2013年09月22日

NHKスペシャル「神の数式」第二夜


見た見た〜♪

昨日のは、知らない事や人とかいっぱいでてきて、
あたし大丈夫?と思ったけど、
今日のは80%くらいは知ってたわ。よかった〜(笑)。
だいたい超弦理論の話だったわ。
でも昨日と同じく、今まで数式自体は、すべてスルーしてきてたので、
今日初めて、まじまじ見たよ。

この世は、4次元 て、番組内で言ってて、
それは、番組の間違いではなくて、「正解」なんだけど、
視聴者は、あれ?って思わなかったかなぁ。

「4次元時空」 って言ってほしかったんだけどな。
(番組の中では、ただ単に、「四次元」 とだけ言ってたよ。
昨日も、「重さ」と言ってたり、いろいろあいまいだった。)
「???」てなった視聴者も多かっただろうな。

あたしたちが今、現在、住んでいる(目に見えている) 次元は、
NHKが言ってたとおり、4次元 なんだよ。

でもそれは、ユークリッドが言ってた、3次元に同じ性質の軸を
一本足した、「4次元空間 よじげんくうかん」ではなくて、
アインシュタインが言ってた、3次元に時間軸を足したというか掛けた、「4次元時空 よじげんじくう」。
ユークリッドの4次元空間は、数学者が大好きなタイプの次元なの。
あたしたちは、ユークリッドの次元の空間には、住めないの。
死んだら、きっと住めるよ。
死ななくても、生きてるうちだったら、悟った時とか。
瞑想に深く入った時とか。


昨日に続いて、今日も面白かったけど、
ひとつ、どうしても腑に落ちない点があった。

番組中に、何回も出てきたけど、
1/0=∞ と言ってたよ。
いちを ゼロで割ると、無限大 と 言ってたよ。NHK。

ダメだろ〜!!
それダメだろ〜〜!!

そのゼロは、極限のゼロだろぉ!
(ゼロに限りなく近いけれど、ゼロではない、「勘違いのゼロ」)
物理学とか言ってるけど、数学から持ってきちゃったよ。

まあ、答えが無限大でも・・・あたしは別にいいんだけれど。
むしろ無限大でも解無しでも、どっちでもいいんだけれど。
そういう、ワケわからん答えが出るって所が、素敵♪
そうこなくっちゃ。ブラックホール。
ワケわからん答え、そこが、生命の秘密だってば!
気が付いて!気が付いて!
物理学者たち、悟って〜〜!

無限大を記述できなければ、いのちを記述する事はできないってば!
あたしたちの目を通して見ている、その「人」は、誰?
番組でいう「神の数式」は、まだ発見途上だと思う。
今まで見た事も(凝視と言う意味で)なかった数式を目の前にして
何をいう、とか言われちゃいそうと思うけど、あたしは、まだまだ足りない、と思うよ。

ホーキング博士が、ビッグバンは虚数時間ではじまった
と言うかと思ったけど、言わなかったな。
あたしは、過去にNHKスペシャルでやったと言われる、
「リーマン予想」の回を見てないから(やってたのを知らなかった)
次は、その辺を、バージョンアップしてやってほしいなぁ。
量子力学とか虚数とかも、やってほしいな。

追記
※→第1回♪
※→数式の「答え」を書いてみた♪


posted by 辰多みか at 23:52 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

NHKスペシャル「神の数式」


見た〜♪

こんな番組やるのなんて知らなくて、
今日の昼に、NHKの番組コマーシャルで初めて知って、
ワクワクして、見たよ〜。
「ダイオウイカ」以来の、ワクワク。
書いて溜めてた前記事の「天照らす」シリーズを、
番組始まる前に一気にupして、
テレビにかぶりついて見たよ。
(「天照らす」、結構あたしとしては力を入れて書いたのに…
扱いが雑になってしまったわ。)

「神の数式」! ナイス! 今のあたしにどんぴしゃ(笑)!

数式自体がわからなくても、物理学者たちが、何がしたいのかは、わかった。
わかりやすかったよ。あたし全然わかってなかった!と、思ったよ(笑)。

「強い核力」と言っちゃうんだ。あたしは核力はちょっと違うと思うな。
「強い力」で良かったのに。
視聴者が、「えー」と思えば、ネットで検索して、
物理学に興味を持つ人が増えたかもしれないのに。

知らない事が、いっぱいあった(笑)。
事っていうか、人。知らない人、いっぱいいた。
オッペンハイマーさんて、知らない…イケメンだったわ。
素粒子の数式は、スルーしてたから、はじめてまじまじ見たわ(笑)。
やっぱり数学を一から丁寧にやり直さないと、と、改めて思ったわ。

ヒッグス粒子の数式は、「汚い」んだね。
トイレとまで言ってた。
あたしは、この現実の世界は、美しくない と思ってるから、
これで、いいんだと思うよ。
美しいはずだ、という思いを、捨てないと。
美しいのは、数の世界の中だけで、この苦しみの現実の世は、きっと、美しくない。

自発的対称性の破れは知ってたよ。
もしかしたら、「神様」が「完璧な美」でいられなかったのは、
「自発的対称性の破れ」のせいで、それは必然的な自然現象だったかもしれないね。
で、ヒッグス粒子は、「自分」の、認めたくないけれど確かに在る「陰の部分」
「本性の部分」、「自我の部分」、「エゴの部分」なのかもしれない。

番組では、この数式で神・世界を記述できるかも、と言ってた。
あたしは、できない〜〜
できないと、思う〜〜。

ぜ っ た い に で き な い (←何)

なぜかというと、「無限大」を回避しているから、
生命の秘密が、記述できない。

無限大と無限小とゼロのところに、生命の秘密がある。
イコール、神様の 秘密。
あたしたちの「死体」だったら、この数式で記述できるかもしれない。
ただの「物質」だったら、記述できるかもしれない。

あたしは前々から、神様は数式で表せる、て書いてるけど、
「ひとつの数式」で、とは思ってない。
ひとつの数式で表せるのは、神様の、ほんの一部。
座標の上で、数式の答えを光らせてやれば、
そこに、一部分だけ、神様のシルエットが浮かび上がるのよ。
いっぺんに全体像を見る事は、できないの。

番組を見て、やっぱりそう思いました。
明日も楽しみ〜♪

追記
※→第2回も見た♪
※→数式の「答え」を書いてみた♪
posted by 辰多みか at 00:24 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

2013年09月21日

天照らすF

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」 「D」 「E」のつづきです…



これが「神様」という事か。
あたしは、光の下で、納得しました。
腑に落ちた、という方が、より近い。

すとーん、と、理解が、腑に落ちてきました。
みぞおちの少し上あたり、「腑」は、案外、硬いものでした。

「あたし自身が、神様だったわ。」


我に返ると、「あたし」は、球体ではなくて元のあたしに戻っていました。
けれども、ついさっきまでの元ではなくて、
「性悪な本性のあたし」が、あたしに寄り添って立っているのが見えました。
人 という字みたいに、ふたりで寄り添って、立っていました。
もともと、寄り添わないと、あたしたちは立てないように、できていたのです。
だって半身だから、足が、一本ずつしか無いしね。
それは生まれ出た時のままの、元(もと)。
その 元 に、戻っていました。 
あたしたちはもともと「そのままでいい」のです。

ドーンドーンという振動は、終わる事がない という事も理解していました。
それが「愛の波」だという事も。

「愛」の反対になる言葉は「憎しみ」では無い。
「愛」の反対は、「気にも留めない」「目に入らない」「無関心」なのです。
「憎しみ」は、愛の別表現なのです。波の方向 が、「愛」と逆なだけ。
「無関心」は、波が、立たない。振動を相手に与えない。

「愛」でしか、人を動かす事はできない。
振動は、どれも、同じ。
受け取る人が「愛の波」と感じれば、人は心の鍵を開く。
「憎しみの波」と感じれば、人は用心して、鍵を二重三重にかける。

「北風と太陽」の太陽は、「愛」だ、と思いました。
本当の愛。心を開かせる愛。
ただそのままでいい と言っている 愛。
「コートを脱いでも脱がなくても、いいよ。」と、ニコニコ暖かさを送っている、愛。

見回すと、鏡の向こうにうかぶ部屋は、
すべて、あたしの部屋のように、内部に、天上につながる奈落 がある物 だという事が、一目で理解できました。
その部屋の中で、一喜一憂する、人間たち。
それらがみんな、ひとりひとり「神様」なんだ、と理解しました。
人だけでなく、自然も、物も。
これがやおよろずの神。

すべての部屋が、ゼロの通路で、つながっている。
そこに住む人たちは、気付かない人がほとんどだけど。
皆が気付けば、世界はたちまち平和になるだろう。
振動は、「本当の愛の波」になるだろう。
太陽のように、「そのままでいいよ」と、お互い、
平和に暮らすだろう。


・・・「天照らす」終わり・・・

あたしが、一度目、神様を見たのは、そこまで でした。
神様は、自分自身でもあり、太陽のようでもありました。
すべての「やおよろずの神」が、本当は大きなひとつの源から
ゼロの通路を通って、やって来ているのを知るのは、これから数年後でした。
それは、体感ではなくて、
数の世界で、
知ったことでした。

神様は数式で表せる。
数の世界の秩序。
それが、ワンネスです。

posted by 辰多みか at 20:56 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすE

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」 「D」のつづきです…




回転体の中心に現れた、本当のゼロは、
奈落の底への 入口でした。
あたしたちは、その中へ、吸い込まれていきました。
球体自体が、あたしたちなので、
あたしたち球体 の外側が、内側の、本当の真ん中に
吸い込まれていく ようにも見えました。

地下の暗い、光の無い、奥の奥の、奥へ。


吸い込まれて、出た先は、





でした。


光のあふれる、

まぶしい、

外でした。


ものすごく狭い所に行ったと思ったのに、
出た先は、広大な、外でした。



あたしたち球体は、
ぐるんと、
ひっくり返ったのです。

真っ暗闇の奈落の底は、光の天上 でした。

B3Fだと思っていたら、屋上 でした。





あんなに頑丈に、戸を閉めたのに、
あたし自体の中身と外身がひっくり返って、
外に出てしまいました。
戸のロックは、まったく意味がありませんでした。



あたしは、
「それ」を、
見てしまいました。

言葉で表現できない「それ」を、
見てしまいました。

見た、というより、体感した、という方が、
正解に近い。


「在る。在る。」とだけ言う
「それ」の事を、

太古の人は、
「神」と呼んだのです。



つづく・・・→F
posted by 辰多みか at 20:54 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすD

…これは「天照らす@」 A」 「B」 「C」のつづきです…


B2F(地下二階)。

B2Fの床で、粉々に砕けた、「あたし」と「性悪なあたし」。
あたしの世界のすべて。
いえ、あたしが世界のすべてで、そのすべてが砕け散った。

あたしは、あたしもろとも粉々に砕けたけれど、
意識はあった。
いえ、
むしろ、
「意識」が、「あたし」でした。

「意識」が、ずっと見ていました。

「それ」を。


ここから先で、

意識が見た物の事は、

文字で書き表せません。

文字で書いたら、口に出して話したら、

すべて「嘘」になってしまう。

どんな事を書いても、片手落ちです。



なぜなら、「それ」は、「すべて」であり
「すべて」であるが故に、矛盾するふたつの事が同時に成立するからです。
どんな事を書いても正解であり、不正解です。

対極するふたつの事を同時に書き表せなければ、「それ」を表現できたと言えないからです。
文字におけるその術は、この世には、ない。
数学においてならば、ミンコフスキー空間で、草食動物のような
特殊な目を使えば、「それ」を見る事はできる。

そもそも「意識が見ている」のか、「見えるものが、意識」なのか。
どちらも正解でどちらも不正解。


「いい人のあたし」で、「性悪なあたし」。
「私」で、「私以外のすべて」。
「白」で、「黒」。
「上」で、「下」。
「中」で、「外」。

それらが同時に存在する。
全く、相反せずに。

それがB2Fの光景。
見る事はできるのに、文字で表現する事ができないのです。


世界のすべてが砕け散ったのに、
ドーンドーンという振動と音は、
治まりませんでした。

「治まらない」という自然の約束だから、
「治まらない」。永遠に。

砕け散った世界のすべてと思っていたのは、
鏡の殻の中の、あたしの部屋だけでした。

他の部屋は、相変わらず、空間に浮かんでいました。
よく見ると、たくさんある部屋の空間の中で、生まれたり消えたりする部屋もありました。
泡がぶくぶく泡だって、そしてはじけて消えるように。

その時突然、
砕け散ったあたしのすべてが、
陰と陽がくっつくみたいに、
ひとつにまとまって、そして回転しはじめました。

「あたし」が、「たてまえと下心」だけしかないと認識していた頃は、
うまく回転しなかったのに、
「たてまえと下心」の下層に、「本性と本当の自分」がいると気付いたら、
バランスが完璧になって、回転できるようになりました。
半身を取り戻したあたしは、球体になって、
回転しました。
回転の原動力は、ドーンドーンという、あの振動。
あれほど亡き者として見ないふりをしていた「性悪な本性」は、
あたしの、味方 でした。
絶対的な味方 でした。
あたしたちはふたりで手を取り合って、回転しました。

すると、球体の中心に、回転しない、本当のゼロ が生まれました。
バランスを欠いていた頃は、ぶれにぶれていたために、絶対に生じなかった、 ゼロ。

その、ゼロの中心は、
「どこか」に、つながっていたのです。

B3F。
本当の 奈落の底 へ



つづく・・・→E
posted by 辰多みか at 20:51 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすC

・・・これは「天照らす@」 A」 「B」のつづきです・・・


ぜんぶ、人のせいにしていた。
都合が悪くなると、体調のせいにしていた。
性悪な本性は、
「あたしは悪くない。悪いのはすべて周りだ。」と言って、
針や熱湯などの「武器」を抱えたまま、
ギラギラした目で周りを見回していました。

針や熱湯は、そもそもあたしの性悪な本性の方から
先に投げた物でした。

けれども、
投げながら、泣きながら、「本性」が本当に思っていた事が、
「あたし」の胸の中に、流れて響いてきました。

「あたしを愛してほしい。あたしを見てほしい。
嫌だよって言いたい。押しつけないでって、言いたい。
やりたくない…
やりたい…
やめてほしい…
やってほしい…
本当はそう思っていると、言いたい、言いたい、言いたい!」

本性が投げた物たちは、鏡にぶつかって、自然の摂理に従って跳ね返って、
そのまま、元のあたしの所へ、返ってきていた だけでした。

「本性」と対面する前の「たてまえ・表の顔のあたし」は、
そんな声を感じた事があったけれど、
常に、こう返答していました。
「言いたいなんて、ダメだよ!言ったらダメなんだよ!
言ったら、愛してもらえなくなる。見てもらえなくなる。
嫌だなんて言っちゃダメだ!
もっといい人にならなきゃ、
みんなはあたしの事を認めてくれない!
過去のあたしは捨てるんだ。
もっと努力して、みんなに認められるようないい人になるんだ!」と、
呪文のようにぶつぶつと口の中で繰り返していただけでした。

そうして、「性悪」な本性を、自分の殻の中のさらに殻の中に
押し込めて閉じ込めて、そして、わざと忘れてしまっていました。

その本性と、
あたしはついに対面しました。
今まで、一瞬見えたりとか、居る雰囲気とか、なんとなく感じて、
そのたびに心がザワザワしていたけど、
今回は、お互い、真向から、
正面を向いて、
目をそむける事なく、
向き合いました。

お互いに、声は出ませんでした。
「性悪な本性」の本当に思っていた事が聞こえた今、感じるのは、
「性悪な本性」は、「あたし」を守りたかっただけだという事。
「たてまえ・表の顔」も、「あたし」を守りたかっただけだという事。
お互いに、いえ、「あたし」のすべてが「あたし」を守りたかっただけだという事。


その時、
どこからともなく、
鳴り響く鐘の音のように、「声」が降り注いできました。


「ある」

「在る」

「わたしは 存在する」

「I am.  I am.」


祝福の鐘の音なのか
葬送の鐘の音なのか


次の瞬間、床が、崩れ落ちました。
B1Fの 床が。
壁もろとも。
あたしと性悪なあたしをまきこんで。
奈落の底まで落ちていくと思ったけれど、
B2Fの床に 打ちつけられて止まりました。

地上一階とB1Fのすべてが、
B2Fの床の上で、
こなごなに砕けました。

あたしも
性悪なあたしも

区別がつかないほど




・・・つづく→D
posted by 辰多みか at 16:06 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

天照らすB

…これは「天照らす@」 A」のつづきです…


外には誰も いない。
地下には無かったと思っていた部屋が ある。

有ると信じていた事が無くて、
無いと思い込みたかった事が、有る。
これほどの絶望はありませんでした。


あたしは、扉を開け、
暗い、恐ろしい、地下を、見てみました。
目を開けるのもやっとのはずだけど、
絶望しているからか、目を開けて、じっと見つめました。
階段は、螺旋階段でした。

