2014年04月10日

出家します

「○○できるようになるのでしたら、
なんでもします!」っていうの、あるじゃん。

あれって、ホントは「なんでもします」って、ウソだよね。
本気で言ってるつもりの人には、悪いけど。真実だから。
実際、イヤな事はやらないし、
無理だ、ありえん、という事も、やらない。
そもそも、△△から逃げてるのだったら、
△△は、絶対、やらないよね。

家庭内のゴタゴタをどうにかしたくて、
「どうにか」なんて綺麗な事言ってるけど、
ホントは、ゴタゴタから逃げたくて、
別方面で助けてくれそうな人に対して、
「なんでもします!」って言うのって、
それ、ただの、逃げ じゃんね。
もし、その人から、ゴタゴタに真向に向かいなさい、
なんて言われたら、絶対、言うこと聞く気ないくせにね。

あたしは家庭内のゴタゴタから、逃げたかった。
今でも、どうにかしたい。
出家すれば、どうにかなるのだったら、
出家してもいいかと思った。
出家するって、すべてを捨てる覚悟。

それってさ〜。
すべてを捨ててもいいんだったらさ〜。
ゴタゴタが、ゴタゴタのままでも、かまわないって、事 だよ。
ゴタゴタを見捨てると言う意味ではなくて、
「しらん」とそっぽを向くことではなくて、
自分にとってゴタゴタしても良い、という、意味。
だって、すべてを捨てるというのは、
ゴタゴタしたくないという執着を捨てるという意味だからさ。
ゴタゴタに、正面から、つっこんで行ったって、いい。
ゴタゴタにみずからつっこんで、まきこまれて、
嫌〜な気持ちになったって、いい。

だから、本当に出家する覚悟があるんだったら、
ゴタゴタに、みずから巻き込まれて、
そして、相手に、負けるんだ。
みずからの勝ちの主張をあきらめるんだ。
出家するって、一番力強く、家の中心に、戻るって事だ。
支配されたくない相手に、みずから好んで、支配されに行く、という事。
奉仕する、という事。
ただし、期間は区切って、最長1年くらいね。
よそで、服従して、よそのお掃除をするのだったら、
うちで、服従して、うちのお掃除をすれば、いいと思うよ。
なので、あたしは、一年くらい、
うちにもどるという、出家を、します。
一年たったら、やめるよ!(笑)





posted by 辰多みか at 21:56 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

方向感覚

悟りの世界では、
方向感覚を、感じ取る事ができない。

なんてったって、回転体における回転してない中心だし、
なんにもないところだし、
なんでもあるところ。
中であって外で、
上であって下。
黒なのに白で、
マイナスなのにプラス。
一番真ん中なのに、一番外側なの。

だからそこにいったん落ちてしまうと(落ちたと感じたとたん
最上部にいる事がわかるんだけど)、
しばらく、方向感覚が、おかしくなっちゃうんだ。

落ちるのは、たぶん、生涯でたった一度だけど、
その一度から数年間、
方向感覚が、つかめなくなってしまう。

どちらに振れていいか、わからない。
振れていいのかさえ、わからない。
だいたい、「振れるのは、未熟者である」という思いを持ってしまうから、
振れないように、一生懸命になっちゃう。
「思考」が起きないように、
「静寂」でいられるように、
ぐらぐらしないように、
悟りにしがみついてしまうの。

そのうち、方向感覚が戻ってきて、
悟る前と同じように、地に足が着くんだけど、
「それじゃダメ」って、抵抗しちゃうんだよ。
しかも、地面は、地震波みたいに、ぐらぐら揺れているわ。

ここでね、本当に、二本の足で、立つんだ。
責任を外部に押しつける、という逃げを、すべて捨てて。
ぐらぐらを、楽しむんだ。
この一連の流れが、悟りとそのあとのプロセスと、
そもそもの生まれてきた意味だと思うよ。

posted by 辰多みか at 21:20 | 悟り | 更新情報をチェックする

病気に聞いてみよう

病気は、「あなた」の、一部です。
病気は、悪者では、ないのです。
信じられない、
信じたくないかもしれないけど。
病気は、悪 ではない。
「悪だと思い込みたい」のが、病気が治らない本当の理由なんです。

病気は、一生懸命、主であるあなたを守ってくれているの。

「あなた」は、それはもう、いろんな手をつくして守られているのよ。
もうひとりの、「あなた」に。
もうひとりのあなたは「あなた」の事が、大好きでとても大切なの。
病気は、そのもうひとりのあなたの手のうちの、ひとつです。


夜眠れない。
朝早く目が覚める。
気持ちが悪い。
胃が悪いのではないのに吐き気がする。
おなかがガスでいっぱいな気がする。
くらくらする。
首から頭がしめつけられるような重さ。
鎖骨から後頭部まで首筋がつっぱっている。
冷や汗が出る。
手足がしびれる。
呼吸が苦しい。

そんな、人へ。

うつ病・神経症・パニック発作・不安障害・
対人恐怖・強迫観念と、言われている人、もしくは自分でそう思っている人へ。


病気に、聞いてみよう。
「なぜそんなに私の事が好きで私の事が大事なのか」を。

病気を治そう、なんて身構えないで、
どうせ治らないなら視点を変えてみるか、ていう軽い気持ちでね。


こう、自分の心に、聞いてみる。
3つの事を、順番に聞いてね。
心の奥底を、思い出してね。

ひとつめ
「"病気"は私の事がとても大事なんだ。
じゃあ病気は、私を病気にする事で、私に何をしてくれてるのかな」
10分以上かけて、一生懸命、思い出してね。
そして紙に書き出してみて。

ふたつめ
「病気は私を守ってくれてるんだけど、そんな"病気"に対して、
私は何をお返しにしてあげただろう」
これも10分以上かけて思い出して、紙に書いてみてね。

みっつめ
「"病気"が、人格を持っていたとしたら、"病気"は、"私"に、なんて言うだろう」
これは、ちゃんと、紙に書いてね。
"私"への手紙という形で、書いてね。
なかなか"病気"の気持ちがわからない場合は、
人の形になった病気の中に入って行って、その目の中から、外をのぞいてみてね。
その目の前に"病気になったあなた"が、います。

そして、ここから先が大事なの。
"病気"から"私"への手紙を、声に出して、読んでください。
ちゃんと、声に出してね。



心の中をのぞく時、深い、底の見えない崖の下へ落ちるような気がして、
とても怖いです。
でもね、大丈夫。
その、崖の下は、闇ではなくて光しかないよ。
下に落ちてる気がすると思うけど、実は、上に昇ってるんだよ。
怖いのは、みんな同じだから、大丈夫。
あたしも、その崖の下まで、行ったから。
ほんとうに、大丈夫。
病気は、あなたの味方であり、悪者ではない。
はやく、つるんと、正体を見破ってあげてね。
ただし、とてもとても怖かったら、すぐに引き返していいよ。



posted by 辰多みか at 17:16 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

ぶれない

昨日は娘の入学式だったので、おばさん(アタクシ)なりに小綺麗にして行きました。
行った・・・つもりでした。

電車の中には、ほかの学校のお母さんたちも乗ってる。
あたしは、自分なりに、綺麗〜にしてきたつもりだったけど・・・
「ありゃ、あたし、場違いな格好かも!?」
なんだか急に不安になった。
他のおかあさんたちはぁ〜
落ち着いたスーツでぇ〜
品良くまとめてる・・・
どちらかというと小娘と張り合おうと目論んでるっぽいあたしのセンスに、急に自信が無くなった。
そうだよな〜。もう50近いのにだよ、
このスカートは、ないでしょ。
うわわ、学校到着前に、イヤな事に気付いてしまったわ。

でもね、ずっと、こんな感じで、やってきたんだよ〜…あたし。
最近では娘の卒業式、
そしてその前は息子の卒業式・入学式。
今まで、別になんとも思ってなかった。
でもな、やっぱり・・・

電車の中で、悶々としてしまったわ。

そこで、ハッと、気付いた。

あたし
また、
「これじゃダメだ」と、自分自身を、ジャッジしてる。
そして、自分以外の、誰か に なろうとしてる。

ふ〜、あぶないあぶない。

あたしはこれで、いいんだよ。
人から見た基準で変だろうと、
歩く景観破壊だろうと(笑)
これで、いいんだよ!

この格好のあたしを見て、
さっきあたしがほかのおかあさんを見た時みたいに、
「あんなふうになりたい」って、
思ってくれる人も、いるんだ、きっと!
こんなあたしじゃダメだと感じてしまうのは、その人に、失礼なの!
あたしを映しだしてくれるあたしの宇宙に、
失礼なの!

おりしもそう心の中から沸いてきて、電車の窓の外を見た時、
ちょうど海の上を渡るところだった。

また、この海の上で、あたしの宇宙から、教えてもらったね〜…
(でもね、まあそれは偶然なんだけどね。笑)
水面が輝いて、綺麗だったわ。

ほかのおかあさんを見て、いいなと思った事は、
今後、ハレの日用に、参考にしておこうと思って、
記憶にすりこむように、覚えたわ。

てことは、今の自分のままでいい!って事と、
今後、イメチェンして別角度のいい自分になれる、っていう、
ふたつの良い事が、あったの。きのう。

そして学校で、合否が心配だった他の学区の知り合いに会えて、
お互い喜びあって(こどもそっちのけで母が。笑)、
式帰りに、会いたかった人に会いに行って、
そこで楽しいお誘いを受けて、
駅で、素敵なスイーツを買って帰りました。
わぁ〜、いいこといっぱい。
心がけ次第で、いいこといっぱいなの。
この春は、去年にも増していい春になるわ〜。


posted by 辰多みか at 16:17 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

Original Sin

知恵の実を食べたアダムとイブは、
生まれたままの裸の姿でいるのが
急に恥ずかしくなり、
恥部を隠すようになりました。



原罪。
人類の、最初の罪。

子孫である私たちに連綿と受け継がれている、罪。

それは、ありのままの自分を恥ずかしいと感じてしまうこと。
ありのままの自分を、隠そうとすること。
ありのままの自分を、辱めること。

これは最大の罪だね…
あたしはそう思うよ。


その「ありのまま」とは、なんでも有りなんにも無いおおもとのワンネスのことでは、ない。
肉体を戴いて生まれてきた時点の「自分」のことだ。それが人生を生きる上での「ありのまま」。

悟りの世界を見て、そのあと、生まれたままのありのままの自分に還って行き、残りの人生を継続する。
これがきっと、人類ができる、最善の、罪の消し方だ。


裸になって、ぜ〜んぶ見せて、生きる。
自分のダメなとこ、弱いとこ、欠けてるとこを隠さず見せて、
こんな私でも愛してくれて、生かさせてくれてありがとう、と、
み〜んなに感謝しながら、生きる。

そりゃあ、隠そう隠そうとオドオドしなくていいから、気持ちいいに違いないわ。

posted by 辰多みか at 15:09 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年04月06日

一瞥後の人へ、一瞥前の人へ

悟りの一瞥をすると、
同じ経験をした同志が、わかるようになるよね。
"神"について書かれている書物の、本物・偽物がわかるようになるよね。
悟りとは、神とは、真理とは、「こういうモノ」という、
感覚を伴った理解ができるよね。

そう、いろんな事が、できるようになる。
神に通じる力なので、
この事を、
昔の人は、
「神通力」と呼んだのではないかと、あたしは思う。

でも、
なんでもできる ようになるわけではない。
苦もなく、軽々と、できるように、なるわけでは、ない。

"できる"ように、なるのは、
「理解」だけ。
わかるようになる だけ。
「仕組み・知恵・叡智」が、一気に、自分の物になるだけ。

そう、頭の中でだけのこと。

その「仕組み・知恵・叡智」を、自分が今、リアリティを
持って生きている肉体のレベルで実践しようとすると、
もれなく、「苦」が付いてくる。

だから、悟りの一瞥をして、
それでも人生がうまくいかなくて苦しい人は、
「そういう道筋がふつう」だから、安心してね。

なにをすべきかは、わかってるはずだ。
「仕組み・知恵・叡智」から、伝わってるはずだ。
だから、「それ」を淡々とやればいい。
苦しいけど。



そしてね、まだ、悟りの一瞥をしてない人に対しては、
あたしのメッセージは、別角度からになる。
ぜんぜん別のメッセージになる。

悟りの一瞥をしていない人は、「安心」してはいけない。
上記↑を読んで安心してはいけない。
安心は、悟りからあなたを遠ざける。
ちょっと考えてみて。
あなたは安心する事で、もらってる「何か」があるはずだ。
欲しい「何か」が、あるはずだ。
悟りたいなら、その「何か」を、もらおうという魂胆を、見抜くこと。


あたしが、悟りを求める迷い人に言える事は、ただひとつ。
「死になよ」

ああ、早合点しないで。
自殺しな、と言ってるわけじゃないよ。
自我を無理矢理おしこめろ、と、言ってるわけでもないよ。

死ぬ気になったら、
本当に死ぬ気になったら、
これも、できるはずだ。
「それをやったら私らしくない。」
「それを認めたら私が私でなくなってしまう。」
「そんなの言うなんてありえない。」
それらを、死ぬ気で、やるの。
捨て身で、やるの。
だって、死ぬ気、あるんでしょ?
悟るって、生きたまま死ぬって事だよ。

あなたらしくない事を、やりましょう。ホラ。
「おかあさんありがとう」って、口が裂けても言えない一言を伝える。
「おとうさんだいすき」って、鳥肌を立てながら、言う。
「おとうさんおかあさん、私を大事に育ててくれてありがとう」って、
腑に落ちない記憶の中から、「それ」に合致する記憶を、拾い集めてくるんだ。
旦那さん奥さん舅姑に「ありがとう。至らない私でごめん。」て言う。
子供に「あなたのためだと言ってきたけど、実は私のためだったよ。」と言う。
気に食わない周りの他人に、「本当にすまない。」と、言う。
認める。
おなかの中で握ってる手を離す。
ホラ。
やってごらん?
怖いよ?

