2014年05月03日

悟りと宿題

悟りの世界を垣間見る前、
人はみな、勘違いの世界に生きている。

ここじゃないどこか。
私じゃない誰か。

今の私がダメだから、
もっと努力して、違う私に、なろうとする。
それが勘違いの世界。

自分の事が嫌いで嫌いで嫌いでしかたがないんだ。
だけど、どうしたら良いのか、さっぱりわからない。

ここでうまくいくと苦しみ際まって、悟りの世界を見てしまう。
苦しみ際まる、とは、これやったら死んじゃうような気がする、
という事を、自分の抵抗とは関係なくやっちゃった時。
(たとえば憎んでいる相手に対して号泣しながら懺悔する時)

悟りの世界を見る、と、苦しみがなくなるわけでは、ない。
憎んでいる相手を急に憎まなくなったりするわけでは、ない。

そこで起こるのは、自分が勘違いの世界に住んでたんだー、という、理解だけ。

「どうしたら良いのか」が、わかる。
必要なもの不必要なものが、わかる。
自動的に分別が行われるので、視界が晴れたように感じる。
悟りの世界を見るまでは、全部が混ざったカオス状態だったのが、
秩序を持った分類に分かれるんだ。
そのあとの人生は、「どうしたら良いか」だけやれば、良い。

と書くと、簡単だねー、と思われるかもしれないが、
「どうしたら良いか」が、なかなかできないのだ。
それをやるには、ものすごい勇気が要る。
どんな勇気かというと、
・嫌われる勇気
・ありがとうといいたくない相手にありがとうと言う勇気
・ごめんねといいたくない相手にごめんねと言う勇気
つまり、憎い相手を、ゆるす勇気。

「どうしたら良いか」は、宿題で、それをやらないと、本当の自由な自分に、なれない。
宿題は、自分の人生にくっつけて生まれてきたので、
それをやるのを避けては通れない。

ここが大事な所なんだけれど、
「宿題」は、悟りには、ぜ〜んぜん関係ない。

もういっかい書くけど、
悟りには、ぜ〜〜んぜん関係ない。
なので、
とにかくやらなくっちゃいけない。

悟るとなにが良いかというと、「宿題」が、自分で
目に見えてわかるようになる所。
人の手を借りなくても良い。

悟らなくても宿題はしなくてはならないので、
(あ、したくない人はしなくてもいいんだけれど。ずっと苦しくても良いなら。)
そういう場合は、人の手を借りる事になる。
お金が掛るけどマイルドに進めるならカウンセラーさんなりで、
お金は掛らないけどパワフルに進めるなら、目の前の、憎い人、ね。

宿題が済むと、
大嫌いだった自分に、力強く、おもいっきり、還る。
自分に、還る。
愛と感謝と自由の中で。

そういう宿題。
やりたい?
やりたくない?
宿題は、人類みんな誰でも、やらなくちゃいけないの。




posted by 辰多みか at 17:35 | 悟り | 更新情報をチェックする
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