2013年12月11日

やらしい

あたしは何回か、ちいさいちいさい気づきがあった時、
それを、なぜか、文字に書いて残したくない。
それを書くためにブログを書いているのに。
本末転倒だわ。

それでも、ようやっと、書いてる。
今までの、たぶん全部書いた。

なんでかなーと思うけど、
自分でもわかってるけど、
「気づく」時って、必ずそれに対応する、気づきの元があって、
それが、ホントに、「やらしい」

いやらしい。
やらしーなー、ていう時の、いやらしい。

たくらんでた。
うすうす期待してた。期待してることを隠して。
察してほしいと願ってた。そう考えてる事を隠して。
隠す。
隠す。

隠してるのを、自分で気づいちゃった時に、
「気づき」がある。
プチ悟り。
一瞥までも行かない、プチ悟り。

だから、とっても、バツが悪い。
「気づき」がある時って、とてもいやらしい自分を目撃する時だから。

ものすごい衝撃の悟りをする瞬間って、
たぶん、ものすごい、今まで自分で見た事のない、最大限のいやらしい自分に気づく時なんじゃないかと思うよ。
聖人とか思われている、歴代の覚者だって、
悟りが大きければ大きいほど、いやらしさだって大きかったはず。
お釈迦さまとかキリストさまとか、
もんのすごく、いやらしい自分と、対面したんだと思うよ。
だから、悟りたいと思ってる人は、今まで自分で想像もしたことのない
いやらしい自分と対面するハメになる、という覚悟だけは、しといて。

「自分」って、本当は、
自分で想像している以上に、はるかにいやらしく酷い人で、
そして、はるかに素晴らしい人なの。
それが同時に存在するの。

いやらしい自分って、切り捨てなきゃいけないわけではない。
罰しなきゃいけないわけではない。そこは誤解しないで。




posted by 辰多みか at 00:46 | 悟り | 更新情報をチェックする
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