2014年05月19日

人生の宿題

人生とは、
ありのままで生きるとは、

「やりたいことをやる」 

それに尽きると思う。

「やりたいこと」の中には、「やりたくないをやりたい」も入ってるよ。
「言いたくないをやりたい」も、入ってるよ。


すごーくシンプルで、一見簡単に見えるけど、
本当の本当に、自己責任で「やりたいことをやる」には、
「やる」時、「ごめんね」と言う勇気がなければ、できない。
「やる」時、「ありがとう」と言う勇気がなければ、できない。
つまり「やりたいことをやる」時、愛と感謝にあふれる覚悟がなければ、できないの。

愛と感謝にあふれちゃうと、
恨みに思ってるあの人を、ゆるす事に、なっちゃうよ。
だって、こっちが「ごめん」で「ありがとう」なんだから。
あの人の「せい」で「できない」と、言えなくなっちゃうんだから。
多くの人が愛と感謝にあふれる事ができなくて悩む、その原因は、
ぶっちゃけ、自分の幸せの責任を、
人に押し付けて、気分的に楽したいからなんだ。
「私は悪くない」って、ず〜っと思っていたいからなんだ。
不幸と不自由をみずから選んで、
できない方を選んで、
うじうじ人のせいにして、
不満ばかり言ってる方が、楽なんだ。
「ごめん」と「ありがとう」を、口が裂けても言いたくないの。
だって、言ったら、「負け」みたいな気がするでしょう?
(そんな人、客観的に見たら、嫌だよね〜。あぁーいやらしいわー。)

やりたいことをやる には、
(一見)困難がつきまとう。
その、困難を克服するために、ひとりひとりに、宿題がある。
(実際は困難でもないし、克服もないのだ。
克服しなければならない困難は、自分の都合で、作り出しているの)

あたしの宿題の中身を暴露しちゃいましょう。
ショボくて、びっくりするよ。
一度、悟りの世界を一瞥してるのに、
いちおう覚者のはしくれと名乗れるはずレベルなのに、
こんなに宿題は、ショボいんだよ。
そして、それが何年も、できないの。
6年かけた今、達成率が80%くらいなの。

それはねぇ。
事細かく、息子夫婦(あたしと旦那)の生活に
口出ししてくる姑さんに対して、
「心配してくれてありがとう。でも私は○○したいんだ。ごめんね。」と、
きっぱり、
自分のやりたい事、
自分のやりたくない事、
嫌ですと言いたい事を、
相手の気持ちを汲んだ上で、
宣言する事なんだ。
そしてそれができた時、ありのままの自分をさらけだして生きられる。

姑さんの事細かさは、
筆舌に尽くしがたい、あたしはかつて今まで見た事のないレベルで、
放っておけば、
息子夫婦のタンスの中身まで全部出して仕舞いなおして、
コン○ームの数まで確認して、
足りなければ買ってこようか(!!)、と、言わんばかりの
事細かさ。
言わなかったけどさー、言われてもおかしくないくらいの干渉度。
悪い言葉でいうと、おせっかい。
姑さんは社会生活の集団に溶け込めない人で唯一いる友達は、
姑さんの事を、お山の大将だからみかさんも大変ね!と、
なぜか電話であたしをねぎらってくれるほど。
ここでは書ききれないけど、姑さんが行ってきたびっくり仰天な
過干渉事例は、山のようにあるよ。
そして今もまだそれは毎日起こっている。

それで、あたしは、そんな姑さんに、「嫌」と言えなかったの。
あははー。
ホントにショボい宿題だわー。
言う事をよく聞く物わかりの良い嫁、という幻想のあたし像に、
しがみついていたから。
「嫌」と言うかわりに、ぷんぷん怒っていたり、
不機嫌に無視したりしていた。


たとえば、ほんとうに、たとえば なんだけど、
「毎日毎日、頭を叩かれて、朝、起こされる」とする。

あたしは、叩かれるのが、本当に嫌で、
自分で起きられるのに、起こされるのも本当に嫌で、
だけど、言い返さない良い人 に、見られたいとする。
あたしを起こす人は、ただ単に、親切で起こしてやろうと、思ってるんだ。
その人なりの方法で。

あたしの宿題は、
「頭を叩くのは常識的に考えてダメでしょ、だからあたしは怒りながら反発するよ。」と言うのではなく、
「ありがとう。でも私は自分で起きたいんだ。起きられるから。
頭は叩かれると痛いから、もう叩かないでほしい。
ごめんね。」と、きっぱり優しい気持ちで、伝える事。

さらにたとえば、
「こっちのやり方の方が良いに決まってる、と、相手から
そのやり方を押し付けられた。ダメ出しをされ更に誘導的な言い方(嫌味)をされた」とする。
その時でも、「ありがとう。私は○○したい。ごめんね。」と、きっぱり伝えるの。

これがあたしの宿題なの。
どうしても「相手が悪い」と即座に反応してしまって、きっぱりできないの。
しょぼいなー。
書けば書くほど、しょぼいわ。

やりたいのに、言えない。
言いたいのに、言えない。
やりたくないのに、言えない。
さらにもっと消極的に、やりたいのに言えないからやらない。

姑さんも、同じ宿題を持って生まれてきた。
あたしは人生途中で宿題に気づいたけど、姑さんは、まだ、気づけない。
だから姑さんは「言いたいのに言えない」言い訳を、
探すだけの人生を、悲惨な顔をして生きている。
すべての言動が、その言い訳からのスタートになっている。
だから姑さんの人生は「ありがとうを言ったら負け」の人生なの。

あたしの宿題はしょぼいけど、
「ありがとう!ごめんね!」って言えなくて、
「姑が悪いから・・・」
「上司が悪いから・・・」
「境遇が悪いから・・・」
「お金がないから・・・」
「時間がないから・・・」
「体が悪いから・・・」
って、いつもいつも、いつも、思ってる人は、
あたしと同じ宿題を持って、この世に生まれてきたんだよ。



posted by 辰多みか at 11:36 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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