地下室は、B1 B2 B3 と、地下3階まであるようでした。
怖くて、最初の一歩がなかなか出ませんでした。
ひきかえそうか、と思いました、
そういえば、過去、何度かこの階段を降りようと思った事がある。
階段があるのさえ気付いていないと思っていたけれど、
無意識に、カーペットをめくっていた事が、何度も、ある。
でも、その度に怖くて、すぐにやめてしまった。
死んだ方がまし とさえ思った。
病気だから降りられない と思っていた時もあった。
神様どうかあたしを病気にしてください、と、神に祈った時も あった。
そうしてすぐ、地下へ続く扉の事は、記憶から消してしまっていました。

けれども、
絶望したら、
一歩が踏み出せて、
あたしは、階段を、猛スピードで、駆け下りてしまった。
自分でも止められない。
怖いはずなのに。

地下室は、
汚くて、臭くて、あまりにツーンとした刺激臭だから、
涙が、
あふれてあふれて、
そして、うわぁーーーッと叫びながら、駆け下りていきました。

そこ、B1F(地下一階)は、
地上一階の「たてまえと本音」の部屋ではなく、
「本性」の部屋でした。
見たくなかった。
死ぬまで、見たくなかった。
死んでも、見たくなかった。
認めたくなかった。
「本性」をどうしてもどうしても、認めたくなかった。
・・・絶望したことで、「本性=封印していた自分」が存在
していた事と、その存在を「どうしても認めたくなかった」事に、気づいた。

B1Fの部屋の壁いっぱいに、
映画のように、
過去の映像が映し出されて流れていました。
それはただの映像ではなくて、
痛みや冷たさや苦しさの、
感触も感覚もある、
まるで立体のような、いや立体、いや実体の
とてもリアルな映像でした。
その主人公は、「あたし」。

その光景は、
まるで、
走馬灯のようでした。
そう、人間が死ぬ時に見るという、走馬灯。
あるいは、
死んでから閻魔様の元で、否応なく見せつけられるという、人生のフィルム。

そう、あたしは死んでから見るはずの、自分の今までの人生を
すべて記録したフィルムを、生きながらにして、全部、見てしまった。


恥ずかしかった。
悶絶するくらいだった。
目をそむけたいのに、見えない力に固定されて、
映像から目が離せない。


映像に映し出されていた あたし。

認めたくなかった。

本当に認めたくなかった。

死んでも認めたくなかったけれど、

その本性は、



性悪 でした。




表に向ける顔は、いい人ぶっていたけど、
そのいい人を支える根底、本性は、
「性悪」 でした。

あたしは、その、今まで目をそむけていた「性悪」な自分、
亡き者にしていた「性悪」な自分、
なにか出来事が起こるたび、自分から切り離して捨ててきた
「性悪」な自分と、
対面しました。

切り離して捨てたつもりだったけど、
「ここ」に、居たのか。
何年も、この汚いおぞましい地下に
閉じ込められていたのか。
誰でもない、この「あたし」によって。
あたしがあたしの半身を。
嗚呼。


・・・つづく→C
posted by 辰多みか at 21:58 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

天照らすA

…これは「天照らす@」のつづきです…




ひとつ、というのか、あたしの部屋を覆っている、殻のような空間の内部が、
一面、鏡でした。


そして、鏡の殻の向こうには、同じような戸がある部屋が、
いくつも、うっすら透けて見えて、
しゃぼんだまみたいに、空間にぎっしり浮かんでいて、
隣の部屋は、あたしの部屋の壁に、
鏡でできた空間の壁に、
ドーンドーンと、ぶつかっていました。
すべての部屋が、近づいたり離れたり、ドーンドーンと、ぶつかっているだけでした。
その音と振動は、はじまる事も終わることもなく永遠に、ただ、ぶつかって音を出す だけでした。

そこには、ヒトが、生物が、誰もいませんでした。


あたしは怖くなって、すぐに戸を閉めました。
おかしい、おかしい、おかしい・・その時からずっと、
あたしの頭の中に、疑問が湧くようになりました。

戸の外に誰かいると思っていたのは、妄想だったのか?
あたしは、この世界にたったひとりで、
はるか以前からひとりで、そしてこののちも、ずっとひとり。

ひとりだから寂しいとか孤独だとかという意味ではなくて、
ひとりで完璧で、ひとりで幸福で、ひとりで「この世界」のすべて。
あたしはたったひとりだけれど、「この世界」=あたしの世界 には
「あたしの世界に存在する、あたし以外の、他の人たち」もちゃんといる。
「あたし」が笑顔になれば、「他の人たち」も笑顔になる。
「あたし」が不機嫌になれば、「他の人たち」も不機嫌になる。
ただ、映っているだけ。
あたしが、伝染 しているだけ。
ドーンとぶつかる振動は、あたしが笑顔になれば、心地いいものになり、
あたしが不機嫌になれば、恐ろしいほどの衝撃・気持ちが悪い揺れ に感じる。

そうなの?
あたしが世界なの?

あたしはそんな疑問を胸に、部屋の中を見回してみました。
部屋の中には、あたしがしてきた事・感じてきた事の各シーンの写真が
壁一面に貼られていました。
全部、「いい事」のシーン。
見た目が「いい事」
かっこうが「いい事」
倫理的に「いい事」
正義感という意味の「いい事」

なぜ、こんな「いい事」がいっぱいの部屋なのに、暗いの?
あたしはこの「いい事」を積み重ねてきたのに、なぜこんなに息苦しいの?
その「いい事の写真」は「たてまえ・表の顔」を映した写真ばかり。

部屋の片隅には、「本音・下心の写真」を入れてある箱があるんだけれど、
その箱からは「暗い闇」は感じられませんでした。


「暗い闇」は、なんと、地下から立ち昇ってきていました。
あたしは何年もこの部屋に籠城していたのに、地下室があるのに気が付かなかった。
いえ、たまに、とてもツーンとくる匂いがして涙が出たりしてたので、
この下になにか有るな、とはうすうす感づいていたけど、
汚そうで臭そうで怖そうで、見る気に、まったくなれませんでした。
息苦しいのは、もしかしたら地下から何か出ているせいかもしれない。
そう気が付きはじめました・・・

あたしは、
「鏡」が外にある「あの戸」が開いてしまうと困るので、
戸のロックをしっかり確認して、バリケードも頑丈にして、

そして、

床に敷いてあるカーペットに、おそるおそる、手をのばしました。
衝撃の事実を知る時間が近づいている事に、震えあがるほどの恐怖が襲ってきました。
何度も、めくるのをやめようかと思ったけれど、その時、そのタイミングが、
どこか彼方からやってきました。
それは自分のコントロールを超えていました。

コントロールできない、見えない力で腕を動かされて、
とうとう、カーペットを、自分の手でめくりました。
そこには、地下に繋がる階段の扉がありました。


あたしは、
絶望 しました。



・・・つづく→B
posted by 辰多みか at 00:43 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月19日

天照らす@

☆☆☆☆

アマテラスは、
弟のスサノオに怒って、
天の岩戸に隠れてしまいました。

世界は真っ暗になりました。

やおよろずの神々は、どうにかしなければと、知恵を出し合い、
「世界が真っ暗闇になってしまった時」に、皆がするであろう事と
全く逆の事を、しました。
アマテラスは、「全く逆の事をしている皆」の事を
不思議に思って、ちょっぴり、岩戸を開けてしまいました。

すると、目の前に、「鏡」が差し出されました。
アマテラスは、その鏡に映っているのが自分だとは気付かず、
自分以外にどんなすごい神様がいるのか、と思い、
もっと良く見ようと、岩戸をもう少し開けてしまいました。

その時、そのチャンスを待っていた、力自慢の神様が、
思いっきり岩戸を開け、さらに遠くまで投げ飛ばしてしまいました。

戸に隠れる事ができなくなったアマテラスは、
皆に歓迎されながら、世界に出てきて、また明るく世界を照らすのでした。


☆☆☆☆

あたしは、
妹びいきする母・働かない父・学級委員や無理難題を押しつけるクラスメイトたちに怒って、
心の殻の中の部屋に閉じこもってしまいました。

その頃から、あたしは、「ネクラ」と呼ばれるようになりました。
誰にも、心を開きませんでした。

何年も、そのままでした。
それでも何回か、暗い状態から、ぱっと目の前が開く時がありました。
それなりに楽しい事もありました。けれど、戸は開けてすぐ閉めました。
環境が変わり、新しい家族になり、
ますます、
あたしは戸をしっかり閉めるようになりました。
その間15年くらい、二重ロックのうえに、家具でバリケードまで作っていました。
家族は時たま、戸についている通風孔をわざとふさいだり、
熱湯や針や悪臭や催涙ガスを、そこから投げ込んできたり、
室温をものすごく暑くしたり寒くしたりしたので、
あたしも同じように、
熱湯や針や催涙ガスや爆弾を、
外にむかって投げたりしていました。
部屋には、ドーン、ドーンと、なにかがぶつかる音が、常に聞こえ、
そして振動していました。
振動が大きくなると、通風孔から、いろんなものがボトボト落ちてきて、
あたしはそれでヤケドをしたり、血が出たり、さんざんな目に会っていました。

戸の中は狭いので、だんだん息苦しくなってきました。
通風孔をふさがれなくても、息苦しくなってきました。
いえ、ただ狭くて息苦しいだけなのに、また家族がわざとふさいでいる、と、思ったりもしました。
ドーンドーンという振動は、収まる時がありませんでした。

戸を開ける気なんて、これっぽっちも起きませんでした。
もっともっとバリケードを築いて、どんな力持ちでも、開けられないようにしました。

投げつけられたら、投げ返しました。
血を流しながら、投げ返しました。
けれども、ちっともすっきりしません。
どんどん息苦しくなって、てめぇこのやろう!通風孔をふさぐな!と、
とうとう戸を開けて、文句を言ったら、

そこには誰もいませんでした。


誰も通風孔をふさいでいませんでした。
誰も針や熱湯や催涙ガスを投げ込んでいませんでした。


そこには、

「鏡」が、

ひとつあるだけでした。


・・・つづく→A
posted by 辰多みか at 14:24 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月18日

無限大と三人の学者たち 物理・数学・哲学

無限大は、∞ 
どこまでも果てしなく続く。ところで果ては、あるの?

無限小は、1を無限大で割ったもの。 1/∞
どこまでも果てしなく、ゼロに近づく。ゼロになる事は、あるの?


「数式の中に無限大・無限小が出てきたら、どうする?」

物理学者に聞くよ。
「どうする?」→物理学者「どうって・・・どうしようもない!物理では扱えない!
物理学者は無限大の扱い方を知らない。お手上げだ。
そうだ数学者だったら無限大の扱い方を知っている。
数学者に聞いてくれ。」

数学者に聞くよ。
「どうする?」→数学者「簡単じゃないか。極限を使えばいい。
1/n の n値のlimが無限大に近づけば、1/n の極限はゼロに収束する。」

哲学者に聞くよ。
「どうする?」→哲学者「ゼロになるわけがないじゃないか。愚か者。」



あたしは、哲学者よりの考えだ。
あたしはこう思う。
無限大と無限小のところに、生命の秘密がある。
「極限」の考えを捨てなければ、「いのち」を解き明かす事はできない。
ゼロで1(数)を割ると、新しい命が、大いなるひとつの命から、分離して誕生する。
posted by 辰多みか at 16:19 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

2013年09月16日

しめすへん

しめすへん(ネ)は、
「示」
で、
その形は、
神にささげる供物を乗せている台。
神に関係する漢字に、しめすへんを使うらしい。

上の横棒は、いけにえ で、
右と左に斜めに下がる線はしたたる血という説もあるんですって…

神 という漢字は、
しめすへんに、いなずまを意味する申をつくりとしたもの。
神そのものである稲妻。

あたしは今日みたいな台風の日に、
「いけにえ」と「神様」と「統計と確率」の関係に、
いつも思いをめぐらすよ。

いけにえというか、人柱(ひとばしら)というか。
昔の人がなんでそんな事、しようと思ったのか。
とても良くわかる。
posted by 辰多みか at 23:23 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

50年カレンダー

この間ね、本屋さんで、無料(フリー)の大学案内をもらって帰ったの。
ぶあつくて赤いやつ。FROMPAGEのやつ。
中身は、各大学の資料請求で、特に今必要なものではなかったけれど、
巻頭付録がよかった。
「50年カレンダー」というのが、付いてた。
だからさっそくトイレに、座ったら良く見えるように、貼ったよ。

2013年から、50年後までの、カレンダー。
本当は「100年カレンダー」といって、販売されてるらしい。
(自分の生まれ年始まりを選べて、700円くらい)
この付録は、100年カレンダーの付録版で、50年分だよ。

これをじっと見てるとね。
いろいろ 考える。
もちろん、楽しい予定とかさ。
いろいろ 考える。

口に出しては言わないけれど、
うちにはワンコが居るから、
この、一枚の紙上の、どこかはわかんないけど、
でも 確実に
一点、
ワンコとさよならする日が、あるはず。
だって犬だもん。

父・母・義父・義母。さらにあたしにはまだ祖母がひとり健在で、
口に出しては言わないけれど、
この紙上に、どこか、点を、
打つことになると思うの。点の数は、5 とは言わないけど、
あと50年だからね。

そう思いながら、カレンダーを見る。
神様が、ダーツでポンと。
これが統計・確率ということ。
その答えは、神様しか知らない。

トイレに入るたび、いろいろ考える。
ネガティブになる必要はないけれど、
こういう心持ちも、持ってて悪くはないと思うよ。
後悔をしないために。
posted by 辰多みか at 17:03 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

充実した週末♪

13日(金)は、可睡斎に「阿雲の呼吸」講演会を見に行ってきました。
阿部さん・黒斎さんのかけあいが面白かった。
そもそも「悟りを公言している悟った人」をリアルで見たのが初めてで感無量。
(リアルで見る、のがここ最近の目標だったからね♪)
あたしが口に出して、しゃべりたいなーとつねづね思っていた内容が、
他の方の口から、しかも面白可笑しく聞けるなんて。
阿部さんは「きみまろ」みたいでした(いい意味で!笑)
黒斎さんはブログをちょろしか見た事なかったけどイケメンでした。
あと、あと、行きたいな、と思ってる近くのお寺の向禅師を生で見れてこちらも感無量でした。
悟った人を、いっぺんで3人も見たよ。
主人と一緒に行ったんだけど(主人は悟ってない)、帰りに「おまえと同じひとたちだ」と言われました。
主人はこんなあたしの事を理解してくれるそうです。嬉しいな。
面白すぎて大笑いしたけど、
実は一番面白かったのは、可睡斎の斎主老師だったかもしれない(笑)。
あんなふうになりたいものだわ。

昨日は、お手伝いにたずさわってきた映画が、シネコン初上映ということで行ってきました。
満員で入れなかった人もいると聞きびっくり。先に見ちゃって申し訳ない・・・
(ここで映画名を書きたい所だけど、ぐぐった関係者にあたしが誰だか
わかってしまうので書けない・・・あたしも映ってるよ。)
監督おめでとう♪良かった。このまま長く上映されてほしいわ。

今日は、ですます調で書いたなー。
なんかやりきった感を感じる週末だったなー。
posted by 辰多みか at 15:43 | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

すこしずつ・・・できてる?

