2014年05月19日

人生の宿題

人生とは、
ありのままで生きるとは、

「やりたいことをやる」 

それに尽きると思う。

「やりたいこと」の中には、「やりたくないをやりたい」も入ってるよ。
「言いたくないをやりたい」も、入ってるよ。


すごーくシンプルで、一見簡単に見えるけど、
本当の本当に、自己責任で「やりたいことをやる」には、
「やる」時、「ごめんね」と言う勇気がなければ、できない。
「やる」時、「ありがとう」と言う勇気がなければ、できない。
つまり「やりたいことをやる」時、愛と感謝にあふれる覚悟がなければ、できないの。

愛と感謝にあふれちゃうと、
恨みに思ってるあの人を、ゆるす事に、なっちゃうよ。
だって、こっちが「ごめん」で「ありがとう」なんだから。
あの人の「せい」で「できない」と、言えなくなっちゃうんだから。
多くの人が愛と感謝にあふれる事ができなくて悩む、その原因は、
ぶっちゃけ、自分の幸せの責任を、
人に押し付けて、気分的に楽したいからなんだ。
「私は悪くない」って、ず〜っと思っていたいからなんだ。
不幸と不自由をみずから選んで、
できない方を選んで、
うじうじ人のせいにして、
不満ばかり言ってる方が、楽なんだ。
「ごめん」と「ありがとう」を、口が裂けても言いたくないの。
だって、言ったら、「負け」みたいな気がするでしょう?
(そんな人、客観的に見たら、嫌だよね〜。あぁーいやらしいわー。)

やりたいことをやる には、
(一見)困難がつきまとう。
その、困難を克服するために、ひとりひとりに、宿題がある。
(実際は困難でもないし、克服もないのだ。
克服しなければならない困難は、自分の都合で、作り出しているの)

あたしの宿題の中身を暴露しちゃいましょう。
ショボくて、びっくりするよ。
一度、悟りの世界を一瞥してるのに、
いちおう覚者のはしくれと名乗れるはずレベルなのに、
こんなに宿題は、ショボいんだよ。
そして、それが何年も、できないの。
6年かけた今、達成率が80%くらいなの。

それはねぇ。
事細かく、息子夫婦(あたしと旦那)の生活に
口出ししてくる姑さんに対して、
「心配してくれてありがとう。でも私は○○したいんだ。ごめんね。」と、
きっぱり、
自分のやりたい事、
自分のやりたくない事、
嫌ですと言いたい事を、
相手の気持ちを汲んだ上で、
宣言する事なんだ。
そしてそれができた時、ありのままの自分をさらけだして生きられる。

姑さんの事細かさは、
筆舌に尽くしがたい、あたしはかつて今まで見た事のないレベルで、
放っておけば、
息子夫婦のタンスの中身まで全部出して仕舞いなおして、
コン○ームの数まで確認して、
足りなければ買ってこようか(!!)、と、言わんばかりの
事細かさ。
言わなかったけどさー、言われてもおかしくないくらいの干渉度。
悪い言葉でいうと、おせっかい。
姑さんは社会生活の集団に溶け込めない人で唯一いる友達は、
姑さんの事を、お山の大将だからみかさんも大変ね!と、
なぜか電話であたしをねぎらってくれるほど。
ここでは書ききれないけど、姑さんが行ってきたびっくり仰天な
過干渉事例は、山のようにあるよ。
そして今もまだそれは毎日起こっている。

それで、あたしは、そんな姑さんに、「嫌」と言えなかったの。
あははー。
ホントにショボい宿題だわー。
言う事をよく聞く物わかりの良い嫁、という幻想のあたし像に、
しがみついていたから。
「嫌」と言うかわりに、ぷんぷん怒っていたり、
不機嫌に無視したりしていた。


たとえば、ほんとうに、たとえば なんだけど、
「毎日毎日、頭を叩かれて、朝、起こされる」とする。

あたしは、叩かれるのが、本当に嫌で、
自分で起きられるのに、起こされるのも本当に嫌で、
だけど、言い返さない良い人 に、見られたいとする。
あたしを起こす人は、ただ単に、親切で起こしてやろうと、思ってるんだ。
その人なりの方法で。

あたしの宿題は、
「頭を叩くのは常識的に考えてダメでしょ、だからあたしは怒りながら反発するよ。」と言うのではなく、
「ありがとう。でも私は自分で起きたいんだ。起きられるから。
頭は叩かれると痛いから、もう叩かないでほしい。
ごめんね。」と、きっぱり優しい気持ちで、伝える事。

さらにたとえば、
「こっちのやり方の方が良いに決まってる、と、相手から
そのやり方を押し付けられた。ダメ出しをされ更に誘導的な言い方(嫌味)をされた」とする。
その時でも、「ありがとう。私は○○したい。ごめんね。」と、きっぱり伝えるの。

これがあたしの宿題なの。
どうしても「相手が悪い」と即座に反応してしまって、きっぱりできないの。
しょぼいなー。
書けば書くほど、しょぼいわ。

やりたいのに、言えない。
言いたいのに、言えない。
やりたくないのに、言えない。
さらにもっと消極的に、やりたいのに言えないからやらない。

姑さんも、同じ宿題を持って生まれてきた。
あたしは人生途中で宿題に気づいたけど、姑さんは、まだ、気づけない。
だから姑さんは「言いたいのに言えない」言い訳を、
探すだけの人生を、悲惨な顔をして生きている。
すべての言動が、その言い訳からのスタートになっている。
だから姑さんの人生は「ありがとうを言ったら負け」の人生なの。

あたしの宿題はしょぼいけど、
「ありがとう!ごめんね!」って言えなくて、
「姑が悪いから・・・」
「上司が悪いから・・・」
「境遇が悪いから・・・」
「お金がないから・・・」
「時間がないから・・・」
「体が悪いから・・・」
って、いつもいつも、いつも、思ってる人は、
あたしと同じ宿題を持って、この世に生まれてきたんだよ。



posted by 辰多みか at 11:36 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

「これでいい」は呪文の言葉じゃないよ


・・・前記事をupして、読み返して。

あたしは毎日毎日
「これでいい」
「これでいい」
「これでいい」と、
言い続ける、と書いてあるけれど、

意味のない呪文の言葉として、繰り返しブツブツつぶやくという意味では、ないよ!

それをやったら、自分自身を欺くための逃げの言葉に、なっちゃうよ。

あたしがやっているのは、
今やった事に対して、すぐに後悔の念が沸いてきた時、
「これでいい」と、感謝と祈りにも似た気持ちで、心の中で、言う。
それが実際失敗して、結果、誰かに嫌われたとしても、
それでも良い、と、あらかじめ宣言する事。
誰のせいにもしない事。
かといって、傲慢でも我儘でもない事。

それができるのは、本当の肉体と心のままの、飾りのない自分を知っているからだ。
(これは、おおもとの、ワンネスという意味ではないよ)
飾りのない自分、というのは、欠点だらけで欠けてみえる自分の事だ。
これが「自信」なんだよ。
前記事では、そう、書きたかったの。

・・・文字で書くと、伝わらないね。
これも、ちゃんと伝わらないかもしれないな。




まあ、これでいいね!(笑)




posted by 辰多みか at 15:49 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

これでいい

「これでいい」

と、自分が迷わない宣言をする時の、「これ」。

「自信」といいかえる事もできる、「これ」。

本当に、「これ」が、自分でわかっていなければ、
腑に落ちていなければ、
真の意味での「これでいい」とは、思えないの。

腑に落ちずにする「これでいい」は、
ただの、自分自身を欺くための、逃げの言葉だ。
後悔ばかりでドキドキ高なる胸の内を、しずめるためだけの、
ためいきみたいな、逃げの言葉。

そんな、嘘の「これでいい」ばかりやってしまって、
みんな、なかなか、真の意味での「これでいい」は、できてないよね。


真の意味での「これでいい」の「これ」は、
自分が一番見たくない、欠けている自分の事。
欠点だらけの自分の事。
まわりに迷惑をかけまくっている、生まれたままの素質の自分の事。

失敗しても後悔しない自分になるためには、そのありのままの自分を、
一度ちゃんと認識して、対等に向かい合わなければいけない。
真摯に向かい合った時、この宇宙の謎が、解ける。
「あぁー!これで、いいんだ!」って叫びと共に、謎が、解ける。
もともと有った自分に気が付いただけなのに、
なりたい自分になれるんだって。
宇宙は不思議な法則で出来てるね。

