2013年11月04日

片づけなくてもいい

あたしは、前記事に書いたみたいに、
家事に時間がとられるので、もうその他の時間は
なにもしたくないの。
というか、本当に自分のやりたいことを、やりたい!の。
でも、片づけとか、してないから、それを先にやらなくちゃ
好きな事をしちゃいけないっていう、呪いにかかっているの。

でね、夏にさー、片づけをやろう!って決心したんだけど、
あはは、まったく出来てないよ。
思えば思うほど、逃げ腰だよ。
昼寝してみたり。
いつもは見ないブログを見たり。

という事は、あたしの潜在意識は、「言いたい事」が、あるんだ。
「あたしは本当は片づけができる人で、片づけをしてもいい!」というのが
魔法の言葉だと思って、そう自分に言い聞かせてきたけど、
実は逆だったんだ。
ほぇぇー。

自分で自分に聞いてみたら、こういう答えが返ってきた。
「片づけをしなくてもいい!って、認めてほしい。」
って、あたしの潜在意識は言った。

ありゃりゃ。
それが本音か。
「しなくてもいい! って100%受け止めてくれたら、片づけする」って、
あたしがあたしに言った。
なんて困ったチャンなの。

あたしの実家はね、汚屋敷だったんだ。(というか現在進行形…)
カミングアウト。
精神病だった(過去形)り、どんだけ(笑)。

あたしはその中でも、片づけする方だったんだ。
そんな母親になりたくないと思ってた。
こどものころ浴衣を着ようと思って、たんすの底(!)からひっぱり出したら、
ねずみに1/4くらいかじられていたとか、ホント、どんだけ〜〜。
(汚屋敷のエピソードは語りつくせないくらい有る)
汚い家が嫌で嫌で、自分の2畳のスペースだけは、きっちり片づけていたんだ。

でもね、人って汚くても、生きていけるんだよね。
不思議だよね。
だから神様は全生命を全力で愛してるって事の証明なんだよね。

汚くしてもいい。

そう言ってほしいと、潜在意識は言っている。

母親みたいになってもいい。

そう言ってほしいと、あたしがあたしに言っている。

だからあたしの中の見えない力が無理やり抵抗して、片づけをしないの。

うーん。

もうちょっとかかるかなぁ。

はやくきれいな部屋にしたいんだけど。

うーん。



posted by 辰多みか at 11:42 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

瞑想する目的E

まだね、瞑想状態までは行ってないんだけど・・・

ふっと、思考の虜になる。
その時の思考は、パターン化されている。
それを考察すると・・・

あたしは、その、「相手」に、言いたかった事がある、という、
いつものパターンの思考。
相手があたしに執着(依存)しているから、それがイヤっていう
内容なんだけれど、よくよく考えると、

執着しているのは、あたしもそうだ。
いつまでもいつまでも、頭の中で、相手の事ばかり考えている。
イヤな思い出ばっかりだけど、いつもいつも。
すごいパワーだよね、よく考えると。

その執着が手放せない。
手放したら、相手が悪くなくなっちゃう。
いつまでもいつまでも、相手が悪いと考えていたい。

うわ〜〜 なんじゃこりゃ〜

結局ね、相手が悪かろうと、悪くなかろうと、
執着してたら、同じ穴のむじななのだ。
「人を呪わば穴二つ」ってやつ。
あぁ、それが、「呪い・呪縛の正体」って、あたし、わかってるのになー。
わかってるのと、できるできないは、やっぱり別物なんだ。
だから、苦しいんだよ今も。

それで、どうしたら良いかというと、
この間もできたけれど、「どうでもいい」って思うだけだね。

「どうでもいい。
 嫌われようと、悪く思われようと。
 いい人って、思われなくてもいい。」
「いい嫁って、思われなくてもいい。」
「いい娘って、思われなくてもいい。」

あたしは、数か月前に、これが出来た時、
ジッ、ジッて音を立ててぶれていたふたりのあたしが、
カチって、
完全に嵌ったの。
うん、はまったの。

だから、これが常にできればいいんだ。

何かで読んだけれど、相手に執着し続けるって事は、相手の命を大切に
していないと同じ事だと。(どこで読んだのか・・・ぐぐっても見つからない)

