2014年05月12日

私はアルファであり、オメガである


「ΑΩ」

このあいだ電車に乗っていたらね、
隣の三人組の男子高校生が、

男子A「なんで、オメガとアルファかなー!!」
男子B「アルファと言ったら、ベータだろ!」
男子A「なー!」
男子C「ガンマ? ガンマ!?」

と騒ぎながら席を立ち、駅で降りて行った。

あたしは、その騒ぎに唖然となったけど・・・
(あぁ〜、このこたちは、物理でギリシャ文字記号を習ったばかりなのね。)と勝手に納得していた。
そして、電車の中で物理だなんて、勉強熱心な子たちだな!と、感心していたのだ。
あまりの大声にはびっくりしたけど。

その夜、
あたしはいつも、一人暮らしの息子の安否を、
ツイッターで確認する(笑)ちょっとキモチワルイ母なんだ
けれど(自覚してるよ!)、その日の息子のツィートは、こうだった。


「 ポケモンルビサファリメイク



ポケットモンスター オメガルビー
ポケットモンスター アルファサファイア

2014年11月世界で発売! 」



これか!
これか!!
この事か!

高校生、勉強しなさい!(いろんな意味で)

・・・息子もだ!(ゲームばっかやってないで)





そしてポケモンは毎年、神掛る事が好きだなー。

この流れで行くと来年は、
ポケットモンスター阿
ポケットモンスター吽
だね。(注:ぜったい無いよ!笑)






(※あたしはゲームは超苦手で、やった事ないためポケモンのゲーム内容は全然知りません。映画をちょっとだけ見た事ある。)







posted by 辰多みか at 16:10 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2014年04月14日

大掃除の神さま

神様シリーズになっちゃった。
片づけの神
拭き掃除の神 と来て、
きのう、舞い降りたのは、それらを統括する、大掃除の神さまだ。

(また断っておくけれど、それらの神さまはホントは居ないんだよ〜。
自分自身が宇宙の神という事だけが本当で、
そのほかの神さまは、自分が名前を付ける事で、いっぱい生み出してるんだよ〜)

さあ、やってきました。大掃除の神様。
いつも「やる気がない」と、この日記に書き散らして、
どうにか「やる気」に戻って来てもらおうと、
日々方法を模索していたあたしでしたが、
やれる時は、やれるんだ、ね。

やったよ
やったよ、
しかも、家 2軒、
しかも、自分ちじゃ、ない!

壁を拭きながら、
「こんなの自分ちでもやってないよ(笑)」
「ひとのうちをやるくらいだったら、自分の家やれ!って言われそう (笑)」
と、ほかのおかあさん方と、自虐しながら、
掃除しまくりました。
高い所は、若い子にまかせて、
「あたしら高い所から落ちて骨折ったら、治りが悪くて大変だからね〜。」
「もう、骨がもろいでね〜〜(笑)」
なんて言うあたしは、おばさんか!(おばさんです)

ときたま、無心に窓を拭く瞬間とか、あった。
きのうは、まったく、「悟りとは」みたいな、
悟りを考える自我 が、沸いてこなくて、
無心に作業に没頭したわ。
そういえば、去年の3月も、そういう作業の多い年で、
まったく、このブログ用日記を書いてないわ。

森田療法では、目の前の作業に没頭するのが
神経症を治す方法、といわれているようで、
それは正解だろうなぁ、と、体感した一日でした。
それにしても、疲れて昨日は早く寝れたわ。

posted by 辰多みか at 10:58 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

わからんスピ用語



集合意識ってなに?




集合 意識 って なに?


わからん。


神さまのこと?


わからん。


あたしはやおよろずの神は体感したけど、
「集合意識」がなんだかわからん。
「同じ集合意識にアクセス」?
いみふめい。
そんなのどこにあるの?

あたしのワンネスと個々の魂(神)のイメージは、

その1・水銀が、コロコロして、くっついたり離れたりしてるの。

その2・水の中で、油が、くっついたり離れたりしてるの(そういう置物が
雑貨屋で売られてるのを見た事がある。正直、欲しかった。)。

その3・泡。もしくはシャボン玉。

その4・きりきざまれたリンゴ(べつにリンゴ限定ではないのだが)

その5・連続して接着されてる数じゃなくて、「1」単位でスライドできる性質の数。その性質とは、さくらんぼもち(駄菓子)の手触り。

その6・フルーツみつまめの中に入っている、寒天。(みつの中では、姿が見えない。)


なんだけど。
スピリチュアル界では、なにが「集合」しているというのだろう。


posted by 辰多みか at 11:35 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年12月13日

クリスマスプレゼント


神さま。

今年は、あたしにクリスマスプレゼントをください。

サンタさんじゃなくて、
神さまご指名です。

おねがい。

いつものあたしの新年の願い事は「世界平和」だけど、
おさいせん上げてまでする願い事は世界平和だけど、
今年は、年末に、クレクレします。

それは、盾 と
スイーツが入った籠(ひとに配る用) です。
両方くださいね。

今持ってる、矛 は、神さまに返します。

お願いします。










神さま : 「今、目の前にあるじゃん
     いつまでも遠慮してないで、早く受け取り給え」



あたし : !! (やっぱそうきたかー!!)



サンタさん助けてー

posted by 辰多みか at 15:05 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年12月11日

Will Love conquer Fear ?

No です。
ノー です。
のー です。
いいえ、しないでしょう。 です。

No,Love will not conquer Fear.

ブログのアドレスにしておきながら、答えは、ノー なんです。

愛(あい)は畏れ(おそれ)を克服しない。 です。


なぜかというと。



愛と畏れは、同時に存在して良いからです。



愛と畏れが同時に存在しても良いよ、て、言ってあげるのが、
愛 なんです。

「愛」は「愛と畏れ」の果ての、向こうから、こちらに降り注いでいるんです。
だから、「愛」と、「畏れ」は、それぞれ存在している次元が、異なっているんだよね。
愛は、全次元に存在しています、というか、「存在」が、イコール「愛」です。




(ブログのアドレスは、この記事のタイトルから、Willを抜いた、疑問形のつもりなの。
だから、conquerに、三単現のsが付いていなくて、原形なのよ)

posted by 辰多みか at 15:47 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年11月21日

全知全能「が」神

「全知全能の神」 って いうじゃん。
神さまって何かな、と言うとき。
ふつう、そう言うよね。

でもそれが、誤解のもとなんだよ〜〜。
もうかれこれ2000年も誤解されてるわ。

そうじゃなくってさ。

「全知全能」が、「神」なの。

全知全能「の」神 じゃないんだよ〜〜。



神がいっぱいいて、その中の、全知全能の神 という意味ではない。

宇宙を作った「全知全能」が、いて、
それに、「神」という呼び名を付けたってだけだよ。
ただの、定義。約束事。

別に名前はなんだっていいし、むしろ名前なんてない方がいい。
名前をつけちゃうと、「どんな名前でもいいという全能性(自由度)」が
無くなるから、定義に矛盾してしまう。