悟りたいのだったら、
スピリチュアルに「安心」を求めてはいけない。
これが覚醒前・一瞥前のあなたに、言えること。
悟りに興味ないのだったら、いっぱい安心してもらって大丈夫。
スピリチュアルメッセージには、そういう役目もある。

悟りの一瞥をしたあとはじめて、
あたしが、
「死ね」って、
突き放した意味が、わかるよ。


posted by 辰多みか at 17:14 | 悟り | 更新情報をチェックする

私は知らない


るーと2 は、 いくつか 、言えますか?

√2 ね。

ひとよひとよにひとみごろ ね。

1.41421356… ね。

この数は、「無理数」と言って、
「…」の部分は、永遠に、続くの。


永遠に、続くの。


だから、誰も、知る事ができないの。

るーと2 という無理数は、確かに存在していて、
「…」の部分も、ちゃんともう既に決まっているんだけど、
だあれも、「…」の中の、次にくる数字を、予想できないの。

神様しか、そのサイコロを、振れないんだ。
というか、神様自身が、サイコロなのでね。

この「無理数」に対して、「私」が確実に知っている事は、
「私は小数点以下永遠に続く不規則な数の並びを、知らない」という事、だけ。

知りえない事柄の中で、ただひとつ、確実に知っていて確実に言えるのが、「私は知らない」という事、だけ。

これは、悟りで垣間見た「あれ」と、同じ。

永遠にサイコロは振られ続けるからね。


円周率もネイピア数も無理数だよ。
私たちは、絶対に、小数点以下の数の並びを知り得ない。
「永遠」が「私たち」に味方しない限り、知り得ない。

でも永遠の中に入ってしまうと、そんな事、どうでもよくなってしまうかもしれない。


posted by 辰多みか at 10:21 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

死ぬ準備

無気力だ。
やっぱりやる気がでない。
姑を悪者にして
仕事を悪者にして
正当化したかった自分の無気力だったけど、
それらの「原因」と思われる物を、取り去って、
「無気力」に真向から向かい合って、
見つめてみても、
やっぱりやる気が、出ない。
悟りの世界を見ても、
いや、見たから、
出ない。

あたしのやる気って、具体的に何なのかって白状しちゃうと、
「片づけする気」
そして、
「やりたい事をやる気」
そのふたつ。

片づけ以外のほかの家事は、バリバリやってる。
ルーチンワークに関しては。
料理は大好きみたいで(自覚がない)、
一日三食、弁当作り付きでも平気だし、
掃除は嫌いだけど、ほこりが目立てば
自動的に体が動くし、
一番好きな家事は、トイレ掃除で、
一日5回くらいやってる(あの〜、言っとくけど強迫観念じゃないからね。笑)
トイレは、使った時に、トイレットペーパーで、
便座の裏表を拭いておくと、いつも綺麗にしておけるんだよ。
洗剤も使わず一回につき一分もかからないし、
取り外しが簡単な最近のウォッシュレットだったら、
さっとはずして、便座と便器の隙間の水分を拭きとれば、
悪臭防止になる。
(ウチのトイレの自慢は、まったく匂わない事なのだ!)
おふろ掃除も大好き。
どちらかというと掃除機より水回り掃除の方が好きみたい。

なのに、
片づけが、
できない。

それでもいちおう、ギリギリ汚屋敷では無いレベルは保ってる(ハズ)。

あはは〜、去年、夏に、「片づける!」って宣言して
自分を追い込んだ事があったんだけど、
ソコ、今もまだ片付いていない(笑)。

片づけようと、手を伸ばすと・・・
頭の中に・・・
恐ろしい声が・・・するんだ。

それは姑の声。
姑の、口から出る声じゃなくて、
含みで強制してくる、心の声。
あたしの罪悪感を、ぐりぐり刺激してくる、声。
笑顔でね。
いいよいいよ〜と口では言いながらね。
ホントはいいよじゃないんだってさ。
モノを捨てては、いけないんだってさ。
笑顔で嫌味の応酬なんだよ。
捨てる事ができないあたしはどうすればいいの。
で、あたしは、想像でもうイライライライライラしてしまって、
いっこうに片づけが進まない。

それでも、そのイライラを押しのけて、
心の中をよ〜く見てみると・・・
やっぱり、「本当の片づけたくない理由」は、
姑のせいじゃ、ないんだ。
アラ〜?
姑に言われっぱなしなのは、事実、嫌だけど、
理由としては、姑の件は、二番目。
直接の理由では、ないらしい。


よ〜く観てみた答え。
   ↓
片づけは、死ぬ準備。


ああ、あたしの中では、

「片づけは死ぬ準備」なんだって。


だから嫌なんだって。




なんだそれ〜〜〜!





うすうす感づいてたけどさ。

綺麗に片づけちゃったら、あとは死ぬまでのおまけ人生だって。

片づけ終わったら、いつ迎えに来てもいいよ!って、
合図だからね!って、天に向けての宣言だって。

それで、「あたし」は、まだそれは「嫌」だと。

まだ、なにか執着したい物が、ある、と。



でね、あたしの中では、片づけが終わらないと、
好きな事をしちゃいけない、という、バカみたいな
自分縛りがあるのよ。

だから、「片づけ」も「好きなこと」も、どっちも、できないんだ。

できないように、しむけるんだ。

なんですかこれは。


そうだね、執着してるものが、あるんだね。
その正体も、掴んできてる。
3年くらい前から、ときたまその衝動に駆られるんだ。
でもそれを「やって」しまったら、
あたしは、今度こそ、この家にいられなくなるかもしれない。
(あっ、警察沙汰じゃないので、安心して!笑)

どれもやりたくない。
その衝動も片づけも好きな事も。
好きな事が「その衝動」の果てにあるのなら。
今はまだやりたくない。
「その衝動」は、宿題じゃ、ないんだけど、
できればやらずに済ませたいの。
くそぅ。



posted by 辰多みか at 10:20 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

「ごめんね。(こんな私で)」


「ごめんね。(こんな私で)」
(↑悲惨な雰囲気じゃなくて、明るく言うんだよ!笑)

このセリフを言える人、と、
あたしが感じる芸能人の方たちは。

有吉さん。
マツコ・デラックスさん。
松岡修造さん。
坂上忍さん。(←もうちょっと突き抜ければ完璧!)

この方たちは、
愛されキャラ。
得するタイプ。
愛のある毒舌。
そこはかとなくポジティブ。

この人たちに共通してあたしが感じるのは、
自分の弱点・欠点をしっかり肯定できる人たちだということ。

自分のネガティブを明確に肯定できるのが、真のポジティブだと、あたしは思う。
自分の欠点から、逃げない。
真向から向き合う。
それができれば、愛されキャラになることができる。
でもね、ほとんどの人間は、それが、どうしてもできないんだよ〜〜。
自分の欠点から逃げまわって、一生を終える人もい〜っぱいいる。
というか、ほとんどみんなそうじゃない?
多かれ少なかれ、みんな自分の欠点から逃げ回って、
逃げ切れなくなりそうだと、神経症になったり、
わざと不幸になったり、するんだよ。
逃げてる事にさえ、気付かないの。

あたしは、この人たちの中で、
昔の松岡さんと、昔の坂上さんは、だ〜い嫌いだった。
(いまは違うよ!)
欠点のある自分を隠そう隠そうと、虚勢を張ってるのがみえみえだった。
テレビで見るのも痛々しかったし、
「・・・バレてるよ!」って、子供ながらにあたしは思ったもの。
自分の事、嫌いなんだろうな〜って思ってたよ。
(有吉さんとマツコさんの昔は知らないので、なんとも言えない。)
それが、いつのまにか、ふたりとも突き抜けてて、
ほらね、いま再ブレイクとかしてるよね。
たぶんどこかの時点で、「気付いて」、
そして自分の欠点から逃げない選択をしたんだと思う。

人は、自分のネガティブ(欠点・弱点・隠したい恥ずかしく思ってる自分)を、
認めてあげてはじめて、まあるい自分になれるのだとあたしは思う。
真理から言ったら、「まあるい自分」。
でも、人の目から見たら「欠けてる自分」。
まるい、完璧、っていうのは、「真理」から見た場合の事なんだよね。
陰陽そろって、はじめて丸になる。
そして、そんな、人から見たら欠けてる自分でいられる事に、
「おかげさま。ありがとう。」って気持ちが持てれば、
真のポジティブになれるんだよね。



・・・比較として、
あたしが今もキライな芸能人の人を、ちょっと小文字で書いておきましょう・・・
それは「小林幸子さん」です。(キャー、書いちゃった!)
彼女の事は、紅白で一回見るかどうかって感じで、
去年もおととしも見てないので、今はどうなのかわからないんだけど、
昔の坂上さんみたいに「隠して隠して」、
昔の松岡さんみたいに「虚勢を張って」、
自分を飾るためだけの心の入ってない感謝の表情と、
心の入ってない共感の表情。
ひとことでいうと「わざとらしい」。
ほんと〜うに嫌いだったわ(笑)。
さあ、今、彼女は、どうしてらっしゃるのでしょうか。
逆境ということは、本当は、今チャンスなんだよね。
次に見る時は、突き抜けてくれてればいいなぁ〜と、思うよ。
そうしたら大好きになっちゃうわ♡。


posted by 辰多みか at 15:55 | 気の交流 | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

愛と感謝に満ちて生きる

キラキラしたスピリチュアル好きの人たちが
口ぐちに推奨してると思う、

♡♪♡♪♡
「愛に満ちすべてに感謝して生きましょう♡」
♡♪♡♪♡

コレ↑が、リアルな人生では、
どういった事を指しているのか、考えた事ありますか?

ファンタジックな想像は、誰にでもできる。
想像→ いつもまわりを慈しむ優しいほほ笑みを浮かべ、
 すべてを許し、どんな事にも感謝する。
 愛に満ちているので、誰からも愛され、
 幸せの波動で、自分ばかりでなく周りも暖かくなり、
 金色のオーラで輝いているよう。←以上、想像。

そう、それはまさに、空想。魔術的な。ファンタジー。

・・・

リアルな人生で、そんなん、あるか!

あるわけないよ!

そんなのを追い求めようとするから、「できねー。」
って、自分を責めたり、
スピリチュアルに過剰に期待したり、
期待しつつ瞑想したり、悟りを得ようとする。


ホントのホントは、
本当の「愛に満ちすべてに感謝して生きる」は、



完全敗北を味わうこと です。



完全敗北こそが、「手放し」「サレンダー」。

(あっこれは、自虐的・ネガティブじゃ、ないからね!)



じゃあ、実際、どういう「感じ」なのか、
あたしの場合を例にとって、書いてみるね。

あたしのスペック:
年齢・50代に手が届きそう歳
自営業嫁
在宅職
ほぼすべての家事担当
舅姑と同居
二世帯住宅ではない
ティーンエイジャーのこどもふたり
畑は舅、草取りは姑が暗黙のうちに担当
ただっぴろい日本庭園
ただっぴろい畑
家と庭・畑は、舅姑の持ち物
つまりあたしたち子世帯は同居というか、いそうろう、という感じ
庭づくりには、あたしの意見は、まったく反映されていない
(植えたものを過去3回くらい抜かれた事がある)
親(舅姑)の意見には絶対服従せよ、という雰囲気がある


あたしは、庭に出ると、
かならず、

「なにしてるの?」と、
姑から、
聞かれたのだ。
草取りしてる姑から。

なにしてるのって・・・
庭を歩いているんじゃん・・・
自分ちの庭だよ、、ね・・・?
あたしこの家に、一緒に住んでるんだよね・・・?

昼間に庭に出ると、
仕事をさぼってると、思われるんだろうか。
休憩で庭に出るのは、許されないのだろうか。
休憩するくらいなら、
草を取れ、という事だろうか。
(実際、あてつけのように急にあたしの足元の前の草を取りに
姑が動いてくる事がある)
犬と遊ぼうと手を伸ばすと、
触れる直前に、「○○を取ってくれる?」と、
今やらなくてもよい用事を、一見とても申し訳なさそうに、わざわざ遠くから頼んでくるのだ。


あたしはあたしの被害妄想の中で生きていた。

あたしが「不自由さ」を感じるためには、
姑には、悪者でいてもらわなければ、あたしの都合が悪かった。
だから、あたしの目に映ってた姑は、常に
あたしの「自由」を束縛してくる悪者だった。

庭さえも、自由に歩けない。
庭に出れば、
「なにしているの?」と、聞かれる。
このあたしの状況、この姑の発言からすれば、
被害妄想のあたしには、自分の事が、
「勝手な振る舞いを禁止された、おてつだいさん以下扱いの嫁」に、見えるね。
あたしのプライドが高ければ高いほど、
この状況は許すまじきものだし、
不機嫌にもなって当然、と、思ってしまうだろう。



「愛に満ちすべてに感謝して生きる」とは、

この状況で、

「ごめんなさい。」と、姑に、言う事だ。

いや、申し訳なさそうに言うのではなく、
明るく「ごめんね。(こんなあたしで)」と、言う事だ。

「休憩して庭に出たかったから。」と、明るく、言うのだ。

本当の事を。


「この家の一員なんだから庭に居ても当然じゃない!」と、
憤る事ではなく、
「庭を歩かせてくれて、ありがとう。」と、感謝するのだ。
何も悪くないのに、ごめんなさいと、言う。


完全敗北。


自分が相手に勝つ事を、手放す事。
「権利」で相手に勝つ事を、手放す事。

ほんとうに、負けた気が、するよね。

この謝罪と感謝を、
なんのためらいもなく言えた時はじめて、
心と体から、愛が溢れだす。

この屈辱感、この敗北感、
自虐せずに、真向から、できますか?
そういう覚悟、ある?
自分のすべてを捧げる。
これが本当の、「いけにえ」。



キラキラしてるスピ好きな人は、
一体何に、感謝するつもりなのかな。
感謝できる事にだけ、選んで感謝するのかな?
選んだら、選んだ時点で「すべて」ではなくなるよ。
スピが好きな人は知ってると思うこの言葉、
「ありがとう。ごめんなさい。許して下さい。愛しています。」
どういう気持ちで言っているの?
ただの、じゅもん かな?
きもちは、はいってないのかな?

