2014年02月07日

一瞥後苦しみ仲間サン

2年半前に一瞥後、あたしと同じように苦悩されたアクアさんからコメントいただきました。
とても良い体験談ですので、全文載せます。認証が結構どころじゃなく全文(笑)。
どこかしらにいらっしゃる苦しみ仲間さんたちに届きますように。


--アクアさんより(緑文字分)--

>どうしよう。覚醒しても苦悩は無くならなかった。

…このフレーズに興味を持ち 閲覧にきました。
はじめまして、アクアと名のっています。

長いコメントになりますので、認証は結構です。
迷惑にはなりたくありませんので(笑)じゃ思い切り書きますね。

一瞥体験後 調子にのってブログに書きまくっていましたが、恥ずかしくてやめてしまいました。本質が至福でも個性は苦悩に満ちていましたから(笑)で その状態を求めれば求めるほどに苦悩は増し、疑問は後をたたず、すっかり人間的に暗い性格に落ち込みました(爆)

たまに気がはれても 即終了となり継続しない心の状態に更に疑問は深まり 堂々巡りの日々が続く事、続く事…あきらめたつもりでも追いかけてこられて、また追いかけてみて、
…昨日 ようやく、ずっとそばにいた「私」に気がつきました(笑)

>悟りのあとの空白期間

…この記事にあるように、一瞥後にある更なる苦しみに苦しむ人は 多いと思います。悟後の修業として とらえる人もいますが、私は 実は悟っていないだけだと とらえます。
じゃ ホントの悟りがあるかと言えば、根本的に悟りとして表記されるような観念自体がないと思っています。悟りを求めるゲームの中にはあるでしょう。一生探しても 更に先を求めるだけで どこにも行きつく事がないと今はそう思っています。

何故そのような破天荒な意見になるかと言うと
「今に在るわたし」に 疑問がないからです。
疑問の抱きようがない、それがいつも 私という自我意識の総てを見つめていることが理解されました。それは何も特別でない あたりまえの自分です。他のひとも同様で、いつもその人を通して 世界をみつめています。

あまりにも普通で あまりにも身近で あきれかえるほど あたりまえの感覚ですので、それが悟りとは 到底思えません。
私が思ってきた悟りは ありませんでした。 でも私はこの意識に至ることを望んでいました。私という個別の意識を総て見渡せるあたりまえの私…ここで 今、満足しています(笑)

これが私の一瞥後の顛末です。私の観た一瞥は苦しみが私の持ち物でなく、違う空間に浮かんでました。(生まれる)前の私は 永遠に安楽で絶対的な安心感の中にいました。この世界が 夢であって、心からほっとしたことを覚えています。総て私が仕組んだことを忘れているだけだと思い出しました。笑う組でしたが、その後一ヶ月位は 泣く組にいました(笑)

その後 自我意識に吸収されていき、二年半になります。

一瞥だけでブログ書いたり全国を廻る人達もたくさんいますが、軽薄さだけが目立ちます。何かが違うのかもしれないし、何も違わないのかもしれません。私は一瞥後の苦しみを推奨します(笑)

みかさんは私の立ち位置の先にいる人です。直感ですが他にも何人かが私の先にいることを感じます。私の書いたことはプロセスと自覚しています、ただ その先を観ていないので、今の結論として書きました。これを書いて みかさんを意識してますと、この先へと行ってもいいかな(笑)なんて気がしてきました。

お互いかもしれませんね(笑)

いいブログです。ここを素通りすることができませんでした。読んでくれてありがとうございました。

-----
アクアさん、ありがとう。
アクアさんの見た・感じた事を、発信していってほしいなと思います。
どうせ(笑)あたしたちは、本質が「至福・愛・光・神」で、それを覆うのが
「醜い・酷い・いやらしい・こすい・セコい・ケチな個性」なんですから、隠す事ないです。
バレてるし(笑)。

一瞥だけで全国を回る方がいらっしゃるのは知ってます。会った事ないですが。
"個性"を隠してるんだったら今苦しいだろうし、あけっぴろげだったら問題ないですね。
回る事で、覚醒者がぞくぞく誕生するのだったら、じゃんじゃんやってほしいと思います。
どのみち、誰かの評判・非難のせいで世間からフェードアウトするわけではなく、
自分自身と対面しつづけられなくなってフェードアウトするのですから、あたしたちがする事は何も無く、ただ黙って見てるだけですね。

あたしの立ち位置は、たぶん、アクアさんと変わらないし、もしかしたらアクアさんの方が先に行ってるかもよ。
言葉は悪いけど「あきらめ」。ちょっといい言葉だと「手放し」。体感的にいうなら「流される」。ムズカシイ言葉でいうと「サレンダー」。
それが、肉体を持って生きている間にできる、最善(←善でもないけど)の事 なんじゃないかな〜と漠然と思います。あたしはまだできない。
したくないのかもね。
「感謝」と「ハートからの愛」がなかなか湧き出ないので、キッツイな〜、と感じます。


一瞥しても、見性しても、覚醒しても、悟っても、

苦悩は、なくならない。

悟りの世界を見てからおよそ6年、ようやくたどりついた、結論です。
今のあたしのレベルの、今の結論ね。だから、「結」論ではないけど、まあ言葉のあやね。
そういえばお釈迦様、そんな事言ってたな〜、くらいはかすかに記憶があったけど、
やべっ、それホントだわ、てなったのが去年の終わりくらい。
ぐる〜んと回って、ものすごくたくさん歩いてきて、結局、元居た所とおんなじじゃん、という、感じ。
だ・け・ど、実は違って、螺旋に歩いて来たんで、一段上がってるんだね。