「失敗したかな、
これでよかったのかな」、って、少しだけ過去を振り返りそうになった時、
「迷惑をかけている自分でも、このありのままの自分で、
役に立っている、愛されている。」という確信されあれば、
「これでいい」と、後悔なく、次に進めるんだ。

あたしは、確信が、有る。
だから、毎日毎日、
「これでいい」
「これでいい」
「これでいい」と、
言い続けるの。

そう、毎日、ちょっとずつ、振り返りそうになるのでね。


posted by 辰多みか at 15:31 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

ぶれない

昨日は娘の入学式だったので、おばさん(アタクシ)なりに小綺麗にして行きました。
行った・・・つもりでした。

電車の中には、ほかの学校のお母さんたちも乗ってる。
あたしは、自分なりに、綺麗〜にしてきたつもりだったけど・・・
「ありゃ、あたし、場違いな格好かも!?」
なんだか急に不安になった。
他のおかあさんたちはぁ〜
落ち着いたスーツでぇ〜
品良くまとめてる・・・
どちらかというと小娘と張り合おうと目論んでるっぽいあたしのセンスに、急に自信が無くなった。
そうだよな〜。もう50近いのにだよ、
このスカートは、ないでしょ。
うわわ、学校到着前に、イヤな事に気付いてしまったわ。

でもね、ずっと、こんな感じで、やってきたんだよ〜…あたし。
最近では娘の卒業式、
そしてその前は息子の卒業式・入学式。
今まで、別になんとも思ってなかった。
でもな、やっぱり・・・

電車の中で、悶々としてしまったわ。

そこで、ハッと、気付いた。

あたし
また、
「これじゃダメだ」と、自分自身を、ジャッジしてる。
そして、自分以外の、誰か に なろうとしてる。

ふ〜、あぶないあぶない。

あたしはこれで、いいんだよ。
人から見た基準で変だろうと、
歩く景観破壊だろうと(笑)
これで、いいんだよ!

この格好のあたしを見て、
さっきあたしがほかのおかあさんを見た時みたいに、
「あんなふうになりたい」って、
思ってくれる人も、いるんだ、きっと!
こんなあたしじゃダメだと感じてしまうのは、その人に、失礼なの!
あたしを映しだしてくれるあたしの宇宙に、
失礼なの!

おりしもそう心の中から沸いてきて、電車の窓の外を見た時、
ちょうど海の上を渡るところだった。

また、この海の上で、あたしの宇宙から、教えてもらったね〜…
(でもね、まあそれは偶然なんだけどね。笑)
水面が輝いて、綺麗だったわ。

ほかのおかあさんを見て、いいなと思った事は、
今後、ハレの日用に、参考にしておこうと思って、
記憶にすりこむように、覚えたわ。

てことは、今の自分のままでいい!って事と、
今後、イメチェンして別角度のいい自分になれる、っていう、
ふたつの良い事が、あったの。きのう。

そして学校で、合否が心配だった他の学区の知り合いに会えて、
お互い喜びあって(こどもそっちのけで母が。笑)、
式帰りに、会いたかった人に会いに行って、
そこで楽しいお誘いを受けて、
駅で、素敵なスイーツを買って帰りました。
わぁ〜、いいこといっぱい。
心がけ次第で、いいこといっぱいなの。
この春は、去年にも増していい春になるわ〜。


posted by 辰多みか at 16:17 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年03月24日

何も悪くないのに


どうして何も悪くないのにごめんなさいと言わないといけないの。

どうして何もありがたくないのにありがとうと言わないといけないの。



生きてると、そんな、理不尽な事が、無数にある。

それはね、

それはね。

どうしてかというと。




私たちが「愛」でできてるからなんだよ。

理不尽なんかじゃないんだ。

理解したくないだろうけど、

本当なんだ。
posted by 辰多みか at 14:37 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

「悟ったら幸せになれる」という誤解

「悟り」のイメージ。
みんなが持ってるイメージ。
悟りの一瞥した人でさえも持ってるイメージ。

---♪「悟ったら幸せになれる」♪---

・・・
悟りの世界を見てみて、わかりました。
じゅうぶん、身にしみて、わかりました。

「悟ったら幸せになれる」は、誤解です。

みもふたもなく言っちゃうと、「悟っても幸せになれない」。
もしもあなたが、「幸せ」とは、「不幸」が、100%消滅する
事だと思ってるなら、そんなあなたは、一生「幸せ」にはなれない。
悟ったって、幸せにはなれない。

スピリチュアル的にいう「幸・不幸」と、
世間一般でいう「幸・不幸」との間で、
見解の違いがあるから、混乱するんだ。
悟っても、世間一般でいう「幸」「不幸」は、
時・場所・人を選ばず、皆に均等にやって来る。


あなたにとって何が「不幸」ですか?
嫌われること?
無視されること?
誰もブログにコメントをくれないこと?
ひとりぼっちになること?
もててもてて困ること?
スカウトされまくること?
仕事がぜんぜん終わらないこと?
休みがとれないこと?
いらないというのに、感謝しろという条件付きの恩を売られること?
頼まれたら断れないこと?
病気になること?
病気が治らないこと?
死ぬこと?

それらは、悟っても、悟る前と変わらず、やって来る。

「悟ったら幸せになれる」という、本当の意味は、
スピリチュアル的にいう本当の意味は、
真理が教えてくれる本当の意味は、

それらがやってきても、へっちゃら という心になる事 だ。


へっちゃら。
へのかっぱ。
へとも思わん。


胃もキリキリするし、
胸もザワザワするし、
腰もひけるし、
冷や汗もかくし、
頭に血が上ったり、
涙もいっぱい出るけど、


そんなもんみんな、

屁みたいなもん。

どーんと来い!



そう思えた時が、「幸せになれた」時です。



posted by 辰多みか at 14:17 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

一秒

一時間も瞑想して、
その瞑想の目的が、現実世界の苦しみをなくすためだとしたら。


一時間も現実から逃避するくらいなら、
今、まさに目の前にある現実に、

「ごめんね、ありがとう。」とうちあけた方がいいと思うよ。

一秒もかからない。

posted by 辰多みか at 09:29 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年03月02日

権利

あたしは主婦で、
同居嫁で、
在宅で仕事をしていて、
しかも家はあたしとは別の自営業で、
常に、大人が4人、24時間家にいて、
家事いっさいはあたしがやらなきゃいけない。
(仕事もしてるのに)

だけどね。
遊びに、
行きたいの。

遊びに、
行きたいのよ。

どうする?

みなさま方は、そういう時、どうする?



おろかだったアタシは、考えた。

「仕事も家事も完璧にやって、誰もあたしが
遊びに行く事に、文句を言わせない。
これは、あたしの権利だ。
有給休暇と一緒だ。」

ああ、なんて愚かだったのでしょう。

あたしはその胸中の宣言どおり、
かんぺきに、
こなした。

仕事は夜中までやり、
家事は手を抜かない。
いつもピリピリして、
「できてない所、気が回ってない所」を
指摘されるのを、極端に恐れた。
だって指摘されたら、「権利」を発動できなくなってしまう。
たった年に、2、3回、遊びに行きたいだけなのに。
それっぽっちなのに。
それさえもできないなんて。
なんて家だ。

全部完璧にできるからこそ、堂々と、遊びに行けるのであって、
そうでなければ、あたしにはそんな事、許されないと…思っていたのだ。
…そう思っていたのだ、あたしひとりだけが。

だから、遊びに行く時は、
ふてくされて、
「行けて当然」という顔をして、
なにか言われようものなら、
「なによあたしの権利に文句あるの!?」っていう勢いでかみついた。
(↑このセリフは心の中でだけよ)
そのうち、出掛ける時に、顔を合わせるのも嫌になって、
早朝、まだみんなが寝ているうちに、出掛けるようになった。
もちろん、その日の3食のごはんの支度、家事を済ませて。
そして、「なんであたしはこんな目に遭うの。
なんで結婚しただけで、こんな割に合わない目に遭うの。」と、
同居主婦である身の上を嘆いた。



それはねー。


間違いでした。
うふふ。
全部、とは言わないけど、
ほぼ、
間違いでした。
あははー、愚かだわ。


そんなぎゅうぎゅうに縛られた環境をすごすうち、
悟りの世界を見て、
自分の愚かさを、直視したんだけど、
その愚かな自分と、統合できずに苦しんでいた。
6年もだよ。
長かったな。
そしてついに統合する日がやってきた。
それはきのうです(笑)。

きのうの朝、
舅に向かって、「遊びに行ってくるねー(笑顔!)」
姑に向かって、「じゃあ行ってきまーす(笑顔!)」
姑サンには、前日までに、どこどこに行くから、
家事を頼むね!と、言ってあるの。

あたしは、とっても嬉しそうな顔をして(無理にじゃなく)
「よろしくお願いしまーす。」って気分で、
晴れやかに、出て行ったわ。
いままで、「遊びに行ってくるねー」なんて・・・
一度も、 言った 事が なかったわ。

あたしがあたし自身を縛っていたブロックが
はずれまくってきたので、
ようやくここまで、来たので、
とうとう、
笑顔で、
「行ってきまーす」
そして、
あとはよろしく。
足りなくてゴメンね。
ありがとう。

自分の「権利」じゃなくて、
「させてもらってる」
そう、心の底から思えたから、
はればれしく、
気軽に、
意気揚々と、
出掛けたわー。

ああー、面白かった。


ていうかこうやって文字で見るとホントに愚かだねー。
(///恥///)



posted by 辰多みか at 17:12 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

逆!逆!


