2014年07月26日

2008年の5月より前の事

悟りの世界を、
一瞥したのが、
いつだったのか、
ぜんぜん思いだせなくて、

2007年の写真や2008年の写真を見てみたら、6月1日よりは前で、2007年では
絶対無い、というのは、最近わかった。

今日、別件で、昔のデータをいろいろ整理していた所、
2008年の5月に、映画・「最高の人生の見つけ方」を見に行っていた記録があったのよ。
この時、この映画を見に行こうとした時点で、もう、わかってた。
だから、2008年の3月か4月ごろなのかな。
思い出せない。

その当時の記憶が、
さっぱり抜け落ちてる。


posted by 辰多みか at 17:25 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2014年06月14日

認める。受け入れる。手放す。

ふと、
一番最初に、
「降参」した時の事を、思い出したよ。
思いだしたと言っても、その時の体験はリアルな映像ではなくて、
「感覚」でしか、なかったので、
その「感覚」に、近い感じの、「比喩の映像」で、ここに書いてみる。

「降参した時のあたし」の比喩。
あたしは犯罪者で、
逮捕状が出て警官がやってきて、
つかまる寸前なのに、しらをきっているんだ。
(証拠がないから大丈夫。)と、妙に自信たっぷりなんだ。
(正当防衛だし。)とも思っている。
すると、警官はおもむろに一枚の写真を取り出し、あたしの鼻先に突きつけたんだ。
犯行現場を見事におさえた写真。
どこから撮ったか知らないけど、
その場面だけ見れば、
あたしは完全に疑いようのない、犯罪者だった。
「私がやりました…。」
あたしの口から、ひとりでに言葉が出ていた。

そんな感覚。

それが降参した時の事。

非を認め、罪人として在る事を受け入れ、無罪の主張を手放した。

もう、どんな言い訳もできなかった。

ギャフン て感じ(笑)。


そんな写真、どこから撮ってるの!って、
ちょっと警官が反則(法律違反ギリギリ)してるんじゃないの!って、
思わず喰ってかかっちゃいそうだけれど。

人はみんな、死ぬ時ね、きっと、同じ物を、見るよ。
その時になって、「あちゃ〜〜〜」って思っても、もう遅い。
だってもう死んじゃうんだしね。
ここで見せられた犯行現場の写真の多さで、
次の人生のスタートレベルが決まるんだ、きっと。
生きてるうちだったら、やりなおせるけど、
肉体がなくなったら、タイムオーバー。

一緒に写真を見てくれる、あの世の警官は、
こっちで知られた名前は、閻魔さまだよ、きっと。
閻魔さま(警官)は、こわくないし、裁かないよ。
ただ、一緒に見て、「ふぅ〜ん。」とか「へぇー」とか、
相槌を打ってくれるだけだと思うよ。ニコニコしちゃってね。
「いいよ〜、いいよ〜。」しか、言わないんだ。

「私」は、自分に見せられ持たされた写真の重さで、
水の中に浮かぶおもちゃみたいに、自分の水中での位置が決まる。
そしてまた、「自白できますかゲーム」にチャレンジするため
肉体をもらうんだ。

そんなんいつまでもやってないで生きてるうちにとっとと自白したらいいよ!
みんな平等に、見せられるんだからさ。


posted by 辰多みか at 01:16 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2014年06月11日

死んでもいいと思えた出来事

それは8年前の事。
まだ、悟りの一瞥前で、
スピリチュアルという言葉も知らず、
「悟り」なんていう言葉を、毎日毎日使うようになるなんて、
想像もしてなかった、あの頃。

子ども(小6)の頃からの夢が、叶った。
実に、25年以上の時を経て、叶った夢だ。
それは、ある「会」への出席のお誘い。
その一報は、ある日突然やってきた。

それはもう…あたしのその後の精神状態にまで強く影響を及ぼした出来事だった。

あたしはあまりの嬉しさで、叫び、
その時家にいた、舅・姑・旦那さんに、
「もう、なにがあっても行く!絶対行くから!!」と、
たとえその時誰かのお葬式があっても、行く決意を伝えた。

「ああ、もう、死んでもいい。」と、思った。
「もう、なにも思い残す事がない。」、と。

まだ、息子・娘もちっちゃかったのにねぇ。
あたしがいなくなったら、家事する人がいなくなって、家族は困るのにねぇ。
叶ってみたらなんだこれ、「死んでもいい。」だなんて。
それほど、叶うはずのない夢だと、思っていたのよ。
叶わないと思っていたから、あまり考える事もしなかった。
「○○だったらいいな〜。」と、小学生の頃、チラッと思っただけだ。