心の中で進行形の気づきって、
まだこの先、気付きが進むかな〜と思って、
なかなか文字にできないね。
なんか、書くのも嫌だし(それが本音か)。

響子さんに対して、あたしから依存しないぞって決めた、けど、
決めるとかいうこと自体、「違う」んだよな〜。

あたしは、響子さんが、含みのある会話をするのが、嫌だ。
あたしのためではなく、自己の保身のため、
上目づかいで、こちらの表情を読みながら、じりじり会話を
変えていく話術が嫌だ。
平静を装っているが、ドキドキがmaxみたいなしゃべり方が嫌だ。
(その証拠に響子さんは人のいない所でわからないように
溜めた息を吐いている←見ちゃった)
一対一では、顔色を見ながらの話術になるが、
人数が増えるとガラリと人が変わって、普段しない
攻撃的な言い方になるのも嫌だ。(これが本心・本性だと思う)

さっきも、そんなような事があって、
あたしは一瞬ムッとなって、反射的に、あたしの方が上っぽく
言葉を返したけど、よく考えたらそうじゃないんだよな〜。

あえて自分が言いたくない事を、言うんだよな、こういう時は。
それが、「人生の流れにおける正解」なんだよね。
あたしはまだこれができない、したくない、すると負けみたいに感じる、から、できなくて、いつまでも現実逃避をしているんだ。
「嫌です。」は言えるようになってきて、その部分は、
ちょっと癒されてきたから、次のステップだね。(最終ステップ?)
まず、「ありがとう。」それをやってくれて、「ありがとう。」
嫌な事だけど、あたしのためじゃなくて実は響子さんの
ためかもしれないけど、あたしにとって、やってほしくなかった事かもしれないけど、
「(やってくれて)ありがとう。」
嫌味なありがとうじゃなくて、心からありがとうと言うの。
まあー、嫌だけど、がんばってありがとうと言うの。
笑顔でね。
「おかまいなく」って感じでね。
「ごくろうさまっ(ハート)」って、感じでね。
もう、あんたのせい って、思い込まないんだ。
で、それができなくても、それも気にしないんだ。
posted by 辰多みか at 15:44 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

2013年09月11日

目のツボ・攅竹 さんちく

目が疲れやすいんだよね。もうずっと前から。
結婚して、子どもがまだ小さい頃は、外出すると、
すぐに目から疲れてしまって、目→首筋→肩 と、
ゴリゴリになって、そして頭全体が痛くなって
動けなくなってしまっていたので、頭痛薬(バファリン等の痛みどめ)が欠かせなかった。

今はね、頭痛薬はいっさい飲んでいないよ。
相変わらず目は疲れるけど、
疲れを取る方法をあみだしたから♪

その方法とは、攅竹 を押さえるだけ なのだ〜。

目が疲れてくると、さっき書いたみたいに肩から上がガッチガチになっちゃう。
そんな時は、寝そべる場所があると最高なんだけど、寝転べるのだったら、
おなかを下にして、胸の下に枕やクッションをはさんでうつぶせに
なって、ひじを床に着く。(痛いからひじの下は何か敷いてね)

それで、両手の親指の上に、攅竹 を乗せる。

攅竹というのは、まゆげの鼻側のふちにあるツボだよ。
まゆげの内側のふちの部分を指でさぐると、
頭蓋骨の目の穴のふちの部分に相当するんだけど、
そのツボがある所は、骨がくぼんでいるからすぐわかるよ。

攅竹には、三叉神経が通っているのだ。
三叉神経(滑車上神経)が、そこでキュッとせばまって集まっている。
だから、ツボを押す、というより、あたしは、
神経を直に触っているんじゃないかと思うんだよ。

攅竹(さんちく)という名前の意味は、いろいろあるみたい
なんだけど、あたしの(独自に感じる)名前の由来は、
神経を、竹の細い枝でできたほうきのように
感じるから、ではないかと思うの。

実際、この攅竹を押してみると、ほそ〜い、パパパッとか
シパパパッみたいな微かな線の感覚を、頭全体に感じるのよ。
髪の毛ひっぱってる?みたいな。
首の後ろがツツツって感じたり、
みみたぶまでサーッと繋がっている感覚も有るよ。
その感覚が、あたかも、竹のほうき みたいなの。
ほうきを束ねる場所が、攅竹にあたる。

それを感じるためには、ちょっとコツが要るんだ。
ただ押すだけでは、感じられないんだ。
攅竹をさわるとすぐ、ほそい筋を指で感じるんだけど、
ソレではないのだ。
そのほそい筋は、筋肉についてる腱だからそれではないのだ。
もっと奥を、触るの。

うつぶせになって、親指に攅竹を乗せたら、
あとは、頭の重みだけで、ツボを押していく。
2、3分、動かずにじっとしているのよ。
これに何の意味が〜と、途中不安になるかもしれないけど、
ガマンしてじっとしてるのよ。

すると、突然、シパパパッと、細い、ほそ〜い、電気信号みたいなのが走る。
(あまりに疲れ目だと、ほそい線を感じないから、3分くらいやっても
痛いだけだったら、一度やめてね。)
それが感じられるようになったら、ゆっくりやさしく、指をくりくり回してみる。
すると、頭全体とか、うなじの後ろまでとか、みみたぶまでとか、
パパパッの線が、つながるのよ。うんちょっとしびれる感じ。

そうなったらしめたものなの。
両目にシパパパッを、しばらく感じたら、多少疲れが残ってても、
もうマッサージしなくても大丈夫。
このまま普通に行動していると、30分くらいたつと、目の疲れがすっかり
なくなってるのに気付くよ。

すごい効果なのだ。
あたしはいつもこれで疲れ目と頭痛と肩コリを治す。(肩コリの治し方は
他にもあるよ)
ただ、本当にあまりにも疲れ目だと、シパパパッは起きないの。
そんな時は、攅竹のまわりに、水が溜まっているように感じるよ。
うん、細胞に水がしみ出てむくんでいる、というような感覚。
もみ続けると、鼻のつまりが取れる瞬間みたいなのを感じるんだけど、
たぶん水分で神経が圧迫されてるから、
こうなるとあまり効果は期待できないの。
だから少し目が疲れたな、と思ったら、すぐにやるといいよ。
寝ころべない場所だったら、机にひじをつくとかでもできるしね。

posted by 辰多みか at 14:42 | 整体であること | 更新情報をチェックする

2013年09月10日

ヨーピッチロール

三軸といえば

XYZ軸

さあ、左手を、フレミングの左手の法則にして〜
YO YO
はい右手もフレミングの右手の法則※にして〜ラップのリズムにのって〜
YO YO

(はい、"フレミング"は今は実は関係無いんだよ〜 電・磁・力 関係無し〜)

左手を見て〜

親指が X
人差し指が Y
中指が Z
(オヤユビガエクス・・・←カタコトで言ってみてね笑 電・磁・力とかぞえ順が逆だよ〜)

はい、Xがピッチ
Yがヨー
Zがロール

Yが自分が立ってる頭方向で、
Zは、顔が向いてる方向(目線方向)だよ〜
Xは、右腕を水平に上げてみてね〜

はい、マットを敷きますよー

前回りであっちまで行ってみてね、それが X軸の「ピッチ」
じゃああっちまで行けたら、その場で両手を上に上げてバレリーナみたいにくるくる回ってみてね、
それが Y軸の「ヨー」
じゃあいったん止まって、今度は横方向に側転してみてね、それが Z軸の「ロール」


覚えましたか?
(さっき考案しましたYO)

※フレミングには右手の法則もあるのよ。発電側が右手だよ〜(電気を作る方)。
左手はモーター(電気を喰う方)だよ〜。

posted by 辰多みか at 16:53 | 機械工学・道具 | 更新情報をチェックする

三軸修正法

この間の、「十字式」と同じく、
メモ用ノートに、メモしてあったの。
しかも、十字式と同じ行に。

ぐぐってみたよ。
ナゼ自分がこれをメモしたかも、忘れちゃってたから。
そしたら、うん、あたしと同じ方向性の事だわ。
メモしたのわかるわ。
手段・呼び名が違うというだけで、中身は、同じ事を言っている。
真理、およびそれに伴う身体についての事を。

興味がある人は是非ぐぐってみてください。
なかでも「Q点」は、とても腑に落ちる。

昔ね、(今もかな?)本屋さんに行くと、
トイレに行きたくなって、しかたがなかったの。
(汚い話、小じゃなくて大の方ね)
自分だけかな〜と思ってて、恥ずかしくて、誰にも言えなかったんだけど、
ある日、テレビを見ていたら、ウッチャンナンチャンのどちらかが、
あたしと全く同じ事を言っていた!

自分だけじゃなかったんだ〜と、安心したと同時に嬉しかった。
そののち、ネットやテレビで、そういう風になる人が
結構たくさんいる、という事も知った。

理由は、わからない みたいなんだ。
いろいろ仮説はあるけれど。

インクの匂いが原因とか、
上を向く姿勢でとか、
いろいろな仮説を読んでみたけど、体験者としては、
それらの仮説には納得できなかった。

そうそう「青木まりこ現象」というんですってよ、世間では。

三軸修正法の関連の方のブログを見てみたら、
さっき言った、「Q点」というのが書いてあった。
(Q点というのは、その方独自の呼び名だよ)

その「Q点」を、日常生活の、どこに、感じ取れるかというと、
本の背表紙の、「題名」と「作者名」の、あいだ。

ずらっと並んでいる本の、その、あいだ(スキマ)を、三秒、じっと見ていると、
スッと落ち着いてくるんですって。
鼻のつまりがとれるような、深呼吸したくなるような。

本の背表紙だけではなくて、日常の、ぽっかりあいたスキマでも
その「Q点」を感じる事ができるらしいけど。
(Q点は、Quiet Point ということだそう)

ソレだ!!と、思ったのよ。
あたしは。
「青木まりこ現象」は、ソレだ!と思ったのよ。

落ち着く 事、
ほっとする事。
つまりは、交感神経より副交感神経が、優位になる事。

「Q点」とは、「空(くう)」を感じる事 だと思うのだけど、
軽い瞑想状態になり、「くう」を感じる。
思考が落ち着き、静かになって、副交感神経優位になる。
だから、便意を催す、だと思うんだ。
わかるよ。
すごく腑に落ちるよ。
だって、経験者だもの(笑)
posted by 辰多みか at 11:37 | 脳と腸 | 更新情報をチェックする

2013年09月09日

行列・マトリックス

映画の「マトリックス」はね、
悟りの世界を描いた映画なんだよ。

数学の「マトリックス」はね、
「行列」の事なんだよ。


行列・・・わけのわからない用語だ。

ラーメン屋に一列に並ぶ、あの行列じゃなくて、
行は、横列。
列は、縦列。
「緯経」とかにすれば良かったのに。

今ね、数の世界で出会った神様に、もう一度会うために、
ちょっとずつ、数学を勉強しているの。
今勉強しているのは、「線形代数」だよ。
線形代数の基本は、行列なの。
といっても、高校時代の事なんて、すっかり忘れてしまって、
やったはずなのに、さっぱり覚えていないよ。
だから、徐々にやるんだ〜。
楽しみなんだ。
posted by 辰多みか at 11:33 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

2013年09月08日

告白A

あたしは、いじめっこでした。
の、いじめっこ部分を昨日は書けず。
(過激にとばすと言いつつ)

中学の英語教師に、執拗ないじられはしていたけど、
いわゆる「いじめ」は受けた事は無い。
みんな、あたしに対して、敬語だったしね(あはは)。
敬語だったって事は、近寄りがたい存在だったって事だね。
というかあたしが、近づかなかったし。

うん、いろいろ思い出すと、あたしはいじめっこだったけど、
クラスメイトは、いじめなかったな。
いじめたのは、妹を です。

いつも母から言われていた。
「おねえちゃんなんだから我慢して」
「おねえちゃんなんだから妹にあげなさい」
「おねえちゃんでしょ!!」
「○○(妹)は可愛い、みかは嫌い」
「神経質」
「ホントに(気が)強い」

あたしは好きこのんで、おねえちゃんになったわけではない。
はぁー?
母親が言うセリフか?
そういう態度を取ると、気が強い、と、ますます敬遠された。

だから、妹をいじめた。

対価が欲しかった。
母の事は、妹にくれてやるから、
母の理不尽な要求を聞いてやるから、
その対価を。
いじめて、ようやく対等だと思った。
母から冷たくされて、泣き寝入りするような子供ではなかった。

いじめると、ますます敬遠された。悪循環だった。
だけどあたしは子供だったから、循環から抜ける方法がわからなかった。
大人になっても、わからなかった。
いじめる事はしなかったけど(たぶん)、思考は変わらなかった。
その思考は、モラルハラスメントの思考なの。

根底には、
「同じように愛してほしい」という願いが、あるのだろう。
素直に、甘えたいのだろう。
けれど、その願いは、1才で、砕け散った。
年子で妹ができたから。
あたしは、甘えてはいけない、と、かたく自分自身に誓った。一才で。
その頃の記憶は無いけれど、母が記録していた母子手帳の日記に、
その様子が記してある。
母と妹と一緒に歩いていても、絶対におんぶ・だっこと言わなかったらしい。
もう母は妹をだっこしているから。
あたしなりに母を気遣っていたのだ。
あたしなりの愛情表現だったのだ。
母には伝わらなかったけど。

根底で砕け散って、粉になっている願いは、
さがしても、みつからないの。
踏みにじられて、そして自分で踏みにじって、
本当の本当の粉になってしまった。
だから風に飛ばされて、広大な宇宙へ広がってしまったの。
すみずみから、ほうきで掃き集めれば、いつかはもと通りの
重さ分の願いは集められるだろうけど、
そんな気力もないし、そんな時間もないまま大人になってしまった。
だから、そんな願いを持ってた事さえ、気が付かなかった。
気が付かないから、冷たくされたら、冷たくしかえしていい、と思っていた。
嫌な気持ちを要求されたら、同じだけの嫌な気持ちの対価を求めていい、と思っていた。

いじめたのは、その年子の妹ではなくて、小一の時に生まれた妹。
今思うと、本当に申し訳ない事したな、と思うけど、
その頃のあたしは、いっぱいいっぱいだった。
ある意味、それが生きる理由だった。
まあ、いっぱいいっぱいなのは、今も変わらないけどね。

そんなだから、クラスメイトからいじめられる事もなかった。
まあ、他の子に対するいじめの現場はあったよ。
ボスがいてさ、絵に書いたようないじめ。小6の時。
その事件は、あたしにとって結構なトラウマになった。その事は、また後で書くよ。

あたしのいじめっこ気質は、子供の頃と、まるで変わっていない、と思う。
気質自体は、たぶん一生変わらないのだ。
それが自分なんだから。
肉体の気質と、同じ並びのものだから。
だけど、あたしは、心の奥底に気付いた。
踏みにじって粉になった願いに気付いた。
それは、とても大きい事だと思うよ。
というかそれ以上大きい事って、他にない。
だって宇宙大の大きさだから。

まだまだできない事がいっぱいで、
気が済んでいない事がいっぱいで苦しいけど、
少しずついじめっこから脱していこうと思っているの。
いじめっこのあたしは、あたしの中に置いたまま、
脱していこうと思っているの。




posted by 辰多みか at 23:39 | 自分 | 更新情報をチェックする

告白

あたしは、
いじめっこでした。

今日は、何かが降りてきてるみたいに感じるから、
過激に飛ばすつもりで書くよ。

マジでいじめっこでした。

いじめられた事?
あったような気もするけど、屁とも思ってない。

自分のタイプが、
いじめられるタイプか
いじめるタイプか どちら?と聞かれたら、
迷う間もなく「いじめるタイプ」

「いじめられる事」は、その後に可能になる、
仕返しの正当な理由を得た、くらいにしか思ってない。

そういえばハッキリいじめられてた(いじられてた)なー、と思うのは、
中学の時、英語教師(中年男性)から、執拗ないじられをされました。
あたしは目が大きいから、授業がはじまってすぐ、
「おまえは目が大きいなー。ギョッ!」と言って、
目の大きさをからかわれました。
で、眉毛も濃くてつながってた(中学生は眉を整えたら校則違反)から、
ずっと「つながりまゆげ」と言われました。
それも、一年間、ずっとだよ。ギョッ!とつながりまゆげが、一年間ずっと。

その頃の中学の教師は、みんな、叩き棒を持っていて、
生徒が思い通りにならないと、有無をいわさず叩く。棒や平手で。
それがあたりまえだった。
英語教師も暴力教師だったけど、その反動か笑いを取りたいらしく、
教室に入った一発目、「ターゲット」に向かってまっしぐらなのだ。
他のクラスで誰がターゲットになってたかは、興味なかったから知らない。
とにかく、クラスメイトのみんなは「ギョッ!」が出ると、愛想笑いでも笑うしかなかったの。
一度、笑わない男子がいて、英語教師は「おまえはなんで笑わないんだー!」と叫んで、
腹にグーでパンチをした。
(腹グーは、あたしも別件でされた事があるのよ。女子でもやるんだよ。)
今思うと、その男子は、教師よりあたしの方を思ってくれてたのだと思う。
誰だか忘れちゃったんだけど。ありがとう。

あたしは、いじ(め)られたけど、それで深刻に悩む事もなく、毎日学校に行った。
そりゃあもちろん嫌だったよ。でも、おどおどする事もなかったし、
自殺するほど悩むなんて考えられなかったし、先生の馬鹿野郎 くらいに思ってた。
同級生からのいじめは無かったし、あたしは委員長キャラなので(小中高と
毎年一学期は学級委員だったよ)どちらかというと、先生への復讐を、
虎視眈眈と狙ってたくらいだ。(でも相手は先生で大人だったからできなかった)
あ、英語教師は、「そういうタイプ」をわざと狙っていたのかな。
真剣に悩むタイプだと、あとあと面倒だしね。

あの英語教師はどうなったのだろう。珍しい名前だからぐぐったらわかるかと思ったら、全然わからなかった。
くそぅ、今だったらあたしも大人だから正々堂々と仕返しができるのにな(笑)。(←やらないけど)




posted by 辰多みか at 00:15 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月07日

