2014年03月18日

神さまの願いを叶えてあげる

散歩に行く。
わんこと。

月の光の下を歩く。
空気が冷たい。
草木のにおいがする。

足元は、砂利で、
泥で、
枯れ草で、
アスファルト。
アスファルト以外の所を歩くと、足の裏から何か吸収してる気がする。
大股で、手を振って、
わんこにひっぱられながら歩く。
たまに走る。

近所を一周して帰ってきて、
わんこお待ちかねの、ごはんをガツガツ食べてる横で、
腕をぶらぶら振る。
スワイショウ。
なんかね、中国の、気功の。
太極拳教室で、教えてもらったの。
スワイショウ。
やってみる。
腕の筋、血管が、通る。

息を吐いて、
吸って、
なが〜〜く吐いて、ちょろっと吸うと、
体がポカポカになるんだ。



神さまは、こういうのが、したかったんでしょ?


ほら、神さまの願いを、叶えてあげるよ。




posted by 辰多みか at 23:23 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2014年03月14日

満願成就


神さま!

神さま!ありがとぉ!♡♡♡

ついについに娘がやり遂げたよ!



いや〜神様ってホントにいるんだねぇ♡♡

















ま、神様って、あたし自身の事だけどね。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

posted by 辰多みか at 22:33 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年12月13日

扉が開く


私を 信じろ
私を 信じろ

神を


晩御飯のしたくをしながら、
頭の中に声が響き渡る。

報酬をもらうのを放棄すること。
助けを求めている相手の気持ちをくんであげること。
自分のやりたい事を、やれない言いわけをせずに、心のままにやること。

それら3つをやる、と、想像する。
とても損した気分になる。
それら3つをやらない、と、想像する。
それは、神を信じない と宣言する事と、同じ事だ。

神にゆだねる。
神に、その身を生贄に捧げる。
それらの本来の本当の意味は、それら3つを実行して、
損した気分にみずから志願してなる、という事だ。
ゆだねられないというのは、
神を信じない と、宣言する事と、同じ事なのだ。


私を 信じろ
私を 信じろ

"私"を


自分の中にいる
自分と自分を。
裏も表もない
分離していない
ただ「在る」と言う
自分を。

私を



自分のやりたいこと。
歌をうたうこと。
絵を描くこと。
本を出すこと。
数学の勉強をすること。
素数の謎を解き明かすこと。
素粒子と哲学の関係を調べること。
ノーベル賞をとること。
映画をつくること。

どれをやろう。
そう、ぜんぶ、やろう。
死ぬまでにぜんぶやろう。



散歩に出た。
風がとても強くて、とても寒かった。
寒さが心地良かった。

北東の空に
大きな星が燦々と光り輝いていた。
木星(ジュピター)。
カペラとベテルギウスで直角三角形を形作っていた。

歌をうたってみた。
風が強くて、きっとみんなの家の中までは聞こえない。
ここは森の中だし。
大きい声でうたってみた。
今、目の前で輝く、ジュピター。



夢を失うよりも悲しいことは
自分を
信じて
あげられないこと・・・


自分を 信じて あげられないこと・・・


足が止まって、歌も止まった。
全部の体の動きが止まって、びゅうびゅう吹く風の中でただ立っていた。



私を 信じろ
私を 信じろ




あたしの中の小さいアタイ
今まであたしを守ってくれて、ありがとう。

神さま。
準備が整ったみたい。




posted by 辰多みか at 23:51 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年11月20日

非二元


心の世界。

こころには、段階、層がある。

痛いことがいっぱい詰まっている層は、
うまれた時から、傷付いていたり歪んでいたりする。
これを個性というの。
外の世界の刺激によって、
その傷口がパックリ開いたり、血が出たりして、
痛い。ものすごく痛い。
この層は、二層になっていて、さらにひとつの層はそれぞれ、
「裏」と「表」にわかれている。

ある時。
あまりにも、あまりにも痛くて、
傷口をぐりぐり広げられて、
最初は抵抗するんだけど、もう抵抗する力もなくなって、
なすがままに、傷口から血が吹き出るままに、
最後の抵抗の力も出すのをやめて、痛いまま、
血も涙も流れるままでいると、
傷口は、バカーっと開いて・・・
そして、
その「下」が、ぐりんっと、出てくる。