夢は叶う。
そして、叶った時、生に執着がなくなる。
一瞬だけどね。

だから夢が叶いすぎると、なぜか怖くなってきて、尻込みしはじめるのだと思う。
あたしはその後、上昇しだしたあたしの周りの空気の流れが、怖くなって、
一歩、あとずさりしてしまった。
上昇気流に乗るのをみずから辞退してしまった。

その後、悟りの世界を見る事になったのは、そういう流れがあったからだろう。
それでも今まだ、その時の感覚が鮮明に記憶に有るから、夢を叶えるのに、躊躇する。


posted by 辰多みか at 23:55 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月21日

天照らすF

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」 「D」 「E」のつづきです…



これが「神様」という事か。
あたしは、光の下で、納得しました。
腑に落ちた、という方が、より近い。

すとーん、と、理解が、腑に落ちてきました。
みぞおちの少し上あたり、「腑」は、案外、硬いものでした。

「あたし自身が、神様だったわ。」


我に返ると、「あたし」は、球体ではなくて元のあたしに戻っていました。
けれども、ついさっきまでの元ではなくて、
「性悪な本性のあたし」が、あたしに寄り添って立っているのが見えました。
人 という字みたいに、ふたりで寄り添って、立っていました。
もともと、寄り添わないと、あたしたちは立てないように、できていたのです。
だって半身だから、足が、一本ずつしか無いしね。
それは生まれ出た時のままの、元(もと)。
その 元 に、戻っていました。 
あたしたちはもともと「そのままでいい」のです。

ドーンドーンという振動は、終わる事がない という事も理解していました。
それが「愛の波」だという事も。

「愛」の反対になる言葉は「憎しみ」では無い。
「愛」の反対は、「気にも留めない」「目に入らない」「無関心」なのです。
「憎しみ」は、愛の別表現なのです。波の方向 が、「愛」と逆なだけ。
「無関心」は、波が、立たない。振動を相手に与えない。

「愛」でしか、人を動かす事はできない。
振動は、どれも、同じ。
受け取る人が「愛の波」と感じれば、人は心の鍵を開く。
「憎しみの波」と感じれば、人は用心して、鍵を二重三重にかける。

「北風と太陽」の太陽は、「愛」だ、と思いました。
本当の愛。心を開かせる愛。
ただそのままでいい と言っている 愛。
「コートを脱いでも脱がなくても、いいよ。」と、ニコニコ暖かさを送っている、愛。

見回すと、鏡の向こうにうかぶ部屋は、
すべて、あたしの部屋のように、内部に、天上につながる奈落 がある物 だという事が、一目で理解できました。
その部屋の中で、一喜一憂する、人間たち。
それらがみんな、ひとりひとり「神様」なんだ、と理解しました。
人だけでなく、自然も、物も。
これがやおよろずの神。

すべての部屋が、ゼロの通路で、つながっている。
そこに住む人たちは、気付かない人がほとんどだけど。
皆が気付けば、世界はたちまち平和になるだろう。
振動は、「本当の愛の波」になるだろう。
太陽のように、「そのままでいいよ」と、お互い、
平和に暮らすだろう。


・・・「天照らす」終わり・・・

あたしが、一度目、神様を見たのは、そこまで でした。
神様は、自分自身でもあり、太陽のようでもありました。
すべての「やおよろずの神」が、本当は大きなひとつの源から
ゼロの通路を通って、やって来ているのを知るのは、これから数年後でした。
それは、体感ではなくて、
数の世界で、
知ったことでした。

神様は数式で表せる。
数の世界の秩序。
それが、ワンネスです。

posted by 辰多みか at 20:56 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすE

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」 「D」のつづきです…




回転体の中心に現れた、本当のゼロは、
奈落の底への 入口でした。
あたしたちは、その中へ、吸い込まれていきました。
球体自体が、あたしたちなので、
あたしたち球体 の外側が、内側の、本当の真ん中に
吸い込まれていく ようにも見えました。

