2013年06月13日

噛む犬・噛まれるあたし


小さい頃の思い出で、

"近所の飼い犬におしりを噛まれた"記憶がある。


そんなマンガみたいな、と自分でも実際有った出来事なのか

ちょっと信じられないけど、

それ以来、(うーんと、たぶん5才位でそれ以来)

犬が大の苦手だった。


全部の犬が苦手なのではなくて、

おじいちゃんちの優しい犬とか、

自分のうちで飼った犬とか

それは、まあ大丈夫なんだけど、

とにかく、自分ちの犬も含めて、犬に全く関心が無かった。

よそのうちの犬なんて、かわいいと思った事もなかった。


その反面、猫は大好きで、

道端を歩いているどこかの猫でさえ、光輝くかわいい生物に見えて

自分の中から溢れる愛しさで、狂わんばかりだった。


猫は犬の100倍かわいい、と真剣に思っていた。


結婚してこの家に来て、

この家の人全員が大の猫ぎらいだという事を知った。

親戚も含め。

一軒家に住んだら猫を飼いたいともくろんでいたあたしは、

すっかりあてがはずれてしまった。



十数年、何も飼わずにきたけど、娘が犬を飼いたいといいだした。

この家の人たちは、"犬ならOKだけど面倒はみない"方針なのだ。

娘が面倒をみれるような年頃になってきた時、なんの偶然か、

犬をもらってくる事になった。



あたしは、

「おかあさんは犬が嫌いだから面倒はみないよ」とくぎを刺しておいて、

犬ファミリーのところへ子犬をもらいに、家族みんなで行った。

ただね、猫が飼えないんだから、きっと、あたしは、

「子犬が来たら、猫かわいがりするかもしれない、いや、

かもしれないじゃなくて、きっとする、してしまう」

と、なにか愛が溢れる予感がしていた。

だからもらうのに賛成したのもあるけど。


子犬は…

超かわいかった…

6匹がころんころんとびまわっていた。



今までよそのうちの犬をかわいいと思った事ないのに。

もうもらう気でいたからだろうか。

6ぴきのうち、もらう子はビビビと来たのか、あっという間にきまって、

うちの家族の仲間入りを果たした。



毎日、触った。

さわれるだけさわった。だってさー、さわらずにいられない。

それ以来、成犬になった今でも

毎日触る。おなかをさする。

愛しさが全く変わらない。



柴が入った、背面が黒い雑種犬。

そして、うちのワンコは、

噛み噛み犬だった。



もう、噛む噛む。

でもね、子犬を飼ってはじめて知った事。

(以前うちで飼ってた2匹のワンコは

成犬でうちに来て、噛まなかったから)


噛むのは愛情表現だった。

ボクの方に来て。

ボクを見て。

ボクのおなかをさすって。


手が無いから、

手のかわりに、口でひっぱる。

それが犬の、"噛む"

甘噛み。


あたしは、毎日噛まれるけど、

愛しさがあふれて止まらない。

腕とかアザだらけだけど(血が出るほどは噛まないからキズは無いよ)

かわいくてかわいくてしょうがない。


あの5才のあたしは、なんだったんだろう。

こうして思い出すと、たぶんね、噛まれたのは、本当だ。

記憶の中では、

放し飼いの、白っぽい柴っぽい雑種で、

寄ってきたからあわてて逃げようとしたあたしに

"とびかかって""ガブリとおしりを噛んだ"


でもね、痛さを思い出すと、そうではないんだ。

けがをしなかったから。

実際は、

"ぴょんぴょんとびはねて""おしりを、ちみっと噛んだ"

なの。たぶんね。



それでね、犬はね、あたしに、


「遊んで。触って。もっとこっちに来て。」って、言ってたんだよ。

「大好きだからいっしょに遊ぼう」って、言ってたんだよ。



小さい頃、おしりを噛まれて犬嫌いになったあたしが、

まさか、

毎日、

噛まれるようになるとは、

夢にも思わなかったわ。



うふふ。


posted by 辰多みか at 23:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年06月09日

