうしたら、「静寂」を体験しに行くの。
(行くっつってもどこにも行かないけど)
もうちょっとで気が済む。


なんか思いつくまま書いたらとっ散らかったわ。

posted by 辰多みか at 16:53 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2014年02月08日

一瞥後苦しみ仲間サンブログ

アクアさんがブログ開設されたんですって。
見てきました。
http://ameblo.jp/aquaitibetu/
一瞥後の苦しみの後、行きついた、というかあたりまえに有った、
というか、無かった?…
その先、いや先でも後でもない、体験を書いてくれました。
ありがとう♡
一瞥後に苦しい人は、見てみてね。
posted by 辰多みか at 16:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月07日

一瞥後苦しみ仲間サン追記

コメントで追記をいただいたのでこれも全部載せよう(笑)。

そうそう、このブログは現時点で、コメント欄が開いてる記事は、いっこしかないです。
コメントのやりとりが面倒(爆)なのでコメント欄廃止しようかと、
ブログを開設した時に思ったのだけど、何も窓口を設けずに
情報発信するのも無責任なのでいっこだけ開けました。
もともとこの精神世界系ブログの前に、15年くらいBBS(掲示板)と別のテーマのブログをやっていたの。
素晴らしい出会いがあって、子供の頃からの夢が3つも叶ったけどね。
(どうしても叶わなかったのもあったけどね。)
コメントが超めんどくさかったです(笑)。
ばちあたり発言か。
前回のブログでは体を壊したので(笑。ホント洒落にならない)、これはゆる〜くやります。
つっても誰も前ブログを知らんか。
前ブログで体を壊したのが、一瞥につながってるんで、
それはそれで大いに意味があったけどね。
まあ、そんなのみんな、どうでもいいか〜。
うん、どうでもいいね。


あたしのコメントからね。(紫文字)
アクアさんのは緑文字ね。


アクアさん、コメントありがとう。
>迷惑にはなりたくありませんので(笑)
これがきっと苦悩の個性ですね。大丈夫。迷惑ではないので認証してさらに記事にします。
勝手にやります(笑)。

私は苦しみ仲間がいるはずだ、と感じて、ず〜っと探してきました。たまに検索して見つけるのですが、彼ら・彼女らは、あっという間にブログ発信しなくなるのです。ものの見事です。それはとっても残念だし、もしもこれから覚醒が一気に起こるのならば、その苦悩の体験談こそが、これから必要になってくると思うのです。
だから、みんなじゃんじゃん苦悩してほしい(笑)。
結局あの憧れの「悟り」の境地には、きっと肉体的に死んだ時にしか行けないのでしょうから。
死んだ事ないのでわからないですけど。
Posted by 辰多みか at 2014年02月07日 15:26


あははは、思った通りの人でよかった(笑)
どんな人かって?

気の合う人。

>苦しみ仲間にいれてくれて ありがとう。
私の苦悩ブログはもうないけど、
あればプレミアがついたかもしれませんね。(爆)

え?記事にしてくれるの?じゃ、追記します(笑)

一瞥後の苦しみ…これ、仕方ないです(笑)
自我意識の塵や垢を落とさないと、純粋な自分に逢えなくなってます。。。

人はその仕組みを知らないと「苦」として認識して、嫌って溜め込んでいきます。
一瞥後の人は 受け入れることができます。こばんでみても受け入れなければ「苦」が延々と続く事が体験を通して理解されます。

「苦」の根源をカルマと書くか、行き場のなくした感情や怒りなどの集積物と書くか、トラウマと書くか、その表現は各人のネーミングのセンスでしかありません(笑)

受け入れると表現するか 浄化と表現するか味わうとか 見つめるとかも同様に言葉上のことです。…要は感覚として自我意識を突き放して観られるかどうか。達観して自我意識の生み出した創造物を冷静に認められるどうかではないでしょうか?

自我意識の責任を自我意識がとると、いつもとなりにいる 気がつかなかっただけの自分に逢えるのではないでしょうか?

二度目に感じるのは あまりにも 当たり前で
いつも どんな時も自我意識の真裏に在って慈しんでいてくれた 
それ なのでしょう(笑)

Posted by アクア at 2014年02月07日 17:53


あ 追記書いてる間に記事のってましたね(爆)
今 読んできました。

でも、追記書いてよかったです。
そのままが 記事のコメントです。

届くと信じています。
いえ、届けられたのは私も同様です。

それと、お釈迦様が言われたのは この世は思い通りにはならない、
という意味らしいですよ。「苦」を滅することが悟りとも…。
Posted by アクア at 2014年02月07日 18:22