できないから、私は駄目だな。

じゃなくて
逆!
逆!

私は駄目だから、できないんだ。なんだーあたりまえじゃん!

なんだよ。



それが腑に落ちれば、楽になれる。

大丈夫。

そして、駄目な所を嫌われてもあたりまえだし、
駄目な所を、まわりの皆が、埋め合わせしてくれるから、
楽な気持ちで「ありがと!」って風のように生きてけばいい。
それが「ありのまま」を生きる事。

それなのに、その状況を「なんとか」しようと、
無駄な努力をするから、苦しくなる。

なんとかしようとするのは、ムダだから、あきらめて♡
posted by 辰多みか at 17:09 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

嫁姑の良い関係

ウチは、御多分に漏れず、どのお宅にもある、嫁・姑カンケイにあてはまり・・・
お互い若干(笑)牽制しあっている。
(まあ、実の母娘だってもっとすごい憎しみ合いみたいのするんだから、いいじゃんね!←保身)

あたしが思う、理想の嫁姑関係は・・・

憧れる、その関係は・・・


嫁が足の悪い姑の手を引き、歩いていく。
なかむつまじく。
それを見ていた知らない通行人が、
「あらぁ〜。お嫁さんと仲が良くていいわね〜(ウチなんて云々…ゴニョゴニョした想いを漂わせつつ)。」

嫁「仲良くないですよ〜!(超笑顔)」
姑「そうよ、嫌いよ〜こんな嫁(超笑顔)」
嫁「なにッ(ゲラゲラ笑い)、嫁と姑が仲いいのなんて幻想だよね〜」
姑「ねー。」
姑「みんなそうよ(笑顔)」
あなたもそれでいいのよ・・・と雰囲気を残しつつ・・・

そして、手をつないで、なかむつまじく、歩いていく。

あー♡♡


憧れるー♡♡♡


理想は、マツコデラックスサンと有吉サンなの。





(ちなみに旦那とはもうすでにこうだ)
posted by 辰多みか at 10:29 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

自由になった

響子さんを嫌ってもいい。嫌と言っても思ってもいい。
嫌な事はしたくないと言ってもいい。

あたしは、それを許可しろ、と、周囲に脅迫してきた
被害者を装って。
正当性を掲げて。
まっしろい何の罪もないあたしを演出して。

でも、なんの事はない、あたしがあたしに許可してなかっただけだった。
わかっちゃったら、バカみたいだった。
ていうか、ホントにバカだったわ(笑)。

どうりで、あたしがあたしに「おまえのいいなりになりたくない。」とすごむわけだわ。
あたしのインナーチャイルド、あたしの潜在意識が。

あぁー、「嫌いと思うのも自由、嫌いと言うのも自由、嫌と言うのも自由。
た だ し 結果は受け取ること。」
というのが、ドーンと胸に落ちてきたら(その時あたしは重量挙げみたいに
洗濯竿を掲げていた。)、嫌でも嫌じゃなくてもどっちでもよくなったわ。
響子さんにやさしくしたっていいし、嫌な事を気が変わってやってみたっていい。

あたしは「いい人に見られたい切り札」を、
やっぱりずっと握りしめていたんだな。
「いい人に見られたい」
「いい妻に見られたい」
「いい母に見られたい」
「いい嫁に見られたい」
「いい娘に見られたい」
うぜー。
どうでもいいわっ!
あははは。

さてと、次のステップへ行こう。
今年やりたい事がいっぱいあるからねー。
娘の受験が終わったら…一応あたしの子育ては、そこで終わりだ。(えっ終わらせちゃうの 笑)
とりあえず受験前に3つほどイベントがあって、そのうちふたつは遠方だな。
風邪をもちこまないようにしないと。
そして受験が終わったら、速攻、いちおうガマンしてた東京・大阪へ、繰り出す!
(いちおうっていうかホントに我慢してたんだよ〜)
卒業を待たずに、TDL!
それで近隣の、禅体験に、行く!
カウンセリングやセミナーも、行く!(悟って手放しもしたのにね)
これからまた月イチ東京か大阪だな。
あらっ、また、という事は、あたしは外出を禁止されてるぅキィィーー とか
思ってたけど、外出するにはしてたんだな。しかも月イチ遠出だったね。

まあ…やりたいことをやろう。
あっ、数の世界にもう一回入りたい。
4月が楽しみね。

posted by 辰多みか at 16:54 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年01月17日

贅沢

あたしはお茶を習っていた事があって、
一番やってた時は、一週間に3日お茶の教室に行ってた。
(どんだけ〜 古)

もちろん春に秋に正月に、お茶会があり、
作法が違うお茶もやってたので、
それ入れると4日か?どうだっけ。

三昧。
ざんまい。
おちゃざんまい。

やりすぎだろ。(笑)

6年くらいやってたけど、
そんなすごいペースに突入してほどなく結婚してしまったので、
お茶は、それきりいっさいやめた。
引き際も華麗だわ。(自画自賛)

またやってみたいけどなー。
ステップアップする(免許皆伝)のに、当時のお金で○十万円は
軽くかかると見積もった時点で、退いてもいいかな、と
思っちゃったんだよな。
そういうシステムになってるんだよねー。

でも、さすがにお金がかかるだけあって、
贅沢な時間を過ごしたよ。
日常とは違う、
特別な時間、空間。
着物でおでかけ。
立ち居振る舞い、作法は身につくし、お菓子はおいしいし、
お茶碗の見分けがつくし、花の名前も覚えるし、
着物の格がわかるし自分で着られるようになる。
女子のおしゃべりが楽しい。
男子もたくさんいた時で、まあ、いろいろあったわ(笑)。
男女ともみんなすごく仲が良かった。
隠れ妹キャラのあたしは、
少し年上のお姉さんたちにものすごく可愛がってもらえて、
本当に楽しかった。

お茶会で、お寺の縁側でみんなで仕出しのお弁当
(押し寿司)を食べてる時に、仲間のひとりが言ったんだ。

「いつも思うんだけど、本当に贅沢よね〜。
道楽してるなーって思うよ。」

そうだよね、これが、贅沢・道楽なんだよな。
日常生活では、全然必要ないお茶の作法。
それをみんなで一生懸命やって、
着物を着て、一日中正座。
時間の使い方が、本当に贅沢だ。
こういう時間の過ごし方を「豊か」っていうのかも。

posted by 辰多みか at 16:58 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年01月14日

夫婦の賞味期限

夫婦関係に賞味期限はあるのだろうか。
うーん、賞味っていうか、保存可能期限ていうか。

あたしは、ある と、思うよ!
(キャー、言っちゃったー!)