悟りの世界を見て、結局前となにも変わらない、んだけど、
確実に、違っている事がある。

それは、自分自身を俯瞰して見れるようになった事と、
「悟り」を語っている人の、ホンモノ・ニセモノが、わかるようになった事。
「宗教」というのは、なにも価値が無い、ただの石ころなんだけど、
その石ころである原石の中に、ほんのわずかに、ダイヤモンドのかけらのような「真理」を見る事だけはできる。
そう、できるのは、見る(感じる)事だけ。
自分自身は何も変わらないのだから、悟らなくてもいい、というのではなくて、「見れる」ようになるだけでも一瞥する意味はあると思う。
ていうか、絶対、一瞥でも、した方がいいです。
だから、情報はいっぱいあった方がいいと思うな。
という事で、苦悩する覚者さん達は、情報発信してほしいと思います。お願い。




posted by 辰多みか at 16:45 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年01月29日

悟りのあとの空白期間

「あ、そうか。」
「・・・わかったー。」
「これは悟りといわれるものと同じか?…」

一瞬で、わかってしまう。

嬉しい 嬉しい。
信じられないけど本当に有る世界。


それまで、絶望的に追い詰められていたのに、
もう逃げられない奥の奥は、広大な外に繋がる狭い狭い、最後の苦しみの通路だったと。


わかってしまう。

「悟る」

すべてから、解き放たれる。






けど。

それは長く続かない。


人によって、かかる時間は異なるけれど、
長く、続かない。
「その状態」は解除されてしまう。


「愛」が「命」が「許し」が「救い」が
「宇宙」が「真理」が「神」が、わかってしまったのに、
「その状態」に戻る事ができない。
しかも、苦しんでいた時期と、同じような苦しみにまた翻弄されようになる。

どうすればいいか、わかっているのに、そうできない。

そうできないのは、「真理」からはずれているのだと、
はっきりわかるのに、そうできない。
「妬み」「嫉み」「恨み」「憎しみ」「苦しみ」
また襲ってくる。

どうすればいいか、わかっているのに。

それは、もう後が無い事がわかっている故、
本当の意味での絶望かもしれない。
けれど、悟る前の絶望と違うのは、ここで絶望しても
再び悟るわけではない、ということだ。

あたしの体験してきた感覚だと、
悟りの世界をちらっと見て、一度また下まで落ちて、
そしてゆらゆら浮上してくるまで、最低5年はかかる。
あたしはゆっくりだから、7年くらいかかってるかな。
その間にする事といえば、覚者が書いてくれた「悟り」に
ついての体験談を、むさぼるように、読むのだ。
誰に指示・アドバイスされるわけではない、
自分の意志で、沸き上がるような衝動で、
むさぼるように、読むのだ。
そして、自分自身を縛りあげているブロック(呪縛)を、
みずから解除していく。
こうやって書くとムズカシイ事みたいだけど、
まあ、ひとことで言うと、「気が済むまでは、気が済まない」それだけ。

そして再び、あとが無い突き当たりまで行く。
そこでわかるのは、
「妬み」「嫉み」「恨み」「憎しみ」「苦しみ」は、無くならない という事だ。
そこでようやっと、浮上する。第一段階の浮上。

あたしはここまで。
あとはどうなるか、やってないから知らない。
浮き沈みしながら進んでいくんだろう。
超バランスを取る、ぐらぐらゲームをしながら。
「妬み」「嫉み」「恨み」「憎しみ」「苦しみ」を
反応させづらくなるようセンサーを緩める方法もある。
(催眠術ではない)
それらをやりながら、ただ淡々と生きていくんだろうな。
だから、悟りの世界を見て、嬉しくて、すぐに人に言ったり、
すぐにブログに書いて公開しちゃうと、ひっこみがつかなくなって困るかもしれない。
「恨み、苦しみ」にまみれてる覚者なんて、自分自身が、許せないからだ。
うん、でもそうやってふたたび苦しみの中を、模索してる人がいたら、
あたしはすごく参考になるので読んでみたいなー。
どこかにいないかしら。

posted by 辰多みか at 17:28 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年01月27日

手塚治虫の漫画ブッダ全12巻


残りを借りてきて読んださ〜。
(途中まで読んだやつ)

・・・



・・・



・・・

手塚先生は悟ってらっしゃらない。

まあ、それは、しかたがない。

最終巻12巻の190ページ・・・



ブッダの「大悟」・・・




ちっさ!

ちっさ!!


小さい、浅い!!



ここに来てこれか!