紫と赤のあいだにあるもの

虹はね、

一番上は 赤 で、
一番下が 紫。


「色相環」を見ると、
紫の次は、なめらかに赤へ続く。


スペクトルを見ると、
紫の前は、可視 できる色はなく(紫外線)
赤の次も、可視 できる色はない(赤外線)

赤 と 紫 では、波長が全く違うから、
色相環みたいに続くわけがない。
連続するワケが、ない。

波長の短い 紫 と、波長の長い 赤。
色相環のように、連続するように見せるためには、どうすればいいのだろうか。
その方法はとてもカンタンで、
螺旋階段みたいに、ぐるーんと、ねじればいいのよ。

つまり、赤から紫 までの繋がった色が、ひとつの円になるように丸めてみるんだけど、
本来繋がっていない 紫と赤 の間には、自分の見ている視線方向に空間を作って、
ホントは連続してないんだけど、見た目は、連続して見えるようにする。
一階フロアが紫で、二階フロアが赤 みたいな。
赤から紫までの各色(黄色とか青とか)は、
一階から二階まで、12段(もしくは6段)ある階段の各段の色にすればいいのよ。

「この世」も、螺旋階段みたいに、ぐるーんと、ねじれていて、
見た目、連続して見えるけど、ホントは、一階高い所が(一階ばかりじゃないよ。
九階は有ると思うよ。)あると思うのよ。

心の世界も、「この世」と同じだから、そうなってると、思うのよ。


科学と哲学も、
あたしたちは、たて方向の、一階分の違いばかり見ていて、
科学と哲学は離れている、と感じちゃうけど、
ホントは、螺旋が丸に見える方向から見ると、
連続して、見えている と思うのよ。

科学と哲学は、見た目、お隣さんに、見えるの。


posted by 辰多みか at 10:41 | 数の世界の神様 | 更新情報をチェックする

どうでもいいキャンペーン

今、「どうでもいい」を絶賛キャンペーン中。
「嫌われたって、どうでもいい」
「悪く思われたって、どうでもいい」
「かっこつけれなくたって、どうでもいい」

この間(4日)ね、
響子さんがいつもとる行動で、あたしはぷんぷんに怒ってた。
どうでもいい と思いつつ、ぷんぷんに怒っていた。
(そしてなぜか十字式の映像を見たら、ぷんぷんが治まってしまった)

今日(6日)ね、年に一度か二度の響子さん関連イベントがあったんだ。
いっつも、とっても疲れるよ。
何がそこで起きるか、だいたい予想つくから。
イベント自体には、あたしは不満は無い。
そこで響子さんがとる行動に対して、あたしは20年も前から、不満が蓄積されているのだ。

きっと、こう来るだろう、と予想していた。(必ず毎回予想する)
今回が、いつもと違うのは、
「どうでもいい」と思ってるので、
アサーティブネスに、そこで起こる事を、
皆の前で、
冷静に、
ことがらを取り上げ、声に出して読み上げて、
音波として、形にしようと思ってたのだ。
ホントに、どうでもいい と思っていた。

そうしたら、
アラ不思議。
いつも必ず起きる(響子さんがやらかす)あの行動が、
今回は、起きなかった。
そればかりか、
あたしが怒る(いや、声に出しては怒らない。心の中でだけ)前に、
響子さん関係者から、響子さんは、苦言を呈されていた。
なあ〜んだ。
みんなもそう思っていたのね。

そうだよね〜、あたしだけが引っ掛かるトコロみたいで、
あたしの反応がおかしいのかな?(おかしい、と響子さん本人に
言われたし)と思ってた事が、やっぱりみんなも「おかしい」と
感じてたんだよなー。

あとね、不思議だったのは、
そこに10人くらいいたんだけど、
久しぶりに見る人は、み〜んな、
「どこか欠けて見える」のよ。
今までそんな事、感じた事なかったのに、
不完全な人間
大人になりきれてない
自分自身を隠そうとしている
自信がない
もともと、持ってない

そんなふうに、見えるのよ。
あ、性格が悪い、とかでは無いよ。
ただ、欠けている の。

それで、
あたしも、これでいいんだな、と思った。
あたしも欠けてるし、みんなも欠けてるし、
これでいいんだな、と思った。漠然と思った。
だから、とっても、安心したの。
愛しさが、湧いてきたの。
不思議なんだよな〜。

だからもうちょっとの間、愛をこめた「どうでもいいキャンペーン」を
がんばろうと思います。
posted by 辰多みか at 01:24 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

悟るためのHow to

悟るには

絶望したりとか、無になるとか、
いろんな覚者の方々の、体験談を聞く(読む)のが一番わかりやすいんだけど、

どんな方法(How to)をとっても、
共通していると、あたしは思うのは、

悟るまでの過程で、

必ず、

必ず、

涙を流す

必ず、涙を流す

それだけは、必ず起きる現象 だと思うよ。

(だからといって、やみくもに泣けばいいってもんじゃないんだけどね)
posted by 辰多みか at 01:23 | 悟るまでの道 | 更新情報をチェックする

2013年09月05日

響子さんと鏡子さんとあたし

このカテゴリにもなっている「響子」さんだけど、
実は、実在の人物の固有名詞では、ないのよ。
まあ、ネットだから、仮名なのはあたりまえだけど・・・
ある、ひとりの、固有名詞では無いの。

響子さんはね、あたしの生活環境、学校の環境、仕事の環境が変わるたび、
常に、いろんな人が入れ替わり立ち替わり、
「あたしの響子さん」になってくれたの。

「あたしの響子さん」って、まあ、ズバリ言うと、
ある時は
「親友」だったり
「ライバル」だったり
「いけすかないクラスメイト」だったり
おなじく「いけすかない同僚」だったり
「ネット上の気にいらないアイツ」だったり
「きょうだい」だったり
「父・母」だったり
「義父・義母」だったり
「彼氏・旦那」だったり
「街で見かけた嫌な人」も。

そう、近くて、ちょっとモヤモヤくる相手。
それが全部響子さん。
(あたしが勝手に呼んでいる呼び名)

鏡子さんでもいいけどね、鏡子さんと書かない理由は、
自分が「自分」と認識してる自分が鏡に映った姿ではなくて、
自分が「自分では無い・自分だと思いたくない」と認識してる
自分が鏡に映った姿だから、
あえて、鏡子さんではなくて、ひびく方の、「響子さん」と書いてるの。

「響子さん」は入れ替わり立ち替わり、いろんな人が
その役目をしてくれるけど、一番力の強い響子さんは、常に、ある特定のひとりだな。
(その特定のひとりと関係が断ち切れると、また別の、力の強い響子さんが現れるよ。)

あたしはその響子さんに、いつも、モヤモヤした気持ちを持っているのだ。
「嫌い」だったり
「許せない」だったり
「あたしはあんな事しない」だったり
「嫌な事をされた」だったり
まあ、恨み節の出る事出る事。

でもね、その響子さんに対しては、「嫌い」と思ってるわけだけど、
いなくなっちゃったら、困るの。
嫌いな相手なのに、いなくなったら、こまるの。

想像してみて。
いつも、同じパターンで、嫌いになる相手がいる。
なんとかその相手と関係を断ち切っても、
不思議と、また同じパターンの悩みが現れる。
また、新しい嫌いな人ができてしまう。
自分は、それでまた悩むのだけど、
実は、嫌いな相手は、自分自身から作り出しているんだよ。

いなくなったら困るから、「目の前に現れてください!」と、宇宙に、全身全霊で祈っているんだよ。
きゃー、こわ〜い。
すごい引き寄せの法則!

なぜいなくなったら困るかというと、「あたしは悪くない、響子さんが悪い」と、
周囲に訴えるのに必要なのと、
それと、響子さんに寄りかからないと、自分の足で立てないからなの。
きゃー、本当〜に怖ーい。

気が付け! 気が付け自分!
いいかげん気が付け!(今のあたし!)

響子さんが嫌い、許せない、と思いながらも、
いや、思ってるから、
響子さんに、「あたし」を認めさせたい。
「あたし」の正統性を、認めさせたい。
響子さんの方が間違ってる、と思わせたい。

あるいは、響子さんに気にいられようと、
一生懸命自分自身を取り繕う。
理想の自分を外側に作り上げる。
それ維持するの、ホントに大変なんだけど(笑)。
あたしを認めて!認めて!と内に隠しながら、表面上は自分を卑下しながら顔色を伺う。

それが依存だ。
響子さんと「あたし」は、お互い依存しあう関係。
お互い、エネルギーを奪い合って、足りない足りないと、貪りあう関係。

そんな関係、ホントに嫌だわ。
だから、愛をこめて「どうでもいい」って、
心から思えるようにしていかなきゃいけないんだわ。
ああ、「いけない」ってのも、禁句なんだ。
もうもう、ほんとにどうでもいいで〜す って、
宇宙に手をあげれば(おてあげ)、
すべて、うまく行くんだけどねー。
(わかっててもできないからつらいのよ。ちょっとはできるようになったかな。)
posted by 辰多みか at 23:00 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

2013年09月04日

十字式 村井徹宗癒師サンのYOUTUBE

あたしは、常に、頭の中にいろんな事がぐるぐるぐるぐる、湧いている。
車を運転してる時は、特にすごいよ。
あと、仕事をしようと、頭がウォーミングアップされてる途中とか。

ほとんどの事は、すぐに忘れてしまうんだけど、
(このブログに書く事も、頭に浮かんだ事の1/10くらいしか書けてない)
それでは、ホントにもったいないと思って、
なるべくメモを取るようにしているの。
それでも取りきれなんだけど、まあ、努力しているの。

そこで、昔メモを取ったノートを、見返してみようと思って
見てみたら、「十字式」 と、書いてあった。

???
なんなのか、さっぱり覚えていない。
時期的には、ここ一年以内なんだけどなー。

と思って、さっそくぐぐってみたら、「不思議な気功整体」みたいなのだった。
どこかの、整体関係のブログで気になって、メモしたんだろうな。
とってもよく効く!とか書いてあったんだろうな。
で、YOUTUBEの映像があったから見てみたら、それが、面白いの。

先生(宗癒師というのが、この組織の中での先生の呼び名らしい)が、
背中を出してイスに座った患者さんに、
「んすっ んずっ ん゛ん゛っ」 みたいな、
超〜〜怪しい声(鼻声?)を出しながら、ほとんど触らずに
施術していくのだ。
背骨の左右を、上から下に、何かを抜く動作みたいなのをしたり、
押し込める動作をしたり。
「気」を使ってるんだな〜?と思って、あまりに声が面白いので見てた。

そして、3分くらいの施術の映像を見終わってしばらくしたら、

なんか、あたしの脇あたりが、熱い???

そして数分後、熱いのが、指先まで流れていく???

胸まで熱くなって、はあーっと息を吐くと、
熱いなにかが、出て行きそう・・・
今、かれこれ1時間近くたっても、熱い!

なにこれ。

映像を見るだけで、「気」をもらったのだろうか。
この「気」は嫌な気ではなくて、「癒し」の気だ。
さっき、来客があって、その時の響子さんの態度に
ぷんぷんに怒ってたあたしの気持ちが、なんだか、
あったか〜くなって、どうでもよくなってきた。

不思議だな〜。

近くに施術できる会場があればな〜。
でもあたし、どこも悪くないわ。
(胃に嫌な感じはあるけどね)
これ、取得したいな〜。
キリスト教徒にならなきゃ教えてくれないのかな〜。
posted by 辰多みか at 14:53 | 整体であること | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

「自我」の厚さはおよそ3ミクロン

あたしはね、思うんだけど、
「自我」って、目で見えるんだ。

オーラみたいに、がんばって、見るものではなくて、
実は・・実は・・・、

この世で生きている、誰もが(誰もじゃない、ごめんなさい目が見える人だけだ…)
目を開ければ、常に、見ている。

「自我」を。


「自我」は、薄〜〜く、視界に張り付いているから、
まるで見えていないように、見えるの。
そう、目に張り付いたウロコみたいに。
だけど、人は常に、この自我を通して、くもった世界を見ているのよ。

たとえが、あっちゃこっちゃで、混乱するかもしれないけど、
ホントは、視界や目に張り付いているのではなくて、
自分自身の全体を、卵のカラみたいに、覆っているのが自我 だと思うんだけどね。

なんでそう思うのかというと、一度その くもり が晴れて、
視界が、キラキラ したのを見たから。

見る世界は、すべてが純粋だった。
くもりが晴れた瞬間。

あたしは、その状態は、一瞬で終わったけど(笑)。

鏡やガラスにつく くもり は、測れるんだよ。
目に見えて汚れてるってわかるホコリではなくて、
うす〜く、くもってるかな?と感じる程度の、くもり。


あたしは、何度も測った事がある。

それは、だいたい3μm(さんみくろん さんまいくろめーた さんまいくろめーとる)くらいなの。
少し前に、中国の大気汚染関連で、PM2.5 (ぴーえむにいてんご) というのが話題になったじゃん。
粒の大きさが 2.5ミクロン くらいだから、そういう名前なんだけど、
まさに、このくらいの大きさ なんだよね、ガラスのくもりって。

マイクロメータ という、測定機器で簡単に測れるの。
とってもアナログな機器だけど、ミクロン単位まで簡単に測れて、数値が目で見えるのよ。
「自我」は測れないけど、だいたいこのガラスのくもりくらいかなと、あの時目で見た感覚で、思うよ。
posted by 辰多みか at 22:50 | 悟った時のこと | 更新情報をチェックする

瞑想する目的E

まだね、瞑想状態までは行ってないんだけど・・・

ふっと、思考の虜になる。
その時の思考は、パターン化されている。
それを考察すると・・・

あたしは、その、「相手」に、言いたかった事がある、という、
いつものパターンの思考。
相手があたしに執着(依存)しているから、それがイヤっていう
内容なんだけれど、よくよく考えると、

執着しているのは、あたしもそうだ。
いつまでもいつまでも、頭の中で、相手の事ばかり考えている。
イヤな思い出ばっかりだけど、いつもいつも。
すごいパワーだよね、よく考えると。

その執着が手放せない。
手放したら、相手が悪くなくなっちゃう。
いつまでもいつまでも、相手が悪いと考えていたい。

うわ〜〜 なんじゃこりゃ〜

結局ね、相手が悪かろうと、悪くなかろうと、
執着してたら、同じ穴のむじななのだ。
「人を呪わば穴二つ」ってやつ。
あぁ、それが、「呪い・呪縛の正体」って、あたし、わかってるのになー。
わかってるのと、できるできないは、やっぱり別物なんだ。
だから、苦しいんだよ今も。

それで、どうしたら良いかというと、
この間もできたけれど、「どうでもいい」って思うだけだね。

「どうでもいい。
 嫌われようと、悪く思われようと。
 いい人って、思われなくてもいい。」
「いい嫁って、思われなくてもいい。」
「いい娘って、思われなくてもいい。」

あたしは、数か月前に、これが出来た時、
ジッ、ジッて音を立ててぶれていたふたりのあたしが、
カチって、
完全に嵌ったの。
うん、はまったの。

だから、これが常にできればいいんだ。

何かで読んだけれど、相手に執着し続けるって事は、相手の命を大切に
していないと同じ事だと。(どこで読んだのか・・・ぐぐっても見つからない)

今日、この「どうでもいい」が、ちょっぴりできた。
この「どうでもいい」、は、相手を嫌いになる事なのではない。
相手に愛想をつかす事でもない。
そこのニュアンスが難しいんだけど、
愛の力を使ってする「どうでもいい」。
うん、もうちょっとできるように努力するよ。
posted by 辰多みか at 22:18 | 呪いの正体 | 更新情報をチェックする

2013年09月02日

瞑想する目的D


瞑想する目的とは・・・

2、3日だけ、ヴィパッサナー瞑想をやってみて気が付いた事は・・・

実は、瞑想とは・・・



「瞑想し続けられない」という事を思い知る事 だと思ったんだ。
「瞑想が続かない」という所に、瞑想を続ける真の意味がある と思ったんだ。
うん、あたしは、まだ本当の瞑想状態になってない(はず)なので、
ちょっと言葉が間違ってるかもしれないから、
「瞑想の前段階の、思考を完全に停止させる事は、なかなかできない」かな。


