2013年05月09日

死ぬという事の本当の意味


あたしは、小学校1年から2年まで、何カ月も「死」について

考えてたと言う変わった子どもだったが(死にたいワケじゃ

なかった。純粋な疑問として。)、

その時考えてた疑問に、大人になってからようやく

答えを見つけられたと思う。

そう、あの悟った瞬間。



人は、死なない。


魂は、死なない。


死にたくても。



ほんとうに死ぬのは、「自分」と自分自身が認識してる、

うすっぺらい表面の部分だ。


そして、その部分は、「死なない魂」が転生しても、

付いてこない。

つまり、消えてなくなる。


むーん、言い方が難しいけど、「消えてなくなる」のではなくて、

そもそも、もともと無い。

光があたって、できた影というか。

ひびや穴をプリズムにしてできる七色のスペクトラムというか。

それが、自分自身が「自分」と思い込んでいるモノ。


あたしは、どこかの宗教?グループに所属してるわけじゃないし、

言葉をちゃんと勉強してないから、言い間違ってるかもしれないので…

それをとある団体内では「自我」と呼ぶのだろうか。「エゴ」とか。



まあ、転生しても、ひびや穴の痕跡と、修復した(努力した)跡は付いて来るので、

まるっきり「死ぬ」ワケじゃないけど…。

ひびって言うと、ガラスみたいに堅そうに思えるけど、修復できるってことは、

たぶん材質?は、柔らかいよね。ジェルやビニールみたいに。

しゃぼんだまか?



それでなにが言いたいかというと、



「死ぬ」のは、



生きててもできるんだよ、て事だよ。

それでその時、「悟り」が来るの。



むーん、全然これじゃ伝わらない。誤解されるー。


まず、言葉をちゃんとしよう!

まず、何を「死」とするかだね。


病気や事故で、息が止まって、心臓が止まる。

それが、あたしたちがふだん認識してる「死」だね。

肉体の死だね。

うん、これはこれで正解なの。

それで、こう思ってれば、ある意味、「楽」なの。

なんで「楽」かというと、人はとても辛い時、「死」に逃げる事ができるからなんだよ。

だから自殺者がいっぱいいるんだよなー。


でもね、でもね、「死」んでからわかることなんだけど、

「肉体の死」はゴールじゃないんだよー。

あたし、肉体的に死んでないけど、わかるんだよー。

「なんだ、おまえ死んでもないのにわかるのか!」って怒られそうだけど、

悟ったから、わかるんだよー。



だって、悟るためには、一回死ななきゃならないんだもの。


つまり、"あたし"は、その時、一回死んだの。肉体は生きながら。浜名湖を横目で見ながら。



あたしはねー、いつもは"私"って自分の事書くけど、

日記に書く時は、"あたし"なの。

これは、「区別」してるからなんだよ。


表の顔の「私」と、

本心を書く、日記の「あたし」。


それで、悟る直前、「あたし」は死んだ。

「あたし」=「自我」だな。「エゴ」とか。

1.表の顔→2.裏の顔→3.自分で気付かない本心→4.…


の、3.の部分が、「自我」だな。



どうやったら、「死んだ」かというと、「自我」に気づいたら、

「自我」が死んじゃったの…

だから、「私」が「あたし」に気が付いたら、「あたし」が死んじゃったの…

ま、すぐ生き返ったけどね(おいおい。 実はコレは喜ばしくないコト)


ここで誤解されないように書いておくけど、

たとえば、なにか「あたし」が原因でまわりのみんなから「あたし」を非難されて

全否定されて、頭がまっしろになってしまって、「あたし死んだ…」では、無いよ!!

その状態は、実は、「あたしもう死ぬ」と思ってるかもしれないが、

今、あたしが書いてる「死」とは真逆で、自我が思い切り「生きてる」

状態なんだ。

「自我」が死なないためには、自我はあえて「肉体の死」を選ぶことだってあるんだ。

それが自殺なの。

それほど「自我」は死にたくないの。

「肉体の死」を選んだり、「病気」を選ぶこともあるよ。

「幸せにならない事」を選ぶ事もあるの。


自我っていうのは、わかりやすくいうと「私は悪くない」なの。

もっというと、「私は悪くない、と思いたいから、他に原因をなすりつけるように

自分自身に指令を出している、悪の根源で、悪そのもの」なの。

まあ、「悪」ってきっぱり言ったら、かわいそうなんだけどー。

それでその善悪って、決めるモノサシがこの世に無いし…



「自我」は「私は悪くない」から、「相手や世間が悪い」から、それを証明するために、

自分の肉体の命を道具として使うの。(全部のケースがそうだとは…まああえて

言わないよ)

