2014年03月27日

愛と感謝に満ちて生きる

キラキラしたスピリチュアル好きの人たちが
口ぐちに推奨してると思う、

♡♪♡♪♡
「愛に満ちすべてに感謝して生きましょう♡」
♡♪♡♪♡

コレ↑が、リアルな人生では、
どういった事を指しているのか、考えた事ありますか?

ファンタジックな想像は、誰にでもできる。
想像→ いつもまわりを慈しむ優しいほほ笑みを浮かべ、
 すべてを許し、どんな事にも感謝する。
 愛に満ちているので、誰からも愛され、
 幸せの波動で、自分ばかりでなく周りも暖かくなり、
 金色のオーラで輝いているよう。←以上、想像。

そう、それはまさに、空想。魔術的な。ファンタジー。

・・・

リアルな人生で、そんなん、あるか!

あるわけないよ!

そんなのを追い求めようとするから、「できねー。」
って、自分を責めたり、
スピリチュアルに過剰に期待したり、
期待しつつ瞑想したり、悟りを得ようとする。


ホントのホントは、
本当の「愛に満ちすべてに感謝して生きる」は、



完全敗北を味わうこと です。



完全敗北こそが、「手放し」「サレンダー」。

(あっこれは、自虐的・ネガティブじゃ、ないからね!)



じゃあ、実際、どういう「感じ」なのか、
あたしの場合を例にとって、書いてみるね。

あたしのスペック:
年齢・50代に手が届きそう歳
自営業嫁
在宅職
ほぼすべての家事担当
舅姑と同居
二世帯住宅ではない
ティーンエイジャーのこどもふたり
畑は舅、草取りは姑が暗黙のうちに担当
ただっぴろい日本庭園
ただっぴろい畑
家と庭・畑は、舅姑の持ち物
つまりあたしたち子世帯は同居というか、いそうろう、という感じ
庭づくりには、あたしの意見は、まったく反映されていない
(植えたものを過去3回くらい抜かれた事がある)
親(舅姑)の意見には絶対服従せよ、という雰囲気がある


あたしは、庭に出ると、
かならず、

「なにしてるの?」と、
姑から、
聞かれたのだ。
草取りしてる姑から。

なにしてるのって・・・
庭を歩いているんじゃん・・・
自分ちの庭だよ、、ね・・・?
あたしこの家に、一緒に住んでるんだよね・・・?

昼間に庭に出ると、
仕事をさぼってると、思われるんだろうか。
休憩で庭に出るのは、許されないのだろうか。
休憩するくらいなら、
草を取れ、という事だろうか。
(実際、あてつけのように急にあたしの足元の前の草を取りに
姑が動いてくる事がある)
犬と遊ぼうと手を伸ばすと、
触れる直前に、「○○を取ってくれる?」と、
今やらなくてもよい用事を、一見とても申し訳なさそうに、わざわざ遠くから頼んでくるのだ。


あたしはあたしの被害妄想の中で生きていた。

あたしが「不自由さ」を感じるためには、
姑には、悪者でいてもらわなければ、あたしの都合が悪かった。
だから、あたしの目に映ってた姑は、常に
あたしの「自由」を束縛してくる悪者だった。

庭さえも、自由に歩けない。
庭に出れば、
「なにしているの?」と、聞かれる。
このあたしの状況、この姑の発言からすれば、
被害妄想のあたしには、自分の事が、
「勝手な振る舞いを禁止された、おてつだいさん以下扱いの嫁」に、見えるね。
あたしのプライドが高ければ高いほど、
この状況は許すまじきものだし、
不機嫌にもなって当然、と、思ってしまうだろう。



「愛に満ちすべてに感謝して生きる」とは、

この状況で、

「ごめんなさい。」と、姑に、言う事だ。

いや、申し訳なさそうに言うのではなく、
明るく「ごめんね。(こんなあたしで)」と、言う事だ。

「休憩して庭に出たかったから。」と、明るく、言うのだ。

本当の事を。


「この家の一員なんだから庭に居ても当然じゃない!」と、
憤る事ではなく、
「庭を歩かせてくれて、ありがとう。」と、感謝するのだ。
何も悪くないのに、ごめんなさいと、言う。