たぶん、たった1日だけであっても、
「今の自分の状態」を、絶え間なく実況中継し続ける事は、不可能だと思うの。
どうしても、「思考(雑念)」が沸いてくるの。

で、それでいいし、それが普通だし、
そこに気付くのが、瞑想の目的なのでは、と思ったんだ。

ふと、「実況中継」が、途切れる。
自分では意識しないまま、「思考の虜」になる。
そこで現れる思考、それは、パターン化されている事に気付く。

「いつも同じ事考えちゃうな。」
「いつも、こういう失敗をしてしまってたな。」
「いつも、こういう嫌な思いをする。」

あたしは、自分の実況中継が途切れている、と、
ハッと気が付いた時、いつもいつも、
同じような事を考えていたのよ。

たぶん、瞑想をしてもしなくても、その事は、常に頭の中で
繰り返し、繰り返ししていたのだろう。
「実況中継が続かない」事に気が付いた時、その思考のパターンに、同時に気が付いた。

いやーん、こんなに、恨みつらみみたいなのを、
24時間ひっきりなしに考えていたんだったら、そりゃあ、幸せになれるはずないよ。
だって、ずーっと怒ってるし、ずーっと不機嫌。
(たぶん寝てる間も夢で見てるわ。だから24時間。)

こんな事があった、文句が言いたかったけど言えなかった、反論したかった、
それを延々と思い出している。
あたしは、何が目的でそれを思い出しているのだろうか。
思い出している張本人がわかってないんだから、まぁ誰にもわかるはずないよね。
実は、それを「思い出せ」ってけしかけているのは、あたしが自分の
奥底に押し込めてきた、トラウマとかインナーチャイルド(自我ともいう)
なんだろうし、それを一番わかっているのは、インナーチャイルドなんだろうけど、
なかなかその訴えに、普段は気が付かない。

あたしは顔は無表情だろうけど、そういうのって、雰囲気で、きっと毛穴から出てるよね。
だから、まわりのみんなも、この人怖い〜って、思っちゃうよね。
それでまた、悪循環なんだ。

ほんの2、3日、ヴィパッサナー瞑想をやってみて、そう思った。
でも、たぶん、あたしはまだ瞑想の入り口に立っただけで、
きっと、この続きが、あるんだろうな、と思うよ。
宇宙との一体感や至福を体験する事。
それが楽しみでもあり、「自我」は「危険だ」と、あたしにむかって警鐘を鳴らし続けている。
それは幻聴だと見抜けるのに、なかなか本腰が入らないのはその警鐘のせいかもしれない。
それか、別に理由があるのかもしれない。
さっき、「別の理由かも」と思う事を、思い出したわ。
それは、あたしが「やらかしてきた事」なんだ。
それに向かい合うのが、ホントは嫌なんだろうな。

それでもちょっとずつ瞑想してみて、発見があったら、後日Eで続きを書くわ。

posted by 辰多みか at 15:50 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年09月01日

瞑想する目的C

ようやく本題が書けるわ〜。

@、A、B、という事で、ヴィパッサナー瞑想をやってみよう、と思い立った。
どういう風にやるかというと、
まず、座っても座らなくても、動いていても、よくて、
頭の中で考える事は、今自分が、何をしている、何を感じているか、だけ。

今ね、あたしは、パソコン打ってるじゃん。
書く、という動作は、手と同時に頭を使うから、瞑想には不向きなんだけど、
あえてやってみるとね、
あ、( )内は、補足説明ね。


画面の白い所を見てる。(あたしは一度、メモ帳に書いて保存してから
ブログにコピペしてupしているのだ)
膝の上の方がかゆい。かゆい。
顔もかゆい。掻く。
あら、いろんな所がかゆい。掻かない、かゆい。かゆい。(かゆい、と思い
続けていると、かゆくなくなるんだって!)
かゆいかゆい書いてたら、なに書くか忘れたわ。忘れた。忘れた。思い出す、思い出す、
(この、「今の実況中継」は、三回ずつ行うんだって、あたしは今二回しか書いてないけど)
そうだ書くぞ〜書くぞ〜、書くぞ〜って、書くぞ〜
・・・
みたいな。
(笑)

これを、一日中、やってみる。
やってみるのは、とても簡単で、いっぱい発見がある。
あたしは、ごはんを作っている最中とか、特に、いろいろ考えているみたい。
「思考の虜」になっているみたい。
それは、この瞑想をやってみて、改めて気が付いた事なんだ。

この、ヴィパッサナー瞑想を、始めてみるとね、
最初は、割と好調に、今の自分の実況中継ができるんだ。
ごはんを作っている時、
右手、包丁。切る。切る。左手、きゅうり。おさえる。
ボウルに入れる、入れる、落とす。入れる・・・

と、ずっとやっていくわけなんだけど、
途中で、必ず「思考」に捕まっちゃうんだ。
つまり、「自分の今の実況中継」するのを忘れちゃって、
過去の事の反芻ばかりで、頭がいっぱいになっちゃうの。

あの時、言われた事。
言われて嫌だった事。
言いたくて、言えずに飲み込んだ言葉。
妄想の中では言える、相手を打ち負かす言葉。
それに反応する、妄想世界の中の相手。

それを、延々と、延々と、頭の中で繰り返している。

はっ と 気付くのよ。

あ、実況中継するの、忘れてる、と。

あれ、あたし、こんな事、いつも考えてるんだー、と。
(自覚はいつもあるんだけどね)

そういう、思考が浮かんできたら、「ダメだ」とは思わなくていいの。

浮かんだな、で、OKなの。
そしてまた実況中継にもどる。

きゅうり。塩、塩、もむ。もむ。・・・

不思議な事にね、こうやって、自分自身を観察し続けると、
他の事に気が回らなくなっちゃうかも、と思っていたら、
まったく逆だった!

なんと、目は、他に向くようになって、
いつもは、気が付かない事、そう、食卓でもう食べている家族の、
お茶が足りないな、とか、おかずに手が届かないな、お皿を出そうとか、
そういうのに、ものすごく、気が回るようになった。
本当に不思議。

その時も、ずっと実況中継をしているのよ。
食卓、お皿、足りない、足りない、食器棚、右手、開ける、出す、出す。
右足歩く、左足・・・

いかに自分が普段、思考に囚われていたかが、わかるようになった。
思考に囚われている最中、じっ・・・と考え込んでいて、
それも、もう済んでしまった過去の事ばかり、恨みのエネルギーとか
そんなのがモヤモヤ出てるような過去の記憶を、する必要もないのに、
もう一度頭の中で経験しなおしているのよ。
そんな時は、家族のお茶が足りない事とか、いっさい、気が付かないの。

それが、瞑想 してみて、最初に気が付いた事なんだよな。
あと、まだ、気付いた事はいっぱいあるんだよ。
Dに続く。
posted by 辰多みか at 11:31 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

瞑想する目的B

さあ、今度こそヴィパッサナー瞑想まで行けるかな〜?

@とAは、今のあたしの状況説明で、いっぱいになってしまったわ。
あたしは今、悟り後の修行中だという事。

後回しにしてきた宿題(「ノー」と言う事)が、いよいよ後回しに
できなくなってきて、(いや、一生後回しにしても別にいいんだけれど)
生活に支障が出るくらいになってきたから、具体的にいうと、「無気力」
になってしまったから、やっぱり後回しはよそう、と、ようやく重い腰を上げる気になったの。

いろんなhow toを読んだわ。
ネットで。
スピリチュアル的に後押ししてくれる言葉を探したり。
「発言小町」で、「あたし」と「響子さん」に近い例を探して、
世間一般の意見を見てみたり。

そんなこんなのネットの中で知ったのが、「アサーティブネス」。
これをやってみよう、と、思い立った。
少しずつ、やってみた。
少しずつ、状況が変わってきた。
ちゃんと、「ノー」が言えている。
ドキドキする事もない。
相手にどう思われるかが、まったく気にならない(今まではそれが一番の気の遣いどころだったのに)。

それでも、まだまだ、how toが足りないみたい。
至福に、到らない。
どこかが、間違っている。

「自我」ってね、
「私」と「あなた」を仕切るものなんだよ。
だって、あたしたちはもともと、大きなひとつ なんだから、
自我がなくなっちゃうと、自分以外と、ひとつになってしまう。
境が、なくなってしまう。

自我は、それが怖い。
無くなるのが、亡くなるのが、怖い。
本当に、怖い。
だから、「あたし」に、いっぱい嘘をつく。
「あたし」というのは、自我の上層の部分の事、
すなわち、「本音と建前」の事。
別の言葉でいうと、「下心とうわっ面」の事。

「本音と建前」は自覚できるけれど「自我」は自覚できないの。
無意識下にあるの。

あたしたちは、その自我の嘘に、一生惑わされながら、生きていくんだ。
あたしは、その「嘘」を見抜く目が開いたのに、
「嘘」だって、ハッキリわかるのに、それでも惑わされ、そこから抜けられない。

そうそう、自我ってね、私とあなたを区切るものだから、
数字で表すと、「ゼロ」なんだよ。
大きな「1」・ワンネスに、切れ目をいれるの。
その切れ目が、ゼロって事なの。
そうするとね、切り出された かけら は、「1」になるんだよ。
大きさと形は、どうでもいいんだ。
どうでもいいけど、「1」なの。
濃度 1 って、事だから。(この場合、1 が最高値ね)

そう、あたしは、後回しにした宿題をどうやって終わらせたらいいか、さらにネットを探した。
本を買ってもいいんだけどね、どれを買っていいのかわからないでしょう。
だから、ネットを探した。

そうして答えを見つけたよ。
見つけた答えは、驚愕のシロモノだった。
少なくとも、今のあたしにとっては、救いようのない答え。


「悟りなさい。」


それが、答えだった。

悟り後の修行中の身で、苦悩を無くす方法は、「悟ること」。



できーん!

だって悟ったもーん!

そこ通ってきたもーん!


じゃ、じゃあ、あたしの悟りは悟りじゃなかったのか?
いやいや、あれほど、確実な手ごたえは、きっとこれからも無いよ。
たった一瞬、垣間見ただけだったけど、あれは真理だった。
でも、至福も体験してないし、白隠さんは何度も悟ったというし、
まだまだこれから、続きがあるのかな?
そういえば、一瞬で、終わってしまった。
あの状態を思い出してみたいんだけど、どうすればああなれるのか、思い出せない。
そう、たぶん、一生悟り状態でいられるならば、きっと、ずっと、こんな苦悩はないかもしれない。

そう思って・・・
いろんな悟り系ブログを見ると・・・
みんな、瞑想 してる・・・

悟った人たち、こぞって、瞑想してる・・・
あるブログでは、「悟り」状態は、3カ月くらい、
意識的にその状態にして、定着させる必要がある、との事だった。
脳の筋トレなのか。
そんなの知らなかった。

だから、瞑想 をしてみようと思ったのよ。
だけど、how toが、わからーん。
ネットで読んでも、いまいちよくわからない。
誰かに教えてもらわなければ、わからないのか?
たまたま見ていた、阿部敏郎さんのブログで、今度本が出る、という情報を読んだ。
瞑想CDが付いているんですって。
わー、これだ。と思って買ってみたけど、やっぱりいまいちよくわからない・・・というか、家でできないタイプのやつ!
山にひとり(いや別に山じゃなくてもいいんだけど、周りに民家がなくてひとりになれる所)こもらなければ、不可能っぽい。
6人家族で自営業のウチでは、絶対、ムリ。

光明が見えたと思ったのに、ちょっとしょぼーんとなったわ。
それで、しばらく、瞑想について探していた。
そこで見つけた ヴィパッサナー瞑想。
これ見つけたのは、ほんの数日前なんだけど、
数日やってみて、いっぱい、発見をしたわ!
これはすごいって、コレに限っての事じゃなくて、瞑想すごいっ て気が付いたわ。
という事で、ようやくヴィパッサナー瞑想までたどりつけたので、
次は、いよいよ「瞑想する目的」を書こうと思います。

posted by 辰多みか at 00:54 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年08月31日

瞑想する目的A

横道にそれてしまって、@は目的まで行かなかったわ・・・
ヴィパッサナー瞑想のこと。
あたしは今、悟り後の修行中で、生き返って肥大してしまった「自我」に
ほとほと手を焼いていた。
(それの説明を書こうと思ったら、横道にそれて長々時間を取ってしまった・・・)

終着点も、登山の頂上も、人生の宿題の答えも、
全部見ちゃったのに、そこまで、た  ど  り  つ  け  な  い 。

主人と、夫婦喧嘩っぽくなった時、あたしの口からは決まっていつもこの言葉が出た。
「どうすればいいかはわかってるのに、心がついていかない。
今努力している途中だから、もう少し待っててほしい。」

どうすればいいか・・・それは、ゆるす 事。
相手を ゆるす 事。
響子さんを ゆるす 事。
そして 自分自身を ゆるす 事。
これは知識としてhow to で知った事ではなくて、
あの時、悟った時、瞬間で理解した事。
でもでもでもでも、で  き  な  い。
なにかが引っ掛かっているんだ。
そうだ、あたしは、ずっと逃げてきた。
相手と向き合う事、自分と向き合う事。
(自分と向き合う事は、一回だけできたの、自発的に。その時、悟ったの)
まず、相手としっかり向き合わなくてはいけない。

あたしは、ずっと「ノー」と言えずにいた。
そのほうが、あたし自身にとって、得だったから。
でもそんな心の状態で言う「No」って、ホントの「No」じゃないんだよね。
取引してるんだから。
取引してるから、ホントに見間違うほどホントに見える、ホントではない「ノー」を
いっぱい言ってきた。
いうたび、苦しかった。
結局、ぐるぐる回って、逃げまわっても、「ノー」というしか道が無かった。
それが、「宿題」なんだもん。
神様は、「ほらほら♪」と、楽しげに、目の前に宿題を出してくださる。
まあ、神様って、自分自身なんだけどね。
フタをして仕舞っている自分自身に、地獄の叫びを上げさせる、センサーのボタン。
そのフタの中から、あたし自身を救い出さなきゃ。

そう思って、
この日記を書き始めた。
たしか悟りがあったのは2008年だから、(よく覚えていない、
リーマンショックの前で、2006年以前では無い事だけは確実)
4年くらいもんもんとしてたわけだ。
ずっともんもんとしてたわけではなくて、
2009年から、統計学経由で、数の世界に入り込んでしまって、
そのあまりに素晴らしい、美しい世界に引き込まれて、
一年くらい、数の世界に入り浸っていたかしら。(主にネットで)
あたし、高校時代は数学が大嫌いで、文系だったのにね。
数式が映し出す恍惚の風景。
そして、虚数空間で出会った、たったひとりの神様。
ワンネスって、この神様の事だよ。
あたしは説明がヘタだから、誰かうまくこの神様の事を説明してくれないかな。
一言でいうと、「人間原理」が一番近いかな。
「人間原理」って、トンデモではなくて、立派な物理学の論理だよ。

あら、また、瞑想の目的まで行けなかったわ・・・
昨日と同じ事を、違う言葉で書いてるだけだ・・・
posted by 辰多みか at 22:33 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

葡萄の名前

あたしは、ぶどうとももの産地で生まれ育ったから、
ちょっぴりぶどうとももは詳しいよ。

品種の名前とかね、
母(親戚の人も、みんな)が、こだわりを持って「これは○○だよ」、と教えてくれたから。

今、スーパーで売っているブドウ。
「デラウェア」
どこのスーパーに行っても、「デラウェア」として値札が付けてある。
これを、あたしたちは、「たねなしデラ」というのよ。
昔は、デラウェアは、種があるのがあたりまえだったから。
種が有るのが「デラウェア」、無いのが「種なしデラ」。
種有りは種の周りがすっぱいから、あんまり好きじゃなかったな。
ちなみに、「デラウェア」って書くけど、声に出して読むのは、「デラウエア」だね。
(エ ってちゃんと言う)

緑色のブドウといえば、誰でも知ってる、「マスカット」。
本当の名前は「マスカット・オブ・アレキサンドリア」というの。
長い名前だよね〜。
あたしの故郷では、あまり(全然?)作って無かったと思うよ。
だから、「マスカット・オブ・アレキサンドリア」って、
葡萄の産地生まれのあたしなのに、あまりなじみがない。
百科事典の中でしか、見た事無かったな。

あたしが子供の頃、よく食べたのは、「ネオマス」なんだ。
「ネオ・マスカット」という品種。
緑色で、おいしかったけど、庶民のブドウなのかな。
なんといってもネオ(新)だからね(笑)。

実は、「マスカット」っていうのは、みどりいろのブドウの事だけじゃ、ないんだよ。

「マスカット」には、紫色のもあるのだ。
紫(黒)色のマスカットは、「マスカット・ベリーA」
呼ぶ時は、「ベリーA(べりーえー)」って言ってたよ。
ここしばらくお目にかかってないわ。

子供の頃の高級ブドウといえば、なんてったって巨峰だったよ。
種有りだったけどね。
あたしたち産地の人は、皮はむかずにそのまま口に入れ、もぐもぐしてから
種と皮を出すのよ。
指でいちいちむかないの。

最近食べたのでは、「ナガノパープル」が、種無しで皮ごと食べられて、
食べやすくてすごくおいしかった。
まるでミニトマトを食べているかのような、食べやすさ。

高級ブドウという事で、地元長野の人たち(道の駅でちょっとお話したトウモロコシ
売りのおじさん)も、「高級すぎて2つぶも食べれればいいほうだよ!」と
笑ってたので、地元でも相当高級扱いなのだろう。
でもそこの道の駅では、ひとふさ480円という破格値で売ってたから速攻買ったわ。
また食べたいな〜。ブドウ産地生まれがおすすめする、ホントのオススメ!
(うちの産地産ではないんだけどね 笑)
posted by 辰多みか at 17:08 | 地球・自然・環境 | 更新情報をチェックする

2013年08月30日

瞑想する目的@

あたしは、今、悟り後の修行中だと思う。
一度"死んだ"自我は、すぐ蘇って、
あたしは、宇宙との一体感も、至福・至高も、体験せずだった。
ワンネスも、今ここも。
体験していない。
体感していない。

それではあたしは、"あの時"、何を体感したかというと、

自分が神様だった!(自分の想像を遥かに超え、奇想天外すぎてびっくり)
みんなが神様だった!
目に見えるものすべてが神様だった!(これが古来、八百万の神といわれてるモノだ)
愛でしか人の心を動かせない!
なぜかって、あたしはみんな、みんなはあたしだから。

ここまで一瞬で理解したのに、ワンネスっぽい所まで理解したのに、
「ワンネス」を実際に体感するのは、しばらく経ったあとの事。
「数の世界」に入って行った時の事だから。

数の世界にいた神様は、たったひとりだった。
ホントに、たったひとりだった。
でもそれは、厳密にいうと、体感 ではなくて、
目で見た、だったの。
「ワンネス」を理解したのは「体感」ではなくて、
「目で見た」なの。
この違い、わかるかな?