一度よく考えてみて。






posted by 辰多みか at 15:47 | 気の交流 | 更新情報をチェックする

自律神経が見える

昔の話です。
あたしが高校生の頃。

おじいちゃんの、一周忌があった。
おじいちゃんは子供が7人いたので、
一周忌は、親戚が大勢集まり、にぎやかだった。
みんなで、自家用車に乗り合せて、お墓に行った時。

うちの家族は、うちの自家用車一台に全員乗っていて、
お墓の駐車場に着いた時、うしろの席に乗っていた
母は、すぐにドアを開けて出ようとしたんだ。
ところが運転していた父は、車の向きが不満だったのか、
ハンドルを切り返して、一度停めた駐車場から、
出ようとしたんだ。

母は、もう、ドアを開けて、足を出している。
父は、うしろを、見ていない。
そのまま勢いよく車は発進してしまい、
母は、
車外に、転がり出た。
砂利の駐車場に、横向きの体勢で、
転がった。

「痛ぁ〜い」
「ああ、あぁ」
幸い、ひかれてはおらず、腰かどこかを打った程度だった。
でも、突然の事だったので、パニックになってしまい、
あぁ、あぁ、と言いながら、ガクガク震えている。

気が付いた父はすぐに車を止め、あたしたちは、
母の所へ駆け寄って行ったんだけど・・・

もう一人、ものすごい勢いで、駆け寄って来る人がいた。
それは他の車に乗ってた、母から見たら義姉にあたる人。

その、あたしにとっては伯母さんは、
母に駆け寄るなり、
母の、恐怖で血管が浮き出た首筋を指差して、

「ほらっ!これっ!
これが自律神経だよ!」
と、
言ったんだ・・・

得意満面の顔で・・・。


だいじょうぶ?でも、ケガしてない?でもなく・・・
「ほら、これが自律神経だよ〜♪」だなんて・・・。
まず助ける場面でしょう・・・。

伯母さんは、健康オタクだったんだ。
その頃はまだ、みのもんたの昼番組なんてやって
ない頃で、健康ブームでもなかったから、
正真正銘の、筋金入りの、自分で研究するタイプの
健康オタクだったんだ。
毒を抜いた毒キノコとか、
自分で醸造したナニカとか・・・、
冷蔵庫に常にいっぱい入っていた。
体のツボも、とてもよく知っていた。
「健康」に関する事だったら、何時間でも話が
できるほどだった(実際何時間も聞かされた)。

でもね、自分の健康には気を遣い、
健康知識自慢はするのに、
目の前で、事故にあった人に、
だいじょうぶが言えないなんて・・・
他人の無事を、心配する事ができないなんて・・・

もともと違和感があった伯母さんだったけど、
この時、本当に感じたんだ。
「違う」と。

あたしはその時、はじめて「自律神経」というものを、目視した。
後にも先にも、それ一回だけ。
それは、浮き出た血管に見えたけどね・・・
本当に「自律神経」だったのかな。
伯母さんが言ってるその意味は、「交感神経だよ!」と
言いたかったのだろう、という事はわかるけど・・・

健康オタクの伯母さんは・・・
兄弟の中で誰よりも早く、ガンになりこの世を去ってしまった。
あんなに「健康」に、情熱を傾けていたのに。
あの時感じた、「違う」というのは、
この結果を予期してたのかもしれないと思った。
伯母さんに恨みはないけれどそう感じてしまう。
おばちゃんごめんね。

posted by 辰多みか at 10:26 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

2014年03月25日

絶対悟った方がいい!

なんだか前の記事を読むと、
悟るのってコワイ、みたいな感があるー。
違うんです、コワく見えるけど、違うんです。
絶対、悟った方がいい。
ぜったい、
悟っておいたほうが、
いいよ!

悟ろうと悟らまいと、
人生でやる事は、同じです。
悟った後の、こわ〜い(ように見える)宿題は、
悟らなくても、やらなきゃいけない事なんだから。

悟りの世界を見ると、
宿題が、自分で、わかるよ!
そして、ピンポイントで、やる事がわかるので、
ムダな努力をしなくてもよくなる。
エネルギーを無駄遣いしない。
やりたい事が、やれるようになる。
愛と感謝があふれるようになる。
万人からは好かれなくなるけど、それも、いいでしょ!
だから、絶対、悟りの世界は見た方がいい。
こわがらないでね。
posted by 辰多みか at 23:41 | 悟り | 更新情報をチェックする

悟ったら精神は病まないのか

悟りの一瞥をして、
「真理」を見てしまって・・・
歓喜がすぎて、
また、ゆっくり、苦しみの中に、入って行った時・・・

その時、精神は、病まないのかな?
うつ病や、神経症や、
統合失調症のような、
そういった、病に、
ならないのかな?

あたしは、あたしの経験でしか物が言えない。
そんなあたしだけど、あたしはこう思う。

「病まない。」
たぶん、病めない。

この時点で、狂ったように暴れる人は、
宿題が、相当多い人だ。
今まで、怒りを表現した事がなかった人は、
自分で押さえつけていた怒りのエネルギーに翻弄される。
悟りの世界をかいま見ると、押さえる物がなくなるので、
怒りは、全部、噴き出してくる。
まるで、破裂した水道管のように。
はたから見たら、どうかなってしまったかのように見えるだろう。
精神病院に連れて行かなきゃ、と、思われるだろう。

でもたぶん、病に、飲み込まれる事は、ない。
どこかで、醒めている。
自分ではどうにもできなくて、
苦しいんだけど、飲み込まれる事は、ない。
病むのは、飲み込まれるのは、「逃げ」なので、
逃げれたら、一時的には楽なのかもしれないけどね。
でも逃げる事もできない。

噴出はいつか収まるけど、
全部出るまでは、終わらない。
これが、宿題。
怒りの下の、悲しみと、その下の、思い込みまで出切らないと終わらないよ。
何年もかかるよ。
出切ってしまうと、その先は感謝の日々が待ってるんだけど…。
宿題が終わらず、出切る前に、その時の人間関係の、
新しいストレスがかかると、心は、すぐさま反応する。
重く黒い塊として、見える。

あたしは、悟りの世界を見る前に一度、
うつ病になりかかった事があり、
その時は、早朝、胸がどきどきして目がさめて、
これはやばい…と、日中のストレスを回避するように
したら治った事があった。

黒い塊は、胸をどきどきさせる作用があるんだ。
悟りの世界を見たのに、
ストレスで、黒い塊ができてしまった。
一週間くらい、どきどきして早朝目がさめた。
悟っても、精神を病むのか?と、その時思ったの。

でも、
その黒い塊は、
心にとどまっておらず、
すぐに体に、出た。
精神を病む事なく、
神経を通って、出て行った。
出て行った先は、
帯状疱疹になった。

これはいいのか悪いのか??
精神は病まないけど、肉体に来る。
帯状疱疹って、体に起こった精神病なんだよね、きっと。
どのみち宿題ははやく終わらせて、
ストレスを受けない事にこした事はない。
あたしはあたしの経験でしかわからないけど、
みんなはどうなんだろう。



posted by 辰多みか at 23:29 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

2014年03月24日

るーと「在る」じじょう


上下する 波を、

平均すると、ゼロになってしまう。

幸も不幸も、

平均すると、ゼロになってしまう。

ホントは在ったのに、
最終的には、何もない だなんて。
納得いかない。
あの経験は、なんだったの。
泣き喚き、喜びに沸いた、あの経験は、なんだったの。

「在る」ようにするには、
波 ひとつひとつを、
二乗して、平方根を取ればいいんだ。

もういっかい言うね。

二乗して、平方根を、取ればいい。

| | で、絶対値を取るんじゃなくて、
二乗して平方根。

この世は二乗でできてるらしいから。

posted by 辰多みか at 14:41 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

何も悪くないのに


どうして何も悪くないのにごめんなさいと言わないといけないの。

どうして何もありがたくないのにありがとうと言わないといけないの。



生きてると、そんな、理不尽な事が、無数にある。

それはね、

それはね。

どうしてかというと。




私たちが「愛」でできてるからなんだよ。

理不尽なんかじゃないんだ。

理解したくないだろうけど、

本当なんだ。
posted by 辰多みか at 14:37 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

次のブロック

あたしがあたし自身を縛っているブロック。
ひとつは大きくはずれたけど、まだ、在るらしい。
ちょっと内面を探ってみると、まだ「できない」事が
残ってるから、その感覚どおり、まだ、在るらしい。

さっき、
すでにはずれている大きいブロックからの、
大きい振動で、
あたしは激昂して(でも内面は冷静に)、
怒った。
あたし、
怒った。
「言う」事はあったけど「怒った」事なかった。
不機嫌からではなく、
「叱った」
姑を。
目上をだよ。
そしたら、
舅がなぜか大声を出して、
あたしに、どなった。
あたし、
生まれてはじめて、
舅に、どなられたわ。
姑に対してあたしが言ってた内容が、
舅に言ってるみたいに聞こえたらしい。
姑をかばって言ってるのではなかった。
怒鳴られた。
はじめて。

そのあとは、おたがい、何事もなかったかのようで。
いつもどおり普通。


・・・ちょっぴり嬉しかったな。
・・・
マゾか!
マゾかあたし!(笑)

そうか、まだ在るな。
まだ、在るな〜。
どんどんはずれていく。

そして、こういうあたしでいさせてくれて、ありがとう、だね。


posted by 辰多みか at 14:37 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

-LEADERS-トヨタ物語-

おとといとゆうべ、2夜連続で、TBSドラマの
「LEADERS」を見たの。
あたしが住んでるこの地域は、デロトイトばりの(って
デトロイト行った事ないけど)自動車産業な場所なので、
当然、あたしは、録画までして見たさー。
'80年代に作られたトヨタの映画「遥かなる走路」のDVDも
見たばっかだから、興味しんしんだったの。
なんだかんだ言っても、トヨタはすごいな!ってあたしは思う。

感想。
一日目は「遥かなる走路」と比べて見てしまった。
当然といえば当然だけど、流れは、映画とほぼ同じだった。
これも当然だけどドラマはフィクション設定なので、
事実と違う所もいっぱいあった。
(名前がまずアイチ。笑)
映画は約2時間で、ドラマは約5時間。
なにをこんなに長くやるのだろう、と思っていたら、
乗用車の開発がほぼすべてだった映画と違って、
ドラマは、クルマ以外の、おカネ・倒産回避の話が、主だった。
LEADERS って、どうして複数形なのかしら〜と思ってたら、
そういうことなのね。
自動車開発のあたりは、映画とほぼいっしょだと思った。
セリフもおんなじようなのあったし(トラックが壊れるあたりとか)、
はっきり ジャストインタイム って言ってるし。
だけどCM前に「箱根を越えられるか」とか煽っておいて、
CM開けたらいつのまにか越えてたのは、ひょうしぬけだったわ(笑)。
去年、「風立ちぬ」を見た時も書いたけど
「ものづくり」のお話なので、奮闘ぶりあたりはそっくり(風立ちぬが)。
二日目。
いじわるな銀行さんが、一喝されたのは、爽快だったね。
あたしは半沢直樹は見てなかったけど、あのドラマはこんな爽快感があったんじゃないかな。
カネ・人・トップリーダー。
男の世界って、いろいろ辛いのね。(のほほん主婦のあたしには
わからん世界だよ!)
最後に。
奥さまの山口智子さんが、完璧な理想の奥さまだったね〜。
あたしは、智子さんが出るたびに旦那をチラチラ見たよ(笑)。
うちの旦那サマは「よくできた奥さんだよなー」と、遠い、とお〜い、目をしていた!(笑)
そうだよねー。
ごめんネ!(笑)


posted by 辰多みか at 11:05 | 機械工学・道具 | 更新情報をチェックする

2014年03月23日

嫌われたくない


「嫌われたくない」と内心思いながら、
相手の顔を見つつ、相手の反応に合わせて話をする人。

その人はただ単に、自分に自信がないから、と思ってるかも
しれないけど、
その人が発する、
オドオドした、
卑下のオーラは、

「あなたは私を嫌うでしょ、そうでしょ。」

と、言ってるのだ。

卑下してるつもりで、実は、
「あなたは私を嫌う人だ。」
「あなたなんて信用できない人だよ。」と、ケンカを売ってるのだ。

そして、こちらの反応を上目づかいで見つつ、
話の方向性を、ちょっとずつちょっとずつ、修正してくる。
さっき言ってた事と、今言う事が、違う。
誠実感が、まるで無い。


なんて失礼な!!
バカにするな!!!