完全敗北。


自分が相手に勝つ事を、手放す事。
「権利」で相手に勝つ事を、手放す事。

ほんとうに、負けた気が、するよね。

この謝罪と感謝を、
なんのためらいもなく言えた時はじめて、
心と体から、愛が溢れだす。

この屈辱感、この敗北感、
自虐せずに、真向から、できますか?
そういう覚悟、ある?
自分のすべてを捧げる。
これが本当の、「いけにえ」。



キラキラしてるスピ好きな人は、
一体何に、感謝するつもりなのかな。
感謝できる事にだけ、選んで感謝するのかな?
選んだら、選んだ時点で「すべて」ではなくなるよ。
スピが好きな人は知ってると思うこの言葉、
「ありがとう。ごめんなさい。許して下さい。愛しています。」
どういう気持ちで言っているの?
ただの、じゅもん かな?
きもちは、はいってないのかな?

一度よく考えてみて。








posted by 辰多みか at 15:47 | 気の交流 | 更新情報をチェックする

自律神経が見える

昔の話です。
あたしが高校生の頃。

おじいちゃんの、一周忌があった。
おじいちゃんは子供が7人いたので、
一周忌は、親戚が大勢集まり、にぎやかだった。
みんなで、自家用車に乗り合せて、お墓に行った時。

うちの家族は、うちの自家用車一台に全員乗っていて、
お墓の駐車場に着いた時、うしろの席に乗っていた
母は、すぐにドアを開けて出ようとしたんだ。
ところが運転していた父は、車の向きが不満だったのか、
ハンドルを切り返して、一度停めた駐車場から、
出ようとしたんだ。

母は、もう、ドアを開けて、足を出している。
父は、うしろを、見ていない。
そのまま勢いよく車は発進してしまい、
母は、
車外に、転がり出た。
砂利の駐車場に、横向きの体勢で、
転がった。

「痛ぁ〜い」
「ああ、あぁ」
幸い、ひかれてはおらず、腰かどこかを打った程度だった。
でも、突然の事だったので、パニックになってしまい、
あぁ、あぁ、と言いながら、ガクガク震えている。

気が付いた父はすぐに車を止め、あたしたちは、
母の所へ駆け寄って行ったんだけど・・・

もう一人、ものすごい勢いで、駆け寄って来る人がいた。
それは他の車に乗ってた、母から見たら義姉にあたる人。

その、あたしにとっては伯母さんは、
母に駆け寄るなり、
母の、恐怖で血管が浮き出た首筋を指差して、

「ほらっ!これっ!
これが自律神経だよ!」
と、
言ったんだ・・・

得意満面の顔で・・・。


だいじょうぶ?でも、ケガしてない?でもなく・・・
「ほら、これが自律神経だよ〜♪」だなんて・・・。
まず助ける場面でしょう・・・。

伯母さんは、健康オタクだったんだ。
その頃はまだ、みのもんたの昼番組なんてやって
ない頃で、健康ブームでもなかったから、
正真正銘の、筋金入りの、自分で研究するタイプの
健康オタクだったんだ。
毒を抜いた毒キノコとか、
自分で醸造したナニカとか・・・、
冷蔵庫に常にいっぱい入っていた。
体のツボも、とてもよく知っていた。
「健康」に関する事だったら、何時間でも話が
できるほどだった(実際何時間も聞かされた)。

でもね、自分の健康には気を遣い、
健康知識自慢はするのに、
目の前で、事故にあった人に、
だいじょうぶが言えないなんて・・・
他人の無事を、心配する事ができないなんて・・・

もともと違和感があった伯母さんだったけど、
この時、本当に感じたんだ。
「違う」と。

あたしはその時、はじめて「自律神経」というものを、目視した。
後にも先にも、それ一回だけ。
それは、浮き出た血管に見えたけどね・・・
本当に「自律神経」だったのかな。
伯母さんが言ってるその意味は、「交感神経だよ!」と
言いたかったのだろう、という事はわかるけど・・・

健康オタクの伯母さんは・・・
兄弟の中で誰よりも早く、ガンになりこの世を去ってしまった。
あんなに「健康」に、情熱を傾けていたのに。
あの時感じた、「違う」というのは、
この結果を予期してたのかもしれないと思った。
伯母さんに恨みはないけれどそう感じてしまう。
おばちゃんごめんね。

posted by 辰多みか at 10:26 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする
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