2013年05月19日

「あたしは悪くない」人は「罪悪感」、「あたしはいい人」は「羞恥心」


あたしの「自我」は、つねに、


「あたしは悪くない」と訴えている。

それを証明するためには、手段を選ばない。

時には「死」を持ってしても証明しようとたくらんでいる(たぶん)。

たくらむ、とか、印象の良くない言葉を使って書いているけれど、

「自我」がやっている事は、純粋に自分自身のボディーガードだ。

自分自身というのは、「自我としての自分自身」であって、

「肉体としての自分自身」ではない。そこがみんなが間違いやすい所だよ。


「あたしは悪くない」と常に自分を守るあたしの自我が

もっとも反応するのが「罪悪感」だ。

「罪悪感」をゆさぶられるような体感をすると、

とたんに、表面のあたしは、不機嫌になったり、相手を攻撃に出たりする。


ところで、それらを体感するためには、相手が要る。

「罪悪感」がウィークポイントのあたしにとって、

「敵」にも見える相手は、

「いい人を演じる人・弱い自分を演じる人・我慢が美徳だと思っている人」だ。



今、ちょうど、あたしの身近にいる。


というか、あたしの「自我」は、あたしを守るために、

常に、生まれた時から、たぶん死ぬまで、

「そういう相手」を探して生きていくのだと思う。

「相手がもともと悪い」んじゃなくて、

あたしの自我を投影できる相手を探す。

で、相手も、悟った人以外は、「相手の自我にとって都合のよい人を常に探している」

(それが人間関係なの。)

あたしは一回悟ったのに、まだ探している状態なんだよ。

はやくあきらめろー!、自分(笑)。


あたしの目の前にいる人は、あたしが「あたしは悪くない」を証明するために

白羽の矢を立ててしまった人だが、あたしは、途中で、

「それ」に、「あたしの自我のたくらみ」に、気付いた。

その時が、あたしが「悟り」を得た時。

まわりが鏡だと、はっきり自覚した時。

(そして神様を見た時)


その相手を、そうね、「響子さん」と呼ぼうか。

「鏡子さん」でもいいんだけど。


「響子さん」はひとりじゃなくって、

あたしの人生、いれかわり、たちかわり、いろんな人が、

あたしの「響子さん」になってくれたよ。

女とは限らず、男だった時もあったし、個人だけじゃなくいっぺんに複数いた時もあった。

ただ、いつも共通している事は、それは、とても身近な人だったという事。

いや、距離的に近くにいただけでなく、メール交換していただけの、

遠方の顔も知らない相手だったこともある。

そうだね、親しくなった後の、ある特定の人、という人だね。(親しくなった人

全員が響子さんになるわけじゃないからね。)



今現在の「響子さん」は、つねに「あたしはいい人」と訴えている人だ。

あたしの、「あたしは悪くない」と同義語に見えるかもしれないけど、

実は、この二つは、別物だ。

日本語は難しい、というか、どこの国の言葉であっても、

たぶん、体感が伴わなければ、「言葉」は正しくは伝わらない。


とにかく、「あたしはいい人」と「あたしは悪くない」は違う意味を持っている。

「あたしはいい人」は、つまりは、虚栄心を保とうとしているという事。

ひとことでいうと、「見栄っ張り」。できもしないのに見栄っ張り。


「あたしはいい人」と訴えている響子さんのウィークポイントは、

「罪悪感」ではなくて「みっともない」・「かっこ悪い」・「はずかしい」だ。

あたしがなぜ響子さんのそんな一面を嫌いかというと、

その行動が「いやらしい」と感じてしまうからだ。


すべて計算ずく、自分の手は汚さない、響子さんの行動・言動を悪くとる人は、

結果としてまるで響子さんをいじめているかのように見えるようにしむける(つまり

弱い人を演じる)。綺麗な言葉をつかっているが内容と行動が裏腹。

(エコのために車はなるべく使わない、と、エコ(環境問題)に重点を置くような話し方をするが、

内実はただガソリン代がもったいないから、である。これは何度も話がおかしいと感じて、

本人とも何回もやりあって出た結論であって、あたしの勘違いなどではない。)