地下の暗い、光の無い、奥の奥の、奥へ。


吸い込まれて、出た先は、





でした。


光のあふれる、

まぶしい、

外でした。


ものすごく狭い所に行ったと思ったのに、
出た先は、広大な、外でした。



あたしたち球体は、
ぐるんと、
ひっくり返ったのです。

真っ暗闇の奈落の底は、光の天上 でした。

B3Fだと思っていたら、屋上 でした。





あんなに頑丈に、戸を閉めたのに、
あたし自体の中身と外身がひっくり返って、
外に出てしまいました。
戸のロックは、まったく意味がありませんでした。



あたしは、
「それ」を、
見てしまいました。

言葉で表現できない「それ」を、
見てしまいました。

見た、というより、体感した、という方が、
正解に近い。


「在る。在る。」とだけ言う
「それ」の事を、

太古の人は、
「神」と呼んだのです。



つづく・・・→F
posted by 辰多みか at 20:54 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすD

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」のつづきです…


B2F(地下二階)。

B2Fの床で、粉々に砕けた、「あたし」と「性悪なあたし」。
あたしの世界のすべて。
いえ、あたしが世界のすべてで、そのすべてが砕け散った。

あたしは、あたしもろとも粉々に砕けたけれど、
意識はあった。
いえ、
むしろ、
「意識」が、「あたし」でした。

「意識」が、ずっと見ていました。

「それ」を。


ここから先で、

意識が見た物の事は、

文字で書き表せません。

文字で書いたら、口に出して話したら、

すべて「嘘」になってしまう。

どんな事を書いても、片手落ちです。



なぜなら、「それ」は、「すべて」であり
「すべて」であるが故に、矛盾するふたつの事が同時に成立するからです。
どんな事を書いても正解であり、不正解です。

対極するふたつの事を同時に書き表せなければ、「それ」を表現できたと言えないからです。
文字におけるその術は、この世には、ない。
数学においてならば、ミンコフスキー空間で、草食動物のような
特殊な目を使えば、「それ」を見る事はできる。

そもそも「意識が見ている」のか、「見えるものが、意識」なのか。
どちらも正解でどちらも不正解。


「いい人のあたし」で、「性悪なあたし」。
「私」で、「私以外のすべて」。
「白」で、「黒」。
「上」で、「下」。
「中」で、「外」。

それらが同時に存在する。
全く、相反せずに。

それがB2Fの光景。
見る事はできるのに、文字で表現する事ができないのです。


世界のすべてが砕け散ったのに、
ドーンドーンという振動と音は、
治まりませんでした。

「治まらない」という自然の約束だから、
「治まらない」。永遠に。

砕け散った世界のすべてと思っていたのは、
鏡の殻の中の、あたしの部屋だけでした。

他の部屋は、相変わらず、空間に浮かんでいました。
よく見ると、たくさんある部屋の空間の中で、生まれたり消えたりする部屋もありました。
泡がぶくぶく泡だって、そしてはじけて消えるように。

その時突然、
砕け散ったあたしのすべてが、
陰と陽がくっつくみたいに、
ひとつにまとまって、そして回転しはじめました。

「あたし」が、「たてまえと下心」だけしかないと認識していた頃は、
うまく回転しなかったのに、
「たてまえと下心」の下層に、「本性と本当の自分」がいると気付いたら、
バランスが完璧になって、回転できるようになりました。
半身を取り戻したあたしは、球体になって、
回転しました。
回転の原動力は、ドーンドーンという、あの振動。
あれほど亡き者として見ないふりをしていた「性悪な本性」は、
あたしの、味方 でした。
絶対的な味方 でした。
あたしたちはふたりで手を取り合って、回転しました。

すると、球体の中心に、回転しない、本当のゼロ が生まれました。
バランスを欠いていた頃は、ぶれにぶれていたために、絶対に生じなかった、 ゼロ。

その、ゼロの中心は、
「どこか」に、つながっていたのです。

B3F。
本当の 奈落の底 へ



つづく・・・→E
posted by 辰多みか at 20:51 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすC

・・・これは「天照らす@」 A」 「B」のつづきです・・・


ぜんぶ、人のせいにしていた。
都合が悪くなると、体調のせいにしていた。
性悪な本性は、
「あたしは悪くない。悪いのはすべて周りだ。」と言って、
針や熱湯などの「武器」を抱えたまま、
ギラギラした目で周りを見回していました。

針や熱湯は、そもそもあたしの性悪な本性の方から
先に投げた物でした。

けれども、
投げながら、泣きながら、「本性」が本当に思っていた事が、
「あたし」の胸の中に、流れて響いてきました。

「あたしを愛してほしい。あたしを見てほしい。
嫌だよって言いたい。押しつけないでって、言いたい。
やりたくない…
やりたい…
やめてほしい…
やってほしい…
本当はそう思っていると、言いたい、言いたい、言いたい!」