これは、悟りの世界を、ちょっぴりだけでも体感すれば、理解できるようになるよ。
悟りの世界、非二元を体感するには、見たくない過去の自分の、痛い体験を、
もう一度、体験しなくちゃいけないんだけどね。
こんなふうに→http://loveconquerfear.seesaa.net/article/380719635.html
posted by 辰多みか at 10:42 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

神様が本当に公平だという話


神様はね、前記事にも書いたけど、

神様って、ただの、1 だし、
ただの、 有る だし、
ただの、 在る だし。
一部で全部で、ポジでネガで、裏で表なの。
ああ、そうそう、神様に無いものはなにも無いけど、ひとつだけ、ないものが、あった!
それは、「無い」が無いの。 それが神様。
「欠けてる」「不完全」は神様に有るけど、「無い」は、無い。

なの。


それで、神様は、ほんとうに本当に、公平なんだ。
そして、神様が作ったものは、全部、愛でできているんだ。
神様は、すべてを、全力で愛しているの。
全肯定 しているの。

というか、「そういう存在」のものを、神 と呼ぶ定義なんだよ。

人にはそれぞれ、「幸」と呼ぶものと「不幸」と呼ぶものが、交互にやってくる。
ひどい仕打ちを受ける事もあるし、殺される事もある。
けれども、それも、全部神様の愛なんだ。
(だからといって殺人をしてもいいよっていうモラルの話ではないよ)

みんな同じだけ、幸も不幸も、受ける運命にある。
けれども、いつも幸せそうか、いつも不幸せそうなのかは、
神様側の問題ではなくて、受け取り側の、問題なんだ。
だって、数を見れば、わかるじゃん。
「幸」が1/2で「不幸」が1/2。
みんな、多少の誤差は有れども、だいたいその範囲に入るんだよ。

殺される事が愛だなんて、信じたくないでしょう。
信じなくてもいいし、これは宗教じゃない。
(信じろって強要したら宗教になっちゃうよ)
なぜそうなのかというと、それは、神様が本当に公平だからで、
神様は、殺人を犯す人でも、全力で愛しているからなの。
殺人を犯しても、その人は、生かされているの。
生きる事を、許可されているんだよ。
その人の存在は、全肯定されているんだよ。神様に。
だから、神様が言うセリフは「いいよ。」「在って、いいよ。」
だけなんだよ。
全肯定だからね。
殺人犯した瞬間に消えて無くならないからね、それが愛の証拠。
うん、だからと言って、相手がある事だから、殺人はよくないけどね。
神様は、世の中の仕組みも作ったので、そういう事はする人は、
損するように、できているんだよ。
それも神様の愛なの。

posted by 辰多みか at 23:16 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年10月08日

ナルシス


美しい ナルシスへ


ねぇ

気付いて

あなたが見ているのは

鏡。

それは鏡に映ったあなたの姿


あなたは自分の半身を、とうとう見つけたと思ってるけど

それは、半身ではないのよ。

左右逆に映っただけの

鏡像なの。

けっしてあなたと一体になる事はない。

早く 見限って 解放してあげて。

あなたが見ている限り

鏡像も

あなたから目を離すことができない。


早く 本当の 半身に 気付いて

あなたの足元に。

あなたは「無い」と思い込んでいるけれど

地中に 根 がある

あなたの ルーツ

あなたの 根源

左右逆転の鏡像ではなくて

色調反転した "醜い"あなた

地中に埋めてしまった 本当のあなたに

はやく 気付いて。


私は こだま

あなたの エコー

私ができる事は

あなたの言葉を 繰り返す事だけ

あなたの振る舞いどおりに 震える事だけ

真実を あなたに伝える事ができない

はやく 気付いて


肉体が滅びても

また生まれ変わってしまう

この鏡の世界に。

あなたがそんなに愚かだと

人間以下に 生まれ変わってしまうよ

はやく 気付いて
posted by 辰多みか at 11:07 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年10月06日

神(仮)

真理関連の冊子を昨日駅でもらって
読んでたら「神」という名前について、はっと気付いた事があった。
まあ、何度もはっと気付いていた事だけれど。
(もらった冊子には、神とはいっさい書かれてませんでしたが。笑)

何回も書いてるけど、一般に認識されてる「神」と
悟った時にわかる「神」と、どこが違うのかな〜ていう事。


『万物を創造したのは「神」』という言葉についてね。

一般の人は、『「神」が、万物を創造した』 と、思ってる。
神という名前の人格みたいのが、創造した、と、思ってる。
それはあたしも、悟る前は、そう思っていた。
だって、そう、書いてあるじゃん、て、思ってた。

悟るとわかるのは、「それは誤解で、その認識は間違ってる」って事。

話を整理するとね。
『「神」が万物を創造した』 ってのは、誤解を招きやすいけど真実。
そう、真実なのだよ。
真実なのに、一般の人は、すべての人が、誤解をしている。

本当の真実は、
『万物を創造したものの事を、「神」と定義する』 なのですよ。

ん? わかりにくい?

一般の人は、昔から伝承されてきた、『「神」が万物を創造した』という
言葉は耳にするけれど、そもそも「神」を見たことがないから、
「神」なんていないと思っている。
だから、「神」が万物を創造したわけがないじゃんと、漠然と思っている。

本当の真実は、そうではない。
真実は、万物を創造した「なにか」が確かに存在して、
その事を仮に「神」と定義した、ってだけ。
「神」という呼び方が気に入らなければ、別になんて呼んでもいい。
「創造主」でもいいし「ヤハウェ」でもいいし、「それ」でも、
「あれ」でも「  」でも、「天」でもいい。

そう、真実は、『万物を創造した「なにか」が確かに存在する』 なのだ。

悟れば、その「なにか」が、一瞬でわかるようになる。
その「なにか」について書かれている書物が「本物」か「偽物」か
一瞬で、わかるようになる。
「あの宗教」が、本物か偽物か、一瞬でわかるようになる。
それが「神」なの。
まあ、「神(仮名)」なんだけどね。

posted by 辰多みか at 14:32 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年08月31日

瞑想する目的A

横道にそれてしまって、@は目的まで行かなかったわ・・・
ヴィパッサナー瞑想のこと。
あたしは今、悟り後の修行中で、生き返って肥大してしまった「自我」に
ほとほと手を焼いていた。
(それの説明を書こうと思ったら、横道にそれて長々時間を取ってしまった・・・)

終着点も、登山の頂上も、人生の宿題の答えも、
全部見ちゃったのに、そこまで、た  ど  り  つ  け  な  い 。

主人と、夫婦喧嘩っぽくなった時、あたしの口からは決まっていつもこの言葉が出た。
「どうすればいいかはわかってるのに、心がついていかない。
今努力している途中だから、もう少し待っててほしい。」

