2013年09月21日

天照らすF

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」 「D」 「E」のつづきです…



これが「神様」という事か。
あたしは、光の下で、納得しました。
腑に落ちた、という方が、より近い。

すとーん、と、理解が、腑に落ちてきました。
みぞおちの少し上あたり、「腑」は、案外、硬いものでした。

「あたし自身が、神様だったわ。」


我に返ると、「あたし」は、球体ではなくて元のあたしに戻っていました。
けれども、ついさっきまでの元ではなくて、
「性悪な本性のあたし」が、あたしに寄り添って立っているのが見えました。
人 という字みたいに、ふたりで寄り添って、立っていました。
もともと、寄り添わないと、あたしたちは立てないように、できていたのです。
だって半身だから、足が、一本ずつしか無いしね。
それは生まれ出た時のままの、元(もと)。
その 元 に、戻っていました。 
あたしたちはもともと「そのままでいい」のです。

ドーンドーンという振動は、終わる事がない という事も理解していました。
それが「愛の波」だという事も。

「愛」の反対になる言葉は「憎しみ」では無い。
「愛」の反対は、「気にも留めない」「目に入らない」「無関心」なのです。
「憎しみ」は、愛の別表現なのです。波の方向 が、「愛」と逆なだけ。
「無関心」は、波が、立たない。振動を相手に与えない。

「愛」でしか、人を動かす事はできない。
振動は、どれも、同じ。
受け取る人が「愛の波」と感じれば、人は心の鍵を開く。
「憎しみの波」と感じれば、人は用心して、鍵を二重三重にかける。

「北風と太陽」の太陽は、「愛」だ、と思いました。
本当の愛。心を開かせる愛。
ただそのままでいい と言っている 愛。
「コートを脱いでも脱がなくても、いいよ。」と、ニコニコ暖かさを送っている、愛。

見回すと、鏡の向こうにうかぶ部屋は、
すべて、あたしの部屋のように、内部に、天上につながる奈落 がある物 だという事が、一目で理解できました。
その部屋の中で、一喜一憂する、人間たち。
それらがみんな、ひとりひとり「神様」なんだ、と理解しました。
人だけでなく、自然も、物も。
これがやおよろずの神。

すべての部屋が、ゼロの通路で、つながっている。
そこに住む人たちは、気付かない人がほとんどだけど。
皆が気付けば、世界はたちまち平和になるだろう。
振動は、「本当の愛の波」になるだろう。
太陽のように、「そのままでいいよ」と、お互い、
平和に暮らすだろう。


・・・「天照らす」終わり・・・

あたしが、一度目、神様を見たのは、そこまで でした。
神様は、自分自身でもあり、太陽のようでもありました。
すべての「やおよろずの神」が、本当は大きなひとつの源から
ゼロの通路を通って、やって来ているのを知るのは、これから数年後でした。
それは、体感ではなくて、
数の世界で、
知ったことでした。

神様は数式で表せる。
数の世界の秩序。
それが、ワンネスです。



posted by 辰多みか at 20:56 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする
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