2013年02月16日

朝起きてふとんの中で思ったこと@祈り


あたしはいつも朝目が覚めると、まず、

胸のあたりが重くないかどうか、確認する。

あ、寝た体勢のままね。


これを確認するようになったのは、そう、つい最近だよな。

去年の10月頃からかな?

そうだ、帯状疱疹になった頃からか。


胸の奥、場所的には、みぞおちの上でのどぼとけよりは下の部分、

そこに、重くて黒いものが詰まってないか、確認する。

だいたい、朝起きた時は、夢の続きを見ている。

あたしは、低血圧のせいでパッと起きられないので、

起き上がる時間の20分以上前から、めざまし時計を鳴らしている。

スヌーズにして、4回以上は、鳴らす。

それで、時間を確認しつつ、最終的に、起きる。

その間、ずっと夢の続きを見ている。


夢は、日常生活の延長の内容ばかりだけど、

その内容に、「不安」がはいってると、胸が重くなる。

それを確認するんだ。


最近は、重くないよ。

10月の、帯状疱疹になった頃は、重い時があったなぁ。

家族のプチ介護がはじまった頃だけど、

その時の重さは、介護が原因ではない。

その前からだった。


で、今は、胸が重くない事を確認したら、

「羽毛布団はいいよなー」と暖かさを満喫しつつ、

なんか、「朝日が出ててありがとう」、と思う。

いいこちゃんな考えではなくて、漠然と、ありがとうと思う。

そう思えばいいことがあるとかいう、引き換え条件みたいなありがとうじゃなくて、

ただ漠然とそう思う。雨の日でも思う。だから、「朝が来てありがとう」だな。


そして、「光になれますように」って祈る。

前に、鳩山(元)首相の奥さまが、ファーストレディになってテレビにひっぱりだこだった頃、

「おひさまをパクパク食べるの」と言って、テレビや世間を騒がせていた。

みんな、笑いのネタにしていたけど、あたしは、「あー、わかる」と思ってた。


あたしも言葉に出せば、笑われると思ってたので、言わなかったけど、

そうなんだよ、おひさまってパクパク食べられるんだよね。

もっというと、別に食べなくても、夜寝るだけで、宇宙パワーは体に充電される。

宇宙パワーとおひさまってだいたい同じ物。

でも笑われるのがいやで言わないあたしと比べたら、堂々と言っちゃう奥さまは、

魂的に、ずっと高い所にいるんだろうな。


光になれますようにって毎日祈ってるけど、

日常生活の小さな小さな事さえも、感謝を持って出来ないから、

やっぱり光になれない。

ぷりぷり怒っちゃう。

もっというと、怒りたくて生活してるみたい。

それじゃあ光になれないわ。


毎日そんな葛藤。

あぁそう、怒ったらダメだってわけではなくて、別に怒ってもいいんだけど、

「あたしは自分の中にある、"コレ"が反応して怒ってる」って

冷静に観察できればいいんだよね。

それは光に近づく考え。


「あの人のせい、あの事のせいで怒ってる」っていう思いの中にいたままでは、

光になれないんだよね。



その、光に近づく考えで、自分を冷静に見てると、


すとーん、と言葉が降りてくる事がある。

それをその時、素直に口に出せれば、あたしは、たぶん、光にもっと近づくんじゃないかなと思ってる。

その言葉って、すごくアサーティブな言葉なんだよ。

自分でもちょっと感動する事がある。

でも、なかなか勇気がでなくて、言えたり言えなかったり。


だから、毎日祈る。

自分が光になって、世界中のみんなも同じ、アサーティブな、光になったら、

世界は平和になると思ってる。

真面目に、思ってる。

「祈る」と文字では書くけど、

やっている事は、「決意表明」のほうが近いかな。


それがあたしの毎日の朝。

あと、日が暮れると、「今日も一日すごせてありがとう」と思う。


うーん、あたしは誰にありがとうと言ってるのだろう?


世界か?