それは悟りと同じで、
ある程度、余裕、遊び (遊びって、プレイてことじゃないからね)
があるうちは、感じられない、感じる必要のない事。

たとえば、旦那さんが仕事が忙しい人で、
平日はいつも残業で遅くなったり休日も休日出勤してたり、
なかなか、夫婦で顔を合わせる時間が、生涯かけてあまり多くない場合。
夫婦の賞味期限って、たぶん、感じずにすごせるだろう。

ウチは、自営業になって15年くらいだけど、
自営になった当初、、、しまった、と思った。
旦那サマと、朝・昼・晩、24時間一緒にいる。
適度に離れていれば起こらない衝突が、常に、起こるようになる。
なんだかしらないけど「もったいない!」って、思ったのだ。

「亭主元気で留守がいい」って、ホントに真実だと思ったよ。

もっと離れていれれば、「仲良しの時間」は、もっと長く持つはずのに、
どんどん消費してしまう。
サラリーマンの3倍のスピードで「仲良しの時間」を消費している。
一緒にいれて嬉しい!なんて、感じないよ!そんなの最初だけだ。中二かっ
その当時は、あまりのもったいなさと、それに対して何もできない
自分の無力感に、うちひしがれたものだ。

今サラリーマンの妻で、将来夫が退職して、夫婦が
24時間一緒になる予定の人は、たぶん、その頃に急速に「もったいない!」て思うんじゃないかな。
「我」と「我」のぶつかり合い。
3倍のスピードで消費する「仲良しの時間」。
いたたまれなくてパートに出たり、出るあてがないから
パチンコに行ったり、図書館で時間つぶしたり。
「みんな」の将来が、目に見えてわかるわ〜ニヤニヤ(←いじわる)

でもね、やっぱりそれは、必要な学びなんだ。
衝突が嫌で、面と向かい合わず一生やりすごす人とか、いっぱい
いると思うけど、やっぱり、人と人は、一度きちんと、向かい合わなければいけないと思うよ。
ちゃんと向かい合う事ができたら、その後は、感謝しかなくなるからさ。
まあ離婚する人だっているだろうけど。
とりあえずあたしは、夫婦の賞味期限を、超えた、と、自分では思っている。
次のステージに入った、と、思ってる。
この今の状況には、感謝しか浮かばないから。
離婚する必要もないし今のままでいいんじゃね?とお互い言っている。
悟ってない旦那サマは若干我慢してるみたいだけど。
あ、だいぶ かも(笑)。
今年はふたりで座禅とかセミナーとか行ってみたい。
つきぬけろ〜(→ダンナ)


posted by 辰多みか at 17:09 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年12月26日

有り物で済ませる

あたしはわりと料理が好きで、
野菜は家庭で作っているので、その他の食材を
一週間に一度買い出しに行くのみで、毎日は買い物には行かない。
だから、「有り物」でなんとか作る、というのは、好きだし
あまり苦にならない。

人生の幸せも、有り物で済ませる、のが、
一番てっとり早い幸せなんじゃないかと思うよ。
posted by 辰多みか at 22:55 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年12月25日

変わらない毎日


「幸せ」とは、
いいこともわるいことも、別段なにもなかった「昨日」が、
「今日」も、やってくる、という事なんじゃないかな。

毎朝思う、
今日も暖かいふとんで、あたたかい体で、起きた。
毎晩思う、
今日も、なにごともなく、過ぎた。

生きているということは、
くずれ続ける体を維持する事。
くずれ続ける生活環境を維持する事。
すべて、変わり続ける。
一度も、止まることがない。

そんな世界に生きていて、
昨日と変わらない今日を過ごした事。
それが、「幸せ」なんだろうな〜と思うよ。
posted by 辰多みか at 23:46 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年12月13日

手放す・サレンダー・生贄

あたしが、神 にすべてをゆだねて、
諦める。
手放す。
すべてを受け入れる。
流れに乗る。


それってさ。


あたしの中の、小さい、傷ついた アタイ がさ、
のどから手がでるほど渇望している「報酬を回収する事」を、放棄することだ。

そして、アタイが一番してほしかった事の象徴として、
響子さん」という仮の姿で、あたしの前に姿を表し、
何度も何度も「響子さん」の中身の人を変え、
何度も何度も目の前に現れてみせる、神さまからの宿題に、
正確な答え を出すことだ。 

正しい答えを出すまで、終わらない。

その答えとは、察してほしいオーラを、ずるい方法で出し続ける
響子さんに、「そうだねぇ」と言って、同じ気持ちでぴったりよりそってやる事だ。





できない!!

震えがくる!!!

鳥肌が立つ!

キ モ チ ワ ル イ



損する。負けた気になる。敗北感。
ああー。
これが神に身を捧げるという、本当の意味か。



できない。
できない。


アタイはまだ傷ついている。



ブログを開設してちょうど5ヶ月目の今日
ここまで辿り着いたのに。
できない。
まだできない。
助けて。




posted by 辰多みか at 15:54 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年11月13日

あなたがいてくれたおかげで

昨日の記事。
人生というゲームはどうやったら「勝ち」なのか。
http://loveconquerfear.seesaa.net/article/380031321.html

嫌いなあの人も、憎いあの人も、攻撃してくるあの人も、
みんなみんな、「あなたがいてくれたおかげで、私は今幸せです」。

それはね、どういう事かというと、
あの人の「受け入れられない意見」を無理やり飲み込むのではなくて、
ただ、存在そのものが、感謝に値する、ということ。

人はみんな誰でも不安に思う。
相手の思うつぼになりたくないとか、
対抗する意見を聞き入れたくないとか。

もしも、自分の好きな事を心のままに好きなようにやり、
嫌なあの人に、「あなたのおかげです」と伝えたら、
嫌なあの人は、「ほらね、私の言う事をきいたから」と思うかもしれない。
または、他の人に、「あの人は今まで私の意見を聞き入れなかったけど、
ようやく聞き入れるようになって。それで今好きな事ができてるのよ。」
と、陰で言われるかもしれない。

それが、とっても嫌なのね。
なにか「盗られた」みたいでさ。
自分の「なにか」が減ったみたいでさ。

ズバリ言うと、「気」をとられたみたいでさ。
気をそがれた〜って感じるの。



そうじゃなくてね。
「あなたがいてくれたおかげで」って、
思えばいいんだって、あたしは腑に落ちたの。

だって、「嫌」な事に気がつくには、「嫌」な人が
いてくれなくちゃ困る。
それだけで、その人は、感謝に値するのだ。

それにね、「常に意地悪されてる、常に自分は大事にされてない、
常に自分の意見に反対される」と感じる事は、実は「常に」ではなくて、
10回そんな事があったら、真にそういうふうにされてる事は、
だいたい1回くらいしかなくて、残りの9回は、自分の勘違い、感じ違い なんだよ。
よーく相手の事を思い出してみると、こちらの事を思ってやってくれてる事って、
とても多いな、と、気が付くの。


なんども、そんな事、文字で読んだりするけど、
(このあたしの記事を読んでくれてる人だって、既に知ってる事だと思うよ。)
本当に、腑に落ちると、「わかった〜」って、本当にすっきりするよ。
すっきり、感謝できる。
嫌味で言ったら、ダメだよ。
「そういう人」がいてくれないと、「悟る事」もできないし。


それが、人生の勝者への第一歩なのだ。

あっ、本当の「人生の勝者」って、
自分の事を、勝者とも思ってないはずだよ。
勝者になろう、と、ほんの少しでも考えただけで、
「勝者」には、なれなくなる。
それは、「愛」の仕組みと、同じ。

北風と太陽の、「太陽」と、同じ。

あたしは、そんな心で生きていきたいな。

posted by 辰多みか at 09:25 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年11月12日

人生ゲームの勝者

モノポリーのウィナー。
とは言っても、市販されてる人生ゲームのことではなくて、
リアルな、人生のゲームの話。

人生は「とある事」を思い出すための
ゲームっていう前記事はここ→http://loveconquerfear.seesaa.net/article/379520318.html

この、全生命を懸けて取り組む「ゲーム」のね、
勝ち方が、わかっちゃったのだ。

どうなったら「勝ち」なのか…

わかったよ、あたし。

たぶん世の成功者たちが、「成功法則」と思ってることだと思うよ。
(成功者から直にきいた事ないので、憶測。お・く・そ・く 笑)

この人生ゲームの「勝ち」とは…



「あの人みたいになりたい」と思わせる事だと思うの。



こうやって書くと成功者、やらしいなー(笑)。
ぜったい、人前ではそんなこと言わないよ、たぶん。
そして、きっとズバリそうだとは、紙に書いて残さない。
(そういう講習会では口に出しては言うかもしれない)

でも、きっと、たぶんそう。

自分の弱いところ・ダメな所を全部さらけだして、
そしてそんな自分が大好きだって、臆面も無くおおっぴらにして、
失敗を他人のせいにせず、自分の非をちゃんと認めて、
人から気をそがれるような事をされても、その人のせいにしないで
機嫌の良いままで、さらにその人の弱い面も思いやって、
常に誰かのためになる事を、見返りを求めず考えて与えてあげて、
そして、自分のやりたい事を、まわりに「おかげさまで」の感謝をこめて、楽しくやる。
好きな事をおもいきり好きなようにやる。
やりたくない事は、自分に正直になり、やらない。
ひょうひょうとした風のように生きる。
そして、みんなに、「あんな人みたいに、なりたいな〜」と、
憧れられるの。
かつて憎しみ合ったあの人に、「あんな人みたいになりたい…」と、
思わせるの。


誰も損しない。

それが人生の勝者だと思うよ。

これ、ぜったい、正解だと思うな!
セミナーでウン千円で、講習してもいいかもよ、あたし(笑)←これがやらしいの〜

はっ、その前にあたしが成功者にならなきゃ…(いつのことやら?)