今日、この「どうでもいい」が、ちょっぴりできた。
この「どうでもいい」、は、相手を嫌いになる事なのではない。
相手に愛想をつかす事でもない。
そこのニュアンスが難しいんだけど、
愛の力を使ってする「どうでもいい」。
うん、もうちょっとできるように努力するよ。
posted by 辰多みか at 22:18 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする

2013年05月23日

いいこと続きとわるいこと続き

昼間にね、

アンジェラからのピンクハートをもらって、

ちょっとだけウキウキしたんだけど、

同じくらい、落ち込むこともあったよ。

というか、うーん、なんだ?

落ち込む出来事はなにひとつなかったのに、

気持ちだけ落ち込んでいたというか。

昔を思い出して、おふろで泣けたり。

犬の散歩中、無表情で歩いたり。


友だちからのおさそい、

また別の友だちからのおさそい、

別団体からのおさそい、

大好きなみんな。

嬉しいな〜って。ホントに嬉しくて。

ピンクハート。


でも、なんであたしは、自由にこの家から出られないのだろうと思ったら、

くやしくて悲しくて泣けてきた。

手短にいうと「家から出るな」という意味の、表面上はとてもそうは聞こえない含み、

嫌味をさんざん言われ、態度でだされ、あたしはすっかり気持ちが麻痺してしまって、

まったく動けなくなってしまった。


でもね、あたしはそれでだまってたわけではない。不満が溜まるたび、声に出して訴えた。

自分の自由を。

それなのに、あたしは、だんだん、もっともっと動けなくなる。自由な時間にくつろぐ

こともできなくなる。なんだ? おかしい。一番最初の顕著な変化は、メールの返事が

できなくなったこと。次の休日の計画を立てたくないこと。

掃除ができなくなり、おさがりやもらいものの整理ができなくなり、

趣味のお菓子作りが出来なくなった。

そして、おそれてた、仕事ができなくなる、という所まで来てしまった。


あたしは、前に悟りを得た時、そして、また再度「自我」に向き合った時、

本当の「あたしの本心」に気が付いてしまった。「自我のたくらみ」に。

それは、「含みや嫌味を言われるから、言われるのが嫌で、外に出られない」…のではなく!

「良い嫁として認めてもらいたいからいいつけを守る」…のでもなく!