昔は、あたしは、そういう相手に対して瞬間的にそう判断して、
超不機嫌になってた。
それはあたしがあたし自身の事を、
「信用されない私」と思ってたからだ。

最近はねー。
もう、「コイツ」に信用されようとされまいとどうでもいいし、
死ぬわけじゃないし、追い出されもしないので、
「へー。そう思ってるんだ。」
「あたしの事、あなたを嫌う人だと思ってるんだ。」
「だから、さっき○○したんだー、ふーん。」

不機嫌さはまったく感じない。
うす笑いを浮かべて、質問ぜめにする。
あはは、嫌なヤツに見えるわ、あたし!

あたしでさえも気付いた、内心が発する言葉を、
早く気付けよ、と思う。
気付いたらその先は、オドオド顔色を見ながら
しゃべらなくてもいいんだよ。
毎日理由もわからない緊張感で、全身カチコチに
固めなくてもいいんだよ。
べったり貼りついたテープを、
ガリガリはがそうと、毎日、あたしは爪を立てる。
つらいでしょう。
これがあなたの学びだ。
はやく気付け。
はやく気付け。
もうあんまり時間がないよ。


posted by 辰多みか at 16:36 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

王子様・お姫様

お釈迦さまがね、
あれほどの(って良く知らないんだけど)
悟りを得る事ができたのって、
それは、
お釈迦様が、
王子様だったからじゃないかと思うんだ。

目の前に、生きるか死ぬかの、今、対処しなきゃならない
問題が次から次へ流れてくる現実を生きていた身分の人々は、
それどころじゃ、なかったと思うんだ。

いまの世の中、苦しみながら生きている人は、
絶えず心の中でこう言っていると思う。
「いま自分が嫌な気持ちなのは、あの人のせい」
「いま自分が不幸なのはあの出来事のせい」
「いま自分が苦しいのは世間が悪いせい」

生きるか死ぬかの、交感神経反応がmax.の昔の時代、そんな事、
絶えず考えてるヒマ、ないよね。
だって自分の内面ばかり観て、外の環境変化に気を配るのが
おろそかになると、肉体的に死んじゃうし。
ここが戦場だったら、「こいつのせいで死ぬかも。俺は不幸だ。」
なんて考えてたら殺られるし。
とにかく考えずに、反撃するしかない。

だから、今の時代って、ある意味、ヒマなんだ。
考える時間が、充分にある。
ヒマすぎて、昔は問題にするヒマがなかった事を、問題にするんだ。
反撃できないから、原因をすりかえるんだね。
自分が反撃できないのを棚にあげて、世間のせいにするという。

日本のご先祖さまたちが、一生懸命、子孫の私たちが、
平和に暮らせるよう、全力を注いでくれた。
その努力のかいあって、私たちは今、平和な世に暮らしている。
み〜んな、王子さま、お姫さまだ。
貧民に生まれ育ち闇の部分を見てきたあたしでさえ、
今は、まるで女王さまみたいに暮らしている。
あたしはあのまま貧民だったら、まだ悟りの一瞥まで行ってないと思うよ。
精神を病むヒマなんてないしさー。
ヒマとお金がないから、病んだ瞬間に自死したかもしれないし。

でもね、充分病む時間がある、というのは、
神さまからの、宇宙からの、プレゼントなんだ。
↑ヘンな言い方で一般の人には受け入れられない話だろうけどね。
あたしは今、神経症でフラフラになってる響子さんに、
「チャンス、チャンス!(悟りの)」と、つい言ってしまう(笑)。

なので、
今、神経症やうつ病で、
苦しくてもうどうしようもない、そこの、アナタ。
そこの、
王子さま方、
お姫さま方。

今が、チャンスです!









そんな事、思えないと思うけどね〜。



このチャンスを確実につかみとるにはね、
もっともっと、
もっともっと、
ナゼ自分はこんなに苦しいのか、
目をそらさずに、
穴があくまで、見続ければいいのよ。
守られた環境で、
時間がいっぱいある中で、
たくさん、見続ければいい。



「あの人のせい」
「あの出来事のせい」
「世間が悪いせい」


そうかな?
そうかな〜?

ホントにそうかな?


posted by 辰多みか at 11:40 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

ゼロといち 1と0

指と指をくっつけてみて。
あっ、自分の右手左手じゃなくて、誰か、他人とね。

人差し指どおしを、くっつけてみて。
ETみたいに。

今、ひとりぼっちの人とか、そんなんキモイって人は、
脳内だけでもいいから。

相手は、机とかでもいいから。

くっつけてみて。



さて力いっぱいくっつけあった所で、
考えてみましょう。


アナタは、その人に、なれる?

ぎゅぎゅぎゅーって、力いっぱい、くっつけあって、
アナタたちは、お互い、相手に、なれる?


なれないよねー。


お互いが、考えてる事が、わかる?
この場合は、「考えてる事」であって、「感じてる事」ではない。
感じてる事って、案外、相手にわかっちゃう。
だから、「感情」じゃなくて「思考」の方ね。
相手の思考が、わかる?

わかんないよねー。

「ひざがかゆいよなー」とか「いつまでこれやるの」とか「今日の晩御飯なんだろ」とか、わかんないよねー。
「めんどくさいな」とか「嫌だな」とか「うぜー」とか「恥ずかしい」とかの感情は、割とわかるけどね。
相手の思考は、わかんないよね。

つまり、いくら肉体と肉体をくっつけあっても、
たとえ、一部分を移植したりしても、
相手の心と、ひとつになる事はできない。
相手の心(思考)を、自分と同じように読みとる事はできない。


私たちは、おおもとは、おおいなるひとつ、ワンネスなんだけど、
個々として生きてる限りは、それ(=ワンネス)に、なれないの。
肉体として死んだ時にしか、なれないの。

肉体は、流体で、粘性があって、まるで油膜のようで、
油膜だから、光が入ると、虹色に見える。
肉体の個性はきっと、油膜で分光する、虹色の見え具合なんだと思うの。
油膜の厚さや密度に、微差や偏りがあれば、赤だったり青だったり、
いろんな色に分かれるよ。
肉体と思考と感情は、連動しているから、思考と感情(=心)も、
分光して、いろんな色に分かれる。
阿部敏郎さんは、それを、割れた鏡だと表現されていた。
すごくわかりやすい。
あたしも去年、人間の球体が固体に見えてた時は、そう思ってた。
固体だったら「傷」だし、流体だったら「密度の差」だろう、と思ってるよ。
(体と心は、意志によって変幻自在なので、実際はジェル状の、透明な流体じゃないかな、と思ってる)
なぜ割れてる(ように見える)のか、なぜ流体に偏りがある
(ように見える)のかっていうと、それは、自分が自分自身と思ってる、
弱〜い自分を、守るためなんだよね。

この、流体で、個々が分けられている限り、あたしたちは、
自分の人生を、精一杯生きなければならない。
それをやろうと、アチラの世界で決意して、コチラの世界にやって来たわけだしね。

ワンネスを分断して、個々の人生をもらうというのは、
おおいなる 1 を 分断して、ちいさな 1 をもらったという事だね。
1 を いくら分断しても、もとと同じ 1 というのは、
理屈からしておかしいから、 1 って、濃度の事だとあたしは思う。
もしもワンネスに果てがないのなら、ワンネスは1ではなく、0.99999999999…なの。
そして0.999999…を、分断(ゼロで割る)すると個々の人生の 1 になるので、
0.9999999…を0で覆う(果てが有るという意味)と、1 になるんだ。
今、個々のワンネス成分を覆ってるのは、油膜的な流体なんだけど、
ワンネスを基準にして眺めてみると、流体は「0」に当たるので、
「なにもない」の。
自分がいなくなるの。
流体を基準にして、ワンネスを眺めてみると、
今度は立場が180度ひっくり返るので、ワンネスが「なにもない」になるの。
本当は、ワンネスは、なにもなくてなんでもある なんだけどね。
比較できない、次元の違う話なんだけどね。
文字では表現できないんだけど、とある次元で切り取った断面のイメージを、
むりやり文字で表してみると、こんな感じです。

相手の指と自分の指の間には、「ゼロ」が、有るよ。
「ゼロ」が有るから、現実世界のアキレスは、カメを抜く事ができるんだ。


posted by 辰多みか at 11:38 | ゼロの正体 | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

飲酒と体温

きのう、数ヶ月ぶりに、寝る前にアルコール摂取したんだ。
飲んでる最中は、酔っ払いの、顔が真っ赤の、
心臓がドキドキで、汗もかく。
いいかんじに、体温が上がる。

あたしは酔いをさましてから寝ないと、
朝、酔いを引きずって目覚めるので、いやなの。
だから、体が冷めるまで、寝ないの。
ゆうべも、カーッと上がった体温が冷めてから寝た。

朝、目が覚めて、
いつもは、ふとんの中で、体中がポカポカなのに、
今朝は、体温が、あがってない。
なんだこれは。
飲酒って、逆効果なの?
冷めた体で寝て、体温があがらず、冷めきった体で起きたわ。
寝しなに一杯ひっかけて、って、ホントは良くない気がするな。
前払いした体温は、後から受け取る事ができないみたい。
posted by 辰多みか at 23:34 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

メンテナンス

体、メンテナンスしてる?
あたしは、腰を痛めてから、メンテナンスするようになったよ。
マッサージに行くわけではなく、
自分で整体。
矢上裕先生の自力整体。

この世は幻で(!←この件については後日説明しましょう)
自分はどこにもいないと(!←この件もね)
スピリチュアルの、甘いささやき(!←実は、甘いささやきだと
思ってるのは、聞く側の、自分勝手な解釈なのよ!)は、そう言うけど、

肉体は、あります。
ホントは、真理から話をすれば「無い」けど、
生きていく、と、みずから選択すると、肉体が現実になります。
「肉体が有る」になる。
生きてく以上は、この体は、幻ではなく、実体だと、認識しなければならない。
つまり、
メンテナンスしなければならない。
ほっぽらかしてはダメだ。
「まぼろしだから〜♪」なんて言うのは、責任放棄以外の何者でもない。
スピリチュアルに責任を押し付けるための言い訳。

まぼろしではないっ。
(ホントはまぼろしだけど)
…うまく伝わらないっ。

くどく言うけど、「幻だけど幻じゃなかった。」(トトロか)

この世で生きていく、と、選択したならば、肉体は現実の物として、
メンテナンスしなければならない。

メンテナンスを怠ると、法則に従って、ぜ〜んぶ、
結果を自分で背負うハメになる。
つまり、傷んだりするってこと。
まずは前提からして、肉体は最終的に「死ぬ」ようにできてるからね。
食べて肉体を維持するのは、今の時代だったら簡単だけど、
メンテナンスして維持するのは、ちょっぴり難しい。
ちなみに薬を飲むのは、メンテナンスでは、ない。
毒を飲んでるのといっしょ。
だから、薬に頼るのは、ほどほどにね。
メンテするぞって人には、矢上裕さんの「DVDで覚える自力整体」はおすすめです。





(アフィリエイトではありません)

posted by 辰多みか at 23:25 | 整体であること | 更新情報をチェックする

神さまの願いを叶えてあげる

散歩に行く。
わんこと。

月の光の下を歩く。
空気が冷たい。
草木のにおいがする。

足元は、砂利で、
泥で、
枯れ草で、
アスファルト。
アスファルト以外の所を歩くと、足の裏から何か吸収してる気がする。
大股で、手を振って、
わんこにひっぱられながら歩く。
たまに走る。

近所を一周して帰ってきて、
わんこお待ちかねの、ごはんをガツガツ食べてる横で、
腕をぶらぶら振る。
スワイショウ。
なんかね、中国の、気功の。
太極拳教室で、教えてもらったの。
スワイショウ。
やってみる。
腕の筋、血管が、通る。

息を吐いて、
吸って、
なが〜〜く吐いて、ちょろっと吸うと、
体がポカポカになるんだ。



神さまは、こういうのが、したかったんでしょ?


ほら、神さまの願いを、叶えてあげるよ。


posted by 辰多みか at 23:23 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2014年03月14日

満願成就


神さま!

神さま!ありがとぉ!♡♡♡

ついについに娘がやり遂げたよ!



いや〜神様ってホントにいるんだねぇ♡♡

















ま、神様って、あたし自身の事だけどね。

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

posted by 辰多みか at 22:33 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

「悟ったら幸せになれる」という誤解

「悟り」のイメージ。
みんなが持ってるイメージ。
悟りの一瞥した人でさえも持ってるイメージ。

---♪「悟ったら幸せになれる」♪---

・・・
悟りの世界を見てみて、わかりました。
じゅうぶん、身にしみて、わかりました。

「悟ったら幸せになれる」は、誤解です。

みもふたもなく言っちゃうと、「悟っても幸せになれない」。
もしもあなたが、「幸せ」とは、「不幸」が、100%消滅する
事だと思ってるなら、そんなあなたは、一生「幸せ」にはなれない。
悟ったって、幸せにはなれない。

スピリチュアル的にいう「幸・不幸」と、
世間一般でいう「幸・不幸」との間で、
見解の違いがあるから、混乱するんだ。
悟っても、世間一般でいう「幸」「不幸」は、
時・場所・人を選ばず、皆に均等にやって来る。


あなたにとって何が「不幸」ですか?
嫌われること?
無視されること?
誰もブログにコメントをくれないこと?
ひとりぼっちになること?
もててもてて困ること?
スカウトされまくること?
仕事がぜんぜん終わらないこと?
休みがとれないこと?
いらないというのに、感謝しろという条件付きの恩を売られること?
頼まれたら断れないこと?
病気になること?
病気が治らないこと?
死ぬこと?