本性が投げた物たちは、鏡にぶつかって、自然の摂理に従って跳ね返って、
そのまま、元のあたしの所へ、返ってきていた だけでした。

「本性」と対面する前の「たてまえ・表の顔のあたし」は、
そんな声を感じた事があったけれど、
常に、こう返答していました。
「言いたいなんて、ダメだよ!言ったらダメなんだよ!
言ったら、愛してもらえなくなる。見てもらえなくなる。
嫌だなんて言っちゃダメだ!
もっといい人にならなきゃ、
みんなはあたしの事を認めてくれない!
過去のあたしは捨てるんだ。
もっと努力して、みんなに認められるようないい人になるんだ!」と、
呪文のようにぶつぶつと口の中で繰り返していただけでした。

そうして、「性悪」な本性を、自分の殻の中のさらに殻の中に
押し込めて閉じ込めて、そして、わざと忘れてしまっていました。

その本性と、
あたしはついに対面しました。
今まで、一瞬見えたりとか、居る雰囲気とか、なんとなく感じて、
そのたびに心がザワザワしていたけど、
今回は、お互い、真向から、
正面を向いて、
目をそむける事なく、
向き合いました。

お互いに、声は出ませんでした。
「性悪な本性」の本当に思っていた事が聞こえた今、感じるのは、
「性悪な本性」は、「あたし」を守りたかっただけだという事。
「たてまえ・表の顔」も、「あたし」を守りたかっただけだという事。
お互いに、いえ、「あたし」のすべてが「あたし」を守りたかっただけだという事。


その時、
どこからともなく、
鳴り響く鐘の音のように、「声」が降り注いできました。


「ある」

「在る」

「わたしは 存在する」

「I am.  I am.」


祝福の鐘の音なのか
葬送の鐘の音なのか


次の瞬間、床が、崩れ落ちました。
B1Fの 床が。
壁もろとも。
あたしと性悪なあたしをまきこんで。
奈落の底まで落ちていくと思ったけれど、
B2Fの床に 打ちつけられて止まりました。

地上一階とB1Fのすべてが、
B2Fの床の上で、
こなごなに砕けました。

あたしも
性悪なあたしも

区別がつかないほど




・・・つづく→D
posted by 辰多みか at 16:06 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

天照らすB

…これは「天照らす@」 A」のつづきです…


外には誰も いない。
地下には無かったと思っていた部屋が ある。

有ると信じていた事が無くて、
無いと思い込みたかった事が、有る。
これほどの絶望はありませんでした。


あたしは、扉を開け、
暗い、恐ろしい、地下を、見てみました。
目を開けるのもやっとのはずだけど、
絶望しているからか、目を開けて、じっと見つめました。
階段は、螺旋階段でした。

地下室は、B1 B2 B3 と、地下3階まであるようでした。
怖くて、最初の一歩がなかなか出ませんでした。
ひきかえそうか、と思いました、
そういえば、過去、何度かこの階段を降りようと思った事がある。
階段があるのさえ気付いていないと思っていたけれど、
無意識に、カーペットをめくっていた事が、何度も、ある。
でも、その度に怖くて、すぐにやめてしまった。
死んだ方がまし とさえ思った。
病気だから降りられない と思っていた時もあった。
神様どうかあたしを病気にしてください、と、神に祈った時も あった。
そうしてすぐ、地下へ続く扉の事は、記憶から消してしまっていました。

けれども、
絶望したら、
一歩が踏み出せて、
あたしは、階段を、猛スピードで、駆け下りてしまった。
自分でも止められない。
怖いはずなのに。

地下室は、
汚くて、臭くて、あまりにツーンとした刺激臭だから、
涙が、
あふれてあふれて、
そして、うわぁーーーッと叫びながら、駆け下りていきました。

そこ、B1F(地下一階)は、
地上一階の「たてまえと本音」の部屋ではなく、
「本性」の部屋でした。
見たくなかった。
死ぬまで、見たくなかった。
死んでも、見たくなかった。
認めたくなかった。
「本性」をどうしてもどうしても、認めたくなかった。
・・・絶望したことで、「本性=封印していた自分」が存在
していた事と、その存在を「どうしても認めたくなかった」事に、気づいた。

B1Fの部屋の壁いっぱいに、
映画のように、
過去の映像が映し出されて流れていました。
それはただの映像ではなくて、
痛みや冷たさや苦しさの、
感触も感覚もある、
まるで立体のような、いや立体、いや実体の
とてもリアルな映像でした。
その主人公は、「あたし」。

