2013年05月15日

あたしはあたしの完全な味方だった。


今日あった事。


あたしは、同居嫁だから、

舅・姑には、絶対服従だと思っていた。

意識的にも無意識にも、

「嫌われたら終わり」と思っていた。

よくよく意識的に考えると、絶対そんなことないんだけどさー。

なんだろ、意識的な無意識っていうか、

「絶対そんなことないんだけどさー」といいながら実はそれはごまかしみたいな?

自分が存在できなくなるかもという意味不明な恐怖というか。

それにうすうす気づきながらホントには気付いてなくて、

気付いたと思ってたことさえも、存在の恐怖に対処するごまかし術みたいな?

うーん、そんな感じで思ってたということを、思ってた。



ちなみに、旦那様には、何でも話した経緯があるから、

(神様の話とか気の話とかいろいろ。まあ話半分という感じで聞いてるみたい。)

この、上記二名のように「嫌われたら終わり」とは今は思ってない。


というか、もう、この地点を超えている。

なんかあたし的には絶対的な安心感がある。

それでも「嫌われたら終わり」は本当なんだろうけど。

あたしは良くなる方にしか行かないから、絶対大丈夫的な、何かがある。



それで、とても無理して、良い嫁を演じてきた。

まあ、世の中の嫁たちが通る道だね、

わざと悪い嫁を演じて、逆説的に良い嫁になるよう、

ねじれた演技もしてきた。(なんて複雑なの)

それでね、それにあたしは気付かなかったわけよ。


全然無理してなーい、あたし自然体、みたいに思い込む演技をしてたわけよ。

無意識に。

なんて複雑なの。


んで、苦しくなって、ちょっと自分を見てみた。

それはリーマンショック前の頃。


あまりにも、思ってもみない答えが、自分の中〜の、もうもう届かないような

はるかな中から、突然湧き上がってきて、

びっくりしすぎて悟っちゃった。


それがどういう内容だったかというと、恥ずかしくて、とてもここには書けないの。

だけど、何年かかってもいいから、書こうって、、、決めたよ。

決めて、この日記をつけはじめたよ。

ヌードになるより恥ずかしいから、

書けるかな〜。

難しいー。



あ、自分は神様だった、ていう答えじゃないよ。

そこに至る直前の、直視してしまったありのままの自分のこと。

そりゃ、恥ずかしすぎて、隠したくもなるわなってレベルの自分。

「悪くない」と思ってた事が「悪い」で、

「悪い」と思ってた事が「悪くない」だったの。

それで、究極には、どちらでもありどちらでもなかったの。

そこに気付けたんだよな。




まあ、それはおいおい書くの。


それで、今日あった事なの。



あたしは、今、心のままに、


心って、自分を偽る自我じゃなくて、もっと奥の、


人によっては、インナーチャイルドと呼び、

またある人によっては、真我と呼び?、

もう、なんて定義していいのか、あたしははっきり区別がつかないんだけど、


心の奥底に、フタをして仕舞ってしまった自分の、心のままに、

目の前に起こる事象を見ているの。



言葉が降りてくることもある。

それを、アサーティブに伝えなきゃと思う。

だって、今まで、一言も言ってこなかったから。

それで自分がとても狭くなってしまっていたから。

まあ、せまくなってたのは、

実は、、、


自分が自分にかけた呪いのせいだったんだけどね(笑)!

被害者に立候補するという呪い(笑) ←もう、気付いちゃったから笑っちゃおうね


でもね。姑は、

仮面をかぶるかぶる(笑)


前から、変な違和感があって、

なんだろう〜いいことされてるはずなのにとても嫌な気持ち、

というのがあって、

いくらあたしの「自我」が発動するとしても、しすぎだぞ、というのが

いつも、今も、常にあって、

それはね、

姑の、

「含み」「嫌味」でしか言葉を言えないという、それによって起こる事象のせい、という。

そう、偶然ではなくて、ぶっちゃけ、


「わざとやってる」

あたしが嫌な気持ちになるよう〜に、

そ〜っと、

わからないように、

わざとやってる。


だから、あたしがいくら悟って、自我をいくら鎮めようとしても、

おいつかないんじゃ〜


だってわざとやってるもの。


あたしは自分を偽る、ということと、わざと(それもそうとわからないように)が、

とても嫌いだ。


ある時(といってもここ一カ月くらい)

旦那とあたしと姑で、深い心の中まで開くような話をしていた。

姑は、とてもよい、ものわかりのよい人を演じようとしていたが

(あたしは、神さまをみたから…うーんこの表現だと

イカれちゃってるヒトにしか見えないから、

真理をしっちゃったから…うーん、心の仕組みを知っちゃったから!