「含みや嫌味をいうあなたが悪いから、あたしは外にでられないんだよ」

「あたしはなにも悪くないのに、自分の価値観だけで外出を禁止するあなたが悪いんだよ」

「あなたの価値観は、ただ単に「ガソリン代がもったいない」じゃないか。守銭奴!」

「あたしはガソリン代や時間の計算、買いもの品のリストすべて網羅して、文句を出せない

と計算した上で、外に出ると言ってるんだよ! あたしより金が大切か!」

「あたしはなにも悪くない。あなたが悪い」


これはね…モラル・ハラスメントをする人に特徴的な心理だよ…


あたしの本心は、こうだった。

これに気づいた時、ものすごい衝撃だった。

ギューンとしたすっぱい感じ。

感覚でいうと、奥歯で金属を噛んだ時とか、傷に塩を塗った時とか、

そうだ、神経に電気が走る感じか。




あたしの本心「自我」は「あなたが悪い」と証明したいがために、「無意識にやる気をなくした」のだ。

そして、今も、「無意識にやる気をなくし続ける」のだ。

だって、なんでも楽にできてしまえば、気軽に外出できてしまえば、

「あなたが悪」くなくなってしまう。

「あなたは悪」でいてくれなくては、あたしは困ってしまう。

なんてったって、「あたしは悪くない」んだから。

その証拠を手放したくない。


それが、あたしが、あたし自身の行動に、ブレーキをかける動機だったんだ。


そう、そう、そうだって、もうわかったのに。

その「本心」に気付けなくて、どれだけ苦しんだか。

そして、気付いて、一瞬、苦しみから逃れたのに、

まだ、あたしは動けないんだよ。あたしの「自我」が、

「在る、在る」と叫んでいたのに。


あたしの自我は、「あたしにも「あなた」と同じように考える気持ちがあるよ。

守銭奴と呼ばれるような思いがあるよ。それはあたし自身が怖いからだ。

「あなた」と同じ理由で怖いからだ。「あなた」は「あなた」の心の傷で

そう振る舞っている。「あなた」が怖い理由がわかる。それがあたしにも在る」


そういうふうに「自我」が言って、言ったとたんその「自我」は消えたのに。


まだまだ、あたしは、そうとう心の傷が深いんだろう、と思った。

それで、涙がでた。

ここまで来たのに。

もっと泣けばいいんだろうか。

全然許せない。

「守銭奴」以外にもいっぱいあるから。

全然許せない。


だけど。許せない間は、あたしは幸せになっちゃいけないから、

これは、あたしがあたし自身にかけている呪いなんだよ。

呪縛なの。

幸せになったら、「あなた」が悪い証拠がなくなっちゃうから、

あたしは幸せになるのはダメなの。自由になっちゃダメなの。

これが世間一般でいう「呪い」の正体なの。


あたしは幸せにならないこと、自由にならないことで、

「あなた」に復讐しているつもりでいるんだよ。

「ほらほら、あなたが悪い、あなたのせいで、あたしは幸せじゃないよ。

あなたがいるから、あたしは自由じゃないよ」と「あなた」を横目で

つかまえながら、絶対に目を離さないで見続けながら、思念を送り続けているんだよ。

だけど、いくら「あたし」が不幸を選んで「あなた」に復讐しているつもりでも、

「あなた」には、なにも伝わらないのだ。

「あなた」は痛くもかゆくもないのだ。


呪いというのは、相手を憎んだ瞬間に、自分が自分にかけるものなんだよ。

ということは相手は、自分を憎ませれば、呪いは成功なんだ。

怖いね。


だから、人は、人を嫌いになったら、人を憎んだら、道をはずすのだ。

「嫌いになったらダメ」ということではないよ。ただ、道をはずすのだ。

「苦しい」という方向の、道に行っちゃうのだ。


そこまでわかっているのに、まだまだ、あたしは、まだまだだ。

どこまで根が深いのだろう。

知識としてわかっているのではなく、これは体感だったのに。

まだまだ体感するというの?

まだなにか方法があるの?


もっともっとギューンってすればいいの? 痛いのに。

一度悟ってるのに。

posted by 辰多みか at 23:04 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする

2013年04月27日

見極めは矛盾してるかしてないか


「愛」の反対は「恐れ」で


真理による行動が愛で、そうでないものが恐れ。


どちらかを見極めるには、


まあ、見極めなくても、恐れからくる行動だなって、その事象からもう

ぷんぷん臭って来る事の方が多いけど。



行動・言動に矛盾や嘘が入ってるものが、「恐れ」だよ。


なぜ「恐れ」に矛盾が入っている(ように見える)かというと、

実は、「真理」の方こそが、"一見"矛盾しているように見えるからだよ。


「真理」は、(真理は、イコール神様だよね。真理=神様)