どんな大きい悟りが〜と思ってたら、

この・・・程度か・・・

これあたしにも来たレベルのやつじゃん・・・

むしろ、前の方の巻の、スジャータのくだりで悟った時の方が、
大きい悟りじゃん。
これ順番逆でしょ。

涅槃に至って、まだブッダ迷ってるし。
ブラフマンはヒトの形をしているし。
ていうか、これ、お経に言い伝えとして載ってるそのまんまなのかなぁ??
だとしたら伝える人の無責任を感じるぞ。

やっぱり本当の悟りを知らないと、いくらベテランで
漫画界の巨匠でも・・・描くのは無理だ。

ほら、ライオンを見た事がある人の描く「ライオン」と、
伝承だけしか知らない人がライオンを描いてみた結果の「こまいぬ」、この違いと同じ。

手塚先生は「こまいぬ」しか描けてない。


ブッダが、スジャータの回で悟りを開いた(?)以降は、この漫画は読まなくても、良い。
ただ、ブッダという、昔の人の概略を知りたい人が読むのだったら、
偉人伝として、参考程度に読めば良い。
「悟り」は、描けていないし、手塚先生が書く説法も、ただの「文字」だ。


偶像。

こころの入っていない、木彫りの 人形。


この漫画には、 こころ が入っていない。

真髄 が。



これが原作だったらやっぱりアニメはだめでしょう。
もともと「1」は、原作と比にならないくらい酷いし。


まあしょうがないわ。





※「書き起こし」を見つけたの。ホントは漫画を読んで感じてみてほしい。
このがっかり感を。
http://60.43.152.48/buddha/meiku2.html 一回目悟った時
http://60.43.152.48/buddha/meiku5.html 二回目悟った時

posted by 辰多みか at 22:29 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年01月25日

肉食

肉を食べると悟れないのか、とかさ。
そんなわけないじゃんね。
悟るのと、肉を食べるのは、まったく関連のない出来事だ。
肉を食べてても、悟る人は悟るし、
肉を我慢しても、悟る段階じゃない人は悟れない。

ていうか、悟りたいから肉を食べないなんて、そんな考えでは、
ぜ  っ  た  い  悟れない。
「期待・引き換え・取引」 なんて。
そんな見え透いた下心、宇宙の真理からはじかれるって。

だから無理にベジタリアンになる必要ないし、ばくばく好きなお肉を食べてもいいのよ。
好きな事を好きにできるようになるのが、悟りの効用なんだからさ。
あ、好きじゃなかったら、無理して食べることないのよ。

ただ、悟って「生」と「死」を知ってしまうと、食べる時に、無意識じゃなくなるかもしれないね。
何か、「肉食」について考察しながら食べる事が増えるだろうね。
あたしはお料理する時、頭の中が自動お話モードになって、
このブログに書くような事を、いっぱい考えながら
料理作ってるんだけど、(料理してるから書き留め
られないのがいつもすごく残念)肉を見ると、生と死の事を考えるよ。
でもできあがったら、おいしく食べちゃうのだ。

うちの舅サンは少年時代、戦争を行き抜いて自給自足で、
青年になってからは、趣味で狩猟をやったりして、
野生の物を山ほど捕って食べてきたし、戦後は犬も食べたらしい。
今でもたまにキジを拾ってきたり(!)してあたしも食べたけど、
そんなツワモノなのに「にわとり」が、食べられないの。
少年時代は、にわとりも食べてたし、ヤギも食べたりしたのに、
大人になってから、「にわとり」が食べられないの。

それは、トラウマがあるからなんだって。
毎日可愛がっていたニワトリちゃんが、ある晩、食卓に、出てきたんだって。
・・・
その気持ち、汲み取りたくないわー。
舅サンの気持ちに同化してしまったら、あたしもにわとりが食べられないカラダになってしまう。
だから、その昔話を聞く時、いつも「フーン」とちょっと上の空で聞くのだ。
昔は犬を食べるのが普通だったんだろうけど、
もし明日、ウチの可愛いワンコが食卓にこんがり出てきたら…
それはもう、
あれだね、
無理だね。

肉食かベジタリアンかって、
つまりは、そういう、
そういう感じの事だと思うよ。

生と死のことを、深く深〜く知ってしまうと、
たぶんもうお肉は、食べられなくなるのだ。
あたしはまだバクバク食べてるから、そうとう浅いな!

posted by 辰多みか at 00:07 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年01月22日

走馬灯

死ぬ時に見る という伝説の「走馬灯」
あたしは過去に、2回見た。

あっお盆の時に、くるくる回ってる飾りみたいの(本来の走馬灯)じゃないからね。

一度目は、転落した時。
二度目は、悟りの世界を見た時。

一度目は、肉体的に「死」の危険があった。
二度目は、精神的に「死」んだ。

だからやっぱり走馬灯って、死ぬ時に見るんだね。
(死んだ後の人にはインタビューできないから、
生きたまま死にそうになった人の体験談しか聞けないんだけどね)

一度目。
小学生の時。
あたしは家で妹と近所のともだち数人で、おにごっこをしていた。
さわり鬼。
鬼の手が伸びてきて、あたしは触られないように窓にもたれかかろうと、
体をぐーっと後ろに倒したんだ。
そしたら、そこに、窓はなかった。
窓は、開いていた。
うしろむきに、落ちた。
平屋だったから、一階の窓だけど、
落ちた。