どういう事かというと、
数式(○○の公式などと云われているもの)を目で見て、
その計算結果を、頭の中で、図形化したの。

神様は、ひとつの数式では、表せない。
神様を表すたったひとつの数式って、たぶん無い。
なぜかというと、見る方向・角度・気分によって、形が変わるから。
そして次元も超えるし、たぶん、ゼロも超える。
次元を超える、というのは、多次元 ということで、
ゼロを超える、というのは、多元 ということ。

逆にいうと、今わかっている多くの数式の解を、座標上で光らせてやれば、
そこに、神様のシルエットが浮かび上がる。
一部分だけれども。
たくさん数式があればあるほど、見えてくるんだよ。
そう、アタック25のパネルみたいに。(古すぎて伝わらないかな)

あら、瞑想の事を書きたかったのに、横道にそれてしまったわ。
毎度毎度、同じ内容の話でごめんなさい。
ヴィパッサナー瞑想について書きたかったのにな。
posted by 辰多みか at 16:15 | ひとつの神と八百万の神 | 更新情報をチェックする

2013年08月28日

帯状疱疹のひきがねは、ストレス

今朝、NHKの番組「あさイチ」で、帯状疱疹の事をやっていたの。
夏の終わりに発症しやすいんだって、
そして年々発症者が増えているんだって。

あたしは家事の途中でテレビを見ていたから、詳しく内容は見てなかったけど、
そう、あたしが去年、帯状疱疹になったのも、夏が終わった後だわ。

原因(というか発症のひきがね)は、テレビでも言っていた、「ストレス」。
大元の原因というか、大前提は、「過去に水ぼうそうになった事がある」なんだけどね。
雅子さまもかかった帯状疱疹。
どんだけのストレスが有ればなるのか、体感を覚えてるから、あたしはわかるよ。

どのくらいかというと、朝起きた時に、胸のあたりに、
具体的には、のどの下のくぼみとみぞおちの中間点くらいの所、に、
黒い重いかたまりが、ずーんと、乗っかっているの。

身体的には、その頃あたしは、毎日畑の草取りをしていて、
さらに鍬で耕して、白菜やキャベツの苗植えで毎日筋肉痛だったの。
(畑は自分の意志でやっていたわけではない。趣味ではなく義務)

帯状疱疹が出たのは、右脚の、膝の裏側のあたり。
あたしはその数年前に腰のヘルニアをやっていて、右脚が
坐骨神経痛ぎみだったから、一番体の中で、弱ってた部分なんだよね。

その頃のストレスの中身は、まえまえから不満に思ってた事があって、
それを口に出せない、という二重の不満があり、その上に、
その頃だけ起こった経済的問題。まえまえからの不満と体の疲れに、
経済的問題が、とどめを刺した感じかな。

精神から、肉体からの、サインだ。
帯状疱疹は。

何を訴えているんだろう。
もっと休め?
もっと自分に正直になれ?

あたしは、一度、目覚め(覚醒・悟り)があったのに、
その、完璧なる心の終着点が見えてしまったのに、
悟って、同時にわかったのは、その終着点までが遥かに遠くて、
針山があったり沼があったり、そこまで到達するのが至難の業だって事だった。

心の仕組み、体の仕組み、宇宙の仕組みが、わかってしまった上での、帯状疱疹。
痛かったよ。
炎であぶられているみたいだった。
なんでこんな灼熱地獄を味わうの?
何か意味があるの?
それとも、なにも無い。

幸い、投薬が早くて、ほっておけば、20センチ角くらいに拡がった可能性があったけど、
一番酷いぐちゅぐちゅは、5センチ角くらいで済んでしまった。

夏の終わりに、既婚女性は、なる人が多いだろうな〜と、思うよ。
こどもがいる夏休みは、通常と違うストレスがかかるだろうな、と想像はたやすいし、
夫の実家とかさ、気を回しすぎて、体の中で、気のコントロールが難しかっただろうしね。

主婦のみなさま方、お疲れさま。あたしにも、お疲れ様。
夏休み、終わるから、こっそり秋休みで、体をいたわってね。


posted by 辰多みか at 11:48 | 病気は自分で作っている | 更新情報をチェックする

2013年08月23日

「風立ちぬ」アキレスとカメ

風立ちぬを見たから、感想を書いたのだけど、
そういえば、「アキレスと亀」に、超反応したあたしだったのに
昨日の感想に書くのを忘れたわ。

映画中では、日本の技術が外国(ヨーロッパ)に、遠く遅れをとっているから
追いつこう、というたとえ話に、「アキレスとカメ」を使っていた。

カメが外国、アキレスは、日本。
20年も遅れている我々アキレスは、歩みを速くして、外国である亀に追いつこう、と。
「アキレスとカメ」は、いわずとしれた、「数学のパラドックス」で、
いまさら説明もいらないかもしれないし、あたしもそう思ってたから、
この日記には、最初からさんざんアキレスとカメを出してきたけど、→コレとか →コレ 説明してこなかったな(笑)。

いまさら説明すると、こんなパラドックス。
ゼノンのパラドックス というの。

アキレスとカメが競争するのだ。どっちが勝つか、という問い。
カメが歩き出す。速度はなんでもいい。
アキレスは、当然カメより足が速いから、ハンデをつけて、カメが少し時間的に先に出発する。
アキレスがカメが歩き出した地点まで到達すると、
カメはアキレスが移動にかかった同じ時間分、アキレスより先へ行っている。
その先同じように、カメが通過した地点まで、アキレスが到達すると、
カメは同じ時間分、先へ進んでいて、決してアキレスは
カメに追いつけれない、追い越せない、というもの。

それを観客としてあたしたちが見てみると、
最初は、アキレスはとっても早く進むのだけど、カメに追いつかないように、
どんどん速度が落ちてしまう事になる。
そして、絶対に追いつけないの。

現実世界ではありえないわ(笑)。

これはどういうことかというと、
わかりやすく、カメとアキレスの速度の違いを 2倍 として、
アキレスのスタート時間においての、アキレスとカメの距離を 1 とすると。
(この 1 は、1メートル という意味ではなくて 単位は無いの。
別に、1メートルとしても問題はないのだけど。)

アキレスは、スタートした次の瞬間には、1/2の距離まで到達した事になる。
カメは当然先に進むのだけど、その進んだ分は、計算上はアキレス側の1/2にくりこまれる事になる。
だから、実際はカメは動いているのだけど、計算上は、ゼロ地点にいて動いていないと思って良いよ。
次の瞬間、アキレスは、その残りの距離の1/2まで移動できる。
そう、その次も、その次も。
残りの距離の、1/2まで。
ということは、絶対に、ぜ っ た い に 、ゼロ地点までは、行けないのだ。
アキレスは、カメに追いつけないのだ。

これは、極限 の問題なの。
微分積分で、極限をどう扱うか、なの。
もしも、1=0.99999999999999・・・という、微積の定義に従うと、
なんと、アキレスはカメに追いついちゃうの。

とまあ、アキレスがカメに追いつく、というパラドックス回避法は
今は横に置いておいて、ゼノンの言いたかった事は、「アキレスはカメに追いつかない」。

その、パラドックスを、映画のセリフで主人公にしゃべらす事に、
ものすごい違和感を覚えた。

だって、「アキレスはカメに追いつかない」んだよ?
日本がいくらがんばったって、その前提だったら、外国に追いつくわけないじゃん。
冗談で言ってるならともかく。
(主人公とその友人は、大真面目っぽかったわ)
数学者ではなくて設計者とはいえ、数字を扱う者として、「言ってはいけない事」だと思うよー。
しかも、カメのほかに、「アヒル」とか言い出して、ぎょっとしたわ。
(ホントに知ってれば、そんなコト言わない)
あるまじき行為だ。

現実世界で、アキレスはカメに追いつくばかりか追い越して、はるか先にまで行けちゃうのは、
それはね、
「アキレス」と「カメ」が、完全に別人だからなんだよ。
パラドックスの中身は、「1」の中で「1/2」「1/2」・・・、と切り取るから、起こる事なの。
「アキレス」と「カメ」が別人という事は、お互い、「1」どおしだから、
ゼロの極限が回避できるんだよ。
あたしは、その事について、4年くらい前からず〜っと考察してるんだ。
posted by 辰多みか at 16:44 | 「1」と「0.99999…」 | 更新情報をチェックする

2013年08月22日

壮大な夢物語。〜「風立ちぬ」〜絵空事。

「風立ちぬ」を見に行ってきましたよ。
あたしとしては、映画館で見る初ジブリ。
(トトロなど他の作品は、ビデオ(古っ)やテレビ放送で見たよ)

感想は・・・
うーん。
ひとことで言うと。

夢。
絵空事。

かな(笑)
(うまい事言った!と思ってる。自分的に)

あたしはまがりなりにもエンジニアのはしくれなので、
そっち(どっち?)ばっか見ちゃって、
うん、かなりバイアスかかった意見になっちゃうので、
その方面の意見は後で書こう。
(ちなみにバイアスは統計用語だよ)

物語としては、よくできていたと思うよ(わ〜、あたし偉そう)。
ジブリとして見るとかそういうのを省けば。
もうちょっと泣かせに来ても良かったかな。

主人公、一生懸命仕事をしました。ロマンチックな結婚もしました。
夢がかなって、悲しい事もありました。
うん。
そうだね。
人生の縮図だ。

ジブリとして見ると、
あたしは、これは、「ジブリのエッセンス」だと思うよ。
ジブリそのもの、宮崎駿さんそのものだと思うよ。
どの作品にも流れている風、風をはらんで飛ぶ。
あたしはあんまり好きじゃないけど。(←わー)
こういう、ひとクセが、人を惹き付けるんじゃないかな、と思うのよ。
風をはらむシーンは、どの作品を見ても素晴らしい。
ちゃんと重さ(重力)が、画面から伝わって来る。
すごいよね。
予告編で流れた、キャプテンハーロックの、CGの、「重さ」の表現がまあ、できてない事・・・
見るに堪えなかったモノに比べるまでもなく。(松本零児は大好きです。CG業界全般がまだ途上なの。計算式が足りないの。)

あとね、「自分のお母さんが嫌い」「母性を憎んでいる」、
それが駿さんの持ち味なんだと思うよ。
今回は、ソレは薄めて来たけど。
ロリコンというのは、元を辿れば、「母が憎い」なんだよ。
(↑わー)
駿さん、今回はがんばりました。けど、その"がんばり"が、ますますソレを裏付ける。
ジブリヒロインとして、言ってはいけない事を言わせた。
みんな「がんばったな!」と感じたと思うよ。でしょ?

テレビで見る限りしか、感じとれないけど、
あと、駿さんより、鈴木さんの方に、より強く感じるのだけど、
この方たちは、まだ人生「悟ってない」。
(悟ってるから偉いとか、そういうのでは無いよ)
表現者なら、発信者なら、自分の芯をしっかりつかんで、その上でメッセージを送ってほしいの。
そういう監督は、多くはないと思うし、まあ、稀なのかもしれないけど。
そこで、その境地に突き抜けられれば、発信者としては百人力だよね。

あたしは、早く、駿さんにそういう境地になってほしいのだ。
(わー、あたし何様。笑)
「おかあさん、ごめんなさい。」と、自分の言葉で、言って欲しいの。
逃げてるよな、いつまで逃げるのかな。
だから、映画のメッセージも、「自分の人生の言い訳」に聞こえちゃうんだよな。
「創造的人生の持ち時間は10年」?
「ああ、もう、みんなの期待に答えられる作品は作れないよ。もう10年とっくに過ぎたし」っていう駿さんの本心の言い訳なの?
そういう穿った聞き方をしてしまう。
「生きねば」?
ポスターにはそう書いてあるけれど、作品のどこから立ち上ってくるのだろう、それは。
感じ取れない。
「一生懸命仕事をしました。男は仕事で愛も表現する。だから家族には今までもしかしたら寂しい思いをさせてきたかもしれないけど、まあ、そういうコトだから。」
ってコト?
すべてのメッセージに、今は共感できないんだよな、あたしは。
駿さんの作品には、そういうのが、チラチラ、チラチラ、見える。
それが逆に、そういうココロを持ってる人を惹きつけるのかもしれない。
変なものの方が、受けがいい、みたいに。
(あー、だから、駿さんは悟ったらいけないのかも。悟ったら、たぶん、やりたい事がなくなっちゃう。)

なんて、何様な事を書いたけど、映画見ながら実際思った事なので、あたしのブログだし、書きます。

工学的な所はね、うん、あたしはあの時代生きてないから、あんなものかしら、とは思ったのだけど、
だけど、やっぱり計算する時は、図面も見なきゃ計算できないよね。
あるべき図面が無いんだよな。しかもあっても図面に寸法線が無いんだよな。
構造的な設計をしているかと思いきや、出てくるセリフは、フタの形状、皿小ネジ、沈頭鋲。
えっ、そこに重きを置くの?とあたしはちょっと引いてしまった。
うーん、航空力学的には重要だったんだろうか。風の抵抗は減るけど。あたしにはわからないな。
もっと派手な設計箇所のセリフが欲しかったな。
なんの計算をしてるかわかんないんだけど、0.75等書いてあるから、馬力別に計算してるのかなとか、
2ぶんの、√0^2 るーと ぜろ にじょう って書いててびっくり とか。
(ゼロじゃなくてシータなのか とか オー なのか とか、
平方根をとるなら二乗しなくてもいいじゃん とか、
二乗平均平方根を書いてる途中なのか とか、いろいろ思った)

トヨタのね、豊田喜一郎さん(と佐吉さん)のね、映画があるんだよ。
「遥かなる走路」というの。1980年の作品だよ。
主演は、当時の市川染五朗、現・松本幸四郎。
DVDが出たから、あたしは、長久手のトヨタ博物館で買ったよ。(たまたま
用事があって近くに行ったから。池袋のアムラックス・トヨタでは、売ってなかった)

その「遥かなる走路」と、この「風立ちぬ」は、そっくりだなーと思ったよ。
まあ、車か飛行機かの違いで、やってる事は、ものづくり だから、
似てて当然なんだけど、ホントにそっくり(笑)。
結核の人は出てこないけど・・・
トヨタの方はね、工学的な場面は、まあいっぱいあるけど、
シリンダーブロックを、試行錯誤で鋳造して失敗続きで、
「油中子(あぶらなかご)」でようやく成功して万歳、みたいに
派手な演出で見ごたえがあったわ。熱そうだったし(笑)

うん、そんな感想でした。
posted by 辰多みか at 23:00 | 機械工学・道具 | 更新情報をチェックする

2013年08月20日

おまえの言いなりになりたくない

このあいだ、
あたし宣言したよね。
「部屋を片付ける」

今、どうかというと。
全然片付いていない。
(笑)