下が上で、中が外なの。

ひとりが全員で、

白が黒で、

光が闇なんだよ。

だから、それに照らし合わせると、「恐れ」の方が、矛盾しているように見えるんだよね。

うまくできてるよね。

↑このへんは、いくら言葉で、文字で説明しても、伝わらない。

いちど「悟り」(気づき)をしてもらわないと、絶対に共有できない感覚だから。

だってお釈迦様やキリスト様が、2000年以上も前から言ってるのに、

いまだにみんなわからないでしょう…。




たとえば、ある人の場合。

「病気になって困っている」はずなのに、

やたらと病気アピールしてきて、出血したのに、ニコニコ笑ってみせてくる時。

お医者さんから、「それはただの老化」と言われて、まわりのみんなは、大病じゃなくて

よかったね、と言いたいのに、本人は全然喜んでない場合。むしろ病気と言われなくて

ショックがかくしきれない場合。


その時の、「ある人の心の中」を、

あたしはこう感じるんだ。

まず、なぜ"そう"感じるかというと、あたし自身、同じ経験があるからだ。


どう感じるかというと、

まず、その「ある人」が常に思っている事は、どんな人に対しても

年下であれば、

「こどもだから、年が若いから、『できないにきまっている』」

まあ、自分より年が下ということは、経験年数が少ないから、できない と

思っちゃうのは、ある程度わかることだけどね、言われてるこっちは理解はしたくないよね。

しかも、この「ある人」は、常にこれを言葉にも出しているんだよ。

「ある人」だとわかりづらいから、仮にAさんとしよう。


そして、その『できないにきまっている』が、Aさんの、すべての

行動の動機のベース(基礎)なんだ。

まあ、すべてというと語弊があるかな。1か100かじゃないよ!といわれそうで。



その動機は、相手に対する「愛」じゃないんだ。

『できないにきまっている』というのは、相手を信頼していないって宣言してると同じ事だよ。

そして、その心の中は、じわじわ外ににじみでてくるから、まわりの人もなんとなくわかっちゃう。


Aさんが勝手にきめつけた、『できない』相手を、フォローするつもりで、

Aさんはなんでも先まわりしてやってしまう。

そしてそれは「いい事」だと思っている。

やっていいことと思うばかりか、感謝されて当然とまで思っている。

そして、フォローした分、フォローし返してもらって当然と思っている。


だって相手は、『できない』んだもの。

あたしは、これをやられた。(あたし以外のみんなもやられてるんだけどね。受け取り側の

許容量の違いだ。あたしは許容量が少ないよ。)


一番にあたしの自我が心の中で叫んだことは、

「親切のふりを押しつけるな! あたしをバカにするな!」だった。

それは、いまでも変わらない。

でもね、あたしは変わろうと思ったんだ。それはね、とても長くなるから、

あとで数カ月かけて書くよ。だから別の話ね。


Aさんも、

当然人間だから、万能じゃないんだ。「できない事」もあるのだ。

そんな事、どう考えてもあたりまえなんだけれど。

「これはできない」と、口に出して言う事もあるのだが、

それは自分をカモフラージュするため、あえてそう言う。


Aさんは、本当に「できない自分」に理由をつけるため、

病気になっていった。

病気というか、調子が悪い。

病院に行って、いくら検査しても、「命がどうとかいう病気ではない。

老化の一種」といわれる。

そして、先生から心配ないと言われても、全然嬉しそうじゃない。

また、病気をさがす。

「目」だったり「足先」だったり、

なぜあたしが、「おかしい」とか、矛盾に感じるのか、それは、

言いだすタイミングが常に変だからだ。

一週間に一回会う、いつもの主治医ではなくて、はじめて会った当直医に、

「3カ月前から気になっていた」自分の別症状を話す。

おいおい、そういうことは、主治医に話せよ。

まるで自分の思い通りの事を言ってくれる先生に出会うまで、

永遠にさすらうかのようだ。

(だって、この時で、5人目の先生だよ。

そしてこの先生も"思い通りの事"は言ってくれなかった。)



なんどもなんども、自分の症状・薬について、書いてまとめたいから

あたしに、一緒に薬手帳を見てほしいと言う。

それは、このあいだやったばかりだから。

あたしに病気をみせるためにやっているとしか思えない。

本当に治る気があるの?