その「下」は、



裏も表も無い 世界なんだ。


うらも
おもても
ない。

分かれていない。


これを、非二元というの。

本当の自分なの。
自分の神性なの。
神の、性分 なの。

世間ではいろんな名前がついているけど、
真実は、ひとつなんだよ。
それは、傷をバカーっと開いて、死んじゃうと わかる。
生きたまま死んじゃうと、わかる。
あたしは、みんなにわかってほしいの。
思いだしてほしいの。
みんなが連鎖的に思いだす事を、アセンション というんだって。


posted by 辰多みか at 15:49 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年10月06日

なんで悟りの話ばかり書くのか

あたしは日記に書きたい事が、
悟り(真理・神)の話か
数の世界の、真理・神 の話 しかない。

今日なに食べたとか、
どこ行って楽しかったとか、
もちろん体験してる間は楽しいけど、
日記に書く気が、無い。

書きたいのは、真理・神・悟りのことばっか。

なんでかなー。
だって書くの楽しいんだもん。うふふ。

この、誰か別の人が書いた悟り体験談とか
真理とかは、
悟りたい人・悟り探求人・求道者が読んでも、
「悟るため」には、まったく無力だとわかってるのに、
ただ、自分が書きたいから、書いてるだけ。

だから、人が書いた真理の話は、
「悟るため」には、読んでもなんの役にもたたず、時間の無駄なんだよ〜〜。
聖書とかお経とかコーランとかもね。

悟ってから読むんだったら、役に立つけどね〜〜。

ただ、あたしは書きたいから、書いてる。
たとえていうと、
学校で、予防接種で、並んでいて、
注射を待ってる、ビクビクおどおどしてる子たちに、
もう注射が終わったあたしが、
「どんだけ痛かったか」
「どんだけ痛くなかったか」
「終わってどんだけ安心したか」
大声で、高らかに、自慢してるみたいなもんだ。(笑)

ヤなヤツ〜(笑)
でも書きたいから、書く〜(笑)
posted by 辰多みか at 16:20 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

「神」という便利な名前

人はみな、"悟り"の体験をした時、
この体験が、"神"だと、納得するだろう。

けれども、「"それ"は、"神"で間違いない」、と確信できるのに、
「"神"と呼びたくない」、と思うのもまた、事実。

その理由は、悟った人が感じる「神」と、
悟っていない人々が語る「神」とでは、
あまりにも、イメージが、かけ離れすぎているからだ。

どちらも、全く同じものなのに。

神社にある「こまいぬ」は、もともとライオンがモデルだったはずだけど、
伝承されるうちに、あんな風になってしまった。

「見た事がない人たち」の間で、伝えていく。
すると、あんなふうに、なってしまう。

「神」も同じ。
「見た事がない人たち」の間で、伝えていく。
それが宗教。
実は、「神」は伝えるものでも信じるものでもない。
伝えていくのは、「神を体感するためのノウハウ」で、
信じてもらうのは、「神は体感できるから諦めないで!」っていう事だけだ。


だから、本当に「神」を見てしまうと、
"それ"が本当にまぎれもなく「神」なんだけれど、「神」と呼びたくない。
"それ"が"神"を表す、一番便利で、最適な名前なんだけど、
呼びたくない。
覚者で、あえて呼ばないようにしている人もいるし、
控え目に言う人もいる。

逆に、おおっぴらに言う人は、少し用心した方がいいかも、とさえ思う。
「神」という名前だけで、人は容易に集まるのだから。


あっ、あたしはブログでおおっぴらに言っちゃってる(笑)!


あたしがおおっぴらに言う目的は、
世界の人が全て悟る=世界平和 なんだからねッ(←ツンデレ?)
posted by 辰多みか at 15:48 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年08月16日

私たちの実体

私たちの実体は

神経 を 通る イオン

 電荷



宇宙のすべての循環の力の源は

ゼロに限りなく近づく、

しかし絶対にゼロにはならない

1/素数を


見つめ続ける神さまの 視線
posted by 辰多みか at 10:20 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年06月04日

心の層


上っ面

下心

本性





こんな感じだと、思ったの。

愛の部分は、もっと細分化してるかもしれないし、

もっと違う呼び名があるかもしれない。


ふだん自分で認識できてコントロールできるのは、

下心 までだよ。


悟れば、本性も、コントロールできるよ。
posted by 辰多みか at 23:00 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

ありのままの自分を知る。


ありのまま。

そのまんま。

そんな自分を鏡に映してみたら、どんな自分が映ってると思う?


笑ってるかな?

怒ってるかな?