いっしゅん。

ふわっと体が浮いて、あたしは空気中に存在していた。
「ああっ」と思ったけど、何もできない。
下は砂利。
とにかく頭だけは打たないようにしなきゃ。
体を丸めて…
そう思ったら、時間がものすごいスローモーションになって、
下に落ちるまでが、10分くらいに感じた。
その間見たのは、自分が生まれてから今の瞬間までの事。
結局映像を見ながら、腰から落ちた。
そんなに高い所ではなかったので、ケガはしなかった。
でも、
今のは何だったんだろう、と、子供ながらに思った。
それが「走馬灯現象」とよばれる現象だというのを知ったのは、
それから少し後の事。
人間は危機的状況に陥ると、過去の記憶の中から、
その状況に最適な対処方法をサーチして探すそうだ。
それが走馬灯現象の、脳科学的な説明。
それを、どこかで読んだ。
ああそうか〜と納得した。

2度目は、悟りの世界を見た時。
あたしは、自分が自分で思ってた以上に
とても腹黒いのだという事に、気付いてしまった。
そのきっかけの記憶は、その頃起こった出来事だったんだけど、
気づきがあった瞬間、生まれてからそれまでの記憶が、
自動的に猛スピードで全再生された感じだった。
そして、あたしの「腹黒」に合致する記憶を、ものすごいスピードで
サーチして、レ点を付けるみたいに「一致」「一致」「一致」って、
数え上げて行ったんだ。
全部終わって。
恥ずかしかった。
猛烈に、恥ずかしかった。
ぐるん、と、勢いが付きすぎてあっちの世界まで行った。
そこは言葉で表せない、全部有る、なにも分離してない世界。
それを見た時「あたし」は死んでいた。
腹黒いあたしもまっしろなあたしも。
ただ、肉体のあたしだけが、車の窓から、過ぎていく湖面を見ていた。

それが、走馬灯を見た時。
2度目に見た時、死んだ腹黒いあたしとまっしろいあたしは、
もう、すぐ数分後に、バーンと生き返ったんだけどね。
この時至福体験とかする人もいるみたいだけど、あたしはそんなのなかった。
すべては「愛」でできている、という事はわかったけど。

ただ、恥ずかしかった。

だから、本当に肉体的に死んでしまって、閻魔さまと一緒に、自分の人生の
走馬灯を見る時さぁ〜、

みんなさー。

・・・

ものすごく恥ずかしいと思うよ。

閻魔さま、こっち、チラチラ見るよ。
カーッと、顔から火が出てるアナタを、チラチラ見ると思うよ。
アナタは、
(こっち見んな!)
とか思っちゃうかもしれないけど、それが閻魔さまの仕事だからさ。
閻魔さまは、たぶん舌を抜かないし、地獄にも落とさないと思うよ。
ただ、アナタを見守ってるだけだ。

ただし、自分の全人生を見てしまったアナタは、
あまりにも恥ずかしければ、言葉を失い(舌を抜かれ)、
ふらふらと罪の意識に染まった世界へ、ひとり歩いて行くのだ(地獄)。
そういう波動で、できてるから。

だから、やっぱり肉体的に生きてるうちに、走馬灯を見れると、いいね。
見るの、ものすごく苦しいけどね。

がんばって!


posted by 辰多みか at 21:47 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年01月20日

ぐらぐらゲーム

悟る。
悟るとは、「自分」が「自分以上」でも「自分以下」でもない事を、
体の感覚レベルで強烈に知ってしまう事。
(その感覚レベルの事を「細胞レベルで」と表現している人もいる。)

どう?
自分は自分以上でも自分以下でもない。
自分はどうあがいても自分にしかなれない。
どう?
どう感じる?

悲観?
楽観?

絶望する?
そんなのあたりまえじゃん、と思う。ちょっと怒りながら。
まあそうだねしかたないね、と思う。自分を慰めながら。

それとも、気が楽になる?
そんなのあたりまえじゃん、と思う。笑顔で!
まあそうだねしかたないね、と思う。口笛を吹きながら。

それだったら、人生、楽だなぁ〜と、肩の力が、抜ける。
そう思える人は、もう既に、「自分」が好き。
「自分」を愛している。
腹黒い自分を、ちゃんと、見た事がある。
腹黒い自分を、亡き者にしない。
ないがしろにしない。
「自分」を大事にしている。
だから、周囲からも、同じように愛される。
こういう人は、きっともう悩みはないよね。

ところが、逆に、絶望してしまう人。
そういう人は、「自分」に、なりたくない。
腹黒い自分を直視できない。
いないことにしようとしている。
自分が自分をないがしろにする。
だから、周囲からも、同じように蔑ろに扱われる。

自分は自分以上でも自分以下でもない。
それが体感レベルでわかってしまう(頭で理解する
のではない)のが悟りだけど、自分を自分以上自分以下に
保っておくのって、実はとても難しい。
悟って、仕組みを知ってしまっても、実践するのが、難しい。
だって、「自分」って、ぐらぐらするバランス取りのゲームみたいなものだから。
「玉乗り」みたいな。

「自分以上自分以下」って、ある一点、そう大きさがゼロの、
0次元の「点」にしか存在しない。
肉体を持ってこの世を生きるというのは、外部からの力や
自分内部からの力で、常にぐらぐらを体験するという事。
そうだ、「自発的対称性の破れ」みたいだね。

自分が自分と分離する。
それは苦しみしか生まない。
外部からの力は、常に掛って来る。
それが自然の法則だから。
だけど、その力自体は、苦しみを生み出さない。
外部からの力に抵抗できない、と、妄想してしまうから苦しみが生まれる。
外部からの力がかかっても、自分が自分と分離しなければ良い。
「平常心」
「揺れない心」
バランスをとる。
ぐらぐらゲーム。
疲れちゃう時もあるだろうけど、それが「生きる」という事だから。