どうすればいいか・・・それは、ゆるす 事。
相手を ゆるす 事。
響子さんを ゆるす 事。
そして 自分自身を ゆるす 事。
これは知識としてhow to で知った事ではなくて、
あの時、悟った時、瞬間で理解した事。
でもでもでもでも、で  き  な  い。
なにかが引っ掛かっているんだ。
そうだ、あたしは、ずっと逃げてきた。
相手と向き合う事、自分と向き合う事。
(自分と向き合う事は、一回だけできたの、自発的に。その時、悟ったの)
まず、相手としっかり向き合わなくてはいけない。

あたしは、ずっと「ノー」と言えずにいた。
そのほうが、あたし自身にとって、得だったから。
でもそんな心の状態で言う「No」って、ホントの「No」じゃないんだよね。
取引してるんだから。
取引してるから、ホントに見間違うほどホントに見える、ホントではない「ノー」を
いっぱい言ってきた。
いうたび、苦しかった。
結局、ぐるぐる回って、逃げまわっても、「ノー」というしか道が無かった。
それが、「宿題」なんだもん。
神様は、「ほらほら♪」と、楽しげに、目の前に宿題を出してくださる。
まあ、神様って、自分自身なんだけどね。
フタをして仕舞っている自分自身に、地獄の叫びを上げさせる、センサーのボタン。
そのフタの中から、あたし自身を救い出さなきゃ。

そう思って、
この日記を書き始めた。
たしか悟りがあったのは2008年だから、(よく覚えていない、
リーマンショックの前で、2006年以前では無い事だけは確実)
4年くらいもんもんとしてたわけだ。
ずっともんもんとしてたわけではなくて、
2009年から、統計学経由で、数の世界に入り込んでしまって、
そのあまりに素晴らしい、美しい世界に引き込まれて、
一年くらい、数の世界に入り浸っていたかしら。(主にネットで)
あたし、高校時代は数学が大嫌いで、文系だったのにね。
数式が映し出す恍惚の風景。
そして、虚数空間で出会った、たったひとりの神様。
ワンネスって、この神様の事だよ。
あたしは説明がヘタだから、誰かうまくこの神様の事を説明してくれないかな。
一言でいうと、「人間原理」が一番近いかな。
「人間原理」って、トンデモではなくて、立派な物理学の論理だよ。

あら、また、瞑想の目的まで行けなかったわ・・・
昨日と同じ事を、違う言葉で書いてるだけだ・・・
posted by 辰多みか at 22:33 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年08月30日

瞑想する目的@

あたしは、今、悟り後の修行中だと思う。
一度"死んだ"自我は、すぐ蘇って、
あたしは、宇宙との一体感も、至福・至高も、体験せずだった。
ワンネスも、今ここも。
体験していない。
体感していない。

それではあたしは、"あの時"、何を体感したかというと、

自分が神様だった!(自分の想像を遥かに超え、奇想天外すぎてびっくり)
みんなが神様だった!
目に見えるものすべてが神様だった!(これが古来、八百万の神といわれてるモノだ)
愛でしか人の心を動かせない!
なぜかって、あたしはみんな、みんなはあたしだから。

ここまで一瞬で理解したのに、ワンネスっぽい所まで理解したのに、
「ワンネス」を実際に体感するのは、しばらく経ったあとの事。
「数の世界」に入って行った時の事だから。

数の世界にいた神様は、たったひとりだった。
ホントに、たったひとりだった。
でもそれは、厳密にいうと、体感 ではなくて、
目で見た、だったの。
「ワンネス」を理解したのは「体感」ではなくて、
「目で見た」なの。
この違い、わかるかな?

どういう事かというと、
数式(○○の公式などと云われているもの)を目で見て、
その計算結果を、頭の中で、図形化したの。

神様は、ひとつの数式では、表せない。
神様を表すたったひとつの数式って、たぶん無い。
なぜかというと、見る方向・角度・気分によって、形が変わるから。
そして次元も超えるし、たぶん、ゼロも超える。
次元を超える、というのは、多次元 ということで、
ゼロを超える、というのは、多元 ということ。

逆にいうと、今わかっている多くの数式の解を、座標上で光らせてやれば、
そこに、神様のシルエットが浮かび上がる。
一部分だけれども。
たくさん数式があればあるほど、見えてくるんだよ。
そう、アタック25のパネルみたいに。(古すぎて伝わらないかな)

あら、瞑想の事を書きたかったのに、横道にそれてしまったわ。
毎度毎度、同じ内容の話でごめんなさい。
ヴィパッサナー瞑想について書きたかったのにな。
posted by 辰多みか at 16:15 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年07月15日

スピノザの神と神話の神

アインシュタインがね、

スピノザの神だったら信じる、と言ったという。


スピノザという名前の神様ではなくて、

スピノザさんが感じた、神さま の事ね。

そしてスピノザさんは「エチカ」という本を書いたの。

本を読んでないから、憶測なんだけど、

(内容はwikiで調べたの…)

この神様は、おおいなるひとつの神様、

この宇宙の法則、だと思うの。



数を扱う者は、数の世界のむこうに、神を見る。

それは昔から今も、同じ体験で、

みんな感じるのは、同じ、ひとつ神。


今の宗教(キリスト教・仏教・イスラム教)が言ってる 神様 と、もともとは、同じなんだけど!

宗教はね、なぜ「本当(の神様)」が伝わってないように感じるかというと、

宗教を伝える人、聞きにくる人の、受け手の準備が整ってなかったと思うの。

「受け手の準備」とは、ハッキリ言って、「悟る」という事なんだけど。


悟った内容は、悟った人に対してしか、正しく伝えられないの。

それって無理だよね〜。

神様を知りたいのに、救ってほしいのに、だから宗教をやるのに、

それが本当に正しく伝わってるかどうかは、

「伝わった後の状態」に、「伝わる前に自発的に」ならないと、わからない仕組みなんだもん。

だから、伝える伝えない、教える教えないは、ハッキリ言っちゃうと、全く無力なんだよ。

「悟らない」からわからない、「悟った」からわかる、ただ、それだけ。

うん、いくら聖書で、神とはこういう方です、と書いても、それをいくらみんなで伝えあったとしても、

一度、神を体感しなければ、「神」は絶対わからない。


あら、脱線したわ…


そう、スピノザの神とは、おおいなるひとつの神。

数を扱ってる人たちが感じる神様感と同じで、今ワンネスと呼ばれてるものと

同じもの。

同じなのに、ワンネスとどう違うかというと、数の世界の風景の果てで出会えるところ。

(数の世界の神様には、とりあえず悟ってなくても出会えるんだよ。そこが違うの。)


スピノザさんは、真に悟ってるから、

内面を探っていった神様とおおいなるひとつの神は同じものと言ってると思うよ。




で、あたしが、人間ひとりひとりが神様、と感じたのは、

日本神話の神様とか、ギリシャ神話の神さまとかね。

(実際問題、神話の神様って、ホントの神ではない気がするけど)

