2014年02月11日

本当に欲しかったもの

ほんの

ささいなこと。


さっきお風呂に入って、

ちょっとぬるかったので、熱くするボタンを押した。


(うちはオール電化なので)
お湯が熱くなると、ピー音が4回鳴る。
うるさいんだけど、これだけ消音設定ができないので、
しかたなく鳴らしている。

お湯が熱くなってピーピー鳴った。
お風呂場だけじゃなくて、居間でも鳴る設定なの。

すると、ドカドカ足音がして、
居間にいた旦那サマが扉の向こうから声を掛けてくる。
いつもは居間にいないんだけど、今夜はたまたま居間で仕事をしていたんだ。
(自営業なので家中どこででも仕事ができる)
「なんか音、鳴らした〜?」


 なんか、音、鳴らしたぁ?

↑これをどう聞くであろうか?
どう解釈するであろうか?

どう解釈して、どう答える?
熱くしたから音が鳴ったんだよ。と、あたしは答える?
そこに何を含む?
ボタンを押すと勝手に鳴る仕組みなの!と、怒る?
怒るのは「鳴ったら悪いの?私は悪くないけど!」と言いたいから。
その下には「私を悪者にしないで。されると悲しい。」という思いが下敷きになってる。
自分で自分の事を「すぐに悪く思われる私」と思っているからだ。

いつものあたしは、そう解釈しがちだけど、今日は違った。

彼が言った真の意味は、こうだ。
「だいじょうぶか?呼び出しボタンを押したか?」である。
ちなみに呼び出しボタンは音色が同じで、ピーの長さが倍。
はっきり言って、紛らわしい。
あたしは…「熱くしたから音が鳴ったんだよ。」と、冷静に、答えていた。
そこに、怒りは、無かった。
彼は、「あっそう。」と行って、さっさと居間に戻って行った。
彼はな〜んにも怒ってないし、無事を確認したら、すぐ次、だ。

あたしはお湯に浸かってぼーっとしてたけど、
「あっ、見に来てくれてありがとうと言えばよかったわ」と、思った。
「ありがとねッ」とか「ごめんねっ」って。
ドカドカいう足音を思い出して、愛を感じた。
あたしのために、動いてくれた。
あたしが、動かす。周りを。
あたしのために、周りの人に、時間を使ってもらう。
あたしの事が憎い相手でさえも、その人の人生の貴重な時間を、あたしに思い巡らすために使ってくれる。
しかも憎しみの呪縛という、憎しみを持つ本人自身を縛り上げる罠に、みずからかかってくれさえして。
これは、愛 だ と思った。

そうだ、赤ちゃんの時。

こうだった。

あたしの世界は、

こうだった。


あたしが動けば、

世界が動く。

世界が答えてれる。

それはまぎれもなく、愛で、

相手の憎しみでさえ、愛で、

あたしが赤ちゃんの時、欲しかったのは、これだった。


泣けば、

来る。


泣けば、

来る。


ただそれだけのこと。


「泣く」のに、なんにも意味はない。
「来る」のにも、なんにも意味はない。
良い・悪いが、ない。

ただ愛だけがある。

愛してるっていう形の愛と、
欲しいっていう形の愛と、
嫌いっていう形の愛と、
アナタは迷惑っていう形の愛と、
どうでもいいよ(なげやり)っていう形の愛と、
どうでもいいよ(赦し)っていう形の愛。

あたしは、今、赤ちゃんから、やりなおしているんだ。
愛でできた世界を経験しなおすために。
いま起きた、ほんの ささいな事を、
これから積み重ね、積み重ね、

赤ちゃんのあたしが、欲しかったものを、大人のあたしと一緒に、集めていく。




今、ここまで来た。
待たせたね、あたし。






posted by 辰多みか at 23:39 | インナーチャイルド | 更新情報をチェックする
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