しかたがない。


(笑顔で!)

posted by 辰多みか at 16:50 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年01月16日

斎藤一人さん

ちょこちょこと、読んだ本を紹介してるけど、
去年けっこういっぱい読んだので、
これから紹介していこうと思うの。

まずね、まず。
もう阿部敏郎さんとか天野聖子さんとか松村潔さんの本は
紹介したけど、そう、まずね。
あたしが一番最初に、こういったたぐいの本を買ったのは、
斎藤一人さんの本。
hi.jpg
「変な人の書いた世の中のしくみ」

タイトルの「変な人」に、ビビッと来た。
斎藤一人さんは、本を買うまでは、
・お金持ち
・スリム ドッカーン
・ひ と り
・赤いまるのマーク
・痩せれそう
のイメージしかなかった。
ホント、それだけ。
なのに自己啓発コーナーにこの本があったから、
それまでこの手の本は買わずにタイトルだけ見てたけど、
手にとって、パラパラ見たんだ。

最初っから、ビビビビビッ と来た。
斜め読みで2/3くらい読んで(笑)買った。
内容は・・・面白いよ。ポジティブポジティブ!
とにかくあたしが買ったのは、「この人はホンモノだ!」と感じたからだ。

斎藤ひとりさんは、正真正銘、悟った人です。
だからどの本読んでも、「ホンモノ本」だよ。


タグ:ホンモノ本
posted by 辰多みか at 16:16 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年01月14日

般若心経

ちょっと前に、阿部敏郎さんのブログに、般若心経の現代語超訳が紹介されていた。
あたしも、そのだいぶ前に同じものをネットで見たんだよ。

いかす!

この世は幻なんだぜ!的な。

心配すんな、的な。

超訳ももちろんイカしてたけど、もともとの意味が、いい!

おぼうさんたちが、真面目な顔で、大きな声で、

「この世は幻!この世は幻!」って、言ってるんだ。
お経を詠んでる時。
みんな、それを、ありがたがって、聞く。

あはは〜。
愉快だわ。

それ(お経の中身)、真実 なんだよ!
みんな半信半疑だろうけど、
真実なんだよ!
posted by 辰多みか at 17:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

手塚治虫の漫画「ブッダ」


数ヶ月前に、ツタヤでアニメの「ブッダ」を借りて、
あまりにも酷いその出来に、怒りさえ覚えたんだけど、
この間、図書館へ行ったから、原作の、漫画「ブッダ」を
借りてきたよ。
12巻まであるはずだけど、8巻までしかなくて、そして2日で読み終わった。

感想。
うん、
さすが手塚治虫。
あらためてアニメのひどさに憤慨。
みんなアニメなんて見ないで、漫画を読もうよ!
なんか2月に、第二弾が公開されるみたいだけど、、
浜崎あゆみが主題歌らしいけど、、大丈夫なのだろうか。
人は入るのだろうか。(いや、あゆが悪いんじゃない。)

漫画の方は、冒頭から始終おっぱいがいっぱい(笑)で若干引いたけど、
途中からあまり気にならなくなった。
というかもともと、手塚治虫の漫画って、おっぱいがいっぱいだった気がする。
ブラックジャックしか読んだことないけど。
(余談だけど、ロボトミーの回を、風邪ひいて行った病院の待合室で
読んだことがあるよ!←自慢?)
なんか、最初の22ページで、泣いてしまったわ、あたし。
(それ以降は泣く所はなかったけど)

今見てもグロいから、小学生当時のあたしには相当刺激の強いものだっただろう。
でも、高階良子先生の漫画でもあまり抵抗なく読んでたしな。
うーん、でもやっぱグロいわ。
「生」と「死」を描くには、やっぱり避けて通れない道(表現)なんだろうな。
「ブッダ」の方は、借りてきた8巻の中で、無事「悟り」を開いた所まで読めた。
悟りの描写としては・・・イメージが近くて、おおっと思ったけど、
手塚先生自体は、悟ってないかもしれない?
うん。
悟ってない。
まあいいけど。
近いものは感じてたのかもしれない?

仏教の「ブッダ」=「おしゃかさま」=「シッダールタ」を、
てっとりばやく知るには、漫画はとっつきやすくて良いかもしれない。
仏教の勉強に。
ああ、あと四巻早く読みたいわ。

※追記 残りも読みました。
http://loveconquerfear.seesaa.net/article/386273262.html
期待を込めて読んだけど手塚先生は悟ってらっしゃらなくてとても残念です。
posted by 辰多みか at 17:14 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

水晶占い

悟ると、
占いができるように、なる。
まだやってないけど、
(本を読んでる途中だけど)
できるのが、わかる。
腑に落ちてわかる。
だって占いができる"領域"を、
見ちゃうのが、悟りだから。

だけど、
占えるようになった瞬間、
占いが、一切必要なくなる。

皮肉だよなー。

posted by 辰多みか at 23:52 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年12月11日

