2014年10月20日

結局

「やりたい」か

「やりたくないをやりたい」か。




「好き」か

「好き ではない」か。


posted by 辰多みか at 16:55 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年06月10日

死んでもいい


「いますぐ(肉体が)死んでもいい」

肉体からの抵抗の声を、「幻」だと見抜くためにする宣言


「いますぐ(肉体が)死ななくてもいい」

自我からの抵抗の声を、「幻」だと見抜くためにする宣言





あたしが最後の最後、突き抜けられないのは、

「死にたくない」と言う、肉体の抵抗の声に、

逆らう事ができてないからだ。


「肉体の死」に対して、どうでもいい と、

諦める事が、できてないからだ。


posted by 辰多みか at 14:18 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年05月04日

悟るためのヒント


悟りを得るには−−−

日々の生活の中に、ヒントがゴロゴロ転がっている。
そう、「これやれば悟れる」っていう、ヒント。

超わかりやすい。
超シンプル。
神様は難しい問題は出さない。

それは何でしょう?



答えは・・・




つづく!






・・・と、ひっぱるのもめんどくさいから、さっさと書いちゃおう。
(まあ、今までも何度も書いてるけどね)

それはね。


「これ言うの、死んでも嫌だ」
「これやるんだったら死んだほうがまし」
「それを認めたら、私が私でなくなってしまう」
「そんなの、私らしくない」
「相手を許したら、私は死ぬような気分を味わう」


この、これらの、「死ぬ」ような気分になる事を、やる!

それだけだよ。

簡単だ。
そして、とてもとても、
とてもとてもとてもとても、とって〜も!難しい。



「死ぬ」気分になっているのは、「自我」なの。
悟りがやって来るのは、自我が死んだ時なの。
だから、自我が嫌な事を積極的にやって、
さっさと自我を殺してしまえばいいんだ。

怖いでしょう?
怖いよ〜。

でもね安心して。
自我はすぐ息を吹き返す。
あなたが肉体的に生きている限り、
何度も、何度でも。


だから安心して恐怖の中に飛び込めばいいんだよ。
(アラ、ものすごい「矛盾」をお勧めしているわ。)



早く殺しましょう。
自我を。
間違っても、肉体の自分を殺してはいけない。
当然だけど、他人はもちろんダメ。


体は正直だ。
感覚器官だから。
ぐーーっと、
キュゥーーーーッと、
ぐっはあぁぁーっ って、なる。
むりむりむりーーッ
痛たたたたぁ
あーぁ、あはは、まいった。って、なる。

その、体の、ぐっはぁー、な、痛みを感じながら、
死ぬほどやりたくない事を、やってみる。
わんわん泣きながら。
わーわー喚きながら。
表面上は静かに、心の中で、叫びながら。




本当に、本当に、出来たら、

その時、扉が開く。



posted by 辰多みか at 23:51 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

悟りと宿題

悟りの世界を垣間見る前、
人はみな、勘違いの世界に生きている。

ここじゃないどこか。
私じゃない誰か。

今の私がダメだから、
もっと努力して、違う私に、なろうとする。
それが勘違いの世界。

自分の事が嫌いで嫌いで嫌いでしかたがないんだ。
だけど、どうしたら良いのか、さっぱりわからない。

ここでうまくいくと苦しみ際まって、悟りの世界を見てしまう。
苦しみ際まる、とは、これやったら死んじゃうような気がする、
という事を、自分の抵抗とは関係なくやっちゃった時。
(たとえば憎んでいる相手に対して号泣しながら懺悔する時)

悟りの世界を見る、と、苦しみがなくなるわけでは、ない。
憎んでいる相手を急に憎まなくなったりするわけでは、ない。

そこで起こるのは、自分が勘違いの世界に住んでたんだー、という、理解だけ。

「どうしたら良いのか」が、わかる。
必要なもの不必要なものが、わかる。
自動的に分別が行われるので、視界が晴れたように感じる。
悟りの世界を見るまでは、全部が混ざったカオス状態だったのが、
秩序を持った分類に分かれるんだ。
そのあとの人生は、「どうしたら良いか」だけやれば、良い。

と書くと、簡単だねー、と思われるかもしれないが、
「どうしたら良いか」が、なかなかできないのだ。
それをやるには、ものすごい勇気が要る。
どんな勇気かというと、
・嫌われる勇気
・ありがとうといいたくない相手にありがとうと言う勇気
・ごめんねといいたくない相手にごめんねと言う勇気
つまり、憎い相手を、ゆるす勇気。

「どうしたら良いか」は、宿題で、それをやらないと、本当の自由な自分に、なれない。
宿題は、自分の人生にくっつけて生まれてきたので、
それをやるのを避けては通れない。

ここが大事な所なんだけれど、
「宿題」は、悟りには、ぜ〜んぜん関係ない。

もういっかい書くけど、
悟りには、ぜ〜〜んぜん関係ない。
なので、
とにかくやらなくっちゃいけない。

悟るとなにが良いかというと、「宿題」が、自分で
目に見えてわかるようになる所。
人の手を借りなくても良い。

悟らなくても宿題はしなくてはならないので、
(あ、したくない人はしなくてもいいんだけれど。ずっと苦しくても良いなら。)
そういう場合は、人の手を借りる事になる。
お金が掛るけどマイルドに進めるならカウンセラーさんなりで、
お金は掛らないけどパワフルに進めるなら、目の前の、憎い人、ね。

宿題が済むと、
大嫌いだった自分に、力強く、おもいっきり、還る。
自分に、還る。
愛と感謝と自由の中で。

そういう宿題。
やりたい?
やりたくない?
宿題は、人類みんな誰でも、やらなくちゃいけないの。


posted by 辰多みか at 17:35 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年04月21日

悟りの道の山有り谷あり

悟りの道は、
ひとそれぞれ、行程やら、距離やら、
山の高さやら谷の深さが、違うけど、

だいたい、
おおざっぱにいうと、
まあ、みんな、おしなべて、
こんなかんじ。


誕生

こども時代

ワガママをたしなめられたり、
いろんな怖いものがあったり、
思うようにいかないと、泣いたりわめいたりする

思春期

こども時代の、怒られたなどのイヤ〜な体験を、
もう体験しないように、
自分の本当にやりたい事ややめたい事を、我慢する

成人

いまだに自分のこども時代を彷彿とさせる失敗に続きそうな
事をやってる他人の大人・同僚・年下・身内が、許せなくなる

我慢してる事に自分自身が気付くと、
自分自身がいたたまれなくなるので、
我慢してる事を、あえて忘れる

ストレスで、もみくちゃ

あの人が悪い
世間が悪い
環境が悪い
運が悪い
体が悪い(病気)
って、
思い込む。
だって思いこまないと、
自分自身が、いたたまれない。

それさえも、忘れる。
なぜって、いたたまれないので。

なぜストレスばかりなのか、ぜんぜんわからない

(わざと忘れてるからね〜)

苦しいし死のうかな、とか思う

死ねば、あの人は反省するかな、とか、思う

そうなったらざまあみろだ、と、胸の遠〜くで
自分が相手に妄想で言ってるんだけど、
それに気付いたらいたたまれないので、
わざと、聞かない。

死ねば、私は悪くないと、証明できるかな、と、思う。

死ぬそぶりとか、してみる。

相手をチラチラ見ちゃったりしてね。

「死にたい」とか言ってみる

でもね、相手には、あなたの腹の底は、
みえみえのバレバレなので、
相手は、最初こそ反応してくれるけど、あとはだんだん無視してくる。

打つ手が無い

八方塞り

死ぬ事もできないしストレスを解消する事もできない

奥の、奥まで、行く



(やじるし100個くらい続く)

どーん (気付き)



いたたまれなかっただけなんだー、と、気付く。
私は悪くないとか心で叫んでたくせに、ざまあみろと腹黒な事思ってたんだー、と、気付く。
あともっといろいろ気付く。
その時、今生きてる場所ではないアチラの世界に、片足つっこんだり、
ひっくり返って向こう側に行っちゃったり、
バカみたいに嬉しくなったり、する。


しばらく、どーんの余韻が、ある。

方向感覚がおかしくなって、嬉しかった事をしゃべりたくてしょうがなくなる。
もしくは、これは悟りとよばれる現象じゃないかと、ネット検索しまくり、
記事や本を読みまくる。