「あたしはいい人」とつねに態度で出す響子さんは、

あたしから見たら、「とんでもない事」をやらかす。

「あたし」は、とてもそんな事できないし、しようとも思わないし、ちょっと軽蔑するし、

そんなこと恥ずかしくてできない。はたから見てると、本当にみっともなくて滑稽だ。

本当にいやらしい。



響子さんは表の顔と裏の顔があり、「いい人」でいたいために、

つねに、目の前に相手に「いいよ。」と言う。

絶対「だめ」とか「できない」とか、言わない。

響子さん自身を犠牲にしても、引き換えになにか無くなっても、絶対に「いいよ」なのだ。

それが、相手がひとりだったら、特に問題は無い。でも、なにかしら違和感があって、

あとからじわじわと嫌な気持ちが襲ってくる事がある。

それは、響子さんの「いい人」が「あたしの罪悪感」とひきかえに成立された時。

響子さんが、本当に純粋な心で、まわりの人に「いいよ」と許可をだしている人ならば、

きっと違和感は感じない。あたしは、何年も同じようなパターンの場面を目の当たりにし、

響子さんはただの見栄張りだと確信した。というか、あたし以外のみんなが、大昔から

とがめるように言っているし(それでも本人はわからないみたいだ)。

あたしはみんなに遅れて、ようやく最近とがめだしたよ♪←こら。


相手がひとりの時は、そんなうやむやな感じなのだが、

相手が複数になると、とたんに、ホントに瞬間に、響子さんの化けの皮がはがれる。

それはもう、ものの見事に。

あたしの目から見える響子さんは、大きなコインみたいな丸いひらべったい顔を持っていて、

それの、おもて面だけを、みんなに見せようと必死にふるまっている。

おもて面があるって事は、裏面もあるのにね〜。


響子さんは、相手のいう事・相手の希望をすべて「いいよ」で受けようとする。

すると、人数が多くなってくると、回らなくなってくる。

文字通り、首が回らなくなってくる。


あたしは、昔こそ、振り回されたが、今では、

響子さんのそんな醜態(?)を、目前で観察して、

(そんなくるくる回って、よく目がまわらないな〜)とぼーっと思っていたりする。

よく響子さんは、めまいがすると訴えてくるけど、そんなにまわってたら、そりゃ

目も回るわな、と思う。


それで、回れなくなった時、今までみた事もなかった、裏の顔を見せる。

だいたいあたしがその集団の中で一番立場が弱い(響子さん的にみて地位が低い)ので、

最後のとばっちり、というか、最後っ屁は、あたしがかぶる事になる。

コインの裏の面をみせられるのが、あたしなのだ。


なにを言われるかというと、きのうまで、ひどい時にはついさっきまで、

「いいよ」と響子さんから、あたしが許可をえられていた事柄を急に言い出して、

それについて「この人はこんなことを言った」もしくは「こんな事をした」もしくは

「こういう事をやらない」と来るのだ!!


つまり、どこかで帳尻を合わせないと、話がまとまらないように響子さんには見えるので、

立場の弱いあたしをやり玉にあげて、その場を治めるのだ。

(いや、あたしはそこでの立場が弱いだけであって、気は強いです)


話がまとまらないのではなく、まとまらないように見えるのは、実は、

響子さんの「いい人」の面が保てないだけであって、話の内容自体には

まったく関係の無い事。

それが響子さんの「厚顔無恥」なところ。


響子さんは、「いい人」でいたい・みっともなく思われたくない・

できないと言えない心をカモフラージュするために、

「肉体」を使う。それは「死をもって」、というたくらみではなく、

「わざと病気になる」のだ。


いいよと言えない、"できない"原因は、自分ではなく、自分の体調にある、と主張したいのだ。

誰でも体の不調はひとつやふたつは持ってて、あたしだって、いつも

のどにたんがからんでるような不快感があるのだけど、あと、ずっと

はなが詰まってるのだけど、そんなの気にしなければ

すむ事なのに、響子さんは、首が、足が、喉が、と、訴える。


お医者さんから、そこは「たいしたことじゃない」と毎週(!)診断を受けるのだが、

本人は、まったく納得できない。

命に別条はないよ。と常に先生から言われる。

ふつうは、たいしたことじゃないと言われれば、ほっとして嬉しいでしょ?

足を先生に論破されると、とたんに「あー、あはは…。足はね、足はいいんだけど、

首さえ治ってくれれば…」と来る。

横で聞いていて、それ患者の反応としておかしいだろう、とつっこみたくなるのを我慢するのがやっとだ。



響子さんは、「あたしは病気だから、あたしのせいじゃないよー」と

いつもいつも訴えてるのだ。

うざいよ?

ただね、症状は確かにあると思うよ。

ちょっと調子が悪いとかさ、足がしびれるとかさ。

あたしだって腰が痛いし。


だからあたしが言いたいのは、そこじゃない。

その症状をどうとらえるつもりなのか、ということ。

みせびらかすように痛がるとか、

それまで難なく家事をこなしていたと思ったら、

あたしの顔を見たとたん、フラッとバランスをくずしてみるとか。

(あたしはその時は意地悪く陰からこっそり見ていたのだ!!わぁ。

そして急に出てみた。)

そういうことを、何の目的でしてるのか、ってこと。



今、話題になっている「新型うつ」と、そっくりだ。

あたしは、その状態を自分が中学1年の時に、体験しているので、

そんなふうに自分を守る響子さんを見て、「恥ずかしー、まるみえ」と思う。


そうだなー、あたしも今仕事ができないのは、新型うつとそっくりなのかな。

「あたしは悪くない」と言いたいがために。


今、この「病気(?)新型うつ」が増えている(と言われている)背景には、

もしかしたら、目覚めの直前の人が増えてるというのがあるのかな?

人類総悟りへの準備ができつつあるということかしら?

それはそれで、、いいけどー。



そんなこんなのあたしたちだけど、

いろいろ逸話がある。

あたし側の恥ずかしい話を書かないと、真理の再体験は、できないかなーと思ってる。

だから…また、思い切って書くよ。

あたしの話を。


posted by 辰多みか at 23:00 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。