うん、でも絶対あたし成功者になるよ!


※本当の人生の勝者になるための注意点を追記しました。

→あなたがいてくれたおかげで 
http://loveconquerfear.seesaa.net/article/380098662.html
posted by 辰多みか at 15:15 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

魂が震えるほどやりたい事をやってた時間

きのうはね、
いきなり思い立って、実家に行ったの。
父母に会ってきて、かわいいワンコとニャンコを
めでてきて、そしてあたし自身も、父母に愛をいっぱいもらったんだ。
(さっきの日記に書いた過去の事は、もう過去の事 なんですのよ)
いや、愛って「桔梗屋の信玄もち」の形をしてたけどね(笑)


そして今朝は、
魂が震えるままに、
やりたい事を、
やった!

それはね、

どんなことだったかというとね、


iTunesで、

とりためたCDの、

アートワークを、プロパティに貼り付けまくったのだ!



(笑)




(あっ、アートワークって、ジャケット写真の事ね)





そんなんで午前中つかっちゃった〜

あははは



充実してたな〜



あたしのiPodは、
iPod shuffle なので、
液晶が無いから、「アートワーク(ジャケ写)」は必要ないの。
だから自分で聞く分のCDは、簡単にインポートして、
それっきりなの。

でもね、最近、娘が、あたしの趣味に興味を持ってきた。
ちょうどあたしがはまった年齢くらいだし。
この間、「おかあさんのCD全部私のiPodに入れて〜」と、
おねだりしてきたの。
ういやつじゃのぉ。
この間まで、「歌い手さん」とか「ボカロ」とか、ニコ動で見れるそっちばっかだったのに。

だから、けさ、なんかしらないけど、
アートワークをさがしてきて変換して貼り付けて、
さがしてきて変換して…と、何十枚もやってしまったわ。
娘のiPodは液晶があるやつだからね〜。
やっぱジャケ写をくるくるやりたいでしょう。

そんなこんなで、魂を震わせながら、やりたい事をやったわ。
うん、こんな調子でいいんだよね。

うん、ありがとう。
posted by 辰多みか at 15:52 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

本当にやりたいこと

悟りの世界をチラッと見ちゃってから、5年間。
ゆるせなくてゆるせなくてゆるせなくて〜〜〜悩んできた。

悟れば、苦しみから逃れられる、と、ぼんやり認識していた程度の、
宗教が好きなワケでもない一般人の主婦だったのに、いきなり悟りの世界を見てしまって、そして、「すべての答え」を見てしまった。
結論からいうと、あたしの場合は、悟りの世界を見て世の中の仕組みを知っても、
苦しみからは逃れられなかった。
宿題が山ほど出た。
とても優しい、愛にあふれた神様から。
その宿題が終われば、苦しみがなくなるんだ(←いやこれ誤解ですけどネ)。
あたしがその時知ったのは、宿題が無限にあるわけじゃなく、
山の高さが有限だった、という事だった。
宿題は、人生の旅路のゴールともいいかえられるけど、
そのゴールの終着点が、目に見えた事だった。
それがあたしの悟りなの。
みんなが体験する、至福は無かったの。
だって、ゴールが、遥か遠いんだもん。

その時出された宿題は、

「ゆるすこと」

憎んでるあの人を、

「ゆるすこと」

それはイコール、自分自身をゆるす事でもある。

一瞬で魂が納得した、
いいえ、魂が思い出した、この世の仕組み。

なにがなんでもゆるすって事じゃないの。
自分が納得してなくてもゆるすって事じゃ、ないんだよ。
自分が我慢するって事でもないの。
言葉だけ、表面上だけで、「ゆるしてあげる」じゃ、ないんだよ。

それが、人類みんな、理解できない。
わからないように仕組まれて、生まれてきた。
なんで仕組まれたかっていうと、この世は、それを思い出すためのゲームだから。

ゲームは楽しいからね、みんな夢中になっちゃうんだよ。
みんな、ゲームの仲間にはいりたくて、あの世で神様に、
現世でのゲームに参加したいから肉体をください、って言うんだよ。
今度こそ思い出して見せますって、意気込むの。
そして生まれたとたんに、忘れちゃう。忘れる仕組みだから。
自分を苦しめるというゲーム。
そして、HPも、ホントは無限に補充できるというのに、
無いと思っちゃうゲームなの。
神様に、生命力をください と言えば、すぐにくれるのに、
無いと思っちゃってるから、人から奪うの。
意地悪してみたり嫌味を言ってみたり優越感をもってみたりして、
相手の罪悪感や劣等感から、奪うの。
気を損ねる、気が悪い、いい気味、いい気分、それは、奪い合いのはてに、
減ったり増えたりした(と勘違いした) HP、生命力。

神様は、生命力、この場合は、「気」という意味の生命力を、みんなに
雨みたいに降らして、そしてあたしたちはそれでいつもびちょびちょなんだよ(笑)。
でも気が付かないから、飲まないの。
それが飲めると知らないから、飲まないの。受け取らないの。
ある時は嵐みたいだったり、またある時は太陽からの光の雨みたいのなの。
別名を「愛」と言うよ。
台風みたいにまきこまれて、わぁーとかなるけど、それも愛なの。
受け取ると、体に満たされるんだよ。
そして、自分が受け取った分を、人にあげる事もできるんだ。

それらがさ、悟った時に、全部わかるわけなの。
みんな、理解することができるの。
すごいよ、びっくりするよ、だって、自分って神様の一部なんだから。
神様って、ただの、1 だし、
ただの、 有る だし、
ただの、 在る だし。
一部で全部で、ポジでネガで、裏で表なの。
ああ、そうそう、神様に無いものはなにも無いけど、ひとつだけ、ないものが、あった!
それは、「無い」が無いの。 それが神様。
「欠けてる」「不完全」は神様に有るけど、「無い」は、無い。

そんなこんなで、この世の仕組みと神様と本当の自分(自分サイズに
収まってる神様)に悟りの瞬間気がついたわけだけど、あたしは、宿題をしたくなかった。

なんとかかんとか、憎いあの人をゆるそうゆるそうとしてきたけど、どうしてもできない。
だって毎日、嫌味嫌味ですのよ。毎日意気込みがリセットされる。
でも、ゆるさなければ、自分自身が幸せになれないので、
どうしてもゆるしたかった。

ニコニコ笑顔?尽くしてみる?話を聞いてやる?
神様から受け取る「愛」はタダじゃん。自分の体の外側の経絡に流して、
「衛気」にして、あの人にあげればいいじゃん。「ありがとう」と笑顔で。
「あなたのおかげで幸せです」って。
自分自身の気を奪われないように、きちんと「No」をいえばいいじゃん。
そのやり方も、わかってる。できるようになってきた。

そういうふうに、あたしは、あたしの内面(潜在意識)に、言う。

だけどね、体が動かないんだ。

あたしが、「憎いあの人をゆるす」 というのは、
具体的にどういう事をやるのかというとね、


それは、「あたしが自分の好きな事を好きなようにやって、幸せです!って輝く」って、事なの!