・・・だんだん自分のまわりの人間関係がぜんぜん解消されてない事に気がついていく。

悟りっぽい事があっても、ストレスは、まだあるし、
解消方法も、どーんの時にわかってるのに、やりたくなくなる。

だって、やるの苦しいし

いやいややる。

5年くらいかかる

本当に、自分自身と統合して、自分の人生を生きる

自由になる

肉体的に死ぬ





以上です。
後日これに関連する、他者様のスピ系ブログ分類をやります。




posted by 辰多みか at 17:36 | 悟り | 更新情報をチェックする

Morgan Scott Peck『The Road Less Traveled』



人生とは困難なものである

これは偉大な真実、最も大きい真実の一つである。
ひとたびこの真実を悟ればそれを超越できるという意味で、
それは偉大な真実なのである。
一旦この真実を理解して本当に受け入れるならば、
人生はもはや困難なものではなくなる。

大抵の人たちはこの心理を充分悟ってはいない。
むしろ彼らは、たえず自分の問題、重荷や障害が大きすぎると、
大仰にあるいはひっそりと嘆いている。
まるで、人生は総じて楽なものだ、楽であるべきだというように、である。

自分が直面している困難は、どこにでもあるような不幸なことではない。
どういうわけか、いわれもなく、よりにもよってこの自分に、
あるいは自分の家族、部族、階級、国、民族、あるいは人類に
課せられた不幸なのだ、と大声で、あるいは小声で言う。
私はこのような嘆きがよくわかる。私も人並みに同じように嘆いてきたからである。

人生は問題の連続である。

われわれはそれについて嘆きたいのだろうか。

それとも問題を解決したいのだろうか。」





--M・スコット・ペック著--


・「愛すること、生きること 全訳『愛と心理療法』」
・「『愛と心理療法』」

これ買う。全訳の方買う。


「人生とは困難なものである」
これが生きる上での大前提なんだ。




タグ:ホンモノ本
posted by 辰多みか at 16:53 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

方向感覚

悟りの世界では、
方向感覚を、感じ取る事ができない。

なんてったって、回転体における回転してない中心だし、
なんにもないところだし、
なんでもあるところ。
中であって外で、
上であって下。
黒なのに白で、
マイナスなのにプラス。
一番真ん中なのに、一番外側なの。

だからそこにいったん落ちてしまうと(落ちたと感じたとたん
最上部にいる事がわかるんだけど)、
しばらく、方向感覚が、おかしくなっちゃうんだ。

落ちるのは、たぶん、生涯でたった一度だけど、
その一度から数年間、
方向感覚が、つかめなくなってしまう。

どちらに振れていいか、わからない。
振れていいのかさえ、わからない。
だいたい、「振れるのは、未熟者である」という思いを持ってしまうから、
振れないように、一生懸命になっちゃう。
「思考」が起きないように、
「静寂」でいられるように、
ぐらぐらしないように、
悟りにしがみついてしまうの。

そのうち、方向感覚が戻ってきて、
悟る前と同じように、地に足が着くんだけど、
「それじゃダメ」って、抵抗しちゃうんだよ。
しかも、地面は、地震波みたいに、ぐらぐら揺れているわ。

ここでね、本当に、二本の足で、立つんだ。
責任を外部に押しつける、という逃げを、すべて捨てて。
ぐらぐらを、楽しむんだ。
この一連の流れが、悟りとそのあとのプロセスと、
そもそもの生まれてきた意味だと思うよ。

posted by 辰多みか at 21:20 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

Original Sin

知恵の実を食べたアダムとイブは、
生まれたままの裸の姿でいるのが
急に恥ずかしくなり、
恥部を隠すようになりました。



原罪。
人類の、最初の罪。

子孫である私たちに連綿と受け継がれている、罪。

それは、ありのままの自分を恥ずかしいと感じてしまうこと。
ありのままの自分を、隠そうとすること。
ありのままの自分を、辱めること。

これは最大の罪だね…
あたしはそう思うよ。


その「ありのまま」とは、なんでも有りなんにも無いおおもとのワンネスのことでは、ない。
肉体を戴いて生まれてきた時点の「自分」のことだ。それが人生を生きる上での「ありのまま」。

悟りの世界を見て、そのあと、生まれたままのありのままの自分に還って行き、残りの人生を継続する。
これがきっと、人類ができる、最善の、罪の消し方だ。


裸になって、ぜ〜んぶ見せて、生きる。
自分のダメなとこ、弱いとこ、欠けてるとこを隠さず見せて、
こんな私でも愛してくれて、生かさせてくれてありがとう、と、
み〜んなに感謝しながら、生きる。

そりゃあ、隠そう隠そうとオドオドしなくていいから、気持ちいいに違いないわ。

posted by 辰多みか at 15:09 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年04月06日

一瞥後の人へ、一瞥前の人へ

悟りの一瞥をすると、
同じ経験をした同志が、わかるようになるよね。
"神"について書かれている書物の、本物・偽物がわかるようになるよね。
悟りとは、神とは、真理とは、「こういうモノ」という、
感覚を伴った理解ができるよね。

そう、いろんな事が、できるようになる。
神に通じる力なので、
この事を、
昔の人は、
「神通力」と呼んだのではないかと、あたしは思う。

でも、
なんでもできる ようになるわけではない。
苦もなく、軽々と、できるように、なるわけでは、ない。

"できる"ように、なるのは、
「理解」だけ。
わかるようになる だけ。
「仕組み・知恵・叡智」が、一気に、自分の物になるだけ。

そう、頭の中でだけのこと。

その「仕組み・知恵・叡智」を、自分が今、リアリティを
持って生きている肉体のレベルで実践しようとすると、
もれなく、「苦」が付いてくる。

だから、悟りの一瞥をして、
それでも人生がうまくいかなくて苦しい人は、
「そういう道筋がふつう」だから、安心してね。

なにをすべきかは、わかってるはずだ。
「仕組み・知恵・叡智」から、伝わってるはずだ。
だから、「それ」を淡々とやればいい。
苦しいけど。



そしてね、まだ、悟りの一瞥をしてない人に対しては、
あたしのメッセージは、別角度からになる。
ぜんぜん別のメッセージになる。

悟りの一瞥をしていない人は、「安心」してはいけない。
上記↑を読んで安心してはいけない。
安心は、悟りからあなたを遠ざける。
ちょっと考えてみて。
あなたは安心する事で、もらってる「何か」があるはずだ。
欲しい「何か」が、あるはずだ。
悟りたいなら、その「何か」を、もらおうという魂胆を、見抜くこと。


あたしが、悟りを求める迷い人に言える事は、ただひとつ。
「死になよ」

ああ、早合点しないで。
自殺しな、と言ってるわけじゃないよ。
自我を無理矢理おしこめろ、と、言ってるわけでもないよ。

死ぬ気になったら、
本当に死ぬ気になったら、
これも、できるはずだ。
「それをやったら私らしくない。」
「それを認めたら私が私でなくなってしまう。」
「そんなの言うなんてありえない。」
それらを、死ぬ気で、やるの。
捨て身で、やるの。
だって、死ぬ気、あるんでしょ?
悟るって、生きたまま死ぬって事だよ。

あなたらしくない事を、やりましょう。ホラ。
「おかあさんありがとう」って、口が裂けても言えない一言を伝える。
「おとうさんだいすき」って、鳥肌を立てながら、言う。
「おとうさんおかあさん、私を大事に育ててくれてありがとう」って、
腑に落ちない記憶の中から、「それ」に合致する記憶を、拾い集めてくるんだ。
旦那さん奥さん舅姑に「ありがとう。至らない私でごめん。」て言う。
子供に「あなたのためだと言ってきたけど、実は私のためだったよ。」と言う。
気に食わない周りの他人に、「本当にすまない。」と、言う。
認める。
おなかの中で握ってる手を離す。
ホラ。
やってごらん?
怖いよ?

悟りたいのだったら、
スピリチュアルに「安心」を求めてはいけない。
これが覚醒前・一瞥前のあなたに、言えること。
悟りに興味ないのだったら、いっぱい安心してもらって大丈夫。
スピリチュアルメッセージには、そういう役目もある。

悟りの一瞥をしたあとはじめて、
あたしが、
「死ね」って、
突き放した意味が、わかるよ。


posted by 辰多みか at 17:14 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月25日

絶対悟った方がいい!