自立は、"自分がふたり"で支えあって立つ事


(だけども憶測では本当は三人で立ってる気がする。)



依存

自立



依存している人は、常に目が外を向いている。

一見、被害にあってるように見える人。

一見、犠牲になってるように見える人。

それが、「依存する人」。



もちろん、正真正銘、被害にあっている人もいるけど、

それとは別に、みずから立候補して被害にあっている人は、

(被害にあう状況を作り出している人は)、

言動に、不自然な所があるから、自他共に、なんとなくわかる。

とくに第三者からから見ると、よくわかると思う。



嫌だ嫌だと言ってばかりで、アドバイスを実行しない人。

まるで嫌だといいたくていろんな事に苦労しているのではないかと感じてしまう。


自分にとって不利益な道ばかりをなぜか選んでしまう人。

そしてそれを、うすうす感じている人。

もろに、あたしがそうだったから。


少し前、

あたしは、自分が率先して被害者になり

相手を加害者にしている現状に対して、

相手が悪い・加害者 だから、自分が被害を受けていると

思いこんで、その思い込みを捨て切れなかった。

捨てるというか、思い込みであることを認めたくなかった。

率先してなっているなんて、全く自覚がなかった。


ところが、自分から率先して被害者になっていた事に気が付いてしまった。

はじめて自覚が芽生えた。

なぜ自覚したかというと、「不幸の状態」から抜け出す気がまったく無いという

ことに気付いたからだ。


あたしが加害者と思いこんでいた相手の名を仮に「響子さん」としよう。

たしかに、響子さんは、含みのあるいい回しをしたり、嫌味と取れるスレスレの

発言をしたりして、相手の気をそぐような事をする。

いつもいつも一日に何度も。だから、

回数で、まず、こちらはやられてしまった。

なぜそんな言い方しかできないかというと、響子さんはそれ以外の言い方を

するのが怖いからだけれども。



その状況に、あたしは、限界を感じ「もう許さない」、と認定したらしかった。

らしかった、というのは、自分に全く自覚がないから。

そしてあたしは自ら被害者になった。

ところが、上記のように、ある日、あるきっかけで、その"認定"が

思い込みであり幻であることに気付いた。

その時、響子さんに対して、「嫌われてもいいや。どうでもいい」と心から思えた。


自分が率先して被害者面をしていた時は、

響子さんに対して不満をたくさんかかえながらも、

「どうでもいい」とはとうてい思えなかった。


響子さんのせいで不幸なんだから、自分は幸せになってはいけないと、無意識で思いこんでいた。

幸せになってしまったら、響子さんが悪いと証明できなくなってしまう。

響子さんから離れることができなかった。物理的にも心理的にも。

それが「依存」だったの。

あの、「嫌われてもいいや」と思えた時、

なんと、自分が自分に重なったの。

それまで ジッ ジッ と音を立てながら左右に揺れるあたしがいて、

(まるでその音は、殺虫灯に飛び込む虫みたいだった)