逃避していた。
逃避している。
今も。
逃げている。

きのう、おととい、
自分の声を聞いてみた。
「あたしは悪くない。「あなた」が悪い」
「「響子さん」が悪い」
頭のなかに、自分の声が響く中、家事をした。畑をした。
畑が終わってへとへとで「なんであたしが畑をやらなきゃいけないの」
怒ったまま、響子さんと、対面した。
・・・ぜんぜん 反応なし。
"あたし"の、反応、なし。
本人を目の前にしたら、まったく怒りがわいてこない。
優しい気持ちに、なるだけ。
「???」
疑問符が、頭に、うかぶだけ。

きのう、
片付かない荷物の山を横目に、
じっと、心の中を、見ていた。
「言いなりになりたくないんだよ」
頭の中に大きい声がした。
「おまえのいうなりに、なりたくないんだよ!」
「おまえって、響子さん?」あたしは自分に聞いてみた。
「そう。」あたしの中の自分は答えた。

これを片づけたら、
響子さんの言うことに、従ったことになる。
「負け」になる。
「そうか・・・そうだったか」あたしは、自分の答えに、
今まで聞いたことのなかったその答えに、ちょっと意表を突かれて、
ちょっと納得して、
そして、車で用事に出た。
「あたしは悪くない」以外に、「言いなりになりたくない」と、思ってたのか。
「負けたくない」と、思ってたのか。
意識できるところでも、それにはうっすら気が付いてたけど。

車で、幹線道路に出るなり、
のどの奥から、
「いいなりになりたくないんだよ!」
前に夜中に聞いた、自分の中から出る 地獄の底から響くような声が出てきた。
「い゛い゛な゛り゛に゛な゛り゛た゛く゛な゛い゛」
「な り た く な い」
「や  り  た  く   な  い」
車で走ってるからね、
対向車に見られないように、口をあんまり開けずに、
腹話術みたいに、
しゃべってるの。
あたし、
自動的に。
ものすごい大きい声で。
のどがつぶれるくらいの、
すごい圧力で。

一週間くらい前にね、
阿部敏郎さんの本についてる瞑想CDを聞いたの。
そのうちのひとつの、やり方と、「コレ」は、同じなの。
あたしは車に乗って瞑想をやろうとしてはなかったけど、
自動的にそうなっちゃった。
だから、自然にまかせたの。
すぐ目的地に着いちゃったから、瞑想まで行かずにそこで終わったわ。
終わってのどのあたりはちょっとすっきりしたけど、
心の中までは、まだ。

また今日も、
「いいなりになりたくない」
「いいなりになりたくない」
あたしの頭の中に声が響いている。
あたしは自分に、「そう思ってるの?」って聞いてみた。
「そう」って、自分は言った。

片付けの山を見て、
やりかけの、予定の付箋を見て、
「やりたいなら、やればいいじゃん」
あたしは自分に向かって言う。
「やりたくないなら、やらなきゃいいじゃん」
もっともっと自分に言う。
心屋仁之介さんがブログで言う、「損してもいい。 じゃん」
斎藤一人さんが言う、「今すぐなっちゃえばいい。じゃん」
心の奥の声に、隠したい恥ずかしい本心に、
あたしは気付いているのに、なぜできないの?

またまた、心の奥底に行ってみたら、
(その時、あたしはコーヒーを淹れていたよ。)
「いいなりになりたくない おまえに」あたしの中の自分は、また言う。
「お ま え の いいなりになりたくない」

なんですって!?

「おまえ」って、「あたし」かーーー!!

「あたし」が「あたし」に、言ってるーーーー!!!


これが、ブロックだーー!

今までも自分自身に色々びっくりしてきたけど、またびっくりしたわ。
それで、速攻、片づけをしようと思ったら、
「先に日記にコレを記録して」って、別の自分が言ったから、
こうやって書いてる。

ああ、びっくりしたわ。
このこたちと、仲良く、していくのが、あたしの、今後なんだわ。
どこまでもどこまでも根が深い。
そして、あたしは、たぶん 真っ黒 だ(笑)
真ん中に白い自分が居るのはホントだけど、
そのまわりは、真っ黒だ。
「自我」は、すぐ生き返るのね。
そして、なんだか、どんどん大きくなってる気がするよ。
何が栄養なんだろう?

キラキラしたスピリチュアルの甘い言葉を聞いていると、
ダメだな自分ってすぐ思っちゃう。
それが栄養なんだろうか。
あたしの願望は、みんなのダメな経験を知りたい。
ダメから立ち直った経験を知りたい。
目からウロコをはがす方法を知りたい。
スピリチュアルのキラキラは、今はもう結構です。満腹です。
posted by 辰多みか at 13:26 | 悟後の修行 | 更新情報をチェックする

2013年08月17日

手放したい手放したくない

怒りの感情をね、
手放せば、楽になるのはわかっている。
そう、あの、世の中の仕組みを見た日から。

でも、過去の怒りの感情が、とてもとても
山のように積もっていて、
動かそうにもどうしようもない という事も
あの、仕組みを見た日に、わかってしまった。

最後の最後の一歩、
「手放すと相手に報復することなく相手を許すことになってしまう」というのが
手放しができない大きな うん、強力な 接着剤。

相手の気持ちもわかる。
自分の気持ちもわかる。
根本は同じだということが。
愛を送れば良い結果しか生まないということも。
そう、あの日悟ったから。

だけどだけどできない。
同じことをこの日記に何度も何度も書いている。
今、目の前にいる響子さんに対してだけ、できない。
過去、何人も入れ替わり立ち替わりしてくれていた響子さんたちを思い出しても、怒りは湧かないのに。
(当時はとても手放せない怒りで狂わんばかりだったのに)

頭で考えてても、だめなんだよな。
体を使わなきゃだめなんだよな。

しゃべったり

書いたり

それを抑えちゃってるんだよな、あたしは。
どうにか、そこを通らなくても良いように。
だって言いたくない、書きたくない。
目にしたくないんだもの。
ひとりじゃ無理、って本当だよな。
そのためにカウンセラーとかセラピストが居るんだよね。

と り あ え ず
どうしたら良いか。
しゃべったり書いたりは、ぼちぼちやってるから、
あたしは、今から
家中の片づけに入ろうと思う。
宣言。

あのね、片づけに関しては、そんなの、とっくにやればいいじゃん、て
普通は思う所で、あたしもそう思うんだけど、ウチの場合は、特殊なのだ。
まず、響子さんから言いつけられている(と、あたしが罪悪感を持って
受け取っている)事は、「よぶんなものは買わない」
「買いに行く時は、家中、親戚中の在庫を調べてから」
「ぜ っ た い に 捨てない」
「どうしても捨てる場合は、一度再利用してから」(←お土産の箱・包装紙も)
もしもそういう事態になった場合は、ぜんぶ「あたし」が悪い。
(禁止されてる事を守らないので)

だから、気に入らないもの(響子さんが親戚中から集めてきたリサイクル品を
あたしに回してきたもの)が、す て ら れ な い。
ものすごい ストレス。
わかる?この感じ。
あたしは、貧乏生まれなので、「そうならないために」がんばって働いてきた。
いつでも新品を、気がねなく買える生活を、幼い頃からのぞんできた。
そのために苦労したしそれに見合った自分になれたと思ってた。

洋服を買ってくるから出掛ける、と言えば、
一度止められ、親戚から集めた古着の在庫を出してくる。
または、在庫を確認してという意味の含みのあるたとえ話をする。
(響子さんはハッキリ言えない人)
響子さんが回してくるものは、
長袖か半袖か、
長さの違いだけで、あとはみな同じと思ってるらしい。
「もう家にあるから」買うな、という意味。
長袖か半袖か。
ああ〜 書いていても 脱力するわ。

何度もあたしも抵抗したよ。
でも価値観の違いだから、一生相容れない。
もうあきらめた。
あきらめて、もう、ぜったいもらわない。

だから、今まで我慢してもらってきた、モノたちを全部捨てるの。
それ、ものすごい勇気がいるの。
だから、やるんだ、
といいつつ、何年もできない。何年も、ちょっとずつしか捨てれない。
本人に返してもきたけど、まだ山のようにある。
うん、だから、今からやるの。
へとへとになってやるの。
頭をからっぽにしてやるの。
からっぽになるか、わかんないけど。
とにかく、できることをやるの。
あたしと響子さんのために。
あ、きれいにまとめちゃったけど、
まだちょっと怒ってるよ(笑)
posted by 辰多みか at 11:41 | 響子さんとあたし | 更新情報をチェックする

2013年08月16日

私たちの実体

私たちの実体は

神経 を 通る イオン

 電荷



宇宙のすべての循環の力の源は

ゼロに限りなく近づく、

しかし絶対にゼロにはならない

1/素数を


見つめ続ける神さまの 視線
posted by 辰多みか at 10:20 | あたし神様だったわ | 更新情報をチェックする

2013年08月12日

シュレディンガーのお誕生日

Googleのロゴがシュレディンガーの猫になってたよ。
今日がおたんじょうびなの?
おめでとう。
posted by 辰多みか at 15:11 | 統計学・確率・虚数・数の風景 | 更新情報をチェックする

2013年08月11日

アミグダリン アーモンド 扁桃腺

扁桃腺は、なんでそんな名前かというと、
扁桃 つまり アーモンド の形をしているから なんだよ。
アーモンドって、 桃 の仲間なの。

春になると、近くの植物園で、
アーモンドの花が咲く。
あたしは、桃の産地で生まれ育ったから、桃については他県の人よりちょっとだけ詳しいよ(笑)。
ほんとうに、アーモンドの樹形・花の形・色 は、 桃 そのものだ。
サクラに似ているという人もいるけど、あれは、桃だよ。
いやいややっぱり桜に似ているよ、という人がいるかもしれないけど、葉っぱを見てほしい。
細長い垂れ下がる感じの葉っぱは、桃の特徴なんだよ。

扁桃 という名の通り、ひらべったい桃 がなるの。
そして、パカーっと実が割れて、種がまるだしになるんだよ。
見た目はアケビみたいだね。
果肉は食べる所がないんだって。だから種を割って中身を食べたんだね。

昨日書いた、所ジョージさんの番組の「本物の杏仁豆腐」は、
ほんとうの本物は、アンズの種の核「杏仁」で作られているという話で、
今は、杏仁の取扱いが難しいから、アーモンドの粉 で代用されているという話なんだけれど、なぜ取り扱いが難しいかというと、それは杏仁の「薬効成分」、いいかえると、「毒」(毒と薬は表裏一体だよ)の、さじ加減が難しいって事だね。
その「毒」の事をアミグダリンというよ。(昨日も書いたね)
アミグダリン は アーモンド の語源になった言葉なの。
アミグダリンは、摂取すると、体の中で、青酸(シアン化水素)になるの。
だから、ものすごくたくさんは食べない方がいいと思うよ。(食用アーモンドは、まあ大丈夫だと思うよ)
よく、青酸カリで倒れた人は、吐息が「アーモンド臭」がする、と、サスペンスもので有名みたいだけど、まさにこのアーモンドの香りという事だね。
(ナッツのアーモンドの香りとはちょっと違うみたいだけど。そして倒れた人の吐息を吸うと、自分が青酸ガス中毒になるから危ない)
アーモンドも、太古の人にしてみたら、魅力的・神秘的な植物だったんだろうね。
posted by 辰多みか at 17:17 | 香草・香料のこと | 更新情報をチェックする

2013年08月10日

所さんの番組の杏仁豆腐

ゆうべたまたま、所さんのテレビ番組を見ていたら、
本物の杏仁豆腐を探せ、というのをやっていた。
番組名は「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」だよ。

あたしは以前、家でたくさん採れるビワを有効利用できないかと思って、
いろいろ調べたり作ってみたりしたことがあったんだ。ていうか現在進行形で今年も、来年も、する。
ビワはうちの庭に何本も生えていて、果実は生で食べたり、
かたい実は砂糖煮(シロップ漬け)にして、ヨーグルトに入れたり、
パイの中身にしたりそれはそれはいろいろやってみたけど、
種も何かできないかな、と思って、ぐぐっていろんなサイトを見ていたの。
その時、わかった事は、ビワの種には、アミグダリン という成分が入っていて、
大量に摂取すると、体内で青酸(シアン化水素)になり、青酸中毒になって、
重い場合は死んじゃうという事。そう、俗にいう、「青梅を食べると死ぬ」と同じ状態になるという事。
それは、青梅も、ビワも、そう、杏仁豆腐の「杏仁」つまりアンズの種の核 でも、同じなの。

でもね、その当時(昔も今もか)あたしは、毒を制す みたいなのに魅力を感じていて、
どうすれば毒にやられる事なく利用できるか、という方法をいろいろ探していたんだ。


そしてわかったのは、「たくさん食べなければ良い」

な〜んだ、という答えだけど、そのとおり、「たくさん食べなければ良い」


ビワも、梅も、桃も、杏も、

そうそう さくらんぼも、

そうそうそう、アーモンドも、


みんな同じバラ科の仲間でね、
種の核(仁)や未熟な実には、アミグダリンが含まれているのよ。
種類によって、アミグダリンの含有量が違うだけで、含んでいるというのは、同じなの。

どうして青梅を食べたら死ぬ(と云われている)のに、梅干や梅酒にしたら死なないのか、とか、
塩漬けや加熱すれば無毒化される、とか、云われているけれど本当なのか、とか、
本当に実験して確認とれてるのか、とか、
思っちゃうけど、
実際はね、

ちょっとしか食べない(飲まない)から、あまり体に影響がない が答えだと思うよ。

つまり、塩 や 醤油 と似たような感覚だと思うよ。


うん、

塩をたとえば、おおさじ一杯を、粉薬みたいに、口に入れて一気に水で流しこんだり、
醤油を、コップにそそいで、コーラみたいに一気に飲んだり すると、


どうなるか、だいたい 想像 つくよね? (日本人なら)
うん、 死ぬ よね、きっと。それはわかるよね。

それとだいたい同じ感じじゃないかと思うんだ〜。

だから、熟成させて無毒化とか砂糖で無毒化とか、実際は、そっちじゃなくて、
ただ単に、体に取り入れる量が少ないから、毒の影響を受けない、が本当だと思うの。
だって、梅干しを10個も20個も一気に食べる人って居ないし(塩分も心配だ)、
梅酒を何リットルも飲まないだろうし(・・・ん?もしかして居る?)
梅種の梅を何十個も食べないだろうしね。


それでね、テレビを見ていて思った事は、
どうやっても、アンズの種には毒(アミグダリン)が有るから、
ひとり種2個まで、とか、ちゃんと注意書きしないと危ないんじゃないか、と思ったの。

アンズの種を杏仁豆腐に入れる理由は、昔はアミグダリン由来の咳止めとかの薬効を期待して
薬膳としてだったと思うんだけど、今は、香り付け のためだよね。
だから、たくさんは要らないんだよ。
あのテレビでは、レシピも作り方も詳しく出てなかったみたいだから、
長野でお土産でアンズを買った人が、作ってみようかと思って、
何十個もアンズ種の核を入れやしないかと心配になってしまった。
ぐぐって調べたら、20個以上のアンズ種の核をひとりで食べて重症になったらしいよ。
青梅は、100個以上実(種ではない)を食べると重症になるらしい。
まあ、アミグダリンがいっぱいなのは、苦くて食べられたものじゃないと思うから、
心配するまでもないかもしれないけど・・・

ビワの種も、抗ガンの民間療法で、種を食べるというのがあるけど、
ひとり2〜3個が一日の限度量じゃないかと思うんだ。
ちなみに、ビワの種も、「杏仁」の香りがするから、ミキサーですりつぶして
杏仁ならぬ「ビワニン豆腐」として使うレシピもあるよ。
(この時も、量は少なく入れてね。そしてしっかり加熱してね)
あたしはおととし、ビワの種だけ焼酎につけて、杏仁の香りのお酒を作って、
牛乳ゼリーに入れて杏仁豆腐もどきをよく作ったけど、今年はもう焼酎漬けはやらない。
焼酎漬けの種も食べてたけど、もう食べなくなっちゃった。

身近なもので、いっぱい食べたら危ないって知られてないものに、「ギンナン」が有るよ。
ギンナンは、いっぺんに10個以上食べたら、危ないの。
以外とみんな知らないよね。(あたしも30代の頃は知らなかったよ)

テレビでみんなが知らない事を教えてくれるのはいいけれど、
もうちょっと、注意事項とか、ちゃんとしてほしかったな。
「医薬品に認定されているから調理できない」のではなくて、
「毒がある」 と ちゃんと言ってほしかったな。
posted by 辰多みか at 11:15 | 香草・香料のこと | 更新情報をチェックする

2013年08月08日

昭和天皇と雅子さまとあたし

2004年にね、浜名湖で花博があったんだよね。
あたしは、家族分、パスポートを買ったから、それはもう、
行ったわ、行ったわ。
元はとったわ。
もう目つぶっててもどこに何があるかわかるくらい(笑)。