なんだか前の記事を読むと、
悟るのってコワイ、みたいな感があるー。
違うんです、コワく見えるけど、違うんです。
絶対、悟った方がいい。
ぜったい、
悟っておいたほうが、
いいよ!

悟ろうと悟らまいと、
人生でやる事は、同じです。
悟った後の、こわ〜い(ように見える)宿題は、
悟らなくても、やらなきゃいけない事なんだから。

悟りの世界を見ると、
宿題が、自分で、わかるよ!
そして、ピンポイントで、やる事がわかるので、
ムダな努力をしなくてもよくなる。
エネルギーを無駄遣いしない。
やりたい事が、やれるようになる。
愛と感謝があふれるようになる。
万人からは好かれなくなるけど、それも、いいでしょ!
だから、絶対、悟りの世界は見た方がいい。
こわがらないでね。
posted by 辰多みか at 23:41 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

王子様・お姫様

お釈迦さまがね、
あれほどの(って良く知らないんだけど)
悟りを得る事ができたのって、
それは、
お釈迦様が、
王子様だったからじゃないかと思うんだ。

目の前に、生きるか死ぬかの、今、対処しなきゃならない
問題が次から次へ流れてくる現実を生きていた身分の人々は、
それどころじゃ、なかったと思うんだ。

いまの世の中、苦しみながら生きている人は、
絶えず心の中でこう言っていると思う。
「いま自分が嫌な気持ちなのは、あの人のせい」
「いま自分が不幸なのはあの出来事のせい」
「いま自分が苦しいのは世間が悪いせい」

生きるか死ぬかの、交感神経反応がmax.の昔の時代、そんな事、
絶えず考えてるヒマ、ないよね。
だって自分の内面ばかり観て、外の環境変化に気を配るのが
おろそかになると、肉体的に死んじゃうし。
ここが戦場だったら、「こいつのせいで死ぬかも。俺は不幸だ。」
なんて考えてたら殺られるし。
とにかく考えずに、反撃するしかない。

だから、今の時代って、ある意味、ヒマなんだ。
考える時間が、充分にある。
ヒマすぎて、昔は問題にするヒマがなかった事を、問題にするんだ。
反撃できないから、原因をすりかえるんだね。
自分が反撃できないのを棚にあげて、世間のせいにするという。

日本のご先祖さまたちが、一生懸命、子孫の私たちが、
平和に暮らせるよう、全力を注いでくれた。
その努力のかいあって、私たちは今、平和な世に暮らしている。
み〜んな、王子さま、お姫さまだ。
貧民に生まれ育ち闇の部分を見てきたあたしでさえ、
今は、まるで女王さまみたいに暮らしている。
あたしはあのまま貧民だったら、まだ悟りの一瞥まで行ってないと思うよ。
精神を病むヒマなんてないしさー。
ヒマとお金がないから、病んだ瞬間に自死したかもしれないし。

でもね、充分病む時間がある、というのは、
神さまからの、宇宙からの、プレゼントなんだ。
↑ヘンな言い方で一般の人には受け入れられない話だろうけどね。
あたしは今、神経症でフラフラになってる響子さんに、
「チャンス、チャンス!(悟りの)」と、つい言ってしまう(笑)。

なので、
今、神経症やうつ病で、
苦しくてもうどうしようもない、そこの、アナタ。
そこの、
王子さま方、
お姫さま方。

今が、チャンスです!









そんな事、思えないと思うけどね〜。



このチャンスを確実につかみとるにはね、
もっともっと、
もっともっと、
ナゼ自分はこんなに苦しいのか、
目をそらさずに、
穴があくまで、見続ければいいのよ。
守られた環境で、
時間がいっぱいある中で、
たくさん、見続ければいい。



「あの人のせい」
「あの出来事のせい」
「世間が悪いせい」


そうかな?
そうかな〜?

ホントにそうかな?


posted by 辰多みか at 11:40 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

ハートレベルでの目覚め


ここ4日くらいがんばって、

--あなたの世界の終わり--
 「目覚め」とその"あと"のプロセス
アジャシャンティ著
高木悠鼓訳

を読んでるんだけどね。
出掛ける用事が多いんだけど「待ち」の時間も結構あるので、
その待ちの時間に読んでる。

けれど。
どうしても〜
どうしても〜〜
162ページから先が、読み進められない!
そのページとは、見出しが「ハートレベルでの目覚め」だ。
その前の見出しが「マインドレベルでの目覚め」
次の見出しは「腹レベルでの目覚め」だ。

マインドレベルでの目覚めまでは、快適に読み進めてきたけれど、
どうしても、ハートレベル(感情体)で、
寝てしまう!
3夜も、そこから先に行けない!
ほかのページ見ても、眠くなるなんてなかったのに。

なぜかしら?
まず、用語としての「マインド」と「ハート」がよくわからないからかしら。
一度、スピリチュアルな用語を整理してみようかな。
眠くなるのは、その話の次元の高さに、理解が追いついて来れないからだというよ。
・・・
こういった「真理」についての話は、平常の心で読むと、
文脈から立ち昇る「悟りのニオイ」的なものを読み切れず、
誤解してしまうので、あたしはいつも、心の目の焦点をわざと
そらして読むんだけど(悟りセンサー)、この見出しの部分に来ると、
その焦点そらしが、解除されてしまう。
霧がたちこめるみたいに、目の前が見えなくなってしまう。
ホントになぜかしら?
うーん、でもがんばって読もう。


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posted by 辰多みか at 14:12 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月10日

愛とは。

「動ける事」は、すべて愛なんだ。

視線を動かして目で見る事。
頭の中で相手の事を考える事。
その考えによって、身体に反応が起こる事。

誰かから目で見られる事。
誰かから、頭の中で、想像される事。

水が流れるように、自発的に動きが起こる事。
風を起こすように、自分から動く事。
呼びかけたら、返事をしてもらう事も。
「好き」でも「嫌い」でも。
「愛してる」でも「憎い」でも。
自分が、相手が、お互いに「どう」思っているのかは全く関係ない。
「好きか嫌いか」は、本質的にいう、真理で定義する「愛」には影響がない。

「愛」とは、ただ「動ける状態・動いている状態」を、指す。

「動けない状態・動きがない状態」だけが、「愛」ではない。
その状態は、「無関心」と言うの。

posted by 辰多みか at 16:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

自由とは。

心の底から「私が悪かった・・・」と思うと、
目の前の曇りが晴れて、世界がクリアに純粋に見える。
キラキラでピュアに見える。
その時、目の前にいる人たちは、全部、自分に見える。
世界中の人たちが、自分に見える。

それは、どういう生き方をしてもいいよ。っていう、
メッセージの顕れなんだよな。

posted by 辰多みか at 16:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

まだ18ページしか読んでない。


「あなたの世界の終わり」

でもそこまでで、「うわあぁ〜〜」て叫びそうになって
(どちらかというと絶望ではなく、喜びの方で)、
涙が出そうになった。
どこにも違和感がない。
本物の本物の本。








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posted by 辰多みか at 16:14 | 悟り | 更新情報をチェックする

「あなたの世界の終わり」裏表紙

エゴの消滅には時間がかかります。目覚めの一瞥は瞬間的ですが、その一方、そのあとに展開する夢の状態の重力を超えるというプロセスがあるのです。(本文より)

ADYASHANTI
あなたの世界の終わり
「目覚め」とその"あと"のプロセス
アジャシャンティ著
高木悠鼓訳


身辺がいろいろ片付いて、
この本がamazonさんから届いたので、
明日読んでみる。

posted by 辰多みか at 00:09 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月08日

「聖なる予言」読んだ。感想。A

@のつづき。
スピリチュアル界でまことしやかに言われている、
「波動を高めると、見えなくなるorいなくなる」

この本には、その話が「第九の知恵」として、出てくる。

主人公の目の前で「波動を高めた他者」が、ゆっくりと消えていった。
もしくは、恐怖で波動が落ちた主人公が、消えた他者とは違う低い
レベルの波動の世界に戻ってしまい、低いレベルの敵に見つかってしまった。
・・・ような事が書いてある。
つまり、波動が違う者どおしは、目視する事ができなくなる、と、書いてあるように、読める。
さらに、古代のマヤの人々がいなくなったように見えるのは、このせいだと。

これはさー、この本の、ここの部分だけを取り出してみると、
そのとおり「目」で見えなくなった、ような印象を受ける。
目の前から、消えてしまった ようだと。

でもあたしはさ、そうじゃないと思うんだ。
前に、ミツバチが、あたしの周りに4000匹もいたのに
ミツバチを怖くもなんともないあたしは、それに全く
気付かなかった、というのと、同じ現象の事を
書いてるんじゃないかと思うんだ。
怖さのあまり気にするから、気になるのであって、
気にしなければ、視界に入ってても、気付かない。
つまりはさ、視界には入ってる。
視界には入ってるけど、気にならない。
そういった事じゃないのかな?