重なった瞬間、ジッ という音がしなくて、自分に「カチ」とはまったの。


その前段階で、認めることができていた「自分自身」に、"自分"がカチとはまったの。

「自分自身」とは「隠していた自分」「認めなかった自分」「いない事にしていた自分」

「見たくなかった自分」だよ。

インナーチャイルドという人もいるよ。あたしは、「本性」と思うよ。

うん、自我とも思うけど、今は本性と書くね。

うん、はまっても、きっかけがあればすぐにブレてしまうけれどね。



あたしは、しっかり自分の本性を見ていたから、

前ほど、いろんな刺激に対して、本性がざわつく事がなくなっていた。

全くないわけじゃないけど、前ほどはね。

その「本性」は、あたしが響子さんへの依存を手放した時に、

あたしをしっかり受け止めてくれた。


自分が自分によりそって立つ。

これが本当の自立だと思った。

自分は自分の完全なる味方だったの。

「いない事にしていた」のにね。


響子さんを支えにしてたあたしから

自分を支えにして立つあたしに変わる事ができた。

できたよ。



でね、ここから先は、ハッキリと自覚してないから、憶測なんだけどね、


安定して立つには、二本足ではだめなのよ。

足が三本無いと。

四本足でもだめなんだよ。四本足だと、どれか一本は、きちんと着地しないから。

ガタガタ、グラグラの元が四本足なの。教室の机で、そういう経験なかった?

これは機械工学の基本なんだよ。


三位一体、三つ巴っていうのは、このことなのかな、と思ったの。

父と子と聖霊



子 と 聖霊 は、「意識できる自分」と「隠してた自分」

すなわち、

「意識できる自分」と「自我」

「意識できる自分」と「本性」

「意識できる自分」と「インナーチャイルド」



だから、もうひとつの足は、父 だね。

父 は説明いらないけど、神様 だね。



三つ巴は、神様と自分と本性 かなと思うの。


本当の自分(神)と 意識できる自分と 無意識の自分 なの。


無意識の自分に気が付き、本当の自分(神)に気がついた時、

その三本足で、人間は、ようやく、本当に

自立できるんじゃないかと思うの。



その憶測が本当だったら、

神様と自分と本性の位相はね、



120゚ ずつ 離れているよ。

複素平面上に。

(あっ、これじゃ3次元の機械工学は関係ないか)
posted by 辰多みか at 23:01 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年05月15日

あたしはあたしの完全な味方だった。


今日あった事。


あたしは、同居嫁だから、

舅・姑には、絶対服従だと思っていた。

意識的にも無意識にも、

「嫌われたら終わり」と思っていた。

よくよく意識的に考えると、絶対そんなことないんだけどさー。

なんだろ、意識的な無意識っていうか、

「絶対そんなことないんだけどさー」といいながら実はそれはごまかしみたいな?

自分が存在できなくなるかもという意味不明な恐怖というか。

それにうすうす気づきながらホントには気付いてなくて、

気付いたと思ってたことさえも、存在の恐怖に対処するごまかし術みたいな?

うーん、そんな感じで思ってたということを、思ってた。



ちなみに、旦那様には、何でも話した経緯があるから、

(神様の話とか気の話とかいろいろ。まあ話半分という感じで聞いてるみたい。)

この、上記二名のように「嫌われたら終わり」とは今は思ってない。


というか、もう、この地点を超えている。

なんかあたし的には絶対的な安心感がある。

それでも「嫌われたら終わり」は本当なんだろうけど。

あたしは良くなる方にしか行かないから、絶対大丈夫的な、何かがある。



それで、とても無理して、良い嫁を演じてきた。

まあ、世の中の嫁たちが通る道だね、

わざと悪い嫁を演じて、逆説的に良い嫁になるよう、

ねじれた演技もしてきた。(なんて複雑なの)

