2014年05月21日

「起こる事が起こっている」「やりたい事をやる」


〜〜おとといの日記より〜〜

たとえば、ほんとうに、たとえば なんだけど、
「毎日毎日、頭を叩かれて、朝、起こされる」とする。

あたしは、叩かれるのが、本当に嫌で、
自分で起きられるのに、起こされるのも本当に嫌で、
だけど、言い返さない良い人 に、見られたいとする。
あたしを起こす人は、ただ単に、親切で起こしてやろうと、思ってるんだ。
その人なりの方法で。

あたしの宿題は、
「頭を叩くのは常識的に考えてダメでしょ、だからあたしは怒りながら反発するよ。」と言うのではなく、
「ありがとう。でも私は自分で起きたいんだ。起きられるから。
頭は叩かれると痛いから、もう叩かないでほしい。
ごめんね。」と、きっぱり優しい気持ちで、伝える事。

〜〜〜

この場合、
重要な事は、

「毎日 頭を叩かれて 眠りから覚める」だけが、ふたりの人物の間に
起こっている事実であって、

この事実の中には、
正解も、不正解も、ない。
良いも、悪いも、ない。
常識も、非常識も、ない。

具体的に書くと、頭を叩くのは非常識 だとか、
だから怒って当然とか、
起きないから頭を叩いて当然とか、
叩く方が悪いとか叩かれる方が悪いとか、

そういう、さばき は、存在しない。
これが、宇宙がもともと持っている法則。
「神」の「愛」。




ふたりの人物の間には、
ただ、「私がどうしたいか」だけが、ある。


だから、やりたい事をやる時、
「やらせてもらってありがとう」しか、通用しない。

「やらせてもらってありがとう」のうえに、
「それで嫌われたってかまわない」の覚悟がないと、通用しない。

相手を、
権利でねじふせる事も、
義務で服従させる事も
強さで威圧する事も、
弱さでコントロールする事も、

通用しない。

それらは宇宙の法則から、はじきとばされる。
それらは、ぐるぐる回っている渦の中心から偏った所にしか、着弾しないので。

「謝罪と感謝」しか、
渦の中心・ゼロの通路を、通過する事ができない。


神の愛の元に。




posted by 辰多みか at 11:06 | 気の交流 | 更新情報をチェックする
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