長くなったのでAに続く。


posted by 辰多みか at 00:00 | 気の交流 | 更新情報をチェックする

2012年09月28日

人の「気」を奪う人たち その@

人から「気」をもらって、いきいき 生きてる人たちがいる。


人から気をもらえないと、しおしおのぱー みたいになって

文字通り、元気がなくなって、まず目から死んでいって、

なんか 病気になっちゃったり 大変になって、

しおれた植物 みたいになっていっちゃう。





人からもらう「気」って、




ありがとう とかの 感謝の気持ちだったり、


すごいね とかの 称賛の言葉だったり、


ごめんなさい って謝らせたり、


いろいろあるんだけど、





それをもらうために、卑怯なてだてを使う人たちがいるんだ。


そういう卑怯な人たちを「人から気を奪う人たち」という。いや、一般的に

どう言うかは知らないけど、あたしが、いう。



ひきょうじゃなければ、「奪う」とは言わない。

誰でもやっている、気の交流、気のキャッチボールだ。





「卑怯な手立て」、あたしが 今まで 目にしたのは、こんな場面だよ。


あたしは、とある絵画教室に通ってた。



そこの生徒は、ほとんどが、50才以上で、みんな、おじいちゃんおばあちゃん。


20代は、あたしと友人以外、ほぼ皆無だった。

まあ、そんなとこに入ったわけだけど。



何年も通ってるのか、10人ほどの生徒は、だいたい顔見知りらしかった。




その中で、ひときわ上手な おじいさんが居た。


みんな、教室に入ってすぐ、その人がスケッチブックを開くと、後ろに見に行った。




おじいさんも心得ていて、


良く見えるようにしてくれた。そう、みんなに見せているんだ。



みんな口ぐちに 「上手ね」、「この色づかいいいね」「ここが素敵」、それは、心からの称賛の声だった。

だって、本当に上手なんだもの。



おじいさんは、ニコニコしていた。いつも、ニコニコしていた。そして誇らしそうだった。

上手な絵と、嬉しそうなおじいさんを見るのは、楽しかった。





もう一人、





スケッチブックを、みんなに向けて開く人がいた。



その人も、年配の、おばあさん。たぶん、あのおじいさんと、

どっちが上かっていうくらいの、教室一、二の年配者だと思う。






どちらも、かなり長い間、通っているのではないかと思う。

たぶん、どちらも 古参の 教室の主(ぬし)だ。







そのおばあさんは、



教室に入ってくるなり、






スケッチブックを、




教室の前の、黒板のところに、開いて、置くんだ。






みんな、(あのおじいさんも)、


スケッチブックを置くのは、自分の目の前に立てた、イーゼルの上だっていうのに。




おばあさんは、



とても味のある絵を描く人だ。


写実的、とかではなくて、本当に絵が好きで、


いつも、いつまでも描いてる、そんな感じの絵なんだ。

そう、決して「上手」ではない。でも、絵が好きだってことは、伝わってくる。


だって、課題を一週間でこなしてきて、またさらに違う絵を描いてくるんだから。





みんなも、それはよくわかってて、

黒板に、全員から見えるように置かれた絵を見て、言う。



「上手ね」、「この色づかいいいね」、「ここが素敵」


そう言って、褒めるんだ。

うわっつらで言ってるわけではない。味のある絵を褒めてるんだ。






そのおばあさんは、ひととおり褒められたあと、いつも、こう言う。


「そんなことないよ」


「もう、ぜんぜん・・・」


笑いもせず、卑下する。いや、褒められてる事に、うっすら、口元が笑うのを隠しきれない時がある。


褒めてる途中でも、

「いやっ、いやいやそんな・・・」と言葉をさえぎって言う時もある。





そう言われた、褒めた生徒は、

その人たちは、いつも決まってて、50代くらいのちょっと強気っぽい主婦二人なんだけど、


「そんなことないわよ〜、本当にじょうずぅ」


褒めのダメ押しをする。








なんだ?

先生でもないのに、黒板に絵って?

毎回毎回なんだけど。

あたしはこの光景がはじまると、なんか むしずが走った。

ゾ〜ッ とした。






黒板に絵を置かれて、見ない人はいないでしょう〜。

みんなそっち向いて座ってるわけだし。

しかも、「ハイッ」て言って、置くわけだし。





そうしたら、やっぱ、褒めるよね、褒める場面だよね?


ここでほめないと、無視?  いじめ?だよね なんか。


で、ほめたら、




「そんなことはない」と(キッパリ)。




ニヤニヤ笑いが隠しきれないくせに・・・・








主婦二人に、「見せて〜」って言われてるわけじゃないよ。そんなこと一度も聞いてないよ。

そして、おばあさんが「ありがとう」とか言うのは、聞いたことが無い。

主婦さんは、他の、あたしの所とかも、ぐるっと回って、みんなを褒めるんだけれど。






本当に、この黒板のやりとりが、毎回 嫌だった。




この教室をやめたのは、たぶん、これも原因のひとつだ。




こういう人が、人から「気」を奪う人だ。





たぶん、褒めてくれる強気の主婦たちさん (ありがとう、あたしはとても助かった。

だって、あたしや他の人が褒めなくても良かったんだから。)

が、いっぱい、気をまわせる人で、需要と供給が合ってる、奇跡の教室だったんだろうけど。






もし、おばあさんが、あたしに向かって、直球、

「も・っ・と・ほ・め・て・・・・・」オーラを出してきたら、



あたし、一発で たぶんノックダウンだよ。





人にあげる「気」なんか、じゅうぶん持ってないよ。

一回ほめて、あとのやりとりで、疲れ果てて教室やめちゃうよ。


それはかろうじて無かったから、半年、期限まで通って、そこはやめた。






そのあとどうなったんだろうな。

年も年だったから、もう、、、居ないかな?? 居ないよね?



あのおばあさんは、ほめられなくなったら、確実に、しおれる、と思う。


だって、人の「気」で生きてたんだから。





あたしはそんなふうに なりたくない。


年をとれば、大人になれるわけじゃ・・・ないみたいだ。
posted by 辰多みか at 00:02 | 気の交流 | 更新情報をチェックする
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