2013年09月08日

告白A

あたしは、いじめっこでした。
の、いじめっこ部分を昨日は書けず。
(過激にとばすと言いつつ)

中学の英語教師に、執拗ないじられはしていたけど、
いわゆる「いじめ」は受けた事は無い。
みんな、あたしに対して、敬語だったしね(あはは)。
敬語だったって事は、近寄りがたい存在だったって事だね。
というかあたしが、近づかなかったし。

うん、いろいろ思い出すと、あたしはいじめっこだったけど、
クラスメイトは、いじめなかったな。
いじめたのは、妹を です。

いつも母から言われていた。
「おねえちゃんなんだから我慢して」
「おねえちゃんなんだから妹にあげなさい」
「おねえちゃんでしょ!!」
「○○(妹)は可愛い、みかは嫌い」
「神経質」
「ホントに(気が)強い」

あたしは好きこのんで、おねえちゃんになったわけではない。
はぁー?
母親が言うセリフか?
そういう態度を取ると、気が強い、と、ますます敬遠された。

だから、妹をいじめた。

対価が欲しかった。
母の事は、妹にくれてやるから、
母の理不尽な要求を聞いてやるから、
その対価を。
いじめて、ようやく対等だと思った。
母から冷たくされて、泣き寝入りするような子供ではなかった。

いじめると、ますます敬遠された。悪循環だった。
だけどあたしは子供だったから、循環から抜ける方法がわからなかった。
大人になっても、わからなかった。
いじめる事はしなかったけど(たぶん)、思考は変わらなかった。
その思考は、モラルハラスメントの思考なの。

根底には、
「同じように愛してほしい」という願いが、あるのだろう。
素直に、甘えたいのだろう。
けれど、その願いは、1才で、砕け散った。
年子で妹ができたから。
あたしは、甘えてはいけない、と、かたく自分自身に誓った。一才で。
その頃の記憶は無いけれど、母が記録していた母子手帳の日記に、
その様子が記してある。
母と妹と一緒に歩いていても、絶対におんぶ・だっこと言わなかったらしい。
もう母は妹をだっこしているから。
あたしなりに母を気遣っていたのだ。
あたしなりの愛情表現だったのだ。
母には伝わらなかったけど。

根底で砕け散って、粉になっている願いは、
さがしても、みつからないの。
踏みにじられて、そして自分で踏みにじって、
本当の本当の粉になってしまった。
だから風に飛ばされて、広大な宇宙へ広がってしまったの。
すみずみから、ほうきで掃き集めれば、いつかはもと通りの
重さ分の願いは集められるだろうけど、
そんな気力もないし、そんな時間もないまま大人になってしまった。
だから、そんな願いを持ってた事さえ、気が付かなかった。
気が付かないから、冷たくされたら、冷たくしかえしていい、と思っていた。
嫌な気持ちを要求されたら、同じだけの嫌な気持ちの対価を求めていい、と思っていた。

いじめたのは、その年子の妹ではなくて、小一の時に生まれた妹。
今思うと、本当に申し訳ない事したな、と思うけど、
その頃のあたしは、いっぱいいっぱいだった。
ある意味、それが生きる理由だった。
まあ、いっぱいいっぱいなのは、今も変わらないけどね。

そんなだから、クラスメイトからいじめられる事もなかった。
まあ、他の子に対するいじめの現場はあったよ。
ボスがいてさ、絵に書いたようないじめ。小6の時。
その事件は、あたしにとって結構なトラウマになった。その事は、また後で書くよ。

あたしのいじめっこ気質は、子供の頃と、まるで変わっていない、と思う。
気質自体は、たぶん一生変わらないのだ。
それが自分なんだから。
肉体の気質と、同じ並びのものだから。
だけど、あたしは、心の奥底に気付いた。
踏みにじって粉になった願いに気付いた。
それは、とても大きい事だと思うよ。
というかそれ以上大きい事って、他にない。
だって宇宙大の大きさだから。

まだまだできない事がいっぱいで、
気が済んでいない事がいっぱいで苦しいけど、
少しずついじめっこから脱していこうと思っているの。
いじめっこのあたしは、あたしの中に置いたまま、
脱していこうと思っているの。






posted by 辰多みか at 23:39 | 自分 | 更新情報をチェックする
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