万物に神宿る、みたいな、ソレ。

それが、みんなが対話する、「おおいなる自己」「ハイヤーセルフ」

「天使」「インナーチャイルド」「本性」と呼ばれるものだと思うの。

"そういうふうに呼ばれるもの"は、ワンネスと違って、

肉体を持っているよ。それは自分自身って事なんだけど。


「悟った人」「真理を知っている人」が、神話の神様 のモデルだったと思うの。

(おはなしとして伝わって来るうちに、どんどん変形していっちゃった感じはするけど)




でね、神話ではなくて宗教の神さまは、もともとは、スピノザが感じた神様とか、

あたしたちが内面を探っていって出会える神様と、まったく、まったく、同じものだった

はずなんだけど、さっき書いたみたいに、悟った人どおしでないと伝わらないから、

悟ってない大多数が「神様に名前をつけ、」「神様の片面だけしか言葉で表さないから

(もともと神様は言葉では「片面」しか表せない仕組み)、」

いつのまにかひとりの「神様」という、人格ができてしまって、

それがひとり歩きしている状態なの。ヤハウェとかエホバとかね。

スピノザは、その「人格を持った神さまを信じてる悟ってない人々」に、いっぱい批判されてたと思うよ。


あたしも、アインシュタインと同じく、今の宗教が言っている神ではなくて、

スピノザの神だったら信じるなぁ。

というか、スピノザの神って、「ホンモノ」だと思います。
posted by 辰多みか at 23:57 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

自問自答・天野聖子さん

わー!!

今、本屋に行ってきたんだ。

娘が買いたい本があるから、あたしはつきそいで。(兼運転手)

あたしはいつも、スピリチュアルコーナーとか、

自己啓発コーナーに、行くの。


そして、背表紙の題名や、平置きされてる本の題名や帯を見るの。

だいたいね、書かれている内容は、中を見ないでも、わかるよ。

(超能力があるとかいう意味ではなくて、"悟れば"わかる事が書いてあるはずだから)

だから、ほぼ手に取る事は無い。


特に、心屋さんの本の題名は、うっかり手に取ってしまうと、

もしもね、そこに"悟った仲間"がいたとすると、

「あー、あの人、早く悟ればいいのに」と思われちゃうような、

ヒッカケ問題みたいな題名が付いてるのがいっぱいなので(笑)

そうそう、

「あの人、自分の身の回りに起きてる事は、他の誰かのせいだと思ってるんだろうな」とか、

そう思われちゃいそうなのがいっぱいなので(笑)、

ぐっとこらえて、手に取らない(けどアマゾンで、一冊買おうかと思ってるの)。


今まで自己啓発系で買ったのは、斎藤一人さんの二冊と「神との対話」三冊 だけだよ。

しかも、神との対話は、第1刊の1/3までしか読めてない。

厚すぎるとくじけてしまうのだろうか。あと10倍くらいページがあるのに。

というか、頭の中で自分の考えが浮かびに浮かんでしまって、ぼーっとしてしまうから

読み進められない。


今度、心屋さんと阿部さんの本を買ってみようと思ってる、というか、

アマゾンに注文したけど、品切れでまだ手元に来ないの(待ち遠しくてワクワクするよ)。


そしてね、さっき、いつものように本屋のそのコーナーをさまよっていたら、

一冊の本に目がとまった。

長くて良く覚えきれなかったので、一部分だけ、「自問自答法 天野聖子」さん、

だけ覚えた。

あたしは、最近、実践法を探しているので、これはいいかもと思って手にとって、

最初を読んでみると…

まず瞑想みたいに自分に問いかけ…答えてくれたのが

"ハイヤーセルフ"だったんだって。

それを見て、あたしは、

あたしが"やおよろずの神"と思ったのは、"ハイヤーセルフ"の事だ。と思ったの。



読んだのはちょっとだけだけど、天野さんは"本物だ!"と確信したよ。


そして、本は買わずに(!)うちに帰って、すぐググったの。

YOUTUBEとかすぐに出たよ。

うん、本物の表情! YOUTUBEを見ていて、びっくり…

人間は…円で書くと、4層の円になっていて、

一番表面が肉体、次が心、次が魂、次が霊。そして、それを縦に書くと、霊の次は、

大宇宙大自然の叡智…


そう、あたしは、この「霊」を「やおよろずの神」と感じ、

「大宇宙大自然の叡智」を、「ただひとつの神様」、と感じている。

天野さんは、「宗教じゃないから「神」と書きたくないけど、

本当は神様」とはっきりおっしゃっている。

そう、「霊」が人間の中にいる神で、

「大宇宙大自然の叡智」が、宇宙創造主としての神様。


そう、そう、そう!

「霊」はあたしは「やおよろずの神」と思い、

「魂」はあたしは「本性」と「本当の自分」と思い、

「心」はあたしは「表の顔」と「本音」と思い、

自分で意識してコントロールできるのは、「肉体」→「表の顔」→「本音」まで、

死んだ時に無くなるのも、「本音」まで。

「本性」は完全に無意識だから、コントロールはできないけれど、

無いものとしてフタをして生きるか、フタをしすぎて苦しくなって、

覚悟をしてフタを開けて、見るか。

(その時、「本性」はただ、在る、と、みずから言うの。そして自分は悟るんだよ。)


そう、そう。

言葉の定義の違いなだけ。

そうなんだ。

こうやって図形で見ると、ホントそうだわ〜、と思う。



いろんなスピリチュアル・宗教で、みんな好き好きによんでいる、アレ のこと、

うん、一回、誰か統一してくれないかな〜(他力本願…)。


そう、それでね、天野さんは「心」と「魂」は陰と陽で"相対"性があって、

「霊」は"絶対"性があるとおっしゃってるけど、

それはあたしは、

「神(霊)」は、まえも書いたけど、

白であって黒。

上であって下。

中であって外。

わたしであってあなた。

わたしであってわたし以外のすべて。

だからだと、思うよ。


うん、いつも本屋で見てるはずなのに、目に入ってこなかったなー。

もう10年くらい前からセミナーとかされてるみたいなのに。


やっぱり、人間って、自分が関心のない、というか、

必要ないと思ってる事って、目に入らないように、できているのね。

今は、目に入るタイミングなの。
posted by 辰多みか at 22:45 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年07月13日

スピノザとパスカル

スピノザのエチカと

パスカルのパンセを

読まなくちゃ。

図書館にあるのかな。


posted by 辰多みか at 00:49 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年07月02日

目が付いて無いからね


なんで自分の事が世界で一番"わからない"のかな。

ちょっと考えてみて、ふっと気づいたんだけど。


それはね、なんでかっていうと、

自分の内側に、目が付いて無いからね。
posted by 辰多みか at 23:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

かみさま は 形容詞


なぜ、一般の人々に、あたしがいう"神様"が受け入れられない

(理解がむずかしい)のだろうと考えて、

その理由に、はた、と行きあたった。


"かみさま"というのは、

名詞じゃなくて 形容詞 だった!