そして、「波動」というのは、「怖い→→平気」のレベルに対応して
上がっていくものだと、あたしは解釈してるんだけど、
その、「波動」を上げると、消えるものは、別に、もうひとつある。
それは何かというと、「自我」だ。
肉体ではなくて、心の領域。「自我」
自分自身が、「自分」と思い込んでいるものが、消える。
悟りの瞬間。
この本では、肉体的な目から見る「気にしなければ目に入らない」
ということと、心の目から見る「悟り」の、ふたつの事を、
混同して書いてあるように思う。
ひとつひとつ文字を追っていくと、書かれている事柄は、たしかにすべて「真理」なのに。
意図的なのか、物語にしたためにぶれてしまったのか。
純粋な体験とは順番を違えて書いているために、脈絡が変なのか。
どうしたの。
どうしたの、これ。
「キリストが水の上を歩けるほど軽くなった」逸話を
入れたのは、ナンセンスであり失敗だと思う。
それこそ、肉体的な事柄と心の事柄が、混同している。
肉体と心、そのふたつは、同じ土俵の上には載せられない事柄のはずだ。

これを書くと少し紛らわしいかもしれないけれど、波動を上げると
消えるものは、実はもうひとつあり、それは、肉体。個々の生命。
つまり、私たちが一般的に「死」と
認識している、あの「死」の状態になる事だ。

その3つが、わざと混同されて書かれているのだろうか?。
もうひとつ言うと、「波動を上げると」、「気配」を消せるけれど、
「自我の消滅」と「肉体の死」の、2つは、波動を自分でコントロールして
「上げる」わけではなく「波動が勝手に最大max値まで上がってしまって」
起きる現象である。

この、「見えなくなる」記述以外に、この本での登場人物たちの
「波動、エネルギーの上げ方」にも、違和感がぬぐえない。
この本によると、自然の美しさを意識して、輪郭がはっきり見えてくると
愛のエネルギーが宇宙から補充できるようになる、そうだ。
・・・これって、実際の体験に比べていうと、「逆」だね。
実際の体験は、自分の非を認めると、自然(まわり)が美しく見えるように
なり、愛のエネルギーで包まれている事に気付き、感謝が体の中から
溢れだす、だ。うん。あたしの場合はそうだったよ。
エネルギーを上げるには、
まわりを、積極的に、美しく感じようとアプローチすればできるもんなの?
ふーん。
そうなの。
それはお得だねー。(棒読み)
でもなにか、ひとつ忘れてる気がするよ!
そんなに神さまは気前良くないと思うよ。

あとね、
第五の知恵で、
この主人公は、「神秘体験」をするんだけど、
そのきっかけは、殺されそうな恐怖と、エネルギーの高い(らしい)場所のおかげだ。
場所のおかげっていうのは、余分だったと思うなー。
そういう場所は、実際、有るとは思うんだけどさ。
これだと、悟ってない人たちに、誤解されちゃう。
パワースポットに行きさえすればいい、と、誤解されちゃう。
(だからみんなパワースポットに行くんだね。)
「悟る」のに、場所は、関係ないよ!

そして、悟りの一瞥したっぽいのに、残り6から9の知恵が、自分で気付けない。
人に教えてもらってばっかり。
この主人公、神秘体験した意味ないじゃん。
その辺が変だな〜と思うよ。
自分のネガティブな一面が、軽くしか出てこないし。
大事な事は、はるか未来のお金の流れの話じゃなくて、
どうよりよく自分を生きるか、だと、あたしは思うんだけどな。
やはりこれは、冒険物語にしようと思った結果なのか。
せっかく「真理」がいっぱい書いてあるのに。
純粋な真理(悟り)の体験を、一度バラバラなブロックに分解して、
物語として、並べなおした気がする。
だって、第一の知恵・第二の知恵なんて、悟った後に
気付く事だし。
順番が逆だ。
悟ってない人は、こういうアプローチで悟りに行きましょう、という事なのか?
いやいや〜。
やっぱ順番が逆だ。

という事で、違和感とあたしの意見をまとめてみると、
・この本は悟りの純粋な体験・真理が書かれているわけではない。
・この本を読んでも、悟れない。
・「エネルギーの上げ方」が安直すぎる。
・波動が上がっても、目では見れる。消えたりいなくなったりしない。
 ただ、気にならなくなれば 目には入らない。
・波動が勝手にmaxに上がってしまうと、自我(心の自分)が自分からは
 見えなくなって、悟る。
 その場合、他人から見える見えないうんぬんは全く無関係。これこそが
 次元の違う話、というやつだ。
・地球規模で目指しましょう、というのは、「悟り」の方。
・だから、次元上昇するのにおいてけぼりをくうと、取り残されて
 大変な事になるかも、なんて余計な心配はしなくてもいい。
・悟るのに場所は関係ない。
・この主人公、悟った意味ない(笑)。

さて、違和感が上記のように、ままあるんだけど、
書いてある事、ひとつひとつは、「真理」だと思うよ。
おおっと思う箇所も、いっぱいあった。
特に、コントロールドラマの「強迫者」「尋問者」「傍観者」「被害者」
は、心理を学ぶ上で、とてもいい。
実生活にも、とても役立つ。
そうだ、そういえば、ウチで繰り広げられているコントロールドラマの
詳細が知りたくて、この本に検索で出会ったんだったわ。思い出した。
あと、エネルギーの奪い合いの、丁寧な描写もいい。
これを知っておけば、テレパシストみたいに、人の心が読めるよ。
第六の知恵での、神秘体験の後の、「過去の清算」は、辛く時間がかかる
というのは、まさに、最近まであたし自身が苦しんでた事で、
やっぱりそうなのか!って、大いに納得したよ。
そして、未来を予言した、第九の知恵の中であかされる、
「お金」の価値の変化と、新しい「職業」。
これが22年前に書かれたものだと思うと、ちょっと、ゾッとするかも。
あたしは、「ウッ」て言っちゃった。
(人前なのに)
なんて予言が当たってる事でしょう。

まあ、これが何かは、この本を手にとって、読んでみてください。
(そこはネタバレしない)
 ↓
 ↓
se.jpg
(アフィリエイトリンクが貼りたくても貼れない。笑)
amazonかどこかで検索して買ってみてください。
続編もあるみたいだよ。

この予言が正しいとすれば、このブログは、有料コンテンツにしなきゃだわ(笑)。

posted by 辰多みか at 23:49 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

「聖なる予言」読んだ。感想。@

入試に付き添いをして大事な大事な生徒たちを引率していった。
もうね、責任重大だから、気が気じゃなかったよ。
寝坊したらどうしようと(笑)。
無事終わった・・・。
よかった・・・。
これであたしの義務教育も終わった!
(義務教育の義務って、こどもの義務じゃなくて、
親の義務なんだよ。親が「行かせなければならない義務」なんだよ、知ってた?)
子育ても、終わった!(つもり)
ああ〜。よかった。ほんの少し解放感。
今月末にはもっと解放感があがるかな?