それでね、それにあたしは気付かなかったわけよ。


全然無理してなーい、あたし自然体、みたいに思い込む演技をしてたわけよ。

無意識に。

なんて複雑なの。


んで、苦しくなって、ちょっと自分を見てみた。

それはリーマンショック前の頃。


あまりにも、思ってもみない答えが、自分の中〜の、もうもう届かないような

はるかな中から、突然湧き上がってきて、

びっくりしすぎて悟っちゃった。


それがどういう内容だったかというと、恥ずかしくて、とてもここには書けないの。

だけど、何年かかってもいいから、書こうって、、、決めたよ。

決めて、この日記をつけはじめたよ。

ヌードになるより恥ずかしいから、

書けるかな〜。

難しいー。



あ、自分は神様だった、ていう答えじゃないよ。

そこに至る直前の、直視してしまったありのままの自分のこと。

そりゃ、恥ずかしすぎて、隠したくもなるわなってレベルの自分。

「悪くない」と思ってた事が「悪い」で、

「悪い」と思ってた事が「悪くない」だったの。

それで、究極には、どちらでもありどちらでもなかったの。

そこに気付けたんだよな。




まあ、それはおいおい書くの。


それで、今日あった事なの。



あたしは、今、心のままに、


心って、自分を偽る自我じゃなくて、もっと奥の、


人によっては、インナーチャイルドと呼び、

またある人によっては、真我と呼び?、

もう、なんて定義していいのか、あたしははっきり区別がつかないんだけど、


心の奥底に、フタをして仕舞ってしまった自分の、心のままに、

目の前に起こる事象を見ているの。



言葉が降りてくることもある。

それを、アサーティブに伝えなきゃと思う。

だって、今まで、一言も言ってこなかったから。

それで自分がとても狭くなってしまっていたから。

まあ、せまくなってたのは、

実は、、、


自分が自分にかけた呪いのせいだったんだけどね(笑)!

被害者に立候補するという呪い(笑) ←もう、気付いちゃったから笑っちゃおうね


でもね。姑は、

仮面をかぶるかぶる(笑)


前から、変な違和感があって、

なんだろう〜いいことされてるはずなのにとても嫌な気持ち、

というのがあって、

いくらあたしの「自我」が発動するとしても、しすぎだぞ、というのが

いつも、今も、常にあって、

それはね、

姑の、

「含み」「嫌味」でしか言葉を言えないという、それによって起こる事象のせい、という。

そう、偶然ではなくて、ぶっちゃけ、


「わざとやってる」

あたしが嫌な気持ちになるよう〜に、

そ〜っと、

わからないように、

わざとやってる。


だから、あたしがいくら悟って、自我をいくら鎮めようとしても、

おいつかないんじゃ〜


だってわざとやってるもの。


あたしは自分を偽る、ということと、わざと(それもそうとわからないように)が、

とても嫌いだ。


ある時(といってもここ一カ月くらい)

旦那とあたしと姑で、深い心の中まで開くような話をしていた。

姑は、とてもよい、ものわかりのよい人を演じようとしていたが

(あたしは、神さまをみたから…うーんこの表現だと

イカれちゃってるヒトにしか見えないから、

真理をしっちゃったから…うーん、心の仕組みを知っちゃったから!

演じてるのがよ〜く、見える)