演じてるのがよ〜く、見える)

最後の最後に、全部をひっくりかえすような、ものすごい嫌味を言った。

それもとびきりの笑顔で。これを嫌味ととる人は罪悪感でなにも言えなく

なるような、無意識の計算までして。

というか、いつも、そういう発言ばかりだから、あたしはもう嫌なのだった。


一瞬間があって、あたしはいつもどおり、絶句した。

その時旦那が鉄砲みたいに口を開いた。


「それは嫌味だよ!」

あたしもすかさず鉄砲みたいになった「そう、嫌味だよ、いつもそうだよ。

いまのいままで、いいよ、いいよ、と言っていたのはなんだったの!」


姑はこうなった、

「あ、あは、あははー嫌味…あ、これは嫌味だねー…あはは…」

観念して笑いに変えるしかなかった。


そう、あたしはわかっているのだ。姑は、いいよ、と言いたい、見栄を張りたいだけなのだ。


というような事を、わざといろいろやられるので、

あたしは、自分の受け取り側をいくら変えようと思ったって、

事実せまいのだ。

だって、わざとこっちへはみだしてくるから。

物事の受け取り方を、自分の問題と思って解決しようと、わかっていても、


悟って、わかっちゃっても、


こっちへわざとはみだしてくる人に対しては、

「もうしわけないですけど、せまいです」

て言ってもいいのだ。

言ってもいいのだ、って簡単に言うけど、

そこに至るまでには、あたしもものすごい決意があったんだ。

簡単じゃなかったよ。

そのときに、その人自体、その人全体を否定してはいけないよ。

罪を憎んで人を憎まずなの。


今、このへんの段階なの。

あたしは、姑も今がんじがらめで動けない、と見えるから、

つっつけば悟るんじゃないかと思っちゃって、

つっついてるの。だからいろんな話をするんだよ。

無駄だとうすうすわかってはいるけど…

だって、このままだと、また生まれ変わって一からやりなおしじゃんねー。


あ、どこまで書いたっけ…


それで、今日あった事の話だね。



また今日も、姑は仮面をかぶり「含み」で会話をしていた。

それをぼーっと見ながら、食事のしたくをしつつ、

あたしは軽い瞑想状態になってた。


すると、


「嫌われたっていいじゃん」と心の中から声がした。

これはね、最近読んだブログのどこかに書いてあった事だよ。


どこか…わからない。

心屋さんだったか…


悟り系を最近一気に読んだから。


「このひとひとりに嫌われたって、あたし死ぬわけじゃないし」

「(ていうかもうすでに、嫌われてるよねーこの扱いは。だから心配することない)」


なんか…目から鱗っていうか。

なんで気付かなかった?と自問しちゃうというか。



そうしたら、「自分」が「自分」にぴったり、はまったんだよ。

ぶれてたのは、意識できるあたしの方で、

ぶれない芯は、あたしが奥に仕舞ってきた「あたし」

押し殺してしまった「あたし」。


横に、ジッ ジッ みたいに、ぶれてた「あたし」が、芯の「半透明のあたし」に、

カチッと。


人って、ぶれてると、自信がなくておどおどしてると、

他の人から、そこを重点的に、つっこまれる!

そういう仕組みになってる。


どうぞ、ここ、痛いので、

もっと痛く突いてください、と、


自分だけが気付かず、他人に見せびらかしているんだよ。

こわー。


たけど、それがぶれない瞬間を、今日、見たの。


「あたし」は「あたし」の、絶対的な味方だったんだよ。

押し殺していたあたしが、表面上のあたしの、味方だったんだよ。


ものすごい安心感だ。


インナーチャイルドによりそうってこういうことかな、と思った。


インナーチャイルドが、あたしの横にきて、

あたしの耳元で、「あたしはこれをやりたい」ってささやいたのを

数ヶ月前に聞いたばかりだというのに。


実は、あたしの方からよりそって「あげる」んじゃなくて、

気が付いてあげさえすれば、最初から、

自分は自分の味方だったと。

「あたし」の方が、よりそってもらってたんだと。

気付いた。


芯のあたしは、ずっと待っていたんだと。


だけど、「あたし」が、

着地点をなかなかつかまえられずに、

ぶれぶれにぶれていたんだと。


今日、そんなことがありましたよ、と。


長かったー。書くの。



で、これって、常に意識してないと、またぶれちゃうのね、きっと。

それが日々修行なの。


posted by 辰多みか at 23:04 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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