やらしい

あたしは何回か、ちいさいちいさい気づきがあった時、
それを、なぜか、文字に書いて残したくない。
それを書くためにブログを書いているのに。
本末転倒だわ。

それでも、ようやっと、書いてる。
今までの、たぶん全部書いた。

なんでかなーと思うけど、
自分でもわかってるけど、
「気づく」時って、必ずそれに対応する、気づきの元があって、
それが、ホントに、「やらしい」

いやらしい。
やらしーなー、ていう時の、いやらしい。

たくらんでた。
うすうす期待してた。期待してることを隠して。
察してほしいと願ってた。そう考えてる事を隠して。
隠す。
隠す。

隠してるのを、自分で気づいちゃった時に、
「気づき」がある。
プチ悟り。
一瞥までも行かない、プチ悟り。

だから、とっても、バツが悪い。
「気づき」がある時って、とてもいやらしい自分を目撃する時だから。

ものすごい衝撃の悟りをする瞬間って、
たぶん、ものすごい、今まで自分で見た事のない、最大限のいやらしい自分に気づく時なんじゃないかと思うよ。
聖人とか思われている、歴代の覚者だって、
悟りが大きければ大きいほど、いやらしさだって大きかったはず。
お釈迦さまとかキリストさまとか、
もんのすごく、いやらしい自分と、対面したんだと思うよ。
だから、悟りたいと思ってる人は、今まで自分で想像もしたことのない
いやらしい自分と対面するハメになる、という覚悟だけは、しといて。

「自分」って、本当は、
自分で想像している以上に、はるかにいやらしく酷い人で、
そして、はるかに素晴らしい人なの。
それが同時に存在するの。

いやらしい自分って、切り捨てなきゃいけないわけではない。
罰しなきゃいけないわけではない。そこは誤解しないで。


posted by 辰多みか at 00:46 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年12月05日

華原朋美さん相川七瀬さん

夕べは、待ちに待ってたNHKスペシャルの、アイソン彗星特集を
見ようかと思って、テレビ欄を見たら、FNS歌謡祭も同じ時間帯だったわー
(新聞見るまで知らなかった)
こらーっ
どっち見ればいいのー!
しかも前半は家事でどうせ見れないしさ。

アイソン特集を録画して、FNSはリアルタイムで後半だけ見れば
いいやと思った。
というか、華原朋美サンと相川七瀬サンだけ見れればラッキーだと思ってた。
そしたら、9時過ぎにふたりとも見れたので、ホント良かったわー。

華原朋美サンは・・・
完全復活したねぇ。
ちょっと前にナイナイアンサーで見て、
その時に心屋仁之助さんをはじめて見たんだった(ブログは少し前から読んでたよ)。
というかナイナイアンサーってそれ一回しか見た事ないわ。
ともちゃんは、
どうなったのかな、あれから。
心の奥底すべてを見たのかな。
強がって、ないかな。
そんな気持ちで、テレビに釘付けでした、あたし。

相川七瀬サンは・・・
やっぱり悟ってるなー。
しょこたんと息がぴったりだなー。
と思って、さっきブログを過去にさかのぼって見ちゃったら、
しょこたんとともちゃんとななせサンは、リアルで友達でした(笑)。
だったらともちゃんは大丈夫だね!たぶん。
コムロさんは、ぜんぜんダメだな(笑)。

posted by 辰多みか at 16:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年12月03日

お釈迦さまとキリストさま

あたしは、たまにお釈迦さまとか、キリストさまとか、
さも知ってるかのように、書いているけど、
実は、あんまり、知らない。

聖書も全部は読んだことないし、
お経に何が書いてあるか、詳しくは知らない。
コーランなんて、実物を手にとって見たこともない。

「宗教なんて、会話に出したりブログに書いたりしてはいけない、タブー。」
(政治と同じくね。)

なんて考えてた能天気で心配症でへんな所にこだわる、一主婦だった。

ちなみに「聖☆おにいさん」を読んだから、ブッダとイエスに興味が出た、のではない(笑)。

あの時、
5年くらい前、
絶望の果てに、
悟りの世界を見ちゃった。
宗教は、いっさい関係なく、ね。
その時、心の中から沸いてきた言葉が、
「隣人を愛しなさい。」
イエス・キリストの言葉。
どこかで聞いて、記憶に残ってたから。
この言葉が出てきた。
そして、その言葉の、真の意味を、一瞬で理解した。

「ああ、そうかぁ。」

それはとても暖かくて、かけひきなしの、無償の愛の事。

(↑こうやって文字に書くと、あたしは真理を確かに書いているのに、真理は文字では伝わらない事が、あたしにはわかる。
もどかしい。
伝わらない。
真理に焦点を合わせて感じ取るには、心の目を、3D立体写真を見る時のように、
いつも見ている視点ではなく視点をずらす必要がある。それができないと、見えない、感じ取れない。
それとおなじたぐい。あたしは真理を書いているけれど、きっと、悟った人以外には、伝わっていない。
それでも何度も書く。)

その、キリストの言葉を一瞬で理解した時、
聖書も見ていないのに、聖書が真理に対して本当の事を書いてあるのだと、一瞬で理解した。
キリストが、正真正銘の「ホンモノ」である事を、悟った時に、理解したので、
彼が話す言葉、した行動は、すべてホンモノであるのは、間違いないのだ。
ホンモノというのは、あたしは、悟った人としてホンモノという意味で書いているよ。
(けれど、とある宗教団体のように、キリストの言葉の中から、
都合のよい言葉だけを抜き出して、都合良く解釈する、という行為は、
ホンモノではない。レベルの全く違う話。)