最後の最後に、全部をひっくりかえすような、ものすごい嫌味を言った。

それもとびきりの笑顔で。これを嫌味ととる人は罪悪感でなにも言えなく

なるような、無意識の計算までして。

というか、いつも、そういう発言ばかりだから、あたしはもう嫌なのだった。


一瞬間があって、あたしはいつもどおり、絶句した。

その時旦那が鉄砲みたいに口を開いた。


「それは嫌味だよ!」

あたしもすかさず鉄砲みたいになった「そう、嫌味だよ、いつもそうだよ。

いまのいままで、いいよ、いいよ、と言っていたのはなんだったの!」


姑はこうなった、

「あ、あは、あははー嫌味…あ、これは嫌味だねー…あはは…」

観念して笑いに変えるしかなかった。


そう、あたしはわかっているのだ。姑は、いいよ、と言いたい、見栄を張りたいだけなのだ。


というような事を、わざといろいろやられるので、

あたしは、自分の受け取り側をいくら変えようと思ったって、

事実せまいのだ。

だって、わざとこっちへはみだしてくるから。

物事の受け取り方を、自分の問題と思って解決しようと、わかっていても、


悟って、わかっちゃっても、


こっちへわざとはみだしてくる人に対しては、

「もうしわけないですけど、せまいです」

て言ってもいいのだ。

言ってもいいのだ、って簡単に言うけど、

そこに至るまでには、あたしもものすごい決意があったんだ。

簡単じゃなかったよ。

そのときに、その人自体、その人全体を否定してはいけないよ。

罪を憎んで人を憎まずなの。


今、このへんの段階なの。

あたしは、姑も今がんじがらめで動けない、と見えるから、

つっつけば悟るんじゃないかと思っちゃって、

つっついてるの。だからいろんな話をするんだよ。

無駄だとうすうすわかってはいるけど…

だって、このままだと、また生まれ変わって一からやりなおしじゃんねー。


あ、どこまで書いたっけ…


それで、今日あった事の話だね。



また今日も、姑は仮面をかぶり「含み」で会話をしていた。

それをぼーっと見ながら、食事のしたくをしつつ、

あたしは軽い瞑想状態になってた。


すると、


「嫌われたっていいじゃん」と心の中から声がした。

これはね、最近読んだブログのどこかに書いてあった事だよ。


どこか…わからない。

心屋さんだったか…


悟り系を最近一気に読んだから。


「このひとひとりに嫌われたって、あたし死ぬわけじゃないし」

「(ていうかもうすでに、嫌われてるよねーこの扱いは。だから心配することない)」


なんか…目から鱗っていうか。

なんで気付かなかった?と自問しちゃうというか。



そうしたら、「自分」が「自分」にぴったり、はまったんだよ。

ぶれてたのは、意識できるあたしの方で、

ぶれない芯は、あたしが奥に仕舞ってきた「あたし」

押し殺してしまった「あたし」。


横に、ジッ ジッ みたいに、ぶれてた「あたし」が、芯の「半透明のあたし」に、

カチッと。


人って、ぶれてると、自信がなくておどおどしてると、

他の人から、そこを重点的に、つっこまれる!

そういう仕組みになってる。


どうぞ、ここ、痛いので、

もっと痛く突いてください、と、


自分だけが気付かず、他人に見せびらかしているんだよ。

こわー。


たけど、それがぶれない瞬間を、今日、見たの。


「あたし」は「あたし」の、絶対的な味方だったんだよ。

押し殺していたあたしが、表面上のあたしの、味方だったんだよ。


ものすごい安心感だ。


インナーチャイルドによりそうってこういうことかな、と思った。


インナーチャイルドが、あたしの横にきて、

あたしの耳元で、「あたしはこれをやりたい」ってささやいたのを

数ヶ月前に聞いたばかりだというのに。


実は、あたしの方からよりそって「あげる」んじゃなくて、

気が付いてあげさえすれば、最初から、

自分は自分の味方だったと。

「あたし」の方が、よりそってもらってたんだと。

気付いた。


芯のあたしは、ずっと待っていたんだと。


だけど、「あたし」が、

着地点をなかなかつかまえられずに、

ぶれぶれにぶれていたんだと。


今日、そんなことがありましたよ、と。


長かったー。書くの。



で、これって、常に意識してないと、またぶれちゃうのね、きっと。

それが日々修行なの。
posted by 辰多みか at 23:04 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

本当に探しているのは青い鳥なんかじゃない。


綺麗な青い鳥じゃなくて。

汚くて、本当に見たくもないもの。


それをあたしたちは、

一生をかけて探しているんだ。


いや、正確にいうと、

あたしたちは、それを見ないように生きている。

だけど、本当の自分の人生を生きるためには、

それを見なきゃいけない。


自分の人生とは、汚い、見たくないものを、

探していた人生だってことに、気がつく事。
posted by 辰多みか at 23:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

また世界平和をいのってきた


昨日、京都(大阪も)行ってきたんだ〜


新選組ゆかりの地を巡る旅。

(念のため言っておくけどあたしは腐女子ではない。乙女ゲーとか全く興味ない)