「自我」は、「相手や世間が悪い」と思い込む事で、自分を守っているんだ。

究極は、殺人を犯した人とか、モラハラの人、DVに走る人の心理がソレだよ。


「病気」を選ぶ自我は、「私の体が悪い」、「私は運が悪い」と思い込むことで、

「私は悪くない・私に責任は無い」と思いたいの。そのために必死(いっしょうけんめい)なの。

本当はやりたくない事があるのに、人から悪く思われたくなくて(嫌われたくなくて)

やりたくないと言えずに、体のせいにするのが、「病気」を選ぶ「自我」なの。


うぉ〜、ここで脱線するけど、

「必死」って、すごい言葉だ〜。


あたしは、

悟る直前、

自分で巧妙に隠してた「自我」に、自分自身で気がついて、

そしてそこに意識を向けて、うん、光を当てて?

真っ暗闇の中に隠れてた自我を照らしてみたら、

消えてしまったの。

文字で書くと、すっきりさっぱりした印象だけど、

本当は、ものすごい衝撃だったんだからね。

す〜っと消えたワケじゃないよ。

爆発するみたいな衝撃だったんだからね。

そう、虫歯治療で、神経が出ちゃってて、

それに、ふれる…ふれた!!

ぎゃー!!


みたいな感覚。




そして、消えた、というのも語弊があって、

近い言葉でいうと、すべて幻だった…というのが近いか…

自我は確かにあるし、無くなることも消えることもないんだけど、

その自我が反射してた映像は、まぼろしだった、と気がついたというか…

まあそんな感じだ。


まあ、それは一瞬消えただけで、またすぐ知らないうちに、復活してたんですが!(笑)

(↑それにも気がつけれないという巧妙さ)



よっぽど、「自我」って、「死にたくない」んだよなー。

だって、「あたし自身」なんだから、そこが消えちゃったら、

"あたし"が無くなってしまう。


前に、よく夫婦で自己主張大会をやっていた。(夫婦喧嘩とはあえて言わない・笑)

その時、まだあたしは悟る前だったんで、ワガママ全開だった。


そこで、夫に、「その性格を変えろよ!」とよく言われていた。

あたしは今でこそ、この性格を変えよう、と心から思えるけど、

その時「変われ」と言われた"あたし"は、うめくように言った。


「そんなことをしたら、あたしがあたしで無くなってしまう」


また、あたしが悟ったあと、身内で、自我をあたしにまわりくどく、

そうと気付かれないように押しつけてくる相手に、

あたしは、心の話をした。

そうしたら「そんなことをしたら自分がいなくなってしまう…」と青ざめた顔で言われた。



つまり、それが自我で、「自我」は

死なないように、一生懸命なんだ。

自我は巧妙に隠れてるから、なかなか探し出すことができないよ。


(自分の悪い所は、言われなくても自分が一番よくわかっている、

私は自我を認識している、とみんな思っている

かもしれないけど、そうではない。それは、ねじれにねじれて、

大どんでんがえしみたいな形で存在してるの。

本当に、本当の、真の意味で、"言われなくても自分が一番

よくわかっている"状態になったならば、きっとその時、人は皆、

悟りの境地に入る。)




具体的に、悟った時、なにを考えてて、どういう考えに至ったか、

ということも思いだしてきたんだけど、

それを文字にして残すのに、とても抵抗がある(笑)←笑いでごまかすほど抵抗がある。

とても恥ずかしい。そう、あたし自身を恥じてしまう。だから書けないんだ、なかなか。

それ書いて、意味あるのかなーとか思う。

人類が全員悟れば、地球は平和になるって、わかってるんだけど、

そのためにあたしは、この日記を書いてるんだけど。

神社に行って、祈るのは、この一点だけなんだけど。


あたしが貧乏くじ?をひく必要があるのかー、とか思っちゃう。

自分で好きで書いてるのに、へんなの。


だから、何カ月もかけて、書くよ、って


最初に宣言したんだよなー。

書く覚悟ができたら、書く。



あたしのために。

世界のために。

うん。


あ、でも、これ読む人は、悟った後の人ばかりだろうし、

やっぱり恥をさらしてまで書くのは意味無いのか。

これ読んでも、聖書と同じで、悟れるワケがないし。


とか思うー。




そう、

「必死」になれば、

「悟れる」!


必ず死ぬ状態にまでなって、"神"経にふれる「ギャーッッ!!」で、悟る。



必死→悟り

これこそ、真理だ(笑)!



posted by 辰多みか at 23:00 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする
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