キリストとお釈迦さまについては、
悟ったあと、調べずにいられない衝動にかられて、とりあえず、wikipediaで調べた。
なんだか、「キリスト」とか「釈迦」とかの検索ワードを打つ自分自身に、
こそばゆいような、あたしらしくないような、ヘンな感覚を覚えた。
でも、調べる手を止められない。
調べれば調べるほど、キリストと釈迦は、悟った人として、正真正銘の「ホンモノ」だったからだ。
そして、それに付随する宗教活動が、キリストと釈迦が、本当に、
後世に伝えたかった真理と、かけ離れている事が、わかったのだ。
読んでいないけれど、コーランも、聖書と同類のものなので、
真理が書いてあるだろうとは、容易に想像できる。
そして、日本の神道(やおよろずの神)も、あたしたちひとりひとりが
神性を持つ存在である、という真理に基づいたものであるので、ホンモノである事がわかる。

お経については、ときどき検索してみたり、本を読んでみていたりするけれど、
本当に、すごい。
真理を書いてあるばかりでなく、
「物理学」
「数学」
の書になっている。
お釈迦さまって、物理学者だったんじゃないかなって思うよ。
もしも、インドではなくて、古代ギリシャに生まれたら、
ピタゴラスと共に切磋琢磨して、ものすごい宇宙の真理を、発見・確立してたかもよ。
そしてお経は、物理学だけではなく「死をむかえるまでにやっておくこと・心構え」
の、ハウトゥーにもなっている。

悟ってわかるのは、
キリストやお釈迦さまを拝めば、幸せになれる、という事ではないということ。
繰り返し言うけど、
崇拝すれば、幸せのおこぼれをもらえる、という事では、断じて、ない。
悟ってない人はみんな、その点を誤解している。
「お参りすれば、願いがかなうと思っている」のだ。
「お祈りすれば、幸せになれると思っている」のだ。
「キリストや釈迦を信じれば、天国・極楽に行けると思っている」のだ。

そうじゃないから。

悟った人として、キリストとお釈迦さまは、先輩。
あたしたちは、それに続く、後輩。
同じ、人間。
機会があれば、先輩たちと、同じ悟りの世界を体感する事ができる。
誰にでも、できる。
誰にでも、できるんだからね。
そして、人類がみな、悟りの世界を体感・腑に落ちる事ができたら、
その時、世界は、真に平和になるの。





posted by 辰多みか at 11:01 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年11月17日

クラウド・アトラス雑感

ゆうべ、借りてきたDVDを見たよ〜。
この映画は、「2回見ないとよくわからない」というレビューを
いっぱい見てから、借りに行ったので、
そのとおり、一回見ただけでは、よくわからない(笑)。
というか、もう一回見て、いろいろ確認したいな〜と思っちゃう映画だ!
だから、最初から、2回は見るつもりで見はじめたんだよ。

2回見てから感想をしっかり書くつもりなの。
今から書くのは、ざっと、見た、手触り感を書くの。

あたしは、この映画が「悟り」について描いていると、
超期待して、見た。
「ストレートに転生輪廻を描いた話」だという前提は、認識した上で見ている。

で、手触りは、
あー、残念だ…

「悟り」に特化して感想を述べれば、
「残念…」の一言だ。

この監督さん(達)は、「マトリックス」で、精神世界ぽい事、
宗教じみた事、ちょっと説教くさい事、を、チラチラ垣間見せてくれたから、
悟りを得てるのかな、と、思っていたけど…
…なんか違ったみたいだ。

登場人物のうちの一人は、映画中で、悟りを得るの。
たしかに、悟りを、得るの。
でも、それが、悟りが、表現できてないの。
「お経をただ詠む人」と、同じレベルなの。惜しいな…

お経をつぶやく事だったら、誰にでもできるんだよ。
(お経には「悟り」が書かれているからね)
女優さん自身が悟ってないからしょうがないとは思うんだけど、
目が…瞳が、違うんだよな。
あと、それに至った経緯。

あー、なんか残念感いっぱいなんだけど、
娯楽映画としては、すごかったな。
エンターテインメントとしては、とても贅沢です。
エンドロールでのネタバレ(?)が凄すぎて、そこだけ何度も見ちゃった(笑)。

あとね、映画の途中で、電子が存在する確率(軌跡)が雲、的な、事を言うんだけど、
それが、クラウド なのかなと思った。
電子雲は、パラレルワールドにもつながる。(これは統計・確率を勉強すると、
よくわかるよ)
アトラスはもともと、地球を肩で支えている巨人の神様の事なんだけど、
人間の、首の一番上の骨(頭蓋骨と首の境目)の事も、アトラスというから、
そこからきてるのかなとも、思った。
タイトルの由来は確認してないから、憶測です。

まあ、ハリウッド娯楽映画として、「うまれかわりの話」程度の前知識で、
気軽に見ればいいと思うな。
そして、もう一回、見て楽しむ(笑)。
ひとつぶで二度おいしい。アーモンドグリコみたいな映画だ。


posted by 辰多みか at 10:46 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年11月16日

「クラウドアトラス」と「ブッダ」

今日ツタヤへこの間借りたDVDを返しに行って、
そして、「クラウドアトラス」を借りたの。

まだ見てないんだけど、超〜楽しみだ。
あのマトリックスの監督なの。
だからもちろん「悟り」の世界だと思うよ。

今から見る。
(見てから感想書けばよかったかな?)