いいえ。


そこに映っているのは、

ただの、大きな、白い、


白い、というか、色の無い、透明な、


つるつるの球体なんだよ。




だって、自分は、すべて「在る」んだから。
posted by 辰多みか at 23:01 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年04月30日

在る。ただ在る。


この間、4月27日の夜。

寝ようとふとんに入った。


あたしの心の中には、

表の顔と、

裏の顔と、

裏の顔とは、下心とか、そういうもの。


そして、その下には、

見ないようにふたをしていた、自分の本心があって、

さらにその下に、本当の自分が居る。


そう思って、順々に、心の階段をおりていった。



裏の顔の下に来たとき、


見たくない本心のフタはいつもは開かないけど、

その時は、ちょろっと、開いた。


あたしが言った。

表の顔のあたしが。

フタの中に向かって。


「あたしはそんなこと思わない。」

「あたしはそんなことやらない。」

「そういうことをやる人は軽蔑する。」

「それは悪い事だ。」



フタの中からは、声は聞こえなかった。


いつもはね、たぶん、なにかキッカケがあって、

突然フタが開くのだと思う。

フタで押し込められていた"あたし"が、

泣き叫びながら、フタを思いっきり飛ばす勢いで

開けて飛び出してきてたのだと思う。


でも、どうして"あたし"はそんな事をするのか、

表の顔のあたしも、フタの中のあたしも、

全然理解できてなかったんだ。


フタの中は、あいかわらず、静かだった。

たしかに、その中には、あたしが居るんだけど。


「悪い事だ。」

もう一度、表の顔のあたしが言った。


そういえば、"あたし"は、そのフタがある事さえ、

見ようとしなかった。

フタも、その中のあたしも、無いものとして、生活してきた。

無い物、というか、亡き者。



それが、ここ最近、フタがあってその中にあたしが居る、と、

実感するようになった。

ここ最近、というのは、2回、「できたよ!」って思った時。


「自分を愛するという事」は、このフタの中の自分を認める事だと、ネットで読んだ。

この自分にOKをあげることだと。

そして、それは正しいという事でも悪いという事でもないという事だと。

でも、できない。思い込めない。あたしにはできない。

そんな自分にOKをあげるなんて。

マルをあげるなんて。

どうすればそれができるの? そんなふうにあたしは悩んできた。


「悪い事だ。」

表の顔のあたしは言い続ける。


その時、突然、どこかで声がした。

フタの中からか、

表のあたしか、

わからないけど。



「ある。ある。」

「有る。」

「在る。」



フタの中のあたしは、


在る、ただ、在る。


それだけだった。

それがいかに悪かろうと、

どう考えても悪い、とあたしは一生判断し続ける感情なんだろうけど、


たしかに、「ある。」



そうだ、これは、神様の言ってた事と同じだ。





そう思った。

そう思ったら、眠ってしまった。


次の日、目覚めて、



「在る。ただ在る。」

そう思った。



認める、というのは、それでよし、ということではない。

日本語が難しいけど、

それで良し だと、意味が違う。

それで悪し でいいんだ、という事。


いいんだ、でも、意味が違う。

だから言葉で表せない。


良いとか悪いとか、判断なしで、「ある」と認めるんだ。


今まで、「無き物」「亡き者」として、見ないふりをしていたものを、

ただ、見る、だけでいいんだ。

"見ないふり"も、言葉が違うな。

見ないふり、ではなくて、自分自身は、「無い」と信じてるから、

そもそも「ある」とさえ思ってないんだ。


それはね、本当に苦痛を伴うよ。

人生に苦行があるのならば、これこそが、真の苦行だ。

だって、自分の中にあってはならないと信じていたものが、存在しているのを見る。

苦行と称して、いくら滝に打たれようと、断食しようと、

この「見ること」以上に、苦しい事は、たぶん無い。

死ぬことさえ、これよりは、苦しくないはずだ。
posted by 辰多みか at 23:00 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

「あなたはそのままで十分素晴らしい」と呼びかける事の弊害


スピリチュアルブログとかで、かな?

「あなたはそのままで十分素晴らしい」という呼びかけがある。

これは、本当に、真理なんだけど、

本当に真理で、なにひとつ間違ってないんだけど、

人によっては、違った意味にとってしまう、ある意味とても怖い言葉。



そう、聞く側の、心の気づき度の深さ(レベル)的に、

腑に落とせるレベルの人と、そうでない人がいる。

「そうでない人」は、腑に落とすのではなく、頭で納得してしまう。

(納得しようと無理する)


腑に落とせるレベルとは、前記事の、3.に気づいている人で、

「そうでない人」は、3.に気づいていない人だ。


そういう初心者レベル(言い方が悪いかな)の人がこれを聞いた場合、

人によっては、モラルハラスメントに走ってしまう場合があるよ!