付き添い人控室で、読もう!と思って、
「聖なる予言」(著:ジェームス・レッドフィールド)を持っていった。
amazonで買ったんだけど、履歴を見たら、去年の9月に買ったものだった。
それから、ずっと読まずにしまっていた。
なぜか、読む気がしなかったの。

amazonのレビューの評判が高かったので、読もうかなと思って買った
らしいんだけど、なぜ読もうと思ったのか、今となっては思い出せない。
まあいいや。
付き添いは2日間行ったので、2日で読み終えました。


感想。

この本は、1992年に書かれたものらしい。
22年前か。
アメリカでベストセラーになったそうだ。
その頃はまだ、携帯電話が出始めのころだっただろう。
今だったら、きっと、携帯やスマホ、それに加えネットによる
瞬時の拡散方法があるので、この本にあるような
「スリリングな事件」は、そもそも起きないだろう。
まずそう思った。
それにしても、22年前に、「予言」している事は、
全部当たってる みたいじゃない?
そういう意味では、すごい予言の書だ。
ただ、あたしの「悟りセンサー」を効かして読むと、
違和感を感じる所が数ヵ所ある。
それは、順をおって、ひとつずつ書くね。

まず、
スピリチュアルな方面のブログとかでよく目にする、
「5次元へのシフト」
「波動を高めると、見えなくなるorいなくなる」
「地球規模の意識の進化」
・・・って、
この本が元ネタなの?
そうなの?
って思った。

もしそうならば、
スピリチュアル界の人たちは、
「誤解」をしているのでは、と、思った。
そして、そう声高に言ってる人たちは、
間違いなく「悟り」を経験していない。

そして、この作者さんも、悟りを経験してるかどうか…
よく感じ取れない。
ものすごくいい線まで行ってる感じなのに。
訳者さんが、山川夫妻さんなのに。
「悟り」は、ちゃんと経験していて、それを物語風に書いた事で、
純粋な経験が、ぶれてしまったのか、とも思った。
長くなりそうなので、次につづく。


posted by 辰多みか at 11:36 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

恥を晒す

悟りの一瞥をして、
それを契機に、すぐにブログを始めると、
のちのち、恥を晒す事になる。
だから、言葉を発信したくなったら、
5年くらいは待ってから始めた方がいい。
恥を晒そう、と、思えるようになってから。
posted by 辰多みか at 17:18 | 悟り | 更新情報をチェックする

悟りの後にする事

悟りの後にすることは、

「自分になる」こと。

それしかない。

その後の人生は、
自分になって死ぬか、
自分になれなくて死ぬか。
それだけ。

かつて忌み嫌っていた自分になる。

忌み嫌い度が大きければ、自分になる過程で苦しむし、
小さければ、あんまり苦しまない。

悟るとわかるのは、忌み嫌ってた理由が、
自分の勘違いだった!という、目からウロコ的な発見と、
「自分になる」という道のりに転がって、道を塞いでいる
障害物の多さに唖然となること。

まあその障害物だって、自分の魔法で出してるんだから、
自分がひとこと「消えろ」と言えば、あとかたもなく
消えるのだけど・・・
だけど・・・
その魔法を解く言葉は、本当は「消えろ」じゃなくて、
「消えなくていいよ」が正解で、
その正解を、なんの胸のつかえもなくためらいもなく言えた時だけ、
魔法が解ける。
難しいねぇ。
だから、数年単位かかるんだ。
posted by 辰多みか at 17:14 | 悟り | 更新情報をチェックする

パスカルのパンセ

すみれが本格的に咲きだした。
もう春なんだね。
匂いがするスミレ。
去年の春に、一株、買ってきたの。
冬の間も、ボチボチ咲いてくれて、
結局一年中咲き続けて、全部で10個くらい咲いたかな。
においがするスミレは、紫一色だから、
たぶんバイオレットって名前で、
パンジーとは呼ばないと思うんだけど、
はなびらが三色に分かれてる、あのちっちゃいサンシキスミレを
思い出すと、パスカルのパンセが頭に浮かぶよ。

三色スミレは、英語でパンジー という。
パンジーの由来は、うつむいて、まるで考え事を
してる人のようだから、パンジーという。
パンセ(パンゼ)を、する人。
だから、パンジー。
シェイクスピアの物語の中では、媚薬として出てくるよ。

そんなこんなで(?)すみれを見ると、パスカルのパンセを
思い出すわけだけど、いままで読んでみた事は無かった。
それが、この間、隣町の大きな本屋さんに行って、
文庫本コーナーに入ったら、目の前に、あった!

ぶあつい!
さっそく手にとって〜。
・・・
・・・

まるで、ブログのさきがけのような、構成内容だった。
エッセイ、ていうか。
思いついた事を、思いついたままに、書き散らしたというか・・・
なので、
まあ、何が書いてあるかは、読まないでもわかるので(!笑)
買うのやめた。
ぶあついしさ〜。
時間がもったいないし。
あと、スピノザのエチカも読んでみたかったけど、
なさそうだったので、こちらは諦めた。
あたしは真理が知りたいんじゃない。
もう知ってるし。
真理を知った後、どう、よく生きるかを知りたいの。
この世で救われるためには悟りなさい って書いてある本は、もういらないの。
その先が、知りたいの。



posted by 辰多みか at 17:13 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

キラキラの至福の風景を見るためには

目の前の曇りが、一瞬で晴れて、
まわりの人みんなが自分で、
みんな、愛の海に胸まで浸かってる、
ワンネスの、
至福の風景を見るには、

深く、
深く、

懺悔 に なればできる。

懺悔する じゃなくて、 懺悔の状態になる。

無理して、「私がわるうございました!」って、ニセの懺悔したって、できない。
ふつうの人がする懺悔って、みんな、そういうニセの懺悔。
謝ってるつもりで、実は心の奥底は、誰かのせい、なにかのせいにしてる、偽の懺悔。
そうしてるうちは、キラキラした風景を見る事はできない。

本当に、心の奥底から、
誰のせいでもなくて、
自分のせいでもなくて(ここ重要!)、
ただ単に、自分は"やらかしてしまった"だけだと、
認める、
やらかしてしまった事実を、認める。
そうすると、「あちゃ〜」ってなって、
「あー…悪い事したんだな〜…」って、じりじり、居ても立っても
いられない気持ちになって、そして、
急に、目の前の霧が晴れる。
ウキウキした気分ではなくて、静かな気持ち。
目に映るすべてが、キラキラする。
バツが悪いんだけど、キラキラする。
不思議な気持ち。
至福っていっても、あたしはバツが悪すぎて、
あんまり福じゃなかったな。
でも、胸まで愛に浸かってたわ。
頭で想像したって、とうていできない、
不思議な、心の3D絵みたいな、風景。
これって、もしかして、なにかしらの脳内物質が出てるのか。
不思議だわ。
posted by 辰多みか at 11:27 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

悟りの世界をかいま見る前後の道のり

悟りの世界をかいま見る。
一瞥する。
人によって、言葉の定義がちょっと違うみたいだけど、
たぶん、一瞥した者どおしならばわかる。
見性。覚醒。目覚め。気づき。悟り。とか。いろいろ。
(この中で、覚醒、悟り は別の意味で使ってる事が多いかもしれない)
忘れもしない、衝撃的な、あの体験。

こころは、3層あって、
上の2層は、それぞれ、表と裏がある。
3層目は、もはや層でもなくて、言葉で表せない領域。
こころの層の上に、肉体の層がある。
肉体の層も表と裏にわかれていて、
それぞれ交感神経と副交感神経がつかさどっている。

悟りの世界をかいま見るまでに、
こころの層、1層目、2層目を、見る事になる。
なぜそこを見ることになるのか。
それは、「いろいろな事が思うようにいかなくなって苦しくなるから。」
苦しくない人は、こころを顧みる事は、ない。
そういう人は、もうすでに、風のように颯爽と生きているからだ。
苦しくなる理由は、自分ではわからない。
もがき続ける。
自分で「良い」と判断した方法で、苦しみをなくそうとがんばる。
けれど、だいたいは失敗する。
がんばりが、逆方向だからだ。
こころの層を見たくないから、
見なくても良い方向にがんばる。

その辺で、病気になる人がいる。
結構な確率で、いるよ。
ていうか、もしかしたら全員そうかも。
体の病気も、
心の病気も。
体の病気は、心の歪みが噴出しているので、
結局は、どちらも、心の病気だ。
偶然のケガや、盛られた薬物による体の変形でなければ。
(故意のケガは、心の病気だよ。)

