2014年01月20日

ぐらぐらゲーム

悟る。
悟るとは、「自分」が「自分以上」でも「自分以下」でもない事を、
体の感覚レベルで強烈に知ってしまう事。
(その感覚レベルの事を「細胞レベルで」と表現している人もいる。)

どう?
自分は自分以上でも自分以下でもない。
自分はどうあがいても自分にしかなれない。
どう?
どう感じる?

悲観?
楽観?

絶望する?
そんなのあたりまえじゃん、と思う。ちょっと怒りながら。
まあそうだねしかたないね、と思う。自分を慰めながら。

それとも、気が楽になる?
そんなのあたりまえじゃん、と思う。笑顔で!
まあそうだねしかたないね、と思う。口笛を吹きながら。

それだったら、人生、楽だなぁ〜と、肩の力が、抜ける。
そう思える人は、もう既に、「自分」が好き。
「自分」を愛している。
腹黒い自分を、ちゃんと、見た事がある。
腹黒い自分を、亡き者にしない。
ないがしろにしない。
「自分」を大事にしている。
だから、周囲からも、同じように愛される。
こういう人は、きっともう悩みはないよね。

ところが、逆に、絶望してしまう人。
そういう人は、「自分」に、なりたくない。
腹黒い自分を直視できない。
いないことにしようとしている。
自分が自分をないがしろにする。
だから、周囲からも、同じように蔑ろに扱われる。

自分は自分以上でも自分以下でもない。
それが体感レベルでわかってしまう(頭で理解する
のではない)のが悟りだけど、自分を自分以上自分以下に
保っておくのって、実はとても難しい。
悟って、仕組みを知ってしまっても、実践するのが、難しい。
だって、「自分」って、ぐらぐらするバランス取りのゲームみたいなものだから。
「玉乗り」みたいな。

「自分以上自分以下」って、ある一点、そう大きさがゼロの、
0次元の「点」にしか存在しない。
肉体を持ってこの世を生きるというのは、外部からの力や
自分内部からの力で、常にぐらぐらを体験するという事。
そうだ、「自発的対称性の破れ」みたいだね。

自分が自分と分離する。
それは苦しみしか生まない。
外部からの力は、常に掛って来る。
それが自然の法則だから。
だけど、その力自体は、苦しみを生み出さない。
外部からの力に抵抗できない、と、妄想してしまうから苦しみが生まれる。
外部からの力がかかっても、自分が自分と分離しなければ良い。
「平常心」
「揺れない心」
バランスをとる。
ぐらぐらゲーム。
疲れちゃう時もあるだろうけど、それが「生きる」という事だから。


しかたがない。


(笑顔で!)



posted by 辰多みか at 16:50 | 悟り | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。