2013年05月08日

かみさまを見るのって、ライヴに行くのと似てる


最近、某王国の人たちがたびたび来るんだ〜。

堂々とかみさまの話ができるから、ある意味、まあ、ちょっと嬉しい?けど…

勧誘はされてないけど、勧誘だったらお断りだよ。



以前にあたしは、神様を信じてると口走ってしまったため、

そこに興味があって、同じ人がたびたび来ると思うんだ。

今まで、同じ人は2回以上来なかったからね。(今日で4回目だ)



"真理"を知りたくないですか? と聞かれたので。

すぐさま「…もう知ってるので…」と、また口走ってしまい…。

今日のあたしは、いつもになく、熱く語ってしまった。


「諦める事かな。絶望するというか。泣いて泣いて。もう死んじゃうくらいの。

死んじゃう手前くらいの。そしたら"真理"が向こうから、自分の中の下から上へ、

ガ〜ッと来るんだよ。」

「神様に本当に会いたいのだったら、聖書の中をいくら探しても絶対に会えないよ」

「神様を見るということは、たとえば自転車に乗れるようになるということと同じで、

聖書やお経には、自転車に乗れるようになるためのハウツーと、乗れたあと

どんな気分になるか、という事しか書いてないよ」

「神様を見たあとに、聖書を読んでみて、そこではじめて書いてある事に納得できるんだよ」

「神様に会うために、聖書はなんの役にも立たないけど、

ひとつだけ、たったひとつだけ、役に立つ事があるよ。それは、聖書を読んでも神様に

会えない、と、心の底から絶望できる事だよ。あと、神様を見た後の確認作業用。」

「こんなの何の役にも立たない!と、聖書を破り捨てて、さらに足で踏んづけたら、

その時、神様に会えると思う。まあそれは、悟る という事だけど…」


と、あたしは語ってしまい、その方たちは、面白そうに聞いていたけど、

本当のところはどうなんだろうか。



そのあと、ひとりでぼんやり考えていたら、神様を見る、ということは、

歌手のライヴに行くことと同じ(似てる)かもと思った。


好きな歌手がいたとして〜

まあ、嵐とか、誰でもいいよ。それがイコール神で。

それで、歌手の写真集や週刊誌の記事が、聖書とする。


写真集や記事を見てれば、顔や身長・体重、テレビを見れば声もわかるし、

好きな歌手のこと、ちょっと知った気になれるよね。


でも、それで、その歌手に会ったことになるのか。

ならないよね。

いろんな事、よく知ってるつもり、なのにね。


それで、ライヴに行ったとする。

実際、自分の目で見てみて、

どう感じるかな?


あたしは、あゆ(浜崎あゆみ)のライヴに行った時、

感じた事は、

「本物だ〜!」

「立体だ!」

「ちっちゃい!」


だった。

特に、「ちっちゃい!(小さい)」は衝撃的だった。

だって、テレビで見てて、背が小さいなんて感じなかったし。


それで、ライヴ中、目が合う気がする♪


それが、神様に会う(見る)って事なんだよな〜。

聖書をくまなく探しても、どこにも神様はいないんだよ。

しかも、神様は、チケットを買って会場に行けば会える、というワケでは決してない!

そこが、神様と人間の違いで、だから神様といわれるゆえんなの!


神様は、どこかよそからやってくるのではないの!




ということを、わかりやすい例えとして

話せばよかったと思った。


あと、聖書やお経には、過去と未来しか書いてなくて、

「今」が書いてないんだな、と思ったよ。

「今」というのは、まさに今、神様を見てる状態ね。


posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする
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