自分が好き勝手に好きな事をやるというのが、
憎いあの人をゆるす という事なの。
びっくりでしょ。
それがこの世のからくりなんだ。

自分が好きな事を、させてもらう。
あの人に「ありがとう」って言う。
「おかげさまで」って言う。
それが、ゆるしなの。

あの人のせいでできないって、もう言えないの。
もう、あの人のせいに、できなくなるの。
「自分が幸せにならない言い訳」が、できなくなるの。
幸せになっちゃったら。

だから、あたしが幸せになっちゃったら、あの人に「ありがとう」って言わなきゃいけない。
それが、まだ、ホントに嫌なんだ〜〜。
気づいた本心。まだそこか。

だから、あたしが心底本当にやりたい事は、「やりたい事をやりたい」、
「幸せになりたい」なのではなく、
「あの人にありがとうって、言いたくない」なのです。
本心が、あたしの認識外で、そう神様に全力で祈ってるから、そっちの願いが叶っているのです。
やっぱりすごいわ神様。どんな願いでも100%叶えてくれるわ。
「あたしは幸せにならなくてもいいから、あの人に感謝したくない」という
願いを聞き逃さずに叶えてくれてるなんて。

うーん、うーん。
でも、もうホントに、ゆるしても、いいかな。
みんな幸せになっちゃっても、いいかな。
宿題が、あとちょっとで終わりそうな気がする。

posted by 辰多みか at 15:48 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年11月04日

みんな怖い

あたしはバカみたいだけど、
一日、家事に8時間かけてるみたいだ。
ぜんぜんお掃除しないのにだよ?
片づけもしないのにだよ?
指折り数えてみたら、そうだった。
ずーっと立ってて、気が抜けない、そんな時間が8時間。
仕事のほかに、8時間。
そりゃあ、仕事がフルタイムでできないハズだわ。

気が抜けない・・・なぜかっちゅうと同居嫁だから気が抜けない。
ただそれだけだ。
(気を抜くと、ヤられる 笑)
舅姑がいじわるかっていうと、まあそうではない。
普通レベル?
ふつうの、同居家庭。自営業。
同居がイヤな嫁にとっては、耐えられない、レベル。
あたしは、まあ、心の中で文句言いながらでも、別居する意志は毛頭ないレベル。
あたしに対しては、察してチャンで嫌味なレベル。
ごはんはもらえないレベル。
スィーツ…?有るわけない。
外出すると仲良い姑嫁演出のために、ヨロヨロと力なく歩く姑が
世間様に満面の笑みを浮かべながら、あたしの腕をとってくるが、
人がいなくなると、サッ!と払いのけられる、レベル。
家ではものすごく重い植木鉢を、何個も運び続ける姑。
そういうのはできるのに。(そしてもうやめなとみんなから言われてるのに)
ああ、でもこれらはいじわるじゃなくて、ホントに、同居の普通レベルなんだよ。
(これから同居する新婦さんは覚えておいてね。あたしは嫁チャンにやる気は無いけど)

怖いんだ。
みんな。
あたしも、姑も。みんな。
ヤられると思っちゃうから、
怖いんだ。

昨日もね、
ヤられた(笑)。

あたしだけ、果物が無かった。
まあ想定内だけど。うん、流れはわかってるから、予想通り。

そんで、
じりじりじりじり〜〜
心の中で、感じた。
怒ってるのか。
悲しいのか。
愛されてない(と誤解する)から虚しいのか。
前から何回も何回も、あたしにだけもらえないと訴えているのに、
このバカは記憶力が無いのかとか。
やっぱり性格が悪いとか。
そう感じながら、ひとりで台所でその果物の皮を剥いて、
何個も剥いて剥いて、剥きながら、食べた。
あたしは果物がほしいんじゃない。
食べたいわけじゃ、ない。
頭ではわかってるから、心の中の感じを、感じつくそうと思った。

いっぱい果物を剥いて、食べやすく一口大に切って、
タッパーに入れて、みんながすぐ充分食べられように、
冷蔵庫に入れておいた。うちは人数が多いからね。

心の中を感じつくしたら、
姑は性格が悪い。
そこに行きついて、あたしのじりじりする感じは軽くなってた。
あの人はダメな人。
で、それであたしの機嫌が、不機嫌か上機嫌かは、まったく関連が、ないの。
ダメな人はダメな人で、よし。
あたしはあたしで、よし。

んで、みんなに「いっぱい切っておいたから好きな時に食べてね〜」と
にこにこして言った。
嫌味じゃないよ。
嫌味と思う人は、きっと心当たりがあるから、そう思うんだよ。
それってあたしの事だ(笑)。

みんな怖いの。
果物を切りながら、姑がこんなことするのは、
怖いからだな〜って、本当に感じるの。
その、怖さの原因に、気が付くといいのにね。
そうすると、楽になるのにね。


posted by 辰多みか at 11:41 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年10月27日

連鎖

陽だまりの中、掃除機をかけていると、
こどもの頃の事を思い出す。

光りながらまきあがる細かなほこり。
母が掃除機を軽々とかけているのを、うらやましく思いつつぼんやり見ているこどものあたし。

母が心の病になったのは、40代前半。今のあたしより若い年だった。

母の苦しみはその当時も見えていたけど、今のあたしから見ると、
もっと深い、苦しみの元、が見える。
それは、親から子へうけつがれてしまう連綿とした苦しみ。

「未熟さ」

年をとっただけでは大人になれないこと。

年をとったこどもが、こどもを産んで育てること。

「愛」という名を借りた依存。


心を病んだ母に殺されかけたけど、
(心中するつもりだったのかもしれない)
その当時も今も、その事については恨んでいない。
ただ悲しかっただけだ。

お掃除の仕方を受け継ぐのだったらいいけれど、
苦しみの元まで受け継いではいけない。
あたしは、気がついた。
ここで、断ち切る。
こどもに、受け取らせない。
「気がつく」ために、あたしの苦しみがあったのだろう、とも、思う。

あたしのために、自転車で買い物に行ってくれるという娘を窓の外に見ながら、そう思った。
posted by 辰多みか at 11:29 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年10月22日

のらねこの視界

あたしは猫が好き(今飼ってはいない)で、
こどもの頃から、猫がいれば、じっと観察(&ねこかわいがり)
ばかりしていたので、猫の気持ちがわかる!と自負している。
(犬もわかるよ…)

猫に限らずどの動物でもそうだけど、あかちゃんの頃から
飼っていれば、飼い主には警戒心を示さないのが普通。

ところが、もともとのら猫で、成猫になってから飼った場合、
猫は、飼い主に対しても、一歩引いた感じ、というか、
常に危険回避できるように、神経をとがらせているというか、
少し、ピリピリした感じを受ける。
心底リラックスしてない、というか。

その、ふたつの立場の猫たちは、それぞれ、見えている世界が違うように思う。
・怖い事もあるけれど、かわいがってもらえる楽しい世界。
・かわいがってはもらえるけれど、怖い事があるかもしれない世界。
どっちも同じ世界なのに、違うものを、見ている。

それは、あたしたち人間にもあてはまって、
一度怖い思いをした人間は、その怖い事から回避できるように、
神経をとがらせて生きるようになるのだ。
あたしが感じるのは、ほぼ全員の人間が、のらねこの視界で生きていると思うのだ。
個人個人で違っている所は、その程度の差のみで、
基本的に、怖がって生きているのだ。
それは、生き物としての、本能に由来するものだと思うけど…

猫を見ていると、第三者的にそうやって気が付けるのだけど、
自分自身がそのような状態に陥ってるのって、なかなか気付かない。
自分の事に気づけるようになるのが、一番いいんだけれど、
たまには街に出て、人間ウォッチングすると、いろいろ気が付く事が出来て、いいよ。
posted by 辰多みか at 10:56 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年10月18日

とてもカンタンでとても難しい

わかったのだ。

幸せになるために する事。



それはね。
「幸せになるためにする事」は、
「幸せになる事」なんだ。

はいはい?

わかんない?

幸せになるためにする事、それはただひとつ、幸せになる事。
自分から、みずから自発的に自覚を持って、前向きに、
幸せになる。 それだけでいい。
「今すぐ幸せになっちゃえばいい。」

いや〜、とてもカンタンだね。

そして、


とってもとっても難しい!!



だって、方法はそれ しか 無い んだもの!



この「名言」は、あたしの尊敬するおひとりの、斎藤一人さんが
常に書籍などでおっしゃっている事なんだけど、
あたしも、頭ではわかるんだけど(いちおうその前に悟ったので)、
どうにも、どうにも、腑に落ちない。
心がついていかない。
納得できない。
というか、納得したくない。事。だった。

それが、ようやく納得できる段階まで、来た〜〜。(キターー!な気分だよホント)

この段階まで来るには、人それぞれ、イバラの道がある。
イバラの道とは、「方法はこのたったひとつしかない」、という段階に至るまで、
あきらめ、あきらめ、あきらめ続ける事。
他の方法が無い、と、腑に落ちるまで、トライアンドエラーを繰り返す事。
この方法をやってみてダメだった、こっちの方法もやってみてダメだった、を、
繰り返すこと。
決して、頭の中だけの、思考実験では終わらせない事。(というか思考実験では終わりは無い)
ちゃんと声出して、体を使って、やってみるのだ。
たとえば、この問題がなくなれば私は幸せになれる…とか、
あの人がいなくなれば…とか、
この環境が変われば…とか、
そう思ってたら、環境を変えてみる。でも自然の法則に従い結局は
幸せにはなれないという結果が待っているので、この繰り返し繰り返しを、
身にしみてわからせるのだ。
もちろん周囲との軋轢は、発生する。

