2013年11月21日

ついに辿り着いたかも

昨日、痛い痛い記事を書きました。
(もっともっと痛い過去はいっぱいあるけれど)

それに付随するように神の定義関係の事も考えてました。

そして、自分の中の、自分で見えない、うわっつらの表面の事も。

うわっつらの表面。

自分で、見る事が、できない。

だって、目はうわっつらについてるし。外しか見れない。

神の定義関係の事は、熱い冷たいみたいに、神経刺激で感じる事だから、
目がなくても、わかるの。
五感じゃなくて、第六感で感じるんだけどね。

でも、自分の姿だけは、見えない。

そのために、「他人」が鏡の役割をしてくれているの。
でもその鏡は、ポジとネガが逆に写る仕様の鏡だから、
よ〜〜く、神経をこらして、感じ取らないと、
そこに写った自分のうわっつらの姿を見るのが、とても難しい。
ものすごくコツが要る。
ふつうの人は、それを見出すまでに、精神をやられちゃう。
(この見方のコツが、水晶透視や他の占いのコツなのかも)

ていうか、精神をやられるから、見えるようになるのかもね。

あたしは、自分の内面に押しやった、醜い、酷い、おぞましい考えの、
腹黒の自分を、自分の中から発掘して、そして、その穴に転がり落ちて、悟りの世界を見た。
神の定義を、見た、見たというか、神経で感じた。
(どんだけあたしがおぞましいかの一例は、昨日の記事ね。
http://loveconquerfear.seesaa.net/article/380778967.html )

だから、もう大丈夫なのかな、と思った。

でも、やらなきゃいけない宿題がいっぱいあったのよ。
そのひとつは、相手にちゃんと「ノー」と伝える事。
それをやりたくなくて4年も経った。
で、なんとかがんばって「ノー」が言えるようになってきた。
傍目から見ると、ただの、「反抗期に入った嫁」なんだけどね(笑)。

もうひとつは、感謝してちゃんと受け取る事。

それがなかなかできない。

道筋は間違ってないと思うのに、なんでだろう。
どこかで、あたしは勘違いをしている。
それを、ず〜っと探していた。

そしてね、昨日、なんか、見つけたみたい…

ついに、辿り着いた…みたい…


そして、それを、
やりたくない!やりたくない!やりたくない!って、体中の細胞が叫んでる。
ぐーっと、筋肉が縮こまる。

あたしが辿り着いた、宿題は…

それは、「相手に自分の弱みを見せる事」だ…

今まで、やってきたつもりだったけど、一度もちゃんとやっていない。
それに気付いた。

強がってばかりだった。今も、強がっている。
笑ってごまかしてみたり。
平気なふりをしたり。
悟ったから大丈夫って思ってみたり。

やっぱり神様は見逃さない。
法則のセンサーは、完璧だわ。
そこができなければ、あたしは、本当には自由になれない。

あぁー。
でもホントにやりたくないのよ。
ううーっ

助けてください…
(↑これを口で言え、あたし)



posted by 辰多みか at 11:35 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする
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