その花博にね、昭和天皇のパビリオンがあったのよ。
博覧会で天皇?て思うかもしれないけど、あったのよ。
いつもすご〜〜い混んでて、あたしは結局一回しか入らなかった。
(他のパビリオンは結構何回も入ったよ。恐竜の首がぬっと出てるのとか。)

あたしは特に天皇家について思う事はなかったし、
写真の額を飾るような家でもなかったから、
パビリオンには、花博が終わるまでに一度は入れればいいかな、程度の
思いでいたんだ。そして、ある日、入ってみようという事になった。

昭和天皇のパビリオンはね、
どんなすごいお宝が!と、あたしは思いながら入ってみたんだけど、
たしか、中に展示してあったのは、「植物標本」。

とても 地味な 植物標本。

もう茶色く色が変色してるのとか、
ホントに地味な感じの 草 とか、
うん、「お年寄りの趣味の世界」って感じの。

まあ、趣あるな〜って思いながら見てたよ。
昭和天皇は、数々の公務の間、
しかも戦争も体験しているし、そのあい間あい間、
こうやって、気になる植物を押し花みたいに標本にしていったんだろうな〜と
思いながら見たよ。

そして、作品展示の先は、映像コーナーだったんだ。
植物を採取される、天皇陛下の。

そこにうつっていたのは、
まぎれもなく、日本の、天皇陛下だったんだけど、

映像がすすむうち、あたしたちの目に映っていたのは、


植物を愛する、

ただの、

おじいちゃん。

大好きなことに没頭している、

ただの、

おじいちゃん、


だったんだ。



涙が出た。

まわりのみんなも、泣いていた。

感動する要素もどこにもないような、数分間の、

ただの、趣味に没頭するおじいちゃん の映像だったんだけど、

泣けて、泣けて、



その時はじめて、テレビで新聞で拝見する、天皇陛下の
本当の胸の内を、見た気がしたんだ。

植物好きのおじいちゃん なのに、
天皇家に生まれたというだけで、
どれほどの大きな重圧・責任を背負ってきたのか。

いつもむっつりしたお顔しか見た事なかったのに、
好きな事をしている時は穏やかな表情で、
ホントにただの おじいちゃん なのに、
あたしたち国民は、何を、あんなに、期待・希望をこめて
天皇陛下に背負わせてきたのか。

ひとりの人間として、見てなかった。
本当は、あたしたちと何も変わらない、ただの、ヒト なのに。
誰も、彼をそうとして見てなかった。

その事実が、映像を見ているあたしの胸に、迫ってきた。
まわりの人も泣いているから、たぶん同じ気持ちを受け取っているのだろう。
なにかが、そう、憑き物みたいのが、スコーンと、落ちた気がした。

それから、天皇家の人を見る目が変わったよ。
うよくとかさよくとか、そんなの全然関係なくて、
同じ、人間 として、見るようになったんだ。


だから前も書いたけど、
雅子様には、早く悟りを開いていただきたいな〜って思うのよ。
だって、ただの、ヒトじゃん!
汚い自分だって、醜い自分だって、在るよ!
そんなの居ちゃダメって、本人も周りも、思いこんでるから、苦しいんだよ。
どんな自分だって、居ていいんだよ〜。
今苦しいし、自分に向かい合う時、もっと苦しいけど、
それをやる価値はあると思うんだよ。
それっていうのは、つまり、内観・瞑想・自問自答。
国民として、ではなく、同じ人間として、そう思ってる。
だれかマスターがひとりついてくれれば、いいのにな〜。
ああ、でも、本人が希望してなきゃ、だめか。
posted by 辰多みか at 15:46 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年08月06日

「ありのまま」はなかなかわからないってハッキリ言った方がいいと思うよ

「あなたはありのままで素晴らしい」

そのとおり。

真理。


だけどね。

「ありのまま」の自分を本当に知っている人って、
い な い よ。
悟った人以外は。
(あたしだってまだまだ知らないよ)

「ありのまま」の自分を知るのが怖いから、
人はあの手この手で、知るのを拒否する。
それがそもそもの元凶で、
苦しみの元だ。

人はなぜ生きるかというと、それを知るためだと思うし、
それを知った時が人生のゴール だと思う。
(真理はひとつの言葉では表せないから、
この答えは、ひとつの側面だよ。
だから人生には何も意味が無い、という答えも、正解なの)

「ありのままで素晴らしい」と伝えるのと同時に、
「ありのままには、なかなか気が付く事ができない」と、
ペアで伝えた方がいいと思うんだ。
posted by 辰多みか at 23:39 | 本当の幸い | 更新情報をチェックする

2013年08月03日

フラクタル次元その@

去年ね、
近場の某大学工学部へ見学に行ったの。
いや、あたしじゃなくてこどもとその友人が。
(あたしは運転手)

でも、じつはあたしもうきうきしていたんだ。
だって理学工学だし。
展示内容をネットで見ていたら、フラクタルの画像が見れるっていうのがあったの。
もうソレ目的で行ったわ(あたしは)。

超伝導ーー!とか ロボットーー!とか 派手な展示とは違って、
フラクタルのそれは、地味ーな感じでひっそりと展示していたわ。
迷いながらようやくたどりついた、研究室。
ドアの細いガラスのすきまから、中をチラチラ覗いていたら、
教授が気付いて開けてくださった。
もう、ひととおり説明は終わっていたみたいだけど、
あたしたち3人を、ニコニコして迎え入れてくれた。
あたしたち以外に、4人の高校生がいたかな。
ひとり一台のパソコンの前に座って、
「ジュリア集合」の画像を見ていたの。

あたしはさー。
ジュリア集合より、「マンデルブロ集合」の方を期待していたんだけど、
まあいいわ。
(↑遅れて入れてもらっておいてなんという・・・)

教授はニコニコして、おっしゃった。
「フラクタルな図形は、どこまで拡大しても、自己相似な形がずっと続きます」
みたいな事を・・・(←ごめん、ハッキリ覚えてない・・・)
だから、ずっとずっと拡大していって、好きな色と形が出てきたら、
その部分をカラー印刷するので、決めた人から言ってください、と。

あたしはね。
うん、そんな事、どうでもいいの。
好きな色と形なんて、どうでもいいの。

もっと、詳しくフラクタルの事を聞きたかったの。
だからちょっとがっかりしたわ。
(教授、ごめんなさい。あ、あたしたちが行く前に説明してたのかな?
でもそんな雰囲気じゃなかったわ)

だから、ちょー適当に、数回拡大してパパッと決めちゃって、
「はい、これで」みたいに、適当に言ってたら、教授に、
「えっ、これでいいの?」って言われちゃったわ。
あはは。
うん、適当でいいんです。

ほかの高校生たちは、ものすごく真剣に「好きな形」を選んでいたよ。
だからだいぶ時間がかかってたんだけど、その間に教授は、
ちょっぴりフラクタルの事を教えてくれた。
それは、

「その画像ってねー、本当は3次元じゃなくて、2.7次元くらいなんだよねー」
という、つぶやきのようなひとこと。

あたしは聞き逃さなかったわ。
(気になったけど質問はしなかった)

ちょっと目が飛び出そうになったわ。
3次元じゃないんだ!?
3次元未満!
そんな次元があるんだ。
質問したかったけど、こどもを差し置いてできんな、と思っちゃって
(過保護の親バカなので)印刷されたジュリア集合画像を握りしめて
ありがとうございます とにこにこ挨拶して、帰ったわ。
そのあと、ずーっと 約2.7次元が気になっていたの。
ぐぐって 約2.7次元の事を調べたのは、わりと最近になってからだよ。
posted by 辰多みか at 23:57 | 四次元・多次元 | 更新情報をチェックする

右肩のプレアデス

プレアデスは、日本では すばる と呼ばれている星団の名前だよ。
あたしが小学生の頃、星に興味を持つきっかけになった星団なの。
秋の夜、10時ころ帰ってきたおとうさんをむかえに(夜遅かったから
心配だったんだろうね)
庭に出た時、目に飛び込んできた星なの。
その時、すばると一緒に、オリオンの三つ星も見たよ。
それから星が大好きになったんだ。
来る日も来る日も、百科事典の、「天体・気象」ばかり見ていたよ。
(気象には興味は無かったけど一冊の本だったから)

すばるは、おうし座にあるんだよね。
おうし座は、形がとてもわかりやすい星座で、
V字型になった星の並びが、牛の顔と角の部分で、
目立つ赤い星 アルデバラン が、牛の右目なの。
顔の所には、すばるとは別の散開星団があって、
ヒアデス という名前なんだよ。
昔の日本では あめふり と呼んでいたの。
中国でも あめふり と呼んでいるらしいよ。(漢字はわからない)
すばる と あめふり の事は、 浦島太郎 (「風土記」の 浦・嶋子)のお話に出てくるのよ。
(なぜ あめふり かというと、この星団に月が掛ると雨が降る らしいから)

おうし座の顔が、あめふりぼしで、
おうし座の肩にあるのが、すばるぼし なの。
絵で見ると、左肩 だね。


あたしは、おひつじ座生まれなんだけど、

ある日、突然、

おうし座になった。

「!!??」
こんな感じになった。

(あはは。何日生まれかわかっちゃう)

それまでは、おひつじ座だったのに、
突然「あなたは今月から、おうし座です」こう、雑誌に宣言された。
その雑誌とは、少女誌 なかよし だったんだけど、
たぶん、ほかの雑誌でも、同じだったんじゃないかと思うよ。

なんか、12星座のきめごとが変わって?、
変わって、というか、厳密化されて?、
その日生まれの人は、おうし座になったの。

なんか、「やーん」て思ったよ。
だって、おうし座っておひつじ座より、可愛さが少ない気がする。
いや、あくまで、気 ね。
すばるがある星座だってわかってたけど、
「いやーん」って思った。
だって、ずっとおひつじ座といわれてたわけだし。

でもね、
あたしは実は、「その日」生まれではなかったのだ。
昔の人にありがちな、親の都合の良い後ろの日に、誕生日を設定できる、という、
そういう誕生日設定のシステムが使われていて、あたしの誕生日は、
その日が本当の誕生日じゃないの。もっと前なの。
だから、あたしは正真正銘、おひつじ座なのだよ。
ちょっといやーんて思ったけど、すぐ頭を切り替えて、
それからずっと、あたしはおひつじ座でとおしているよ。

でね、あたしの右肩には、うまれつき、散開星団みたいな
ほくろの集団があるの。
集団全体の長さは5センチくらいで、結構目立つのよ。
みようによっては、すばるにも見えるよ。
だからもし、あたしがうまれた時から、12星座のきめごとが今と同じ設定だったら、
あたしは、肩にすばるがある事だし、「おうし座」と、堂々と言ってただろうね。
まあ、おうし座は左肩で、あたしは右肩だけれど・・・
あたしがもし記憶喪失になって行方不明になっても、
この目印で絶対探し出せるよ、とおかあさんが良く言っていたわ。
(もしあたしが行方不明になったら、この目印で、探してね)
posted by 辰多みか at 11:35 | 自分 | 更新情報をチェックする

2013年08月01日

限界を超える

毎日の予定が
あたしの限界を超えてる。
もう日にちもわからないくらい。
(今日、何度も日付を確認したのに、ひとつの事について
一日間違えてたわ。
つまり明日やる用事、と思ってやらなかった事が
今日だった!! あー↓
ごめんね、ごめんね、がっかりしたでしょう と思って
心ぐるしい。)

もうもうもうもうもう 限界みたい
ここで毒吐く。
家庭で言っちゃいけないみたいだ。
(でも言うけど)

なんだろ。
あたしは今ものすごい窮地に陥ってるのに
すごく良い方向に向かってるとしか思えない。
なにこの感覚。
ただ流れてるという感覚。
ものすごい窮地なのにだよ?

だけど限界なのは事実だ。
しかも自分でそう仕組んでるみたいだ。
なにこれ。
posted by 辰多みか at 22:43 | 日記 | 更新情報をチェックする

2013年07月30日

かわいこちゃん


今、窓の外に、ほっそ〜いトンボが来てるのよ。
サッシにとまって、複眼でこっちを見てるわ。

胴体の長さはね、3センチくらいで、
色がとっても綺麗。
緑色の頭に、肩のへんは水色で、
水色と緑が混ざったグラデーションの胴体(棒とか草の茎みたい)。
しっぽの先はちょっと枯れた草みたいな色で、
草原にいたら、カモフラージュできっとわからないね。
羽根はあるかないかわからないくらい細くて透き通ってて、
良く見ると黒いワイヤー細工みたいだよ。

素敵だ。自然の神秘だ。
このへんは緑が多いから、きっとこんな色をしている
(この色の個体の生存率が高い)んだね。

20年くらい前に、北海道のオンネトーという青い湖に行った時、
ホントにホントに真っ青な湖で、ものすごく感動したんだけど、
そこに、真っ青なトンボがいた事にも、感動した。
ほそ〜い青いトンボ。
カモフラージュになるから、その場所ではその色の個体の生存率が高い という事だね。

水が多い場所には、真黒い羽根で緑色のトンボがいるよ。
黒い羽根でひらひら飛ぶ姿はトンボっぽくなくて神秘的。
(なぜあんな目立つ姿をしているのだろう?)
うちの庭にもたまに来るけど、それが来ると、
ああ、庭の木陰は今ちょっと湿っぽいのかな?と思うよ。
posted by 辰多みか at 09:42 | 地球・自然・環境 | 更新情報をチェックする

2013年07月29日

ようやくupし終えた


2012年7月13日から2013年7月11日までの分を、
ようやくupし終えたよ〜。
つかれた・・・
腰が痛いわ。
2週間以上かかったわ。

でもまあこれで一区切り。
posted by 辰多みか at 23:11 | 日記 | 更新情報をチェックする

エルダーは風邪の薬


エルダーフラワーという 薬効のある花があるのよ。
和名は、「セイヨウニワトコ」というよ。
日本では、ドライにして、ハーブティー用で売ってるものか、
甘い濃縮シロップ(コーディアル)として売ってるものが手に入る。
どちらも、あたしの大好きな「生活の木」で買えるよ。

ハーブティーを淹れる要領で、エルダーフラワーティーを作って、
熱いままでも、冷たくしても、どちらでもいいんだけど、
飲むとね。

なんと、15分くらいすると、滝のように汗が出るんだよ。
ほんとすごいよ。

エルダーフラワーティー自体は、マスカットの香りで、
とても飲みやすい。
だからあたしは温泉に行く時、500mlのペットボトルに
作っていって、サウナに入って出ては飲み、
温泉に入って出ては飲み、するの。
ものすごい汗出る。
あたしはふだん汗をかかないから、ここぞとばかりに出す。
うん、温泉に行かなきゃ、て思う時、だいたい調子が悪くなる寸前なんだよね。
だから行って、汗で"いろいろ"出しちゃうんだ。

ホントに調子が悪くなってしまって風邪で熱が出ちゃったら、
それでもあきらめずに、エルダーフラワーティーを飲む。
だいたい、まだ調子は良くならないよ、って体が言っている時は、
汗が出ないの。
その時は、体は、熱を出したいの。
で、熱を出しきっちゃって、もう良し、と体が判断すると、
次に、汗でいろんなものを出す段階になるの。
もともとの体の不調の原因の疲れ物質だとか、
菌と体の抗体が戦ったしかばね とかさ。
汗がどっと出ると、熱が下がって、体がすっきりするよ。
もともと、体は「すっきりしたくて」わざと風邪の菌やウィルスを取りこむんだよ。
だから、あたしはその時、「より汗をたくさん出してよりすっきりするために」、
エルダーフラワーティーを飲むんだ。
コーディアルでもいいんだけど、甘すぎてあたしはちょっと苦手。
(コーディアルは薄めて飲むんだよ)
最近は飲んでないから、ここ一年くらいは風邪をひいてないんだよね。
(いいこと?)

イギリスではね、
エルダーの花が咲く初夏、
白いエルダーの花の房をたくさん摘んできて、
自家製の発酵飲料を作るんだって。
エルダーフラワーシャンパン と呼ぶらしいよ。
ロマンチック。
憧れるわ。

花の房たくさんと、砂糖と、レモンを、水に浸して、
数日置くと、自然に発酵して、さわやかな飲み物ができるんだって。
マスカットの香りの白い花。レモン風味の炭酸飲料。

飲めば汗もいっぱい出るし、夏の暑さをのりきるには、きっと最適な
飲み物だよね。
あぁ〜、うちでも作ってみたいの。

セイヨウニワトコはこんなふうにとても役立つ植物なんだけど、
外国ではちょっと「魔」っぽいイメージがあるらしいの。
ちょっぴり不吉な感じ、ね。
イスカリオテのユダさんがこの木で首を吊ったらしいとか・・・
でも、花はとっても可愛いよ。
posted by 辰多みか at 17:14 | 香草・香料のこと | 更新情報をチェックする
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