2013年09月25日

えらぼう

神様は、
怒ったりしない。

神様が言う言葉は、「いいよ」しか言わない。

「神の怒りに触れた」っていうのは、
人間が自分を正当化するための、勘違いの、言い訳。


神さまは、 「いいよ」 しか言わない。
「あるよ」 しか 言わない。
「あって、いいよ」 しか 言わない。

有 か 無 だったら、
有 が 「神様」

無 は、 さあなんだろう。
「あなたと私は別人」 って事かな。
(あたしはそう感じるよ。)


宗教間対立でね、
あの宗教徒は許せない、だからやっつける。
あの宗教から弾圧を受けたから、うちの宗教徒は全員助ける、そのためにあの宗教をぶっつぶす。
と、いきまいて、争う。
宗教は、「神」と「愛」を説いているはずなのに。
なぜ、信仰している宗教が説いている事が、理解できないのだろう。
それはなぜかというと、そういう行動をとる人たちは、本当には神を目撃していないからだ。


神様は、「あって、いいよ」と言う。
それはね、

平和でも
戦争でも

どっちでもいいよ って言ってるのだ。
本当に神様を「目撃」すると、神様はずっ〜とそうつぶやいてた っていうのが
一瞬で理解できるよ。


戦っちゃダメとか、平和に暮らしちゃダメとかも、言わない。

言わない、というか、むしろ、
「戦っちゃダメでも、いいよ」
「平和に暮らしちゃダメでも、いいよ」
と、神様は言うのだ。


全面肯定なのだ。
神様って、完全肯定 って事なのだ。


戦争でも、
「やっていいよ〜」と、ニコニコ言っているのだ。
だからといって、宗教間対立が、それを理由に起こっている、というワケではない。
逆なの。

「戦争はやってはいけない」と、固く信じているから、やるのだ。対立したい人たちは。
神様から、許可を得られていないと、思い込んでいるから、やるのだ。

実は「戦争でも平和でも、好きにやっていいよ」と、神様は言ってるわけ。
どんなあたしたちでも、否定しない。それが神様。

「やってはいけない」と思い込んでいるから、やる。
それを選ぶ権利がない と思ってるから、やる。

そうではないのだ。
神様は、いけない とは絶対言わないのだ。

ただ、神様の仕事?は、もうひとつあって、それは、この世の仕組みを作ること。
作る、というか、作り上げた という事。

戦争の方向に力を向けると、跳ね返って自分たちの方に戻って来る。
戦争の方向、というのは、平和(愛)と逆方向の事で、
愛を与える方向に対して、愛を奪う方向のこと。
愛を奪う方向(つまり愛を自分たちへ近づける方向)へ力を向けると、
跳ね返って、愛は向こうへ行っちゃう、という事。
その跳ね返りの仕組みを作ったのが、神様。

だから、人間は、平和でも戦争でも、どっちを選んでもいいんだけれど、
自然の摂理に従うと、戦争を選ぶと、人間的には、良くない結果になる。
神様的には、どうでもいい〜♪。
神様は怒らないけど、摂理は、仕組みは・・・人間から見ると、怒ったように見えるかもしれないね。

仕組みは、人間の力では、くつがえせない。
本当に神様を目撃する(悟る)と、その事が理解できるようになる。

私たちは、どちらを選ぶ事も、許されている。
ないと思うからほしくなっちゃう、
できないと思うからやりたくなっちゃうのが人情。

どちらも選べるんだから、
選ぼう。
私たちは、すべて持っているんだから、選ぼう。
無いものなんか無い、すべて有る んだから、
与える方を、選ぼう。

神様は、そんな私たちを、ニコニコしながら、見ている。
「いいよ」とだけ言って、見ている。


posted by 辰多みか at 15:05 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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