-----
プレミアブログを読んでみたかったです(笑)。
一瞥後の苦しみは、やっぱり仕方ないのね。
生きてるかぎりは、きっとそうなんだね。

「苦」って、あたしは美化して「苦」とか書いているけど、実は、
その中身は「うらみ」とか「憎しみ」「ねたみ」なの。
相手がある事だから。
それも、一瞥してるから幻だって事はわかるんだ。
一瞥してるくせに「うらみ」にがんじがらめで、
そんな自分を出す事も隠す事もできなくなって、
みんなブログをやめるのかもね。

受け入れなければ先に進めない事もわかるのに、
(受け入れる、というか、「許す」なんだけど)
どうしても体が受け付けない。
頭ではわかるけど気持ちがついてこない・・・て延々悩んでました。
「負けたくない」って、悩んでました。
「負けたくない」に打ち勝つのって、「負ける」事なのにね。
もうちょっとでできそうなとこまで来てるのにな。

自分の隣にいる自分は、一番弱くて、汚い、酷い、
いやらしい自分なのに、一番の自分の味方で、
「ゆるぎない自信」なんだよね。
これが居てくれても、あたしはまだまだです。
やっぱり単にまだまだでいたいのかもしれない(笑)。

posted by 辰多みか at 23:11 | 悟り | 更新情報をチェックする

一瞥後苦しみ仲間サン

2年半前に一瞥後、あたしと同じように苦悩されたアクアさんからコメントいただきました。
とても良い体験談ですので、全文載せます。認証が結構どころじゃなく全文(笑)。
どこかしらにいらっしゃる苦しみ仲間さんたちに届きますように。


--アクアさんより(緑文字分)--

>どうしよう。覚醒しても苦悩は無くならなかった。

…このフレーズに興味を持ち 閲覧にきました。
はじめまして、アクアと名のっています。

長いコメントになりますので、認証は結構です。
迷惑にはなりたくありませんので(笑)じゃ思い切り書きますね。

一瞥体験後 調子にのってブログに書きまくっていましたが、恥ずかしくてやめてしまいました。本質が至福でも個性は苦悩に満ちていましたから(笑)で その状態を求めれば求めるほどに苦悩は増し、疑問は後をたたず、すっかり人間的に暗い性格に落ち込みました(爆)

たまに気がはれても 即終了となり継続しない心の状態に更に疑問は深まり 堂々巡りの日々が続く事、続く事…あきらめたつもりでも追いかけてこられて、また追いかけてみて、
…昨日 ようやく、ずっとそばにいた「私」に気がつきました(笑)

>悟りのあとの空白期間

…この記事にあるように、一瞥後にある更なる苦しみに苦しむ人は 多いと思います。悟後の修業として とらえる人もいますが、私は 実は悟っていないだけだと とらえます。
じゃ ホントの悟りがあるかと言えば、根本的に悟りとして表記されるような観念自体がないと思っています。悟りを求めるゲームの中にはあるでしょう。一生探しても 更に先を求めるだけで どこにも行きつく事がないと今はそう思っています。

何故そのような破天荒な意見になるかと言うと
「今に在るわたし」に 疑問がないからです。
疑問の抱きようがない、それがいつも 私という自我意識の総てを見つめていることが理解されました。それは何も特別でない あたりまえの自分です。他のひとも同様で、いつもその人を通して 世界をみつめています。

あまりにも普通で あまりにも身近で あきれかえるほど あたりまえの感覚ですので、それが悟りとは 到底思えません。
私が思ってきた悟りは ありませんでした。 でも私はこの意識に至ることを望んでいました。私という個別の意識を総て見渡せるあたりまえの私…ここで 今、満足しています(笑)

これが私の一瞥後の顛末です。私の観た一瞥は苦しみが私の持ち物でなく、違う空間に浮かんでました。(生まれる)前の私は 永遠に安楽で絶対的な安心感の中にいました。この世界が 夢であって、心からほっとしたことを覚えています。総て私が仕組んだことを忘れているだけだと思い出しました。笑う組でしたが、その後一ヶ月位は 泣く組にいました(笑)

その後 自我意識に吸収されていき、二年半になります。

一瞥だけでブログ書いたり全国を廻る人達もたくさんいますが、軽薄さだけが目立ちます。何かが違うのかもしれないし、何も違わないのかもしれません。私は一瞥後の苦しみを推奨します(笑)

みかさんは私の立ち位置の先にいる人です。直感ですが他にも何人かが私の先にいることを感じます。私の書いたことはプロセスと自覚しています、ただ その先を観ていないので、今の結論として書きました。これを書いて みかさんを意識してますと、この先へと行ってもいいかな(笑)なんて気がしてきました。

お互いかもしれませんね(笑)

いいブログです。ここを素通りすることができませんでした。読んでくれてありがとうございました。

-----
アクアさん、ありがとう。
アクアさんの見た・感じた事を、発信していってほしいなと思います。
どうせ(笑)あたしたちは、本質が「至福・愛・光・神」で、それを覆うのが
「醜い・酷い・いやらしい・こすい・セコい・ケチな個性」なんですから、隠す事ないです。
バレてるし(笑)。