「あなたはそのままで十分素晴らしい」から、

相手を恨みに思ってるままでも充分素晴らしいから、


恨みのある相手を相手取って、正当防衛をしてしまうのだ。

それがモラルハラスメントだ。


それも本人は、「恨み」とは思っていない。

「相手」からやられた言われたすべてを我慢した、かわいそうな自分と思ってる。


その心理状態を、先の、3. だって気がつけばいいんだけど、

なかなか、なかなか、なかなか〜〜気がつかない!!

なかなか気がつかないのにも、ちゃんとした理由(カラクリ)があって、

その理由とは、生存の危機を回避するため だ。

つまり、死なないため だ。

何が「死なないため」かというと、生命体としての自分ではなく、

積み重ねてきた自分の過去の経験・記憶 だ。

よくきく言葉でいうと、「インナーチャイルド」。

ほかの言葉では、「エゴちゃん」

「自我」「マインドステージ」などかな? 詳しく覚えてないから、

記憶ちがいになりそう・・・それはまずいから、間違っていたらあとで

直しておこう・・・




その初心者レベルの人は、実は、あたし でした。

これから、数日(数か月?)かけて、その記録をつづっていこうと思う。


この日記の一番最初に書いたけれど、一度「悟り」があったんだけど、

そのあとすぐ、その感覚を忘れてしまった。

その感覚をもう一度思い出すために、あたしは、この日記を書き始めた。

それでね、最近いろいろな事があって、ようやく思いだしてきた。

「悟り」の段階のレベルまで思いだしてきた。

そう、3. を思い出した。


だから、ようやく、この日記の、目的が果たせる時がきたんだよ。
posted by 辰多みか at 23:01 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

ないものねだり

人って、自分に無いものがほしいよね。

自分が持ってないから、欲しいんだよね。

モノじゃなくて、心の話なんだけど。


自分が持ってない?

自分に、無い?



いいえ。

いいえ。



本当は、有るんだよ。

だれでもみんな、同じものを同じだけ持っているんだよ。

ただ、持ってないと思いこんでるだけだ。

そう思いこむのには、自分にとっては(←ここが大事!) 正当な理由があるんだけど、


ないよ〜無いよ〜と、自分が言うから、

「無いと思われてる感情」は、「有るよ!在るよ!なんで気付かないの!」と怒るわけ。

それが心のカラクリなんだよなぁ。



これが起こるのは、


1.表の顔(いちばん表面・他人が物質の目で目視できる部分)

2.裏の顔(その下・自分で自覚してる部分・いわゆる、タテマエを言う時の心理状態・本音の部分)

3.その下の、自分が気付かない部分

4.その下に、本当の自分

5.その下に、神様。


の、3.あたりで起こってることだと思うんだよなぁ〜。


この、3.あたりに気がついた時に、あたしは「悟り」があったんだよなぁ。

で、一気に、5.まで行った。



ついでにいうと、1.〜3.までは、人間関係で、傷ついたりするけど、

4.と5.は、傷つかない。

全体が、球体だとすると、

1.〜3.までの層の部分は、ボコボコにへこんでみえていたり(本当はへこんでいない)するんだけど、

4.はつるつるの完全な球体。

そして、5.神様は… 

自分の中では一番下(奥)の層にあるように見えるんだけど、

本当は、ぐる〜んと、一番外になるんだよ〜。

一番中なのに実は出口、みたいな。

クラインのつぼ みたいなんだ〜。

ブラックホールにも似てるかも。


(だから、やっぱり心は、三次元で表せない。

四次元的な、なりたちなんだよ、きっと。)



あ、注意してもらいたいのは、「ほしい」という感情は、

「自分にとって正当な理由」の働きによって

「ほしいと思っていない」という感情に、みせかけられているんだよ。


まず、そこに気がつくのが先決だ。


そしてそれ「ほしい」という感情は、自分が一番見たくない感情なんだよ。

その見たくない感情を見つめるのが、「苦行」なんじゃないかと思うんだ。
posted by 辰多みか at 23:00 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2012年07月31日

書くの

あたしが どうやって、心の旅の終着点までたどり着けたのか


神様が見えるようになったのか


今の宗教って ただの 綺麗な入れ物だけだって思うようになったのか


心の世界は 四次元 だって思うようになったのか


そういうのを、自分がたどってきた 道順どおりに


ここに書いて


これを読んだ


みんなに


おんなじように


感じとってほしい。


そう思って


書くの。




あたしの


エゴなの。


posted by 辰多みか at 00:00 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする
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