2013年07月04日

許すこと 第一歩


口でリアルで話したいな〜なんて願っちゃったから

いつもの方たちが来ちゃったじゃないの。

まあ、定期的に来てるから、これが「引き寄せ」だと無理には思わないよ。

うん、ちょっとね、話せるのは、楽しい。



昨日は「許すこと」の話しをしていったんだ。

あたしは、マタイのその部分、77回許す、というのは読んでなかったから、

ピンとこなくて、しかも昼寝の寝起きだったので頭が回らなくて、

いまいちあちらを説得する話しはできなかったけど、

そのあとひとりで考えたこと。



「許す」 というのは、相手を許す と、表面上は見えるけれど、

実は、一番先は、自分自身を、許すんだ。


相手を許せない自分を、許すんだ。

もちろん、相手を許す自分を許してもいいよ(それがベストなんだけど)。


自分自身を許した結果が、相手を許す事であり、また許さない事でもある。

でも、この自分自身を許した結果相手をゆるさない、というのは、

ただ単に相手を許さない、というのとは、ワケが違う。

ひとつ次元が高くて、崇高な許し。


「許す」という言葉がひとり歩きするから、誤解を招くのであって、

「許す」は、「認める」と同意語と思えば良い。


相手を許さない自分を、認める。

それは、どういうことだろう。


相手を「許す」時、

自分が「いい人」になるために相手を許すのは、相手はラッキーかもしれないが、

自分は自分にウソをつくのだ。

だって、「いい人」の評価とひきかえに「みせかけだけの許し」を行う。

「みせかけだけ」・「条件つき」。


この時言いがちなのが、「今回は許すけど、そのかわり…」とか、

「今回は大目に見るけど、次はないからね。」

そして、顔は笑顔ではなく、こわばっていることだろう。

これは「許し」ではない。「取引」だ。

「取引」をしているのに、「許し」だと自分に言い聞かせる。

それが自分にウソをつくことだ。

「取引」は損得がつきものだが、この時、誰の損得に軸足を置いているのだろう。

そう、許しているはずの相手ではなく、自分 だよね。

「自分」が損しないように損しないようにふるまっているのに、

それが、真に相手の心を揺さぶるだろうか。

相手はラッキーと思うだけだし、また同じ過ちを繰り返すかもしれないよ。


本当に、「許す」。

うん、本当に「許されている」。そんな感覚を覚えている? 思い出せる?


思い出してみて。

今。

そう、昔、あかちゃんだった頃、の、話では、ないよ。

今。

今、生きてる。

今、まさに生きてる。これ読んでるからね(笑)。


あなたが許さなくて憎んでる人も、生きてる。

極悪人も、生きてる。

毒を持ってる動植物も、生きてる。

人を致死させるウィルスも、生きてる。

地球を汚す(と人間が考えている)汚染物質も、地球内部に、宇宙全体に、たくさん有る。



生きてる・有るって事はね、この地球上で、この宇宙で、

「存在を許されている」って、事だよ。



誰に許されているのかしら。

うん、神様に。

あたしたちみんな、すべての大元の、神様に、



「み〜んな、自由に、存在してて、いいよ〜〜」と、

「好きにして、いいよ〜〜」と、

「生きるのも、死ぬのも、自由だよ〜〜」と、

「平和でも戦争でも、思った通りにしていいよ〜〜」と、


許されているのよ。

思い出した?



あたしたちが、真に相手を許すとは、この、神様と同じ気持ちになれば

自然にできる事。

そもそもあたしたちは、神様と「同じ成分(愛)」でできているから、

自分の損得に固執しなければ、ほっといても自然にそうなっちゃう仕組みになってるんだって。

それでも「できない(許せない)」となるのは、そこに、自分の考え・損得・恐れがあるからだよね。

損得って"汚い"考え方だよね。


だから、そこを、本当に、本当に、見て、あげるのだ。

「相手を許せない自分」を、見てあげるのだ。

「許せる気持ちになった自分」を、見てあげるのだ。



そこにウソはないか。

「相手を許せない自分」は、心の中でフタをされて、亡き者になっていないか。


そのウソにも、

フタにも、なかなか、なかなか気づかない仕組みになっているから、

本当に、しっかりと、自分の中を見ないと、見つからないんだよ。

もしも「見つかる」と、今まで「自分」が「自分」と思っていた 枠 が、

なくなっちゃうような恐怖があるからね。




「あたしがあたしでなくなってしまう…!」悟りを得る前、

あたしの 枠 は、何回もそう呻いた。

枠は、自我、エゴ、マインド ともいう。

フタとは、本性、トラウマ、インナーチャイルド ともいうよ。




でもね、真に「見つめることができた」時、それは「認めた」事と同じ事になり、

そんな"汚い"ものでも、あたしの中に存在していたんだという事に、気がつけたの。

あたしは、"汚い"ものを、認めたの。

「そこにいてもいいよ〜〜」って、

存在を許したんだよ。

それがたとえ一般的に人道的に言って"悪い"事でも。



「いい人」に見られたいために勝手に「許し」と名付けた「取引」をする自分。


または、


相手が悪いのに、その相手を許してしまうと、相手が悪い事を証明できなくなって、

自分は窮地に立たされてしまう。だから、相手が悪い事を証明するために、「相手を許せない」自分。

相手を許せないかわりに、自分は、幸せになれないという代償を支払う。

だって、相手のせいで不幸なんだから、自分が幸せになったら相手が悪いと言えなくなってしまう。

それは相手がひとりの場合もそうだし、「世間が悪い」と思っている場合も同じ。



この上の ふたつの「許す時」「許さない時」を、

自分の心の中に、見る。

見つめる。

気がつく。

認める。


そういう思いを自分は実は持っていて、そして、持ち続けても、手放しても、良い。

それが、許し。



許しの、第一歩、だよ。



うん、たいてい、"汚い"気持ちに気づくと、びっくりしすぎて「悟っちゃう」か、

「これじゃダメだ」と、自分から変化しようと決意するものだけどね。


posted by 辰多みか at 23:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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