2013年09月20日

天照らすB

…これは「天照らす@」 A」のつづきです…


外には誰も いない。
地下には無かったと思っていた部屋が ある。

有ると信じていた事が無くて、
無いと思い込みたかった事が、有る。
これほどの絶望はありませんでした。


あたしは、扉を開け、
暗い、恐ろしい、地下を、見てみました。
目を開けるのもやっとのはずだけど、
絶望しているからか、目を開けて、じっと見つめました。
階段は、螺旋階段でした。

地下室は、B1 B2 B3 と、地下3階まであるようでした。
怖くて、最初の一歩がなかなか出ませんでした。
ひきかえそうか、と思いました、
そういえば、過去、何度かこの階段を降りようと思った事がある。
階段があるのさえ気付いていないと思っていたけれど、
無意識に、カーペットをめくっていた事が、何度も、ある。
でも、その度に怖くて、すぐにやめてしまった。
死んだ方がまし とさえ思った。
病気だから降りられない と思っていた時もあった。
神様どうかあたしを病気にしてください、と、神に祈った時も あった。
そうしてすぐ、地下へ続く扉の事は、記憶から消してしまっていました。

けれども、
絶望したら、
一歩が踏み出せて、
あたしは、階段を、猛スピードで、駆け下りてしまった。
自分でも止められない。
怖いはずなのに。

地下室は、
汚くて、臭くて、あまりにツーンとした刺激臭だから、
涙が、
あふれてあふれて、
そして、うわぁーーーッと叫びながら、駆け下りていきました。

そこ、B1F(地下一階)は、
地上一階の「たてまえと本音」の部屋ではなく、
「本性」の部屋でした。
見たくなかった。
死ぬまで、見たくなかった。
死んでも、見たくなかった。
認めたくなかった。
「本性」をどうしてもどうしても、認めたくなかった。
・・・絶望したことで、「本性=封印していた自分」が存在
していた事と、その存在を「どうしても認めたくなかった」事に、気づいた。

B1Fの部屋の壁いっぱいに、
映画のように、
過去の映像が映し出されて流れていました。
それはただの映像ではなくて、
痛みや冷たさや苦しさの、
感触も感覚もある、
まるで立体のような、いや立体、いや実体の
とてもリアルな映像でした。
その主人公は、「あたし」。

その光景は、
まるで、
走馬灯のようでした。
そう、人間が死ぬ時に見るという、走馬灯。
あるいは、
死んでから閻魔様の元で、否応なく見せつけられるという、人生のフィルム。

そう、あたしは死んでから見るはずの、自分の今までの人生を
すべて記録したフィルムを、生きながらにして、全部、見てしまった。


恥ずかしかった。
悶絶するくらいだった。
目をそむけたいのに、見えない力に固定されて、
映像から目が離せない。


映像に映し出されていた あたし。

認めたくなかった。

本当に認めたくなかった。

死んでも認めたくなかったけれど、

その本性は、



性悪 でした。




表に向ける顔は、いい人ぶっていたけど、
そのいい人を支える根底、本性は、
「性悪」 でした。

あたしは、その、今まで目をそむけていた「性悪」な自分、
亡き者にしていた「性悪」な自分、
なにか出来事が起こるたび、自分から切り離して捨ててきた
「性悪」な自分と、
対面しました。

切り離して捨てたつもりだったけど、
「ここ」に、居たのか。
何年も、この汚いおぞましい地下に
閉じ込められていたのか。
誰でもない、この「あたし」によって。
あたしがあたしの半身を。
嗚呼。


・・・つづく→C


posted by 辰多みか at 21:58 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする
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