"かみさま"というのは、便宜上、あたしはそう呼んでいるのであって、

感じる人によって、どう呼んでも、良くて、

他の人はね、"天使"とか"ミカエル"とか"ハイヤーセルフ"とか、

はたまた、仏教に出てくる、"なんとか天"(ごめん詳しくない…)

とか、あるいは、日本古来の神様達とか、

みんな、好きずきに呼んでいるの。


ただただ、感じるだけだから。


あ、ひとつ、決定的に言えることがあって、

あたしがいう"神様"と同じモノを表す時、

誰も、"キリスト"とか"釈迦"とか言わない、ということは、

みんな一致してるかな。


だって、キリストと釈迦は、あたしたちと同じ並びだもんね。人間だもん。

"キリストは神ではないです"と、あたしは、あえて言う。

こういうと、反発されそうだけど。

キリストは神です、というのと同時に、わたしたち人間はすべて神です。

と言うのだったら、キリストは神 で正解なんだよ。


わかるかな〜。



釈迦は仏です というのと同時に、わたしたち人間はすべて仏です。

と言うのであれば、釈迦は仏ですでOK。それだけでなくて、釈迦は神です。でもいいんだよ。


わかるかな〜。



で、タイトルのこと。

文字で書くと "かみさま"は、名詞 っぽく見えるから、

混乱するんだよね。


"かみさま"って、 形容詞 なんだよね。

「大きい」「小さい」「熱い」「暑い」「痛い」「美しい」 これは例だけど、

こういうのと、同じなの。

(う〜ん、これで、ホントにみんなに伝わるかな〜。)


あたしが初めて浜崎あゆみサンを生で見た時、

「あれ? ちっちゃい〜」と感じた、あの感覚。


近所の、なんてことない取り壊し中の工場の前に立った時、

「津波の被災地はこんなふうなんだ…」と悲しみと畏怖が同時に襲ってきた、

あの感覚。


速水もこみちサンの ※等身大です※ と書かれたパネルを見て、

「背が高い!!」と、駆け寄っておもわず背比べをした、あの感覚。


そういう感覚と似てるのが、"かみさま"という言葉なんだよ。

うん、"状態"なんだよね。

かみさまって。
posted by 辰多みか at 23:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

神様の中にゼロは有るのかな


あたしはねー。

思う事は。



「神様」が、「1」だと仮定すると、

「1の神様」の中には、ゼロは無いと思う。

神さまは、完璧のはずで、なんでもありのはずだけど、

中に、ゼロは、無いと思う。

ただ、ただ、感じるのは、神様が「1」とすると、

「1」を形づくるために、「ゼロ」が、ふちに必要 なの。


だから、「1」と「ゼロ」は、セットなの。

中にはゼロは無くて、ふちがゼロなの。


神様が「1」だとして、

その神様の世界の中で、アキレスと亀が競争すると、

アキレスは、絶対に絶対に、絶対に、亀に追いつかない。


だって、なぜかというと、アキレスと亀は、神の中に、他者とのへただりなく存在するから。

アキレスと亀は、同じ濃度で同じように神の中に溶けているから。

この状態が、昔の人が悩んだパラドックスの、初期設定だよ。

うーん、過去も同じ事を何度も書いているけど、みんなに伝わっているのかしら。



おおきな「1」の中にアキレスと亀が存在してると仮定すると、

その時、アキレスと亀は お互い、0.9999999999…と 0.9999999999… なの。

足して「1」にならないんだけど、そこは、イメージしてね。


神の中に同時に存在できるって事は、体が無く魂だけか、魂がなく体(遺体)だけか、の

どちらか一方の状態だから、この場合は、体が無く魂だけなの。

この場合、ていうのは、「競争してる」という場合の事ね。

だって遺体は競争できないし。


わかるかなー。

うーん、伝わるかなー。

イメージしてほしいんだ。

あたしがイメージしているように。


だからね、人ひとりひとり、亀いっぴきいっぴきは、個々として存在するならば、

神様の中で、

ゼロをまとって、

個々の「1」になる必要があるんだよ。


神様の中で、ゼロをまとってアワみたいに分裂すると、

そのひとつひとつが、神様、になるの。

だって中にゼロが無いから。


イコール 人は神様 亀も神様

神様は無限にたくさん出来て、そしてその数に応じて無限に小さくなれる。

小さくなれる、というか、逆に、意識を向けて見つめると、その部分が拡大してくるから、

全体が同時に大きくなって(同じ拡大スケールで)、神様が沸き出てくるような感覚なのよ。

そう、0と1の間に存在する、1/素数 の果てを考える時と同じ感覚で。

(1/素数 に、果て は無いんだけどね。絶対ゼロにならないからね。)

うん、これは、あたしが一番最初に感じた、「やおよろずの神」なんだよなー。




あ、このひとつひとつがやおよろずの神だから、

「大いなるひとつの神」とは、

すべてのアワの集合体、つまり、

ゼロをも内包する、ホントの、すべて だ!

あ〜、たぶんそうだわ。

数の世界の神様はこっちだわ。

うわー、これはあとでじっくり書こう。




ちなみに、アキレスと亀が個々に「1」と「1」だったら、

アキレスは亀に追いつきます。

抜くこともできます。


計算してみてね。

(そしてあたしにコッソリ教えて)

posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

天使からのメッセージ


今ね、ベランダに出たら、

ピンクのハート型の、バラのはなびらが一枚落ちていたよ。

ここは二階のベランダだから、庭のバラがここまで飛んできたんだね。

そういえば、さっきすごい風だった。


「天使からのメッセージだ!」て思った。

ピンクで、

ハート型で、

薔薇で、

なんてったって、名前が「アンジェラ」だからね。

んで、メッセージはなんだろ??

まあ、今日も昨日もいいこと続きだから、

それかな〜?

posted by 辰多みか at 23:03 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月16日

世界平和の祈り


あたしは、

人類が全員悟ったら、

世界から争いはいっさい無くなると思うよ。


で、今、


キリスト教で祈るみたいに、

顔の前で手を組んで


「世界が平和になりますように。皆が悟りますように」と

祈ったんだけど、


コレ、自分の中からの導きで、今までもたまにやってたんだけど、



祈りながら、



あれ〜? 神様は、


平和も望んでないわ〜



と、

思っちゃった。

というか、

もともと知ってたっけって、

再確認。



神様は、

なんにも望んでない!


戦争も望んでないけど、

なんと平和も望んでない!


ありゃりゃ〜


そうか、それでこそ、神様か。



神様は、

「どうでもいいよ♪」と

言ってるだけだわ〜。


そう、文字どおり

「どう在っても良いよ」と

言ってるよ〜。
posted by 辰多みか at 23:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月15日

アダムとイブが隠したのは本当は顔じゃないの?


アダムとイブが、善悪を知る(知恵の)実・リンゴ?を食べて、

自分たちが裸でいるのに気が付いて、

恥ずかしくなって、お互いに違う部分を隠したという言い伝え。


一見、そうだな〜、と納得するけれど、

善悪を知る、のが「自我の芽生え」だとすると、

隠すのは、局部ではなくて、


顔じゃないの?