こうすればいいよ、とアドバイスしても、それから逃げようという姿勢しか見えない。



いろんな事をまのあたりにして、常にあたしが感じるのは、

あたしが中学生の頃、部活が嫌で不登校になった時の事だ。


あたしは友達にさそわれて、一番苦手な運動部に入ってしまったのだ。

なんとなく中学生になったら体が大きくなって、運動もできるように

なるかもしれないと錯覚してしまったのだ。

あと、違う小学校から来てはじめて友達になった子に気を使ってたのがすごく大きいんだ。

そう、あたしは、いい人と思われたかったんだ。断って嫌われたくなかったんだ。


だけど、運動部はきつかった。

だんだん足が遠のいてしまった。

部活をやらず、隠れるように帰って一週間ほどたったころ、

先生と部員全員に呼び出された。あたりまえだ。


あたしは、なんとか部活をやらない理由をひねりだした。

冷や汗がだらだら出て、自分は悪くないけど、やりたい気持ちがあるけど

体の調子が悪い、と言ってしまった。

あたしはその時、せきばらいをしていたみたいだ。

全然意識してなかったけど。


先輩のひとりが言った。

「ただやりたくないだけなのに、わざとせきばらいをしないで」

あたしは思いがけない事を言われて、ショックだった。

まわりのみんなは、お見通しだったのにね。


ついでにいうと、あたしは小学校のころから何年も、耳鼻科の病院に通っていて、

その理由は、鼻のつまりとせきばらいだったんだ。

原因はわからず、精神的なものかもしれないと。

ただ本当に鼻とのどに違和感があるんだよ。それは誓って本当だ。

今も治ってないし、今思うと、チックかな、と思うけど。


あたしは、がんばって毎日部活に行きます、とみんなの前で誓った。

けれど、その次の日、やっぱり行けなかった。

そしてその次の日の朝、体の調子が悪くなりますようにと祈った。

ちょっと頭が痛い気がした。熱を測ってみた。いつもより念入りに。

そうしたら、37度を超えていた。


あたしは、ものすごくほっとした。


堂々と、学校を休んだ。



次の日も、37度を超えていた。

風邪をひいていたわけではない。


そんなこんなで、一週間休んだ。

でも、逃げ切れなかった。


本当に体の調子が悪いのだから、あたしは悪くない。

そう思って学校に行ったのだけど、先生は見逃さなかった。

問い詰められて、あたしは部活をやめた。

先生と部員たちは、あたしを軽蔑した目で見ていた。友達も。


でも、二度と関わらないから、とあたしは、自分を正当化して、守った。

けど、あたしは、自分は悪くないと正当化するために、病気を使った、と、気付いていた。

それがあたしのその後の行動・思考のベースになった。

みんなには、とても迷惑をかけたけど、


あたしは、その経験は宝だと思っている。

本当に悪かったしつらかったけど。



Aさんを見ていると、それを思い出す。

病気が治ると、『できない自分』を正当化する理由がなくなってしまう。

病気があってこそはじめて正当化できるんだ。

つまり、『自分は悪くない』んだ。

だから、絶対に病気を手放さない。


病気を治したいといいながら、主治医の指示にも従わない。

だって従ったら治っちゃうもん。

正確には、治る病気ではないので(老化だから)、不快な症状が緩和

されるという意味。


この間、Aさんから「主治医の指示には、体が悪いからできないと言いたいから、

あなたから先生に言って」という趣旨の事をとても遠まわしに言われ、

あたしは、ものすごく理不尽に思いながらも、その願いをかなえてやった。

ちゃんと、言うセリフも確認してから。


だってあたしは、Aさんの言う事は絶対聞かないといけない、年下の若輩者 だからだ。


あたしは先生にこう言った。事前にAさんに確認とってあったセリフだ。

「先生に、なるべく歩くようにとアドバイスいただきましたが、本人は、頭がふらふらするので

できないと言うんです。もし他にできる事がありましたら…」

先生はあたしが言い終わらずに、

「できるよ!」と一蹴した。

「Aさん、できるよ! 問題ないよ。やらないとだめだよ」


Aさんが先生を見つめているその目は、だんだんと、涙目になっていった。

赤らんだ目で口をぽかんとあけたまま、固まって動けなくなっていた。



あたしは、はやく気づかないかな〜と、いつも思って見ているんだ。


だって、はやく真理にきがつかないと、また生まれ変わってしまうよ。

この苦行の世に。

まあ、本人がそうしたいんなら、そうすればいいんだけどね。

一度、Aさんと、真剣に話しあった時に「あなたはまだ眠っている」とつい言ってしまった。

そんなこと言ったって、人というのは、目覚めた時に、はじめて

「あ、自分は眠ってた」と気がつくわけで、

寝てる人にそんなこと言っても、理解できないよね〜。

と、自分でもわかっていながら、つい言ってしまった。



それで、あたしはそんなAさんを苦々しく思ってたわけだけど、

(『できないにきまってる』と常にあたしを否定しにかかってると感じてたから)