一瞥だけで全国を回る方がいらっしゃるのは知ってます。会った事ないですが。
"個性"を隠してるんだったら今苦しいだろうし、あけっぴろげだったら問題ないですね。
回る事で、覚醒者がぞくぞく誕生するのだったら、じゃんじゃんやってほしいと思います。
どのみち、誰かの評判・非難のせいで世間からフェードアウトするわけではなく、
自分自身と対面しつづけられなくなってフェードアウトするのですから、あたしたちがする事は何も無く、ただ黙って見てるだけですね。

あたしの立ち位置は、たぶん、アクアさんと変わらないし、もしかしたらアクアさんの方が先に行ってるかもよ。
言葉は悪いけど「あきらめ」。ちょっといい言葉だと「手放し」。体感的にいうなら「流される」。ムズカシイ言葉でいうと「サレンダー」。
それが、肉体を持って生きている間にできる、最善(←善でもないけど)の事 なんじゃないかな〜と漠然と思います。あたしはまだできない。
したくないのかもね。
「感謝」と「ハートからの愛」がなかなか湧き出ないので、キッツイな〜、と感じます。


一瞥しても、見性しても、覚醒しても、悟っても、

苦悩は、なくならない。

悟りの世界を見てからおよそ6年、ようやくたどりついた、結論です。
今のあたしのレベルの、今の結論ね。だから、「結」論ではないけど、まあ言葉のあやね。
そういえばお釈迦様、そんな事言ってたな〜、くらいはかすかに記憶があったけど、
やべっ、それホントだわ、てなったのが去年の終わりくらい。
ぐる〜んと回って、ものすごくたくさん歩いてきて、結局、元居た所とおんなじじゃん、という、感じ。
だ・け・ど、実は違って、螺旋に歩いて来たんで、一段上がってるんだね。

悟りの世界を見て、結局前となにも変わらない、んだけど、
確実に、違っている事がある。

それは、自分自身を俯瞰して見れるようになった事と、
「悟り」を語っている人の、ホンモノ・ニセモノが、わかるようになった事。
「宗教」というのは、なにも価値が無い、ただの石ころなんだけど、
その石ころである原石の中に、ほんのわずかに、ダイヤモンドのかけらのような「真理」を見る事だけはできる。
そう、できるのは、見る(感じる)事だけ。
自分自身は何も変わらないのだから、悟らなくてもいい、というのではなくて、「見れる」ようになるだけでも一瞥する意味はあると思う。
ていうか、絶対、一瞥でも、した方がいいです。
だから、情報はいっぱいあった方がいいと思うな。
という事で、苦悩する覚者さん達は、情報発信してほしいと思います。お願い。


posted by 辰多みか at 16:45 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月04日

嫌われる確率のパラレルワールド

8割対2割の法則、いわゆるパレートの法則からいえば、
嫌われる確率は 20%。
誰でも、その確率の中で生きている。

確率は、収束する。
「嫌われる確率20%」が収束する。
あなたの周りに、9人の人が居る時、
そのうちの一人はあなたの事が嫌いかも。
10人の人が居る時は、そのうちの一人はあなたの事が嫌いで、
もう一人は確実にあなたの事が嫌い。
もしもあなたが、自分の本心に忠実に自分らしくふるまって
生きているなら、それは顕著になる。
確率の収束が顕著になる。
どうあがいてもその確率からのがれる事はできず、
10人中2人からは嫌われるけれど、本当に自分らしく責任を持って
楽しく生きているなら、気にする事はないはず。
それさえも許して、飄々と生きていくことができるのだ。

もしもあなたが、自分の本心に不誠実で、
無き物にしてしまった押し殺した本心を抱えて生きているなら、
そこにいる全員から、20%嫌われる。
全員から、20%。
確率が収束しないか、してもゆるやか。
もちろん、確実にあなたの事が嫌いな人もいるだろうし、
あまり気にならない人もいるかもしれない。
けれど、だいたい、みんな「あの人なんか嫌な感じ。」
そう漠然と嫌われる。
それってどうよ。
嫌だろうな。