病気になると、
がんばれない。
がんばれないのに、がんばる人がいる。
それほどまでに、自分自身のこころを見たくない。
だいたいこの辺で、
気づきをもたらしてくれる、良いカウンセラーさんか、
セミナーやワークに行く人もいる。
第三者の力を借りるのはいい事だと思う。
ただし、見極めが必要で、
見極めるためには、悟りの世界を見ないとできないから、
結局は、最初は運や評判に頼るしかなくなる。
お金もそれなりにかかるし。
ちなみに、精神科医さんは、悟りの世界を見た事が
ある人を選ばないと、絶対だめだと思う。
そういう先生はあんまり居ない感じがする。
森田療法ができる先生だったら、良いのかもと思う。
幸運にも、悟りの世界を見た事があるカウンセラーさんに
出会えれば、その先は、少し近道ができるかもしれない。

誰の力も借りず、
ひとりで、
がんばれなくなった人は、
「死」を、
選ぶ時がある。
「自死」は、「逃げの最終形態」だ。
それほどまでに、自分のこころを見たくない。
どれだけ逃げるの。
自分から。
それ自分でしょ。
もっとよく見てあげなよ。
・・・
「自死」も諦めた時、
なにかのきっかけで、
自分の人生のフィルム上映会が始まる。
見たくないのに。
こころの1層目。
こころの2層目。
1層目と2層目の間に、汚れ。
それが、ふと、考え事をするように、頭の中に、
映し出されていく。
それは、一気には来ず、
だんだん、じりじり、深い所まで思い出すように、
記憶が鮮明に映し出されて来る。
体感を伴って。
匂いや痛さや冷たさも。
それは病気になった最初の頃も、そんな感じだったかもしれない。
いろいろ思い出す。
ずーっと考えてる。
嫌になる。
嫌になるよね。病気も治らないし、
気分も暗くて重い。
するとまた何かのきっかけで、
「とても酷かった私」の記憶を思い出す時が来る。
このきっかけは、人によりさまざまで、
まったくの偶然で、
願って叶うものではなくて、
だから、みんながみんな、きっかけのチャンスにありつけるわけではない。
今生きている間に、こない人もいるし、
20代でも来る人もいるし、いろいろ。
「とても酷かった私」は、こころの、2層目に居る。
ここに到達しだすと、あとは、自力で、3層目まで、
落ちる。

落ちる。

ここで耐えられなくてまた「自死」を選ぼうと考えると、
もとのもくあみだから、もうちょっと我慢して。
案外、スピードが早くて、あっけなく落ちる。
落ちてると思ったら、実は天に昇ってた事が、わかる。
そこまで行けたら、しめたものだ。

こういう体験談を、神秘体験への憧れの目で読んで、
落ちる時の「苦」無しに、天に昇ろうかと、
無意識で考えてると、「ニセモノ」の光や声を、
見たり聞いたりする事がある。
それは、神の声じゃなくて、自分自身の声だからね。
騙されないで。
本当の体験は、「決まった形をした光」なんか見ない。
ただ、明るい感じがするだけ。
丸い光が体に入ってきた、とか、まばゆい光が全身を包んだとか、ない。
それは比喩だから。
今まで暗かったから、明るく感じるだけ。
今まで曇ってたから、はっきり見えるだけ。
ただ、言葉で表すと、どうしてもたとえでしか表せないので、
各々、違った表現で表す。
感じるのは、たぶん皆一緒だけど、表現の仕方が皆違う。
もしもあたしがこれから先「光につつまれた」とか書いてるとしたら、
それは「比喩」なだけだからね。
わかる人にだけわかる比喩なだけ。
だから、お互い、悟りの世界を見た人たちどおしでしか、
絶対に理解しあえないの。
形にこだわる人は、本物の体験をしていない。
神様の名前にこだわる人も、ニセモノの方が多い。(全員が
ニセモノではないのよ。だから、よけい紛らわしい。)
本当の体験では、声なんか聞こえないよ。
では実際、ナニを見るかというと、
ボヤッとした、概念の塊。
意識の塊。
知識の塊。
叡智とか、真理とか、法則とか、仕組みとか。
仕組みがわかるので、それを言葉で表そうとすると、「声」になる。
ただそれだけ。
仕組みがわかれば、安心できる。
「死」さえも怖くなくなるよ。
でもそれを見た事が、実際、本当に死ぬまでの、残り人生に、
ぴったりあてはめて応用できる「生きるための」ハウトゥーなのかというと、そういうわけではない。
それに沿って生きると、ごはん食べなくてもいいし寝なくてもいい。
山の中で誰にも会わずに、パンツいっちょで優しい目をして暮らしてればいい。
そうしたい?
そうしたいなら、すればいいと思うよ。
でも、だいたいみんな、生活水準は同じように暮らしたいと思うよね。
水準は同じかそれ以上で、楽に暮らしたいと思うよね。
じゃあそれを選べばいい。
選ぶのは自己責任だ。

仕組みを見るって事は、
なんだろう、「目」をもう一個もらった感じか。
嗅覚が、犬並みに鋭くなった、という感じか。
目がみっつになって、鼻がよくなっても、自分のやりたい事も
やらずに、やれずに、卑屈に生きてたら、なんにも楽しくない。

ここで、「宿題」が、出る。
実際は、「宿題」なんてハッキリした形のものではなくて、
これはただのあたしの比喩だからね。
比喩的にいうと、「宿題」とは、やらないといけないもの だ。
あ〜、いけなくもないんだけど。
なにを選んでもいいんだから、「いけない」ではない。
言葉で表すのが限界。
だから感じ取ってね。

ここであたしが宿題といっているのは、
もともとは、
仕組みの塊の中から伝わって来る、
「自由に生きていいんだよ」という声(比喩)を自分の中で解釈しなおしたもの。
仕組みの塊・真理、それを定義して「神」と呼ぶんだけど、
神は、「いいよ」しか言わない。
「存在していいよ」しか、言わない。
言うって、比喩だからね。声なんか聞こえないよ。
生きるというのは、その声に従うという事。
それに従うためには、
ためには、

今やってる、やりたくない事を、今すぐやめて、
今やってない、やりたい事を、今すぐ始める。

そうしなさい、と、声は言う(比喩だから、「しなさい」も「声」も無いよ)

悟りの世界を見た後に苦しむのは、
そのふたつが、なかなか、できないからだ。
だってやるには、感謝しないといけないだもん。

なにをしたい?なにをやめたい?
離婚?別居?親からの独立?転職?
なにもかも破壊する事?
それとも、すべてを愛で受け止める事?
人によって、どれも苦しい。怖いから。
ゾーッて体が反応する。

結局、第3の層からすれば、
どれもいっしょで、
どれやっても意味なくて、
やってもやらなくても良くて、
ぜ〜んぶそのままでいいんだけど、
肉体を空気と水と大地から借りて、生きていくのならば、
やりたい事ばっかやって楽しく生きればいいと思うんだ。
だって今まで、自分自身の本当の欲求に従って、
生きてこなかったでしょ?
だいたいそもそも、悟りの世界を見る前に苦しくて
病気になるのは、自分の欲求を偽って、偽の自分を生きてたからだ。



posted by 辰多みか at 11:45 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月16日

てっぺんを取った彼

あたしが超崇拝する、とある彼。
彼は、てっぺんをとった。
(これは比喩とかではなくてリアルな話)

それが、目標だったそうだ。
生きる原動力だったそうだ。
仕事をがんばる原動力だったそうだ。
その仕事で、てっぺんを取った。
当時、日本中が、それを見ていた。

てっぺんを取る前、
きっと頂上に行ったら、後は落ちるだけだと彼は頭ではわかっていたと思う。
だって、てっぺん取ったら後は落ちるだけだぜ!っていつも言ってたもん(笑)。

頂上は、達成感でいっぱいだった。
けれど、頂上は、その"先"が無かった。
頂上だからあたりまえなんだけど。
あんなにも自分で、落ちるだけだぜ!って力説してたのに、
どうやら彼はその覚悟が無かったみたいだ。
自覚してなかったみたいだ。
自分がそうなったら、ホントはどうなるのかってさ。