とあたしは思ったよ。今日。


むしろ局部は積極的に、出す(笑)。



あ、手で顔をおおい隠す、というのは、違うよ。

どっちかというと、仮面を付けるというのが、近い。


局部を隠したとばかり思ってたから、

いまいち、この例え話が、あたしは何十年間も腑に落ちなかったのかもしれない。



この話が、男と女、ひとりずつしかいないという前提だから、

誤解されるんだ。たぶん。


これが、男と男 とか 女と女 であっても、

リンゴを食べれば、(実はリンゴと決まってるワケじゃないんだって)

恥ずかしくなって、隠してしまうんだよ。

自分を。

本当の自分を。

本当の自分を、恥じて。



だから、自分の、本当のありのままの、顔を隠して、

いい顔をしてみたり=見栄を張ってみたり、

被害者面をしてみたり、

病人をよそおってみたり、

してるんじゃないの? あたしたちは。


アダムとイブが、自我に目覚めてから。

何年も何年も。何万年も。



辛いな〜。

これじゃ、自我に気付くのが、なかなかできなかったはずだわ。

だって、人間、何万年たっても、進化してないじゃん!


そうだ、本当の自分を恥じるのは、大罪だ。

だって、それは、神を否定するということ。

自分=神だもんね。

神への冒涜だよ。


いやん、こんな罪。

あ、リンゴを食べちゃだめっていう約束を破ったから、こうなったのか。


アダムなんか、のどに詰まってるんだから、

がんばれば吐きだせるかもしれないじゃんね。がんばれ。

あ、でも、もう食べちゃった事自体が、ダメポイントなんだから、

吐きだす、吐きださないは関係ないか…

白雪姫じゃないんだし…


白雪姫はオールオーケーなのに、

なんでアダムはだめなんだよ…

解せない。
posted by 辰多みか at 23:03 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

ただ風がふいているだけ。ただ雨が降っているだけ。


どこかで聞いた歌の歌詞みたいだ。



自分が「自我」を映して見ているモノは、幻で、

事象は、確かにあるモノ。


それは

風がふく

音がする


そんなレベルって、前に書いた。



そう、


ただ風がふいているだけ

ただ音がしているだけ

ただ雨が降っているだけ

その雨粒で、水の上に波紋が拡がっているだけ

ただ川が流れて

海に流れ込んで

波がよせてはかえしているだけ


事象は、

ただそれだけなんだ。


たとえその事象が、「自我」の目には、「戦争」と映っている事であっても。

子どもの誕生と映っている事であっても。
posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月14日

父と子と聖霊


きのうは、父は神様で子は人間で聖霊は悟った人かな〜と思ったけど、



父は神様で、

子は肉体で、

聖霊は自我かなぁ〜
posted by 辰多みか at 23:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月13日

メモ アカシアとカーネーション


これから調べること。

アカシアは 空(くう)。

…マメ科の木じゃないよ、この場合はね…


カーネーションは 肉。


…昨日は母の日だったけど、赤い花じゃないよ、この場合は…

カーンも 肉。

カーニバルとカーネーションは、語源が同じだよ。

(カニバリズムは語源がほんのすこし違うみたいだ)



「父と子と聖霊」の、

父が、神様で、

子が、人間で、

聖霊が、悟った人(キリストとかブッダとか、あともろもろ)

と仮定すると、


カーネーションは子だけど、

アカシアはどっちだろう。

あともうひとつにあたるモノ(できれば花の名前で)は、あるのだろうか。


リインカネーションは、転生輪廻だよ。

アケイシャも、どっちも、ユーミンの歌にあるわ。

ユーミンはすごいな。悟ってるね。たぶん前世でね。


あ、もうひとつは、コスモスだ!!

コスモス=神?


カオスも神だと思うけど。花の名前じゃないな。

あれ違うな。

コスモスは神ではないね。


神の法則の結果がコスモスだから、コスモスは、個々の人(精神)になるね。


あ、じゃあ、

アカシアが神で

カーネーションが個々の肉体で

コスモスが個々の精神か?


そうなの?
posted by 辰多みか at 23:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

すべては幻だけれど事象は存在する。


事象。

ものごと。

起きるものは、起きる。


それについて、自分がどう感じるか、というトコロが、「幻」。

だから、自分が「嫌」と感じてる事について、

「幻だから、」

と考える所までは、良い。

だって、自分にとっては嫌かもしれないけど、

よその人では、そんなこと気にも留めない人とか確かにいるからね。

だから、感じてしまうのは、あくまで「自分の問題」だ。



で、次に続くところが肝心。


「…我慢する。」

それは、ダメ。



「…なかったことにする。」

それもダメ。




なんでダメかというと、「自分」はそれで心の安定を得られるのかもしれないけど、

ずっとそうし続けていると、ついには苦しくなって、動けなくなってしまうから。


あたしがそうだったから。


「苦しい」というのは、神様が「ソレ間違ってるよ」と教えてくれているの。



すべては幻なんだけど、

事象は確かに存在する。


たとえば、

「音がする」


「風がふく」


そんなレベル。




あたしはこの家に嫁に来て


嫁だから言われたことには、従わなくてはと、


ものすご〜く、無理してきた。


「言われたこと」を窮屈だ、せまい、不自由だ、と感じてきた。

その感情は、「幻」なんだけど(去年ハッキリ気がついたよ)、

事象は、確かに、有る。


「言われる」という事


「音がする」という事。

それは、幻ではない。


だから、「少し音を立てる頻度が多いよ」と言うことにした。


言わずに我慢して、我慢の当然のご褒美として相手を呪うことができて、

(そして、気がつかないうちにそれは相手を呪う事じゃなくて

自分自身だけを呪うことになる)、心の安定を「相手から」もらってる

状態が、それまでのあたしだった。



でも、そうじゃないんだ。

表の顔の「あたし」は、

あたしが意識できる「あたし」は、

相手を呪おうなんて、思ってもみなくて、

気付いた時、どひゃーっ!!ってなった…



一番最初の、どひゃーの時、あまりにびっくりして、悟っちゃった。



だからね、

「音をたてないで、とはいわないけど、もう少し回数を減らして」と

いおうと思ったんだ。



もうちょっとわかりやすくいうと、


等間隔のイスがあって(コンサート会場とかの)

うんと太った人が隣にいて、

その人は座ってるんだけど、おしりのお肉があたしのほうまではみだしてきてるんだ。

そこで、「申し訳ないけど、せまいです。」と、あたしは言ってもいいと思うの。


だって、その人が太ってるのは、その人に超責任がある事で、

その人はそのことを自覚しなくちゃいけないと思うよ。

なんなら、2人分のチケットを買わなきゃいけないと思うよ。


それが存在する「事象」で、

感情は、幻だけど、

事象は、たしかに有る。



だから、この世は、

事象が事象をよぶ流動的な、うん、たぶん永遠に動いている、

そう、無常な「確かに在る」世界で、

それについてどう感じるかは、個人個人によって違うから、

一人ひとりの目に映るのは、感情を映しだした幻なんだ。

たぶん「自分にとって不都合」な事は、たとえ目に映ってても、脳の認識まで行かないよ(笑)