その光景は、
まるで、
走馬灯のようでした。
そう、人間が死ぬ時に見るという、走馬灯。
あるいは、
死んでから閻魔様の元で、否応なく見せつけられるという、人生のフィルム。

そう、あたしは死んでから見るはずの、自分の今までの人生を
すべて記録したフィルムを、生きながらにして、全部、見てしまった。


恥ずかしかった。
悶絶するくらいだった。
目をそむけたいのに、見えない力に固定されて、
映像から目が離せない。


映像に映し出されていた あたし。

認めたくなかった。

本当に認めたくなかった。

死んでも認めたくなかったけれど、

その本性は、



性悪 でした。




表に向ける顔は、いい人ぶっていたけど、
そのいい人を支える根底、本性は、
「性悪」 でした。

あたしは、その、今まで目をそむけていた「性悪」な自分、
亡き者にしていた「性悪」な自分、
なにか出来事が起こるたび、自分から切り離して捨ててきた
「性悪」な自分と、
対面しました。

切り離して捨てたつもりだったけど、
「ここ」に、居たのか。
何年も、この汚いおぞましい地下に
閉じ込められていたのか。
誰でもない、この「あたし」によって。
あたしがあたしの半身を。
嗚呼。


・・・つづく→C
posted by 辰多みか at 21:58 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすA

…これは「天照らす@」のつづきです…




ひとつ、というのか、あたしの部屋を覆っている、殻のような空間の内部が、
一面、鏡でした。


そして、鏡の殻の向こうには、同じような戸がある部屋が、
いくつも、うっすら透けて見えて、
しゃぼんだまみたいに、空間にぎっしり浮かんでいて、
隣の部屋は、あたしの部屋の壁に、
鏡でできた空間の壁に、
ドーンドーンと、ぶつかっていました。
すべての部屋が、近づいたり離れたり、ドーンドーンと、ぶつかっているだけでした。
その音と振動は、はじまる事も終わることもなく永遠に、ただ、ぶつかって音を出す だけでした。

そこには、ヒトが、生物が、誰もいませんでした。


あたしは怖くなって、すぐに戸を閉めました。
おかしい、おかしい、おかしい・・その時からずっと、
あたしの頭の中に、疑問が湧くようになりました。

戸の外に誰かいると思っていたのは、妄想だったのか?
あたしは、この世界にたったひとりで、
はるか以前からひとりで、そしてこののちも、ずっとひとり。

ひとりだから寂しいとか孤独だとかという意味ではなくて、
ひとりで完璧で、ひとりで幸福で、ひとりで「この世界」のすべて。
あたしはたったひとりだけれど、「この世界」=あたしの世界 には
「あたしの世界に存在する、あたし以外の、他の人たち」もちゃんといる。
「あたし」が笑顔になれば、「他の人たち」も笑顔になる。
「あたし」が不機嫌になれば、「他の人たち」も不機嫌になる。
ただ、映っているだけ。
あたしが、伝染 しているだけ。
ドーンとぶつかる振動は、あたしが笑顔になれば、心地いいものになり、
あたしが不機嫌になれば、恐ろしいほどの衝撃・気持ちが悪い揺れ に感じる。

そうなの?
あたしが世界なの?

あたしはそんな疑問を胸に、部屋の中を見回してみました。
部屋の中には、あたしがしてきた事・感じてきた事の各シーンの写真が
壁一面に貼られていました。
全部、「いい事」のシーン。
見た目が「いい事」
かっこうが「いい事」
倫理的に「いい事」
正義感という意味の「いい事」

なぜ、こんな「いい事」がいっぱいの部屋なのに、暗いの?
あたしはこの「いい事」を積み重ねてきたのに、なぜこんなに息苦しいの?
その「いい事の写真」は「たてまえ・表の顔」を映した写真ばかり。

部屋の片隅には、「本音・下心の写真」を入れてある箱があるんだけれど、
その箱からは「暗い闇」は感じられませんでした。


「暗い闇」は、なんと、地下から立ち昇ってきていました。
あたしは何年もこの部屋に籠城していたのに、地下室があるのに気が付かなかった。
いえ、たまに、とてもツーンとくる匂いがして涙が出たりしてたので、
この下になにか有るな、とはうすうす感づいていたけど、
汚そうで臭そうで怖そうで、見る気に、まったくなれませんでした。
息苦しいのは、もしかしたら地下から何か出ているせいかもしれない。
そう気が付きはじめました・・・

