2013年11月06日

本当にやりたいこと

悟りの世界をチラッと見ちゃってから、5年間。
ゆるせなくてゆるせなくてゆるせなくて〜〜〜悩んできた。

悟れば、苦しみから逃れられる、と、ぼんやり認識していた程度の、
宗教が好きなワケでもない一般人の主婦だったのに、いきなり悟りの世界を見てしまって、そして、「すべての答え」を見てしまった。
結論からいうと、あたしの場合は、悟りの世界を見て世の中の仕組みを知っても、
苦しみからは逃れられなかった。
宿題が山ほど出た。
とても優しい、愛にあふれた神様から。
その宿題が終われば、苦しみがなくなるんだ(←いやこれ誤解ですけどネ)。
あたしがその時知ったのは、宿題が無限にあるわけじゃなく、
山の高さが有限だった、という事だった。
宿題は、人生の旅路のゴールともいいかえられるけど、
そのゴールの終着点が、目に見えた事だった。
それがあたしの悟りなの。
みんなが体験する、至福は無かったの。
だって、ゴールが、遥か遠いんだもん。

その時出された宿題は、

「ゆるすこと」

憎んでるあの人を、

「ゆるすこと」

それはイコール、自分自身をゆるす事でもある。

一瞬で魂が納得した、
いいえ、魂が思い出した、この世の仕組み。

なにがなんでもゆるすって事じゃないの。
自分が納得してなくてもゆるすって事じゃ、ないんだよ。
自分が我慢するって事でもないの。
言葉だけ、表面上だけで、「ゆるしてあげる」じゃ、ないんだよ。

それが、人類みんな、理解できない。
わからないように仕組まれて、生まれてきた。
なんで仕組まれたかっていうと、この世は、それを思い出すためのゲームだから。

ゲームは楽しいからね、みんな夢中になっちゃうんだよ。
みんな、ゲームの仲間にはいりたくて、あの世で神様に、
現世でのゲームに参加したいから肉体をください、って言うんだよ。
今度こそ思い出して見せますって、意気込むの。
そして生まれたとたんに、忘れちゃう。忘れる仕組みだから。
自分を苦しめるというゲーム。
そして、HPも、ホントは無限に補充できるというのに、
無いと思っちゃうゲームなの。
神様に、生命力をください と言えば、すぐにくれるのに、
無いと思っちゃってるから、人から奪うの。
意地悪してみたり嫌味を言ってみたり優越感をもってみたりして、
相手の罪悪感や劣等感から、奪うの。
気を損ねる、気が悪い、いい気味、いい気分、それは、奪い合いのはてに、
減ったり増えたりした(と勘違いした) HP、生命力。

神様は、生命力、この場合は、「気」という意味の生命力を、みんなに
雨みたいに降らして、そしてあたしたちはそれでいつもびちょびちょなんだよ(笑)。
でも気が付かないから、飲まないの。
それが飲めると知らないから、飲まないの。受け取らないの。
ある時は嵐みたいだったり、またある時は太陽からの光の雨みたいのなの。
別名を「愛」と言うよ。
台風みたいにまきこまれて、わぁーとかなるけど、それも愛なの。
受け取ると、体に満たされるんだよ。
そして、自分が受け取った分を、人にあげる事もできるんだ。

それらがさ、悟った時に、全部わかるわけなの。
みんな、理解することができるの。
すごいよ、びっくりするよ、だって、自分って神様の一部なんだから。
神様って、ただの、1 だし、
ただの、 有る だし、
ただの、 在る だし。
一部で全部で、ポジでネガで、裏で表なの。
ああ、そうそう、神様に無いものはなにも無いけど、ひとつだけ、ないものが、あった!
それは、「無い」が無いの。 それが神様。
「欠けてる」「不完全」は神様に有るけど、「無い」は、無い。

そんなこんなで、この世の仕組みと神様と本当の自分(自分サイズに
収まってる神様)に悟りの瞬間気がついたわけだけど、あたしは、宿題をしたくなかった。

なんとかかんとか、憎いあの人をゆるそうゆるそうとしてきたけど、どうしてもできない。
だって毎日、嫌味嫌味ですのよ。毎日意気込みがリセットされる。
でも、ゆるさなければ、自分自身が幸せになれないので、
どうしてもゆるしたかった。

ニコニコ笑顔?尽くしてみる?話を聞いてやる?
神様から受け取る「愛」はタダじゃん。自分の体の外側の経絡に流して、
「衛気」にして、あの人にあげればいいじゃん。「ありがとう」と笑顔で。
「あなたのおかげで幸せです」って。
自分自身の気を奪われないように、きちんと「No」をいえばいいじゃん。
そのやり方も、わかってる。できるようになってきた。

そういうふうに、あたしは、あたしの内面(潜在意識)に、言う。

だけどね、体が動かないんだ。

あたしが、「憎いあの人をゆるす」 というのは、
具体的にどういう事をやるのかというとね、


それは、「あたしが自分の好きな事を好きなようにやって、幸せです!って輝く」って、事なの!


自分が好き勝手に好きな事をやるというのが、
憎いあの人をゆるす という事なの。
びっくりでしょ。
それがこの世のからくりなんだ。

自分が好きな事を、させてもらう。
あの人に「ありがとう」って言う。
「おかげさまで」って言う。
それが、ゆるしなの。

あの人のせいでできないって、もう言えないの。
もう、あの人のせいに、できなくなるの。
「自分が幸せにならない言い訳」が、できなくなるの。
幸せになっちゃったら。

だから、あたしが幸せになっちゃったら、あの人に「ありがとう」って言わなきゃいけない。
それが、まだ、ホントに嫌なんだ〜〜。
気づいた本心。まだそこか。

だから、あたしが心底本当にやりたい事は、「やりたい事をやりたい」、
「幸せになりたい」なのではなく、
「あの人にありがとうって、言いたくない」なのです。
本心が、あたしの認識外で、そう神様に全力で祈ってるから、そっちの願いが叶っているのです。
やっぱりすごいわ神様。どんな願いでも100%叶えてくれるわ。
「あたしは幸せにならなくてもいいから、あの人に感謝したくない」という
願いを聞き逃さずに叶えてくれてるなんて。

うーん、うーん。
でも、もうホントに、ゆるしても、いいかな。
みんな幸せになっちゃっても、いいかな。
宿題が、あとちょっとで終わりそうな気がする。



posted by 辰多みか at 15:48 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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