すると、最後に「幸せになるためにする事は、今すぐ幸せになっちゃう、という事しかない」という段階まで来る。
悪あがきしてもムダなの。もともと自然はそうなってるの。

その道中の長さは人によって違うし、ひとつの人生でたどり着けない人もいるし、
生まれた時からすでに到達してるような人もいる。

だから、あの人が嫌い、でも、ニッコリ微笑んだ気持ちで、その人の幸せを
考えてあげればいいんだよ。
その「場」が、みんな、上機嫌になれば、いいの。
その時の注意点は、決して見返りを求めない事だよ。ごますり、おべっかは方向が間違いだよ。
自分だけが、まわりとなんの関連も無くひとり上機嫌でいれば、それでいいのだ。
(でもそれができないからみんな悩むんだよね〜〜)
posted by 辰多みか at 15:09 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

馬鹿は死ななきゃ治らない

一度生きながら死んだ身としては、
この言葉には賛成しかねます(笑)。

「バカは死ななきゃ治らない。」

いえいえ。
死んだら、治るのは、「無知」です。
無知が100%治ります。

そして死ぬと、
馬鹿が100%になります。
そう。100%バカになります。

生まれてからなんとなく生きてる頃は
50%馬鹿ですけど、
死ぬと100%馬鹿になります。

だから死んじゃだめって事ではなくて、
肉体的に死んだらどうなるかは、
あたしも肉体的に死んだ事ないから、わかりません。

ただ、生きながら、自我だけ一瞬でも死ぬと、
100%バカで、いいんだ〜〜って、腑に落ちるようになります。
むしろ100%バカが、いいんです。
だって楽じゃん〜。馬鹿〜。
100%無知が治って、100%馬鹿で過ごせる。
ラク〜。
posted by 辰多みか at 01:07 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年09月25日

えらぼう

神様は、
怒ったりしない。

神様が言う言葉は、「いいよ」しか言わない。

「神の怒りに触れた」っていうのは、
人間が自分を正当化するための、勘違いの、言い訳。


神さまは、 「いいよ」 しか言わない。
「あるよ」 しか 言わない。
「あって、いいよ」 しか 言わない。

有 か 無 だったら、
有 が 「神様」

無 は、 さあなんだろう。
「あなたと私は別人」 って事かな。
(あたしはそう感じるよ。)


宗教間対立でね、
あの宗教徒は許せない、だからやっつける。
あの宗教から弾圧を受けたから、うちの宗教徒は全員助ける、そのためにあの宗教をぶっつぶす。
と、いきまいて、争う。
宗教は、「神」と「愛」を説いているはずなのに。
なぜ、信仰している宗教が説いている事が、理解できないのだろう。
それはなぜかというと、そういう行動をとる人たちは、本当には神を目撃していないからだ。


神様は、「あって、いいよ」と言う。
それはね、

平和でも
戦争でも

どっちでもいいよ って言ってるのだ。
本当に神様を「目撃」すると、神様はずっ〜とそうつぶやいてた っていうのが
一瞬で理解できるよ。


戦っちゃダメとか、平和に暮らしちゃダメとかも、言わない。

言わない、というか、むしろ、
「戦っちゃダメでも、いいよ」
「平和に暮らしちゃダメでも、いいよ」
と、神様は言うのだ。


全面肯定なのだ。
神様って、完全肯定 って事なのだ。


戦争でも、
「やっていいよ〜」と、ニコニコ言っているのだ。
だからといって、宗教間対立が、それを理由に起こっている、というワケではない。
逆なの。

「戦争はやってはいけない」と、固く信じているから、やるのだ。対立したい人たちは。
神様から、許可を得られていないと、思い込んでいるから、やるのだ。

実は「戦争でも平和でも、好きにやっていいよ」と、神様は言ってるわけ。
どんなあたしたちでも、否定しない。それが神様。

「やってはいけない」と思い込んでいるから、やる。
それを選ぶ権利がない と思ってるから、やる。

そうではないのだ。
神様は、いけない とは絶対言わないのだ。

ただ、神様の仕事?は、もうひとつあって、それは、この世の仕組みを作ること。
作る、というか、作り上げた という事。

戦争の方向に力を向けると、跳ね返って自分たちの方に戻って来る。
戦争の方向、というのは、平和(愛)と逆方向の事で、
愛を与える方向に対して、愛を奪う方向のこと。
愛を奪う方向(つまり愛を自分たちへ近づける方向)へ力を向けると、
跳ね返って、愛は向こうへ行っちゃう、という事。
その跳ね返りの仕組みを作ったのが、神様。

だから、人間は、平和でも戦争でも、どっちを選んでもいいんだけれど、
自然の摂理に従うと、戦争を選ぶと、人間的には、良くない結果になる。
神様的には、どうでもいい〜♪。
神様は怒らないけど、摂理は、仕組みは・・・人間から見ると、怒ったように見えるかもしれないね。

仕組みは、人間の力では、くつがえせない。
本当に神様を目撃する(悟る)と、その事が理解できるようになる。

私たちは、どちらを選ぶ事も、許されている。
ないと思うからほしくなっちゃう、
できないと思うからやりたくなっちゃうのが人情。

どちらも選べるんだから、
選ぼう。
私たちは、すべて持っているんだから、選ぼう。
無いものなんか無い、すべて有る んだから、
与える方を、選ぼう。

神様は、そんな私たちを、ニコニコしながら、見ている。
「いいよ」とだけ言って、見ている。
posted by 辰多みか at 15:05 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年08月08日

昭和天皇と雅子さまとあたし

2004年にね、浜名湖で花博があったんだよね。
あたしは、家族分、パスポートを買ったから、それはもう、
行ったわ、行ったわ。
元はとったわ。
もう目つぶっててもどこに何があるかわかるくらい(笑)。

その花博にね、昭和天皇のパビリオンがあったのよ。
博覧会で天皇?て思うかもしれないけど、あったのよ。
いつもすご〜〜い混んでて、あたしは結局一回しか入らなかった。
(他のパビリオンは結構何回も入ったよ。恐竜の首がぬっと出てるのとか。)

あたしは特に天皇家について思う事はなかったし、
写真の額を飾るような家でもなかったから、
パビリオンには、花博が終わるまでに一度は入れればいいかな、程度の
思いでいたんだ。そして、ある日、入ってみようという事になった。

昭和天皇のパビリオンはね、
どんなすごいお宝が!と、あたしは思いながら入ってみたんだけど、
たしか、中に展示してあったのは、「植物標本」。

とても 地味な 植物標本。

もう茶色く色が変色してるのとか、
ホントに地味な感じの 草 とか、
うん、「お年寄りの趣味の世界」って感じの。

まあ、趣あるな〜って思いながら見てたよ。
昭和天皇は、数々の公務の間、
しかも戦争も体験しているし、そのあい間あい間、
こうやって、気になる植物を押し花みたいに標本にしていったんだろうな〜と
思いながら見たよ。

そして、作品展示の先は、映像コーナーだったんだ。
植物を採取される、天皇陛下の。

そこにうつっていたのは、
まぎれもなく、日本の、天皇陛下だったんだけど、

映像がすすむうち、あたしたちの目に映っていたのは、


植物を愛する、

ただの、

おじいちゃん。

大好きなことに没頭している、

ただの、

おじいちゃん、


だったんだ。



涙が出た。

まわりのみんなも、泣いていた。

感動する要素もどこにもないような、数分間の、

ただの、趣味に没頭するおじいちゃん の映像だったんだけど、

泣けて、泣けて、



その時はじめて、テレビで新聞で拝見する、天皇陛下の
本当の胸の内を、見た気がしたんだ。

植物好きのおじいちゃん なのに、
天皇家に生まれたというだけで、
どれほどの大きな重圧・責任を背負ってきたのか。

いつもむっつりしたお顔しか見た事なかったのに、
好きな事をしている時は穏やかな表情で、
ホントにただの おじいちゃん なのに、
あたしたち国民は、何を、あんなに、期待・希望をこめて
天皇陛下に背負わせてきたのか。

ひとりの人間として、見てなかった。
本当は、あたしたちと何も変わらない、ただの、ヒト なのに。
誰も、彼をそうとして見てなかった。

その事実が、映像を見ているあたしの胸に、迫ってきた。
まわりの人も泣いているから、たぶん同じ気持ちを受け取っているのだろう。
なにかが、そう、憑き物みたいのが、スコーンと、落ちた気がした。