あたしは、
「鏡」が外にある「あの戸」が開いてしまうと困るので、
戸のロックをしっかり確認して、バリケードも頑丈にして、

そして、

床に敷いてあるカーペットに、おそるおそる、手をのばしました。
衝撃の事実を知る時間が近づいている事に、震えあがるほどの恐怖が襲ってきました。
何度も、めくるのをやめようかと思ったけれど、その時、そのタイミングが、
どこか彼方からやってきました。
それは自分のコントロールを超えていました。

コントロールできない、見えない力で腕を動かされて、
とうとう、カーペットを、自分の手でめくりました。
そこには、地下に繋がる階段の扉がありました。


あたしは、
絶望 しました。



・・・つづく→B
posted by 辰多みか at 00:43 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月19日

天照らす@

☆☆☆☆

アマテラスは、
弟のスサノオに怒って、
天の岩戸に隠れてしまいました。

世界は真っ暗になりました。

やおよろずの神々は、どうにかしなければと、知恵を出し合い、
「世界が真っ暗闇になってしまった時」に、皆がするであろう事と
全く逆の事を、しました。
アマテラスは、「全く逆の事をしている皆」の事を
不思議に思って、ちょっぴり、岩戸を開けてしまいました。

すると、目の前に、「鏡」が差し出されました。
アマテラスは、その鏡に映っているのが自分だとは気付かず、
自分以外にどんなすごい神様がいるのか、と思い、
もっと良く見ようと、岩戸をもう少し開けてしまいました。

その時、そのチャンスを待っていた、力自慢の神様が、
思いっきり岩戸を開け、さらに遠くまで投げ飛ばしてしまいました。

戸に隠れる事ができなくなったアマテラスは、
皆に歓迎されながら、世界に出てきて、また明るく世界を照らすのでした。


☆☆☆☆

あたしは、
妹びいきする母・働かない父・学級委員や無理難題を押しつけるクラスメイトたちに怒って、
心の殻の中の部屋に閉じこもってしまいました。

その頃から、あたしは、「ネクラ」と呼ばれるようになりました。
誰にも、心を開きませんでした。

何年も、そのままでした。
それでも何回か、暗い状態から、ぱっと目の前が開く時がありました。
それなりに楽しい事もありました。けれど、戸は開けてすぐ閉めました。
環境が変わり、新しい家族になり、
ますます、
あたしは戸をしっかり閉めるようになりました。
その間15年くらい、二重ロックのうえに、家具でバリケードまで作っていました。
家族は時たま、戸についている通風孔をわざとふさいだり、
熱湯や針や悪臭や催涙ガスを、そこから投げ込んできたり、
室温をものすごく暑くしたり寒くしたりしたので、
あたしも同じように、
熱湯や針や催涙ガスや爆弾を、
外にむかって投げたりしていました。
部屋には、ドーン、ドーンと、なにかがぶつかる音が、常に聞こえ、
そして振動していました。
振動が大きくなると、通風孔から、いろんなものがボトボト落ちてきて、
あたしはそれでヤケドをしたり、血が出たり、さんざんな目に会っていました。

戸の中は狭いので、だんだん息苦しくなってきました。
通風孔をふさがれなくても、息苦しくなってきました。
いえ、ただ狭くて息苦しいだけなのに、また家族がわざとふさいでいる、と、思ったりもしました。
ドーンドーンという振動は、収まる時がありませんでした。

戸を開ける気なんて、これっぽっちも起きませんでした。
もっともっとバリケードを築いて、どんな力持ちでも、開けられないようにしました。

投げつけられたら、投げ返しました。
血を流しながら、投げ返しました。
けれども、ちっともすっきりしません。
どんどん息苦しくなって、てめぇこのやろう!通風孔をふさぐな!と、
とうとう戸を開けて、文句を言ったら、

そこには誰もいませんでした。


誰も通風孔をふさいでいませんでした。
誰も針や熱湯や催涙ガスを投げ込んでいませんでした。


そこには、

「鏡」が、

ひとつあるだけでした。


・・・つづく→A
posted by 辰多みか at 14:24 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月08日

告白

あたしは、
いじめっこでした。

今日は、何かが降りてきてるみたいに感じるから、
過激に飛ばすつもりで書くよ。

マジでいじめっこでした。

いじめられた事?
あったような気もするけど、屁とも思ってない。

自分のタイプが、
いじめられるタイプか
いじめるタイプか どちら?と聞かれたら、
迷う間もなく「いじめるタイプ」

「いじめられる事」は、その後に可能になる、
仕返しの正当な理由を得た、くらいにしか思ってない。

そういえばハッキリいじめられてた(いじられてた)なー、と思うのは、
中学の時、英語教師(中年男性)から、執拗ないじられをされました。
あたしは目が大きいから、授業がはじまってすぐ、
「おまえは目が大きいなー。ギョッ!」と言って、
目の大きさをからかわれました。
で、眉毛も濃くてつながってた(中学生は眉を整えたら校則違反)から、
ずっと「つながりまゆげ」と言われました。
それも、一年間、ずっとだよ。ギョッ!とつながりまゆげが、一年間ずっと。