あたしは、「愛が足りない」と感じるのも、

「愛の風」がふいて、(愛のエネルギーが循環して)

それを受け止める面積の違いが、あたしたちの愛の容量の認識の差なんだと思うよ。


「愛の海」でもいいか。


愛にどっぷりつかってるけど、

海に沈んでる容器の大きさが違うんだな〜。


すべては愛なんだけど、

当る面積や体積が違うんだよな〜。たぶん。


それで、愛の風がふかないと、この世の事象は起こらないんだよ。たぶん。

愛の波 でもいいか。

愛の波動 でもいいか。

まあ、たとえだから。


みんな、いろんな「たとえ」で言ってるから、ややこしいよね〜。
posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月08日

かみさまを見るのって、ライヴに行くのと似てる


最近、某王国の人たちがたびたび来るんだ〜。

堂々とかみさまの話ができるから、ある意味、まあ、ちょっと嬉しい?けど…

勧誘はされてないけど、勧誘だったらお断りだよ。



以前にあたしは、神様を信じてると口走ってしまったため、

そこに興味があって、同じ人がたびたび来ると思うんだ。

今まで、同じ人は2回以上来なかったからね。(今日で4回目だ)



"真理"を知りたくないですか? と聞かれたので。

すぐさま「…もう知ってるので…」と、また口走ってしまい…。

今日のあたしは、いつもになく、熱く語ってしまった。


「諦める事かな。絶望するというか。泣いて泣いて。もう死んじゃうくらいの。

死んじゃう手前くらいの。そしたら"真理"が向こうから、自分の中の下から上へ、

ガ〜ッと来るんだよ。」

「神様に本当に会いたいのだったら、聖書の中をいくら探しても絶対に会えないよ」

「神様を見るということは、たとえば自転車に乗れるようになるということと同じで、

聖書やお経には、自転車に乗れるようになるためのハウツーと、乗れたあと

どんな気分になるか、という事しか書いてないよ」

「神様を見たあとに、聖書を読んでみて、そこではじめて書いてある事に納得できるんだよ」

「神様に会うために、聖書はなんの役にも立たないけど、

ひとつだけ、たったひとつだけ、役に立つ事があるよ。それは、聖書を読んでも神様に

会えない、と、心の底から絶望できる事だよ。あと、神様を見た後の確認作業用。」

「こんなの何の役にも立たない!と、聖書を破り捨てて、さらに足で踏んづけたら、

その時、神様に会えると思う。まあそれは、悟る という事だけど…」


と、あたしは語ってしまい、その方たちは、面白そうに聞いていたけど、

本当のところはどうなんだろうか。



そのあと、ひとりでぼんやり考えていたら、神様を見る、ということは、

歌手のライヴに行くことと同じ(似てる)かもと思った。


好きな歌手がいたとして〜

まあ、嵐とか、誰でもいいよ。それがイコール神で。

それで、歌手の写真集や週刊誌の記事が、聖書とする。


写真集や記事を見てれば、顔や身長・体重、テレビを見れば声もわかるし、

好きな歌手のこと、ちょっと知った気になれるよね。


でも、それで、その歌手に会ったことになるのか。

ならないよね。

いろんな事、よく知ってるつもり、なのにね。


それで、ライヴに行ったとする。

実際、自分の目で見てみて、

どう感じるかな?


あたしは、あゆ(浜崎あゆみ)のライヴに行った時、

感じた事は、

「本物だ〜!」

「立体だ!」

「ちっちゃい!」


だった。

特に、「ちっちゃい!(小さい)」は衝撃的だった。

だって、テレビで見てて、背が小さいなんて感じなかったし。


それで、ライヴ中、目が合う気がする♪


それが、神様に会う(見る)って事なんだよな〜。

聖書をくまなく探しても、どこにも神様はいないんだよ。

しかも、神様は、チケットを買って会場に行けば会える、というワケでは決してない!

そこが、神様と人間の違いで、だから神様といわれるゆえんなの!


神様は、どこかよそからやってくるのではないの!




ということを、わかりやすい例えとして

話せばよかったと思った。


あと、聖書やお経には、過去と未来しか書いてなくて、

「今」が書いてないんだな、と思ったよ。

「今」というのは、まさに今、神様を見てる状態ね。
posted by 辰多みか at 23:01 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

透明な球体は神様で、ひびが入ってるのが人間。


さっきの日記の、


ありのままの自分は、神様なの。

つまり、自分=神様なの。


神様は、透明でつるつるの球体なの。

それが本当に、本当の事なんだけど、


人間は人間でいる以上、いつでもつるつるではいられないの。

球体の一番上から、表の顔の層、裏の顔の層…と、層になってると仮定したらば、

表面にぼこぼこに穴があいているように見えるのが、人間なの。

"見える"という所がキモで、本当は、穴なんてあいてないんだけど、

生きてく上の錯覚で、穴に見えるの。

それは、球体の中心を守るための、特別な仕様なんだよ。


本当は、中心なんて守らなくても傷つかないのにね。

みんな、それを忘れて生まれてきちゃうんだよな〜。

本当は、傷ひとつないつるつるなのに…


だから、自分が神様だって忘れてる間は、

人間の球体は、ボコボコに穴があいてるか、

ひびがいっぱい入っているの。


そこに光が当たるとね、


プリズム効果で、いろんな色が出てくるんだよ。

虹色の。





ひとりひとり、違う色、違う模様なの。


あの色は嫌い、あの模様は許せない、

みんな他人の球体を見て、そう思うんだよ。


それがあたしたち人間なんだよな。
posted by 辰多みか at 23:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年04月23日

神様の名前・かみさまは体感できる


かみさま は。


名前を付けたとたん、


真のかみさま ではなくなってしまうのだ。



なんでかというと、

その名前に、縛られてしまうから。


あたしの理屈でいうと、名前が付いた事で、神様の自由度がひとつ減ってしまうから。


(だってかみさまなんだから、どんな名前だっていいじゃん!!

どんな名前もつけられなきゃ、神さまじゃ、ないでしょ)

だから、じつは、「かみさま」という"名前"も、ほんとうはダメなんだ〜〜!