それから、天皇家の人を見る目が変わったよ。
うよくとかさよくとか、そんなの全然関係なくて、
同じ、人間 として、見るようになったんだ。


だから前も書いたけど、
雅子様には、早く悟りを開いていただきたいな〜って思うのよ。
だって、ただの、ヒトじゃん!
汚い自分だって、醜い自分だって、在るよ!
そんなの居ちゃダメって、本人も周りも、思いこんでるから、苦しいんだよ。
どんな自分だって、居ていいんだよ〜。
今苦しいし、自分に向かい合う時、もっと苦しいけど、
それをやる価値はあると思うんだよ。
それっていうのは、つまり、内観・瞑想・自問自答。
国民として、ではなく、同じ人間として、そう思ってる。
だれかマスターがひとりついてくれれば、いいのにな〜。
ああ、でも、本人が希望してなきゃ、だめか。
posted by 辰多みか at 15:46 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

「ありのまま」はなかなかわからないってハッキリ言った方がいいと思うよ

「あなたはありのままで素晴らしい」

そのとおり。

真理。


だけどね。

「ありのまま」の自分を本当に知っている人って、
い な い よ。
悟った人以外は。
(あたしだってまだまだ知らないよ)

「ありのまま」の自分を知るのが怖いから、
人はあの手この手で、知るのを拒否する。
それがそもそもの元凶で、
苦しみの元だ。

人はなぜ生きるかというと、それを知るためだと思うし、
それを知った時が人生のゴール だと思う。
(真理はひとつの言葉では表せないから、
この答えは、ひとつの側面だよ。
だから人生には何も意味が無い、という答えも、正解なの)

「ありのままで素晴らしい」と伝えるのと同時に、
「ありのままには、なかなか気が付く事ができない」と、
ペアで伝えた方がいいと思うんだ。
posted by 辰多みか at 23:39 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年07月06日

相川七瀬さん


ひさしぶりに見た。

う〜ん、ちょっと前、数か月前にも、テレビで見たかな?

その時は、チラ見だったからか何も感じなかったけど。

今日は、番組自体をたまたまかぶりつきで見てたから。




相川さんは、

悟ってる! 悟ってる!

笑顔が、もう、そう!

間違いない!


興奮して、ぐぐっちゃったわ。

やっぱ、そうだわ!


心の中って、

顔ににじみ出るんだね〜〜。

この間、大林監督を、それこそひさしぶりにテレビで見て、

AKBと話している所を見て、


大林監督、

悟ってる〜! 悟ってる〜!

と思ったのも、やっぱ、そうだわきっと。


うん、

たぶん、見える人には見えるであろう、黒いカルマと呼ばれるモノ、

(あたしには見えないんだけど)

それが、一切、無いっぽい雰囲気だからね。
posted by 辰多みか at 23:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年07月04日

許すこと 第一歩


口でリアルで話したいな〜なんて願っちゃったから

いつもの方たちが来ちゃったじゃないの。

まあ、定期的に来てるから、これが「引き寄せ」だと無理には思わないよ。

うん、ちょっとね、話せるのは、楽しい。



昨日は「許すこと」の話しをしていったんだ。

あたしは、マタイのその部分、77回許す、というのは読んでなかったから、

ピンとこなくて、しかも昼寝の寝起きだったので頭が回らなくて、

いまいちあちらを説得する話しはできなかったけど、

そのあとひとりで考えたこと。



「許す」 というのは、相手を許す と、表面上は見えるけれど、

実は、一番先は、自分自身を、許すんだ。


相手を許せない自分を、許すんだ。

もちろん、相手を許す自分を許してもいいよ(それがベストなんだけど)。


自分自身を許した結果が、相手を許す事であり、また許さない事でもある。

でも、この自分自身を許した結果相手をゆるさない、というのは、

ただ単に相手を許さない、というのとは、ワケが違う。

ひとつ次元が高くて、崇高な許し。


「許す」という言葉がひとり歩きするから、誤解を招くのであって、

「許す」は、「認める」と同意語と思えば良い。


相手を許さない自分を、認める。

それは、どういうことだろう。


相手を「許す」時、

自分が「いい人」になるために相手を許すのは、相手はラッキーかもしれないが、

自分は自分にウソをつくのだ。

だって、「いい人」の評価とひきかえに「みせかけだけの許し」を行う。

「みせかけだけ」・「条件つき」。


この時言いがちなのが、「今回は許すけど、そのかわり…」とか、

「今回は大目に見るけど、次はないからね。」

そして、顔は笑顔ではなく、こわばっていることだろう。

これは「許し」ではない。「取引」だ。

「取引」をしているのに、「許し」だと自分に言い聞かせる。

それが自分にウソをつくことだ。

「取引」は損得がつきものだが、この時、誰の損得に軸足を置いているのだろう。

そう、許しているはずの相手ではなく、自分 だよね。

「自分」が損しないように損しないようにふるまっているのに、

それが、真に相手の心を揺さぶるだろうか。

相手はラッキーと思うだけだし、また同じ過ちを繰り返すかもしれないよ。


本当に、「許す」。

うん、本当に「許されている」。そんな感覚を覚えている? 思い出せる?


思い出してみて。

今。

そう、昔、あかちゃんだった頃、の、話では、ないよ。

今。

今、生きてる。

今、まさに生きてる。これ読んでるからね(笑)。


あなたが許さなくて憎んでる人も、生きてる。

極悪人も、生きてる。

毒を持ってる動植物も、生きてる。

人を致死させるウィルスも、生きてる。

地球を汚す(と人間が考えている)汚染物質も、地球内部に、宇宙全体に、たくさん有る。



生きてる・有るって事はね、この地球上で、この宇宙で、

「存在を許されている」って、事だよ。



誰に許されているのかしら。

うん、神様に。

あたしたちみんな、すべての大元の、神様に、



「み〜んな、自由に、存在してて、いいよ〜〜」と、

「好きにして、いいよ〜〜」と、

「生きるのも、死ぬのも、自由だよ〜〜」と、

「平和でも戦争でも、思った通りにしていいよ〜〜」と、


許されているのよ。

思い出した?



あたしたちが、真に相手を許すとは、この、神様と同じ気持ちになれば

自然にできる事。

そもそもあたしたちは、神様と「同じ成分(愛)」でできているから、

自分の損得に固執しなければ、ほっといても自然にそうなっちゃう仕組みになってるんだって。

それでも「できない(許せない)」となるのは、そこに、自分の考え・損得・恐れがあるからだよね。

損得って"汚い"考え方だよね。


だから、そこを、本当に、本当に、見て、あげるのだ。

「相手を許せない自分」を、見てあげるのだ。

「許せる気持ちになった自分」を、見てあげるのだ。



そこにウソはないか。

「相手を許せない自分」は、心の中でフタをされて、亡き者になっていないか。


そのウソにも、

フタにも、なかなか、なかなか気づかない仕組みになっているから、

本当に、しっかりと、自分の中を見ないと、見つからないんだよ。

もしも「見つかる」と、今まで「自分」が「自分」と思っていた 枠 が、

なくなっちゃうような恐怖があるからね。




「あたしがあたしでなくなってしまう…!」悟りを得る前、

あたしの 枠 は、何回もそう呻いた。

枠は、自我、エゴ、マインド ともいう。

フタとは、本性、トラウマ、インナーチャイルド ともいうよ。




でもね、真に「見つめることができた」時、それは「認めた」事と同じ事になり、

そんな"汚い"ものでも、あたしの中に存在していたんだという事に、気がつけたの。

あたしは、"汚い"ものを、認めたの。

「そこにいてもいいよ〜〜」って、

存在を許したんだよ。

それがたとえ一般的に人道的に言って"悪い"事でも。



「いい人」に見られたいために勝手に「許し」と名付けた「取引」をする自分。


または、


相手が悪いのに、その相手を許してしまうと、相手が悪い事を証明できなくなって、

自分は窮地に立たされてしまう。だから、相手が悪い事を証明するために、「相手を許せない」自分。

相手を許せないかわりに、自分は、幸せになれないという代償を支払う。

だって、相手のせいで不幸なんだから、自分が幸せになったら相手が悪いと言えなくなってしまう。

それは相手がひとりの場合もそうだし、「世間が悪い」と思っている場合も同じ。



この上の ふたつの「許す時」「許さない時」を、

自分の心の中に、見る。

見つめる。

気がつく。

認める。


そういう思いを自分は実は持っていて、そして、持ち続けても、手放しても、良い。

それが、許し。



許しの、第一歩、だよ。



うん、たいてい、"汚い"気持ちに気づくと、びっくりしすぎて「悟っちゃう」か、

「これじゃダメだ」と、自分から変化しようと決意するものだけどね。
posted by 辰多みか at 23:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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