その頃の中学の教師は、みんな、叩き棒を持っていて、
生徒が思い通りにならないと、有無をいわさず叩く。棒や平手で。
それがあたりまえだった。
英語教師も暴力教師だったけど、その反動か笑いを取りたいらしく、
教室に入った一発目、「ターゲット」に向かってまっしぐらなのだ。
他のクラスで誰がターゲットになってたかは、興味なかったから知らない。
とにかく、クラスメイトのみんなは「ギョッ!」が出ると、愛想笑いでも笑うしかなかったの。
一度、笑わない男子がいて、英語教師は「おまえはなんで笑わないんだー!」と叫んで、
腹にグーでパンチをした。
(腹グーは、あたしも別件でされた事があるのよ。女子でもやるんだよ。)
今思うと、その男子は、教師よりあたしの方を思ってくれてたのだと思う。
誰だか忘れちゃったんだけど。ありがとう。

あたしは、いじ(め)られたけど、それで深刻に悩む事もなく、毎日学校に行った。
そりゃあもちろん嫌だったよ。でも、おどおどする事もなかったし、
自殺するほど悩むなんて考えられなかったし、先生の馬鹿野郎 くらいに思ってた。
同級生からのいじめは無かったし、あたしは委員長キャラなので(小中高と
毎年一学期は学級委員だったよ)どちらかというと、先生への復讐を、
虎視眈眈と狙ってたくらいだ。(でも相手は先生で大人だったからできなかった)
あ、英語教師は、「そういうタイプ」をわざと狙っていたのかな。
真剣に悩むタイプだと、あとあと面倒だしね。

あの英語教師はどうなったのだろう。珍しい名前だからぐぐったらわかるかと思ったら、全然わからなかった。
くそぅ、今だったらあたしも大人だから正々堂々と仕返しができるのにな(笑)。(←やらないけど)




posted by 辰多みか at 00:15 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月07日

悟るためのHow to

悟るには

絶望したりとか、無になるとか、
いろんな覚者の方々の、体験談を聞く(読む)のが一番わかりやすいんだけど、

どんな方法(How to)をとっても、
共通していると、あたしは思うのは、

悟るまでの過程で、

必ず、

必ず、

涙を流す

必ず、涙を流す

それだけは、必ず起きる現象 だと思うよ。

(だからといって、やみくもに泣けばいいってもんじゃないんだけどね)
posted by 辰多みか at 01:23 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年05月25日


こないだ書いたのでさ。



だから、人は、人を嫌いになったら、人を憎んだら、道をはずすのだ。

「嫌いになったらダメ」ということではないよ。ただ、道をはずすのだ。

「苦しい」という方向の、道に行っちゃうのだ。




道はね、正しい道も正しくない道もないんだ。

それは、たとえば、


はずした道は、イバラの道。

はずさなかった道は、う〜ん、なにかな? 綺麗でトゲのない植物でなにか無いかな?

アスパラガスとか。はっぱが気持ちいいよね。癒される植物だわ。


で、こっちの道は、ケシの道。

花は綺麗だけど、実の使い方が薬にも毒にもなる、みたいな。


こんなふうに、無限にいろんな植物(例えばね)の道がひろがってるんだよ。たぶん。

あみだくじみたいに。


でも上からみたらただの花畑で、綺麗だろうね。



イバラは、とげが痛くてみんなに嫌がられるけど、それでも本人(イバラ)は、

「あたしは悪くない」というか「あたしはこれでいい」って心の底から思ってるもんね。

ちょっと花も綺麗だしね。


そこを歩く人間は、「なんでこんなに痛いのだろう」と嘆きつつ、歩いて行くのだ。

その理由がわかるまで。
posted by 辰多みか at 23:00 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

借り物人生

あたしは、持ち家というものに、住んだ事が無かった。

結婚してからは、主人の両親宅なので、

あたしが「家を持った」という事は、無かった。し、これからも、もう無い。

でも、「まあそれでいいんだな」と、漠然と、思っていた。


それは、子供の頃は、まわりと比較して、辛かった時もあったけど、

いつの頃からか、「すべては借り物」と思って、生きてきたように思う。


人からの借り物ではなくて、天からの借り物。

役目を終えたら、天に返すもの。または、物質的な意味で言ったら、地に返すもの。


結構、年の幼い頃から思っていたと思う。

そうする(そう思う)事で、うらやましいと思う気持ち、ねたみ・ひがみが、

無くなっていた事も事実だ。


自分を卑下しないためにそうしていたのか? 道徳的なテクニックなのか?