それらは、悟っても、悟る前と変わらず、やって来る。

「悟ったら幸せになれる」という、本当の意味は、
スピリチュアル的にいう本当の意味は、
真理が教えてくれる本当の意味は、

それらがやってきても、へっちゃら という心になる事 だ。


へっちゃら。
へのかっぱ。
へとも思わん。


胃もキリキリするし、
胸もザワザワするし、
腰もひけるし、
冷や汗もかくし、
頭に血が上ったり、
涙もいっぱい出るけど、


そんなもんみんな、

屁みたいなもん。

どーんと来い!



そう思えた時が、「幸せになれた」時です。



posted by 辰多みか at 14:17 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

ハートレベルでの目覚め


ここ4日くらいがんばって、

--あなたの世界の終わり--
 「目覚め」とその"あと"のプロセス
アジャシャンティ著
高木悠鼓訳

を読んでるんだけどね。
出掛ける用事が多いんだけど「待ち」の時間も結構あるので、
その待ちの時間に読んでる。

けれど。
どうしても〜
どうしても〜〜
162ページから先が、読み進められない!
そのページとは、見出しが「ハートレベルでの目覚め」だ。
その前の見出しが「マインドレベルでの目覚め」
次の見出しは「腹レベルでの目覚め」だ。

マインドレベルでの目覚めまでは、快適に読み進めてきたけれど、
どうしても、ハートレベル(感情体)で、
寝てしまう!
3夜も、そこから先に行けない!
ほかのページ見ても、眠くなるなんてなかったのに。

なぜかしら?
まず、用語としての「マインド」と「ハート」がよくわからないからかしら。
一度、スピリチュアルな用語を整理してみようかな。
眠くなるのは、その話の次元の高さに、理解が追いついて来れないからだというよ。
・・・
こういった「真理」についての話は、平常の心で読むと、
文脈から立ち昇る「悟りのニオイ」的なものを読み切れず、
誤解してしまうので、あたしはいつも、心の目の焦点をわざと
そらして読むんだけど(悟りセンサー)、この見出しの部分に来ると、
その焦点そらしが、解除されてしまう。
霧がたちこめるみたいに、目の前が見えなくなってしまう。
ホントになぜかしら?
うーん、でもがんばって読もう。


タグ:ホンモノ本
posted by 辰多みか at 14:12 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

一秒

一時間も瞑想して、
その瞑想の目的が、現実世界の苦しみをなくすためだとしたら。


一時間も現実から逃避するくらいなら、
今、まさに目の前にある現実に、

「ごめんね、ありがとう。」とうちあけた方がいいと思うよ。

一秒もかからない。

posted by 辰多みか at 09:29 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年03月10日

愛とは。

「動ける事」は、すべて愛なんだ。

視線を動かして目で見る事。
頭の中で相手の事を考える事。
その考えによって、身体に反応が起こる事。

誰かから目で見られる事。
誰かから、頭の中で、想像される事。

水が流れるように、自発的に動きが起こる事。
風を起こすように、自分から動く事。
呼びかけたら、返事をしてもらう事も。
「好き」でも「嫌い」でも。
「愛してる」でも「憎い」でも。
自分が、相手が、お互いに「どう」思っているのかは全く関係ない。
「好きか嫌いか」は、本質的にいう、真理で定義する「愛」には影響がない。

「愛」とは、ただ「動ける状態・動いている状態」を、指す。

「動けない状態・動きがない状態」だけが、「愛」ではない。
その状態は、「無関心」と言うの。

posted by 辰多みか at 16:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

自由とは。

心の底から「私が悪かった・・・」と思うと、
目の前の曇りが晴れて、世界がクリアに純粋に見える。
キラキラでピュアに見える。
その時、目の前にいる人たちは、全部、自分に見える。
世界中の人たちが、自分に見える。

それは、どういう生き方をしてもいいよ。っていう、
メッセージの顕れなんだよな。

posted by 辰多みか at 16:15 | 悟り | 更新情報をチェックする

まだ18ページしか読んでない。


「あなたの世界の終わり」

でもそこまでで、「うわあぁ〜〜」て叫びそうになって
(どちらかというと絶望ではなく、喜びの方で)、
涙が出そうになった。
どこにも違和感がない。
本物の本物の本。








タグ:ホンモノ本
posted by 辰多みか at 16:14 | 悟り | 更新情報をチェックする

「あなたの世界の終わり」裏表紙

エゴの消滅には時間がかかります。目覚めの一瞥は瞬間的ですが、その一方、そのあとに展開する夢の状態の重力を超えるというプロセスがあるのです。(本文より)

ADYASHANTI
あなたの世界の終わり
「目覚め」とその"あと"のプロセス
アジャシャンティ著
高木悠鼓訳


身辺がいろいろ片付いて、
この本がamazonさんから届いたので、
明日読んでみる。

posted by 辰多みか at 00:09 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月08日

「聖なる予言」読んだ。感想。A

@のつづき。
スピリチュアル界でまことしやかに言われている、
「波動を高めると、見えなくなるorいなくなる」

この本には、その話が「第九の知恵」として、出てくる。

主人公の目の前で「波動を高めた他者」が、ゆっくりと消えていった。
もしくは、恐怖で波動が落ちた主人公が、消えた他者とは違う低い
レベルの波動の世界に戻ってしまい、低いレベルの敵に見つかってしまった。
・・・ような事が書いてある。
つまり、波動が違う者どおしは、目視する事ができなくなる、と、書いてあるように、読める。
さらに、古代のマヤの人々がいなくなったように見えるのは、このせいだと。

これはさー、この本の、ここの部分だけを取り出してみると、
そのとおり「目」で見えなくなった、ような印象を受ける。
目の前から、消えてしまった ようだと。

でもあたしはさ、そうじゃないと思うんだ。
前に、ミツバチが、あたしの周りに4000匹もいたのに
ミツバチを怖くもなんともないあたしは、それに全く
気付かなかった、というのと、同じ現象の事を
書いてるんじゃないかと思うんだ。
怖さのあまり気にするから、気になるのであって、
気にしなければ、視界に入ってても、気付かない。
つまりはさ、視界には入ってる。
視界には入ってるけど、気にならない。
そういった事じゃないのかな?

そして、「波動」というのは、「怖い→→平気」のレベルに対応して
上がっていくものだと、あたしは解釈してるんだけど、
その、「波動」を上げると、消えるものは、別に、もうひとつある。
それは何かというと、「自我」だ。
肉体ではなくて、心の領域。「自我」
自分自身が、「自分」と思い込んでいるものが、消える。
悟りの瞬間。
この本では、肉体的な目から見る「気にしなければ目に入らない」
ということと、心の目から見る「悟り」の、ふたつの事を、
混同して書いてあるように思う。
ひとつひとつ文字を追っていくと、書かれている事柄は、たしかにすべて「真理」なのに。
意図的なのか、物語にしたためにぶれてしまったのか。
純粋な体験とは順番を違えて書いているために、脈絡が変なのか。
どうしたの。
どうしたの、これ。
「キリストが水の上を歩けるほど軽くなった」逸話を
入れたのは、ナンセンスであり失敗だと思う。
それこそ、肉体的な事柄と心の事柄が、混同している。
肉体と心、そのふたつは、同じ土俵の上には載せられない事柄のはずだ。

これを書くと少し紛らわしいかもしれないけれど、波動を上げると
消えるものは、実はもうひとつあり、それは、肉体。個々の生命。
つまり、私たちが一般的に「死」と
認識している、あの「死」の状態になる事だ。

その3つが、わざと混同されて書かれているのだろうか?。
もうひとつ言うと、「波動を上げると」、「気配」を消せるけれど、
「自我の消滅」と「肉体の死」の、2つは、波動を自分でコントロールして
「上げる」わけではなく「波動が勝手に最大max値まで上がってしまって」
起きる現象である。

この、「見えなくなる」記述以外に、この本での登場人物たちの
「波動、エネルギーの上げ方」にも、違和感がぬぐえない。
この本によると、自然の美しさを意識して、輪郭がはっきり見えてくると
愛のエネルギーが宇宙から補充できるようになる、そうだ。
・・・これって、実際の体験に比べていうと、「逆」だね。
実際の体験は、自分の非を認めると、自然(まわり)が美しく見えるように
なり、愛のエネルギーで包まれている事に気付き、感謝が体の中から
溢れだす、だ。うん。あたしの場合はそうだったよ。
エネルギーを上げるには、
まわりを、積極的に、美しく感じようとアプローチすればできるもんなの?
ふーん。
そうなの。
それはお得だねー。(棒読み)
でもなにか、ひとつ忘れてる気がするよ!
そんなに神さまは気前良くないと思うよ。

あとね、
第五の知恵で、
この主人公は、「神秘体験」をするんだけど、
そのきっかけは、殺されそうな恐怖と、エネルギーの高い(らしい)場所のおかげだ。
場所のおかげっていうのは、余分だったと思うなー。
そういう場所は、実際、有るとは思うんだけどさ。
これだと、悟ってない人たちに、誤解されちゃう。
パワースポットに行きさえすればいい、と、誤解されちゃう。
(だからみんなパワースポットに行くんだね。)
「悟る」のに、場所は、関係ないよ!

そして、悟りの一瞥したっぽいのに、残り6から9の知恵が、自分で気付けない。
人に教えてもらってばっかり。
この主人公、神秘体験した意味ないじゃん。
その辺が変だな〜と思うよ。
自分のネガティブな一面が、軽くしか出てこないし。
大事な事は、はるか未来のお金の流れの話じゃなくて、
どうよりよく自分を生きるか、だと、あたしは思うんだけどな。
やはりこれは、冒険物語にしようと思った結果なのか。
せっかく「真理」がいっぱい書いてあるのに。
純粋な真理(悟り)の体験を、一度バラバラなブロックに分解して、
物語として、並べなおした気がする。
だって、第一の知恵・第二の知恵なんて、悟った後に
気付く事だし。
順番が逆だ。
悟ってない人は、こういうアプローチで悟りに行きましょう、という事なのか?
いやいや〜。
やっぱ順番が逆だ。

という事で、違和感とあたしの意見をまとめてみると、
・この本は悟りの純粋な体験・真理が書かれているわけではない。
・この本を読んでも、悟れない。
・「エネルギーの上げ方」が安直すぎる。
・波動が上がっても、目では見れる。消えたりいなくなったりしない。
 ただ、気にならなくなれば 目には入らない。
・波動が勝手にmaxに上がってしまうと、自我(心の自分)が自分からは
 見えなくなって、悟る。
 その場合、他人から見える見えないうんぬんは全く無関係。これこそが
 次元の違う話、というやつだ。
・地球規模で目指しましょう、というのは、「悟り」の方。
・だから、次元上昇するのにおいてけぼりをくうと、取り残されて
 大変な事になるかも、なんて余計な心配はしなくてもいい。
・悟るのに場所は関係ない。
・この主人公、悟った意味ない(笑)。

さて、違和感が上記のように、ままあるんだけど、
書いてある事、ひとつひとつは、「真理」だと思うよ。
おおっと思う箇所も、いっぱいあった。
特に、コントロールドラマの「強迫者」「尋問者」「傍観者」「被害者」
は、心理を学ぶ上で、とてもいい。
実生活にも、とても役立つ。
そうだ、そういえば、ウチで繰り広げられているコントロールドラマの
詳細が知りたくて、この本に検索で出会ったんだったわ。思い出した。
あと、エネルギーの奪い合いの、丁寧な描写もいい。
これを知っておけば、テレパシストみたいに、人の心が読めるよ。
第六の知恵での、神秘体験の後の、「過去の清算」は、辛く時間がかかる
というのは、まさに、最近まであたし自身が苦しんでた事で、
やっぱりそうなのか!って、大いに納得したよ。
そして、未来を予言した、第九の知恵の中であかされる、
「お金」の価値の変化と、新しい「職業」。
これが22年前に書かれたものだと思うと、ちょっと、ゾッとするかも。
あたしは、「ウッ」て言っちゃった。
(人前なのに)
なんて予言が当たってる事でしょう。

まあ、これが何かは、この本を手にとって、読んでみてください。
(そこはネタバレしない)
 ↓
 ↓
se.jpg
(アフィリエイトリンクが貼りたくても貼れない。笑)
amazonかどこかで検索して買ってみてください。
続編もあるみたいだよ。

この予言が正しいとすれば、このブログは、有料コンテンツにしなきゃだわ(笑)。

posted by 辰多みか at 23:49 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

「聖なる予言」読んだ。感想。@

入試に付き添いをして大事な大事な生徒たちを引率していった。
もうね、責任重大だから、気が気じゃなかったよ。
寝坊したらどうしようと(笑)。
無事終わった・・・。
よかった・・・。
これであたしの義務教育も終わった!
(義務教育の義務って、こどもの義務じゃなくて、
親の義務なんだよ。親が「行かせなければならない義務」なんだよ、知ってた?)
子育ても、終わった!(つもり)
ああ〜。よかった。ほんの少し解放感。
今月末にはもっと解放感があがるかな?