ついでに、手塚治虫の「ブッダ」(アニメ)も借りてきたよ。
こっちは、どうかな〜。
出家するまでの、王子様時代だけ、だと思うから、
悟りまではいってないよね〜。

こっちは明日見る〜。
posted by 辰多みか at 21:53 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年11月09日

戸締り用心火の用心

ゆうべ興奮したから眠いな。
(午前中に突発的に本屋さんに行って、
突発的に、心屋仁之助さんの
「もうイライラしたくない!と思ったら読む本」
を買って、さっき一時間半で全部読んだよ。
夕べ遅かったから途中うとうとしたけど、
うとうとしながら全部理解できたよ。
サラ〜っと読める。全部知ってた事だったけど…
もうイライラしてないんだけどね。
なんでこれを買ったかというとDVDがついてたから。)

昨日、NHKの地方ニュースで、子供たちが、

「戸締り用心火の用心♪」って、無邪気に歌っていたのよ。

なつかしいな〜。いつも流れてたCMだったよね。
「いちにちいちぜーん」って、CMだったよね。

笹川良一さんという人だったよね。

「日本の首領」

みたいだったよね。
お金持ちっぽかったよね。

でもね、
今、当時のCMを思い出してみると、
あの人は、悟ってたんじゃないかなと感じるよ。

「人類みな兄弟ー!」

あの笑顔。

過去、何をしてたか知らないし、もしかしてブラックな人だったの
かもしれないけど、その「ブラック」にみずから気が付いたのかも、しれないよ。
まあ、憶測だけどさ。
振れ幅が大きいほど(隠したい自分のレベルが低いほど)、
悟った時に、高〜く、飛んでっちゃうからね。
わゴムをものすごくひっぱると、ものすごく飛んでく的な。

瞳から、そんな感じがするんだ。
マハルシさんという人の、写真を見る時と同じ感じがするの。
瞳の。
目に、出るんだよ。
今の政治家さんで、そういう人は…うーんわからないなー。
(あたしの目が曇ってるんだよ 笑)

テレビで見て、この人は…!って直感が騒いだのは、
最近の相川七瀬さんだな。
相川さんはホンモノだと思うよ。

posted by 辰多みか at 16:24 | 悟り | 更新情報をチェックする

2013年11月02日

本物の悟りの見分け方と「さとり世代」

今、「さとり世代」という言葉が流行っているんですって?
(あたしは新聞を読まないので流行にちょっとうといのよ…
ナゼ読まないのか、新聞くらい読め!と言われるそこのアナタ、
あたしには、新聞の順番が回ってこないんですのよ。
一日前の新聞なんかむなしくて…読めるか!ボケッ!←あーぁ怒っちゃった…)

その流行している「さとり世代」は、「ゆとり世代」の次世代を
表す言葉で、まああれだ、あたしたちの時代の「新人類」と
同系列の言葉だな。
だから、もちろん、本当に悟った人たちの世代っていうわけじゃなくて
なんか無欲で達観してる、みたいな、いまどきの若者の事を指して云っているんだって。

これが本当に、全人類悟り そんな時代がやって来た だったらいいのにな、とは思っちゃったよ。


本当の悟りとは、何か。

「いまここ」にいること?
知らずに一瞬、「その状態」になって、あとから思いだして「あぁあれか」と思うこと?

いや違う。
それらは、違う。
いまここで全力投球する事はあっても、いまここを感じられる事はあっても、
それは、それだけでは、悟りではない。

あとから、あぁあれか なんて、ならない。
一瞬でも悟ったら、そのあと、それが悟りとわからなくても、
そのあと忘れることなんて、ぜっっったいに無いのだ。
(どういう状況で悟ったか は、すぐ忘れるけど、状態の事を、あれか
なんてあとから思いだすことなんて無い。)
字面だけで、真意がぜんぜん伝わっていない。


「悟り」というのは、頭でわかる事とは、違う。
「悟り」というのは、たとえば、
「熱い」「冷たい」「痛い」「大きい」「くさい」「うるさい」
そういった、感覚と、同じ。
(悟りがくさくてうるさい、という事では、ないよ!)

五感で感じる事と同じなんだけど、五感では感じられない。
だから、たぶん第六感 と、昔の人は言ったのだと思う。

感じる、感じる。
悟りの温度が、悟りの手触りが、悟りのすがたが、悟りのにおいが、
悟りの音が、
感じられたら、それが、悟り。
でも悟りには温度も手触りもすがたもにおいも音も、ないのだ!(なんやね〜ん)

自転車に乗れるようになる事、泳げるようになる事、旅行で観光地を、目で見ること。
それと悟りは、似ている。
とても、似ている。

百聞は一見にしかず でしょ。
いちど見たら、忘れられない。
いちど見たら、ぜんぶ理解してしまう。

それが悟り。
悟りの見分け方は、感じたかどうか って事。
気がする ではない。
「気がする」は頭でわかる事。
悟りは、体感をともなう。
そして一度自転車に乗れるようになったら、二度と乗れなくならないのと同じように、
一度悟ったら、もとの状態には、ぜったいに戻らない。

それが悟り。

真意が、みんなに伝わるといいな〜。

posted by 辰多みか at 00:50 | 悟り | 更新情報をチェックする
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