2013年06月09日

自立は、"自分がふたり"で支えあって立つ事


(だけども憶測では本当は三人で立ってる気がする。)



依存

自立



依存している人は、常に目が外を向いている。

一見、被害にあってるように見える人。

一見、犠牲になってるように見える人。

それが、「依存する人」。



もちろん、正真正銘、被害にあっている人もいるけど、

それとは別に、みずから立候補して被害にあっている人は、

(被害にあう状況を作り出している人は)、

言動に、不自然な所があるから、自他共に、なんとなくわかる。

とくに第三者からから見ると、よくわかると思う。



嫌だ嫌だと言ってばかりで、アドバイスを実行しない人。

まるで嫌だといいたくていろんな事に苦労しているのではないかと感じてしまう。


自分にとって不利益な道ばかりをなぜか選んでしまう人。

そしてそれを、うすうす感じている人。

もろに、あたしがそうだったから。


少し前、

あたしは、自分が率先して被害者になり

相手を加害者にしている現状に対して、

相手が悪い・加害者 だから、自分が被害を受けていると

思いこんで、その思い込みを捨て切れなかった。

捨てるというか、思い込みであることを認めたくなかった。

率先してなっているなんて、全く自覚がなかった。


ところが、自分から率先して被害者になっていた事に気が付いてしまった。

はじめて自覚が芽生えた。

なぜ自覚したかというと、「不幸の状態」から抜け出す気がまったく無いという

ことに気付いたからだ。


あたしが加害者と思いこんでいた相手の名を仮に「響子さん」としよう。

たしかに、響子さんは、含みのあるいい回しをしたり、嫌味と取れるスレスレの

発言をしたりして、相手の気をそぐような事をする。

いつもいつも一日に何度も。だから、

回数で、まず、こちらはやられてしまった。

なぜそんな言い方しかできないかというと、響子さんはそれ以外の言い方を

するのが怖いからだけれども。



その状況に、あたしは、限界を感じ「もう許さない」、と認定したらしかった。

らしかった、というのは、自分に全く自覚がないから。

そしてあたしは自ら被害者になった。

ところが、上記のように、ある日、あるきっかけで、その"認定"が

思い込みであり幻であることに気付いた。

その時、響子さんに対して、「嫌われてもいいや。どうでもいい」と心から思えた。


自分が率先して被害者面をしていた時は、

響子さんに対して不満をたくさんかかえながらも、

「どうでもいい」とはとうてい思えなかった。


響子さんのせいで不幸なんだから、自分は幸せになってはいけないと、無意識で思いこんでいた。

幸せになってしまったら、響子さんが悪いと証明できなくなってしまう。

響子さんから離れることができなかった。物理的にも心理的にも。

それが「依存」だったの。

あの、「嫌われてもいいや」と思えた時、

なんと、自分が自分に重なったの。

それまで ジッ ジッ と音を立てながら左右に揺れるあたしがいて、

(まるでその音は、殺虫灯に飛び込む虫みたいだった)

重なった瞬間、ジッ という音がしなくて、自分に「カチ」とはまったの。


その前段階で、認めることができていた「自分自身」に、"自分"がカチとはまったの。

「自分自身」とは「隠していた自分」「認めなかった自分」「いない事にしていた自分」

「見たくなかった自分」だよ。

インナーチャイルドという人もいるよ。あたしは、「本性」と思うよ。

うん、自我とも思うけど、今は本性と書くね。

うん、はまっても、きっかけがあればすぐにブレてしまうけれどね。



あたしは、しっかり自分の本性を見ていたから、

前ほど、いろんな刺激に対して、本性がざわつく事がなくなっていた。

全くないわけじゃないけど、前ほどはね。

その「本性」は、あたしが響子さんへの依存を手放した時に、

あたしをしっかり受け止めてくれた。


自分が自分によりそって立つ。

これが本当の自立だと思った。

自分は自分の完全なる味方だったの。

「いない事にしていた」のにね。


響子さんを支えにしてたあたしから

自分を支えにして立つあたしに変わる事ができた。

できたよ。



でね、ここから先は、ハッキリと自覚してないから、憶測なんだけどね、


安定して立つには、二本足ではだめなのよ。

足が三本無いと。

四本足でもだめなんだよ。四本足だと、どれか一本は、きちんと着地しないから。

ガタガタ、グラグラの元が四本足なの。教室の机で、そういう経験なかった?

これは機械工学の基本なんだよ。


三位一体、三つ巴っていうのは、このことなのかな、と思ったの。

父と子と聖霊



子 と 聖霊 は、「意識できる自分」と「隠してた自分」

すなわち、

「意識できる自分」と「自我」

「意識できる自分」と「本性」

「意識できる自分」と「インナーチャイルド」



だから、もうひとつの足は、父 だね。

父 は説明いらないけど、神様 だね。



三つ巴は、神様と自分と本性 かなと思うの。


本当の自分(神)と 意識できる自分と 無意識の自分 なの。


無意識の自分に気が付き、本当の自分(神)に気がついた時、

その三本足で、人間は、ようやく、本当に

自立できるんじゃないかと思うの。



その憶測が本当だったら、

神様と自分と本性の位相はね、



120゚ ずつ 離れているよ。

複素平面上に。

(あっ、これじゃ3次元の機械工学は関係ないか)


posted by 辰多みか at 23:01 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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