Aさんは、自分を正当化するために、一生、病気が治らないんだ。とあたしは気がついた。

それだったら、あたしの復讐は、もう済んでいる。

だって、Aさんは、一生しあわせになれない。

これが前回書いた呪いの正体で、

呪いとは、自分が自分にかけているんだよ。のろってしばる。まさに呪縛だ。

他人が他人にかけるんじゃない。自分が自分にかけるの。



自分が病気を招いているということに気がつかなければ、Aさんは一生幸せにならない。

Aさんが幸せになるためにやらなければいけないことは、

「自分は病気でできないから、それを認めて」、と、まわりに訴えることではなく、


「病気ではなくても『できない自分』がいるんだ」、と、自分で自分を認める事であって、

さらに、『できないにきまってる』からだめ と、押し込んだ、自分自身に、

いいよ、と言ってあげる事なんだ。

(本当は、「いいよ」というのは、語弊なんだけど、

そのものズバリの言葉が無いからこう書くしかない。)



だって、人間は理由があって、過去に自分自身を押しこんだ経験を持つんだけど、

その「自分自身」は確かに存在してるわけで、いつもいつも

「ここにいるんだよ、認めて。」と、


泣きながら叫んでいるんだから。

posted by 辰多みか at 23:00 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする

2013年04月25日

呪い・呪縛の正体


怖いタイトルだね。

でも正体がわかっちゃえば、怖くないよ。

正体がわからないうちは、本当に、本当の意味で怖いけどね。


あたしは、とうとう、「呪い」の正体がわかってしまった。

数年前に「悟り」があったのも、正体の本質まで、

自分を掘り下げて行った時なんだよ。

でもその時は、「悟り」体験が先に来てしまって、

呪いの正体が何か、自覚するまで至らなかったな。


「悟り」体験というのは、


自分の中に神様がいる。

みんなの中にも神様がいる。

世界中(宇宙中)、全部神様だ。やおよろずの神はこのことだ。

実はぜんぶひとつの神様なんだけど。

そして、世界を動かすのは、「愛」でしかできないということ。


というのを、体感する事なの。自分の中から勝手に湧き上がってくるの。

文字で書くと、あたしの体験した事以外の意味合いにも受け取られそうで、

まどろっこしく感じる。

どうすれば真実が伝わるのだろう。


そう、呪いの正体とは、


相手を嫌悪する事。

相手が加害者だと(無意識で)きめつける事。



なのだけれど、そう、そんな事、いまさら書かなくても、悪い事だって知ってるよって感じるだろうけど。


実は、この思いには、180度+180度で、さらに、高さ方向があって、

まるでらせん階段かバネみたいに、最初から自分たちが認識してるモノとは違うのだ。


同じに見えるけど、実はひねくれて360度まわってるんだ。

そういうカラクリがあるの。


「自分は悪くない」と思いたい、自己防衛システムが、カラクリになってるの。

相手がすべて悪くて、自分は悪くないと思いこむ事。

それが呪いの正体なんだよ。




だから、相手を嫌いつづけると、

なんと、自分が幸せになれない。


だって相手のせいで不幸せなんだから、

自分が幸せになっちゃったら、相手が悪くなくなっちゃう。


それにあたしは気付いた。

これは、もっともっと掘り下げて書きたいの。

まだまだ続きがあるから。


でも、自分を見つめるのって、勇気がいるんだよ。

「それをしたら、あたしが無くなっちゃう。」って言うの。

あたしの中であたしが、「あたしがいなくなっちゃう。」って言うの。

だから、見つめられないんだよ、みんな。



このテーマも、書こうと思いだして、3日もほっておいてる。


というか、まだ、全然核心を書いてないのよ。

書きたいのに書けない。


もう、数か月かけるつもりで書くわ。
posted by 辰多みか at 23:00 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする
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