そこで、壬生寺で、いのった。

「世界平和」を。

それって、イコール、自分を愛するってことだけど。

世界中のみんなが、自分を愛すれば、世界はOKってことなんだけど。

まあ、今生で、そこまで目覚めないことを選んで生まれて来てる人も

いると思うんで、どうなのかな〜とは思うんだけど、

やっぱり祈る機会があれば祈っておこうかと思って。

新選組ぜんぜん関係なくて新選組の人たちには悪い?んだけど。


まあ、やっぱりいのれる時には祈っておくわ。
posted by 辰多みか at 00:02 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年03月29日

磯鵯


今日、ジャンボエンチョーへ行ったら、

看板の上で、綺麗な青い鳥がさえずっていた。

青い鳥だよ。

おなかは赤茶色で。

思わず足を止めて、見入ってしまった。

とても綺麗な声。

綺麗な青い色。


ヘルメットをかぶった店の人(男性)も、

いっしょに見上げた。ちょっと嬉しそうに「ここしばらくずっと居るんですよ〜」と言った。

あたしはとっさに、「餌付けすればいいんじゃないですか」と答えてしまった。だってずっと居てほしい。

餌付けがいいいのか悪いのかわからないけど。

他のお客さんも、見上げていた。


一度とびたって、売り物の小屋の屋根にとまった。

その飛ぶ姿も留まる姿も素敵だ。


「かみさま来た」と思った。

いや、鳥がかみさまということじゃないよ。

あたしの中に来た。ということ。


あたしが、光に一歩近づくたびに、やって来る、「しるし」なんだきっと、と思った。

2か月くらい前に、やっぱりあたしの中に「かみさま来た」と思えた瞬間に、

ベランダに、鳥がやってきた。いつもは来ないのにだよ?

その時はなにをしてたかというと、あの「悟り体験」をまた思い出したくて、検索してた。

そしたら、至高至福体験談とそれが長く続かないという話のブログにいきあたった。

そうだったんだ〜と思った時に、鳥がやってきた。


今回は、あたし、いやな事は、ちゃんとその時、いやな事をしてきたその相手に言おう、

言っても良いんだ、と思って、実践している最中だったんだ。

それがいやな事だと反応する源は、自分の中にある傷だとわかってはいるけれど。

でも、そうしないと、次に進めないんだ。

自分をまるごと愛するという、次のステップに、進めないんだ。

あたしは、自分をまるごと愛するために、

アサーティブに相手に伝える。

実際に起こった事と、それに対するあたしの感情を。

伝えてる最中は、ぜんぜんドキドキしない。

相手を否定している気もしない。

だから、大丈夫だと、思う。(確信する)


伝わる、と確信してる。


あたしは、ちょっと自分が闇にかたむいてるなと思う時(相手を悪く思う時)、

どこかぶつけたり、階段から落ちたりする。

その時、なぜか相手のマイナスな気を感じる。


あたしは、自分が大丈夫、愛にもとづいて行動してる、と思う時、

不思議なできごと・偶然にしてはタイミングがよすぎる事が起きる。

実家の父母に愛されてると感じること。

電話してきてくれたり会いにきてくれたりすること。

だから、大丈夫だと、思う。

子供のころは、ほしくてもほしくても、得られないものだったのにね。


今日の青い鳥も、その「しるし」だと思うんだ。

だけど、「幸せになるために」愛を使ったりしないよ。

間違った使い方を、しないよ。


とても、誤解されがちな考え方なんだけど。


「幸せになるために、」というのは、今、幸せじゃないんです、って宣言してると同じことなんだ。

だから、愛を使う時は、もうすでにしあわせなんだよ。

だから、かみさまの使いの鳥が来てくれるの。

あたしは、そう思うんだ。

あ、磯鵯は いそひよどり と読むの。
posted by 辰多みか at 00:01 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年02月05日

白だと思ってたら黄色だったでござるの巻


昨日、新しいパンツ(下着)をおろしたんだ〜。


薄い黄色の。レモン色みたいな。



それで、トイレに行って、

なにげなく座ってたら。



壁に付いてる、トイレットペーパーホルダーが、


なんか黄色い、ほんのり?