具体的にいうと、


かみさまは、水 みたいな状態だとする。あくまで、たとえね。

かみさまは、H2O(エッチツーオー) だとする。


すると、かみさまに、「水」って名前をつけた場合、

かみさまを体感(いわゆる「悟り」)できた人は、わかるけど、

まだ体感できてない人は、「水」以外は、かみさまじゃないって思っちゃう。

「お湯」はかみさまじゃない、と思うし、

「水蒸気」もかみさまじゃない、と思っちゃう。

「氷」も。



かみさまを体感できた人は、かみさまは「水」って名前だけど、

実体は、「エッチツーオー」なんだな、と、わかるよ。

だから「お湯」も「水蒸気」も「氷」も、神様。



今度はたとえば、かみさまは、「つめたい水」という名前だとする。

この場合、神様を体感した人は、実際に、かみさまはつめたい水の状態だけである、と感じたということ。

神様って、目に見えるんじゃなくて、体感(感じる)ものだから、

感覚の方がより近い感じもする。



この場合は、さっきとは違って、「つめたい水」が神様なんだから、

「お湯」と「氷」は神様じゃないよ。

まぎらわしいけど、あくまで、たとえね。


つめたい水に手を入れて、どこまでつめたいと思うかは、人それぞれだよね。

同じ水をさわっていても、つめたいと思うか、ぬるいと思うか、

生まれ育った環境でも違うよね。


だから、かみさまを体感してない人には、どれが「つめたい水」の温度か、わからない。

一度でもかみさまを体感(悟り)していれば、「つめたい水」の温度は、体が覚えているんだよ。

それで、悟った人は、神様が、どんな名前でよばれてても、

全部同じことをいってるんだな、とわかるけれど、そうでない人は、

わからない、という状況がでてきてしまうの。


わからない人たちが無理して理解しようとした「つめたい水」がひとり歩きしてしまうの。

みんながみんなの解釈をしてしまうんだよ。

真理(ほんとうの温度)は、ひとつなのにね。

それは、キリスト教とイスラム教のかみさまが、実はおなじものなんだ、とわかるようになるか、

一生わからないでいて、お互いの神さまは別物で自分の方が優れていると主張して、

宗教対立するかどちらか、という事と同じこと。



たしか聖書だったか、かみさまには名前がなかったんじゃないかな??



かみさまは、なまえがないのが本当だけど、あえて名乗ろうとすれば、


「在る」


「私は、『在る』」


だったでしょ。


あたしは、それが、本当に正解だと思うんだ〜。「在る」という意味も含めて。
posted by 辰多みか at 23:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

反対言葉は反対にならない。


昔から不思議だなと思ってたこと。

反対言葉をとなえても、全然反対にならない。


たとえば、こう。


あたしはあなたが嫌い。


反対言葉は、


あなたはあたしが好き。


どうだ?

「あたしの気持ち」は反対になってるかな?
なってないね〜。
なってないねというか、どうなのか、さっぱりわからない。


たとえば、こう。


このアイスクリームは冷たいです。


反対言葉は、


あのホット脱脂乳は温かいです。


やっぱり反対にならない。

どうなってるかっていうと、鏡にうつしたむこうがわっていうか、

対極してる何か というか、

なんかそんな感じ。


それがね、それが、この世のすべて(?)だと、

うーん、なんていうか…この世の理(ことわり)だと、

あたしは思うんだ。


そうだね、かみさまがふたつにわかれたのも、

こんな感じなんじゃないかなと思うんだ。


posted by 辰多みか at 00:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年02月07日

神様の名前


神様は、


「神様」と呼ぶのが一番しっくりくるから、あたしは、そう呼んでいるのであって、


べつに、名前など、本当はどうでもいい。




あの宗教のあの神様 とか、神様といったらこれであろう、とか、

そんなふうに限定するものではなくて、


本当に、心の中に居る、「アレ」

みんなが感じる、同じ、「アレ」

の事であって、そもそも名前なんか無い。


一度、そう、たった一度、その「アレ」を経験してしまうと、

世の中の宗教の事が、いっぺんで、わかるようになる。



キリスト教も仏教もイスラム教も、そうそう日本の神道も、

みんな同じ「アレ」の事を言ってるって事が、いっぺんで、わかる。



聖書もお教も、勉強する必要なんてないんだ。

そこに真理が書いてあるかもなんて期待して、人生の時間をたくさん、

それに費やそうなんて、しなくていいんだ。


いっぺん「アレ」を経験しちゃうと、


聖書やお教の、どのページでも、パッと開いた部分が、わかるようになるよ。

「あぁ〜、なるほど」みたいな。



聖書やお教は、「悟る」という目的のためには何の役にも立たない、ってあたしは思ってるけど、

そうそう、見方を変えれば、役には立つかな。



それはね、「勉強しても何の役にも立たない」と、心の底から絶望できるって事と、

悟ったあとに、自分の体験が、本当に「悟り」体験だったのかを、確認できる事。


確認しなくても、「悟れば」おのずとわかるのだけど。

キリストやブッダと同じ境地に立てたことが、目で見て確認できること。

それが聖書やお教の役目かな。


心の底から絶望できるってところが、いいよね。

悟りへの近道は、絶望することだからね。

それは、読む事だけではなくて、体を使った苦行でも、同じだよ。

だよって、あたしは苦行はしてないけど、ブッダがそう言ってるから。

苦行や修行をいくらしたところで、「悟りたい」って思いながらやってたら、

絶対、ぜったい、ぜ〜ったい、悟れないよ。

だから、そこで絶望するわけなの。もういい、って思っちゃえばいいの。

絶望したフリしてもだめだよ。もう、本当に、心の底から絶望する。



そうすれば、悟りは、自分の中からやって来るの。

あたしもそうだったから。

posted by 辰多みか at 00:00 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年01月04日

ブッダの言いたかった事


あたしは仏教を勉強してこなかったんで、

wikiやら検索やらで知った事。



ブッダ(釈迦)の言いたかった事は、

今、自分が生きているこの世界は、他のものの命を奪わないと、

自分が生きていけない世界だから、

はやく、悟りを開いて、

この殺生の世界へ二度と生まれ変わらないようにしなさいよ、てことだ。



大前提として、

「自分」は死んでも、何度もまた、この殺生の世界に生まれ変わるものであり

(前世、うまれかわりがあたりまえ)

この世界は、上の方から見下ろしてみて、レベル的にはあまり良くない世界ってこと。

そして悟りを開けば、この世にはもう生まれ変わらない。

(実際、悟りをちょっと開いただけではだめで、生きてるうちに魂のレベル上げを

しないといけないんだけど)




それであたしは、仏教は、宗教じゃなくて、哲学だと思う。


ブッダの言う事は、確かにとても大事だけど、

「ブッダ」そのもの(仏像)、またその言った言葉自体(経典)を、

あがめたてまつっても、それには何の意味もない。



自分が「悟」らなければ、何の意味もない。




ブッダは、たとえば、(ほんとうにたとえば)

「自転車に乗れるようになる方法」と「自転車に乗れたら、そのあとの気分や生活や自分はどう変わるか」

を、みんなに話して聞かせただけだ。


いくらhow to本を読んだところで、自転車に乗れるようになるわけではないし、

自転車に乗った気分を味わえるものではない。


本当に、乗らなくちゃ。



「旅行本」をいくら読んでも、そこに「行った」事には、

みじんも及ばない事と同じ。



それが悟るという事。
posted by 辰多みか at 00:02 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする
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