確率は、選んだ時点で収束する。
みんなその同じ確率の中で生きているのだから、
逃れられないのだから、
嫌われたらどうしようとか、気にする事はない。
だって、絶対嫌われるんだもの。
感謝と責任を持って、自分に誠実に自由に生きればいいのだ。



posted by 辰多みか at 23:31 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

2014年02月03日

22を超えてゆけ

とうとう・・・
あたしと同じモノを見た人を見つけてしまった。
辻麻里子さん。

もしかしてあたしのこのブログのタイトル「ゼロを超えて」を見て、
あたしが辻さんファンだと思う人もいたのではないだろうかと思った。
タイトル超かぶってる!(笑)
すげー!
辻さんの事は今朝はじめて知ったよ!
本の表紙をたまたま見て、光円錐を見てびっくりして、ぐぐった。
そうだよ、そう・・・。
「22」は、たぶん次元の数だ。
読んでないから憶測。

amazonの商品説明から引用→
第一の式(9+13)+1、第二の式Z=1/137、そして第三の式とは・・・

↑あたしの憶測 第一の式は、超弦理論でいう、9次元空間、13はその上の
次元(ここで22次元空間)、+1は時間の一次元。または、"超え"て23次元空間(この場合時間軸が無い)。
もし時間軸を入れるとすると、M理論の11次元時空+鏡に映った11次元時空を超える、で23かな。
第二の式は、光円錐のZは時間軸なので、137が関係する時間、というと、
宇宙ができてから137億年 として、時間軸を1億年単位で線をひくよ、という意味。

かな〜〜??
でも地球の公転回数単位で宇宙時間に線引きしても何の意味もないから、違うか?
微細構造定数の逆数か?
黄金角か?
第三の式は何だ?
まあ本を読めばわかるのかな。

辻さんと同じであろう、あたしが見ているモノ。
「この世の形」

それはミンコフスキー空間の光円錐。

人間の心の認識では、中心点(円錐の接点)に於いて、
180°離れて付いている目(人間の肉体の目ではない)で見ているため、
「平面の円」にしか見えない、円錐の断面。
もしも"目"の位置が中心点からずれても、同じような「平面の円」には
見えるんだけど、上円錐成分と下円錐成分の割合に、カタヨリが生じる。
そう、「良い」と「悪い」が偏るように。
「光」と「闇」が、偏るように。

22.jpg
↑画像をどこかからか持ってきました…

すごいなー、3Dモデルもあるんだね。
多少イメージと違うけどね。
(あたしのイメージでは、円錐は、両極方向に無限に発散する。
もしもむりやり球体で表すなら、ドーナツのようになる。)

辻さんは臨死体験をされてるから、当然アチラの世界を見てるね。
ただ年が幼い頃だったから「汚い・いやらしい・醜い自分」は、
目撃しているのだろうか。その辺を知りたいわ。

あたしは、たぶん辻さんほど「数字」にこだわりはないし、
(惑星の「数」が何かに対応している、とか、ゾロ目とか、あたしは関心無い。)
アカシックレコードも読んだ事ない。
お釈迦さまのように、「感覚」で、この世が9次元(時間なし)であるとは、
あたしは感じ取れない。
なぜ9次元空間(10次元時空)だとあたしが思うのかは、超弦理論、M理論からの知識なだけだ。
ただ、人と人は、同じ「1」が分かれてできて、その「切れ目」は、
「ゼロ」だという事は、感じる。
その分かれた様子を、たとえで言うと、「しゃぼん玉」のようだ。
けれど、心の目で「しゃぼん玉」を目撃したわけではない。
あくまでも、この感覚を伝えるために、あたしは言語に翻訳して「しゃぼん玉」のよう、
と、表現しているだけ。
「悟り」を、自転車に乗れる事に似ている、と例えて表現するのと同じように。
この場合、しゃぼん液の部分が、「本当になにも無いゼロ」にあたる。
「ゼロ」は、「数」を逆数にすると、内側になり、その「数」の形は、光円錐のようになっている。
というか、ドーナツ。p進数も同じ形。
この内側のゼロは、辻さんがいう「ゼロポイント」と同じなんだけど、
あたしはこのポイントが、「おおいなるひとつ」へ続く道だと思うよ。
道(コード)の太さは、ゼロなの。
超弦理論の弦みたいだね。
あたしは生きていくという事は、いかにゼロポイントを狙って、自分の心の目の
バランスをとっていくかという、ぐらぐらゲームをしていく、という事なんだと思うよ。
光円錐は、文字どおり光の円錐なんだけど、あたしはこの世をこの形に
たとえると、それは光というか、水をぐるぐる回した時の、水の存在位置確率にも見える。
上の円錐と下の円錐は、成分が全く逆なんだよ。
あと、あたしは「ゼロ」は鏡面になっていて、超えられないのだろうと思うの。
超えようと思うと、肉体が死んでしまって、水銀が表面張力を無くすように、
ひとつぶずつではいられなくなってしまうと思うの。
だから、どうなるのかわからない、実感がわかない、憶測しかできないから
「ゼロを超えて」というタイトルにしたんだよ。
"向こう"の事を知りたいから。
こういう感覚は、「22を超えてゆけ」に書いてあるのかな。
ものすごく興味あるわ。



posted by 辰多みか at 22:46 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする
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