付き添い人控室で、読もう!と思って、
「聖なる予言」(著:ジェームス・レッドフィールド)を持っていった。
amazonで買ったんだけど、履歴を見たら、去年の9月に買ったものだった。
それから、ずっと読まずにしまっていた。
なぜか、読む気がしなかったの。

amazonのレビューの評判が高かったので、読もうかなと思って買った
らしいんだけど、なぜ読もうと思ったのか、今となっては思い出せない。
まあいいや。
付き添いは2日間行ったので、2日で読み終えました。


感想。

この本は、1992年に書かれたものらしい。
22年前か。
アメリカでベストセラーになったそうだ。
その頃はまだ、携帯電話が出始めのころだっただろう。
今だったら、きっと、携帯やスマホ、それに加えネットによる
瞬時の拡散方法があるので、この本にあるような
「スリリングな事件」は、そもそも起きないだろう。
まずそう思った。
それにしても、22年前に、「予言」している事は、
全部当たってる みたいじゃない?
そういう意味では、すごい予言の書だ。
ただ、あたしの「悟りセンサー」を効かして読むと、
違和感を感じる所が数ヵ所ある。
それは、順をおって、ひとつずつ書くね。

まず、
スピリチュアルな方面のブログとかでよく目にする、
「5次元へのシフト」
「波動を高めると、見えなくなるorいなくなる」
「地球規模の意識の進化」
・・・って、
この本が元ネタなの?
そうなの?
って思った。

もしそうならば、
スピリチュアル界の人たちは、
「誤解」をしているのでは、と、思った。
そして、そう声高に言ってる人たちは、
間違いなく「悟り」を経験していない。

そして、この作者さんも、悟りを経験してるかどうか…
よく感じ取れない。
ものすごくいい線まで行ってる感じなのに。
訳者さんが、山川夫妻さんなのに。
「悟り」は、ちゃんと経験していて、それを物語風に書いた事で、
純粋な経験が、ぶれてしまったのか、とも思った。
長くなりそうなので、次につづく。


posted by 辰多みか at 11:36 | 悟り | 更新情報をチェックする

わからんスピ用語



集合意識ってなに?




集合 意識 って なに?


わからん。


神さまのこと?


わからん。


あたしはやおよろずの神は体感したけど、
「集合意識」がなんだかわからん。
「同じ集合意識にアクセス」?
いみふめい。
そんなのどこにあるの?

あたしのワンネスと個々の魂(神)のイメージは、

その1・水銀が、コロコロして、くっついたり離れたりしてるの。

その2・水の中で、油が、くっついたり離れたりしてるの(そういう置物が
雑貨屋で売られてるのを見た事がある。正直、欲しかった。)。

その3・泡。もしくはシャボン玉。

その4・きりきざまれたリンゴ(べつにリンゴ限定ではないのだが)

その5・連続して接着されてる数じゃなくて、「1」単位でスライドできる性質の数。その性質とは、さくらんぼもち(駄菓子)の手触り。

その6・フルーツみつまめの中に入っている、寒天。(みつの中では、姿が見えない。)


なんだけど。
スピリチュアル界では、なにが「集合」しているというのだろう。


posted by 辰多みか at 11:35 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

ブロックのはずし方

気になる事がある。
たまにね、遠隔一斉ヒーリングいたしますっていう記事、見るんだ。
あたしは、やってみた事、ない。
申し込んでみた事、ない。
(だってもう必要ないし)

でもまあ、ちょっと気になるから、
そのヒーラーさんと、希望者さんたちの、
その後とか、見ちゃうんだ。(コメント欄に
感想が書いてあったりするんで。)

どんなんだか知らないけど、
想像するのは、決められた時間になったら、
静かになれる環境で、ひとりで目を閉じ、
「受け取ります」みたいに、
意識を、広げる?
のかなー、と。

そして、その後の感想が、

「スッキリしました」とか
「思考がびっくりするほど沸いてきて、すっきりしました」とか、
なんか、すっきりしてるみたいなんだけど、


それってどうなの〜とか、思うわけよ。
ヒーラーさんは、なんとびっくりなんだけど、
悟りの世界を見てる人なのよ。一瞥してるのよ。
(それはあたしの悟りセンサーでわかる)

でも、受け取る人たちは、そうじゃない。
そしてそれで悟りが促進されてるわけじゃないっぽい。
ただの「気のせい」なんじゃないのかなと、思う。


あたしが考え、
実際、やってみた、ブロックはずしは、
そんな生易しいモノじゃなかった。

ブロックのはずし方も、誰かに聞いたわけじゃないから、
実際、どうやってやってるのか知らないけどさ、
生易しいやり方じゃ、ブロックははずれない。
なんか、空気中を漂ってくる、「気」みたいのを
受け取った「だけ」じゃ、はずれない。
少なくとも、「あたしの場合は」そうじゃなかった。

何をやったかというと、
「言葉に、出した」
感情を腹で受け止めて、その振動で降りてくる言葉を、声にのせて、
実在の空気を震わせて、
音波にして、
そして、きちんと意味を込めて、出した。
いいたい相手に、ぶつけた!←(ホントはこれダメなのかな。)
最初は、怖くて、胸がざわざわする。
感情を胸で受けとめると、衝撃が強すぎて、
答えの言葉が、ぶれぶれになってしまう。
たから、腹に落とし込む。
腹だと、あんまりぶれない。
ていうか、ぶれないから、腹まで届く。
そこで受け止めれるようになると、腹が立たない。
腹が立つ時は、腹で受け止められなくて、胸どまりになっている時。
そんな時は胸が苦しくなる。
きゅーっとなる。
もっと腹が立つと、頭まで行ってしまう。
そうなってしまうと、ちゃんと言葉が言えない。
保身の言葉しか言えない。
だから、ちゃんと、腹でね。

言う時のテクニックは、アサーティブネスを使った。
冷静に「言える」ようになると、ブロックははずれる。
ブロックがはずれるって、要は、それ言っても平気になるって事だ。

だから、遠隔一斉ヒーリングとかで、すっきりしてる人は、
何を基準にスッキリしてるのか、あたしは理解できないんだよ。
なにか、あたしの知らない、秘儀があるのかな?
今度募集があったら、申し込んでみようかしら。
試しに。
う〜ん。
posted by 辰多みか at 11:34 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2014年03月02日

権利

あたしは主婦で、
同居嫁で、
在宅で仕事をしていて、
しかも家はあたしとは別の自営業で、
常に、大人が4人、24時間家にいて、
家事いっさいはあたしがやらなきゃいけない。
(仕事もしてるのに)

だけどね。
遊びに、
行きたいの。

遊びに、
行きたいのよ。

どうする?

みなさま方は、そういう時、どうする?



おろかだったアタシは、考えた。

「仕事も家事も完璧にやって、誰もあたしが
遊びに行く事に、文句を言わせない。
これは、あたしの権利だ。
有給休暇と一緒だ。」

ああ、なんて愚かだったのでしょう。

あたしはその胸中の宣言どおり、
かんぺきに、
こなした。

仕事は夜中までやり、
家事は手を抜かない。
いつもピリピリして、
「できてない所、気が回ってない所」を
指摘されるのを、極端に恐れた。
だって指摘されたら、「権利」を発動できなくなってしまう。
たった年に、2、3回、遊びに行きたいだけなのに。
それっぽっちなのに。
それさえもできないなんて。
なんて家だ。

全部完璧にできるからこそ、堂々と、遊びに行けるのであって、
そうでなければ、あたしにはそんな事、許されないと…思っていたのだ。
…そう思っていたのだ、あたしひとりだけが。

だから、遊びに行く時は、
ふてくされて、
「行けて当然」という顔をして、
なにか言われようものなら、
「なによあたしの権利に文句あるの!?」っていう勢いでかみついた。
(↑このセリフは心の中でだけよ)
そのうち、出掛ける時に、顔を合わせるのも嫌になって、
早朝、まだみんなが寝ているうちに、出掛けるようになった。
もちろん、その日の3食のごはんの支度、家事を済ませて。
そして、「なんであたしはこんな目に遭うの。
なんで結婚しただけで、こんな割に合わない目に遭うの。」と、
同居主婦である身の上を嘆いた。



それはねー。


間違いでした。
うふふ。
全部、とは言わないけど、
ほぼ、
間違いでした。
あははー、愚かだわ。


そんなぎゅうぎゅうに縛られた環境をすごすうち、
悟りの世界を見て、
自分の愚かさを、直視したんだけど、
その愚かな自分と、統合できずに苦しんでいた。
6年もだよ。
長かったな。
そしてついに統合する日がやってきた。
それはきのうです(笑)。

きのうの朝、
舅に向かって、「遊びに行ってくるねー(笑顔!)」
姑に向かって、「じゃあ行ってきまーす(笑顔!)」
姑サンには、前日までに、どこどこに行くから、
家事を頼むね!と、言ってあるの。

あたしは、とっても嬉しそうな顔をして(無理にじゃなく)
「よろしくお願いしまーす。」って気分で、
晴れやかに、出て行ったわ。
いままで、「遊びに行ってくるねー」なんて・・・
一度も、 言った 事が なかったわ。

あたしがあたし自身を縛っていたブロックが
はずれまくってきたので、
ようやくここまで、来たので、
とうとう、
笑顔で、
「行ってきまーす」
そして、
あとはよろしく。
足りなくてゴメンね。
ありがとう。

自分の「権利」じゃなくて、
「させてもらってる」
そう、心の底から思えたから、
はればれしく、
気軽に、
意気揚々と、
出掛けたわー。

ああー、面白かった。


ていうかこうやって文字で見るとホントに愚かだねー。
(///恥///)



posted by 辰多みか at 17:12 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

逆!逆!


できないから、私は駄目だな。

じゃなくて
逆!
逆!

私は駄目だから、できないんだ。なんだーあたりまえじゃん!

なんだよ。



それが腑に落ちれば、楽になれる。

大丈夫。

そして、駄目な所を嫌われてもあたりまえだし、
駄目な所を、まわりの皆が、埋め合わせしてくれるから、
楽な気持ちで「ありがと!」って風のように生きてけばいい。
それが「ありのまま」を生きる事。

それなのに、その状況を「なんとか」しようと、
無駄な努力をするから、苦しくなる。

なんとかしようとするのは、ムダだから、あきらめて♡
posted by 辰多みか at 17:09 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

恥を晒す

悟りの一瞥をして、
それを契機に、すぐにブログを始めると、
のちのち、恥を晒す事になる。
だから、言葉を発信したくなったら、
5年くらいは待ってから始めた方がいい。
恥を晒そう、と、思えるようになってから。
posted by 辰多みか at 17:18 | 悟り | 更新情報をチェックする

悟りの後にする事

悟りの後にすることは、

「自分になる」こと。

それしかない。

その後の人生は、
自分になって死ぬか、
自分になれなくて死ぬか。
それだけ。

かつて忌み嫌っていた自分になる。

忌み嫌い度が大きければ、自分になる過程で苦しむし、
小さければ、あんまり苦しまない。

悟るとわかるのは、忌み嫌ってた理由が、
自分の勘違いだった!という、目からウロコ的な発見と、
「自分になる」という道のりに転がって、道を塞いでいる
障害物の多さに唖然となること。

まあその障害物だって、自分の魔法で出してるんだから、
自分がひとこと「消えろ」と言えば、あとかたもなく
消えるのだけど・・・
だけど・・・
その魔法を解く言葉は、本当は「消えろ」じゃなくて、
「消えなくていいよ」が正解で、
その正解を、なんの胸のつかえもなくためらいもなく言えた時だけ、
魔法が解ける。
難しいねぇ。
だから、数年単位かかるんだ。
posted by 辰多みか at 17:14 | 悟り | 更新情報をチェックする

パスカルのパンセ

すみれが本格的に咲きだした。
もう春なんだね。
匂いがするスミレ。
去年の春に、一株、買ってきたの。
冬の間も、ボチボチ咲いてくれて、
結局一年中咲き続けて、全部で10個くらい咲いたかな。
においがするスミレは、紫一色だから、
たぶんバイオレットって名前で、
パンジーとは呼ばないと思うんだけど、
はなびらが三色に分かれてる、あのちっちゃいサンシキスミレを
思い出すと、パスカルのパンセが頭に浮かぶよ。

三色スミレは、英語でパンジー という。
パンジーの由来は、うつむいて、まるで考え事を
してる人のようだから、パンジーという。
パンセ(パンゼ)を、する人。
だから、パンジー。
シェイクスピアの物語の中では、媚薬として出てくるよ。

そんなこんなで(?)すみれを見ると、パスカルのパンセを
思い出すわけだけど、いままで読んでみた事は無かった。
それが、この間、隣町の大きな本屋さんに行って、
文庫本コーナーに入ったら、目の前に、あった!

ぶあつい!
さっそく手にとって〜。
・・・
・・・

まるで、ブログのさきがけのような、構成内容だった。
エッセイ、ていうか。
思いついた事を、思いついたままに、書き散らしたというか・・・
なので、
まあ、何が書いてあるかは、読まないでもわかるので(!笑)
買うのやめた。
ぶあついしさ〜。
時間がもったいないし。
あと、スピノザのエチカも読んでみたかったけど、
なさそうだったので、こちらは諦めた。
あたしは真理が知りたいんじゃない。
もう知ってるし。
真理を知った後、どう、よく生きるかを知りたいの。
この世で救われるためには悟りなさい って書いてある本は、もういらないの。
その先が、知りたいの。



posted by 辰多みか at 17:13 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

病気だからじゃなくてだから病気

当事者で、苦しんでる最中の方々には、
あたしの言い分は、理解したくないだろうと思う。

神経症や自律神経失調症は、
「病気だから苦しい」じゃなくて、
「そんなんだから病気なんだよ」だと、あたしは思う。

身近で見てるから、わかる。
「あんたなんかにわかるか。」って言われるけど、わかる。
だって、神経症や自律神経失調症の、結果から原因まで、
ぜ〜んぶ、見てきたからさ、この目で。自分自身の体験で。

posted by 辰多みか at 22:12 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

水と空気と土と

息子と一緒に部屋を片付けていた。
あたしは掛け布団にカバーを掛けていた。
なぜか
急に
ムスコ、まったく関係なく、

「水と空気と土が、「あたし」を生きてる事に喜んでる!」っていう
思いが溢れて来た。

みずと
くうきと
つちが

「あたし」を
生きてる  んだって。

あたしの、エレメント。

そっかー、喜んでるんだ!