その後、彼がどうなったかは・・・
プライバシーに関わるので、想像におまかせする。

いっぱい想像しちゃっていいよ…
きっとそのとおりだから。

数年経って、突然彼が、皆の前に現れた。
あたしたちはただ驚愕し、けれど歓迎の声を持って迎えた。
みんな待っていたから。
彼は、数年間の沈黙を破って、過去を話し始めた。
「いや〜、○○が出来たら、あとやる事、なんにもなくなっちゃったんだよね〜。」
「気力が無くなってね。いろいろひねり出してみたんだけど、あれで真っ白になっちゃってね〜、うまくいかなくて。」
すがすがしい笑顔で言った。
ひきこもる直前の、あの淀んだ空気はどこにもなかった。
そうじゃないかなと、訝しく想像してた答えを、
いともあっさり、彼は認めた。
あけっぴろげだった。
禊。
みそぎ。
文字どおり、みそぎをして、
痩せて、余分な物を、出したみたいに見えた。

彼が絶望の後、悟ったかどうかはわからない。
たけど、何を聞いても悪びれず、笑顔で答えてくれた。
当時は聞けない事までも。
ヒミツの会合だったからかもね。
そこに居た人たちだけの、秘密。
そうだ、絶望していた時、壁のシミの数を数えていたんだってさ。

あたしはその時ね、
まだ悟りの世界を見てなかったので、
そんな彼を見て、
「飢えてないと、ダメだ。」と、強く思った。
人間は、飢えてないと、ダメだ。
お腹いっぱい食べてしまったら、もうダメだ。
満腹は、破滅をみちびく。
破滅してはいけない。
だから、おなかがすいている状態で、我慢しないといけない。
そう、強く思った。
心がけよう、とさえ、思った。
あたしは愚かにも、目の前のすがすがしい彼は全く目に入らず、
苦悩した、過去の彼の姿しか、見えなかった。
そんなものは、その場所のどこにもいないのに。

今はね、
さっさと満腹になればいいよ、と思うよ。
てっぺんをさっさと取って、
そして"そこ"には、自分を満足させるものは、何もないんだと、
早く、痛いほどわかるといいと思うよ。
どれほど、欲しい物を集めても、満たされない。
そうしてどん底を体験する。
追い詰められたその先に、本当に欲しかったものがある。
死も諦めるほど絶望した先に、本当に必要な物がある。
そしてそれはもはや、必要なものでもない。
そういう境地。
だから、人生なるべく若いうちに、いっぱい経験していっぱい失敗して、絶望した方がいいと、思うよ。
そしたら てっぺんが、2回 取れるしね。

そのてっぺんは方向が逆向きだから、プラスマイナスゼロだ。
posted by 辰多みか at 09:04 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月14日

箇条書きはいらない

箇条書きはいらない。
リアルな体験談がほしい。

とっちらかってもまとまらなくっても、
温度を感じる体験談が欲しい。

「悟り系」ブログを、とあるキーワードで見つけて、
(キーワードはその時々でいろいろ)
そのあと読むのは、その検索で見つけた記事と、「悟りの体験」の記事。
この人はホンモノ(ちゃんと一瞥や悟りを体験している人)と感じたら、
ブログの、一番最初のページを見る。
プロフィールページを、見る。
「体験談」を探す。
書いてない事も、ままある。
最初じゃなくて、途中にある事もある。
カテゴリーになってる時もある。
とにかく、その人が、
痛んで苦しんでもがいた軌跡を、さがす。
その他の御託は、どうでもいい。
天使とか高次の存在とか天からキラキラとか、そんなのはもっとどうでもいい。
あたし以外の人には必要かもしれないけど、
あたしにとっては、心底どうでもいい。

(特に、対談形式は、あたしの脳の判断能力のせいなのか、
ぜんぜん読めないので、そういう形式の有名ブログも
たくさんあるけど、まったく読まない、というか、読めない。
その傾向が顕著なのは「神との対話」の本が、あたしは読めないのだ。せっかく3冊買ったのに。)

その体験談に、どんな結末があってもなくても、
あたしは"それ"を読みたい。
結末は、どれも同じなんだから、途中が知りたい。
さまよう。
一度、覚者の講演会に行った。
ブログに書いてない(と思うよ)、超強烈な体験談を、
あっさりさらっと、話してくれた。

それが聞きたかったの。
それが欲しくて、さまよってたわ。

覚者は、文字に、残さない。 みたい。
もったいぶってる? かっこわるい?
たしかに、恥ずかしいよネ。
あたしも自分の体験は、本当に、穴があったら入りたいほど、恥ずかしい。
(そしてその穴に転げ落ちて、アチラの世界に行ってしまった)

まああたしは自己満足なので、
他で埋められない欲求不満を自分が書く事で埋める。
箇条書きはいらないっていう、欲求。
誰かが、「欲しい」と思ってるなら。
だからこれからも、みっともないダサい恥部を晒していくわ。

主婦の恥部ブログ。


エロいか。



いやエロ要素まったくないから。
posted by 辰多みか at 15:34 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月12日

ろびこ先生

美内すずえ先生は、スピリチュアルを感じさせながらも、
悟りは感じない。

漫画の神様・手塚治虫先生は、漫画の小さい世界では神様だったけど、
本人自身は、悟りを得てない。

あたしは昔はたくさん漫画を読んでたけど、
最近は、さすがにオバサンなので、昔ほどは読まない。
それでも同年代からすれば読んでる方だとは思う・・・

そんな、狭い選択肢の中で、
すこ〜し、悟りを感じる先生がいるの。

「ろびこ」先生というの。
http://robiconet.com/blog/
ブログも面白いよ。

普通(?)の胸キュン少女漫画なんだけど、
目線がなんだか達観しているの。
こういうのって、描いてる本人がそこまで到達してないと、描けない。

あと「聖☆おにいさん」の中村光先生は、悟りは感じないなー。
どうなんだろう。面白いけど。
もろブッダとイエスだけど。
posted by 辰多みか at 16:26 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月11日

美内すずえ先生とスピリチュアル

「ガラスの仮面」が好き。
美内すずえ先生の。
もはや説明もいらないだろうけど、
少女マンガ界の傑作。

美内先生は、
「神」がお好きみたい。
今、ほとんど最終章あたりで、「紅天女」という劇をやる寸前なんだけど、
この、紅天女は、とってもスピリチュアルなの。
だって神だもん。
しかも、先生は「アマテラス」という漫画も書いている。
こちらは、今、連載途中で止まっている。
こちらの方は、バリバリスピリチュアル。

あたしは、美内先生に、今のところ、悟りを感じない。
マンガ自体は、30年以上の長期連載中なので、
あたしはその間に、悟りの世界を見たため、それ以降は、
あたしの悟りセンサーに照らし合わせつつ読んでいるんだけど、
どうも、今いち、感じない。

神を演じるには、主人公のマヤは、悟らなければ
いけないんだろうけど、どうも今の所、マヤは悟れるのか、
先生が悟りの描写ができるのか、予想ができかねるのだ。
マヤが悟る必要性が、無いみたいだし〜?
(必要性といえば、紅天女をやるためだけ)
どちらかといえば、ライバルの亜弓さんの方が悟りに近いかもしれなくて、
もし亜弓さんが悟れば、間違いなく、この紅天女勝負は、亜弓さんの勝ちだ。

でも、どうもいまいち、感じ取れない。
美内先生自身は、本当に、何年も前からスピリチュアル好きらしいのだけど。
ただの、先人の知識のコピーなのだろうか。
だから、連載が進まないのだろうか。

うーん。
どうでもいいけど、はやく先生自身が、おお〜きい悟りを開いて、
せめてあたしが死ぬまでに、最終回を描いてほしいわ!
なんだかんだ言っても、めちゃくちゃ面白くて、大好きなので!






恐ろしい子・・・!