いや、本当に黄色い!

白だと思ってたのに!



あたしの目に入るのは、座ってる自分の膝にある、自分の黄色いパンツと、


そのパンツと同じ色味の、ペーパーホルダー。



いやー何回も見比べちゃったよ。



今まで、他のパンツだった時は、

(白とかピンクとかベージュとか、紫や青もあるよ)

まったく気がつかなくて、白だと思ってたけど、

ペーパーホルダーは黄色だった!

いや実際には、白からほんのり、プラスチックが退色してなる、あの黄色、なんだけど。


同じ色味が隣にあると、気がつくものなんだね〜。



気付くというのが、どういうカラクリか、ちょっとわかった気がしたわ。
posted by 辰多みか at 00:02 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

自分の物と思わないのが不幸にならない為のテクニック


物を、自分の所有物と思うから、それが無くなった時、

または欲しくても手に入らない時、不幸感にさいなまれるんだ。

だから、自分の体さえも、人生さえも、もちろん物質的に持ってる物も、

「借り物」と思えば、無くなっても、もとから無くても、

不幸だと、

感じなくて済む。


これは幸福を実践するための、

テクニック。

うん、ただの、how to。
posted by 辰多みか at 00:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2012年08月02日

「本当の幸い」をみつけにどこまでも行こうよねぇ

夏だね。


夏になると

宮沢賢治の


「銀河鉄道の夜」が読みたくなる




ジョバンニ少年が、 死んでしまった幼なじみのカムパネルラの魂と、
彼がもう死んでるという事に気づかないまま、一緒に銀河鉄道に乗って
しばしの旅に出るお話だ。


ジョバンニは いじめられっ子だ。家族にはいちおう愛があるが、家庭環境は不全で貧乏だ。

カムパネルラは 思いやりのあるいい子。家庭は裕福だが母が亡くなっているらしい。


ふたりは銀河鉄道で旅に出て、

しあわせな人や幸せでは無い人、

色々な人に出会い、




ジョバンニ少年は 

「本当の幸いとはなんだろう」と何度も問いかける。
自分自身にもカムパネルラにも。


「本当のさいわい」を見つけるために、
カムパネルラに「どこまでも一緒にいようよねぇ」と
すかりつくように話しかけ、振り向くと


カムパネルラはそのタイミングで 目の前から消えてなくなってしまう。



結局、ジョバンニ少年に
「ほんたうのさいはひ」はわかったのだろうか。


カムパネルラが溺死したかもしれないと、カムパネルラの父から聞いて、
さっさと家に帰ってしまった、ジョバンニ少年。


なぜ さっさと帰る?
あっさりしすぎて 違和感がはんぱない。


でも

あたしは、その潔さから、



「本当の幸い」を


ジョバンニは わかったんじゃないかな、と思う。


幻のカムパネルラが消えて、ジョバンニは泣いて、
そして溺死の事実を知り、あっさり家に帰る。




銀河鉄道の夜は未完成らしいので

本当のところはどうかわからないのだけど。





あたしが思う


「ほんとうの幸い」とは


「不幸が無い人生」ではなくて


「不幸が起きないように 先回りして先手を打つ人生」でもなくて


「不幸を 不幸 だと 受け止める力を持てる事」だと思う。



泣いてもいい。なげいてもいい。

でも、そんな感情の爆発がおさまったら、

ちゃんと その不幸を認めるんだ。

誰のせいでもない。


ただ、そこにある 不幸。




神さまは、大変 公平だから、


幸も不幸も、ちゃんとみんなに 平等に与える。




そんなときに不幸に押しつぶされないように

あるがままを認めるのが


あたしたちにできること。

それが


「ほんとうの幸福」


だと思うよ。




そんな時がきたら、


自分がどうできるのか、



今は全然自信無いんだけどね。
posted by 辰多みか at 00:00 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする
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