「あたし」に成れて。
あたし以外の人にも成れて。

その後、目覚まし時計を、つかんだ。
そうしたら、どこを触ったのか、
ライトがついて、
そして、
消えない!

どこのボタン押しても、しばらく待ってても、
消えない!
「あー、おかあさん壊したー。」
・・・壊したかも。
あたしが電化製品に触ると、なぜか、壊れてしまうの。
旦那がいう事には、あたしの手からはヘンなものが出てるそうだ。
みんなでゲラゲラ笑ったけど、消えないものはしょうがないので、
「乾電池出して!10数えてから入れなおしてね!」って言ったら、
なぜかそれに対してもゲラゲラ笑われてしまった。
えっ10秒基本でしょ?
それでようやく消えた。

手のひらはものすごく熱いし、
手から確かになにか出てる感じがするけど、
壊す方面じゃなくて、もっと人を癒すっぽい事とかの
有意義な事に役立ってほしいわ。
ん〜、ただの静電気か。
水と空気と土を取り入れると、電気ができるのか。
エコだな、あたし。



posted by 辰多みか at 22:10 | 光子・陽子・電子・素粒子・量子 | 更新情報をチェックする

キラキラの至福の風景を見るためには

目の前の曇りが、一瞬で晴れて、
まわりの人みんなが自分で、
みんな、愛の海に胸まで浸かってる、
ワンネスの、
至福の風景を見るには、

深く、
深く、

懺悔 に なればできる。

懺悔する じゃなくて、 懺悔の状態になる。

無理して、「私がわるうございました!」って、ニセの懺悔したって、できない。
ふつうの人がする懺悔って、みんな、そういうニセの懺悔。
謝ってるつもりで、実は心の奥底は、誰かのせい、なにかのせいにしてる、偽の懺悔。
そうしてるうちは、キラキラした風景を見る事はできない。

本当に、心の奥底から、
誰のせいでもなくて、
自分のせいでもなくて(ここ重要!)、
ただ単に、自分は"やらかしてしまった"だけだと、
認める、
やらかしてしまった事実を、認める。
そうすると、「あちゃ〜」ってなって、
「あー…悪い事したんだな〜…」って、じりじり、居ても立っても
いられない気持ちになって、そして、
急に、目の前の霧が晴れる。
ウキウキした気分ではなくて、静かな気持ち。
目に映るすべてが、キラキラする。
バツが悪いんだけど、キラキラする。
不思議な気持ち。
至福っていっても、あたしはバツが悪すぎて、
あんまり福じゃなかったな。
でも、胸まで愛に浸かってたわ。
頭で想像したって、とうていできない、
不思議な、心の3D絵みたいな、風景。
これって、もしかして、なにかしらの脳内物質が出てるのか。
不思議だわ。
posted by 辰多みか at 11:27 | 悟り | 更新情報をチェックする

うつが良くなった一言

ウチの実家は、まあいろいろあって、
今は、家族みんな一応幸せに暮らしているけれど…。

母は鬱病になった。
あたしが高校生の時。
それから何年も、浮き沈みして、
よくなったり悪くなったりして、
完全に良くなったのが、発症から15年以上経った頃か。

一番最初の、うきしずみの "うき"の時。
その時は、たった一言で、やってきた。
娘(あたしにとっては妹)の、たった一言で。

それまで何を言っても、母の心には響かなかったのに、
妹が、半分泣きながら、
「こんなのおかあさんじゃない。」
それで、母は、目が覚めた。
死んでいた目に、力が入った。
そのあと、また、間をおいて沈んでいくんだけど、この時の変化は、
びっくりするものだった。
誰にでもあてはまる言葉ではないから、
家族が鬱病で苦しんでる人は、参考程度にしてね。
posted by 辰多みか at 11:26 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

静岡県西部トリビア

「あらい」
「べんてん」
「あらいべんてん」
ものすご〜く紛らわしい、この3つは、全然別の場所。

もう一回書くよ。
「新居」
「弁天」(弁天島)
「新居弁天」
この3つは、ぜんぜん べつのばしょ。

浜松市民でも知らない人が居る、地名トリビア。
ちなみに「べんてん」は「べんてんじま」を略した言い方。

今の時期、「新居弁天」でやってる牡蠣小屋に行きたくて、
たどりつけない人、けっこういるかも。
「牡蠣小屋」に行きたくて、「弁天」あたりをウロウロする。
「弁天」って、駅名でいうと、「べんてんじま」ね。
そこ、違うからね!
かきごやがある「あらいべんてん」は、もっともっと南の方で、
しかも浜松市である弁天島と違って、湖西市だよ。
新居弁天は、湖西側の今切口の事。
「あらいべんてん」の知名度は、恐ろしく低い。
牡蠣小屋があるのは、「海湖館」という施設ね。
もしも、弁天あたりで迷って、地元民に、
「かきごやはどこですか?」と聞いたら…
もしかしたら、「かきこや」というスーパーを教えてくれるかもしれない。
地元民は、牡蠣小屋をやってる事さえ、知らないかもしれない。
だから、行きついた先が、スーパーでも、気を悪くしないでね…。
しかも、牡蠣小屋にたどりつけても予約制かも…(ちゃんと調べてから行ってくださいね)。

地元民が言う「あらい」(「ら」を強く読む)は、
3年程前までは、新居町(読みは、あらいちょう、イントネーションは御来光と同じ) 
という、市町村の町だったんだけど、今は合併して湖西市なの。
あらいまち とは読まないの。
「新居町」は、JRの駅名でもあるんだけど、駅名はなんと「あらいまち」と読むの。
イントネーションは、ごへいもち と同じ。
JRに乗らない地元民(車が交通手段だから)は、「あらいまち」なんて駅の
名前を知らないし、知ってる地元民は、その読み方を認めてないよ!(笑)
あくまでも、駅名は、「あらい」と、言い切る!
(ナゼJRは、まち にしてしまったのだろう)
あらいの地名トリビア。
地元民でも知らない…。
静岡の西側に来る時は、そういう事も楽しみながら来てくださいネ。

posted by 辰多みか at 11:25 | 日記 | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

悟りの世界をかいま見る前後の道のり

悟りの世界をかいま見る。
一瞥する。
人によって、言葉の定義がちょっと違うみたいだけど、
たぶん、一瞥した者どおしならばわかる。
見性。覚醒。目覚め。気づき。悟り。とか。いろいろ。
(この中で、覚醒、悟り は別の意味で使ってる事が多いかもしれない)
忘れもしない、衝撃的な、あの体験。

こころは、3層あって、
上の2層は、それぞれ、表と裏がある。
3層目は、もはや層でもなくて、言葉で表せない領域。
こころの層の上に、肉体の層がある。
肉体の層も表と裏にわかれていて、
それぞれ交感神経と副交感神経がつかさどっている。

悟りの世界をかいま見るまでに、
こころの層、1層目、2層目を、見る事になる。
なぜそこを見ることになるのか。
それは、「いろいろな事が思うようにいかなくなって苦しくなるから。」
苦しくない人は、こころを顧みる事は、ない。
そういう人は、もうすでに、風のように颯爽と生きているからだ。
苦しくなる理由は、自分ではわからない。
もがき続ける。
自分で「良い」と判断した方法で、苦しみをなくそうとがんばる。
けれど、だいたいは失敗する。
がんばりが、逆方向だからだ。
こころの層を見たくないから、
見なくても良い方向にがんばる。

その辺で、病気になる人がいる。
結構な確率で、いるよ。
ていうか、もしかしたら全員そうかも。
体の病気も、
心の病気も。
体の病気は、心の歪みが噴出しているので、
結局は、どちらも、心の病気だ。
偶然のケガや、盛られた薬物による体の変形でなければ。
(故意のケガは、心の病気だよ。)

病気になると、
がんばれない。
がんばれないのに、がんばる人がいる。
それほどまでに、自分自身のこころを見たくない。
だいたいこの辺で、
気づきをもたらしてくれる、良いカウンセラーさんか、
セミナーやワークに行く人もいる。
第三者の力を借りるのはいい事だと思う。
ただし、見極めが必要で、
見極めるためには、悟りの世界を見ないとできないから、
結局は、最初は運や評判に頼るしかなくなる。
お金もそれなりにかかるし。
ちなみに、精神科医さんは、悟りの世界を見た事が
ある人を選ばないと、絶対だめだと思う。
そういう先生はあんまり居ない感じがする。
森田療法ができる先生だったら、良いのかもと思う。
幸運にも、悟りの世界を見た事があるカウンセラーさんに
出会えれば、その先は、少し近道ができるかもしれない。

誰の力も借りず、
ひとりで、
がんばれなくなった人は、
「死」を、
選ぶ時がある。
「自死」は、「逃げの最終形態」だ。
それほどまでに、自分のこころを見たくない。
どれだけ逃げるの。
自分から。
それ自分でしょ。
もっとよく見てあげなよ。
・・・
「自死」も諦めた時、
なにかのきっかけで、
自分の人生のフィルム上映会が始まる。
見たくないのに。
こころの1層目。
こころの2層目。
1層目と2層目の間に、汚れ。
それが、ふと、考え事をするように、頭の中に、
映し出されていく。
それは、一気には来ず、
だんだん、じりじり、深い所まで思い出すように、
記憶が鮮明に映し出されて来る。
体感を伴って。
匂いや痛さや冷たさも。
それは病気になった最初の頃も、そんな感じだったかもしれない。
いろいろ思い出す。
ずーっと考えてる。
嫌になる。
嫌になるよね。病気も治らないし、
気分も暗くて重い。
するとまた何かのきっかけで、
「とても酷かった私」の記憶を思い出す時が来る。
このきっかけは、人によりさまざまで、
まったくの偶然で、
願って叶うものではなくて、
だから、みんながみんな、きっかけのチャンスにありつけるわけではない。
今生きている間に、こない人もいるし、
20代でも来る人もいるし、いろいろ。
「とても酷かった私」は、こころの、2層目に居る。
ここに到達しだすと、あとは、自力で、3層目まで、
落ちる。

落ちる。

ここで耐えられなくてまた「自死」を選ぼうと考えると、
もとのもくあみだから、もうちょっと我慢して。
案外、スピードが早くて、あっけなく落ちる。
落ちてると思ったら、実は天に昇ってた事が、わかる。
そこまで行けたら、しめたものだ。

こういう体験談を、神秘体験への憧れの目で読んで、
落ちる時の「苦」無しに、天に昇ろうかと、
無意識で考えてると、「ニセモノ」の光や声を、
見たり聞いたりする事がある。
それは、神の声じゃなくて、自分自身の声だからね。
騙されないで。
本当の体験は、「決まった形をした光」なんか見ない。
ただ、明るい感じがするだけ。
丸い光が体に入ってきた、とか、まばゆい光が全身を包んだとか、ない。
それは比喩だから。
今まで暗かったから、明るく感じるだけ。
今まで曇ってたから、はっきり見えるだけ。
ただ、言葉で表すと、どうしてもたとえでしか表せないので、
各々、違った表現で表す。
感じるのは、たぶん皆一緒だけど、表現の仕方が皆違う。
もしもあたしがこれから先「光につつまれた」とか書いてるとしたら、
それは「比喩」なだけだからね。
わかる人にだけわかる比喩なだけ。
だから、お互い、悟りの世界を見た人たちどおしでしか、
絶対に理解しあえないの。
形にこだわる人は、本物の体験をしていない。
神様の名前にこだわる人も、ニセモノの方が多い。(全員が
ニセモノではないのよ。だから、よけい紛らわしい。)
本当の体験では、声なんか聞こえないよ。
では実際、ナニを見るかというと、
ボヤッとした、概念の塊。
意識の塊。
知識の塊。
叡智とか、真理とか、法則とか、仕組みとか。
仕組みがわかるので、それを言葉で表そうとすると、「声」になる。
ただそれだけ。
仕組みがわかれば、安心できる。
「死」さえも怖くなくなるよ。
でもそれを見た事が、実際、本当に死ぬまでの、残り人生に、
ぴったりあてはめて応用できる「生きるための」ハウトゥーなのかというと、そういうわけではない。
それに沿って生きると、ごはん食べなくてもいいし寝なくてもいい。
山の中で誰にも会わずに、パンツいっちょで優しい目をして暮らしてればいい。
そうしたい?
そうしたいなら、すればいいと思うよ。
でも、だいたいみんな、生活水準は同じように暮らしたいと思うよね。
水準は同じかそれ以上で、楽に暮らしたいと思うよね。
じゃあそれを選べばいい。
選ぶのは自己責任だ。