白目




posted by 辰多みか at 23:40 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月10日

モーグルと馬の背とサレンダー

ソチ五輪のモーグル。
きのうがっつり見た。
上田愛子選手は残念だったけど、まあしかたがない。
すがすがしかったし。

いつもモーグルとかスキージャンプを見て思うのは、
「サレンダー」

ゆだねる と いうこと

1mmも疑問を持たない。
ほんのわずかでも 心に迷いがあると、腰が後ろにひける。
スキーの後ろに重心が乗ってしまうと、制御が効かなくなる。
だから、いくら怖くても、絶対に疑問を持ってはいけないのだ。
ジャンプとモーグルは、(他の、スノーボード等の競技でも)
「信じる事」を試される。
自転車に乗る事も、同じだな。

あたしは学生時代、常に体育が5のうち「2」で、
一番良くても、「3」で、
大人になったら、ぜ〜ったい、スポーツなんかやるもんか、と思っていた。
けれど入った会社は、スポーツマンばっかで、みんなスポーツ
大好きで輝いていて、「遊びに行く」のはスポーツがらみか、飲み会。
だから必然的に、あたしもやるようになった。
春はバレー、ボーリング、夏は海、テニス、富士登山、冬はスキー。
まあなんてあたしらしくない。(海は好きだったけど)
球技がまるでダメで、スキーなんてコントロールもできないと思っていた。
案の定、上手じゃなかった。
けど、なんか、冬は毎週、スキーに行った年もあった。
すごく下手なんだけど、
コツを覚えると、滑れる。
バカみたいに、リフトで上に登り、滑り降りてくる。
上に登り滑り降り。
上に登り滑り降り。
バカか。
いや〜ホント、バカだったわ。スキーバカ。
ちょうど、「私をスキーに連れてって」の数年前で、
うまく滑れるようになった頃、その映画が流行って、スキーブームに
なったので、鼻高々で行ったわ。
行きまくった。
連れてってくれる会社の人たちは、みんなスキーが上手で、
女子が少ない会社だから、スキー女子をとても可愛がってくれて、
スキー女子連は、複数のグループに顔を出して、そりゃもう、連れまわして(笑)もらったわ。
だから毎週行ってたんだけど。

スパルタのグループもあった(笑)。
つがいけに行ったら、馬の背に連れて行かれた。
まあ、わかってて行ったんだけど。
馬の背。
今のあたしだったら、たぶん、滑れん。
ものすごい狭い。
ものすごい斜面。
止まったら、二度と進めなくなりそうな場所。
そこを滑った。
な〜んにも考えなかった。
考えたら、滑れなくなる。下に降りられない。
誰にも助けてもらえない。
だから、なんにも考えない。
「怖い」って、考えない。
考えた時点で、負け。
「思考」がそのまま「体勢」に現れるのが面白かった。
だから常に突っ込んでいった。

そうだ、一度、「ハタ」と、なぜか立ち止まった事があった。
あたしの真後ろに、知らないおにいちゃんが滑ってきていて、
あたしが急に止まったもんだから、よけて転んで、大迷惑をかけてしまった。
その時、あ、うしろの事もちゃんと考えないと、と、学習したんだよな。
馬の背で。
遅すぎるだろ(笑)。
もっと初級コースで学習しないと(笑)。

だから、今もスキーを見るたびに、
あれが「サレンダー」の状態だったんだなーと思う。
すべてを信頼して、ゆだねる。

それが日常生活の「心」でもできるといいんだね。



あ、もうたぶん年齢的にスキーはやらないと思うけどね。



posted by 辰多みか at 16:23 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月08日

一瞥後苦しみ仲間サンブログ

アクアさんがブログ開設されたんですって。
見てきました。
http://ameblo.jp/aquaitibetu/
一瞥後の苦しみの後、行きついた、というかあたりまえに有った、
というか、無かった?…
その先、いや先でも後でもない、体験を書いてくれました。
ありがとう♡
一瞥後に苦しい人は、見てみてね。
posted by 辰多みか at 16:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月07日

一瞥後苦しみ仲間サン追記

コメントで追記をいただいたのでこれも全部載せよう(笑)。

そうそう、このブログは現時点で、コメント欄が開いてる記事は、いっこしかないです。
コメントのやりとりが面倒(爆)なのでコメント欄廃止しようかと、
ブログを開設した時に思ったのだけど、何も窓口を設けずに
情報発信するのも無責任なのでいっこだけ開けました。
もともとこの精神世界系ブログの前に、15年くらいBBS(掲示板)と別のテーマのブログをやっていたの。
素晴らしい出会いがあって、子供の頃からの夢が3つも叶ったけどね。
(どうしても叶わなかったのもあったけどね。)
コメントが超めんどくさかったです(笑)。
ばちあたり発言か。
前回のブログでは体を壊したので(笑。ホント洒落にならない)、これはゆる〜くやります。
つっても誰も前ブログを知らんか。
前ブログで体を壊したのが、一瞥につながってるんで、
それはそれで大いに意味があったけどね。
まあ、そんなのみんな、どうでもいいか〜。
うん、どうでもいいね。


あたしのコメントからね。(紫文字)
アクアさんのは緑文字ね。


アクアさん、コメントありがとう。
>迷惑にはなりたくありませんので(笑)
これがきっと苦悩の個性ですね。大丈夫。迷惑ではないので認証してさらに記事にします。
勝手にやります(笑)。

私は苦しみ仲間がいるはずだ、と感じて、ず〜っと探してきました。たまに検索して見つけるのですが、彼ら・彼女らは、あっという間にブログ発信しなくなるのです。ものの見事です。それはとっても残念だし、もしもこれから覚醒が一気に起こるのならば、その苦悩の体験談こそが、これから必要になってくると思うのです。
だから、みんなじゃんじゃん苦悩してほしい(笑)。
結局あの憧れの「悟り」の境地には、きっと肉体的に死んだ時にしか行けないのでしょうから。
死んだ事ないのでわからないですけど。
Posted by 辰多みか at 2014年02月07日 15:26


あははは、思った通りの人でよかった(笑)
どんな人かって?

気の合う人。

>苦しみ仲間にいれてくれて ありがとう。
私の苦悩ブログはもうないけど、
あればプレミアがついたかもしれませんね。(爆)

え?記事にしてくれるの?じゃ、追記します(笑)

一瞥後の苦しみ…これ、仕方ないです(笑)
自我意識の塵や垢を落とさないと、純粋な自分に逢えなくなってます。。。

人はその仕組みを知らないと「苦」として認識して、嫌って溜め込んでいきます。
一瞥後の人は 受け入れることができます。こばんでみても受け入れなければ「苦」が延々と続く事が体験を通して理解されます。

「苦」の根源をカルマと書くか、行き場のなくした感情や怒りなどの集積物と書くか、トラウマと書くか、その表現は各人のネーミングのセンスでしかありません(笑)

受け入れると表現するか 浄化と表現するか味わうとか 見つめるとかも同様に言葉上のことです。…要は感覚として自我意識を突き放して観られるかどうか。達観して自我意識の生み出した創造物を冷静に認められるどうかではないでしょうか?

自我意識の責任を自我意識がとると、いつもとなりにいる 気がつかなかっただけの自分に逢えるのではないでしょうか?

二度目に感じるのは あまりにも 当たり前で
いつも どんな時も自我意識の真裏に在って慈しんでいてくれた 
それ なのでしょう(笑)

Posted by アクア at 2014年02月07日 17:53


あ 追記書いてる間に記事のってましたね(爆)
今 読んできました。

でも、追記書いてよかったです。
そのままが 記事のコメントです。

届くと信じています。
いえ、届けられたのは私も同様です。

それと、お釈迦様が言われたのは この世は思い通りにはならない、
という意味らしいですよ。「苦」を滅することが悟りとも…。
Posted by アクア at 2014年02月07日 18:22


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プレミアブログを読んでみたかったです(笑)。
一瞥後の苦しみは、やっぱり仕方ないのね。
生きてるかぎりは、きっとそうなんだね。

「苦」って、あたしは美化して「苦」とか書いているけど、実は、
その中身は「うらみ」とか「憎しみ」「ねたみ」なの。
相手がある事だから。
それも、一瞥してるから幻だって事はわかるんだ。
一瞥してるくせに「うらみ」にがんじがらめで、
そんな自分を出す事も隠す事もできなくなって、
みんなブログをやめるのかもね。

受け入れなければ先に進めない事もわかるのに、
(受け入れる、というか、「許す」なんだけど)
どうしても体が受け付けない。
頭ではわかるけど気持ちがついてこない・・・て延々悩んでました。
「負けたくない」って、悩んでました。
「負けたくない」に打ち勝つのって、「負ける」事なのにね。
もうちょっとでできそうなとこまで来てるのにな。

自分の隣にいる自分は、一番弱くて、汚い、酷い、
いやらしい自分なのに、一番の自分の味方で、
「ゆるぎない自信」なんだよね。
これが居てくれても、あたしはまだまだです。
やっぱり単にまだまだでいたいのかもしれない(笑)。

posted by 辰多みか at 23:11 | 悟り | 更新情報をチェックする
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