2013年01月21日

借り物人生

あたしは、持ち家というものに、住んだ事が無かった。

結婚してからは、主人の両親宅なので、

あたしが「家を持った」という事は、無かった。し、これからも、もう無い。

でも、「まあそれでいいんだな」と、漠然と、思っていた。


それは、子供の頃は、まわりと比較して、辛かった時もあったけど、

いつの頃からか、「すべては借り物」と思って、生きてきたように思う。


人からの借り物ではなくて、天からの借り物。

役目を終えたら、天に返すもの。または、物質的な意味で言ったら、地に返すもの。


結構、年の幼い頃から思っていたと思う。

そうする(そう思う)事で、うらやましいと思う気持ち、ねたみ・ひがみが、

無くなっていた事も事実だ。


自分を卑下しないためにそうしていたのか? 道徳的なテクニックなのか?

あまりに昔から思っていた事なので、自発的な考えか、どこからか刷り込まれた

テクニックなのか、判断がつかないけれど。


それはいつのまにか、自分の体についても、同じ考えを持つようになっていて、

「この体は借り物だ」と、やはり漠然と思っていた。

あたしが「悟り」状態を経験するずっと前からだ。


けれどもあたしは、物を大切にしてこなかった。

扱い方が、雑だった。

それは、そういう環境の中で育ったから、他と比較できなくて、

そう育ってしまったんだけど。


大人になって、同僚と買い物に行くたび、物の扱いが雑だ、店の人に怒られるよと、

嘲笑の中で言われた。

仕事でパソコンを操作するたび、キーボード壊れない? と隣の人に言われた。

実際、タブレットのペンが使用不可能になるのは、あたしが一番頻度が多かった。


だけど、当時のあたしは、まったく、なにを言われているのか、わからなかった。

だって、あたしの家では、その力加減が、普通だったから。



今は、社会に出て、嫁に出て、みんなにそう言われて他と比べる事ができたから、

あたしは雑だったんだ、と、顧みることができる。


本当にあのまま生きてきたら、物はたくさん壊れただろう、そして、あたしはたぶん

その原因に、一生気付かない。


たぶんお金の貯まらない人は、こういう、物の扱いが雑な人で、その原因が自分の

力加減にあると気付いてない人だ。だってすぐ壊れるから、すぐ買う。



でも、決して、雑に扱おうとしていたわけではない。

あたしなりに、いつも最新の注意を払って、物を扱ってたんだよ。

丁寧に大切に扱ってるつもりだったんだ。


あたしは、物も、自分の体も、借り物だと、そうとう早い段階で気付いていたのに、

その、物の正しい扱いが、できてなかったんだ。

体の扱いも、同様だ。


せっかく、健康であることとは整体であること という言葉にたどりついたのに、

そこまで行く間に、自分の体の一部を失ってしまった。


たどり着くために失ったのか、失ったからたどり着けたのか、

それとも、ただの手遅れだったのか、

よくわからないんだけれど、

「借り物」だから、大事に扱うよ、最後まで。


posted by 辰多みか at 00:01 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする
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