あまりに昔から思っていた事なので、自発的な考えか、どこからか刷り込まれた

テクニックなのか、判断がつかないけれど。


それはいつのまにか、自分の体についても、同じ考えを持つようになっていて、

「この体は借り物だ」と、やはり漠然と思っていた。

あたしが「悟り」状態を経験するずっと前からだ。


けれどもあたしは、物を大切にしてこなかった。

扱い方が、雑だった。

それは、そういう環境の中で育ったから、他と比較できなくて、

そう育ってしまったんだけど。


大人になって、同僚と買い物に行くたび、物の扱いが雑だ、店の人に怒られるよと、

嘲笑の中で言われた。

仕事でパソコンを操作するたび、キーボード壊れない? と隣の人に言われた。

実際、タブレットのペンが使用不可能になるのは、あたしが一番頻度が多かった。


だけど、当時のあたしは、まったく、なにを言われているのか、わからなかった。

だって、あたしの家では、その力加減が、普通だったから。



今は、社会に出て、嫁に出て、みんなにそう言われて他と比べる事ができたから、

あたしは雑だったんだ、と、顧みることができる。


本当にあのまま生きてきたら、物はたくさん壊れただろう、そして、あたしはたぶん

その原因に、一生気付かない。


たぶんお金の貯まらない人は、こういう、物の扱いが雑な人で、その原因が自分の

力加減にあると気付いてない人だ。だってすぐ壊れるから、すぐ買う。



でも、決して、雑に扱おうとしていたわけではない。

あたしなりに、いつも最新の注意を払って、物を扱ってたんだよ。

丁寧に大切に扱ってるつもりだったんだ。


あたしは、物も、自分の体も、借り物だと、そうとう早い段階で気付いていたのに、

その、物の正しい扱いが、できてなかったんだ。

体の扱いも、同様だ。


せっかく、健康であることとは整体であること という言葉にたどりついたのに、

そこまで行く間に、自分の体の一部を失ってしまった。


たどり着くために失ったのか、失ったからたどり着けたのか、

それとも、ただの手遅れだったのか、

よくわからないんだけれど、

「借り物」だから、大事に扱うよ、最後まで。
posted by 辰多みか at 00:01 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2012年12月05日

「悟り」の描写

百億の昼と千億の夜 ていう、小説と漫画があるよ。

あたしは、これを高校生の時にどちらも読んだけど、





物語は、まったく、頭に入ってこなかった。



難しい? なんだ?


あまりにもよくわからないので、

何回も読んだ。6回どおりくらい読んだ。

じょじょにストーリーはわかってきたけど、

なんかオススメの言葉の、

「一番美しく、一番悲しいSF」という、フレーズが、

まったく、しっくりこなかった。

「悲しく」ないでしょ、コレ。



ただ、キリストが悪人に見えて見えて、しばらくの間イメージが消えなくて、困った。



まあ、あたしの感想は、おいておいて・・・



この物語の中で、今でも鮮明に思い浮かぶのが、


最後に、戦う少女神「あしゅらおう」が、「悟る」ところ。


たぶん、「悟りの境地」って、こんな感じなんだ。

てことは、この作者は「悟り」を体験してるんだ。

あたしも、こんなふうに、なってみたいな


て思うの。


あ、戦いたい、とかいう意味じゃないよ。



posted by 辰多みか at 00:00 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2012年08月08日

気付き

心のこと 




スピリチュアルなこと

アスペルガー 自閉症スペクトラム ASD

モラルハラスメント

整体であること

アダルトチルドレン インナーチャイルド

毒親 

インディゴチルドレン

アサーティブネス



いろんな、いろんな キーワードで


ネットの中を さまよっていた。




たどりついた ひとつの ブログから

心に ひっかかる 言葉を また 検索して


次の ブログやホームページに



渡り歩いていく。


最初に 書き出したのは


ネットをさまよいだしてから はじめて知った 言葉の数々。



それが あたしに 気付きをくれた。
posted by 辰多みか at 00:01 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。