仕組みを見るって事は、
なんだろう、「目」をもう一個もらった感じか。
嗅覚が、犬並みに鋭くなった、という感じか。
目がみっつになって、鼻がよくなっても、自分のやりたい事も
やらずに、やれずに、卑屈に生きてたら、なんにも楽しくない。

ここで、「宿題」が、出る。
実際は、「宿題」なんてハッキリした形のものではなくて、
これはただのあたしの比喩だからね。
比喩的にいうと、「宿題」とは、やらないといけないもの だ。
あ〜、いけなくもないんだけど。
なにを選んでもいいんだから、「いけない」ではない。
言葉で表すのが限界。
だから感じ取ってね。

ここであたしが宿題といっているのは、
もともとは、
仕組みの塊の中から伝わって来る、
「自由に生きていいんだよ」という声(比喩)を自分の中で解釈しなおしたもの。
仕組みの塊・真理、それを定義して「神」と呼ぶんだけど、
神は、「いいよ」しか言わない。
「存在していいよ」しか、言わない。
言うって、比喩だからね。声なんか聞こえないよ。
生きるというのは、その声に従うという事。
それに従うためには、
ためには、

今やってる、やりたくない事を、今すぐやめて、
今やってない、やりたい事を、今すぐ始める。

そうしなさい、と、声は言う(比喩だから、「しなさい」も「声」も無いよ)

悟りの世界を見た後に苦しむのは、
そのふたつが、なかなか、できないからだ。
だってやるには、感謝しないといけないだもん。

なにをしたい?なにをやめたい?
離婚?別居?親からの独立?転職?
なにもかも破壊する事?
それとも、すべてを愛で受け止める事?
人によって、どれも苦しい。怖いから。
ゾーッて体が反応する。

結局、第3の層からすれば、
どれもいっしょで、
どれやっても意味なくて、
やってもやらなくても良くて、
ぜ〜んぶそのままでいいんだけど、
肉体を空気と水と大地から借りて、生きていくのならば、
やりたい事ばっかやって楽しく生きればいいと思うんだ。
だって今まで、自分自身の本当の欲求に従って、
生きてこなかったでしょ?
だいたいそもそも、悟りの世界を見る前に苦しくて
病気になるのは、自分の欲求を偽って、偽の自分を生きてたからだ。



posted by 辰多みか at 11:45 | 悟り | 更新情報をチェックする

2014年02月19日

外国の人とのコミュニケーション

前記事でも書いた、
外国人との英会話。

何年も教室に通ってたけど、
ぜ〜んぜん!しゃべれない。
つうか、もう既にしゃべる気ないね(笑)。

相手がしゃべってる事は、わかる。
聞き取りはできる。
テレビや映画は早口なので難しいけど、
面と向かって、会話すると、双方の間で、
お互いのペースで伝えよう♡という気持ちが生まれるので、
会話の内容は、わかる。

アチラは、英語。
コチラ(あたし)は、日本語で、話す。

もう それで、全然オッケー(笑)。

ココは日本なのでね。
オラオラ!日本に来るんだったら日本語で話せやコラァ〜!って気分なので、
日本語で問題ない。
そのうち、アチラも日本語でしゃべってくるようになる。
(てか、ホントは、あたしそんなに意地悪じゃ、ないよ!笑)

まあ、もちろん、ちゃんとした場面(仕事場)だったら、
英語で話すけどね。(たどたどしくも)
それでも日本語を併用したりすると、
自分も相手もわかりやすいよ。
と、下手だからあたしはそう思う。

要は、こころ の問題なの。
「伝えたい」「わかりたい」それだけなの。
英会話教室に通ってからじゃないと外国人と話せない、と思い悩んで、
「伝えあう事」を後回しにするのか、
とりあえず伝えたい、という気持ちで、カタコトででもコミュニケートするのか。
どちらかなの。
前者の考えのままでいると、いざ話す場面になると、
あがっちゃって、頭が真っ白になるよ。
上手に話さないとダメだ、ダメな人間に思われる、と、怖がってるから。
それって、自分の体面の事ばっかり考えて、聞いてもらう相手の事を
考えてないんだよね。だからお互い嫌な気持ちになる。
英会話が怖いし、外国人が怖い。
自分の立場からしてみたら、自分が「怖い」なんて思われてたら、失礼だと感じるよね〜。

posted by 辰多みか at 17:08 | 気の交流 | 更新情報をチェックする

宿題が終わる、波に乗る。

去年の12月に、
神さまに、
お願い事をした。

あ、神さまって、
自分自身なんだけどね。

「自分の保身のために、
自分の悪い所には目をつぶり、
相手の悪い所をあぶり出して、
責任転嫁して攻撃するための武器の「矛」は神さまに返すから、
そのかわりに、
自分にとって嫌な事をされたら「あなたは悪くないけど、
それは私は嫌です。悲しいです。」と、本心を言える勇気である「盾」と、
相手が自分に対してしてくれた事、思い遣ってくれた事を
きちんと受け取り、ありがとうと、お返しするための「スィーツ」をください。」と、神さまにお願い事をした。

神さまは、すぐにくれたよ。
すぐっていうか、いつも目の前にあったよ。
ただ、あたしが手を伸ばして取らなかっただけだ。
知ってて、無視してた。
だって、「盾」を使うのが、嫌だったんだもん。
「スィーツ」を、あげたくなかったんだもん。

だけど、そのどちらも拒否する事を、諦めたので、
とうとう「盾」と「スィーツ」を受け取り、
「盾」から 実行 する事にした。
スィーツを受け取る時ね、ゾッとしたよ。


「盾」
向かい合う。
対峙する。
あいまいな言葉で書くとこんな表現だけど、
第三者(旦那サマ)から見ると、喧嘩にしか、見えなかったという。
つまりだ、
ただ単に、
ケンカしただけだ。
嫌な相手と。
嫌な相手の名は、響子さん。

お互い、腹の底に溜まってるものを、吐き出しただけ。
あたしは20年間も、溜め続けてきたから。
本性を出すようなケンカなんてしたことなかったし。
まあ、5年前から、ちょこちょこ噴出してはいたけれど。
最近も、ここ半年は、しょっちゅう出ていたけれど。

あたしは、頭ではわかっていたんだ。
過去に、悟りの世界を見たから。
一瞥、覚醒したから。
「ケンカなんてしても何の意味もない。
相手のやっている事は、すべて愛が形を変えたものだ。
そこにある愛を、汲み取りなさい。
私が身動きが取れないのは、私が私を縛りあげているだけ。
感情は、どこか別の場所で、解放しなさい。」
覚醒した私は、私に、言う。
つるつるしていて、つかみどころのない、私の言葉。

あたし は納得しない。
アタイ は納得しない。

ぜ ん ぜ ん 気 が す ま な い。

覚者の戯言なんてくそくらえだ。

感情を解放しろ
感情を 解放しろ!

抑えつけ続けた 感情を 解放しろ

あたしたちは、何度も、「ケンカ」をした。
ここ数カ月で何度したか。
あたしは、正直、ケンカしているつもりはなかった。
でも傍から見れば、ケンカにしか見えないそうだ。
お互い、腹の底を出し合う。
だって、向こうだって、抑えつけてる物があるもん。
ただ、アチラは、保身のために本心をなかなか見せないので、
自己分裂して苦しんでいるみたいだ。
一言でいうと、「言いたくても言えなくて自分に振り回されている状態」。
それでもかまうもんか。

「箸の上げ下げまで見ないで。」
「食べようとしていたおかずを、さっと引いていかないで。」
「ゴミの中まで、見ないで。」
「勝手に片づけるな。」
「あたしが買ってきた私物の値段すべてを、聞きだそうとしないで。」
「車で出掛けたらどこからどこまで行ったか聞かないで。
距離を暗算した上にガソリンの値段まで言わないで。」
「いままでの事って、あたしを信用してないと、宣言してるのと同じだよ。」
「いいよ、と言いながら、信用してないんだね。ならなぜいいよと言うの。」
「そのいいよは、自分を良く見せるためだけのいいよだよ。」
「そんなんだから病気が治らない。」
「あたしだけお寿司がなかったね。」
「お菓子も。」
「どうせ買ってくるなら、あまる方に買ってくればいいのに。あたしはそうしてるよ。」
「数が足りなくてもいいと思ってるんだ。ふーん。」
「しかも旦那のお寿司が、好みじゃないと本人に言われた時、
お嫁さんが選んだのにおかしいね。って何?あたし選んでないよね。」
「おかず一切がない時もあったね。3回目であなたに言ったけど。」
「やってほしい事を言葉で言わずに、目線で気付かせようとしないで。」
「あたしそれに気付いたら、全部無視してるよ。」
「頼んで迷惑かけたくない、じゃなくて、あなたは、人に言葉で命令して
動かそうとする人に見られたくないだけ。」
「だからと言って、動いてもらいたい雰囲気を出していたらいっしょだよ。」
「まだ言葉で言ってくれた方がいい。都合が悪い時は断れるから。」
「気が付いていてやらないあたしなんて、まるであたしが悪いみたいじゃんか。」
「「迷惑かけたくない」って、それ「私の事悪く思わないで」って事だよ。」
「言葉で頼むと、あたしがあなたの事、悪く思うと思ってるの?へーそう思ってるんだ。」
「あたし、けっこう優しい人だよ。悪くないよ。」
「あなたも優しいとこあるけどね。いろんな事やってくれるし。」
「いらんもんはいらんけどね。」
「あなたがいらないものはあたしもいらないよ。」
「ちゃんと本心を話しなさい。」
「あなたは全然目が覚めていない。成長していない。赤ちゃんの状態だ。」

降りてきた言葉を言った。
あたしはケンカのつもりはない。
これは、「矛」のつもりはない。

だけど傍から見ると、ケンカという。
(傍から見てる人がいる状態)
まあいいけど!

響子さんはあたしが言うたびに反論していたけれど、
最後にこう言った。
「あたしも…至らない所がある。だから、これで妥協して。」
あたしは思わず、ほほえんで、「いいよ!妥協しあおうよ!」と、言った。
響子さんも一瞬、口元がゆるんだ。
一瞬で、すぐに元の真剣な憔悴した顔に戻ったけど。

だから、もう「盾」はもらったの。
もう、いつでも、同じように盾を使えるの。
「スィーツ」も、渡したの。
「いつもいろいろやってくれてありがとう。」(嫌味ではない)
これから、スィーツは、いっぱい渡すの。
だって、悪い人じゃないもん。
それはわかってるのに、
あたしとアタイの気が済まなかった。
だから、気が済むように、したの。
ホントにみっともなくて、滑稽だわ。
でも、もともとあたしは、みっともなくて滑稽で
ビビリで、狡猾で、せこくて、酷くて、
そしてほんとに優しくて、いい女だからね。

押し込めていた感情は、解放しないと、いけない。
どこにも出口がない。
出口がないのは、一瞥したらわかる。
しかも、見つめても、なくならない。
苦しんでいたのは、それをやりたくなかったから。
「理想」と「現実」で身動きがとれなくなってたせい。
「苦しみ」は、センサー。
ジャイロスコープ。
偏ってるよ!って教えてくれるための、ジャイロスコープ。
だから、なくなったら、困るね。
痛みを感知する神経が、なくなっちゃったら困るのと同じで。
「盾」を発動しても、愛されてる事は証明された。
これからも、何かあったら、ちょこちょこ盾を発動していくのだ。
だからもう、宿題が終わるのは、ほんの、あとちょっと。
まだ少し、ぎこちないから。

あとね、お医者さんが、響子さんの病名を確定してくれた事が、大きい。
あたしはその病名を巡って、響子さんからさんざん悪者あつかいされた。
それが、第三者によって、あたしの所見の正しさが証明されたのだから。
だから、うちうちでやってるより、人に頼るのも、いいかも。
心の専門家だったり体の専門家だったり。

この響子さんは、ラスボスの響子さんだから、
これが終わったら宿題は終わり。
これが、カルマ落とし・エゴ落としとかいうのかも。
宿題が終わったら、あとは余生で、
ジャイロスコープを使いながら、波に乗る。
大波小波が、来るよ。
犬が死ねば、悲しくて泣くし、
天敵響子さんが死んじゃえば、悲しくて泣くだろう。
理由なく蹴られれば、怒るし、
そして笑ってバカになって、
波にのまれる事なく生きてければいいと思う。
ちょっとでも波を怖がると、腰がひけて、波にのまれるよ。


posted by 辰多みか at 17:06 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

2014年02月18日

老子

老子!
老子!!
老子!!!


いや、老子の事、全然知らないんだけど、
きっと、一瞥後苦しむあたしたちに、なにかヒントをくれる!(かな?)



老子マイブーム来るかも。

ていうか読みたい本がいっぱいすぎて、老子までたどりつかん。

posted by 辰多みか at 00:16 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

濃度・割合

濃度と
割合は

だいたい同じ意味。

比率もね。


「ワンネス」は、「1」かもしれないけど、
あたしはどうも濃度が絡んでるんじゃないかと思うんだ。
数字の「1」じゃなくて、
濃度の「1」。
濃度・割合・比率は「法則」を内包しているよ。


「空」は「ゼロ」ではなくて、
無限小の事じゃないかと思うの。

無限小っていうかー。

「1」から「0.999999999999999…」をひいた残り、だから、

「0.00000000000000000000000000000000…」これが「空」。

ゼロが、ing
ゼロイング?
いえいえ、being
be が ing
在り続ける、在り続ける。
存在の原動力。



あたしはそう感じるんだ。
もっと感じ切りたい。


posted by 辰多みか at 00:10 | ゼロの正体 | 更新情報をチェックする
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